< 杉村ぐうたら日記(1999年8月21日〜31日)

▲1999年8月21日:土曜日:流行のリバイバル
▲1999年8月22日:日曜日:発売中止・2回目
▲1999年8月23日:月曜日:そんなに嬉しいのか?
▲1999年8月24日:火曜日:突然夜中のトイレ掃除
▲1999年8月25日:水曜日:明日に架ける橋
▲1999年8月26日:木曜日:すでに思い出せない
▲1999年8月27日:金曜日:日本語にする
▲1999年8月28日:土曜日:第2のメールマガジン創刊
▲1999年8月29日:日曜日:色々とヘビー
▲1999年8月30日:月曜日:もうヤクなんてしないよ絶対
▲1999年8月31日:火曜日:1999年の夏休み
1999年8月21日(土曜日)流行のリバイバル
 最近「SMAP×SMAP」の影響もあるらしく、往年のジュリアナ系ダンス『パラパラ』がリバイバルしているらしい。で、ついでにかのユーロビートも復活の兆しがある。
 などと言うと、ある程度の年齢の人などは「え?リバイバルって・・・・今も延々と流行っているんじゃないの?」などと勘違いをしてしまうぐらいに、最近の流行だった様な気がしてしまうのだが、リバイバルなのだ。

 自分の感覚で行ったら、あのダンスも音楽もダサさの極地で、見るのも聞くのも耐えられない、と言った感じなのだが、1980年代末期から1990年代初頭にかけて、ジュリアナがどーしたこーした、マハラジャがどーしたこーした、ジョンロビンソンがどーしたこーしたと大流行していた。

 ダンスミュージックと言うと日本では、60年代末期にゴーゴーブームがあったりしたが、この時はかなりイキがったお兄さん達が、ンッチャーカ、ンチャンチャ、ンッチャーカ、ンチャンチャ、とモンキーダンスだとか、バンプだとかを踊っていた。
 まだまだ、世間一般の良識で云ったら不良のたまり場って事になったりする時代だった。
 なんせ、TVドラマの学園物なんかでも、登場人物がちょっと「不良になろう!」と決意してイキがるといきなりゴーゴー踊っちゃったりする様な時代だったのだ。しかも浜辺でショボいラジカセ鳴らしてノリノリで踊り狂う姿は、更正させるのより除霊でもしたほうがいいのではと思わせるような感じだったのだ。

 その後、70年代中期の「KCサンシャインバンド」や「アースウィンド&ファイヤー」や「ヴァンマッコイ」あたりの濃密アフロ軍団のディスコソングを経由して、70年代後期の「ナイッフィーバッナイッフィバーァ」のビージーズなんつー白人(しかもオーストラリア人)がやるディスコが大ブレイクしちゃって、日本民謡界の最高峰だった三橋美智也までが「ミッチー!フィーバー!激メン!」などと踊りながらカップラーメンのCMに出るようになってしまった。
 ミッチーってのは「及川光博」の事じゃねーぞ、と云いつつ初代ミッチーは、現皇后の美智子さんだったりするんだけどさ。
 ま、その辺りからディスコは凄くソフィスケイテッドされてアンニュイでセンシブルなニートな気分でトレビア〜ンな方向に向かっていくのだ。私はその辺のクールな感じのディスコ曲が好きだったりする。

 が、だ。日本人は果てしなく下世話でダサい物が大好きと見えて、アメリカ方面がお洒落になった途端に、ドイツやノルウェイやカナダ辺りの場末ダサダサディスコが流行りはじめてしまうのだ。
 いわゆる今のユーロビートに繋がる「頭使って無い!」「テクニック全然無い!」てディスコソング。
 最初の頃は「ジンギスカン」なんてバンドが「ミュンヘンサウンド」とか云って出てきたが、何故「ジンギスカン」で「ミュンヘン」なのか全然判らなかった。しかも、やっているヤツラ「カナダ人」だったし・・・。
 で、ノルウェイ・スウェーデンあたりから「アバ」とか「ノーランズ」とか出てきて(この辺はまだユーロと言うより、歌謡曲だったけど)それに合わせて、東京原宿では埼玉や千葉・群馬あたりから日帰り出張してくる『竹の子族』なんつーのが出てくるワケですな。
 あれなんて「自由に踊っている」のではなく、全員同じ振り付けで合わせて踊ると言う、どー見ても「盆踊り」から抜け出せない様な土着のパワーを感じる物だったのだ。
 60年代の健全青少年向けレクリエーション「ジェンカ」とたいして違わない様な気がするのだ、レッツキッス踊ろうよ〜てな感じで、おまえはダニー飯田とパラダイスキングかっつーの。

 しかし、そのダサダサ地方都市的田舎者ダンスだったけど、それって、よく考えれば後の「パラパラ」に繋がって行くんだよねぇ。
 いわゆる、みんな同じにしているから優劣を付けやすい。その中からリーダーが出てくる。レクチャーするヤツも出てくる。と言う図式。

 なんかせっかく音楽で踊っているのに、解放されていないねぇって感じがしちゃうのだ。
 (なんかディスコの歴史を語ってしまった)
1999年8月22日(日曜日)発売中止・2回目
 10月14日に発売する予定だった忌野清志郎&Little Screaming Revueのニューアルバムが突然発売中止になった。
 その理由は、そのアルバムの中でかの有名な「君が代」のパンクバージョンが収録されているからだと云う。しかし、今回のこの曲に関しては忌野清志郎のやりがちな皮肉山盛りの歌詞の変更などは一切無く、例の尊い人を称えまくる歌詞そのまま、メロディもそのまま、アレンジのみをパンク(と雑誌に書いてあったけど、いわゆるハードなロック状態って事かな?)にしただけらしい。
 いわゆる、文化人的な偉い人ならばその歌詞をそのまま使用するって事は、あっち側を支持しているんじゃないのか?と言う事で眉をひそめられてしまったりするんだろうけど、とりあえずそのまんまの歌詞を歌っていたらしい。
 なんつーか、相変わらずだなぁ

 今からちょうど10年ほど前、まだRCサクセションが健在だった頃「カバーズ」と言うアルバムでも、まったく同じ事が起こった。
 その時は、もっと発売ギリギリでの中止発表だったような気がする。雑誌媒体なんかには、そのアルバムのレビューが乗ったり、インタビューが載ったりして、期待は高まるって感じだった。
 そこへ発売中止の報告があったのだ。発売中止の理由はハッキリ言わなかったが、そのアルバムの中に原子力発電について皮肉った歌があったのが理由らしい。
 何言ってんだ〜牛乳が飲みてぇ〜
 そりゃレコード会社は困ったと思うっす。なんせ発売する東芝EMIって親会社が原子力発電の大親分「東京電力」だもんなぁ
 思わず発売中止をかけたくなっちゃうのも判るけどさ・・・・。

 そのおかげで、謎の覆面グループ「タイマーズ」が出現して、もっと過激な曲を歌い始めたりするんだけど。 中止になったアルバム「カバーズ」は最終的にはキティレコードから発売される事になるのだが、清志郎はレコード会社に対して「謝るまで居座ってやるぜ!」と宣言していた。

 たぶん、別のレコード会社から発売されると思うのだが、その辺のレコード会社独自の判断による発売中止ってのも、どうかと思うけどなぁ
 だってよけいに宣伝になってんだもんなぁ

1999年8月23日(月曜日)そんなに嬉しいのか?
 最近、朝の通勤自動車ではCDをかけている。
 ま、とりあえず夏って事で「ビーチボーイズ」「大滝詠一」「山下達郎」あたりが勢い多くなってしまうのだが、とりあえず色々聞いている。
 で、帰りはニュースを知りたいと云うのもあって、ラジオを聴いていたりする。
 そんな毎日なのだが、今日はぼけっとしながら夕べのままラジオを聴きながら会社に向かって車を走らせていた。で、ぼけっとしていたら私の大嫌いなナシモトっつーおっさんが出ていた。で、そこでキムタクが恋人カオリンと破局したと言う「だから何?」と言う話題をやっていた。
 なんつーか、何年越しの恋愛だとか、半同棲だとか、5月頃に別れ話に決着が付いたのだとか、なんかそーゆー話を延々としていたのだが・・・・・・なんだろうなぁこのナシモトって人、凄く嬉しそうに嬉々としながら話しているのだ。
 なんか、聞いているだけで薄ら寒くなってしまうのだな、この人の品の無さには。

 もうこの辺は人間としての美意識の問題だと思うのだが、他人がどーのこー、くっついたの離れたのってのを話すと言うのは、自分としてはカッコ悪いと思うのだよ。まったくもって。
 ま、そーゆーのを言うのが異常に好きな人っていうのも存在するのは判っているが…………。

 で、何かのTVで、とあるミュージシャンが執拗なレポーターの追跡にキレて「いい加減にしろ」などと怒鳴ったと言う事があった。その後で、芸能レポーターに対して失礼な行為をしたと言うことで、そのミュージシャンに対してレポーターは
 「芸能界に入ったって事は、こういうプライバシーを切り渡すって事を覚悟して入ったワケだろ」などと当たり前に言うのだ。
 そう言う物なのか?
 例えば僕がこうして文章を書いている。それがひょんな事から出版される事になって、ついでに何かの拍子でTVなんかに出て喋る様になった途端に、一般的な視線としては「タレント」と言うくくり方をされてしまうかもしれないのだ。
 と同時に「プライバシーを切り渡すって事を覚悟」している人になってしまうのか?
 たぶんミュージシャン氏もプライバシーを切り売りしてゴシップにも全て答えよう!と思って音楽の道に入ったのではないと思うのだがなぁ、あくまでも音楽を作り続けて来た結果「多くの人に聞いて欲しい」と言う部分でメジャーデビューしたと思うのだが。
 やっぱし、彼らレポーターには「クリエイター」や「作家」と言う部分は認識できない存在なのかも知れない。なんせ、これと言って芸も無いのにザ芸能界にしがみついている彼らだったりするから・・・・。

 と言うことは彼らは、何かを聞かれた場合、包み隠さずすべての事を話してくれるって事なのだろうか?

1999年8月24日(火曜日)突然夜中のトイレ掃除
 ぼーっと夜の12時頃トイレに入っていた時に「掃除したい」と思ってしまったのだ。
 思ってしまったからにはしょうがない、とトイレ掃除を始めた。
 と言っても、便器の中ではなく、水をためるタンク周りの掃除をしはじめたのだ。なんか今まで意識が云っていなかったので、そんな処を雑巾で拭くなどと云うことがなかった様な気がする。
 キュッキュッ・・・・・

 ふと、トイレの便器を見て大昔に小椋佳と言うフォークシンガー兼銀行員のオッサンが作った「白い一日」と言う曲を思い出した。
 その歌詞の中には「真っ白な陶磁器を眺めては飽きもせず」と言う箇所があるのだが、それを中学の頃聞いて「真っ白な陶磁器」=「便器」と言う想像をしてしまった。してしまったのだからしょうがない。
 それ以降はその曲を聞くたびに、歌の中の主人公がトイレの中に監禁されて、他にする事がないので日がな一日ぼけ〜っと便器を見つめている絵柄が浮かぶようになってしまったのだ。
 なんて、間抜けな絵柄なのだろうか、それをわざわざ曲にするという行動力には頭が下がる思いなのだと、中学生の馬鹿頭脳で考えた。

 そうかそうか、と思いつつ水タンクの周囲を雑巾で拭いて、と、そのタンクの水が流れ込む部分に、すっかり空になった状態の「ブルーレット」が置いてあった。
 あぁ、そー云えば1年ぐらい前に「詰替用を買ってこなくちゃ」などと思ったような気がする、などと果てしない時の流れに流されまくっている私の人生を振り返ったりしたのだ。

 しかし、そんな事より中学生時代よりも遙かに馬鹿さ加減に拍車を掛けた馬鹿頭脳は別の事を考えていた。

   『ブルーレット・小椋佳』

 このダジャレが云いたいが為にこの文章を書いたりする私。
1999年8月25日(水曜日)明日に架ける橋
 数カ月前から工事をしていて、その道は不格好な迂回になっていた。
 あまりに不格好な迂回路なので、何度も事故りそうになってしまうような道だったのだ。
 で、なぜ工事をしていたか?と言うと、話は1年ほど前に遡る。
 去年は夏の間「今年は全然台風が来ないよねぇ」などと言っていた。いつもなら小さな熱帯性低気圧ギリギリの台風が10個とか出来ては消えると言うのを繰り返したりするハズなのだが、まったく来ない、それならそれで平穏無事な年だと思っていた。
 ところが9月に入ったと同時に、土砂降りな日がやってきた。
 ニュースでも大々的に報道されたが、あっちこっちで川が溢れ叛乱し、多くの家や車なんかが流された。
 そんな中に私の住んでいた町があったのだ。
 でもって全国放送のニュースに近所の空撮映像がながされたり、そりゃもう大騒ぎだったのだ。なんせ、四方の道が水没などして通れなくなり、約半日の間「陸の孤島」になっちまったのだ。
 その叛乱した川の対策にこの工事が行われていた。大雨が来ると簡単に水に浸いてしまう道を上げようというのだ。
 と、言ってもその計画はそれよりずっと前からあって「工事しようか」と思った矢先にどどんと雨が降ってしまったと言う感じだったのだ。
 で、それから1年。
 その工事が取り合えず終了して通行できる様になった。不細工な迂回路を使わないで済むようになった。
 ところが、まだ全体に道を上げる予定らしいのだが、最高に高くする部分だけ最初に作ってしまった為に、そこはジェットコースターみたいな勢いよく昇って〜〜〜〜〜っ落下ぁぁぁぁぁっ!!!!と言う感じになってしまっているのだ。ハッキリ言って自転車で通る人は意味無く難儀な道になっている。

 私はその道が突然開通していたのを知らなかった為に(朝は迂回路だった)勢いよくそこに突っ込んでいって、曲がろうと思った道が突然閉鎖されていて、目の前に小山の様な新しい道が盛り上がっていたのでびっくりしてしまったのだ。
 といいつつ「おぉ〜おニューッ」と喜びいさんで、その小山のような道を車で駆け昇った。と、次の瞬間前方がいきなり見通しよくなっちゃって、うひゃぁぁぁぁと落下するような状態で勢いよくそこを駆け下りてしまったのだ。
 あぁびっくりした。俺様が高所恐怖症だと知っての狼藉か!うぬ!
 しかし不細工な迂回路がなくなり、不細工な道が出来てしまったと言うことになるのだ。
1999年8月26日(木曜日)すでに思い出せない
 あれから2年です、もう少しで。(倒置法)
 かのイギリス皇太子妃だったダイアナさんが交通事故死してから。(さらに倒置法)
 で、今私が愕然とか呆然とかしつつ思い出せずに、うむむむと思っている物がある。

 あの時エルトンジョンが歌って、ビングクロスビーが30年かけて築いた世界で1番売れた「ホワイトクリスマス」の記録をあっという間に追い抜いたあの曲がありますね。
 あの当時も、そんな大騒ぎする程いい曲じゃねぇよなぁと思っていたが・・・・
 しかし、その曲のヒットをあと半年待ってくれれば、ビングクロスビーも世界で1番売れた曲と言う栄光を胸に抱いて死去する事が出来ただろうに・・・・
 などと思いつつ、あの曲・・・・なんかメロディが思い出せないンすけど・・・・。かなり凡庸な、ただのピアノ弾き語り系スローバラードで、普通に発売したらあんなに大ヒットする曲じゃなかったハズなのに・・・・。なんせ、あの曲ってそれ以前にはマリリンモンローの事を歌った詩で発売されていたんでしょ。
 そんときは全然話題になっていなかったと言うことは、やっぱし名曲なんじゃないんですよな。
 替え歌で儲けるなよぉと当時思ったのだが・・・・・

 ニュース映像で何枚も買い込み「あまりに感動した曲だったので、親戚一同に配るつもりです」だとか「永久保存版と言うことで聞かずに保存しておきます」だの、馬鹿なことをTVカメラに向かってしゃべっていたオバチャン達のろくでも無さを思い出してしまうのだ。
 もーラジオでも、テレビでも、毎日流れていた様な気もするが、あれはある種の集団ヒステリー状態に近かったよなぁ、あんなに世界中に愛されていたか?ダイアナ
 なんかよく判らないっすけど、聞かない権利と言うものあるワケで、私はあの曲がラジオやテレビから流れてくると「けっ」と思いながらチャンネルを変えたりしていた。
 実際の事を言うとエルトンジョンは好きな歌手だったのだが、あれは違うだろ?と言う感じがしちゃったのだ。私の中でのエルトンジョンはロックミュージカル『トミー』の中に出てくる馬鹿で下品なピンボールの魔術師エルトンジョンなのだ。
 あれは馬鹿でカッコいいぞ。

 で、本題なんだけどさ、あの曲のタイトルって何だっけ・・・・

▼記憶:それから1週間後
1999年8月27日(金曜日)日本語にする
 仕事で文章をワシワシと入力していた。
その時の仕事は英語の参考書関係だったので、英文にしてパシパシやっていた。
 この英文ってのは日本語と比べて入力の速度が遅くなって困ってしまうのだ。
 日本語だと一瞬シュタッと見た瞬間に1行分の文章が頭の中にインプットされるの何も考えずに入力できたりするのだが、英文だとそんな芸当出来ずに1単語づつゆっくり記憶し、物によっては入力途中に「このスペル合っているか?」などと弱気になったりしつつ入力をする。
 その為に、原稿をじーっと見ながら入力しちゃったりするのだ。
 で気が付くと、いつの間にか英文入力だったのが日本語入力に切り替わっていて「Home Run」が「誉めるん」などと言う偽物京都弁になっていたりしますん。

 今日はかなり文章がみじかいですのん。でも、別のメモ文章もありんす[童話]

 そーどすかぇ、やっぱアイスノンは京都弁どすか?

 インチキ京都人ですまんどすえ。


▼童話:混ざっている?
1999年8月28日(土曜日)第2のメールマガジン創刊
 まったくもー一週間ってヤツは短いぜ べいべ!
 メールマガジン『ひねもす本舗』の編集に一週間追われて、気が付くと次週のを作らなくてはいけない状態になっていたりする。ドロナワとか、自転車操業とか、タケノコ生活とか、まったくもってそんな状態が続いているのである。
 しかし、私は追い込まれてその実力を発揮するタイプだったりする。
 追いつめられて追いつめられて、さぁぁどうだぁ!と言う時になって、本来持っていた本質的な部分が全開しちゃって、一気に全速力でその場から逃げ出してしまうのだ。私の本質は「卑怯&逃げる」だったのだ。
 どーだまいったか、わはははははは、と誰にも追いつかれないのを確認した辺りで大笑いをしたりするのだ。それが私の本質的な部分なのだ。

 ま、そんな風にいままで何事にも対して積極的に逃げてきた私ですが、もー一体どういうつもりなの?何もしないって言ったじゃない、確かに言ったわよ、でも本当に何もしないってどーゆーワケなの?
 てな感じで私は、自分を追い込んでみます。
 メールマガジン創刊です。
 現時点で毎週「ふぅふぅ」言っている状態にさらに激しく追い込みを掛けると言うことで、もう一個メールマガジンを発行します。まったくもって、バラ園のHPと言い、メールマガジンと言い、無償の仕事が好きなのか私は?文学的マゾなのか?ちきしょーめーっとワケもなく叫んだりする日々が続いていますが、決めてしまった事は実行するしかないのだ。

 まったくもって馬鹿なのだ。
 と、考えたらそれ以前に「毎日書かなくてはいけない日記」と言うヤツがここにあるではないか・・・・俺・・・何も考えていないで走っているよ・・・・。


▼PS:『雑学大作戦:知泉』1999.9.12記
1999年8月29日(日曜日)色々とヘビー
 とりあえず日々、こうやって心に映った物事を書き綴っている「ぐうたら日記」だったりします。
 で、たぶんこれをずっと読んでいる人々は「これだけ内面をさらしているんだから、杉村の生活のすべては把握した」と思っているかもしれません。
 確かに、あんな事やこんな事も書いてあるので、かなり内面をさらしているかもしれませんが、実は書かなかったりするネタも大量にあったりします。

 それは、杉村の本当の内面のぐちゃぐちゃした部分だったり、周囲の友人知人の笑い話に出来ない事などは、ここでは書いてなかったりします。
 ま、そりゃそうなんだけど「実は昨日、帰り道で人をはねちゃって、いやぁ怖くなったもんでそのまま逃げてきたんだ。とりあえず塗装が少しはげちゃったけど、それは中嶋が務めている板金工場でなんとかごまかしてもらう事にします。あぁビックリした。みんなも事故には気をつけようね」などとは書けないので、書かない。
 などと言っても、冗談ヌキに交通事故は起こしていないっすからね。
 それ以外のあんなことやこんなことを、考えたって事も書いていない。

 あるいは、知人がとんでもない事に巻き込まれたとしても、ここで冗談混じりに書くことは出来ない。特にここは伝言板なんかと違って、ずっとずっと残る物だったりするので、書けなかったりする。
 などと言いつつ、時間が経過したら冗談混じりに書くようになれるかもしれないが、現時点では書けないようなヘビーな事件が起こったりもしている。
 それによって自分も右往左往しちゃったりして、気分がどどーんとヘビーになって、夜も寝付けなくなったりして精神的&肉体的にへろへろになったりもしている、
 なんか、キツイなぁと思う今日この頃。夏はもうすぐ終わる。


▼治癒:たれてますか?
1999年8月30日(月曜日)もうヤクなんてしないよ絶対
 家に帰ると母親が「マキハラなんとかって歌手が覚醒剤で捕まったみたいだよ」などと、いきなり言い出した。
 マキハラって、あの槙原マッキー?
 と思って慌てて夕刊を見ると載っていました『歌手:槙原敬之(30)が覚せい剤取締法違反で現行犯逮捕』なんと・・・やるときはやってくれるぜ、男だね〜ぇ。
 などと言っているばやいではないのだな。
 なんかいわゆる典型的なロックやって「いえ〜いせっくすどらっぐろっけんろ〜っ!」などと言っている様な偏差値低そうな人々なら、なんとなく「やっぱしね」みたいな感じもあったりしますが、マッキーの場合は、あくまでもその曲は「日常的な何気ない気持ちを歌に託した」みたいな感じがあったりするので、意表をつかれちゃったなぁというのが、正直な感想。
 ま、きっとこれで「槙原敬之には裏切られた気持ちでいっぱいです、ファンをやめます」なんて事を言い出す人も多いんだろうなぁと思う。
 なんか、自分の場合その考えがよく判らないやっていつも思う。

 確か以前もどっかの掲示板で「GLAYの曲が好きだったんですけど、不倫をしている様な人にあんな真剣な恋愛の歌を歌って欲しくはありません」みたいな事をヒステリックに書いている人がいた。
 いいじゃん、実生活と音楽は関係ねぇじゃん、みんな本当の生活の日記を歌っているわけじゃないっての。 と思ったりもする。

 ま、その辺は、自分も音楽を創っていた事があったり、こうやっていわゆる創作をしている人間として「制作物と人間はイコールで結べない物」って事を痛いほど体現しちゃっているのだ。あぁ、嘘付いてごめんよぉ、だったりするのだ。
 あくまでも、音楽や文章やその他で創作することは「自分にとって理想的な生き方」であって「自分の生き方」では無いと思うのだ。それと、あまりにもみんな「想像力で書くこと」を知らなすぎる。
 確かに日本と言うのは古来より「日記文学」と言う物が発達してきた。それは「徒然草」だったり「浮世床」だったりして、明治期になると「私小説」と言うジャンルで主人公がどう考えても作者の分身でと言う作品が多い。いわゆる「吾輩は猫である」とか(別に猫が作者じゃ無くて、飼い主の先生が夏目漱石って事)。
 でも、純然と「架空の創造物」と言うのが確固として存在している。
 だから、作者が犯罪を犯したからって、その作品の本質的な質と言う物にはまったく影響を及ぼさないと思うのだ。

 話を裏返して考えてみると「ファンを辞めます」とか言っている人は「純然たる音楽として聞いていなかった」と言う、かなり音楽に対しての素養の浅い聞き方しか出来ない人と言うことを自分から暴露しているダケって事になってしまうんじゃないかな?
 きっと事件を起こす前は「マッキーの音楽は素晴らしいです、きっと21世紀も100年後も残っていく音楽だと思います」などと思っていたかもしれないのだ。しかし、その程度の制作者が犯罪犯したって事で評価が崩れてしまう様な音楽は、100年後に残り得ないと思うのだ。

私はマッキーの音楽性はあいかわらず支持し続けています。

▼疲労:疲れている
1999年8月31日(火曜日)1999年の夏休み
 いやー8月終わっちまうっす。
 ま、基本的に社会人になってしまうと「夏」と言うのはただ単に季節の種類に成り下がってしまうものなのだが、しょうがねぇか。
 そんでもって、色々不況がどーのこーのってのもあって、バカンスにどどーんと出かけるムードでもねぇよなぁという感じだったりもする。
 さらに私の場合、夏前にホームページ消滅事件と言うリトルノストラダムスがおっこちて来たので、それの後始末で、なんだかんだ言って夏の前半は終わってしまった。
 後半はここには書けない様な日常的なグチャグチャで精神的にぴゅ〜るるるるるると時間を浪費して終わってしまった。
 なんてこった、1999年と言うなんかもしかしたら歴史的に凄い区切りになっているんじゃないか?と言う夏をひたすら馬鹿三昧で終わってしまうとは・・・・・。

 なんか今日は書くことがないや・・・・って、最初に「今年の夏について書くぞ」と思ってしまった私がいけないのだが。
 みんな幸せですか?
 私の幸せレベルは★★★★★ぐらいです。100点評価で・・・・。

 あ、本当に書くことないや。

▼中継:花火のTV中継にもの申す