< 杉村ぐうたら日記(1999年9月21日〜31日)

▲1999年9月21日:火曜日:コーヒーのCM
▲1999年9月22日:水曜日:博多人形ぅ?
▲1999年9月23日:木曜日:ダサ
▲1999年9月24日:金曜日:未練たらたら(1)
▲1999年9月25日:土曜日:未練たらたら(2)
▲1999年9月26日:日曜日:毎日連載2本
▲1999年9月27日:月曜日:そうか1週間たってしまうと… 
▲1999年9月28日:火曜日:ベストジーニストぉ?
▲1999年9月29日:水曜日:つまらないヤツ
▲1999年9月30日:木曜日:安易だよね
1999年9月21日(火曜日)コーヒーのCM
 キョンキョンの旦那、永瀬正敏が最近発売されたコーヒーのCMに出ている。
 その新しいコーヒーってのが、缶のデザインもなかなかかっこよくて、最近の技術ってのは凄いもんっすねぇと言う感じだったりするのだ。
 炎をデザイン化したものが型押しでエンボス加工されているのだ。
 以前発売された、缶がでこぼこして蛇腹みたいになっているのもう〜むと言う感じだったけれど、これも凄いのだ。
 と言うわけで、最近は缶コーヒーなんかもどんどん新製品が出てきているけれど、なんか新しいのには「これ」と言う感じがしなくて、飲まないうちに消えてしまう物も少なくない。
 せっかくこれだけコーヒーの種類が出ているんだから、ちゃんと飲み比べてみたいと思ってしまうのだ。なんせ私は基本的にアルコールがダメな人なんで、ビールの新作がどひゃどひゃ出るのをいつも「く〜飲み比べてみたい〜」と思っていたりする。とりあえず研究熱心な人、ある意味で物好きとしてはその辺をキッチリとチャックしなくてはいられないのだ。
 以前も、一時期各メーカーから「ハチミツレモン」と言う飲み物が出ていた時、各メーカーの物を5〜6本購入して友人と「これは、あれは」と飲み比べた事がある。ってぐらい、暇人なのだ。

 つまりビールがダメだから、その代わりにコーヒーぐらいはキッチリ押さえないといかん!と思ったりもする。
 しかし、あまりに種類が多すぎるのと、最近基本的にブラックコーヒーの人だったりするので、多くの砂糖ドバドバミルクウヒャウヒャの甘々コーヒーは苦手だったりする。お陰で、結局UCCのブラックとかBOSSブラックとかになってしまうのだ。

 で、話は最初の永瀬正敏のCMに戻るんだけど、あれの商品名が「ファイヤー」と言う事でCMの中では自然の火をイメージさせると言うことでインディアン(ネイティブアメリカン)が出てきて、手の中の火を太陽にかざしたりしているのだ。
 なかなか構図や、カット割りなどを見ているとセンスあるよなぁと言う気がするCMなんだけど… コーヒーって発祥の地はアメリカ大陸じゃなくて、アフリカ・中近東のハズだよね… アメリカに伝わったのは随分あとで、ヨーロッパの植民地になった後のハズなんだけど…
1999年9月22日(水曜日)博多人形ぅ?
 化粧品や家庭用洗剤、あるいは電気剃刀などなど、街頭インタビューや家庭訪問などで一般の人に試してもらって意見を聞くと言うパターンのCMは多い。
 古くは「振り向かないで〜新宿の人〜」などとロケをした各地の地名を織り込んだ曲に合わせて、街を行く髪の毛の綺麗な人を撮影したシャンプーのCMとか、通勤途中のサラリーマンを捕まえてヒゲを剃って貰うと言うCMなどなどがある。
 一時期は街の角に石坂浩二が隠れて、綺麗な女の人が歩いているとバッと出てきて「あなたのキューティクルを計らせて下さい」などと言っていた(確かこの80年代初期のCMでキューティクルと言う言葉が一般的に知られる様になったのだと思った)
 あるいは、1980年代前半、街角にメーカーの判らない様な状態にしたコーラが2種類置いて合って、それを飲み比べて貰ってどっちが美味しい?と言うテストをすると言うCMを、ペプシコーラがやっていた。
 で答えは『40%の人がペプシを選びました』と言う状態だったのだが、実はこの頃ペプシはコカコーラに比べて圧倒的に不味い、あんなもの飲むもんじゃねぇよな、甘えペプシ飲んでンの?うわぅダサッと言われるぐらにペプシの売上は落ちていたらしい。だから『40%の人がペプシを選びました』と言うコピーは「圧倒的に不味いって言われているペプシだってブランドイメージ無し、先入観無しで飲めば美味しいって言う人も、けっこういるんだよ」と言う意味だったのだ。
 ブランドが無ければ指示されるって…

 そんなこんなで、ここ数年も高田順次が家庭訪問する洗剤のCMとか、生徒達に英語で答えて貰う英会話学校のCMとか、色々な物がある。いわゆるこれってのは一般視聴者と同じ目線で広告すると言う手法だったりして、それによって少しでも親近感を持って貰いたいと思う効果があるのだ。
 その中で久々に強烈だなぁと思ってしまったものがある。
 あまりに強烈すぎるので、商品名などは一切覚えていないのだが洗顔関係のCM
 かなりゴッツく太いオバチャンが出てきて、思いっきり主婦の井戸端会議的などーでも良さそうな事を言って「洗顔なんてどうでもいいと思っていたワケよぉ」などと、どうもへたくそな劇団員的な妙なイントネーションで喋っている。
 この時点で「美容関連のCMでこのオバチャンは無いだろ」と思っていた。
 で、そのオバチャンがラストに衝撃的な事を言うのだ「それまでハニワだった私が、今じゃもー博多人形みたいに…」
 すげー博多人形。

 なんか怖ろしくミスキャストな人選だよなぁ、でもインパクトだけはあるよなぁと思っていた処、ラストのさらにラスト、画面がフェイドアウトして商品写真になる直前、そのオバチャンの怖ろしく品のない『ガハハハ… 』と言う笑い声が響きわたるのだ。
 どうも、このCMは商品イメージをちゃんと伝えていない様な気がする。たとえ、一般視聴者と同じ目線で広告すると言う手法だとしても。

 もしかしたら、CMを制作した広告代理店のスポンサーに対しての嫌がらせ?

▼ニュース:1999/09/22
1999年9月23日(木曜日)ダサ
 「あーちーちあーちーち燃えているんだロカ〜ぁ」いやぁ郷ひろみは凄いね。
 あのダサさ加減は芸術の域まで到達していますな。
 「あーちーち」てのをはじめて聞いたときに、原曲との歴然とした差、このグルーヴ感のない安っぽさに驚きました。
 しかも原曲の「LOCA」を燃えているんだロカ?と韻を踏んでしまうダサさ。
 ほとんど「詩には韻を踏むと言う方法があります」と現国で覚えたばっかりの中学生あたりが考えそうなダサっぷり。
 ラジオで何気に聞いた瞬間に「まだ進駐軍のいた戦後は終わってないのだなぁ」と思ってしまったのだ。
 もっともあの時代の洋楽カバーには蓮健児氏と言う天才訳詩家がいたので、そのダサっぷりは最小限に抑えられていたと思うけど。
 で、あまりのダサっぷりに近寄らなかったので、最近やっと曲のタイトルを聞いたのだが『ゴールドフィンガー99』だってぇ?もうダサいとか言っていられる状況ではないのだな。
 もう笑われる馬鹿にされると言うのを計画して考え出したタイトルとしか言いようがないのだ。
 でも『ゴールドフィンガー99』って、結局「俺様の指は凄いぜ、ひーひー言わしたロカ」と言う意味なんだろうなぁ。
 だったら更にそのタイトルを日本語訳して『俺は絶対テクニシャン99』にした方がダサっぷりを超越した存在になれるかも知れないのだ。
※『俺は絶対テクニシャン』はツービートのデビューシングル。
1999年9月24日(金曜日)未練たらたら(1)
 なんかワイドショー関連をよく知らないのだが、羽賀研二がどーのこーの、梅宮アンナがどーのこーの、でさくらばあつことか言うよく知らない人が混ざって「アレ」がどーの「ソレ」がこーの、ってもめて、誰が絵を描いたのだ?とか、よく判らない事になっている。
 しかし、よーく考えてみると、ここに出てくる芸能人って結局全員三流だって事が凄いよなぁと思ってしまうのだ。確かに梅宮アンナはモデルだかをしてて、パパが辰アニいかも知れないが、芸能的にいったら「結局この人って芸能界での位置はどこにあるの?」と言う感じの人だったりする。
 これと言って何をするワケではなく、何かのイベントの客寄せとして人前にさらされるだけの芸能人って感じがしちゃうのだ。
 羽賀だってもう、18年だか前に始まった「笑っていいとも」の初代青年隊でメジャーになって… 考えようとしても、青年隊を解散してからの15年間、何をしていたのか思い出せない。
 とりあえずプレイボーイだとか遊び人だとかってイメージはあったりするが…
 でもって最後に出てきたサクラバとか言う人に到っては「誰?」と言う程度の芸能人。一部のグラビアアイドルマニアには知られた存在で、つい最近「遂にヌード!」と満を持してそんな写真集を出したらしいのだが、週刊誌なんかに「満を持して」と書かれていても、それ以前をよく知らないから「最初から脱いでいた人」ってイメージしかないっす。
 三流の三つ巴戦、この先誰がいなくなっても芸能界には変化はまったく無いと断言できる話題なのだが、引っ張る引っ張る。

 しかし、この話題で特徴的なのは「プレイボーイ」と言われ続けてきた羽賀の引き際の悪さ。
 未練たらたらたらたらたらたらたらたらたらたらたらたらたらたらたら… とどこまでも引きずっている。なんつーかカッコ悪い男の代表って感じがしちゃうのだ。
 難しいなぁと思うのが「俺はキミの事を一生愛している」とかって言う情熱的な言葉と背中合わせだったりするのだ。この引きずり方は。
 基本的に男と女の恋愛感の差なんだろうけれど、男の方が圧倒的に過去を引きずる、そりゃもうミジメだとかって言う状態で片づけることが出来ないぐらいに引きずる。
 現実にも自分の周囲にだって、10年以上前につき合っていた彼女の事を引きずっていたりする人もいるし、つき合っている彼女が現在いても「やっぱし最終的に好きなのは最初につき合った彼女」だなどと思っている人もいるし、そのかつてつき合っていた彼女はもう結婚をしちゃっているのだが「彼女が離婚して戻ってくれるなら許してもいい」などと言う人もいたりする。
 結構、女性側から読むと「キッツイ」人だったりするでしょ。なんつーか、ヘタに恋愛でも出来ないって感じ。最初から別れたあとを想定してつき合い始める人はあんましいないと思うが、別れて10年ぐらい経った後で記憶の中の人が今でも自分の事をじっと待ち続けているなんて事を聞いたら、引くどころではなく、怖ろしいとか思ってしまうと思うのだ。
(↓続く)

▼ニュース:1999/09/24

▼ニュース:1999/09/24
1999年9月25日(土曜日)未練たらたら(2)
 なんつーか、そんな男達の集大成っぽいのだ、羽賀のカッコ悪さは。
 いわゆる女性は「母性本能」って物があるから、ミジメな姿を見せることでその母性本能をくすぐって戻ってきてくれるとでも思っているのか?と思ってしまうぐらいに、ミジメだったりする。
 なにかの番組で「今でも1日に何回も電話を掛けて許して貰おうと」だとか「お父さんの処にも何度も電話をして」などと羽賀が話しているのを見て「そりゃ、ただのストーカーだよ」などと思ってしまったのだ。
 別れた彼女に何度も何度も電話するって…

 基本的に動物的な本能に立ち戻ると、男と女の恋愛感というか、その辺の物の差と言う物が出てくる。
 恋愛と言う言葉は最終的な本質を突き詰めると「子孫の繁殖」と言う物へ行き着く。
 男はあくまでも種付けする存在だったりするので、あっちにもこっちにも、と色々な処で種付けをすればそれだけ多く自分の子孫を残すことが出来たりする。
 それに比べて女は子孫を残すという行為は完璧に自分の身を削る作業なワケで、気軽にあっちでこっちでと言う事は出来ない。で、残すとなったら当然「優秀な遺伝子」を求める事になるのだ。
 だから、体力が優秀・知力が優秀などの条件がそこに含まれてくるのでは無いか?と思うのだ。
 「彼女は俺の愛より金のあるアイツを選んだ」などと、愚痴を言う事もあったりするかも知れないが、それだって「金」と言うファクターではなく、その相手の「金を作る事の出来る優秀な才能」に引かれたと言う事も考えられたりする。
 そんな意味で、よく振られた後の男性が母性本能に訴えかけようとミジメな姿をワザとさらして同情して貰おうと考えるのは、激しく逆効果なのではないか?とか思ってしまうのだ。

 もっともその女性にとって、どんな遺伝子を残したいか?と言うファクターの部分は、それぞれが違ったりするので難しかったりする。
 前述の「力」だったり「知力」だったり「金儲け」だったり、あるいは「容姿」と言う部分だったりする。だからいくら男っぽくマッチョになっても、それがファクターで無い女性にはまったく効果がないアピールだったりするのだ。

 恋愛は難しいね。
1999年9月26日(日曜日)毎日連載2本
 私はなんか最近とんでもなく仕事をしているような気がする。
 もちろん生活を支えている本業ってヤツは最優先で存在している。
 でもって、それ以外のインターネット生活で、とんでもない状態になっているらしいのだ、人に言わせると休むヒマが無いんじゃないか?とか、ムチャすんなとかって状態になっているらしいのだ。
 ふと考えて見ると、この「ぐうたら日記」ってヤツは基本的に「今日何々をしました、何々に行ってきました」みたいな事を書く日記ではない為に、世間の、他人の重箱の中を覗き込んで「まぁマサコさん、このホコリはいったい何ざますか?」などと実に細かい誰も気が付いていないような場所へ突っ込みを入れたりしなくてはいけないと言うことになっている。
 それが週に1回とかだったらキレの良いツッコミを練ることも出来るだろうが、毎日となると「おいおい無理して突っ込むなよ」と言う場合も無いわけではない。こっちも、とりあえず「突っ込んでおくか」みたいな感じで流し打ちツッコミをしたりする。
 が、時々、最初は乗り気じゃないしあんまし普段考えたことも無かった事柄だったのに、書いている内にネタ的に盛り上がって最終的には「いいじゃん、やるじゃん」と言う感じの文章に仕上がったりする場合もある。 ま、そんな「ぐうたら日記」を更新は遅れ気味だが毎日書いている。
 日刊連載などはプロでも苦痛なのでやりたがらないらしいのだが。

 でもって、今年の6月からは週に1回「ひねもす本舗」と言うメールマガジンでテンション高い文章を書き続け、現代用語…を書き続けている。これが単純に書いているワケではなく、かなり頭をひねって書いていたりする。編集前記なんて物も「出だし→文章の展開→落ち→展開→落ち→出だしの言葉が実は伏線だった」みたいな「お馬鹿な文章だけど、実は構成考えているのよ」的な物だったりする。時々何も考えずに、思いついたままに文章を書き連ねるだけの時もあったりするけど。
 この毎日書く「ぐうたら日記」週に1回書く「ひねもす本舗」これだけでも1週間に於ける一般的インターネッターの文章量としては多いんじゃないかな?と思っていた(サラリーマンをしている人の中では)。

 で、2つ目のメールマガジンを創刊した。
 実はこのメールマガジンにはズルいもくろみがあって、これまで書いた文章をコマギレにして出せば、基本的に何も考えずにフォーマットに流し込むだけでOKだよなと思っていた。作り置きしたマガジンを1週間まとめてドン!と言う感じでいけると思っていた。
 つまり過去の財産で「楽」していこうと言うことだったのだ。
 が、現在のメールマガジンを見て貰うと判ると思うのだが『現代古語辞典』と言うコーナーで【エッチ・スケッチ・ワンタッチ】と言う囃子言葉に関しての調査が始まってしまい、それの集計や作り置きしてあったメールマガジンの修正などなど、つまり毎日発行するメルマガを毎日その日用に編集し直していたりする。もちろん文章なんかも書いている。

 つまり現在私は週1回を1本、毎日を2本持っていると言うことになるのだ。
 なんか我ながら凄いと思ってしまったのだ。
1999年9月27日(月曜日)そうか1週間たってしまうと… 
 ぐうたら日記の最初の処に『日記は1ヶ月以上貯めない』などと書いておきながら結局、1カ月近くどどーんと日記を貯めてしまった。
 きっと、寛大な読者の方々は「ま、杉村もメールマガジン2つも発行して大変だろうし、それ以外に生活もあるから大変なんだろうな」と理解してくれていると思うのだ。たぶん。
 基本的には毎日、ネタと言うか(普通日記ではネタとは言わないけどね)書きたいテーマを見つけて、メモをしたり箇条書きにしたりしておく。でもって、一晩ぐらい置いてから、うーむと考えて、でやぁ!と勢い付けて書き始める。でもって、書いている内に「あの項目についてもちょっと触れて置かなくてはいけないな」と、日記の中のネタを広げる作業に入ってしまう。
 でもって、資料をだぁ!と捜して、うぉぉぉ!とそれを追加して書いたりするのだ。
 が、しかしその書くべき資料がすぐに見つからない事もある、そんな時は「日曜日、図書館でも行ってくるかな」などと考えたりするのだ。でもって、次の日の部分に書いてあるメモを見て翌日の日記(エッセイっすけど)を書き始めたりするのだ。
 そんなこんなで、たとえば27日までの日記は完璧に発表できる状態なのに、21日の日記が『調査中・しばらくそのままお待ち下さい』と言う状態のままになっていたりするのだ。
 そー言う状態で、まさか途中の文章を発表する訳にも行かず「とりあえず21日の日記が書けてからまとめて更新すりゃいいや」などと気楽に思ってしまったりするのだ。
 しかし、その21日がそのままになっていても、遠慮無く月日は流れていく、なんとも律儀な事に毎日、1日分日記が増えていくのだ。そんなこんなで「あぁ21日のあの項目調べなくちゃなぁ」などと頭の中にあったりはするのだが、その毎日の日記の為に見つけ出したネタの事を考えていたりする。でもって、さらに過去の話になってしまうのだ。
 で、気が付いた時にはその21日の日記が中途半端だと言うだけの理由で、その後に控えている完成された約1カ月分の日記が自宅待機状態になってしまうのだ。

 そんな訳で重い腰を持ち上げた私は「ま、あえて調べなくてもそれはそれでちゃんと完成しているネタだよな」などと言って、書きかけてあった枝ネタを切り捨てて更新したりするのであった。

 で、どどーんと久々の日記更新なのでメールマガジン「ひねもす本舗」の方にも『今週のHP更新』とか言って書いちゃおうっと、などと思ったりするのだ。
 が、その後「たっぷり日記を更新した」と言う気のゆるみからこまめな日記更新を怠ってしまい、「ひねもす本舗」を発行する水曜日の時点では「約1週間日記を更新していないHP」と言う状態になってしまい、これって普通のHPより更新されていない状態だよなぁ、それなのにわざわざメールマガジンで「1週間前までの日記が更新されていま〜す」と宣言する必要があるのか?
 と言う自問自答になってしまい、うーむ、今度から日記の更新は火曜日の夜やるべきだな、などと思ったりするのだ。

 そんなこんなで、ぼーっとしていても毎日、律儀に1日分の日記スペースは空いてゆくのであった。
1999年9月28日(火曜日) ベストジーニストぉ?
 毎年毎年、なんだかよく判らないが『ベストジーニスト』などと言って「今、一番ジーンズの似合う芸能人」が表彰されたりしている。
 ここ数年連続で受賞していたキムタクは「たぶん今年も選ばれちゃうんだろうなぁ、でもそれじゃあまりにも変化が無いよね」と言うことで『殿堂入り』と言う事で、選からハズされたそうだ。
 でもって男性の受賞が同じSMAPの草薙剛(←ナギの字違うけど)で、女性の受賞が松嶋菜々子だそうです。
 ま、ふ〜んという感じなのだが、私は松嶋菜々子の出演したドラマは見ていなかったので詳しくは知らないが、どうも「ジーンズ」ってイメージが無いのだが… そうなのか?
 たしか、以前も受賞した誰から受賞後のインタビューで「私、ジーパンって普段はかないんですけど、これをキッカケに履いてみようかと思っています」などと答えていた。
 おいおい、どこが「ベストジーニスト」なんだよ。

 これって結局、町中で無作為に選んだ人に投票して貰って決まる賞だったりするんだけど、結局の処「今、若者に一番人気のある芸能人」を選出するだけの賞になっちゃっていたりする。
 その辺に主催者は気付いていんのかな?
 気付いているけど、とりあえずやっているって気もする。

 なんせ、若者部門とは別にあるシニア部門では男性は吉田拓郎、女性は島倉千代子だもんな。
 拓郎はまぁジーパンってイメージあるけど、80年代中期のインタビューで「フォークで一番売れている頃、そういうイメージがあってさ、ファンのイメージ裏切っちゃいけないと思って人前に出るときはジーパン履いてTシャツで、タバコはハイライトを吸っていたんだけどさ、俺あんな汚いかっこばっかりでうんざりしちゃってて、影ではアイビーとか研究して、洋モク吸っていたんだよね」などと答えていたのだ。
 でもって、島倉千代子ってどこをどうひっくり返すと「ジーパン」と言うイメージが出てくるのだ?
 さらに以前は、田中真起子まで受賞していたと思った。

 いったい・・・・・。

▼追記:松嶋菜々子

▼ニュース:1999/09/28
1999年9月29日(水曜日)つまらないヤツ
 ある程度、年輩のおっちゃんたちの集う席に参加しなければならない時があったりする。それもこれも近所づきあいだったり、社会生活だったりする。
 そーゆー席ってのは、もーダラダラと何が起こるワケでもなく、ぼーっとタバコをふかし、ビールをちびちび飲んだりして時間が経過するのをただひたすら待つと言う苦行の世界みたいな物なのだ。
 何が苦手かって言うと、その何もない状況。と、どこまで行ってもダラダラした空気感ってのが苦手。
 ま、基本的にタバコも吸わない、酒も飲まない(飲めない)ってのが、人より多く手持ちぶさたの部分を作り上げてしまっているのも判っている。本当に、興味の無い宴会状態ほどつまらない物はないのだ。
 それが気心の知れた連中との宴会だったら、相手もこっちが酒飲めないのを知っていたりするので楽なんだけど、こーゆーおっさん達の宴会では「酒が飲めない」と言う人間をまったく信じられないそんなヤツいるワケないって思っている人がいたりして苦労する。
 ま、タバコを吸ってぼーっとする事も出来ない、とりあえず酒飲んで酔っぱらう事も出来ないとなると、食べるって方向にしかベクトルを向けるしかないのだ。
 と言うワケで喰う。

 でもって、一般的なおっさんの集まった宴会で困った事が「会話の共通点がない」と言うことなのだ。
 なんつーか、おっさん達に限らないんだけど、どうもこうやって不特定多数の野郎ども宴というのは、基本的に「女の話」と言うのが判りやすい図式として出現する。
 どこそこのスナックのおねぇちゃんがどーのこーのとか… なんつーか、そーゆーのもあんましなぁと思ってこれといって話題として共感する部分も突っ込む部分も無い。
 でもって「杉村クンは風俗とか行かないのか?」などといきなり、いきなりなネタを振られたりする。
 いや〜、そーゆー処はあんまし興味がなくって… などと答えると「だめだよ、風俗とか行かなくちゃ男じゃねぇよ、そう言う遊びを覚えない内はまだ一人前じゃねぇな」などと、威張られたりするのだ。
 その程度で一人前と言うのなら、一生、半人前でいいやと思ってしまうのだ。
 そんな事を言うおっさんはかなり特殊な人かと思うと、結構みんな行っていたりするのだ。まったくもって、そんな処に行きそうにもない真面目でおとなしそうな人まで実は行っていたりするので、思わず「もしかして俺の考え方がおかしいのか?」などと思ってしまったりもする。

 さらに話は別の方へ移り「じゃ杉村クンは競馬とかギャンブル関係はやらないのか?」などと話を振られたりする。
 いや〜、そーゆーのはあんまし興味がなくって… などと答えると、「じゃパチンコは?」などとさらに突っ込んだ事を聞かれたりする。ハッキリ言ってパチンコはもう10年近く行った事無いんじゃないかな? その最後も友人に誘われて、時間つぶしにって程度。
 「パチンコもやらねぇのか?」とおっさんは驚いてしまったりするのだ。「いったい何をしてんだ?」みたいな事を聞かれるが、インターネットがあーだこーだ言っても話が面倒くさくなりそうなので、適当に答えたりする。
 さらに「じゃ杉村クンはカラオケとかどうだ?」などと聞いてくるのだが、カラオケも1年以上行っていない。
 で、おっさんは呆れた顔で「まったくつまらない生活してんなぁ」などと言うのだ。

 しかし「風俗・ギャンブル・カラオケ」をするのが楽しい生活なのか?なんか、単純な快楽に身を委ねているってダケの気がするんだけど。とりあえず自分は、自分なりの楽しみを見つけると言うことが、自分にとっての娯楽だったりするので、全然つまらないとは思っていないのだ。
 それより、「風俗・ギャンブル・カラオケ」の方が、金や時間をひたすら浪費するだけのつまらない生活って気がしてしまうのだが…

 もしかしたら、自分の考えはかなり極端にズレた考えかも知れない。あんまし共感されない考えかもしれない。でも、自分は自分なりに楽しいと思っているし、毎日が実に刺激に満ちていると感じていたりするのだ。
1999年9月30日(木曜日)安易だよね
 自分が講読しているメールマガジンの中にも、雑学系のは多い。たぶん雑学物のメールマガジンを運営している人は、基本的に雑学が好きでそれなりに講読していると思う。
 現に、某メールマガジンにそこに書いてあった記事の追記として「こんなネタもありまっせ」と言うメールを送った処、私の知泉を読んでくださっていました。いやはや感謝感謝。
 しかし本当に思うのは「安易にやっているよな」と言う物が多いような気がする。
 なんせ、雑学本から何のひねりもなく丸写しして発行しているものもあったりするんだもんなぁ、とりあえず雑学本マニアの私は現在机のヨコにある本棚の中には約200冊の雑学系文庫本が収納してあったりするもんで、だいたい最近発売された雑学本(文庫)はほとんど網羅していたりする。
 だから、安易な写し文章は見えてしまったりするのだ。

 その某メールマガジンでも、最近雑学系のメールマガジンがいくつも創刊されるけれど安易だよねと書いてあった。
 ちょろいよねって感じ。
 確かにそんな感じがする。なんかねぇこれと言って新たに発行する必要がない様な物もあったりする(って、別に同じようなコンセプトの物が出ても悪くはないんだけど)。
 現実の事を言えば、一般書店に出ている雑学本なんかも、先人の発行した雑学本を参照してそれの中からテーマに沿った物、面白い物などをピックアップした形で新刊として発行されたりしている。
 それと同じなのだ。

 ま、自分の知泉が他者と比べて圧倒的に斬新か?と言うと、まったくそんな事は無かったりするので、いやはやこりゃどーもって感じなんですが、それなりに努力をしているつもりだったりします。
 いわゆる雑学の基本「語源」などの場合、色々な説があるのなら載せてしまおうと言うコンセプトで、複数の雑学本から寄せ集めたネタをまとめていたりする。
 と言うコンセプトでやっていると、読者の方々からも「こんな説もあります」とメールが寄せられたりする。
 そんな作業が多かったり、あるいは別の項目が多かったり、とりあえず約1ヶ月経過した現在、それなりに「知泉」と言うメールマガジンは他の雑学系メールマガジンと比べて特徴的な部分をもった物になっているのでは無いか?と自負していたりする。
 で、今まで複数のメールマガジンを見てきて、いつの間にか発行されなくなった物もいくつも見てきたんですが、結局、好意を持つメールマガジンとは「ちゃんと作り上げている」と言う物なのかもしれないっす。あくまでも自分の意見だけど。
 一生懸命、編集しているよなぁと感じる物はその情熱みたいな物が伝わってくるし、読んでいて深いって気がする。
 そんな風に人々から思われるようなメールマガジンにしたいっす。


▼ニュース:1999/09/30

▼ニュース:1999/09/30