杉村ぐうたら日記(1999年10月1日〜10日)
▲1999年10月1日:金曜日:衣替え
▲1999年10月2日:土曜日:親たちの戦場
▲1999年10月3日:日曜日:ゴロゴロピカッズドン!バチッ
▲1999年10月4日:月曜日:恥ずかしい
▲1999年10月5日:火曜日:日焼けをしている
▲1999年10月6日:水曜日:着衣フェチ
▲1999年10月7日:木曜日:SPEED 解散っすか
▲1999年10月8日:金曜日:2000年問題始動
▲1999年10月9日:土曜日:クリエーターとしての生き方
▲1999年10月10日:日曜日:2000の罠
1999年10月1日(金曜日)衣替え
暑いっす!
とにかく暑いっす。なんか今日が10月だなんて思えない程に暑いっす。
いわゆる秋の風物詩的な物は全然無く、日中はなんか知らないが肌をジリジリと焦がす強烈凶悪シッチャカメッチャカ紫外線UV大量放出メラニン色素も大活躍と言う状態の太陽がギラリとしている。
あぁ海に行きたい、などと思わず思ってしまうような天気なのだ。
が、暦の上ではこないだ秋分の日を過ぎて「暑さ寒さも彼岸まで」って、秋分過ぎたからこれからどんどん暑くなるんかい!と一人ツッコミをしてしまう程に脳味噌がホットな状況になっている。
でもって暦上の話なのだが、10月1日と言ったら世間的には「衣替え」と言う事になる。と言っても、自分も学生時代に経験したけれど10月1日ってまだ冬服を着るほど寒くなかったりするのだ。
ま、別に衣替えは法律で決定づけられているワケではないので、暑ければ暑い時の服装でも構わないと言う事になっている、その辺は各自の判断でゴーなのだ。
そんな事を考えながら車の窓を全開にしてもちっとも涼しくならないので、しゃーねぇなとクーラーを付けて会社に向かった。
で、当然会社では冬服には着替えず今まで通りの夏服を着ていたのだ(基本的にディスクワークしかしない職場なんだけど、会社では作業服に着替えたりする)。
と見ると、この暑い中、衣替えと言うことでさっそく冬服を着ている人がいたりしてビックリしてしまったりするのだ。なんつーか律儀な規則正しい春夏秋冬四季の移ろいを花鳥風月を重んじる日本人の魂を捨て去っていない凄い男が、漢がいたのだ。あぁ大和魂。
この辺の融通の利かなさってのが古来よりの日本人なのだな。
案の定、途中で苦しくなったのか夏服に着替えていたけど。
▼ニュース:1999/10/1
東京・北区王子の駿台学園高校定時制で3年A組でプロレスラーの大仁田厚が2泊3日の沖縄修学旅行に出発。
高校を3日で自主退学した大仁田にとってこれが「中学3年の時に阿蘇山に登った」以来26年ぶりの修学旅行となった。
集合時間通りにワイシャツに制服のズボン姿という正装で羽田空港に登場した大仁田は「2泊3日の旅行中は完全禁煙。すっかり身体をクリーンアップしてやる」と肉体改造宣言。
1999年10月2日(土曜日) 親たちの戦場
天気は少し晴れぎみの曇り空、僕は目覚めと同時にカーテンの隙間から空を見上げた。
ま、ムチャ天気がいいってのよりはベストコンディションだよな… と考えつつ、夕べ準備をしておいたカメラなどをチェックした。
実は今日は幼稚園に通っている姉貴の子供の幼稚園での初運動会の日だったりする。
それのカメラ係を仰せつかったと言うワケなのだ。
普通はこーゆーのはパパの役目なのだが、そのパパってのが実は中学校の先生で、運悪くまったく同じ日が自分が務めている中学校の運動会だったりするのだ。しかも一番この日活躍しなくちゃならない体育の先生だったりするのだ。
そんな人が「息子の運動会があるんで休ませて下さい」とは言えないよなぁと言う事で、私に白羽の矢がブスリと刺さったと言うワケなのだ。
でもって、そこそこ天気の曇り空と言う運動会にはベストな感じの中(ピーカンの天気の方が絵になるが、そんな炎天下で長時間やるのは辛いっす)いよいよ運動会が始まった。
我が甥っ子は… みごとな程に我が家の血を引いているらしく、競走本能が欠如しているのか一向に頑張ろうとはせず障害物競走でもだらだらと走って見事にビリを獲得していたりする。
いやはやと思いつつ僕は幼稚園全体を見渡せる木で組んであるジャングルジム(アスレチック?)の上に立ってビデオカメラを回していた。
ちょっと足場が不安定で、基本的に高所恐怖症の私には辛い物があるのだが、とりあえずちゃんと撮影せんといかんなぁと思って踏ん張ったりしていた。
と、気が付くとさっきまで撮影場所としては最高のベストポイントだと思っていたのだが、そのナナメ右前に別のカメラマンパパが陣取っていたりするのだ。ずっとファインダーを覗いていたために、いつ忍び寄って来たのか判らないのだが、ナナメ右前のきわどい場所でカメラをセッティングして撮影しているのだ。
うぬぬ、さっきまでいくら右左にカメラを振っても障害物がなく撮影出来ていたと言うのに… と思っていたら、気が付くと足元のジャングルジムへ登ってくるはしごの処にもいつの間にかカメラマンパパが出現していた。この人はビデオカメラをセッティングしたままにして自分は超望遠レンズ付きのカメラで我が子を撮影しようと一生懸命になっているのだ。
おかげでビデオカメラを撮影していると、そのカメラを構えた頭が画面の下側に映ったりするのだ。
うぬぬぬぬ、と思ったがこんな処で争ってもしゃーないので、自分の方から左側にずれて邪魔の入らないアングルを確保する… と、そこは2つあるジャングルジムとジャングルジムの間(約1.5m)をつなぐ釣り橋状になった場所だったりするのだ。その為、僕が足を一歩踏み入れるとギシギシと音がなり、その震動で釣り橋がぐらんぐらんと揺れる。
でもって、先にその釣り橋の上でカメラを撮影していたパパが「てめぇこのヤロ揺らすんじゃねえよ」とでも言いたそうな目つきでこっちを見る。
いやはや、すみません
と、本当ならば前に立って撮影を邪魔している人に対してそーゆー目つきをしなくちゃいけない自分が、ひたすら恐縮してしまうという、かなり理不尽な状況に追い込まれていたりするのだ。
なんつーか、そう言う場所ではやはり精神的にズ太い人間の勝利なのだなぁ、もっと人生を極めなくてはいけないなぁと思ってしまったのでありました。
1999年10月3日(日曜日)ゴロゴロピカッズドン!バチンッ
夜明け前、午前4時半頃、体に重い衝撃を感じ目を覚ました。
あるいは耳元で激しい音が鳴ったために目が覚めた。
どっちが原因か判らないがとにかく、普段なら爆眠しているハズの夜明け4時半頃に目が覚めてしまった。その原因はカミナリだった。
目を覚ましてからも容赦なくゴロゴロゴロゴロ… ズズゥン!ドッキャラズドンバリバリズィンズズズズズ… とかなり近い場所にカミナリが落ちていると言う感じで、たぶん話をしていても相手の声が聞こえなくなる程うるさかったりする。こんな激しいカミナリは初めてだったりする。
まったくもぉと、すっかり目が覚めてしまった僕はベッドからもぞもぞと起きだしトイレへ行った。
トイレの窓から見る空は薄暗かったが、雨は降っていなかった。そして時折激しい閃光と共に激しいドッカンズズズズズゥン!とどうも近所に、あるいは山に落ちているんじゃないか?と言う感じの音がしていた。
と、その時思い出したのが、夕べ寝る直前にマックのデータチェックとHDのチェックの為にノートンを掛けたままだった。
そこでコンピュータのある部屋へ行き、そのチェック結果を見て修理すべき処をさらにチェックしていた。
とりあえずその作業も終了して、じゃついでだからメールチェックでもしとくかな… と思った時だった。
ゴロゴロゴロ… ピカッズズッン!バチンッ
その最後のバチンッと言う音と同時に家の電気が全て消えた。
「ありゃりゃ停電だよぉ」と思いながら窓から廻りの家の様子を見るが、どうやら電気が消えているのは我が家だけらしい。と言う事で1階にある配電盤の処へ足さぐりで行った。
階下では母親が「停電?」などと言いつつ起き出していた。
「たぶんね」と言いつつ配電盤をチェックすると案の定、メイン電源が落ちていた。それをガシャンコとオンにすると、廊下の深夜灯などがぼんやりと復活してきた。
で、母がまだ朝5時前だが、なにかニュースでもやっていないかと、自分の部屋のテレビを付けたが、ウンともスンとも言わなくなっていた。と同時に「何か焦げ臭くない?」と言うことになったのだ。
結論として、焦げ臭さの犯人はその付かなくなったテレビで、どうやらさっきのカミナリは我が家に落ちて電源を走り回り、テレビの内部を焼ききってしまったらしいのだ。
うーむ、カミナリが落ちたかぁぁぁ
と言うワケで、母親が「自分の部屋で見るテレビが無いと不便」と言うことで(実は各部屋にテレビはあったりするのだが)安売り量販店に行く事になった。
とりあえず、そのカミナリでやられたテレビを購入したのもここだったりするのと、最近は粗大ゴミなんかでもテレビは持っていってくれないと言う事で、その壊れたテレビも持っていったのだ。たぶん手数料は取られると思うよなどと言いながら。
その量販店の中で、サイズと値段でこんなモンでしょと言う感じのテレビを購入する事になったのだが、母親がそこで店員と「今朝のカミナリで今まで見ていたテレビが壊れちゃって」と持ってきたテレビを引き取って欲しいと交渉をした。
当然の事ながら店員は「手数料500円掛かりますけど」と言うのだが、捨てられずに邪魔なゴミになるのよりはいいので、それで手を打つ。
そんでもって店員が奥の倉庫の中にある箱に入った新品テレビを持ってくる間にレジで支払を先にする事にして、そのレジの列に並んでいた。
と、その時だった、なんか見た目がぱっとしない30代ぐらいの男性が突然僕に声を掛けてきたのだ。
「あの〜さっき話聞いていたんですけど… その壊れたテレビっての100円で売ってくれませんか?」
え?と一瞬思ったが、いわゆるジャンク趣味とか、壊れた物を直す事に生き甲斐を感じちゃっている様な人は結構いたりする。いわゆるこの人もその手の人なのだな、と察知して「いいっすよ」と即決した。
そりゃマイナス500円だった物がプラス100円になるんだから、そうしちゃうでしょ。
そんな感じで、基本的にはカミナリによってテレビを買い換えるという損をしているのだが、プラスマイナス600円の徳をしたって事で母親と私は家路に向かうのであった。
しかし、その後の話でカミナリが家の中を通過するとき、冷蔵庫や洗濯機などは丈夫に出来ているが、テレビやビデオなんかはすぐ壊れてしまうらしい。
だから、あのカミナリの中でコンピュータをいじっていたと言う事は自殺行為に近かったりするのだ。
話によると、とある家などはカミナリのために、その家の中にあったテレビが三台全部やられたという。我が家の場合は、家の中で最も安いテレビだったので、不幸中の幸いって事なのかも知れないのだ。
1999年10月4日(月曜日)恥ずかしい
こないだの土曜日はその日の日記にも書いた様に「幼稚園の運動会」と言うヤツに行ってきた。
もうなんだかよく判らないけど肉体的にも、精神的にも疲れちゃってほげーっとしていたのだが、その帰りにバラ園に顔を出した。
と、バラ園の常務が「インターネットを見て来てくれたお客さんがいて、今『バラのお風呂セット』を注文してくれたから作っている最中なんだよ」と言うのだ。
おぉ、インターネット経由のお客様。
こうやって、HPなんかを作っていて嬉しいのは「基本的に見てもらって、読んでもらってナンボ」という感じなので、凄く嬉しいのだが… よく考えたら、こっちは相手のことがあまり判らないのに、向こうはこっちの事を色々色々色々と知っていたりするのだ。
ぼけーっとしながら、実は馬鹿な事を考えていたりすると言うことも何もかも。
こりゃまいったね状態っす。
ま、書いた文章を直接目の前で読まれる事よりは恥ずかしくないが、かなり恥ずかしかったりする。
恥ずかしいだけならまだいい、いぜんもっと困った事があった。
某パソコン通信のオフ会ってのに出た時の話なのだが、そこに「はじめまして、いつも文章読ませてもらって大爆笑してるっす、ファンです」などと言う人がいた。
いやぁ「ファン」ねぇ、なんかこそばゆいです。そんな仰々しい言葉で言われてしまうと、なんか自分がとんでもなく凄いことをやっているかのような錯覚に陥ってしまうじゃねぇか。と言う感じだった。
で、宴会が始まった時、その自称ファン氏も僕のすぐ近くに座った。それは別に問題はないのだ、自分だってネット上で「この人いいっす」と思った人がいたら、オフ会の時に話をしてみたいし、すぐそばに座りたいと思ってしまうかもしれないんで。
そして宴会がスタートして、酒も入り次第に打ち解けた感じになって馬鹿話に花が咲き始めた。
で、当然の事の様に僕も馬鹿に輪を掛けた様な馬鹿話を始めたりするのだが、その話のいくつかはネットにかき込んだ物があったり、現代用語の基礎的ではない知識に書いたネタだったりする。
で、その話題に入るたびにその自称ファン氏が「で、そこで◎◎◎したんだよね」「それって◎◎の時書いていたよね」「で◎◎◎ってオチでしょ」と、ことごとくネタの先回りをしてくれたりするのだ。
うがーっ!よーく判った、確かにキミは私が書いた文章のファンらしくよく読み込んでいる、だがなぁ!と思わず切れそうになってしまった。
そんな事もあったのだ。
なんか、人に手の内を見せすぎている様な気もするが、文章を書く、笑えるネタを考えるって事は、日々身を削っていくような作業だったりするので、それはどうしようもない事なのかもしれないのだ。
そんなワケで優しい気持ちで杉村に接してやってくださいませ。
1999年10月5日(火曜日)日焼けをしている
あーちーちーあーちーちー燃えているんだロカ?
って、どうしてここまでダサいカバーを作れるんだ?曲のノリの良さがまったく感じられない日本語のセンス、ってこの話はいぜん書いた様な気もするが、本当にあーちーちーなのだ。
こないだの土曜日、幼稚園の運動会に行ってそこで日焼けをしてしまった。なんつーか、暑いと言っても既に10月、盛夏のギラギラした太陽とは比べようもない暑さしかない太陽だったりする。
だから日焼けと言っても、水膨れが出来てとか、日射病でとか、皮が剥けてとかって感じではないのだが、とにかく日焼けをしてしまった。
そのおかげで結構ぐったりしている。
いわゆる虚弱体質全開って感じだったりするのだ。
この肉体的弱さは基本的に精神的な弱さから来ている部分も大きいのだが、とにかくぐったりしている。と言いつつ、ちゃんと会社にも行って仕事をしているので、ダラダラに疲れていても頑張ンなくちゃいかんのだ。
しかし、今年の夏は色々忙しかったと言うことや、雨続きだったと言うことが重なって、外で遊ぶとかいう事がほとんど無かった。実にインドアな日々を過ごしていたのだ。
その為に、今年は真っ白シロスケ状態のまま秋に突入してしまっていた。
で、こないだの運動会での日焼けが今年最大の日焼けだったりするから、なかなかに寂しい人生を送っているのだ。あぁいかんいかん。
▼ニュース:1999/10/5
人気グループ「SPEED」が東京都内のレコード会社で会見し来年3月31日で解散すると発表。
メンバー4人は「自分の時間が欲しかった」と説明。「SPEED」は96年8月デビュー。シングル10枚、アルバム3枚で概算400億円。ビデオ、CMなどを含め売り上げは500億円にものぼった。
1999年10月6日(水曜日)着衣フェチ
なんか昨日まで「おいおい10月だってのに何ンでこんなに暑いんだ?」と言ってたのがウソの様な涼しさ。思いっきり秋満喫と言う感じの気候になってしまった。
昨日まで着ていた服では寒くてしゃーないと言う感じになっていたのだ。
あぁやっと本当の衣替えの季節って感じ。みんな厚着になっていくのだな。
と、普通ならばここで一般的な紳士諸君は「女性の薄着ともしばしのお別れ、特にここ数年、女性の服装の露出度向上は誠に喜ばしい限りである」などと思っているのかも知れない。
確かに、冷静に考えたら下着だろ?みたいな服で歩いている若いお姉ちゃんも少なくない。なんつーか日本人の羞恥心はどこにいったのだ?日本は恥の文化があったのではないか?などと思っても、この暴走だけはどーしょーもない。
ま、自分の娘なんかがそんなカッコをしていたら注意はするだろうが、本来は「恥ずかしくないのか!」とたしなめるべきオヤジ達も「う〜ん、いいじゃないのぉ見せてくれるっていうんなら」などと、鼻の下が地面に付くぐらいまで伸ばしちゃっているのだ。
なんつーか、性の解放バンザイという状態、いまや貞淑なんて言葉は死語辞典にさえ載っていないのかも知れないのだ。
などと書くと「ンな事言ってもあんただって男だから大歓迎しちゃってんでしょ?」などとツッコミが入るかもしれない。
が、カッコつけるワケでもなく実際の事を言うと、あんまり歓迎しちゃっていない。
などと書くと「もしかして、女に興味無いの?モーホー?」などと先走った考えをもたれてしまうかもしれないが、それも間違いで十二分にそこら辺の殿方と同じように女好きだったりする。
実は、私の場合「肌があんまし露出していない」と言う状態の方が好きなのかもしれないぞ、とこの数年感じるようになってきているのだ。
なんつーか、なにげなくグラビア雑誌なんかを見ていると、最初のページは普通っぽい服装で、数頁先には水着だったり、下着っぽい際どい姿だったりする場合がある。で、その数頁の写真の中でそのモデルの女の子が一番かわいく見える写真は・・・・と考えると、一番ちゃんと服を着ている写真だったりするのだ。
なんか、どどーんと露出しちゃうとそのモデルの個性と言うか、可愛らしさが半減しちゃったりするような気がしちゃうのだ、何故なのか判らないが。
ま、以前も書いたけれど「フェロモン全開」みたいなタイプが苦手と言うのもあるのかも知れないが・・・。
だから、秋から冬にかけて、そこらを歩いているお姉ちゃんだちが思い思いの服に身を包んでいる状況ってのが好きだったりする。
別に最近の細身ニット系のやけにバストラインを強調した服じゃなくてもいいのだ。
なんつーか、普段着的な服って、その本人のキャラクタっていうか、性格とか生活とかその手の物が前面に出ていたりする気がするので、好きなのかもしれない。
変かな?
▼訂正:1999.10.29
この日の日記を10月29日に何気なく読み返してビックシしちゃったのだ。
ちゃんと全部書いたと思っていたのに、日記が途中で終わってタイトルの『着衣フェチ』と言うのが意味不明になっていたのだ。
で、慌てて訂正しました。
この「ぐうたら日記」は基本的に、毎日「これは!」と思ったネタを箇条書きにして頭の中でぐるんぐるん回して、数日後まで温めて一気に書くと言うスタイルを取っていたりする(ネタを思いついたのは当日だけど、書くのは後だったりするワケです)
ま、だから日記ってワケでないパターンも多いんですが。
そして最近、忙しいを自分でさらに忙しくして時間に追われたりしている為に、以前みたいにどどーんと数時間日記作成に当てると言うことも難しくなって、途中まで書いて、続きは後で書こうなどという状態になっていたりするのだ。
でもって、今回のように書いたと勘違いしてそのまま更新してしまったりするのだ。
いかんいかん
▼ニュース:1999/10/6
小渕恵三首相が臨界事故が起きた茨城県東海村を視察し、核燃料加工会社ジェー・シー・オー東海事業所や村役場の災害対策本部などを訪れ「1日も早く状況を肌で感じたかった」と挨拶。
地元産物に対する「風評被害」が広がっていることから地元産のサツマイモ、シラス、メロンなどを試食するパフォーマンスを見せ「よだれが出そうなメニューだ。昼ご飯を食べずに来たんだよ」と安全性をアピール。
実は小渕恵三首相のこの危険と言われている食品バカ喰いパフォーマンスは、埼玉県のダイオキシン汚染疑惑の時に次いで2度目。
しかし、その最初のパフォーマンスの時も「あれって、管直人のかいわれ大根3パックの真似でしょ?しかもインパクトないし」と言われていた。
1999年10月7日(木曜日)SPEED 解散っすか
火曜日の帰り道、車の中でニュースを聞いていた。
いわゆる普通のニュースで、東海村での臨界事故の話題とかがやはり話題になっていた。
ふむふむ、そーかそーか取り合えずあの土地の野菜なんかから放射能は検知されなかったか、でも消費者感情としてはたぶん買う人は少ないんじゃないかなぁ。これは埼玉のO-157の時の問題以上に深刻で、あと数十年に渡って「あそこの土地で採れた野菜は」と言う先入観が付いて回るのではないか? へたすりゃ本当にあの土地に住んでいる農家の人はみんな廃業って事になってしまうのかも知れない。もちろん牛なんかの畜産関係も同様で、かのチェルノブイリでの原子力発電事故の放射能がヨーロッパ各地に降り注いで、そこで成長した草→を食べた牛→が出した牛乳→から作ったチーズでさえ汚染されていたと言うから、今の放射能が巡り巡った形でどこでどの様に出てくるか判らないのだ。
などと深刻な事を考えていた時だった。
次のニュースです「今日、人気アイドルグループSPEEDが… 」などと話はじめたのだ。
いわゆる普通のニュースで、その瞬間0.001秒の間に
「わざわざニュースでこの名前が出てくるって事は何か事件に巻き込まれたのか? もしかして覚醒剤? うーむ最近の子供は進んでいるといってもそこまで行くか? いやいやもしかしたら熱狂的な前後左右の見えなくなったファンが凶行に及んだか?」などと考えた。
「 …解散を表明しました」
と言うオチだったけど。
ほぉ解散かぁ、最近どうりでソロ活動が活発だと思ったらそーゆー事なのねって感じで、ファンでもない自分は冷静にその状況を受けとめた。
確かに解散って事を考えると今が最高の引き際って感じもする。いわゆるSPEEDはデビュー時、沖縄から来たチビッコのクセして本格的なダンスと70年代ソウルを意識した楽曲と言うのがウリとなって人気を得た。
ハッキリ云ってSPEEDがデビューしてから約半年ぐらいたった頃、街角で見かける小学生(高学年)から中学生ぐらいの女の子のファッションはみごとにSPEEDの模倣になっていました。
で、そのデビューから4年経って、デビュー時に設定してあったコンセプトからメンバーが逸脱し始めている。きっと、このままグループを続けてもそれなりの評価は残せると思うが、いわゆるその他大勢の女性グループとの差異はあまりなくなってしまうのは見えている。
高校生ぐらいの女の子4人組じゃあたりまえだもんね。
もっとも、SPEEDの場合は各人がそれぞれそれなりに個性を出しているので、他のグループとは違うことになるとは思うが…
一番不安になるのが、彼女たちがデビューしたときに将来目標とする人として名前が挙げられていた、彼女たちの先輩、沖縄出身の「MAX」なんですが、今のMAXを見ているとけっこうキツイんじゃないの?と言う気がするのだ。
彼女達の場合、もう完璧にばら売りは不可だよなぁ、なんか曲調もムチャな方向転換出来ないよなぁと言う感じなのだ。
この決断は、それぞれのメンバー個人としても、事務所的にもジャストなタイミングだと思うのだ。
1999年10月8日(金曜日)2000年問題始動
ついに恐れていた2000年問題が起こりつつある。
JR四国(だと思った)で発売されたチケットの日付が『平成88年まで有効』と言う表記になっていたと言う。実はこのチケットのこの部分には『平成12年まで有効』と書かれていなければいけなかったらしのだ。
このチケットも当然ながらコンピュータで管理されていて、今日の日付から何日後まで有効と言う事を自動的に計算してチケットに印刷すると言う仕組みになっていた。
が、御存知のように多くのコンピュータが西暦の下二桁だけで管理していたりする。つまり今年は「99」っす。でもってこのJR四国のコンピュータもご多分に漏れずと言う感じだったのだ。
で、チケットの日付表示は西暦ではなく、平成で表記するようになっていたために、コンピュータに簡単なプログラムを計算させていたのだと言う。
西暦の数から88を引いた数字=平成の年、と言う事だったのだ。
つまり今年は99年でマイナス88で「平成11年」なのだ。
ところが、チケットの有効期限ってヤツは数カ月先の話なので、コンピュータはまず西暦の現在の月日に有効日数を足して、それから88を引いた。
で、来年の下二桁「00」から「88」を引いたのだが、当然答えは「−88」だがマイナスと言う概念がなかったので「88」とコンピュータが解釈して「平成88年」と言う日付を割り出したと言うことなのだ。
なかなか、ささやかなところから2000年問題が始まったのだ。
これが、本番になったらどうなって行くのか、いろいろと不安な事もあったりする。
1999年10月9日(土曜日)クリエーターとしての生き方
先日、画家のビュッフェが亡くなった。
亡くなった事自体はショックと言えばショックだが、実際の処を言えばもうすでに亡くなっているかと思っていた。そうかぁまだ生きていたのかぁぐらいにしか思わなかったが、問題はその死因なのだ。
死因は自殺で、なんでもビニールをつかっての窒息死だそうだ。
自殺なんて、一番やっちゃいけない事だよなぁ、自殺ってのは自分を殺すという殺人だし、残された人々の胸の中に、記憶の中に残るやりきれなさを考えたら絶対にやってはいかんと思うのだ。
で、ビュッフェ氏が何故自殺を選んだのか?と言うと、ここ数年しびれなどで手が思うように動かなくなり、それによって自分の絵が描けなくなったのを悲観しての自殺だと言う。
なんか切ないっす。
物を創ると言うことを考えている人にとって、物を創る行為こそが自分の生きている証だったりするので、それを奪われると言うことはすなわち、自分の存在価値としての死を意味しているのかも知れない。
自分もそこまで覚悟を決めていたワケではないが、一時期かなり真剣に音楽をやっていた時期があって「音楽を作るためなら仕事辞めてもいいや」とか「もし音楽を創り続ける事が出来なければ生きていても意味無いよな」ぐらいの事を考えた事がある。
今でも音楽というのは自分の中で最大級に大切な事で、いつか時間があったらまた音楽を創りたいとか考えつつ、リスナーとして音楽を一生懸命聴いている。
と言うか、そんな深い決意はないけれどとにかく音楽が周りにないと絶対嫌だと言う日々を送っている。
もう14年前になるが、渋い熟練した名俳優・大友柳太朗(おおともりゅうたろう)氏が自殺をした。遺作となったのはこれまた一昨年自殺で亡くなった伊丹十三氏の2作目「タンポポ」で、ラーメンの先生役として実に味わい深い演技をしていた。
その大友柳太朗氏の自殺の原因は、その数年前から台本のセリフを完璧に憶えることが困難になってきたと言う事だと報道された。享年73歳。
なんか、それはある意味で清い生き方かも知れないし、ある意味では凄く共感してしまうが、そんな風にまっすぐ不器用にしか生きることが出来ないクリエイターの姿勢に切なさを感じてしまうのだ。
▼視聴:スカイメール報告
今まで何度か「知らない送り先のメールが携帯電話に入る」と言う事を書いたが、今日も来ました。
なんつーか本当に多くて、そんでもって何故こんな意味不明メールを乱れ打ちするかな?と思ったりする。
意味不明だから、妙に気になって返事をするとでも思っているのかな?
今日、夕方送られてきたメール
『今日めちゃイケ見る?』なんじゃそりゃ?
思わず見ちゃったじゃねぇかよぉ
1999年10月10日(日曜日)2000の罠
ブッチーが突然「来年2000円札を作る!」と決定した。
まったく、あの男は通信傍受法だとか普通なら通りそうもない議案を楽々と通してしまうとんでもないヤツなのだ。
世間的にはいつもヘラヘラ笑っていて頼りないとか、冷めたピザとか、広末さんは私の後輩になるのですねだとか、お前は総理大臣なのかそれとも外務大臣なのか?と言われるほど常に外国を飛び回っていたりするのだが、実は凄いやり手なのでは無いか?と感じている。
まったくもって突然の2000円札にも驚いてしまったが。
来年が2000年と言うことや、沖縄でサミットが開催される事や、SPEEDが解散する事や(関係ないか)色々な事で出すらしい。でもって絵柄は沖縄の首里城&源氏物語だそうで、表裏のつながりまったく無しっす。
ま、アメリカにも20ドル紙幣とか、色々あったり、日本でも明治時代とかには20銭硬貨とかがあったらしいので、特別な事じゃないが何ンで今更と言う気もする。
一部では経済効果を狙っていると言うが、堺屋太一氏でさえ「効果は見込めない」とか言っていたりする。
と言いつつ、まったく無いと言うワケではなく新しい紙幣が登場したおかげで日本国内にあるすべての自動販売機は新しくしなくてはいけないと言う事で、自販機メーカーの株価が新紙幣発表と同時にどどーんと上がったらしい。
あと紙幣が出た来年7月以降は、便乗値上げや、2000円ぽっきりセールなどの企画があちこちで始まると思うので、まったくまったく経済効果は無いワケではない。
が、2000円紙幣を発行する本当の理由は「オブチソーリが歴史に自分の名前を残したかったから」と言う噂もある。
なんせ、10年ほど前、かの竹下ソーリだっていつ辞めるいま辞めると言われ続けていたのに辞めなかったのは、昭和天皇の容態が悪くいつ昭和が終了してもおかしくない状況だった為に「新年号になった時の総理大臣」になりたっかたと言う噂だし…
▼CM:で、名前は?
ローソンのCM、今年に入ってメンバー一新して、それまでの中山エミリ・ふかわりょう・城島茂などなど複数メンバーがわさわさとシチュエーションによって出たりするパターンを捨て去って、3姉妹のこぢんまりとした日記風のCMになっている。
で、いつも気になっている事がある。
そのCMのナレーションで自分たちの名前を言って、それぞれが好みのお総菜などの名前を言ったりする。
『杏ちゃんは◎◎◎を、理沙ちゃんは◎◎◎を、そしてお姉ちゃんは◎◎◎を!』
って、最初の二人は、杏ちゃん=鈴木杏・すずきあんと言う女優が演じている、理沙ちゃん=後藤理沙と言う女優が演じている、と判るのだが、残りのお姉ちゃんの名前は何だ?
ま、そこでお姉ちゃんと言っている為に説明が無くとも三姉妹だという設定が判ったりするのだが…
▼追記:1999.10.29/と言うことで名前は
掲示板の方で「お姉ちゃん役の人はショコラと言う人です」と言う書き込みがあったっす。
あぁショコラかぁ、たしか以前CM「東京電話:寺内貫太郎シリーズ」の一番最初のバージョンに浅田美代子と西城秀樹(二人は実はあのCMでは結婚していると言う設定)の子供役で出ていたっすよね、ショコラって。
あとラジオなんかにも出ていたりする。なるほどね。
とりあえずあのCMでは、芸名をそのまま役名にして出演しているので妹は「杏ちゃん・理沙ちゃん」で出ているが、突然「ショコラちゃん」じゃ、ムードぶちこわし、おめぇだけ外人かぁ?みたいな感じになっちゃうっす。
だから、お姉ちゃんで通しているのか?
うむ