< 杉村ぐうたら日記(1999年10月11日〜20日)

▲1999年10月11日:月曜日:ユーモア話術でGo!
▲1999年10月12日:火曜日:ヅルヅル…
▲1999年10月13日:水曜日:シャリッ
▲1999年10月14日:木曜日:私の人生にはリンゴの文字はいらない
▲1999年10月15日:金曜日:するべし!するべし!
▲1999年10月16日:土曜日:逆わらしべ長者・1
▲1999年10月17日:日曜日:逆わらしべ長者・2
▲1999年10月18日:月曜日:安上がりな二日酔い
▲1999年10月19日:火曜日:カメラは見た?
▲1999年10月20日:水曜日:全国放送の事故発生
1999年10月11日(月曜日)ユーモア話術でGo!
 雑誌なんかに載っている通信教育講座で「ユーモア話術」と言うのがあった。
 なんつーか、確かに「私は人前でも面白い気の利いたことが喋れないから」と悩んでいる人もいたり、営業職で話術を鍛えなくてはいかんいかんと悩んでいる人もいると思うが… この手の通信教育でどのくらいそれを克服できるのだろうか?って気もする。
 時々、本やなんかにハウツー本として「ユーモア会話集」とか「気の利いたパーティジョーク」とかってタイトルの物があったりする。
 で、ちょっと興味を引かれてパラパラとめくってみたりするのだが、どれもこれもけっこうキツイ内容で「おいおい本気でこれで面白いとでも思っているのか?」状態だったりする。
 いわゆる、しゃれたパーティジョークってのを使うシチュエーションに遭遇した事がないので、もしかしたらそーゆー場所では面白いのかもしれないけれど、ハッキリ云って自分の認識の中では「笑えないっす」と言う感じだったりする。
 なんか、こーゆーのに書かれていてワザワザ仕込んで「こんな場面で言うぞ」と肩肘張ったギャグって殆ど「結婚には3つの大切な袋があります。一つはおふくろ、一つは給料袋、もう一つは堪忍袋」と話して最後に「おっともう一つ大切な袋がありました。これは夜二人だけで使って外では使わない様に奥さんしっかり握って置いて下さいね」などと下ネタで落とすと言う、戦国時代以前から使われてきた様な定型文だったりする。

 なんつーか、笑いって言うのは瞬発力の差だと思うのですよ。
 こう打ってきたらこう返すみたいなラリーの応酬が出来るか?ってのが、基本的なギャグセンスってヤツだと思うわけで、こればっかしは実戦を積むしかないと思うし、こればっかしは通信教育で勉強したり、本でネタを仕込んでも何ともしがたいと思うのだ。
 ま、細かいギャグを大量に仕込むってのは悪いこっちゃない。現に自分で作っている「現代用語の基礎的ではない知識」で書いたネタを臨機応変に使って、笑いを取ることが出来ましたって返事メールも来たりしている。
 しかし「ユーモア話術」って… そもそも「ユーモア」って単語を使った時点でかなりキツそうな気がしちゃうんだけど…。

▼季節:秋ですね
1999年10月12日(火曜日)ヅルヅル…
 最近のCMで気になってしょーがない物がある。
 それは完璧に技術力の向上に伴って勘弁してくれの度合いが大きくなって来ている物だったりするのだが、精神的に不快な物と言うヤツをCMで流されるのほど嫌な物はない。
 いわゆる、それがTV番組だったら(交通事故で血まみれとか、おばさん達や羞恥心の無いカップルなんかが罵倒しあうのとか)最初からチャンネルを合わせなければいいんだけど、CMは予告もなくやってくる。

 以前は単純なアニメでやっていたりしたが、CG技術によって激しくリアルな物になったのに「水道管なんかの掃除する薬」のCMとか「ゴキブリ殺虫剤」のCMなんかがある。
 以前ならイメージっぽいアニメだったのが、もしかして実写?みたいな状態で迫ってくる物があったりする。
 ゴキブリ殺虫剤のCMなんかでは一時期実写でやったものもあったがクレームが多かったらしくそれは無くなった、がリアルなCGでやらなくても・・・・

 その手の汚い物リアルCGは見なければよしとしよう。
 問題は、凄くリアルな音で不快感を感じさせてしまい物だったりする。
 いわゆるCM業界的な言葉で言う「シズル音」と言うヤツで、永谷園のお茶漬けのCMだとか、トマトジュースのCMとか、うどんなんかのCMなんかの「ぢゅるぢゅるぐちゃぐちゃはぐはぐねちゃねちょぢゅぢゅぅぅぅ」と言う食べている時の音をことさら目立つようにしているCMなのだ。
 あれって、凄く不快なんすが・・・・
 でも、周りの人に聞くと「別に意識した事ないけどなぁ」とか、逆に「なんかあの手のCMって聞いているだけでお腹空くよね」と言う人までいたりするので、あんまし賛同者を得ていなかったりするのだが、個人的にはオススメ出来ないCMだったりする。

 それも、最近の録音技術のせいなのか、やたらとリアルだし、ステレオで放送されていたりするので、音が直前まで迫ってきていたりする。
 いくら本上まなみが出ていたとしても以前の小林薫と飛行機の中で『ラ王』を食べまくるのは好きじゃなかったし、栗山千春と岩下志麻が出ていようとも『ごんぶと』のCMは好きじゃないっす。

 さらに、最近は黒木瞳がインスタントラーメンをずるずるやっていたりする。
 
1999年10月13日(水曜日)シャリッ
 人間、誰しも弱点と言う物がある。
 向かうところ敵無しと言われる私だが、高所恐怖症・アルコール・日焼け・ムチウチ・筋肉痛と様々な弱点がある(って、向かうところ敵無しじゃ無いな)。
 でもって、もっと私を苦しめる物が存在している。
 それはあまりにも意外な物で、普通の人にとってはそれが武器になるとは思っていなかったりする様な物が、私を苦しめたりする。あぁ怖い怖い。
 もっと怖いのは、熱〜いお茶ですね。
 と思わず、本題を避けて落語のオチで逃げてしまいそうになるほど怖い物があるのだ。

 その名はリンゴ

 実は私にとって生涯最大の敵はリンゴだったりするのです。
 このリンゴのどこがどー苦手なのかと言うと、あの『シャリッ』とかじった時の音が・・・あ゙あ゙あ゙・・・思い出しただけで寒気が襲ってくるっす。
 なんつーか、あの音を聞くだけで鳥肌が全身にたってしまい、しばらくは戦闘不能状態でのたうち回ってしまったりするのだ。
 どーも、あんまし他人には理解されないかもしれないが、これが決定的に苦手だったりする。
 普通の人が嫌う「曇りガラスを引っかく音」「チョークで黒板に立てる音」的な感じで大嫌いなのだ。

 しかし、まさかここまで嫌っているとは思いも寄らない人々が「杉村ってこれダメだったんだよね」などと言って、ワザと耳のすぐ横でリンゴを「ジャグリ゙ッ!」とかじってくれたりする。
 その瞬間、私は「〒〇≠Й♂÷Ы♪〆§△Жオ!」と声にならない、もしかしたら機種依存文字でウィンドウズでは表示できないかも知れない声をあげるのだ。実際の事を言えば、機種依存文字で表示されない方が正解と言うぐらいの声だったりする。
 そのぐらいに私にとってリンゴかじり音はダメだったりする。


▼ニュース:1999/10/13
1999年10月14日(木曜日)私の人生にはリンゴの文字はいらない
 こんなリンゴをかじる音がダメな人ってのは、他にいないのではないか? と以前は考えていたのだが、ある時テレビを見ていたら某女優が(某と言うか名前忘れてしまったんだけどさ)「私リンゴをかじる音ってダメなんですよ」などと言う事を言っていて、それがその番組のクイズになっていた。
 なんだ、私だけじゃないって事か。
 と、どどーんと嬉しい気持ちになってしまったのだ。

 その後も「私もリンゴをかじる音ってダメ」と言う人を発見する事が出来て、たぶん10000人にひとりぐらいの割合で「リンゴをかじる音がダメ」って人がいるのでは無いか?って事が判ったのだ。

 しかし、生活の中に何気なくリンゴは忍び寄ってきていて、それが「リンゴ」と言う状態で目の前にあって、どーしてもどーしても食べなくてはいけない! と言う切羽詰まった状況に置かれた場合ならば、うぉりゃぁぁぁぁぁ!のかけ声一発、リンゴぐらい食べてやりますよ、ええ、やりますとも。
 って感じだったりするのだが、困ってしまうのが、何気なく食べたマカロニ系サラダの中にマヨネーズの衣装を身にまとったリンゴなんかが潜んでいたりする場合。
 その時は、当然心の準備やら体の準備やらが出来ていないワケで、平穏無事な人生を歩んで貯金も幾ばくか貯まって、悠々自適ですなぁと言うところに青天の霹靂、いきなり口の中で『シャリッ』すよ。
 おいおい、前戯無しかよぉって感じで、非常に精神的に良くない。
 あるいはヨーグルトなんかにじっと潜んでいたりする場合もあるワケですよ。

 あれってのは実に良くないね。
 リンゴの性格の悪さを如実に表しているって感じっすね。
 よく学生時代に誰からもすかれる好青年でスポーツ部のエースで女の子にキャーキャー言われている存在の男がいたりして、でも実は裏で自分の仲間ではない文化部の連中には陰険な事を言ったりしているヤツがいたんだけど、それみたいな感じっす。
 ぬぁわにが「爽やかなリンゴだぁ」と言いたくなるような感じで、突然口の中で響く『シャリッ』の音。
 本当にこの文章書いているだけで背中にゾゾゾが走っていますぜ。

1999年10月15日(金曜日)するべし!するべし!
 ま、出来ることならば私の人生はリンゴとはまったく別の処を歩んでいきたいものだよなぁとずっと思ってきたのであります。
 が、私の人生の中でリンゴと真っ正面から向かい合わなくてはいけなかった時があったのです。
 それは遙か昔、東京の学校に通うために練馬の片隅の汚れた部屋の中で生活をしていた時代の事です。
 学生のおきまりのパターンで、毎日金が無くてぴーぴーしていた時のことだった。
 休日はとにかく絵を描くか、こたつの中で古本屋で買ってきた小説を読むかのどちらかをして過ごしていた私の部屋をノックする音がした。
 ドアを開けるとそこには、同じ屋根の下に住んでいた同じ学校に通う清水くんがにこやに立ち「これ田舎から送ってきたから食べて」と爽やかにリンゴを二つ差し出すのだ。
 うむむむ、と思ったが人の好意を無にしてはいかんと言うことで私はそのリンゴを受け取ったのだが、気持ちの中では「うわぁムズムズするカイカイな気分」だったのだ。
 だが、いくら嫌いだと言っても食べ物をそまつにするワケにはいかない、それ以前に食費が少しでも助かるのなら、これ以上の喜びはないだろうと言う感じだったのだ。

 私は、その2つのリンゴをこたつの上に置いて考え込んだ。
 「とりあえず、リンゴに関しては味は大丈夫なのだ。リンゴジュースだって大丈夫なのだ」と言う前提がある。
 基本的にダメなのは「食感」なのだ「シャリッ」なのだ、それさえクリア出来てしまえばこっちの物なのだ。
 と言うことで、まず最初のリンゴは大根下ろしならぬ「リンゴおろし」にする事に決定した。
 これならば大丈夫なのだ。小学生の頃、私が風邪なんかをひいて寝込んだときに、よく母親が作ってくれたのだ。
●すりおろしリンゴ・レシピ
1.大根おろしをつくる道具を用意する。
2.一生懸命する。
 おしまい。
と言う実に深い料理なのだが、とりあえずすり下ろすときも「シャリッ」に近い「シャゴシャゴシャゴ」と言う音がすると言うことで、その音を防がなくてはいけない。
 と言う処で、学校の友人・橋本氏に売って貰った東芝の「コデッキ」と言う、当時のウォークマンに対抗していたワケではないが小型のカセットデッキで「RCサクセション」あたりをヘッドフォンで大音量にして防御する事にした。
 で、一生懸命スルスルスルスルスルスルスルスルスルスル明日の為にその1するべしするべしするべし!と言う感じだったのだ。
 ま、なんとか完成して食べることが出来たのだが、さすがに2つ目も同じ方法では芸がないなぁと感じ、とりあえずその日はそれで終わりにした。

とここまで文章を書いてきたのだが、延々とリンゴの事を思い浮かべながら書いていたら、かなり精神的に参ってしまったのだ。
だから、2個目のリンゴの行方はまたいつの日にか・・・・

1999年10月16日(土曜日)逆わらしべ長者・1
 近所の法事に出席した。
 いわゆる田舎の近所付き合いと言う部分はこの冠婚葬祭がどどーんと大変な事になっていたりする。
 結婚式なんてのにも頻繁に呼ばれて、新婦は近所に住んでいるのだろうが、こっちは日々生活の基盤が会社やら外にあったりするので、近所の人々の顔もあんましよく理解していない。
 ま、とりあえず生まれてからずっとここに住んでいるので、大体は判るが、自分より下の世代あたりになると全然判らなかったりする。
 で、田舎の付き合いと言うことで近所の結婚式に出席しなくちゃならないのだが、壇上に座ってる新郎も新婦もまったく見たことのない人と言うのも少なくない。大変なのだ。

 ま、そんなこんなもあり法事に出席した。こんかいの法事は単純に近所と言うワケではなく、同級生の父親の49日という事もあって、幼稚園の頃からよく遊びに行った家だったりするので、感慨深い物もあったりする。
 ま、法事はこれといって特筆すべき事もなく終わり、食事会を終えて帰る段になって事件が起こった。

 と言うところで話は、いきなりどどん!と1年以上前に遡ってしまう。
 その日は知人のお父さんの葬式と言う、かなりヘビーな日だった。
 あんまし、そう言う改まった式などに出ることの少なかった自分は、それまで履いていた礼服用のクツのサイズが合わないと言うことを思い出し、急遽、クツを新しく買って来ていた。
 ところが、式典が終わって「さぁ帰ろう」と言う時になって愕然としてしまったのが「自分の履いてきたクツが無い!」と言う事だったのだ。
 まだ、その場にはいくつものクツが残っていたが、その新品の礼服用クツは消えていたのだ。
 かといって、その場に残っている他のクツを適当に履いて帰るわけにもいかず、最後まで待ち、持ち主の現れない最後のクツと対面した。
 そこにポツンと残されたクツは、来たときに履いていた新品のクツとは比べようがないヘナチョコで使い込まれた「ザ年期物」というヤツだった。
 うぬぬぬぅおのれぇ!
 と憤慨し、それいらい申し訳ないが、その友人のお父さんの葬式の時の話が出るたびに「うぬぬぬぅおのれぇ!」となってしまうのだ。
〔↓続く)
1999年10月17日(日曜日)逆わらしべ長者・2
 実は、今日の法事にはその「ザ年期物」を履いてきていた。
 本当はちゃんと新しい物を買い換えないといかんなぁと思っていたのだが、そんなに普段必要な物ではない為に、今日の日まですっかり忘れてしまっていたのだ。
 と、言うところでさっきの食事会の所に話は戻る。

 ま、ここまで前フリをすれば判ると思いますが、今度はその「ザ年期物」の姿が見えなくなっていたのです。
 なんてこったぁ!俺ってヤツはクツを履き間違えられる運命の元に生まれてきたのか!おのれぇぇぇ!
 しかし、どーせ買い換えるつもりだったんだし、あんなボロボロのクツ、どんなクツに替えられても痛くも痒くも無いっつーの、へへ〜ん!と思っていた。
 で、結局、どのクツが残るのか最後まで待つ事になり、やがて1足のクツが…
 かなりデザインが違うクツで、ちょっと見ただけで「違う」ってのが判るだろ?なんで間違えんだよってな感じだったのだ。ま、ボロさは同じ様な物なのでその辺はどーでもいいや、と思っていた。
 そして、そのクツを履くことにしたのだが…  まさか、これ以上最悪な事態になるとは思っていなかった自分の認識の甘さを思い知らされる事になってしまった。

 ボロい上に、サイズがでっかい。

 結局、歩くたびにガッポガッポとクツの音をさせながら私は家路に付いたのだった。
 しかし、このクツを間違えて履いていった人は、サイズ合ってないのに気が付かなかったのか?
1999年10月18日(月曜日)安上がりな二日酔い
 朝起きようと思った瞬間、頭痛がずーんと鈍い痛みを呼び起こした。
 体の方も、手足の間接が油の切れた機械のようにぎこちない動きをし、あたかも重りでも付けたような状態になっている。指先にもひとつずつ重りが付けられているようだった。
 枕元の目覚まし時計は、いつもなら起きる時間を示しているのだが、夕べは目覚まし時計を掛ける余裕もなくベッドに倒れ込み、そのまま寝込んでしまった事を、灰色にくもった頭脳で思い出した。
 あ・・・・キツイ・・・・
 なんとかベッドの上で上体を起こしガンガンと痛みを繰り返す頭を抑えた。  こんなに体調が最悪でも今日はあの仕事とあの仕事があるんだよなぁ、たしか今日中に片づけなければいけない仕事だし、他の誰にも替わりをやってもらう事の出来ない仕事なんだよなぁと考え、無理矢理気合いを入れながら立ち上がった。

 実はこのダルさの原因は昨日飲んだ酒のせいなのだ。いわゆる二日酔いってヤツで、この頭痛はあんまし他人から同情されることのないと言う自業自得の病気なのだ。
 とりあえず熱いシャワーで目を覚まし、なんとか出かける体制にまで持ち込む事が出来た。

 まったくまいっちゃうよなぁと僕は思った。
 確かに昨日酒を飲んで、その余波が今朝にまで現れているのだ。
 昨日、家に帰ってきた段階で体中がダルくて、頭がガンガンしていたので、今朝こーなるのは判っていた。
 で、その酒を飲んだと言う話なのだが…… この「ぐうたら日記」をずっと読んでくれた方なら気が付いていると思うけれど、この日記の中には『今日、◎◎と酒を飲んだ』などと言う表記は一切出てこない。
 ま、確かに日々の日記を書いているけれど、自分の生活のすべてを書いているワケではなく、諸事情によって書かない項目もある。だから、たまたま酒を飲むシーンが書かれなかったと言う事もあるだろうが、実際の処、自分は酒を飲まないのだ。
 と言うか飲めないのだ。
 遺伝もあるらしいが、まったく体が酒を受け付けないらしい。
 そんな人間が、昨日の日記でも書いた通り、近所であった法事に呼ばれて、付き合いで少しビールを飲んだのが効いてしまっているのだ。
 「ま、杉村くん、久しぶりだな」などと言われれば取り合えず形だけでもコップを差し出して注いで貰う。で、注いで貰う→注いで貰うということばっかしなので、コップは「表面張力の限界に挑戦!」みたいな状態になってしまったりするのだ。
 が、日本人の宴会儀式としてのビール注ぎは終わらず、新たな刺客が「元気にしとるか?」などとビール瓶を持って出現してくる。

▼ニュース:1999/10/18

▼ニュース:1999/10/18
1999年10月19日(火曜日)カメラは見た?
 2週間前に発行したメールマガジン『ひねもす本舗(
登録はここでね)』で「電波少年の無謀な旅シリーズの次のターゲットはまだ手を付けていないオーストラリアでは無いか?オリンピックもあるし」と言っていたが、残念、新企画は「80日間世界一周の旅」でした。
 なるほどねと言うのが、10月の10日前後からスタートすれば、ちょうどゴール予定の80日目が大晦日周辺に当たるワケで、またしても日本テレビは大晦日のイベントとして「電波少年」を持ってくるつもりなのか?

     しかし、それよりも問題なのは今度の新企画の旅行者の一人が、以前「電波少年的ハルマゲドン2」の女性なのだが、部屋に隠しカメラが仕込んであって、朝起きた時から始まっていたが…… と言うことは当然、夕べからカメラは設置してあったワケで、うーむ、色々な放送しちゃったらマズい画像がそこに展開されてしまったのではないか?と言う事なのだ。
 ま、基本的には「ヤラせなんじゃないの?」と言う部分はあるが、もし本当に隠し撮りだったりしたら、そりゃスタッフは色々楽しんでしまったんじゃないか?と言う気もする。

 隠しカメラと言うと、以前「スターどっきり丸秘報告」で、その当時バリバリのアイドルだった某男性歌手を引っかけようとした物が企画された物を思い出してしまうのだ。
 仕事を終えてホテルの部屋に戻ってきた男性アイドルを待ち受ける恐怖とは!と言う物で、5〜6階の部屋なのに外を歩いている人がいたり、色々不可思議な事が起こると言う「ンなワケねーだろ的」な物で、まず部屋の中に数台と、窓の外に隠しカメラがセッティングされていた。
 で、その某男性アイドルが仕事を終えて帰ってきて、しばらくくつろいで気が緩んだところ辺りからどっきりスタートとスタッフは考えていたのだが… 
 なんとその男性アイドルは部屋に帰ってくるなり、ホテル備え付けのTVでエロエロチャンネルを付けて、一人ハッスルを初めてしまったと言うのだ。
 でもって、しかたがなく撮影はすべて中止と言うことになってしまったと言う噂を聞いたことがある。
 まさかその男性アイドルもカメラで本人の性格だけじゃない部分がビッグになっている処を撮影されていたとは知らないだろうなぁ、ビッグな人もビッグりって感じだよね。
 まったくもってビンビン物語じゃないっつーの。
 ま、差し障りがあるので、その某アイドルの名前は伏せておきます。
1999年10月20日(水曜日)全国放送規模の事故発生
 今日も今日とて、しがないサラリーマンの私は朝も早よから起き出して、それなりの身だしなみを整えて車に乗り込み出かけた。
 会社まで朝のラッシュ時は約1時間ほど掛かってしまうので、下手に遅く出ると怒濤の渋滞にはまって遅刻と言うことになってしまったりする。
 そーゆー事の無いようにと、余裕を持って出社したりするのだが、時にはその通勤途上で交通事故なんかが発生して予想外の大渋滞と言うこともある。

 まさしく今日がその予想外の渋滞の日だったのだ。

 いつものようにヘラヘラと車を走らせて、何気なくいつもの通りにT字の道を曲がった瞬間に驚いてしまった。いつもはまったく渋滞という言葉とは無縁のその道が、曲がった辺りから延々と車が続いているのだ。
 この道を何年も通勤しているが、そんな風景は初めてみたのだ。もー誰が何と言おうともこれは紛れもない渋滞ってヤツなのだ。
 しかし、問題なのはこの道というのが、渋滞のずっと先に行くまで横に抜ける道が無いと言うことなのだ。
 方法としては、何とかしてUターンしてどっか大回りの道を選ぶという事も考えられるのだが、それも出来そうにない状況だった。
 しかたがなく渋滞に流される状態で遅々と進まない列に並んだ。

 遠くの方に見える赤信号が、青→黄→赤、と1巡する間に列の車は5台分ぐらいしか移動しない。
 その信号の所は大きな通りだったりするので、普通どんな渋滞でもどちらかへ抜け出る方法があると思うのだが、そんな様子もないので、どうやらその信号のある交差点付近で事故などがあったのでは無いか?と考えた。
 ふと対向車線を見るとほとんど車の流れがない・・・ということだったので、やっぱし交差点での事故でこっちに入って来にくい状況になっているのだなと確信した。
 つまり、この道から大通りに抜け出る部分が何らかの形でふさがれているに違いないのだ。

 とりあえず、出勤時間に関してはかなり余裕を持って出てきているので、安心はしてノロノロと動いていた。

 そして、ついに問題の交差点が見える位置まで車が移動してきて・・・・驚いてしまいました。

    ┃     ┃──┐
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━━━━┓     ┏┷━┿━━━━━
    ┃↑    ┃──┘
    ┃■    ┃
    ┃     ┃

自分の進行方向右側に歩道橋があるんですが、そこに大型トラックがハマっていたのです。
ハマっているって説明ではよく分からないと思いますが、その大型トラックは砂利なんかを運搬するトラックで、その荷台をうぃぃぃんと全部上げた状態で、歩道橋につっこみ、荷台が歩道橋に引っかかった為にトラック本体がウィリー(前輪部分が浮き上がった)状態で身動きが取れなくなったという感じで止まっていたのです。
もう周辺は野次馬やパトカーや消防車やら、ワケの分からない状態になっていて、その横を警察官の指示にしたがって自分はすり抜けたというワケなのです。
はっきり言って、大型トラックの車底を見上げながら走るのって異様な体験だったっす。

会社のほうは遅刻しなかったが、なんつーか貴重なものを見せてもらったって感じ。
そして、その映像的におもしろい事件(不謹慎)はその夜、全国放送の番組でも紹介されていたのです。

▼ニュース:1999/10/20