杉村ぐうたら日記(1999年11月1日〜10日)
▲1999年11月1日:月曜日:井上陽水の罠
▲1999年11月2日:火曜日:ピアノ・インスト物だって?
▲1999年11月3日:水曜日:フィギアだって?
▲1999年11月4日:木曜日:時期尚早
▲1999年11月5日:金曜日:およそ3
▲1999年11月6日:土曜日:バラ園の懸賞 結果発表!
▲1999年11月7日:日曜日:同化に向かう個性
▲1999年11月8日:月曜日:所属
▲1999年11月9日:火曜日:聖子ちゃんカットの人達
▲1999年11月10日:水曜日:おそるべしDNA
♪甘いささ〜ぁやきぃ〜 と言うワケで、井上陽水はいいよねぇ。
ついつい、オリジナルアルバムを何枚も持っているのに最近発売された2枚組ベストアルバムを買ってしまった。
なんか、突き抜けているよなぁ
音源は70年代初頭から約四半世紀に散らばっているんだけれど、その古さを感じさせないシャープさはちょっと驚異的です。
なんせ60年代末〜70年代初頭の音楽シーンってのを振り返ってみると(と言ってもその時代の音楽をリアルタイムでどっぷり知っているワケではないっすけど)基本は演歌的なベタベタした実に湿度が高い歌謡曲、あるいはアジテーションが前面に出て音楽的素養のあまり必要ではないプロテストフォークが主流だった。(この当時のフォーク系の曲の多くが実にメロディがしょぼい)
ちょうど60年代末のグループサウンド熱が引いて、時代は政治の季節とも言われる安保などを含んだ暗い時代で、東京大学の学園祭のポスターなんかに現在作家の橋本治が考えた『止めてくれるなおっかさん、男東大どこへ行く』などと言う、浪花節的任侠な世界が採用されていた。
実にウェットな時代だった。
その中にあって陽水はスコーンと突き抜けて「都会では自殺する若者が増えている」な〜ぁんて事より、自分の恋愛の方が大切なんだよぉと歌ったり、「捜し物」なんて努力しなくたってそのうちに見つかる物なんだから「夢の中へ行こうよ、現実逃避しようよ」と、周囲で「安保反対!学費値上げ反対!」などと騒いでいるのとはまったく違う次元に存在していた。
ま、今回のベストに「人生が二度あれば」とか「最後のニュース」とか地味に深い物もありますが、それ以外は基本的に「楽しい事ならなんでもやりたい」だったり、白日夢の中でぼけ〜っとしようよ〜てなスタンスの物が多い。
で、思うのは陽水の作った楽曲は実にどれもこれも陽水的なのだけれど、それ以上にやっぱり陽水的なイメージを作り上げているのは陽水本人のボーカルだったりする。
このベストの中には陽水が作曲していない物も何曲か含まれているが、CDの曲として聞くとどれもこれもが、まぎれもない陽水ブランドで出来上がっているのだ。
しかしメロディだけを取り出してポロロ〜ンとギターを弾きながら歌ってみるとメロディはまぎれもなく玉置浩二だったり奥田民生だったりする。
が、陽水が歌っているのを聞くと「完璧に陽水ワールド」になっていたりするのだ。
恐るべし陽水。
で、このベストアルバムを聴いていると、アルバムから溢れてしまったそれ以外の曲も聴きたくなって、ついついレコード棚を引っかき回して中学の頃に聞いていたすり切れかかった陽水の『氷の世界』とか『もどり道』とかのアルバムを聴いてしまったりするのだ。
恐るべし陽水。
▼ニュース:1999/11/1
黒沢明監督の名作「七人の侍」などに出演した俳優・千秋実が急性心肺不全で死去。(82歳)
1999年11月2日(火曜日)ピアノ・インスト物だって? |
CDショップで貰った「新譜&近々発売のCD情報」のチラシを見てて驚いてしまった。
『深田恭子ミニアルバム』が発売されると言う。
ま、それだけだったら春頃にシングルデビューしているから驚きはしないし、ちょっとタイミング的にアルバムを出すのが遅かったよね。それともアイドルにありがちなクリスマス用スペシャルミニアルバムなのか?と思いつつ、そこに書いて有る説明を読んだ。
「彼女が弾くピアノが奏でるインストゥメンタル集」
え? 歌わないでピアノを弾いているの?
ま、説明を読むとミニ写真集も附属していると書いて有るので、基本的にファン的な感情としては「写真集にピアノインスト物が付録で付いている」てな感じで購入するのかもしれない。
あんまし売れないと思うけどなぁ
それ以前に、深田恭子人気ってのも、あんまし聞かないんで・・・。
そう言えば数年前、人気若手俳優がやはりボーカル物じゃないCDを出した事があった。
かの武田真治がデビューしたてで人気が凄くあった頃、サックスが得意だと言うことで、インスト物CDを発表した事がある。
プロデュースは元チェッカーズ武内亨・バックは東京スカパラダイスオーケストラ(仕事を選ばないプロ集団)だったので、音の完成度は高かったが「で、それで?」と言う感じの音楽だった。
たしか、その後ツアーなんかもあったり、アルバムも発売したと思うけど、そんなに売れるような物ではなかったと思う。
その手のCDを買うのは本当にコアなファンだと思うのだ。
と言うことで、ふと気が付いて調べてみると、深田恭子も武田真治も、ホリプロ所属なんすね。
なんか、70〜80年代は芸能帝国って感じだったホリプロだったけれど、90年代に入ってはライジングとか新興音楽事務所なんかに押されてイマイチな状態っすけど、なんかそのイマイチな理由が見えるような気がする。
なんせ、早すぎた失敗作(と言うか、この先もダメだと思う)コンピュータグラフィックのアイドル伊達杏子DK-96なんかに莫大な金額を注ぎ込んで、その金をまったく回収できなかったっすからね、ホリプロの90年代は。
で、司会もしないのに司会者になって周囲の人に気を使わせている和田アキ子がトップだからなぁホリプロ。
なんと言いましょうか、変な意味で深田恭子のピアノインスト集に興味がある。中古CD屋に300円以下で流れてきたら買おうと決意したのであります。
これまでも実在アーティストの人形(フィギア)ってヤツはいくつも発売されてきた。
日本では70年代にピンクレディのフィギアが発売されて、チビッコから下心全開のヤツまでみんな買って、服を脱がしたり、変なポーズをさせたりしていた(きっと一部のヤツだけだと思うが)。
70年代には「郷ひろみソックリ」の人形なんてのが出て、肖像権と言う言葉を有名にさせた裁判になった事もある。
あと90年代だとパフィーなんかのも発売されていた。
で、海外アーティストなんかの場合、プレスリーから始まって、ビートルズ・ストーンズなんかの人形(この時代はフィギアなんて言わなかった)があったりする。
もっともそれは置き人形って感じで、いわゆるフィギアって感じの関節動きまっせぇという感じの物ではなかったりする。前述のピンクレディのもフィギアって言うより、リカちゃん人形や怪獣のソフビの延長って感じだった。
たぶん、現在の様なフィギア的な物で出たアーティスト人形の最初は「KISS」あたりでは無いかと思ったりする。そう、あの聖飢魔IIの大先輩バンド。
90年代にも再度出たが、70年代末に確か出ていたハズ。
でもって、その後はマイケルジャクソンのも出たりして、あとマドンナとか、シンディローパー辺りのも出たんじゃないかな?
あとは、若者に人気のアイドル系シンガーとか、ラッパーのアイスTなんかのも出ていたと思う。基本的にフィギアになるアーティストに共通しているのは「ビジュアル的にサマになる」と言うものだったりする。
でもって、ちょっと小耳に挟んだニュースで「何ンでそんなフィギアを? いったい誰が買うのだ?」と言うアーティストの物が発売される事になったらしいのだ。
そのアーティストは『エルトン・ジョン』
なんつーか制作メーカーの意図がよく判らないのだ。
それって売れるのか? 誰が買うのだ?
うーむと考えこみつつ、値段がそこそこ安かったら話題の為に、笑いの為に買ってみようかなぁなんて、好事家の私は思っている・・・・・って、私みたいな人が対象なのか?
ジャニーズ事務所から新しいグループ「嵐」がデビューした。
と言っても、例のジャニーズJrから選抜5人って感じだったりするのだが、なんか相変わらずのジャニーズパターンのグループって感じっす。
たぶん自分たちばっかりの「8時だJ」みたいな番組では、色々仕切っていたり、しゃべっていたりするんだろうが、こうやってデビューして他の歌番組にでると、いきなり音なくしなって、しかも視線が定まらないような落ち着きのない、貰われてきたばかりの子犬状態になってしまうというのも、ジャニーズの伝統なのだ。
なんか浮き世離れしているような印象を毎回デビュー時に受けてしまう。
やはり、今回デビューした「嵐」も歌番組で司会者なんかに話を振られても、なんか上の空状態。
うーむと思ってしましますな。
でもってファンだったりすると、それぞれが際だった個性を持っていると思ったりするんだろうが、まったく興味のない現時点の視線で見ると、個性のかけらもないっす。
(ジャニーズファンに刺されるな、こりゃ)
しかし、伊達に30年以上も男性アイドル専門事務所をやっているワケではなく、こんな白っぽいイメージの彼らが次第にキャラクターを出してくるんだよなぁ、たぶん。
でもって、こう言っては何ンだけど、ジャニーズのグループって必ずメンバーの一人が「おいおいこれもアイドルなの?」てのが混じっていたりするんだけど、それがいつの間にか洗練されてキャラを確立したりする。
その辺がジャニーズウォッチングの楽しみなのかもしれない(って別にウォッチングしてないけどさ)
で現在まだ、海の物とも山の物ともつかないメンバーが歌っているデビュー曲《A.RA.SHI》っすけど、やはり今っぽくラップがフューチャされている。
思いっきり生な音でなく、デジタルレコーディングで音の粒を揃えたよなぁ、修正バリバリだよなぁという作りになっていて、生でここまでの再現性はないだろうなと感じさせてくれるのだが、やはりプロダクツとして完成されている。
でもって問題は、ラップ以外の部分なんだけど、これがまたしてもジャニーズ伝統の個性のないメロディ、光GENJIが歌っても、初期のTOKIOやSMAPが歌ってもいいような普遍的な青春歌謡の延長線にあるメロディなのだ。
最初バレーボールのCMで、ここしか流れてなかったので「ありゃりゃこれってほとんど光GENJIが歌っていたヤツと区別が付かない」と思っていたんだけど、ラップねぇ。
で、そのラップの最初の部分でリズムに合わせて言っている言葉が、何度聞いても『時期尚早』としか聞こえないんだけど、やっぱり自覚しているのか?
(ジャニーズファンの敵を増やしてしまったか・・・)
なんだか文部省関係の発表によると、現在小学校高学年でやっている授業を中学でやる、とか、小数点1以下は教えないとか、そーゆー方向で進んでいくらしい。
でもって、子供の頃ひたすら記憶力がいいヤツが覚えた円周率の「3.1415・・・・・」というのは、単純に「およそ3」と教えるようになると言う。
そうかそうか、確かに数学ってのは難しい事をやればやるほど実生活と離れて無意味なモノになってしまうのは、経験して痛感している。
サイン・コサイン・タンジェントを実生活のどこで役立てればいいのか不明だったりするのだが(製図の仕事をしたときに使用したけどさ)、いわゆる理詰めで答えを見つける数学と言うモノは、直接意味がないとしても必要なのではないか?って気がする。
とりあえず、現在中学で教えているたぐいの数学程度までは、物事を理論的に押し進めるのには役に立つんじゃないかな?
現時点で自分は思いっきり「文系で〜す」と宣言しているけれど、実は中学の頃までは数学の成績が良かった。いわゆる100点なんてモノを取ったりして、先生期待の星だったりしたのだ。
もっとも、中学後半から文学にのめり込み、音楽にのめり込んでから、色々別の世界が見えてきて自分の数学はそこでストップしてしまった。
でも、そこまでの理詰めで物事を考えるというのは役に立っていると思う。
知泉を初めとするモノで「統計」を取ったりするのは、完璧に理数系の頭脳の使い方だと思う。
だから、数学を簡単にするというのではなく、いかに答えを導き出すか?という教育が必要だと思ったりするのだ。
▼ニュース:1999/11/5
NHK連続ドラマ「怒る男・わらう女」でボケたふりをする老医者を演じ、健在ぶりを見せている俳優・森繁久彌がボケたふりをして共演の女優・鈴木杏樹、桜井幸子の胸部を大胆タッチ。スカートをはいていた共演者などにはイスに座らせ開脚を命じるなどの「ボケ・セクハラ」行為を連発している事が東京スポーツ紙の調べで発覚。
1999年11月6日(土曜日)バラ園の懸賞 結果発表! |
と言うわけで、9月10月の2ヶ月に渡ってバラ園で開催されていた、懸賞が終了して当選者が発表になった。
で、普通の懸賞ページではやっていないけれど、そこは分析好きの私だったりするので、以下の通りに応募してくれた人を分析してみた。
∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
バラ園大懸賞への応募 ●応募累計634件●
∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
男女・年齢別、応募数分析
┏━━━━━━━━━━━━━┳━━━━━━━━━━━━━┓
┃ ┏━━┳━━┳━━━┫ ┏━━┳━━┳━━━┫
┃ 女 ┃花束┃風呂┃アイス┃ 男 ┃花束┃風呂┃アイス┃
┏━━━━━╋━━━╋━━╋━━╋━━━╋━━━╋━━╋━━╋━━━┫
┃ 〜14┃ 4┃ ┃ ┃ 4┃ 1┃ ┃ ┃ 1┃
┣━━━━━╋━━━╋━━╋━━╋━━━╋━━━╋━━╋━━╋━━━┫
┃15〜19┃ 20┃ 2┃ 7┃ 11┃ 1┃ ┃ ┃ 1┃
┣━━━━━╋━━━╋━━╋━━╋━━━╋━━━╋━━╋━━╋━━━┫
┃20〜24┃ 69┃ 8┃20┃ 41┃ 21┃ 1┃ 4┃ 16┃
┣━━━━━╋━━━╋━━╋━━╋━━━╋━━━╋━━╋━━╋━━━┫
┃25〜29┃133┃29┃25┃ 79┃ 27┃ 7┃ 4┃ 16┃
┣━━━━━╋━━━╋━━╋━━╋━━━╋━━━╋━━╋━━╋━━━┫
┃30〜34┃ 68┃23┃ 8┃ 37┃ 49┃11┃ 3┃ 35┃
┣━━━━━╋━━━╋━━╋━━╋━━━╋━━━╋━━╋━━╋━━━┫
┃35〜39┃ 35┃ 6┃ 5┃ 24┃ 44┃ 7┃ 9┃ 28┃
┣━━━━━╋━━━╋━━╋━━╋━━━╋━━━╋━━╋━━╋━━━┫
┃40〜44┃ 24┃ 8┃ 4┃ 12┃ 36┃11┃ 7┃ 18┃
┣━━━━━╋━━━╋━━╋━━╋━━━╋━━━╋━━╋━━╋━━━┫
┃45〜49┃ 9┃ 2┃ 2┃ 5┃ 21┃ 3┃ 5┃ 13┃
┣━━━━━╋━━━╋━━╋━━╋━━━╋━━━╋━━╋━━╋━━━┫
┃50〜54┃ 6┃ 2┃ 2┃ 2┃ 6┃ ┃ ┃ 6┃
┣━━━━━╋━━━╋━━╋━━╋━━━╋━━━╋━━╋━━╋━━━┫
┃55〜59┃ 2┃ ┃ ┃ 2┃ 3┃ 1┃ ┃ 2┃
┣━━━━━╋━━━╋━━╋━━╋━━━╋━━━╋━━╋━━╋━━━┫
┃60〜 ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ 3┃ 1┃ ┃ 2┃
┣━━━━━╋━━━╋━━╋━━╋━━━╋━━━╋━━╋━━╋━━━┫
┃ 不明 ┃ 27┃ 3┃12┃ 12┃ 25┃ 2┃ 3┃ 20┃
┣━━━━━╋━━━╋━━╋━━╋━━━╋━━━╋━━╋━━╋━━━┫
┃ 計 ┃397┃83┃85┃229┃237┃44┃35┃158┃
┗━━━━━┻━━━┻━━┻━━┻━━━┻━━━┻━━┻━━┻━━━┛
∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
商品のせいなのか女性の方が多く、割合で言うと
▼女性の応募:397名(62.6%)
▼男性の応募:237名(37.4%)
となりました。
応募商品の人気割合ですが
▼バラの花束への応募 :127名(20%)
▼バラの風呂への応募 :120名(19%)
▼バラのアイスへの応募:387名(61%)
となり、圧倒的にバラのアイスクリームが人気を得ました。
次回の『クリスマス&年末年始プレゼント懸賞』の際は、この商品
は人気薄だから当たる確立低いぞぉなどと考えて応募するのもいい
かも知れません。
統計ついでに、都道府県別応募者数は以下の通りになっております。
応募が多かった県、少なかった県の差がこれほどまでハッキリと出
るとは思わなかったのですが、この辺の地域差ってのは当選には関
係ないっす。
北海東北:北海道…17 :青森県…4 :岩手県…3 :秋田県…5
:宮城県…6 :山形県…5 :福島県…7
関東地方:茨城県…8 :栃木県…6 :群馬県…7 :千葉県…25
東京都…88 :埼玉県…44 :神奈川県…45
中部地方:新潟県…5 :富山県…2 :石川県…6 :福井県…5
静岡県…27 :山梨県…5 :長野県…8 :岐阜県…13
愛知県…52
近畿地方:三重県…4 :滋賀県…6 :京都府…11 :大阪府…58
兵庫県…32 :奈良県…8 :和歌山県…4
中国地方:鳥取県…1 :島根県…2 :岡山県…19 :広島県…9
山口県…4
四国地方:徳島県…5 :香川県…6 :愛媛県…9 :高知県…7
九州地方:福岡県…20 :佐賀県…0 :長崎県…4 :熊本県…7
大分県…4 :宮崎県…1 :鹿児島県…3
沖縄県…7
なんともうしましょうか、現代は「個」の時代と申しまして、それぞれが自分の個性を生かしていかに個人としての主張をして、独立した人間かをアピールしていくのが、一番重要な事なのであります。
たぶん・・・・・
しかし、「オレって個性的」と思っている人がいたとしても、果てしなく類型的だったりする。
その人物を校正しているアイテムが、すごく判りやすい形での「やろうと思えば誰だって出来る」と言うアイテムで固められている。
ま、ファッションってのは昔からそーゆーたぐいの物なんだけどさ。
で、しかし個性ってのはいったい何なんだろーかねぇと考えていくと、何もしなくても醸し出されてくるムードってヤツなんじゃないかな?と思うのだが、今の時代いわゆる個性的を目指したかったら「とりあえず金髪」みたいな感じもあったりする。お手軽な個性っす。
個性ってのが、ただ単純に「他者と区別できる部分」と言うのだったら、それも有りだよなぁと思いつつ、街を見ればそんな連中がゴロゴロ歩いている。
で、問題なのがその人物に際だった個性があったとしても、その前に「金髪」とかっていう判りやすい個性が突出しちゃってるんで、一生懸命努力しなくちゃ「あいつの個性は金髪」って所で終わってしまうのだ。
で、個性的を求めて夢を語ったりする人が「326みたいに絵とか詩を書いてみたい」などといった時点でアウトッて感じ。もー、思いっきり今の時代に流されちゃってンじゃん。
※326:読み方は「ミツル」で、19(ジューク)なんてフォークグループの作詞担当だったりするけど、本職はイラストと詩を会わせた書画。
と言っても、イラストはどっかで見たこと有るような物だし、詩に至っては陳腐な遣い尽くされた物だったりする。
それをあえて文章にしてしまう時点でアートになったりするのだ。
少し前に「ヒロミックス」なんて女性頃グラファーが使い捨てカメラとかで撮影した写真で写真展を開催したり、写真集を造ったりしてプチブームが起こった。(今、女の子が常に小型カメラを持ち歩くののキッカケを作ったと言われている)
いわゆるピントも甘いし、被写体も普段着の気負っていない物だったけれど、それを敢えて作品として発表した事に価値があった。
個性とは、人の隙間を探す能力だったりするのかも知れない。
よくあるのが、たわいない事で有名になった人に対して「あの程度なら俺だって」などとグチったりする事。
しかし、その「あの程度」を先に見つける能力と言うヤツが才能なんだと思う。この時代、まったく新しい価値観を持って出てくる人間なんてそうそう居ないって気もするので、この「見つける能力」と言うのがかなり重要なのかも知れない。
個性的ってのは、はみ出す勇気と、こまかい観察眼にかかっているのだ。
ある時、高校時代の友人が会話の中で「そこで俺のツレがさぁ」と言った。
そして自分は「えっ?」と思った。
この「ツレ」と言う言い方に対して、ちょっと違和感を感じて不思議な気分になっちゃったのだ。
その会話に出てきた、友人の「ツレ」とは、いわゆる一般的な友人のことらしかったのだが、どうも勝手な思いこみ的な印象では、思いっきり親密に何か一緒に大きな目的に向かって作業をしている仲間って感じがしちゃったのだ。
その言葉を聞いたのが1980年代の初期頃。
ま、ずいぶん昔の話になってしまったんだけど、その辺りから色々な所でこの「ツレ」と言う言葉を聞くようになった。
いわゆる友達と言う意味で使われているのだが、どーもいつまでたっても不安定な感じを受けてしまう言葉なのだ。
もともと、自分ってヤツは友人関係には希薄な部分があって、子供時代にテレビの中に展開していた「俺達仲間だぜ」的な中村雅俊あたりが出てくる青春共同体ドラマに共感できないでいた。
別に友人関係を否定するワケではなく、自分にだって友人は何人もいるんだけど、「青春共同体」的なべっとりとした人間関係は大嫌いだなぁって子供心に思っていた。
だから「ツレ」と言う言葉にもなんか「嫌だな」と言う印象しか受けていなかった。
この言葉はどっちかと言うとヤンキー系の言葉で、同じように「ダチ」みたいな表現もあった。
なんつーか、あの辺のヤンキーやら、暴走族関係やらを見ていると「何を集団でやってんだか」と冷静になってしまう自分がいた。
常に集団で行動している奴らに対して「うざったい奴ら」ぐらいにしか思っていなかったのだ。
なんか、その辺のうざったさが、ここ数年の携帯電話やらのすぐに連絡を付けられるコミニュケーションツールによって増強されているような気がしちゃうのだ。
常に誰かと繋がっていないと不安になってしまう症候群に左右されている。
なんか、個性を大切にしている時代なんだろうけど、なぜそんなに群れたがるのか・・・どうも理解できない部分があったりする。
▼ニュース:1999/11/8
東京・品川区東五反田の演歌歌手・内田明里の自宅マンションに空巣が入り現金約200万円と2000万円相当の宝飾品が盗まれているのを仕事から帰宅した同歌手が発見し110番通報。
警視庁大崎署の調べではマンション1階の内田の部屋のガラス戸の鍵がこじあけられ金庫内の現金200万円と寝室のクローゼットにあったネックレスや指輪など15点2000万円相当が盗まれていた。同署では窃盗事件として捜査。
▼ニュース:1999/11/8
元ものまねデュオ「しじみとさざえ」のしじみでタレント・けいこが今月5日、群馬県太田市の自宅からJR太田駅に向かう途中、歩道を通行している際に駐車場から公道に出ようとした自動車に真横から追突され車の下敷きになったけいこはそのまま引きずられ胸骨骨折、両ひざ挫傷などを負い全治2ヶ月の重傷。
1999年11月9日(火曜日)聖子ちゃんカットの人達 |
TVで相変わらず、今ぶりぶり言わせているコギャル(と一般的に名称を付けてくくり易い人の中でも、さらに典型的なタイプを抽出して)をテレビに出して、おじさん達に「そんなカッコして恥ずかしくないのかね」「オヤジ達には迷惑かけてねぇじゃん。アタシらの勝手だろぉ」みたいな、遥か宇宙の彼方まで行っても平行線で交わる事のない討論をしているのを、チャンネルを変える隙間にチラと見た。
なんつーか、テレビ局側が意図した番組コンセプトに乗っ取って、意図した通りの罵倒しあいって感じだねぇなどと思ったりしたのだ。
どうせ長く見ていっても、得るものは耳かきヒトさじ程もないと思うのだが、とりあえず見ようと思っていた番組がまだCMだったので、少し見てしまった。
で、その中でほとんど皮膚病なんじゃないか?と思われるようなコギャルちゃんが「だって、オッサン達の時代だって、みんな聖子ちゃんカットとかにしていたんだろ?それと同じだよ」と発言をした。
なるほどねぇ、ま、単純に考えてみれば「その時代の価値観に踊らされて、そんなカッコをしている何も考えていないヒト」と言う意味で同じだったりするので、自分達の事を卑下しているのかも知れないっす。
で、歴史と言うのは面白い物で、あの時代を振り返って見たりすると、その時代ならではの物を記憶の中からピックアップしてしまうのだ。で、そのピックアップした情報の中で、時代として特徴的な女の子の間のブームと言うと《聖子ちゃんカット》と言うキーワードに行き着いてしまうかも知れない。そして、マスコミなどで「あの時代」という映像などで常にそれがピックアップされるために『あの時代は誰もが聖子ちゃんカットをしていた』って事になってしまう。
しかし現実はちゃうのだな。
確かに、現代の女の子の髪型と比べてみりゃ、聖子ちゃんカットの比率はどーんと高かったりするが《誰もが》と言われちゃうと、そーだったっけ?と言う事になってしまうのだ。
今だって《誰もが、顔グロ茶髪ルーズソックス》なワケではないでしょ。確かに目立つけどさ。
目立つヒトは100人の中に5人でもいたりすると、客観的な数値は20とか30ぐらいになってしまうのだ。さらに、そーゆー時代に踊らされるようなミーハーなヒトは、人前に出るのが好きで、意味なく自己主張をしたがったりする。
聖子ちゃんカットの時代だって「おとなしそう」と言うキーワードが表面にあったが、それは「おとなしそうにしているのが今人気!」と言う自己主張を充足させる要素だったのだ。
だから「おとなしそう」な聖子ちゃんカットの女の子は、男にチヤホヤされて「清純派」マスクをかぶりながら、けっこう歴戦の勇士だったりしていた。
で、実は《聖子ちゃんカット》をしていた女の子ってのは、その時代、それとは関係ない所にいた人々からは「ダっサ〜」と思われていたのだ。
もっと、ましな髪型あるだろ?みたいに陰で言われていたのだ。
結局、その特徴的なコギャルとほぼ同じスタンスで世の中に配置されていたとも言えたりする。今だって《顔グロ茶髪ルーズソックス》は、関係ない多くの人からは笑いの対象でしかないんだから。
その時代でしか通用しない価値観って、1秒後には果てしなくダサくなっているから、気を付けてね。
60年代の音楽の話になると《あの時代だれもがビートルズを聴いていた》みたいなコピーになってしまったりするけれど、あの時代の音楽雑誌を見ると、意外な事に1位がウォーカーブラザースだったり、2位がモンキーズだったり、3位がCSN&Yだったりする。
中学生や高校生ぐらいのヒトには『ビートルズって何かゴチャゴチャしてて聞きにくい』とか『なんか深みがないよね』みたいな事を雑誌の人気投票で書かれていたりする。
ビートルズは、その当時、日本で熱狂的に迎えたヒトも多かったが、その逆に耳を閉ざしていた若い世代もムチャクチャ多かったりする。
それが時代を経ると「世界のビートルズだし」「来日コンサートの時は大騒ぎだった」とか、伝説がふくれあがっていったりするんだよねぇ。
今までにも何度か書いていたりするけど、自分は物心付く前に父親を亡くしていたりするので、その動いている姿や声などは全然知らなかったりする。
そして写真もそんなに多く残されているワケではないので、父親だと思っても、果てしなく架空の人物的な印象しかなかったりする。
よく、子供は親を見て育つなどと言ったりするが、実は親を見ないでいても育ってしまう物なのだ。
それは、世にも恐ろしいDNAと言う呪われた血の魔力の元で。
小学校の時代、母親と祖母が朝、家を出て小学校に向かって歩く自分を見て「なんか、あの歩き方っておとうさんにソックリだねぇ」などと言っていたらしいのだ。
それがどんな歩き方なのか、よく分からないが知らぬ間に歩き方が父親似になっていたらしいのだ。
うぬぬ、恐るべしDNA。
でもって、僕は親はなくとも子は育つの言葉通り僕は成長して中学・高校へと進んだ。
その課程で、音楽に目覚めギターをかき鳴らし、絵に目覚め日々カリカリと漫画を書いて、読書に目覚め将来はプロの読書家になりたいなどとワケの分からない事を言っていた。
その音楽・絵・文章と言う3つは結局その後の自分の人生を、進学でも就職でも決定づけてしまったワケなのだ。
今でも、友人のバラ園のポスターを頼まれて書いたり、こうやって文章を日々書いたりしている。
で、子供の頃は子供ながら「父親が居ないって事で母親に肩身の狭い思いをさせちゃいけない」と思って、家の中で父親の話はタブーに近くなっていたのだが、成人した後で、少しづつどんな人だったかを聞くようになって、ちょっとムムムと思ってしまった。
母が嫁に来た頃、友人達を集めての宴会で父親は、スカーフを頭から巻いて女装もどきをして「私はミネソタの玉子売り」などと言う歌を歌い踊っていたと言うのだ。
私のお調子者の血はこんな所に・・・
で、父親は歌が上手でよく歌っていたと言うのだ。
私の音楽好きの血はこんな所に・・・
(母親も女学校の頃、ピアノとかマンドリンとかやっていたらしいけど)
で、父親は絵が上手で祭りの時などは大きなポスターなどを書いて、みんなから絶賛されていたというのだ。
私の絵好きの血はこんな所に・・・・
なんか、色々な話を聞いていけばいくほど、私の行動はDNAによって生まれたときから決定づけられていたような気がする・・・・・。
おそるべし!