< 杉村ぐうたら日記(1999年10月11日〜20日)

▲1999年11月11日:木曜日:ネズミ講じゃありません!
▲1999年11月12日:金曜日:考えるな!
▲1999年11月13日:土曜日:考えない!
▲1999年11月14日:日曜日:ワタナベイビー
▲1999年11月15日:月曜日:パロディ?トリビュート?
▲1999年11月16日:火曜日:ヤラセって・・・・
▲1999年11月17日:水曜日:虚構の方が面白いからしょうがない
▲1999年11月18日:木曜日:雑誌もね
▲1999年11月19日:金曜日:ロックは反体制
▲1999年11月20日:土曜日:年末はじまる
1999年11月11日(木曜日)ネズミ講じゃありません!
 メールマガジン講読者拡大キャンペーンの一環として、某出逢い&仲間募集系掲示板に「読者募集」みたいな文章を書いた。
 で、その時「この手の出逢い掲示板に書くと来ることがあるアレって来るかな?」と思っていたのですが、書き込んでから2日後さっそくありました。
 私が来るかもなぁと思っていたのは以下の文章みたいなメールっす。

突然のメールで誠に失礼いたします。
絶対確実、少資本である程度の利益です。!!
3000円の資本でちょっとしたお小遣いが手に入ります。
比較的容易に金が入ってくる、というメールがある日届きました。
内容を読んでみると、3人のリストに1000円ずつを送るだけで投資額以上の大金(少なくとも30万円以上)を手にすることが出来るという物でした。
『そんな甘い話があるかいな』それが最初の感想でした。
当然でしょう。でも、よーく考えてみると、なかなかしっかりしたマネーゲームだし、はずれてばかりいる宝くじやパチンコに比べたら確率は遙かに高いかも、と思えたので試しにやってみる事にしました。

そして半信半疑で待っていると、3日後に1件の振込が有りました。
次の週には2件の振込、そして1件、・・・・それから数件の振込が隔日で続きました。
2週間を過ぎた頃から2件以上の振込が、ちょくちょく来る様になりました。
馬鹿馬鹿しいと思わないで下さい。
数ヶ月後には、少なくとも貴方の日収よりも多くなるはず…。まあ皮算用をしていても仕方ありませんが…。
これで人生変わるかも!! 気長に続けられて遊び心をお持ちの方だけ。
是非参加して下さい。

ねずみ講とは違うので、捕まることもないと警察関係、または弁護士の友人から聞きました。


★参加方法★

1)先ず、この用紙に書いてあるリストの3人の銀行口座に1000円づつ振込ます。

2)下記のリスト3人に送金した後、リストの一番上の人を削除し、下の人を繰り上げます。そうすると 3番目が空いてきますから、そこに貴方の銀行口座番号を記入します。(こうして順番に上の人が抜けていくので違法性はない、という弁護士の方の説明がありました。)

3)ここからが、貴方の活動です。貴方の加わった新しいリストをできるだけ多くの人にクチコミ、DM、BBS、FAXしたりします。後は、現金1000円が振込れるのを待つだけ。

  ※お金を送らないでリストに自分の名前を載せると、直ぐにばれますから、いろいろな攻撃を受けることになります。良心を持って参加して下さい。

参加して2週間を過ぎた頃から平均して増加してくると、いう話です。
毎日口座残高を確認するのが楽しくなる夢のようなビジネスに参加して、精神的にうれしくなる日々を送りませんか?今すぐコピーして、貴方も参加して夢を実現しましょう。

★リスト★
1.××××× ××銀行 ××支店 普通××××××××
2.××××× ××銀行 ××支店 普通××××××××
3.××××× ××銀行 ××支店 普通××××××××
_______________________
必ず大金が手に入るプログラムです。大切に保存して下さい。
このゲームで一番大切なことは、よく考えてもらえばわかると思いますが、必ず上の3人に1000円ずつ振り込むということです。
「どうせ名前だけ載せてもばれやしないさ」、と思ってお金を振りこまないような人が居てはこのゲームは成り立たないのです。
お金が動かないこということは自分にも振り込まれないことを意味しますよね。そして、上の3人に振り込んだら自分の名前を載せたものをできるだけ多くの人に送らなくては効果がありません。
なぜなら、その人たちが最初に自分に振り込んでくれる人だからです。
100人やそこらではあまり期待できないでしょう。500、1000、・・とガンガン送りましょう。相手のアドレスはネット上で手に入れられるでしょう。(出会い系のサイトとかで)
それでは、お互い資金が振り込まれるのを期待してがんばりましょう!
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
<弁護士の意見>
これはよく言われるネズミ講やマルチ商法ではありません。
以下に書かれていますように会員を鼠算式に拡大させることを条件とする無限連鎖講や連鎖販売取引ではなく、順番に上の人が抜けていくので違法性はありません。

ねずみ‐こう【鼠講】‥カウ
会員を鼠算式に拡大させることを条件として、加入者に対して加入金額以上の金銭その他の経済上の利益を与える一種の金融組織。投機性が強いので法律で禁止。連鎖配当組織。無限連鎖講。

マルチ‐しょうほう【―商法】‥シヤウハフ
(multilevel marketing plan) 商品販売方法の一。物品販売業者とその商品を再販売する者が次々に他の者を再販売組織に加盟させて、組織内での地位昇進から得られる利益を餌に商品の購入や取引料の支払の負担を約束させる形でする商品の販売取引。鼠講式販売法とも呼ばれ、投機性が強く弊害が大きいので法律で厳しく規制。連鎖販売取引。
(広辞苑第四版より引用)
てな感じのメールです。
ま、チェーンメールっすけど、こーゆーのほいほい乗っかってしまう人ってうぃるのかな?
と思いつつ、その手の商売が消えて無くならないって処を見ると、延々と続いていくものなんでしょうかね。
いや〜「しっかりしたマネーゲーム」ですかぁ、なかなかアイディアは面白いよねって感じだけど、これならば確かにトップが基本的に儲かると言うたぐいの物ではないけどなぁ・・・
 で、笑ってしまったのが『ねずみ講じゃありません』って記述。
 これってメルマガの「現代用語〜」の中で【ねずみ講】って項目を書いたけれど、そこには《巧妙になってすぐに見分ける事ができにくいが、唯一判るのは『ネズミ講ではありません』と書いてあること》などと言うネタがあったりする。
 ま、ひっかる人もいるんだろうなぁ
1999年11月12日(金曜日)考えるな!
 オウムが地下に潜ってこの先どのような展開をしていくのだろうか?と思っている間に、またしても新たなカルト集団が出てきました。
 亡くなった人を「まだ生きている」と称してミイラになるまで放置して置くと言うことで、罪状的には死体遺棄って言うのか・・・でも遺棄はしていないから犯罪にはならないのか・・・
 しかし、まだ完全に亡くなっているワケでない人物を病院から無理矢理連れ出して、その結果亡くなったのだから・・・・
 ちと、その辺は難しい問題が絡んでくるので何とも言えないけれど、なんだかなぁって感じがしちゃうのだ。
 その辺のカルトな集団に巻き込まれてしまう人の思考はよく判らないと言うのが、本当の感想。
 自分はどっちかというと、常にどの団体にも所属したくないって言う考えの持ち主で、友達関係でも「こいつ俺のツレ」とか「相方」みたいな発想は凄く苦手だったりする。
 俺は俺ひとりで、ここに立っているのだ!
 と、まぁ実際の事を言えば周囲の多くの人間がいて、自分が存在しているというのはよーく判っている、ひとりきりでは生きていけないってのは、痛いほど判っている。
 が、基本スタンスは「無所属新」なのだ。

 前述のカルトな集団に入るってのは、結局「何も考えなくていい」ってのが大きいんじゃないかな?
 人間だれしも日々悩み、どう生きるのがベストなのか?と考えていると思うのだ。それによって試行錯誤して、失敗したり、成功したり、その失敗をバネにしたり、他人のせいだとなすりつけたり、色々大変だと思う。
 だけど、カルトな集団に入信してグルだとか尊師が決めた教義だとか定説に従っていれば、それだけで徳の高い人間になれたりするのだから、実に単純明快にして判りやすいのだ。
(↓続く)
▼ニュース:1999/11/12
1999年11月13日(土曜日)考えない!
 特に、宗教に入る入り口には《何かについて非常に悩んでいる》《解決の糸口が見えない》などの不安を抱え、深く考え込んでいると言うパターンが多いと聞く。
 そんな人達が、自信満々の人から『◎◎を◎◎すればすべて解決する』と言われれば、ワラにもすがるつもりで、ダマされたと思って入信してしまうのだ。
 でもって気が付いた時は、それが本当にワラ以下で、ダマされてしまったりするんだけどさ。
 しかし、信じていれば救われる。金(お布施)さえ払えば救われるってのは簡単だよね。
 結局の所、《徳》がどーのこーの言っても最終的に物を言うのは《金》って事になったりするって言う、インスタントでコンビニエンスな事に、悩んでいる最中は気が付かないのかも知れない。

 しかし、悩みに悩んでいる人が宗教にのめり込むと言う構造もよく判る。
 つまり、宗教に入ってしまえば、自らが物事を考える手間が省ける、しかもそれによって失敗する事はない。もし失敗した場合は「我々の教義に対して異論を唱えるサタンの邪魔が入った」とでも考えればいいのだから、こりゃ簡単だ。
 オウムにしても、今回のカルト集団にしても信じている人たちが一応にして、異様なほどに自信に満ちあふれた表情をしているってのが、凄く怖いっす。
 目的は1つと決めて、それ以外を全部切り捨てた人は怖いっす。

 ある種、この先、社会が複雑化をさらに増していくとこんな感じに「考えて悩まなくて済む」と言う世界に逃げ込む人がもっと増えていくんじゃないかなぁと思ったりするのだ。
 これって、子供の頃から親に怒られたり、ケンカをして痛みなどを知らない子供が、怒りを一気に殺人の方へ持っていってしまうと言うパターンの「負への抵抗力」を著し無くしてしまう行為と同じなんじゃないかなぁ。
 何にしても「逃げる」ってのはよくないと思うのだ。
 当人達は逃げている意識がないから面倒なんだけどね。
1999年11月14日(日曜日)ワタナベイビー
 「ホフディラン」ってグループ知ってますか?
 たしか「こちら亀有〜」とか「こじこじ」とかアニメの主題歌をいくつか歌ったり、去年の携帯電話の番号の桁が変わるときにCMで歌っていたグループなんですが、凄い嫌いだったりするワケですよ。
 まず音を聞く前に「ホフディラン」ってグループ名を聞いたときに「何んだとぉ」と、思ったわけっすよ。
 なんせ一時期「ボブ・ディラン」にハマった事のある私としては、そのグループ名はなんだよぉと言う感じだったりする。
 学生バンドが学園祭なんかで冗談半分に付けたようなグループ名だよなぁ、よくこれでデビューさせてくれたよなぁ
 などと思ったのだが、ある意味で私みたいな人が注目しちゃったんだから、インパクトと言う点では成功なのかもしれない。
 しかし、この名前で「こちら亀有」の主題歌を歌った時思ったのが「そう言えばこの漫画の作者ってデビュー時期には『がきでか』の作者山上たつひこの名前をパロディにして「山止たつひこ」なんて名前で書いていたよなぁ、さらにそれ以前の雑誌投稿時代は、石森章太郎のパロディで「岩森章太郎」なんて名前で描いていたんだよなぁ」などと思い出した。
 なんか因縁があるのだろうか。

 で、ラジオでその歌声を聞いた時に「ゲッこの歌い方って、思いっきり忌野清志郎の真似じゃん」と思って、2度目の嫌いになったワケであります。

 そして今回、ソロデビューと言うことで、帰り道に聞いているラジオで4日連続でゲスト出演していて、聞くとはなしに聞いてしまった。
 感想は「あの歌い方さえ無ければ曲のライティング能力は高いかもしれない」って感じだった。うーむ、もったいない。
 しかし、20代の頃ちょうどRCサクセションがブレイクして思いっきりハマった事のある私としては、あの歌い方は許せなかったのだ。
 きっと、本人の忌野清志郎だって憤慨しているに違いない。

 と思ったら、曲の中でコーラス参加してんだもんな、忌野清志郎。
 こりゃ、もう公認って感じっすか、それとも後継者っすか?
 そう考えると、自分の中で「OK」になってしまったりするのでありますな。実に単純な話なのですが。
(↓続く)
1999年11月15日(月曜日) パロディ?トリビュート?
 似たような話で、以前、大滝詠一が金沢明子ボーカルで『イエローサブマリン音頭』と言う曲を作った事がある。
 私はビートルズが好きだが、もう完璧に素材としてのビートルズが好きだったりするので、こんな無茶なイジリ方でも大歓迎だった。(大滝詠一マニアって事もあったし)
 しかし、当時のビートルズ信者たちは「あの名曲をこんな風におちゃらけた曲にして、もし作者のポールマッカートニーが聞いたらどう感じると思う!これは日本の恥だ」的なことまでいって憤慨していた。
 なんつーか、ビートルズのハマりまくっているマニアの人たちって本当に怖いっすよ。
 ところが、あるプロモーターがイギリスに言ってポールマッカートニーも参加するパーティに出た時の話し。
 そのプロモーターが冗談半分でこの『イエローサブマリン音頭』を本人に聞かせたところ、ポールマッカートニーは大喜びで「そのレコード欲しい、もっと無いのか?」と大はしゃぎをしたらしい。
 その後、その話が日本のビートルズマニアの間にも流れ、そこで『イエローサブマリン音頭』は容認されたと言う。

 そんな感じかも知れないなぁ
 僕が「忌野清志郎の真似で嫌な感じ」って思ったのと。
br>  でもって、その「ホフディラン」からソロデビューした「ワタナベイビー(表記はWatanababy)」のアルバムには忌野清志郎以外にも友部正人・甲本ヒロト・たま、等々マニア心をくすぐるゲストが参加していたりする。br>  うぬぬオヌシ、って感じなのだ。br>
1999年11月16日(火曜日)ヤラセって・・・・
 最近、フジテレビの「愛するふたり別れるふたり」とか言うのがヤラセ問題で色々あったりして、結局番組を打ち切るらしい。
 でもって「テレビのヤラセは許せない」って事になっている。

 うーむと思ったのが「何をいまさら・・・・」って感じだったりする。

 なんせこの「愛するふたり別れるふたり」の番組最後に出るテロップにある」製作会社『ジャパンプロデュース』ってのだけでも「たぶん大げささはヤラセ」だよねって想うのに十分な証拠だったりする。
 TV番組は基本的に局内で製作を全部している様に想われたりするが、実際は外部の番組製作会社が全部仕切って局に納めると言うパターンも多い。
 で、この『ジャパンプロデュース』って会社、以前もフジテレビの番組『ウォンテッド』と言うドキュメンタリー系番組で過剰演出のヤラセが発覚して番組を打ち切りにしたと言う過去がある。
 でもって、さらに話を過去に持っていくとTBSの「赤城山徳川埋蔵金」もこの会社が絡んでいたし、さらにさらに過去に遡ると『ジャパンプロデュース』の社長は会社設立以前はNTVの「川口探検隊シリーズ」を手がけていた人だったりする。
 つまり「ドキュメンタリータッチの迫力のあるフィクション」を作る事にかけては才能のある人だったりする。

 しかし、この番組がヤラセだったと知って怒っている視聴者もいるらしいが、そんなにこれが現実だったって事が大事なのかな?
 所詮、それを見ていた人は他人の不幸やケンカを下世話な興味で好きだった程度の、いわゆる下世話な人だったワケでしょ。んなもの、どうでもいいって気もするんだけど。
 それ以前に、この番組を見ていた大多数の人は「どうせヤラセでしょ」的なスタンスで見ていたんじゃないの?
 もっとも、今回の場合はこの番組に出演した人がそれがきっかけで周囲から色々言われて自殺してしまったと言う事があったりするからなんだろうけど。
(↓続く)

▼ニュース:1999/11/16
1999年11月17日(水曜日)虚構の方が面白いからしょうがない
 いいとものテレフォンショッキングの出演ゲストは2週間先まで決まっていると言う噂で、前もって関係各位にその情報が流されて、当日のあの大量の花束に結びつくと言うことなのだ。
 以前も大物演歌歌手が友だち(と言う事になっている)芸能人から紹介されると言う事で電話がかかってきた時に
 「明日? ちょっと待って・・・えっとスケジュールは・・・あぁ《いいともね》入ってるよ」と答えたと言う逸話がある。
 これは番組が始まってまだ1年も経っていない15・6年前の話だったので、今みたいに誰もが《笑っていいとも:テレフォンショッキング》の主旨を理解しているワケではない時代の話っす。

 もっと小さなヤラセでは、観覧者込みのバラエティ番組だと画面に映っていない所でADが《拍手!》などの合図を出しているって事だってヤラセなワケだし、何も起こらないリアルドキュメンタリーより、波瀾万丈のヤラセドキュメンタリーの方が見ていて面白いと思うっす。
 だって、ヤラセがどーのこーのって騒いでも、しょせんテレビの中の話でしょ?
 テレビの中の出来事って基本的に、実生活にはそーんなに影響を与えないワケだし、何をそんなにめくじら立てるって気もしちゃうのだ。
 なんせ、現実に起こった悲惨な事件だって視聴者にしてみれば、その瞬間は「まぁ可哀想」と思ったとしても、CMに入った途端に忘れて、次の番組になった時には大口開けて笑っていたりするような物だと思う。
 なんか《ヤラセいけない》と言う怒りのブームに便乗して多くの人が《それはいけない事だよ》みたいに言っているけど、そこまでテレビにリアルな物を求めているかなぁ

 もともと、芸能物とかそーゆー類の物には《脚色》と言う物が付いてまわる。今の言葉で言えば《ヤラセ》に当たるのはこれだと思う。
 江戸時代から、近松門左衛門の書いた芝居などが『実録物』として上演され、大ヒットをおさめていたりするけれど、これなんかは当然の如く脚色が多分に入っている。
 脚色がなければ事件なんて結局、単純な物なのだ。いわゆる有り触れた痴話喧嘩が元になっていたりするので、そんなの誰も見ないっすてな感じだったりする。
 つまり日本の(外国も同じような物だけど)芸能の根本はリアルに見える虚構を楽しんできたと言う歴史がある。
 それ以外に『偉人の伝記物』と言うジャンルも、現実とはまったく違う脚色が紛れ込んでいる。
 かの有名な《ニュートンはリンゴが落ちるのを見て引力を発見した》みたいな話だって、後世の伝記作家がニュートンの伝記本を書くときに「実験室で引力の原理を考えたのでは、絵にならないなぁ」と言う事で考え出した物で、それが他の作家が書くときに引用されて、今や政府が認める教科書にも載ったりする話になっていたりする。
 さらに、そのニュートンが引力を発見した時のリンゴの木と言うのが何故か現実に存在する様になって、その分けた株が日本に持ち込まれて生えていたりする。
 日本物でも、薪を背負いながら勉強した二宮金次郎とか、暴漢に刺された時に「板垣死すとも自由は死せず」と叫んだ板垣退助とか、全部作り話だからね。
 それ以外にも、架空の伝記話は山のようにあったりする。
 それは単純に「リアルで平板な話」より「起承転結のハッキリした波瀾万丈な話」を世間が求めていると言うニーズがあるからこその話なのだ。
1999年11月18日(木曜日)雑誌もね
 雑誌なんかでも《街角で見つけた美人コンテスト》なんて企画があったりすると、その中の多くがモデル事務所なんかに所属していたりするのは、お約束だったりする。
 エロ系雑誌なんかの、街角で声を掛けて「あなたのオッパイ見せてください」なんてのは、完全にそのパターン。
 だけど、その手の雑誌が出回って、さらにカメラマンが本当に街頭で声を掛けて「こんな風にけっこうみんな気軽に撮影に応じているんですよ、青春の記念にどうです?」などとヤラセで作った雑誌を見せながら言ったりするモンで、ヤラセでなく本当に引っかかって撮影に応じてしまう人も最近は増えているらしい。

 ま、要するに制作者としては芸術作品やドキュメンタリーを作っているワケでなく、その回を埋める事が出来ればいいわけで、この先もドキュメンタリーの名を借りたヤラセは無くならないと思うのだ。

▼CM:作り込んだ物ならいいのに

▼ニュース:1999/11/18
1999年11月19日(金曜日)ロックは反体制
 1999/11/12のニュースに書いたけど、今上天皇(今の天皇の事ね)即位10周年記念の祝奉曲をYOSHIKIが作曲して演奏までしたって事に関して、朝日新聞の中で東京大学の教授とかって人が
 「ロックミュージシャンなのに、天皇のために作曲し演奏をするのはロックの精神に反しているのではないか?」
 みたいな事を書いたのが掲載されたらしい。
 なんか凄いっす。
 60年代後期のイデオロギーばっかりが突出して、音楽的にはキツかったロック時代を未だに引きずっているか。
 ひさびさに聞いたぞ『反体制』

 そんなのは70年代に「メッセージなんてダサいよね」と言う風潮で終わり、80年代に入ってからは横浜銀蠅に代表されるようにビジネスとしての「純粋無垢な報われない青少年をアジテーションする商売」として機能したロックミュージックで見事に終わっているよ。
 90年のロックはみんな「いい子」なんだから。
 GLAYなんか聞くとその辺はモロで、『ふるさと』や『母の愛情』や『懐かしい友』がテーマだったりするワケで、どこにも反体制なんて言葉は存在していない。

 結局、その程度の認識っすか、東京大学の教授の考えは。さらにそれを掲載してしまうって言う朝日新聞の「何か考えているフリをして、その実、何も考えていない」っぷりが発揮されている。
 もう、あと1年で21世紀だってのに、未だに30年以上前の事を引きずっているって・・・・
1999年11月20日(土曜日)年末はじまる
 何気なく家を出て、いつも通りに車を走らせていた。
 と、突然カーブを曲がった辺りで目の前に長い車の列が・・・・
 毎日通勤で使っている道なのだが、朝のラッシュ時でもこの道が渋滞しているのなんて見たことないぞ、と思いつつ渋滞のいちばん後に並んだ。
 また交通事故かなぁなどと思いつつ、ノロノロ進む渋滞に従っていたのだが、その渋滞の原因は「工事」だったのだ。
 おいおい、通勤ラッシュの時間は避けてくれよぉと思ったりするのだが、そんなのお構いなしでズガガガガガガと工事は進んでいた。

 そして「あぁ今年も年末がやってきたのかぁ」などと実感しちゃったりするのだ。
 この年末のあわただしい中、イメージとしてはみんな車の中で渋滞に巻き込まれてイライラしていると言う物があるが、結局忙しく出歩いているから渋滞しているのではなく、工事をしているから渋滞しているのだ。

 まったく、あっちを掘って埋めて、あっちを掘って埋めての繰り返しで、結局道がデコボコになってしまい、今度はそれを平らにする為の工事が始まって・・・それが終わったと思ったら、また掘っては埋めて・・・・
 もしかしたら、この掘って埋める作業は水道管とかの工事が目的ではないのでは? などと思ってしまったのだ。

 実はその裏では糸居重里が糸を引いて、秘密裏に「この付近に徳川の埋蔵金が埋まっているという噂がある」と言う『埋蔵金極秘プロジェクト』が進行しているのはないか?などと思ってしまったのだ。
 そうでもしない限り、道が出来たり家が出来たりした場所を掘り返す事はできない。
 きっとそうに違いない。
 などと、あまり動かない車の中で考えたのだ。