< 杉村ぐうたら日記(1999年11月21日〜31日)

▲1999年11月21日:日曜日:どひゃ〜っといく
▲1999年11月22日:月曜日:日本中心に世界は回る
▲1999年11月23日:火曜日:コントロール
▲1999年11月24日:水曜日:ボールペンを使い切った日
▲1999年11月25日:木曜日:苗字無し
▲1999年11月26日:金曜日:プッチモニ・・・
▲1999年11月27日:土曜日:信じるダイエッター
▲1999年11月28日:日曜日:電話1本
▲1999年11月29日:月曜日:DVでSpecialなEditionをする人
▲1999年11月30日:火曜日:猫に小判
1999年11月21日(日曜日)どひゃ〜っといく
どうにもこうにもビックリしちゃったね。
何がビックリしちゃったかと言うと、この日記をリアルタイムで読んでいないと意味が判らないけれど、気が付いたら日記を1ヶ月以上更新していなかったと言う事実に気が付いたのだ。
 ありゃりゃ、と思ったのだが「それでは一気に発表するぞ!」と行かなかったのは、基本的に発表できる状態ではないのだ、と言う事実があったりするのだ。
 とりあえず、その日に心に留まった事があったら箇条書きにしてメモを残しておく、それを少し時間に余裕がある時にワッセワッセと文章に起こして発表する、と言う方法を採っていたりするのだが、そのメモ状態のまま1ヶ月はあっと言う間に過ぎてしまったと言うことなのだ。
私の目の前には、モニターの中には、約40編のメモがある。
うーむ、と思ってそれを一気に書き始めているワケなのだ。
基本的に何を書いてどーしてこーしてうんぬんうんぬん、と言うのは頭の中にインプットされていたりするので、それを組み合わせてちゃんと読める物にすりゃいいのだが、基本的にと言うか、物理的に40日分の日記を一気に書き上げるのにどれくらいの時間を要するのか、皆目検討がつかないと言うのが実状なのだ。
 なんつーか、夏休みの日記をさぼって31日近くになってあわてて書いているような、まったくもってな私なのだ。
 しかし、今年の日記の冒頭にもそんな事を書いてあったような気がする。なんか毎月、そんな事を書いていた様な気がする。
 凄いねどうも「雀百まで踊り忘れず」ってヤツだね。昔の人はいいこと言うよね、感心感心。
(この日記はメモも構想も無しで、5分24秒で書き上げました、ってそんなこと自慢してどーする。来年は真面目になろうと誓うのであった)


▼ニュース:1999/11/21

▼ニュース:1999/11/21
1999年11月22日(月曜日)日本中心に世界は回る
 どうも昔から怪獣は何かってぇと日本に上陸して暴れ回り、日本に駐在していた正義の味方なんかがディヤァ!と倒して話は終わる。
 もうちょっとワールドワイドな話でも世界各地でと言いつつ、最後の戦いの場所は日本だったりする。
 いやはや、日本というのは怪獣のメッカっすね。
 最近は北朝鮮なんかにも怪獣が出現するらしいけど。

 これは番組を見ているお子様が《世界》と言う漠然としたスケールを把握できない為に、日本で戦うしかないってのと、予算の関係でしかないんだけど、やっぱしアメリカで作るものもそんな感じだったりする。
 インディペンデンスディなんかも、世界規模の事件が起こっているけれど結局はアメリカがなんとかして世界の危機を救うと言う話になっていたりする。

 ま、国粋主義者じゃないけれどそんな物なのだ。
 いきなり日本のヒーロー物で、最初から最後までスペインで事件が起こって現地の主人公が変身して戦うドラマを見せられても、そりゃ盛り上がらないっす。

 しかし、中には本気で《すべての文明の発端は日本である》とか、《全ての歴史の集約されているのは日本である》とか考えていたりする人もいる。
 いわゆるトンデモ本の中でもそんなのが紹介されているけれど、某研究者は「日本の古い書物、たとえば『古事記』などはロシア語で読解する事が出来る」と言う説をぶち挙げた。
 うーむ、と言うことで読んでいくと日本語とロシア語には発音のニュアンスが似ていて意味も類似している言葉がいくつもある。と言うことで羅列してあったんだけど、どうも無理なこじつけ臭い。

 で、その研究の結果、古来日本はロシアなども含んでいてその為にロシア語に共通の言語が残っているのだ。
 などと言っていたりする。
 が、ちょっと考えると、その発端になった『古事記』をロシア語で読めるって事は、逆に《古来、日本はロシアの一部だった》となってしまうのが当然の考えじゃないかなぁ・・・
 でも、あくまでも日本中心にしか考えることが出来ないみたい為に「ロシアは昔、日本の一部だった」と言うスタンスになるらしいのだ。

 ま、どっちにしても無理がある話なんだけどね、なんせ古代に共通だったハズなのに、文明開化以降に出てきた物の名前までが「共通」と言い張っているんだから。


▼ニュース:1999/11/22

▼ニュース:1999/11/22

▼ニュース:1999/11/22
1999年11月23日(火曜日)コントロール
 自分の中で今年のメインテーマはいつの間にか《メールマガジン》って事になってしまったっす。
 基本的に、自分はあんましハイテクだったりする人ではないので、インターネットってのは水と油みたいな物なのかもしれないけれど、この《文章で勝負》と言う世界は、ハイテクのどまんなかにいながら、実にローテクでアナログな感じだったりするのであります。
 なんせメールマガジン上には基本的に文字&記号しかない。
 それ以外のものは、色でさえも排除した状態で勝負しているのだ。

 でもって、最初は「今まで書いた雑学を切り貼りした状態で毎日配信してりゃいいや」ぐらいの軽い気持ちで始めた《知泉》ですが、いつの間にやら毎日編集編集の怒涛の投稿雑学マガジンに変貌してしまったのだ。
 なんか創刊当時と今ではコンセプトが違うぞって気もするが、それはそれなりに面白いっす。

 で、投稿された情報を掲載すると、さらにそれに対しての情報も来て、どんどん雪だるま式になっていく。ってあたりが、編集している人にとっても先が読めない面白さがある。
 多くの情報を羅列して、ふと気が付くとその中にある種の法則を発見したりする。なんつーか、雑学の基本「知る楽しみ」ってヤツがそこにはあったりする。
 でもって、良い事ばかりではなく、書いた雑学に対して「それ間違っているよ」と言うメールもいくつも寄せられる。
 それはそれでしょうがないし、情報を提供する側としては間違った情報を流してはいけないと思ったりするので、それも掲載すると言うスタイルでやっている。

 別に批判するワケではないが、某雑学系メールマガジンでは以前も書いたけれど「空想科学読本」と言うウルトラマンがマッハで飛ぶと首が・・・とかを解説した本から、1字1句変えないまま丸移ししただけの物を掲載した物もあった。
 で、それに関してたぶん批判メールも大量にあったと思うのだが、まったく誌面を見ているだけでは何事も無かったかのように、その後も(さすがに前述みたいな丸写しは無くなったけど)毎号発行されていたりする。
 その時点で読者数が2000ぐらいあったから、誰かが気が付いていると思うのだが。

 つまり、この「何も無かった」と居直って発行し続ける事ができるメールマガジンの編集ってのは、編集者がいくらでもコントロール出来るって事なので、怖いかも知れないと言う事なのだ。
 某問題を抱えている「告発」をテーマにしているメールマガジンでは、それまで一般的な理論では荒唐無稽な問題提議をし続けていたのだが、私なんかは「そりゃ無いだろ」と言うスタンスで読んでいたのだが、誌面を見るとその意見に賛同して応援するメールを紹介したりしている。
 うーむ、確かにどんな変な宗教にでも信者はいるわけだし、賛同する人もいるだろうなぁと思っていた。
 が、ある時突然「今まで私は、他人の掲示板に名前を偽って攻撃的な書き込みをしたり、読者投稿の文章を自作自演していたので、疑われても仕方がないのですが」などと書き始めたのだ。
 そんな文章を書き始める理由が全然見えないのだが(この人の文章は脈略がないのがパターンなのだが)突然、衝撃の告白されてもなぁ

 ま、個人レベルでの編集なのでいくらでも読者をだまそうと思えばダマせるというのが恐ろしいメディアなのだ、メールマガジンをも含むインターネットという世界は。
1999年11月24日(水曜日)ボールペンを使い切った日
 今日、すごい事が起こった。
 なんとボールペンのインクを使い切ったのだ。

 ま、世間レベルで考えたら全然問題にならない出来事なのだが、なーんか久々に「使い切った」という満足感があった。
 だいたいにしてボールペンなんてものは、インクが出なくなって放棄されてしまうか、どっかに行ってしまって見あたらなくなってしまった、という2つのパターンで終了してしまう事がほとんどだと思っていた。
 しかしですよ、今回みごとにインクが全部無くなった状態でフィニッシュを決めたのだ。

 と言うのは、実はそれまでのボールペンと最近使っているボールペンはインクの種類が違うから出来る事だったりする。
 いわゆるゲルインクと言うヤツで、それまでのボールペンのインクより万年筆のインクに近いなめらかに流れ出るようにスラスラ線が出てくるタイプのボールペンなのだ。

 どっちかと言うと、自分は線を引く速度が速い為に、それまでのビールペンだと線がかすれてしまう事も多く、それを防止するためにゆっくりペンを運び、結局、いつも以上に変な字を書いていたり、絵を描いた場合線に勢いがなく死んだ絵になってしまっていた。
 ところがゲル状インクの場合、かなりのスピードにも線が付いてきてくれるのだ。シャッカシャッカシャッカと速く線を引いても大丈夫って事なのだ。

 が、難点もあって、そんだけ流れるように万年筆のようにインクが出ると、インクがすぐ乾いてくれないので、汚れてしまう事もある。
 ま、その辺は気を付ければいいわけなので、最近は愛用している。

 そのボールペンのインクが使っている内に最後まで達したのだ。
 なんか最後まで使い切ったって事が、嬉しかったっす。誰にも理解されないような喜びなんだけどさ。
1999年11月25日(木曜日)苗字無し
 なんつーか、ここの所の日本ポップス界を見渡すとなんか同じ様な名前が並んでいて、どれが誰の曲だっけ?と言う状態になりつつある。
 いわゆる、多くが苗字なしのアーティスト名で、しかもみんなアルファベット表記。
 パターンとして女性はソロボーカリストの場合、男性はバンドのメンバーの場合。
 ま、5年前ぐらいからその傾向は見えていて、バンドのメンバーの場合は顕著だった。
 YOSHIKI・TOSHI・hideなどからHISASI・TERU・JIROなどなど、女性の場合もCOCCO・hitomi・YUKIなどなど、最初は区別ついていたが、出てくる人出てくる人、みんなアルファベットの名前表記だから全然区別つかなくなりつつある。
 バンドメンバーの名前なんて、たぶん重複していたりすると思う。

 いわゆる最初は「他者と区別する」と言う目的があったのだろうけど、今となってはその他大勢に隠れる為になっているような気がする。
 それの元祖は1970年代のリリィあたりだろうし、定着したのはREBECCAのNOKKOだと思うのだ。

 でもNOKKOはそれがいやなのか表記を「のっこ」にした。

▼改称:戻る

▼ニュース:1999/11/25
1999年11月26日(金曜日)プッチモニ・・・
 今から10年ほど前ぐらいから日本の音楽界は変化し始めた。
 それまでの『THE芸能界』がヒットなどの流れをコントロールしていた時代は終わり、いわゆるアーティスティックな動きを見せる歌が指示され始めてきた。
 そこで、戦後から続いてきた『THE芸能界』的な音楽は終焉を迎えたのであった《完》。

 と言われてきた。  その今から10年前、時代も昭和から平成に移り変わった頃の音楽界はどーだったのか?と言うと、80年代のアイドル歌謡曲がメインだった物が「おニャン子クラブ」と言う《歌謡曲ってどーしよーもなくチャチで安易で三流だよな》と言う部分を前面に押し出した様な音楽に席巻されつくした。
 今聞くと、かなり安易で恥ずかしい楽曲が揃っているが、その当時でさえ「恥ずかしい」と思っていた。しかし、その「恥ずかしい」部分が好きだったので中古でレコードを揃えたりもした。(誰のファンと言うのも無かった)  しかし、その手の楽曲がチャートの1位を独占するっていう事に関しては、疑問を持っていた。
 そんな安直アイドル歌謡曲が音楽界を席巻した次の瞬間、いきなり「アイドル歌謡曲」と言うジャンルが消滅したのだ。
 あまりに席巻しつくした為に、世間が飽きたのか、それとも音楽を聴く世代がガラッと変わってしまったのか、その辺は分からないのだが、世間一般で言われていた「アイドル歌謡曲」は冬の時代に突入してしまったのだ。

 その時期にタイミング悪くデビューした高橋由美子と言うアイドルは「最後のアイドル」などと雑誌で書かれていたほど、世間はアイドルに興味を失っていった。
 その最後のアイドルと言われた高橋由美子は、その時代CMでも売れないアイドル役で営業からステージ衣装のまま帰って来て、4畳半でカップラーメンを食べていたし、最近は「お疲れねえ」などといって崩れたアイドルの末路を演じていたりする。
 同時期にデビューしたSMAPなんかも、デビューから数年間は全然ヒット曲が無く、デビュー5年目ぐらいでやっとチャート10位内に入る曲(10$)を出せた。

 で、アイドルの変わりにやってきたのが本格派の時代といいつつ、結局はカラオケ用音楽の時代だった。
 それでも、この10年間にデビューしたアイドル的スタンスの人は、女優やバラエティでは成功しても歌手としては全然な状況が続いていた。
 鈴木蘭々・辺見えみり・中山エミリ・内田有紀・その他大勢。

 で、モーニング娘。がTV番組がらみでデビューし、久々のアイドル的な音楽でヒットした。
 といいつつ、やはり80年代までのアイドル歌謡曲とは全然違う者だったりする。やっぱし、時代はそーゆー風になっているのかぁ、もうちゃちな音楽は出てこないんだろうなぁと思っていた。

 そんな事にモーニング娘。からのユニット「プッチモニ」だったりする。
 思いっきり歌謡曲というより、悪夢のおニャン子クラブがシングルを乱発していた時代の1曲と言う感じの、へなへなな後に何も残らないような曲。
 最初聞いたときに、おいおい、これってムチャクチャ曲として恥ずかし過ぎないか?と思ったのだ。

 が、結局数週に渡ってチャート上位にとどまっている。
 なんだかんだ言っても、世の中は「チャチな歌謡曲」を求めているんじゃないの?
 ただ、それが「つんくが作った」とか「ASAYANがらみ」とか「モーニング娘。」がらみってブランドがあったから流行ったと思うけど。(露出度と浸透性の部分で)

 ラジオから流れてくるこの曲を聴いて、リズム&ブルースがどーの、レイヴがどーの、とか言っていても一般庶民が好きなのは、無責任なその場限りの悦楽的歌謡曲なのだなぁと考えたのだ。


▼だぞ:南ちゃんを探せ
1999年11月27日(土曜日)信じるダイエッター
 『浜の真砂は尽きるとも世にダイエッターの数は尽きるまい』
 と、ほとんど引用した元ネタが判らないと思いますが、そんなワケでまったくもってダイエットというのは現代における一代ビジネスだったりします。
 いわゆる「ダイエット本」と言うヤツは、毎年毎年形を変えて、と言うか作者だけを替えて出てくる。
 今年なんかも、ブタにブタと言われて憤慨した元フィギアスケートのオリンピック選手が憤慨して、ダイエットに成功しちゃったもんで、さっそく本を出したりした。
 あとは番組の企画なんかでも、TOKIOの山口達也がダイエットしたり、「進ぬ電波少年」の『浪速恋しぐれ』でもダイエットが話題の中心になったり(本来の目的は違うような気がするが)、あとはアニマル梯団のコアラが番組でダイエット企画をやってそれのコーチとして出てきた三原順子とつき合ったり、SMAPの香取慎吾がドラマの為に10キロ落としたとか、色々なダイエット記録が芸能ネタになったり番組ネタになったりした。

 そのくらいに、ダイエットと言うのは多くの人の関心事項だったりする。
 ま、これらの人々がダイエットに成功するってのは、あまりに多くの人に向かってダイエットをしていると宣言した為に引くに引けなくなってしまったりする結果だと思うのだ。
 なんせ「痩せる」って事がお仕事で、さらに成功すればそれに付随した多くのお仕事が派生すると言うのが見えているから、頑張ってしまうのは当然だと思うのだ。

 それが一般の人の場合、普通に生活していればなかなかダイエットばかりに頭を使っていられなかったりするのだ。
 特殊な食事だって、それを準備する労力が大変だったりするし、ダメで元々みたいな考えもあったりするので、そんなに真剣にはなれないと思うのだ。
 だから、ダイエットに成功した芸能人は無理をしたあと、見事なリバウンドをしてしまうのだな。

 しかし、ダイエット物の本で「それは反則だろ」と思うのが、かつてヒットした俳優「川津祐介」の本と、発光物体「鈴木その子」のダイエット本。
 なんせ、この二人はそれ以前のどの時点でも「太った経験がない」のだ。
 そんな人のダイエット本って、どんな人にどんな効果があるの?
 こんな食事をしているから私は太らないとでも言うのかな? それは、それ以前にその人の体質って物が一番意味しているような気がするんだけど。

 しかし、これまで色々なダイエット本が出てきて、そして消えていった。
 カチンコチン体操ダイエットだとか、月見草オイルダイエットだとか、林檎ダイエットだとか・・・・

 で、最近TVで見たのは「朝はスープなどの流動食・昼はそばやうどんなどの麺類・夜は油物や肉物でも甘い物でもガバガバ食べてもよい」と言う意表を突いたダイエット。
 なんでも、朝と昼の軽い食事になれてしまった胃袋が、突然カロリーの高い食物が入ってきても順応できずに、多くが吸収されない。しかもたくさん食べたいだけ食べる為にストレスも貯まらずに精神的にもリラックス出来るので、痩せることができる。らしい・・・・・・

 意表をつきすぎて反論も出来ないや・・・
 なんか、そんなのに賛同する人居るのか?とか思ってしまうけれど、もしそれに賛同してしまう人が多くいたりすると、最終的にカルト教団になってしまいそうな説だよなぁ
 普通の人は信じることができないようなデタラメを言っているのに、それにホイホイついていく人たち。しかも痩せたいと言う、病的な弱みにつけこんで説教を始めると言う手口は・・・・
 例の「足の裏を見ればピタリと」と言うあの教団だって、5年ぐらい前にはTVで「足の裏で健康診断が出来る」みたいな感じで紹介された事がある。それから驚異的に信者を増やしたんだからねぇ。
1999年11月28日(日曜日)電話1本
 これまで何度か書いたけれど、携帯電話に無作為で打ち込んだと思われる「メル友募集中」みたいなスカイメールが飛び込んでくる。
 それ以外にも、登録していない(つまり親しい知り合いではない)電話からコールがあり、受けて「はい杉村です」と答えた瞬間に切れる電話が何度もある。(つまり電話に出たのが男だからね)
 なんか、そこまでして新しい友達ほしいかね? 新しい出会いを求めているのかね? と思ってしまう。

 そんな感じなので、携帯電話を起きっぱなしにして出かけていると、その手の「知らない電話番号」から掛かってきた着信記録が残されていることがある。そんな電話は基本的に、コールしただけで声のメッセージなんかは入れてない。
 先日も、気が付いた時には「着信1件」と表示されていた。が、知らない電話番号だったので無視をしていたのだ。

 そんな事より私は11月2日から待っている電話があるので、そんな電話には構っていられないのだ。
 その電話とは、実は11月2日、今から3週間程前、ついに「iMAC」を注文してしまったのだ。それも最新トップクラスの「DV Special Edition」と言うヤツなのだ。いやはや、ついについにですぜ。
 といいつつ、その機種は人気があるので完璧な品薄なので「ま、11月中には入ると思うんですけどね」と言う状態で電話待機だったのだ。
 注文から早3週間以上、約束の11月もあと少しで終わる・・・・。

 そんな感じで、この日曜日、まいどおなじみの杉山バラ園にいってほけーっと時間をつぶしていた。
 そこで「なんか相手が判らない電話が多くてさぁ」と言う会話になって、携帯電話を出し、そのナンバーを表示してみた。
 と、その多くが090で始まる携帯電話からの物だったが、1つだけ普通の電話だったのだ。

 「このナンバーって・・・沼津?」
 「いや・・三島じゃないか?」
 と言う事で最終的に「もしかしたらこれってiMAC入荷のお知らせの電話じゃないの?」
 「でも普通、これって電話に出ない場合は留守電になっているんだぜ、そんな電話がメッセージを入れずに切るか? しかもこの電話があったのは水曜日だぜ、もしそうだとしたらその後また電話があるんじゃないの?」
 と言いつつ、その電話に繋いでみた・・・・あ・・・・

 見事にその予想は当たり、「はい入荷しております」だとさ。
 もし気が付かなかったら、永遠に私はジジイになるまでiMACを待ち続けていたかもしれない。

 それってあり?

▼ニュース:1999/11/28