< 杉村ぐうたら日記(1999年12月11日〜20日)

▲1999年12月11日:土曜日:芋を掘る
▲1999年12月12日:日曜日:筋肉痛・・・・
▲1999年12月13日:月曜日:化学物質
▲1999年12月14日:火曜日:増加の一途18000000
▲1999年12月15日:水曜日:特番シーズン
▲1999年12月16日:木曜日:芸能人のランク
▲1999年12月17日:金曜日:筋肉痛その後
▲1999年12月18日:土曜日:レコード会社設立って・・・・
▲1999年12月19日:日曜日:今年
▲1999年12月20日:月曜日:火事なのだ!
1999年12月11日(土曜日)芋を掘る
 実は我が家は基本的には「農家」という分類される家らしい。
 が、私は思いっきりディスクワークの人だし、日々会社に通っていて最後に土をいじったのもずいぶん昔の話と言うことになる。
 しかし、元々農家って事もあっていくばくかの田畑を所有していたりするのだが、それも家庭菜園を作りたいと考えている人に格安で貸し出していたりする。
 でもって、残った場所で母親が趣味的に野菜などを作ったりしている。

 亡くなったおばあちゃんによると「杉村家は豪農で、たくさんの土地を所有していたんだよ」との事だが、約100年の間に見事なほど規模が縮小され、寂しい事になっている。
 それもこれも、現在の当主である私のふがいなさが結実した物かもしれないっす。
 てな事で、母親が畑を作っていたのだが、先日、その母親がバスから降りるときにステップを踏み外して捻挫をしてしまい「畑にいくのも辛い」ということになってしまった。
 でもって、霜が降り始めたから栽培していたサツマイモがだめになってしまうと言うことになったのだ。
 そこで、暇な時に家庭菜園がわりにやってきて野菜を貰っていく姉貴が「じゃ、今度の土曜日に芋掘りにいくよ」という事で、私も引きずり出されることになった。

 実は、金曜日の夜は会社の仕事で10時過ぎまで、かなり根を詰めた作業をしていてヘロヘロだったのだが、有無を言わさずと言うかんじで、姉貴に「あんた長男でしょ」と言われてしまったのだ。

   でもって、クワを使って土を掘り起こし、わっせわっせとサツマイモを掘り出す。
 ワッセワッセワッセ・ワッセ・・ワッセ・・・ワッセ・・・・ワッセ・・・・・ワッセ・・・・・
 最初はふんがーっと頑張っていたのだが、次第に体力の限界に達し、風は冷たいと言うのに汗はだらだらで、息はぜぃぜぃで、足下ふらふらで、視線はぐるぐる状態になってしまったのだ。
 その作業のスタートから、時間にして約5分、距離にして5m、見事なほどに体力が無いってことを露呈してしまったのだ。冗談抜きに足下がふらふらしちゃって「もー立ってられないっす」と言う感じで、それを見ていた姉貴に「まったくもーしょうがないねぇ、ちょっと貸してよ」とクワを取り上げられてしまったのだ。
 ガシガシとサツマイモを掘り出す姉貴から少し離れた場所にしゃがみ込んで、しばらく息を整えていたのだが、姉貴の作業を見ているといとも簡単そうに見えるわけで、あっという間に自分がぜぃぜぃしながら掘り起こした5mを越えて、さらにがしがしと掘り起こし続けている。
 うーむ・・・・。

 という所で姉貴が「休んでいるんだったら、掘り起こしたサツマイモを拾い集めてよ」と指示を出されてしまったので、よっこらしょと立ち上がって・・・・・・ぐるんぐる〜んと、突然目の前が歪んで上と下の感覚が無くなって・・・
 うわったっった・・・・と、あやうく倒れそうになった所をふんばって事なきを得たのだが、見事な程の立ちくらみを体験してしまったのだ。

 なんつーか、昔から体力の無い子供だったけれど、近年はさらに拍車をかけてしまったと言う感じなのだ。やっぱし真剣に体力増強大作戦を決行しなくてはいけないかもしれないと感じた、初冬の日だったのだ。
1999年12月12日(日曜日)筋肉痛・・・・
 そんな誓いを立てたのもつかの間、私は今、筋肉痛でロボットのような歩き方をしている。
 ギシギシと体中の関節をきしませながら、うぃぃぃんうぃぃん、ぱしゅっぱしゅっと、吹越充がやっていたロボコップの真似状態になっているのだ。
 最近コロッケのネタになっているけれど、あれはワハハ本舗出身の吹越充の芸だぞ。

 などと思いながら、ギシギシと動いている。
 昨日の誓いもすっかり忘れて、もう下手に運動なんてしねぇぞ!などと思ったりしているのだ。
 私は優柔不断な方面、やる気のない方面、いい加減の方面に関しては意志が固い。これっ!と思った事に関しては激しく「やらない」と言う意志を貫き通す。
 ネガティブな方向に向かってポジティブなのだ。

 その筋肉痛の中で考えた事は「でもさぁ体を使った翌日に筋肉痛になるって、けっこう若いじゃん」などと言うことだった。と言うか「若いじゃん」と思う事自体がジジイなんだけどさ。
 よく聞く話では地域の運動会なんかで家族揃って張り切った翌日、子供が「体痛い」なんて言っているのを後目に「おまえら普段体を鍛えてないからだよ」などとパパが大いばりしたりする。
 実際の事を言えば、普段会社勤めをしているパパが運動なんてしているハズが無いのだが。
 などと言っていて、忘れた頃の運動会から2日目の夜「なんかだるいな」と思いながら、3日目の朝「かっ体がぁぁぁ!」などと激しい筋肉痛に襲われたりする。
 そんな事なく、私の場合正しく翌日筋肉痛になったので、体はまだまだ丈夫と言う事になるのだ。
 というか、実際の事を言えば昨日の畑仕事程度では普通の人は筋肉痛にはならないと思うが。

▼電波:それも一種のストーカー

▼ニュース:1999/12/12

▼ニュース:1999/12/12
1999年12月13日(月曜日)化学物質
 なんか文部省調べとかで、数学や物理なんかが大嫌いな子供が多いと言う結果が出た。
 っていうか、それって昔からでしょ?

 私らの高校時代にも「物理?んなもの役にたたねぇよ」と言う意見が出ていた。しかも、その物理教師が実に漫画的に嫌なヤツで、全生徒が嫌っていた。
 そのために、試験とは別にあったレポート提出ってヤツをみんなで無視しようぜ!と言う事になってしまったのだ。
 そのころ自分は、部活とは別に学校に逆らって勝手に作ったアニメーション同好会と言うヤツで精一杯だったために詳しい話をしらないままに、賛同せざるを得ない状況になっていた。
 このアニメーション同好会ってのはいわゆるテレビアニメをみて「いいっす」とか言っている物とは180度違うもので、コマ撮りのできる8mmフィルム(ビデオじゃないっす)があったので、それを使ってアニメーションを作ろうと言う趣旨の物だった。
 しかも金が無いので、全編、背景も紙に書いた物を動かそう!と言うものだで、思いっきりヘビーな物だった。(おかげで完成は高校時代には出来ず、美術学校に通って2年目まで掛かってしまった)

 話を元に戻すと、その物理教師の「レポート提出せい!」と言う命令をみんなで無視しよう!と言う実にネガティブな方向に向かってのポジティブな抵抗をしようと云う物だったのだ。
 わたしはどーでもよかったので「ああそーね」とそのまま賛同したような形で、日々忙しく過ごしていた。
 で、気が付いた時に・・・・みんなレポートを提出していた。
 おいおいおいおいおいおいおい・・・・そんなワケで自分だけがレポートを提出しない人になっていたのだ。あんまし忙しくて周囲の変化に気が付かなかったのだ。
 最終的にはそれ以前にやっていた試験なんかの成績がよかったので、問題はなかったのだが・・・・うーむ。

 ま、そんな感じで学校では理科や化学なんかの授業はいらないって事になっているらしい。
 TVのニュースでも中学生ぐらいの少年がインタビューに答えていた。
 「そうですよぉ化学なんか憶えたって何の役にも立たないでしょ、それに化学物質の名前って難しいのが多くて憶えきれないっすよ、たとえば・・・・メスシリンダーとか」
 などと言っていた。

 化学物質・・・メスシリンダー・・・・あぁ本当にこの中学生は何も憶えていないや。
1999年12月14日(火曜日)増加の一途18000000
 今年末でインターネット人口は1800万人以上となるそうです。
 どーやって計算したか解らないが、アドレスを複数持っている人もいるので、もっと少ないのかも知れないが、確かに凄い事になっているのかも知れない。
以前の「俺ってコンピュータが友だちだからさぁ」と言う状態の人がメインだった時代とはまったく立場が逆転しているのだと思う。
 しかし、まったくコンピュータが解らない人がその他大勢だと思うのだ。
 それは悪いこっちゃない、なんせ車がどうして動くのかを正確に知っていなくても車は運転出来るってことが前提にあったりする。
1999年12月15日(水曜日)特番シーズン
 テレビではすでに年末特番みたいな物をやり始めている。
 と言っても、昔のイメージの年末特番では「今年の10大ニュース」とは「NG大賞」とか「番組総集編」みたいな物だったのだが、ここの所、ちらっと見かける年末特番はなぜか、普通の芸能人を何人も集めてゲームをやるというたぐいの、いわゆる春と秋の番組改編時の特番と変わらないようなものが多かったりする。
 で、ぼーっと見ていると、どうも普通はそんなゲーム系バラエティ番組に出ないような橋爪功とか仲村トオルとかが出ている。
 なんで? と思ってさらに見ていると番組途中で「来春、1月からの新番組」と言う宣伝が入ったりするのだ。つまり、春秋の特番ってのが基本的にそのシーズンから始まるドラマとかの宣伝、と言うのがメインのお仕事だったりするワケだったりするのです。
 それはドラマとかが基本的に24回ぐらいの半年放映されていた時代の名残だったりするのだ。年2回の特番シーズンってのは。それが今はだいたい、12回ぐらいの短い物が多くなってしまったために、今回みたいな状態になったのかもしれない。
 とすると、1−3・4−6・7−9・10−12と4回の特番シーズンが訪れる事になってしまうかもしれないのだ。
 でもさぁ、なんか思うんだけど、特番って毎回同じ様なゲーム大会で、出演者がちょっと変わるだけって気がして「面白い」って楽しみにしている人、どれくらいいるんだろ?
1999年12月16日(木曜日)芸能人のランク
 そんなこんなの特番なのですが、今回見たのは「ウッチャンナンチャン炎のチャレンジャー」の「カラオケで歌詞を見ないで全部歌えたら100万円!」みたいののスペシャルだった。
 私は自慢じゃないが、自分で作った曲でさえ(以前はそーゆー事をしていた)全然覚えないと言う人なので、これは絶対にクリア出来ないと言う自信があるのだ。
 それ以外のコーナーとして、歌詞の中に○○と言う文字の出てくる曲(街頭でアンケートを採った10位までに入っている曲)を歌うと言うヤツ。
 あるいは昔なつかしのイントロ当てクイズなんかもあった。
 イントロ当てクイズは以前フジテレビで「どれみふぁドン」なんてのが放映されていた当時、友人と一緒に出ようかと言っていたり、ゲームセンターのイントロ当てマシーン(これはゲーセンなもんで音を聞き取りにくいんだ)をその友人とクリアしたりしていて自信があるのだ。

 と見ていると、途中の「歌詞の中に○○と言う文字の出てくる曲」を歌うコーナーでうむむと思う事が起きてしまったのだ。
 大勢の芸能人が出ているので、全部を3ブロックに分けて行い(各チーム10人ぐらいづつ)、それの1番の人が最後に3人で決勝を行うと言うものだった。
 で、Aチームは川島"血がワイン"なお美だったりしていた。(Bチームは誰か忘れてしまったが中堅の女優)
 次のCチームで問題が起きてしまったのだ。その10人ほどの中から、ほとんど見たことも聞いたこともない田村りおん(とか言う名前)のいかにも3流っぽいタレントが1番を獲得してしまったのだ。
 どうやら、新番組かなんかのアシスタントみたいな状態で新人セクシー系タレントとして出演しているらしい。
 私はちょっとその時点で「おいおい、芸能界のお約束ってものを無視しちゃったのか?」と思ってしまったのだ。

 なんつーか、この手の大勢の芸能人が出る番組では、基本的に最終的に勝ち抜けるのはトップクラスの芸能人に限る!と言う暗黙の了解があるのだ。
 それを無視した状態で、そのあんまり有名じゃないタレントが勝ち抜けてしまうのって・・・・
 そしてABC組の1位が並び・・・・なんか見ていても痛々しいほどに1人だけ浮いていると言うか沈んでいる。芸能人オーラっていうのか、そーゆーのが微塵も感じない一般素人がザ芸能人と並んでいるって感じなのだ。

 で、さらに暴走は止まらず優勝者を決めるゲームになった時にも勢いよく、初っぱなから答えたりしているのだ。
 私は見ていてハラハラしちゃいましたよ。

 で、不思議な事に(途中で編集が入ったかも知れない)突然、さっきまであんなに勢いが良かったそのタレントが何もしゃべらなくなってしまったのだ。
 しかも、画面から少し外れるように後に下がった状態で・・・・

 あぁなんかあったんだろうなあ・・・・

 以前も芸能人運動会でお笑いタレントがジャニーズを差し置いて1位になった時、優勝したって言うのに画面に映らなくなってしまったと言う。
 やっぱし、色々なルールは大切だよね。

▼電車:実にカッコイイ

▼ニュース:1999/12/16
1999年12月17日(金曜日)筋肉痛その後
 土曜日に畑仕事をして、その翌日に筋肉痛になったワケですが、その後の話。

 実は月曜日になっても筋肉痛はおさまる事無く、油の切れたロボット状態で会社に出かけた。
 と言っても日曜日ほどではなく、普通に行動が出来る程度になっていたのだが、まだ手足を動かすたびに筋肉がきしむような感じを受けていた。
 あぁやっぱし快復力の低下ってのはジジイの証拠だよなぁ
 運動して体を鍛えなくちゃいかんなぁと思ったりしていたのだ。

 そして火曜日も、その軽い筋肉痛状態は直ることなく持続された。
 おいおい、仕事をしたのは土曜日だぞ、もう3日後だぞと思いつつなんとか生活を続けていた。

 そして水曜日もまだまだ筋肉痛は治らない。延々と筋肉が悲鳴を上げている
1999年12月18日(土曜日)レコード会社設立って・・・・
 芸能ニュースで「石原プロがレコード会社設立」ってのがあって、その中で社長の渡哲也が「宇多田ヒカルさんを超えるような新人を育てたい」などと発言し、さたに第1弾は新人女性歌手だとの記者会見を開いた。
 なんつーか、そのニュースを見て「う〜む」と思ってしまったんだけど、時代の流れを感じましたな。

 私は元々、石原軍団といわれるこの連中には興味なかったんだけど、80年代の「西部警察」なんかに代表されるストーリーの完成度より荒唐無稽のドンパチと、暑苦しく土着的な状態に交わされる男の友情ってヤツを支持する人々が周囲に多くいた。
 なんつーか、単純な意味無し娯楽なのに「人生」とか「男ってヤツはなぁ」みたいな世界を展開させる物は、大っ嫌いだったのだ。
 あと「軍団」とかって世界を構築している状態も嫌だった。
 私にはどうにもギャグにしか見えなかったのだ。

 で、80年代初頭、その軍団を構成していた俳優の寺尾聡が歌手活動を始めた。と言っても元々彼は石原軍団なんかに入る前から俳優だったし(父親が名優:宇野重吉)、学生時代はカレッジフォークグループ「ザ・サベージ」で歌手デビューしていたし(当時のカレッジフォークの2大スターは、この寺尾聡と、世界の巨匠黒沢明の息子・黒沢久男だった)歌手は俳優と並んで彼にとっては大事な自己表現だったのだ。

 しかし、男臭さを売りにする石原軍団は「歌手活動を本格的にやる」と言う事に関して良しとしなかったらしい。女々しいポップスを歌うという事に関して「勝手にやれ、俺達とはまったく関係ない事だからな」と言う状態だったらしい。
 しかし、石原軍団の思惑とは逆にそのシングル「ルビーの指輪」は大ヒットしオリコン10週連続1位と言う記録を打ち立て134万枚を売り、さらにそれまで井上陽水が持っていたアルバム最高売り上げを抜き去るという記録を達成した。
 と言うところで突然石原プロはそれに干渉し始めて、曲の管理までをしようとして寺尾聡サイドともめ、結局、最終的には寺尾聡が石原プロから解雇と言う状態になったのだ。
 その為に、それからしばらくの間、寺尾聡は俳優活動も自由に出来ず、かといって音楽活動も連続してヒットを飛ばせるわけでもなく、ほとんど休業状態になってしまったと言う。

 その石原プロの方はその後、音楽に味を占めて売り出し中だった館ひろし(この人も元々、矢沢永吉のいたキャロルの弟分バンド・クールス出身なんだけど)に「泣かないで」などを歌わせてヒットを狙ったりした。

 そんな硬派で男を売りにする石原プロがレコード会社設立で、しかも女性新人歌手をデビューさせるって、なんか時代ってそんな物なのか?って思ってしまったのだ。
1999年12月19日(日曜日)今年
 先日、会社で20歳ぐらいの連中が大きな声で話をしていた。
 まったくもって大きな声で話をしていたりするために、聞くとは無しにその内容が頭の中に飛び込んでくる。
 でもって、大きな声で話をしている人に限ってどーでもいいような事を力説していたりするのだ。おきまりのように「車・女・金(ギャンブル)」の話だったりして、俺は絶対に間違っちゃいねぇぞと言う根拠の無い確信によって成り立っている。
 で、今日聞いた話では
 「え?来年から20世紀じゃないの?」
 「バカだなぁそれは2001年からだってば」
 と言う話で、もうずいぶん前から「新世紀は2000年からじゃないの?」と言う疑問の声があって、とりあえず現時点ではもうその辺はキチッと終わって決着が付いている物だと思っていたが、あと15日あまりで2000年を迎える時点でそんな話が出ているとは。
 しかも新世紀が「20世紀」で今が「19世紀」だと思っていると言う、かなり激しい「おいおい」状態の会話が展開されていた。
 ま、確かに来年は20世紀なんだけど。

 「じゃ、ミレニアムってなんなのさ」
 「あれは1000年に一度って言う意味」
 「だったら今年はミレニアムってことだよね」
 「そう」
 う〜む・・・・・ミレニアムは「1000年期」って意味ですね。いわゆるキリスト教思想の中の言葉だから日本人にはほとんど関係ないんだけど、ただ単にお祭り好きの日本人が担ぎ出した言葉っす。
 で、西暦を1000年区切りで数える締めくくりなんだけどさ、1000年ってのは西暦1年から数えての事でしょ。
 だったら2回目の1000年の締めくくりはどう考えても2000年っす。なんせ西暦には0年と言う物がなかったりする。
 普通の数学的な考えだと1の前には0があって、その前は「マイナス1」だったりするんだけど、西暦の場合は西暦1年の前の年は西暦マイナス1年(紀元前1年)っす。
 まだゼロという概念が誕生していなかったというか、ゼロや虚数はこの際関係ないっす。
 つまり、ミレニアムの締めくくりの年は2000年と言う事になってしまうのだ。

 あえて今年を定義づけると「1000年期最後の年」って事ぐらいかな?
 あと「ノストラダムスの話がギャグになってしまった年」か。
1999年12月20日(月曜日)火事なのだ!
 12時を過ぎた頃、そろそろ寝ようかなぁと思っていると遠くの方で消防車のサイレンの音が…
 こんな寒い中大変だなぁ… と思いつつ、いわゆる「対岸の火事」だよなぁと思いつつ寝ようと思って寝る準備をしていた。
 しかしそのサイレンの音が徐々に近づいて来て大きくなっているのだ。
 ま、近くを走る県道を消防車が走り抜けていくこともあるので、まさかあんな事が起こっているとは思わなかった。
 ふと小さな野次馬心で「で、火事はどこだ?」とカーテンを開けようとした瞬間だった。
 カッ!と突然カーテン越しに激しいライトの光が…
 な、なんだ?と慌ててカーテンを開くと、ちょっと離れた県道にある民家の向こう側からこっちに向かってとんでもなくまぶしいライトが向けられているのだ。
 実は我が家の家の前にはそこそこ大きい駐車場的空き地があって、その先100mは畑と言う、ほのぼの田園風景だったりするのだが、その畑の向こう側にある県道沿いに家が並んでいると言う感じになっている。
 つまり「お隣さん」と言いつつ100m離れていると言う状況なのだ。
 その県道沿いの民家の向こう側から、我が家に向かって激しい、ほんとうに激しくてそんだけ離れているのに本が読めそうなほど明るい光が射していた。
 うぬぬ… と思いつつ、その明かりのもとを見ると、数台の消防車が止まり、明かりの中に数人の人影は忙しそうに走り回っているシルエットが見える。で、その逆行の明かりの中、一軒の民家から火が出ているようにみえるのだ。
 慌てて、野次馬心を出した自分は「行きたいが… 寒いし… 思いっきり野次馬すぎるよな…」と言う心の葛藤の後、双眼鏡を取り出しその現場を見ることにした。
 その結果、燃えているのはどうやら民家ではなく、その民家の向こう側、県道を渡った所にある空き地の枯れ草らしいのだ。
 うぬぬ、と思ったのが「あんな所から普通火は出ないだろう」と言う事だった。それより考えてしまったのが、実はその1ヶ月ほど前にも同じ様な場所で同様の枯れ草に火がついて消防車が出動すると言う事件が起こっていたと言うことだったのだ。
 もしかして放火?  と思ってしまうのは一般的な感想だと思う。

 結局、その後1時間で完璧に消えたと言うことで消防車なんかも帰っていったが、放火と言うのは個人的な恨みなんかの場合以外の「消防車が来て、みんな大騒ぎして面白いから」と言う、知的レベル低そうな原因の場合は何度もくり返すって傾向があるので、これから気を付けなくてはいけないのだ。
 と言っても、こんな状態の事件に関してはどー気をつければいいのか分かんないっすけど…