杉村ぐうたら日記(1999年10月21日〜31日)

▲1999年12月21日:火曜日:ノック大阪府知事辞任表明
▲1999年12月22日:水曜日:ダッフラー
▲1999年12月23日:木曜日:連帯意識だ!
▲1999年12月24日:金曜日:1000年代最後のグリスマスだぜ!
▲1999年12月25日:土曜日:熱・・・・
▲1999年12月26日:日曜日:休業・・・
▲1999年12月27日:月曜日:僕たちのY2K
▲1999年12月28日:火曜日:とりあえず復活
▲1999年12月29日:水曜日:仕事納め
▲1999年12月30日:木曜日:年賀状を書いたりする
▲1999年12月31日:金曜日:終わり悪ければすべて悪し

1999年12月21日(火曜日)ノック大阪府知事辞任表明
 なんだか、すったもんだしたあげく、ノック大阪府知事が辞任を表明したと言う。
 そのニュースは、夕べ眠ろうと思って、テレビを消そうとしたときに臨時ニュースとして飛び込んできた。と言っても、そんなに衝撃的なニュースではなく「あぁやっと思い切ってくれたか」と思った程度のニュースだった。
 なんつーか、面倒臭いニュースだったなぁと言う感じ。
 アメリカのクリントン不倫事件を、規模を小さくしてさらに下世話にしたって感じのニュースで、連日連日報道するのもばかばかしいって感じの内容だったけれど、とりあえず振り上げた腕は降ろすまで収まらないので、こういう結論になるってのは目に見えていた。
 ま、そのニュースの最初の部分がいかにも選挙戦にぶつけてきたマイナス要素って感じで「ちょっと出来過ぎ」と言う印象も否めないけれど、その後のノック氏の対応の悪さもいかにも日本の政治家って感じ。
 すでに完璧に「元お笑い芸人」と言う部分を忘れてしまった状態で、マジになりすぎ。
 きっとセクハラうんぬんって部分も、綺麗にお笑い話にすり替える程の余裕があれば、あれほどの大騒ぎにはならなかったんじゃないか?って思ってしまうのだ。
 セクハラは決してよい事ではないけどね。

 横山ノックと言う芸人は元々「エロ蛸」的なイメージで笑いを取っていた部分もあるので「やったんだろうな」と言う感じもあるが、ある種「芸能人」と言う部分と「政治家」と言う部分の見極めが甘かったのかもしれない。
 たとえば、芸能人だったらなにげにお姉ちゃんの尻をぺろりんと触っても「このスケベ!」で終わったかもしれないが、政治家が同様の事をしたら一気に問題になってしまうと思うのだ。
 それが例えば、元々スケベっぽさを売りにした芸能人あがりの政治家だったとしても。
 なんつーか、ある意味で大阪には芸人を馬鹿にしながら、郷土の誇りにしている様な土壌がある様な気がする。と同時に、どうも関西系の芸人は芸人としての地位が上がると同時に「先生」になりたがる人が多い様な気がするのだ、そんでもって思いっきり正統派な意見などを言い出す。
 凄く極端な例かもしれないが、桂文珍なんて人は思いっきりその傾向が見えていたりする。と言いつつ、桂文珍の場合の失敗は、本来の芸人としてトップに上がる前にステイタスをもとめはじめてしまったので、中途半端な文明批評とかしか出来ない芸人に成り下がってしまったと言う事だったりする。
 なんせ、アメリカインディアンがアメリカ建国何年祭りだかの会場で「建国ではなく侵略だ!」と抗議のデモをした時に「これはねぇ難しい問題がありましてなぁ、建国か侵略かってのは、卵が先か、ニワトリが先かって問題と同じように答えの出ない問題だと思うワケでありまして、とりあえずお祭りに水を差すってのは良くないと思うわけでありますよ」などと、知識人ヅラして答えていたときに「ダメだこりゃ」と感じちゃったっす。
 どう考えてもインディアンのほうが先住民族でしょ。

 ま、関西ではお笑い芸人は多くの人に親しまれ、ある種の尊敬を集めるのだと思うのだが・・・・

 ノック知事が辞意を表明した翌日の新聞に書かれていた次期知事候補(街の人にアンケートした)に上岡龍太郎・西川きよし・島田紳介の名前が・・・・・
 なんと申しましょうか・・・・・・・・・・・。

▼犯罪:情報操作

▼ニュース:1999/12/21
1999年12月22日(水曜日)ダッフラー
 ふと町を歩いていて気が付く事がある。
 と言うか、気が付かないほうがおかしいんじゃないかってぐらいに、変な状態になっている事がある。
 それは、中学生から高校生ぐらい・・・大学生ぐらいの人々が着ている服の事なのだが、かなりの確率で『ダッフルコート』を着ていると言う事なのだ。
 何気なく見ていると、4人で歩いてくる高校生ぐらいの男子集団の4人中4人がダッフルコートだったりする。なんじゃそりゃ状態。
 確かに前回の冬にその『ダッフルコート流行』の徴候はあった。
 その流行に対してあんまし良い感情を持っていない男が一人いたのだ。

 その男ってのは、かくいう私なのであるが、実はダッフルコートは昔から好きなアイテムで(基本的にアイビー系ファッションが好きだったりするので)これまで何着も買い替えて着てきたのだ。
 で、その1年前にも新しいダッフルコートを購入し「暖かいっす」と着ていたのだ。
 そんな古くからのダッフラーにとっては「流行」ってヤツは邪魔でしかない。
 そんな風に前回の冬に感じたのだが、あの冬はまだかわいい方だったと今思い知らされている。

 なんつーか、ダッフルコートと言ってもデザインは色々あったりするので、全員ダッフルだと言っても全員同じ状態ってワケではない。
 バブル期に流行った米軍のフライトジャケットだとかの様に銘柄型番まで同じ物が流行っているワケではないので、少しは精神衛生上はましなのだが・・・・・。

 しかし、6人ぐらいのおねえちゃんグループがそれぞれ微妙にデザインの違ったダッフルコートを着て歩いている姿を見た時は「おまえらはモーニング娘。かぁ!」ってな感じになってしまったのだ。
 で、自分の感情的によく分からないと感じてしまうのが、友達と同じ様な服を着ているのって恥ずかしくない?って事なのだ。
 なんか、自分の中では偶然他人と同傾向の服装をしてしまった時に「やべっカブっちゃったよ」と思ってしまったりする。なんつーか、思いっきり恥ずかしい・・・・って、この感情は異常なのか?
(↓続く)

▼ニュース:1999/12/22

▼ニュース:1999/12/22
1999年12月23日(木曜日)連帯意識だ!
 この手の同じ様なファッションをして街を歩き回る若者を見て、よくありがちな「今の若いヤツは」なんて事を言ったりする大人がいたりしますが、そんな事を言っているヤツラも実はスネに傷を持っていたりする。
 今から20年ぐらい前(1970年代末から1980年代初頭のバブルの準備期)大学生なんかが自主的に運営するサークルってヤツが大流行していた。
 ま、いわゆる「テニスサークル」だとか「ドライブサークル」だとか「プロレス研究サークル」だとか「バンザイ同盟」だとか、色々あって、よくテレビなんかでも紹介されていた。
 時代背景を考えてみると、いわゆる1960年代の学生紛争などの政治の季節が吹き荒れた後、1970年代に入ると学生の間には「どーせいくら頑張っても、俺達の力じゃ世の中変えられないよ」と言う無気力なムードが流れ始め、しだいに「メッセージ」なんてダサい。と言う風潮が蔓延していた。
(そのメッセージはダサいと言う風潮は、尾崎豊が出てくるまで続く)
 で、次第に大学と言うのは「学問を修得する場所」から「何となくいく場所」「まだ就職したくないからいく場所」「親のすねをかじれるだけかじる場所」あるいは女子大生の「女子大生ってだけで色々とチヤホヤされるからいく場所」と言う印象に変わっていった。
 そこで出てきたのが前述の「どうせ遊ぶのなら思いっきり遊ぼう」と言う趣旨のサークルだった。
 そんなサークルが各大学に同時多発的に湧いてきたのだ。そして「テニス」と名付けても基本的な活動は「女の子を集めて大合コン大会!」みたいな乗りだった。
 その手のサークルが結成して一番最初にする事は何か?と言うと、会員お揃いのチーム名の入ったスタジャン作り!と言うのがおきまりだった。
 当時、横浜(だと思った)にあった有名なスタジャンの刺繍をしてくれるショップは半年以上先までの予約がビッシリだと当時「平凡パンチ」に書いてあった。

 なんか不気味でしょ。
 同じスタジャンを着た連中がだらだらと遊び歩いている姿って・・・カッコ悪すぎるでしょ?
 その当時、その雑誌記事を読んだり、実際に吉祥寺の町中でそんな連中とすれ違うたびに「げぇ」と思っていた。
 そんでもって困った事に、そーゆー連中に限って意味不明の自信満々を顔に張り付けちゃって「俺達ってカッコイー」てな感じで肩で風を切って歩いていたりするのだ。あの状態は、ほとんど最近の宗教事件なんかで出てくるグルの取り巻き信者の「私たちは何もかも悟りきっています」みたいに他人を見下すような自信たっぷりぶりと共通しちゃうっす。
 その仲間意識の中にどっぷりと居て、意味不明の「自信たっぷり」を発揮するのは日本人お得意の技で、90年代に入っても「チーマー」なんつって、どっかに所属した上で「俺って強いから」みたいな事をほざいているお子様が我が物顔で渋谷あたりを闊歩していたっす。
 あの当時はこの手のエッセイみたいな物は書いてなかったけれど、曲の為の詩を書いていて確かにその手の人々の事を皮肉った内容の詩なんてのも書いていたりする。

 ま、話はずわぁんと遠回りしてしまったけれど、今年みたいに思いっきりダッフルコートが流行ってしまった冬にはダッフルコートを着ることが出来なくなってしまう私であった。
 かと言って、来年ブームが去ってもそこで着たら「あの人遅れている、いまさら・・・」なんて言われそうで着れない、小心な私であった。

1999年12月24日(金曜日)1000年代最後のクリスマスだぜ!
 テレビを付ければ「いよいよ1000年代最後の記念すべきクリスマスです」と騒いでいる。
 新聞を読めば「1000年代最後のクリスマスを記念してビッグなイベントが」と書き立てている。
 チラシを眺めれば「1000年代最後のクリスマス!プレゼント、ゲットだぜ!」と、ワケ判らないあおり言葉で子供までを煽っている。
 まったくもって、迷惑な話だぜ ミレニアム。

 そんな騒ぎをよそに僕は部屋の中でじっとしていた。
 別に寂しくなんてないやい、外に出かけてもいいことなんてないやい・・・・と言うワケではなく、外に出たいと思っても出られない状態でいた。
 実は、昨日から熱が39度前後の所を行ったり来たりしているのだ。つまり、思いっきり風邪をひいて、クリスマスがどーのこーのって感じではなかった。
 この熱っぽいというのは実は先週から続いていたのだが、22日あたりから「なんかダルい・・・」と言う状態になり、23日(天皇誕生日)の明け方、暑苦しくて目が覚め、そこでハッキリと風邪だと云うことに気が付いてしまったのだ。
 なんてこった、ミレニアムクリスマス。

 とりあえず体を動かすのがやっとの状態だったので、有給休暇をとった。やったぁ、23日の天皇誕生日と今日の有給、明日明後日の土曜日曜で4連休だぁ!なんて状態では当然ない。
 今日は、はぁはぁぜぃぜぃ言いながら病院に行って注射を打ってもらい、まっすぐ帰ってきて寝ていた。
 ほけーっとテレビを見ながら寝ていると、そのテレビの中では「今からでも遅くない!ミレニアムクリスマスの特別な過ごし方」なんて言う特集を組んでいたりする。
 ばーろーと毒づいてみたものの、完全に体が2日連続の39度攻撃にまいっていて、ベッドから少し離れたリモコンを取る気力さえ残っておらず、そのままぼーっとテレビを見続けてしまった。(正式にはほとんど目をつぶっていたので聞き続け)
 なんか、結局はみんなバブルの時に出来上がった「やっぱりクリスマスはこうじゃなくっちゃね」と言う幻想をそのまま引きずって来ているようなアイディアの連続。結局、その手のお気軽情報(っぽい)番組ってのは30代〜40代の中堅ディレクターが作って居るんだろうけど、その手の年齢のヤツラってはバブル期の一番おいしい就職組だから、死ぬまでバブルの味が抜けないからしょうがないよなぁと思ってしまうのだ。
 番組の中ではラストに「1000年代最後の特別なクリスマスは、やはり忘れることの出来ない特別な物にしたいですね」などと締めていた。

 あぁ39度の熱を出して寝ていたクリスマスなんて、忘れようにも忘れられないよ!

▼ニュース:1999/12/24

▼ニュース:1999/12/24
1999年12月25日(土曜日)熱・・・・
 結局、今日も38〜39度と言う熱を繰り返している私。
 クリスマスイブも、クリスマスも全然関係ない人生を歩むことになった私だが、ここまで酷い風邪は久々って感じで、今まで「風邪をひいて寝込んだ」と言いつつ、ベッドの中で読書三昧、買ったままで積み上げていた本を片っ端から片づけてやるぜ!いぇ〜い!と、体力と別の方向で盛り上がっていたりしたのだ。
 しかし、今回の風邪はどうしようもない状態で続いている。
 はっきし言って39度もの熱が3日も続いていると、思考能力はどんどん希薄になっていき、外界の音がシャキーンシャキーンと鋭く耳の中に突き刺さるように飛び込んでくる。
 読書どころの騒ぎではないのだ。
 なんせ、日常的に頭痛持ちの私は何個もアイスノンなんて物を常備してあって、それを一気に冷凍庫の中で冷やしていたりする。
 現在、枕の所にあるヤツはすでに氷が溶けて、私の体温とほぼ同じ温度になっているので「あぁ冷たいのと替えなくては」と気持ちは思うのだが、体が動かなくなっている。
 はっきり言って、寝返りをうつのさえダルくてダメになっているのだ。
 そんなこんなで、「あぁ替えなくては」と思いながら、4時間ぐらいぼけーっとしてしまったりする。

 なんか、風邪などをひいて寝込んでしまうと「俺は世界で一番不幸だ・・・・このまま、誰にも救いの手を差す述べられずに死んでいくのだ」などと、100%ネガティブシンキング野郎になってしまうのだ。
 あぁぁぁぁ「止まない雨は無いと言うが、直らない風邪はあるのだ、あぁ直らないまま死んでいくのだ、バカは死ななきゃ直らないと言うが、私の風邪も死ななきゃ治らないのか?」と、どんどん落ち込んでいく私であった。


▼ニュース:1999/12/25
1999年12月26日(日曜日)休業・・・
 冗談抜きに精神能力、思考能力、体力的に死んでいます。
 メールマガジン「知泉」も、すでに編集済みだった部分をどどーんとお送りするダケで、年末って事で今年の総集編をまとめようなんて考えは、一気にダメになってしまった。
 なんか、最悪な年末って感じっす。

 とにかく、ぼーっとしているしかない毎日ってのは、非常にきつい。
 なんせ、働きバチ的日本人の典型(ちょっとベクトルがズレているんだけど)の私は、動いていないと、考えていないと、どろどろに退屈してしまう人間なのだ。
 と言いつつ、ありがちな何もしないで「何ンか面白ぇことねぇ?」などと言っているような、自分が楽しくない人間だってのを棚にあげて、他人に楽しさばっかを求めるってのも好きじゃないので、わしわしと面白いんじゃないか?と言う物を開拓していくのだぁぁぁぁ!
 って状態なんだけど、今はそれどころではないっす。

 はっきり言って、死んでいるような状態。
 熱は下がらない上に、咳が止まらずノドが完璧にガラガラ状態になって、普段のウグイス坊やと言われるように美声を思い出せないような声。
 現時点で出来る物まねは「最高ですか〜ぁ!?」ぐらいしか無いのだ。

 こう体調がダウンしていくと、気分までダウンしちゃって、こーゆー時に「この壺を100万で買えば風邪はぴたりと直る」などと言われたら、ほいほいと買ってしまうかもしれない。
 しかし残念ながら、その100万が用意できないので、その手の話に引っかかりたくても引っかかれないのだが。

1999年12月27日(月曜日)僕たちのY2K
 結局、今日も38度を熱が下がらず、会社を休んでしまったのだ。
 で、再度病院へ出かけた。
 その車の中で聞いたラジオでの会話なのだ。
 ラジオにはジャニーズの「嵐」さんの中の2人が出演していて、1人がもう一方の1人に「来年の抱負は?」とインタビューをすると言う趣向になっていた。
 なんつーか、この手のジャニーズさん関連グループのラジオって思いっきりファンじゃないと「何言ってンだかなあ」と言う物が多く、実際このラジオもそんな感じだった。

 で次のような会話が展開されていた。
 「と言うことで○○くんの2000年はどうでしょうか?」
 「2000年かぁY2Kですね」
 「そうそうY2K、○○くんのY2Kはどうなりますか?」
 「Y2Kは今年以上に思いっきり飛ばしますよ、そりゃもちろん」

 熱でぼーっとしていたのもあって、思わず事故りそうになってしまいましたがな。
 Y2Kって、ただ単に「2000年」を意味する言葉だったのか?
 この辺の有無をも言わさない自信たっぷりぶりがジャニーズの凄い所なのだ。かつての芸能人大運動会でもどーんなに体力的に凄い芸能人が居ても、高校生の頃に国体に出た事があるなんてお笑い芸人がいても「基本はジャニーズ」と言う事になっていたってあたりが日本の常識なのだ。
 実際の事を言えばY2Kは《Year 2Kilo problem》の頭文字で、2000年に起こる問題点・不安点と言う意味で、現時点ではコンピュータにおける予想不可能な事故の事を差している。

 そういう意味で、キミたちが問題なのだ。
1999年12月28日(火曜日)とりあえず復活
 なんとか、熱も38度を下回って(まだ平熱より高い)きたので、会社に出かける事にした。
 さすがに年末そのまま病欠状態で正月休みに突入するってのはムチャだと思ったので、ここはなんとか出なくてはいけないと、体にムチ打って出かけた。
 が、車を運転していても頭がハッキリしていないってのがよく判る。
 周囲の状況に素早く迅速に反応できていないってかんじなのだ。

 首も、むち打ちみたいなじょうたいでズキンズキン痛んでいるんで、カーブを曲がる時にもすごく苦労をしている。
 なんだか、最悪の1000年代ラストを迎えようとしている。
 俺はなんで、こんなに調子悪いのに会社にいくんだぁぁぁ!とか、なんで日記なんて書いて居るんだぁとか思いつつ、日課をこなしている。
 メールマガジン「知泉」の方は、本当は今年の『疑問を考える』を総括するようなスペシャル版を編集するつもりでいたのだが、それさえ出来ないぐらいに頭が回転していないのだ。
 しかも、食事もままならない状態は続いている。なんせ、ノドのリンパ腺が腫れ上がって口を開ける事さえキツイ状態が続いているのだ。

 なんか病気日記みたいで、いかんなぁ。
 もしこんな「今日も風邪がちっともよく成らず、一日寝ていた」とか「今日は朝から食欲がなく死んだように眠る、思考能力が著しく退化している」とか「今日は少しだけ調子がよかったので、ベッドから上半身だけ起こし家人にカーテンを引いて貰い外の風景をしばらく愉しむ。冬の弱々しい薄明かりが今は私には眩しく感じる」とか、日々そんな事しか書いていない日記が延々と続き、ある日を境に数週間何も書き込みが無くなって・・・・
 って、読者に「この日記を書いていた人はどうなったのだ?」とハラハラどきどきさせてしまう様な物もいいかもしれない。
 などとマイナス思考ながら前向きなネタを考えたりしちゃったりする。

 しかし本当は1999年重大事件発表!ぱふぱふどんどん、てな事を書こうと考えていたのだが・・・・・それさえ出来ない。俺はもうバカちんとして日々を送っているのだ。

 ごめんなぁぁぁぁぁ!

1999年12月29日(水曜日)仕事納め
 そんなワケで、すっかり風邪ひき男として人生を歩んでいる私なのである。
 古来より「目やに女と風邪ひき男」というのは色っぽい物だと言われておりまして、江戸川柳などでも詠まれていたりします。
 目覚めたばかりのぼけっとした状態の女性の色っぽさ、風邪をひいて少し頬に紅を差したような状態で虚ろな視線を泳がせる男もそれなりに色っぽいなどと称したワケであります。
 などと言ってられる状態じゃないよなぁ。

 はっきり言って今日は会社の仕事納めだと言うのだが、すっかり役立たずの男になりさがって、朝から晩までぼけーっとするしかなかったのだ。
 体力はがたがた、未だに発熱ぼー、ノドはがらがら、咳はごほごほ、まったくもって「THEただの病人」と言う状態だったのだ。
 なんと言いましょうか、私はこんな状態で年末の休暇に突入していいのでしょうか?と言う状態を続けている。

 ついでに、思考回路もへろへろなので日記を書くのもしんどいのだ。
1999年12月30日(木曜日)年賀状を書いたりする
 あけましておめでとうございます。
 などと年が明ける前に新年の挨拶をするのは芸能人か、雑誌編集者かって事なのだが、年賀状を書いている場合は、やっぱし新年がやってくる前にそんな状態になっていたりする。
 と言いつつ、年賀状のルーツをひもといてみると、最初は年始回りという儀式を簡略化しようと言う意図から始まった物らしい。
 しかし、簡略化と言っても最初から、どどーんと「あけましてしおめでとう」なんて文章を書いた紙を送りつけたと言う物ではないのだ。
 簡略化しなければいけない理由は、この年始回りって言うのが実にハードで、近隣すべての関係している家に赴き、そこで新年の挨拶を交わすと言うのが1日2日で終わらない仕事で、これは訪れる方も大変だったのだが、尋ねて来られる方も重労働だったのだ。いつ来るか来るかと居住まいを正しながら待ち、来たら来たで毎回毎回同じ挨拶を交わして、それだけでは終わらずお茶菓子等を出し・・・・これをひがな繰り返していたのだ。
 それが元で体調を崩す事もあったために、次第に多く人が訪れる様な偉い人は正月の時期は別宅に行くか、居留守を使うようになったのも当然と言えば当然のことなのだ。
 で、そーゆー留守宅に出向いて行った人は、そこで新年の挨拶を書にしたためて玄関先に置いて帰って来るようになった。
 それが楽だと言う事で、正月の挨拶は次第に書に書いた物を玄関先に置いてくると言うパターンになったのだ。

 で、明治以降、郵便制度を定着させようという前島密の計画により、正月は年賀状!と言うスタイルが出来てきた。
 それが第二次世界大戦中は途絶えたのだが、「戦争で離ればなれになってしまった知人達の安否を知らせ会う」と言う目的もあって『お年玉付き年賀ハガキ』が登場して、年賀状を出せば寄付も出来ると言うのが爆発的人気になって今に至っているらしい。

 昭和の終わり頃、実は年賀状は下火になりつつあった。
 が、ここ数年はパソコン&プリンターの普及があって年賀状のはがき発売枚数は毎年更新し続けているらしい。うーむすごいのだ。

 などと長い文章を入力しているような振りをして、実は知泉に掲載するネタをコピーペーストして、少し手直ししてごまかしちゃっているのであったりする。
でもって、風邪でぜいぜいいいながら、やっと年賀状を書き始める私であった。

▼ニュース:1999/12/30
1999年12月31日(金曜日)終わり悪ければすべて悪し
 いやぁ、ついに1900年代と言うか、1000年代が終わってしまうぜ。
 と言う事で、世間一般では「1000年代最後の」と言う冠を無理矢理かぶせたイベントが目白押しっす。
 なんつーか、めでてぇな状態でこの世紀末を突っ走るのだ!うおぉぉぉぉっ!と言う感じで、つい5ヶ月前にノストラダムスの予言によって地球が滅亡するか!?などと言われていたとは思えない様な、ハッピー年末がやってきている。
 って、ほとんどの人がノストラダムスなんつー名前を忘れてしまっているんですけどね。

 そんなこんなで、この90年代に入ってから大げさになってきた「カウントダウン」ってヤツをあっちこっちで開催すると言う事で、前々から宣伝をしていたりする。
 321ダーッ!って大盛り上がりして、特に今回はミレニアムがどーのこーのとか言っていたりするので、よけいに盛り上げまっせと各イベンターも張り切っていたりするみたいなのだ。
 とにかく人数を集めて、花火をぶわんぶわんとブチ揚げるって事ぐらいしかイベントの趣旨は無かったりするのだが、もう頑張っていたりする。
 しかしなぁミレニアムって言ったって、日本人にとって西暦はそんなに歴史があるワケでもないし、基本的にキリスト教思想で成り立っている物だから、いまいちピンと来ていないって感じなのだ。しかし、とりあえず騒げる物ならなんでも便乗して盛り上がっちゃおう、それが景気回復にも繋がるのだ!てな感じに、なにやら名目を付けつつ、何も考えていない人々が集うと言う寸法なのだ。
 ま、景気が良くないとか言いつつ、年の終わりぐらいは盛り上がろうぜ!って事なのかも知れない。

 と言いつつ、私はあいかわらず風邪が抜けずに、友人からの電話に「今年はおとなしくしておくよ」などと答え、布団の中でぼけーっとテレビを見ていたりするのであった。
 ちと寂し。

 こんな日記が今年最後でいいのであろうか・・・・・・。

▼新年:ハッピーニュー・・・・・