< 杉村ぐうたら日記(2000年1月1日〜10日)

▲2000年1月1日:土曜日:あけおめ ことよろ
▲2000年1月2日:日曜日:Y2Kはいかがでしたか?
▲2000年1月3日:月曜日:持続は力なり
▲2000年1月4日:火曜日:面白いねぇ
▲2000年1月5日:水曜日:初出勤
▲2000年1月6日:木曜日:パッケモァン
▲2000年1月7日:金曜日:それは嫌がらせですか?
▲2000年1月8日:土曜日:挟まれる
▲2000年1月9日:日曜日:寒い日
▲2000年1月10日:月曜日:ハッピーマンデー:成人の日
2000年1月1日(土曜日)あけおめ ことよろ
 いやぁ、新年です。
 2000年です。めでたいです。たぶん。

 などと言いつつ、実際の事を言えば昨年暮れの大風邪ひきが未だに継続していて、ボロボロだったりするのですが、世間一般は完璧に正月って事になっていて、明け方アイスノンが溶けてしまって生ぬるくなっている状態で目をさませば、付けっぱなしのテレビからは「おっめでっとーございまぁぁぁす!」との声が乱れ打ち。
 ついでにドリフターズが「♪たんたららんらん・・・・うぃーっす!」と、幻の荒井注と志村けん同時参加でフジカラーのCMやっているし。
 まったくもってめでたいな。
 ついでに、フジテレビ恒例の「爆笑ヒットパレード」の司会は(当然これは生放送)なんとダウンタウンだったりして、なんか似つかわしくないっす。
 なんか、ぼけーっとテレビウォッチングするしかない私だったりする。

 風邪を引いてしまった正月ほど、損をしているって気がする事はないなぁ。
 テレビを見てても、熱が時々ぶりかえしてだるくなって、そのまま寝てしまったりするので、最後まで見ていなかったり、もうだらけまくっています。

 なんてことを明るい正月一発目の日記にダラダラと書いていていいのだろうか?
 結局、今年は「無理すんな」と言う事がテーマで、裏テーマとして「体力をつけよう」って事なのだろうな。
 実は、去年の秋頃あたり、ひさびさにプールに通い初めて、わっせわっせと泳いで体力を付けようとしていた事もある。が、日々の生活に追われて中断してしまったのだ。
 そのプール通いを始めた時も、あまりの体力のなさに危機感を感じて「こりゃ無理矢理にでも体を鍛えないと、偉いことになるぞ」と思った事に始まっている。
 それくらいに危機感を抱いていたのだ。
 でもって、その危機感が的中してしまったという事になる。

 12月初旬にちょっと畑仕事をしただけでハァハァゼェゼェしてしまったし、それの少し前には吉野家の牛丼の作りたての熱いヤツをはぐはぐと食べて、気持ち悪くなってぐったりしてしまって、さすがに小学校の頃に朝礼の最中、貧血で倒れるほどの虚弱体質児童だったって事はあるぜ!
 って自慢しちゃいたいぐらいに、体力が落ち込んでいたりする。
 胃の方は、疲れている時に熱い物を食べると、気持ち悪くなるって体質だったりするのだ。

 ま、日頃ディスクワークの鬼って感じの毎日だからしょうがない。
 しかしだ、このままではいかん!と思うのだ、ファイトオーっなのだ。
 と、このぐうたら日記をインターネットで書き始めて2年、それ以前にも2年、その間に何度この様な事を書いたことか。
 しかししかし、今回は年頭にそのような事を書いているって事は、並大抵の決意ではないのだ!
 とりあえず、今は体力をつける以前の状態なのだが・・・・

 新年一発目が暗い話題ってのは「これ以上落ちることがない」と言う事なので、今年はいい年になるに決まっているのだ。
I'm lack of exercise these days.

2000年1月2日(日曜日)Y2Kはいかがでしたか?
 てなワケで、この新年は「1000年代から2000年代への突入」と言うめでたいんだかどーか判らない話題と同時に、コンピューターが暴走するかも知れないと言う「Y2K」なんて問題があった。
 それのおかげで、多くの会社のエンジニアさんたちが大晦日から正月にかけて会社に泊まり込んで、ヘビーな夜を過ごしたらしい。
 その結果、いくつかのコンピュータの誤作動があったらしいが、その手のハイテクパニック小説のように人類滅亡の危機なんてことは無かったらしい。(原発関係で誤作動あったらしいが)
 ま、それの為に前々から対策をしたりしていたってのも、防ぐためになったんだと思うが、みなさんご苦労さまでした。

 と言うワケで次の心配は「Y10K」だな。
 初期コンピュータは西暦を2桁で表示して、前二桁を暗黙の了解の中で「19」としていた為に、2000年になった時にコンピュータが「1900」と誤認してしまい大問題になってしまう。
 と言う教訓から、それ以降に設計されたコンピュータは3000年にも大丈夫なように4桁表示にしたのだ。
 それから時代はいきなり過ぎ去り、8000年後、世界中は今以上にコンピュータ無しでは過ごせないようになっていた。そこで問題が発生しちゃったのだ。
 今年は9999年、来年は10000年と言う10回目のミレニアム最後の年なのだが、4桁の表示では10000年を計算できない

 想像しただけでわくわくしちゃうな、早く来ないかなぁ「Y10K」
2000年1月3日(月曜日)持続は力なり
 今年は完璧に風邪ひき寝正月だったので(とりあえず初詣は行ったけど)ぼけーっとTVを見ていましたが、ネプチューンと爆笑問題あたりが今年の正月の顔って感じっすかね。
 とりあえず、この二組は「実は芸歴長い」と言う人たちだったりするので、それなりに壊れた芸をやっていても面白いっす。ま、あとはどれだけ持続してキャラを生み出したり、ネタを生み出して、テンションを保っていけるかって感じだったりします。

 この持続力ってのは、お笑いにおける最大の難関って感じがするワケで、いわゆるプロとアマチュアの差はここにあったりするのかも知れません。
 プロでも、次々と笑いを生み出さなければいけないプレッシャーからつぶれて言った人も山といます。
 特にギャグ漫画家なんてのは使い捨てに近いくらい、寿命が短いですな。赤塚不二夫なんて特殊な人で、あの人の場合は自分の生活を壊すことで踏みとどまっている様な人だったりしますから。

 インターネット上にも、いくつも「笑い」をテーマにしたHPが存在していて、自分もインターネットを始めた頃、あっちこっちを覗いて笑わせて貰いました。それから、約3年ぐらいの月日が流れましたが、その当時のお笑い系HPで現在も新たに笑いを生み出し続けている所は少ない様な気がしちゃいます。
 最初は、1週間に1回更新してネタを増やしていたのが、いつしか1ヶ月に1回、半年に1回みたいなペースになってしまう感じですか。
 ふと自分を振り返ってみても、最初このHPを立ち上げたのが1998年の3月で、その時点でそれまでパソ通なんかで書いていたネタをまとめたのが大量にあったので、どどーんと一気に公開したわけです。
 実は、この一気の為にその前の1年間自宅HD上でテロテロといつ公開するか不明なまま、延々と編集作業をしていたりしました。

 で、HP公開後も毎日のようにワッセワッセと文章を書いて、1週間に2回ぐらいのペースで更新を続けていった。
 当時は「月刊誌」と言う形でHP上に『たこやき便り』と言う架空雑誌を発行する事をノルマにしていたわけです。
 と同時に『ぐうたら日記』は毎日書いて、1週間に1度更新みたいな感じで進んでいたっす。
 それ以前もパソ通なんかで、毎日のように掲示板にワシワシ書き込みをしていたので、文章を打つのは問題なかったのですが、改めて「日記」と言う形で、毎回毎回独立したネタで起承転結を付けなければいけないと言うのは、重労働だったわけっす。
 もちろん、実生活では普通のサラリーマンとしての活動があるので、この日記を書くのは帰宅してからの数時間と言う事になっていた。
 それを毎日こなすというのは結構大変な事で、さらに月刊誌も発行すると宣言しちゃったのでワッセワッセの度合いが違ったりするのだ。
 しかもその『たこやき便り』は、日記などとは違ってちゃんと読み応えのあるエッセイと言う位置づけをしちゃったもんで、とにかく考えて考えて文章をひねり出し書いていた。
 それ月に4本。つまり1週に1本の長めエッセイを書くと言うことになっていた。
 さらに「たこやき便り」には『現代用語の基礎的ではない知識』の新ネタも考えついただけ、ワッセワッセと掲載する事になっていた。

 判りやすく言うと
▼毎日連載:ぐうたら日記
▼週1連載:たこやき便りエッセイ
▼月1連載:現代用語の基礎的ではない知識
と言うとんでもない量の文章をサラリーマンの傍らで、書きまくると言う事に決めてしまったのだ。
 しかも、インターネット上での作業なのですべて「タダ」と言う凄い状態だったのだ。

 このインターネット上のお笑いHPが、途中で失速してしまうと言う理由なんですが、基本的にネタが持続しなかったと言うのが一番の原因だと思ったりします。
 まず最初に「このフォーマットでネタを考えたら面白いぞ」と考えついて、だーっとネタを一通り考えて、その次のフォーマットを考えつくことが出来ずに・・・。
 と言う感じかもしれません。
 が、実はもっと現実的にHPが持続しない理由に「無償」と言うヤツがあるかも知れないっす。
 たとえアクセスが10000超えても、タダはタダと言う事になっていたりします。中にはバナー広告で収入ガッポな人もいるかも知れないけれど、基本的にHPってボランティアだったりしますから、持続しろ!と読者が言うのはなかなか残酷な事だったりするかも知れないっす。

 私の場合は、バカみたいな所があるのでHP上にバナー広告を表示させるのは、ポリシーに反する!見栄えが悪い!表示が重くなる!と言うことで乗っけない事にしている。
 以前、ページアクセスを計ると言うシステムを利用した時に、そのお返しにページにバナーを付けなければいけなくなってしまい、かなり嫌な気持ちになってしまった事がある。(約2ヶ月で辞めた)
 その上、雑学メルマガ「知泉」には広告を載っけたりするが、メルマガ「ひねもす本舗」にはいっさい広告を載っけないと言う事にしている。なんか、広告まみれのメルマガってカッコ悪いっす。

 そんなワケもあるんだけど、雑誌なんかでよく「ホームページで財テク」とか「副業で大儲け」みたいな特集とはまったく裏腹に、インターネット収入ゼロ路線をひた走っていたりするのです。
 なんつーか、人を笑わせるハズのピエロが一番悲しいと言う、ダサダサの古くさいペーソスあふれる話の現代版って感じで、インターネットでお笑いを創作しようとする人はボロボロになってしまうのかも知れない。

 けっこう、ネタを作り続けるってのは身を削る作業だったりする。
 今年もどこまでいけるか判らないけれど、身を削っていきますぜ、その割に痩せないけれど。

2000年1月4日(火曜日)面白いねぇ
 いやぁ面白くって、ついつい読みふけってしまいました。
 こんなに面白いならもっと早くから読めばよかったって、「ぐうたら日記」の事なんですけどね。
 まったくもって自画自賛。

 ちょっと、ひさびさに1年以上前に書いた日記を読み返したら、面白かった。
 なんつーか、自分の笑いのツボにびしっと直球でネタが入ってくるんだよねぇって、自分が面白いと思って書いたネタだから当たり前なんだけど、こうやって自分が1年前2年前に何を考えていたかって事が克明に記録されているってのは、凄い事かも知れない。
 よく、20年日記を付けています。とか40年付けていますとかって人がいたりするけど、なんとなく続けている意味が分かったりする。

 書いている時点は現状のメモなんだけど、すっかり忘れてしまった時に読み返すと、自分という人間が主人公になった小説みたいな物だったりするのだ。
 ばっかだねぇとか思う時もあるし、何でこんな事にこだわっているのだ?と言う時もあるし、このアイディアをこれだけで終わらせるのはもったいないんじゃないか?と言う時もある。
 いやはや、こうしてダラダラの2000年を迎えたって事もある意味特殊な記憶だったりするので、あと10年ほどしたら意味のある物になって行くのかも知れない。
 うんうん、なんか前向きに日記を書き続けて行こうと思ったりするのであった。

 と、言いつつ、本当に個人的な「この日○○○と○○○をした」みたいなネタは書いていないので、自分が本当の本当の所で何をして、何を考えていたってのは判らずに、外面だけだったりするんだけどさ。

2000年1月5日(水曜日)初出勤
 初出勤です。
 といいつつ、未だに去年の風邪が治っていない為に、声はガラガラでまったくの別人って感じになっている。
 しかも、なんか朝から熱っぽい。
 こりゃいかんよなぁと思いつつ、さすがに初出勤の日からは休めないよなぁと言う感じで、自分にムチ打って出かけました。
 しかし、これと言って特記すべき事項なし! 以上
 また明日。

 と言うか久々にちゃんとした生活をしたら熱が出ちまった。
 そんなワケで今日はこれで寝ます。

 ってちょっと日記が短すぎるよなぁ。
 こんな日は何を書けばいいのか・・・・・
 と思って、昔、筒井康隆(だと思った)が書いてあった、簡単に原稿用紙を埋める方法と言うのを思い出した。
 正確には原稿用紙を埋めるワケではないが、規定のページ数をあっという間に稼ぐ方法として「軍隊物」というので、まず点呼をとるシーンから始める。
 「番号!」
 「1」
 「2」
 「3」
 「4」
 「5」
 「6」
 「7」
 「8」
 「9」
 「10」
 「11」
 「12」
 「13」
 「14」
 「15」
 「16」
 「17」

 と言う状態で点呼のシーンを書けば、本来は20文字×20行の原稿用紙の場合最高400文字書かなくてはいけない処を、あっという間に終わらせると言う事ができると書いてあった。
 あぁ凄いっす。と中学生の頃の自分は思ったのだが、上には上がいる事をあとになって知らされるのだ。
 高橋源一郎って、あの人の「さよならギャングたち」と言う小説のばあい、話が着れて次の章になるときにページが改ページするんですが、それが凄い。

▼第5章 ○○○を○○○した日
 そこで僕は驚いてあたりを見回したのだ。
 しかし誰もいなかった。

 と、この例文は今勝手に創り出したんですが、そんな感じで「新しい章とタイトル」そして2行ほどの文章。
 そして後は空白・・・・・。
 で、あわててページをめくるとそこには

▼第6章 そして○○○が○○○だと解った
 再び目を覚ますと、見知らぬ男が立っていた。
 そいつは俺の名前を呼びながらにこにこしながら近づいてきた。

 などと新しい章が始まっていたりするのだ。でもって、その章も数行で終わっている。
 そんな状態が延々と続いている。その文章を実質的にギュッと凝縮したら、きっと4分の1ぐらいになってしまうんじゃないかという風通しのよさ。

 あぁ、やっぱり人生はいかに楽をして生きていくかって命題に突き進んで生きていくのが正しいのだ。
2000年1月6日(木曜日)パッケモァン
 そんなワケで、アメリカまでを巻き込んで大ヒットしている「ポケモン」っすけど、これって経済的な意味以上にすごい物を抱えているような気がしちゃのだ。
 なんせ、アメリカなんかのニュース映像を見ていると、子供達は大フィーバー、ついでにその親たちまで大フィーバー。
 孫がほしがるってんで、おじいちゃんおばあちゃんたちもガンガンと「カード」やら「人形」やらを買い与えている。
 日本に遅れること数年、アメリカでの最新流行語は「レア」と「プレミア」だそうで、なんか凄いっす。
 でもって、映画館でしか買えないカードとか、幻のカードとか、プレミア市場が高騰して1ドルぐらいのカードが半年もせずに300ドル以上(単純計算で3万円)とかしちゃって、アメリカでは古い歴史のあるトレーディング業界も引っかき回されてしまっているらしい。
 なんか、とんでもない事になってしまったなぁ田尻ぃ。

 このポケモンの考案者の田尻氏は、ファミコン時代に個人的に大好きだった「クィンティ」と言うゲームを作った人で、当時なかなか斬新なゲームだったので注目していた人だったりする。
 だから、今「モンスターを集めて、育てて、戦わせるゲームを作っている」と言う噂の段階からポケモンの事を知っていた。
 が、基本的にゲームをあんましやらない人だったりするので「ふぅん」ぐらいにしていたのだが・・・・。(本当は「クインティ」のプレイステーション版を出して欲しい)
 しかし、ポケモンって最初のデビューから数えると、もう10年近く続いているんじゃないか?

 でもって、アメリカで大ヒットして、アメリカの子供はハマりまくっているという現状を見て、ふと思ったのはあと10年後、20年後のビジネスシーンは凄いことになるぞ。と言う事だったりする。
 つまり、それがすべてではないけれど、例えば大学などの場合、色々な地方から人が集まってきたりする場があったりすると、最初はお互いの環境のギャップにギクシャクしちゃったりするのだ。
 が、一気にうち解けてしまう話題の一つに、それぞれが子供の頃に見ていたテレビ番組なんかの話題があったりする。その辺りは、地域差はほとんどなく共通の(特に学校の場合同年齢の人の集まりだったりするから)話題になって、うち解けるきっかけになる場合がある。
 それが、あと10年以上先は、海外においても「ポケモン」と言う共通のキーワードでなつかし話として盛り上がれるようになったりする。
 実際に、知り合いはビジネス的なつき合いの外人と(向こうがカタコトの日本語しゃべれる状態だったけど)「鉄腕アトム=アストロポーイ」の話題で盛り上がって、その後ビジネス的にもうち解ける事が出来た。と言う例があったりする。

 ポケモンと言う共通言語を持った、子供達の未来は凄く可能性を秘めているかもしれないのだ。


▼放禁:ポケットモンスター
2000年1月7日(金曜日)それは嫌がらせですか?
 以前、携帯電話の音って本当に耳障りで、いくら着メロがどーのこーのと云っても、音色が耳障りと書いた。
 たしかに、あの音はすげーいらつく音だったりする。
 こうやって電子技術が進歩した今、もっと他の音だってアリなんじゃないの? って気がするのだ。

 と言う処で、昨年末辺りから進化した携帯電話って事で画像をカラーで送れるついでに、音が3音同時発音の和音が出せる機種が誕生しついでに音色も変わった。
 田村正和がCMしているヤツと、藤原紀香がCMしているヤツがあったりする。
(観月ありさのもあったかも知れない)
 で、特にしつこいくらいにCMをしているのが、藤原紀香がやっているJ-honeのがムチャクチャうざいのだ。
 以前から藤原紀香のやっていたこのシリーズCMはダサダサで、担当しているディレクターなりのセンスの悪さは最悪だと思っていた。
 いわゆる、町中で集団に追いかけられて逃げ回ると云う、すでに35年以上前の映画「ビートルズがやってくるやぁやぁやぁ」のパロディで、そのパロディってのも今まで腐るほど何度も見てきた。
 それを敢えて現代にやるというセンス、しかもそれだけで新しい要素はまったくないと言うクリエイターとしての頭の悪さを露呈するようなCMだった。
 が、それは流してしまえばいいCMだったのだ。

 今度の新しく音が変わって3音になった携帯のCMは、最凶に最悪なのだ。
 どっかの喫茶店かの映像で、携帯電話がこれ見よがしにテーブルの上に置いて、その向こう側に会話をするサラリーマンがいる。
 そして携帯電話のベルが鳴り、その表示画面にはカラーで藤原紀香の顔が表示されるという物なのだ。
 しかし、延々と携帯が鳴り続けると言う「うっせーよ」と言う物で、しかもそこで使われている着メロってのがこのシリーズで使われている曲なんだけど、それが単調なメロディだけとったら思いっきりつまらない曲だったりする。
 それが延々と流れている。15秒CMだとすると、10秒は延々と流れている感じだったりする。
 で、最後に藤原紀香が現れて、その携帯を手に取り「ごめんなさい」と云うのだが、本当にごめんなさいだっての。
 でもって、やっぱしこの新しくなった携帯の音色ってのが、何故かそれまで以上に耳障りでうっせー音なのだ。
 それが、必要以上に頻繁に1日に何度も何度もテレビから流れてくるので(と言うか、あんましテレビを見ているワケではないのに、何度も見る)もーうるさいうるさいっての。

 もっと音色が耳障りでない携帯電話はでないのかな?
 と云うか、耳障りじゃないと気付かないのでワザとなのか?

2000年1月8日(土曜日)挟まれる
 僕はその時、挟まれていた。
 そして進退窮まるとはこの事だと考えていた。
 いったいどうしてこんな事になったのだろうか、僕が悪いことをしたのだろうか、いや記憶の中を探してみてもここ数日間これといって悪いことはしていないハズなのだ。
 両側からやや控えめな機械の力でギュッと挟まれた状態で僕は、灰色の頭脳を回転させていた。どうしたらいいのだろうかと。

 その日、自分は去年から長く続いている風邪を再び見て貰おうと病院に出かけたのだ。もしかしたら結核なのではないか?と言う恐れもあったので、ここは一つちゃんと見て貰おうではないかと思ったのだ。
 ま、そんな気持ちと裏腹に病院ではベルトコンベア作業のように「あ、風邪ですね、ノドがあれていますから薬を塗りましょう、あとはそこで注射を打って下さい」と」言われただけだった。
 そうかそうか、と安堵しつつ何か物足りないなと思いながら、レジで診察料を払い、薬の調合を記入した紙を受け取った。
 今は医薬分業と言うことで、病院の外にある薬局で病院で指定された薬を購入すると言うパターンになっているのだ。便利なのかどうか判らないが、なんかパチンコの景品交換みたいだなぁと思っていた。
 どう考えても、病院の横にちょこんと間に合わせのように建っているその薬局は病院が経営しているんだろうなと言う感じの建物だった。そこへ入ろうとしていたのは自分だけではなく、自分の1つ前に診察をしていたおばさんだった。
 そのオバさんが薬局の入り口にあるドアの処をタッチするタイプの自動ドアを開けて中に入ろうとしていた。自分もその開いている自動ドアに急いで身をすり入れようとした時だった。
 その自動ドアは僕がいると言うのに、有無をも言わさない状態でウィンガッシャンッと閉まってきたのだ。
 と言う事で、風邪によりぼーっとしていた僕は、反射神経が著しく消耗している為に、逃げる事も出来ずその薬局の入り口の自動ドアに見事な状態で、両腕を動かせない状態で挟まって閉まったというワケなのだ。
 ここまでの瞬間、約0.4秒の間にそんな過去の事からを走馬燈のように思い出して、さてどうしようかと考えていた。
 普通の自動ドアと言うヤツは、ドアマットの処に体重を感じたら開くと言うタイプや、赤外線センサーで開くと言うタイプがある。
 しかし、これには一長一短あってドアマットタイプの場合は、設定重量にもよるのだが子供や体重の軽い女性の場合開かない事があったりする。あるいは細いハイヒールの場合、体重を知らせるポイントが点に近い状態なので感知してくれない事もあるらしい。
 赤外線タイプの場合は、子供でも開くのだが猫でも犬でも開くという欠点があったりするのだ。
 そこで、不用意に開かず、ドアを開けたいという明確な意志のある人にしかドアを開かないと言うタッチセンサータイプが出てきたりした。が、よく考えてみればこれを「自動ドア」と呼んでいい物なのか?と言う事になる。
 なんせ、開けたい場合にはスイッチを押すと言う仕組みになっている。確かに、その後は機械の力で自動的にドアが開くのだが、根本的にスイッチを押すと言う行動が前提にあると言う事になっているワケで、これを「自動ドア」と呼ぶのには抵抗があるのだ。
 などと思いつつ、このタッチセンサー式の自動ドアもどきの欠点が今見事なまでに露呈しているのだ。
 つまり、それまでの自動ドアの場合、マットに重みを感じている間、赤外線が物体を感知している間、はドアが開いていたのに対して、このタッチセンサー式の場合はずっとタッチしていると言う事はほとんどなく、「タッチ」「開く」「入る」「設定された時間の後、自動的に閉まる」と言う仕組みになっているのだ。つまり、タッチしてドアを開けた人が何かのアクシデントでその場に立ちすくんでいた場合は容赦なくしかるべき時間経過の後ガション!と閉まって、その人は挟まれると言うワケなのだ。
 ま、現状の自分がそうなのだが、これを突き詰めていくと、このタッチパネル式自動ドアと言うのは「開く」方に対しての自動ではなく、「閉じる」方への自動ではないのか?と言う疑問に突き当たるのだ。
 そうか、これはこれで自動なのだな・・・・。

 と、そのドアに挟まれながら0.8秒の間にそんな事を考えていた。
2000年1月9日(日曜日)寒い日
 風邪を引いていると言うネタはしつこいくらいにやっているので、この『ぐうたら日記』を連続して読んでいる人にとっては「又かよ」と言う事になる。
 まったくもって、林屋こぶ平の「とうちゃんズボン破れちゃったよ」「又かい?」ぐらいにしつこいネタだという事になる。
 しかし、風邪をひいちゃって生活の行動半径がいつも以上に狭くなって、さらに神経を行き届かすことのできる範囲が狭くなって、興味を持てる項目が少なくなって、脳神経のつながり方が甘く緩くなっている状態なので、ハッキリ云って書くことが極端に少なくなってしまうのだ。
 あぁと思ってぼーっとしている。

 寒い・・・・

 と言うことで、ストーブを付けようとしたのだがストーブの中に灯油が入っていないのに気が付いた。
 そー言えば、去年の風邪のひき初めだった23日に灯油を入れて、その2日後辺りに灯油が終わって・・・・それっきりだった事を思い出したのだ。
 確か、その後もやけに寒い日があって「ストーブの灯油を入れないと・・」と思った日もあったのだが、どーも面倒くさいと言う理由で灯油を入れずに、布団をかぶっていればいいのだ。とそのままにしていたのだ。
 つまり、寒い寒いと言いつつ10日もそのまま我慢してしまったのだ。
 まったく、自分の面倒臭がり具合、ここに極まれり!と言う感じなのであります。

 私は基本的に細かい作業が好きなので一部の人には細かい性格なのではないか?などと思われたりする。
 私はいわゆる情報関係のデータベースを構築したりして、1つの疑問の事例があったときは「それはあの本に書いてある」と言うことが解るようなデータベースを創っていたりする。その為に整理整頓が得意なのではないか?などと思われたりする。
 私はいわゆる血液型がA型なので、記帳面で掃除好きなどと思われたりする。
 しかし現実はそんな事はまるっきりなく、思いっきりな面倒くさがり屋だったりする。
 その為に、1階にいれば予備の灯油はあるのにそれさえ面倒臭くて行動に移さなかったりするのだ。「寒い」と「面倒臭い」を秤に掛けた場合、「寒い」は持続性があるのに「面倒臭い」はダッタタタタタタと1階へ降りてガボガボボボと灯油を入れてダッタタタタタタと2階へ上がってくれば終了してしまう事なのだ。
 が、どーもそれが面倒臭いらしく「ま、寒くてもいいや」で毛布をかぶってしまう私なのであった。

 このストーブとの戦いはこの灯油を入れると言う処だけではなかったりする。
 今の季節が終わって春になる頃、ストーブの役目は「暖める」と言う物から、何故か「本なんかを置いておく棚」に変化している確率が高い。
 と言うか、今でさえ寒いのに灯油が入っていないストーブの上には雑誌が置いてある。きっとこの先、灯油を入れる事がないままだとずーっとそれが持続され、気が付いた時には「これ以上積み上げる事が出来ない」と言うギネスブックに挑戦級の雑誌積み上げ棚になっていたりする。

 で、ある日「う〜む」と思ってしまうのだが「もしかしたらこの部屋にある、この物体は季節的に似つかわしくないのではないか?」と言う事に気が付いてしまったりする。
 窓の外では蝉時雨がうわんうわんと鳴り響く中、汗をだらだら流しながら見つめるストーブと言う名の棚。そこで「片づけなくてはいかんよな」と決意してしまったりするのだ。確かに真夏のストーブほど似つかわしくない物はないと思う。
 が、そこでも私の面倒臭がりは発揮されてしまう。片づけなくてはいかんと決意したのだが、決意しただけで行動に移さなかったりする。
 ほんの数メートル先にあるクローゼットの中にしまい込めば良いというのに、それさえ「ま、後にしよう」などと考えたりする。
 で、やっと片づけたりするのが夏休みも過ぎて秋の空になりはじめた頃だったりする。はっきり言って、その季節は少ししたらストーブが必要になるんじゃ無いか?と言う予感をはらんでいるのだが、思い立ってしまった私を留める事は出来ないのだ。  で、しまい込まれたストーブなのだが、それを再び出すのは寒くて寒くてしょうがない大晦日直前になったりするのだ。
 それまでは、寒くても「毛布かぶっていれば・・・」

 はっきり言って私はこんな性格を直さなくてはいけないと痛感している。
2000年1月10日(月曜日)ハッピーマンデー:成人の日
 と言うワケで、今日は成人式って事で会社は休みだったりする。
 と言いつつ、いまだに風邪で体調がよくないのであんまし休みと言われても「うっひょ〜う」と大騒ぎする事が出来なかったりする。
 それでも、なんとか以前より良くなったのでちょっと出かけたりはするのだが、ダルいっす。

 で、街を車で走っているとあちらこちらに着物姿の女性が歩いていたりする。あぁ日本の成人式だなぁ(外国にはこんな式典あるのかどーか知らないが)
 しかし、晴れ着の女性は見かけるけれど、いかにも成人式って感じの男ってのは見かけないな・・・・。
 などと思いながら、その晴れ着集団の横をすり抜けつつ、その女性たちをチラと見ると・・・・うわ、ガングロ。似合わねぇ
 ま、その辺の美意識の差ってのは各自それぞれなので強請できないが、どーにもあのガングロ系には着物は似合わないって感じ(いわゆるヤマンバまで酷いのはいなかったけど)

 だけど、夕方のテレビニュースを見ているとあいかわらず、各地の成人式で(ほとんどが東京だと思うけど)バカを代表する新成人をカメラが捉えて「最近の成人はこんなにどうしようもない」と言う図式を強調していたりする。
 まったく、毎年飽きもせずにテレビ局ってのは解りやすい情報操作をしちゃうねぇ、それじゃ、大多数のまじめな新成人がかわいそうだっての。オ馬鹿で自分たちがテレビに取り上げられるのが「馬鹿にして笑われる為」って事に気付いていないような自意識バリバリの人々が代表的に取り上げられているってのは。
 昔から「悪貨は良貨を駆逐する」って言葉があったけれど、実際の処「良貨」は「悪貨」の恥ずかしさを知っているから「悪貨」には成らないって。ただ、「悪貨」は異常に目立つ(目立つのが好き)から世代の代表みたいな顔でのさばってしまうって事なのだ。

 あと10年後、お馬鹿だった彼・彼女だちはそのみっともない成人式時代の写真なんかをどう思って見るのか?