杉村ぐうたら日記(2000年2月21日〜31日)

▲2000年2月21日:月曜日:0.5秒
▲2000年2月22日:火曜日:野球野郎の好み
▲2000年2月23日:水曜日:コンプリート オブ 杉村
▲2000年2月24日:木曜日:当選は発表を持って… 
▲2000年2月25日:金曜日:ギターキッズ野口五郎
▲2000年2月26日:土曜日:不敬罪
▲2000年2月27日:日曜日:重大発表!(予告編)
▲2000年2月28日:月曜日:雑学の穴
▲2000年2月29日:火曜日:事故の場合
2000年2月21日(月曜日)0.5秒
 ぼけーっとしていた。
 目の前の信号は赤だった。ま、ぼけーっとしているのはいつもの事なのだが。
 で、その信号が赤から青に変わり、前に停まっていた1台の車も動き始めたので、自分も・・・と思った瞬間だった。
 『ブワッッバーァ!』
 と天地を揺るがすような大音響が…
 びっくりしてしまったのだが、この音の正体は私の車のすぐ後ろについた大型トラックからの物だった。
 うぬぬ、と思いつつ車を発進させた。
 この手の、大型トラックにありがちな行動として、赤信号から青信号に変わった瞬間に前の車を威圧する為にクラクションを鳴らすと言う物がある。
 それ以外の場でも、とにかく何かあったらクラクションを鳴らす。
 前の車にクラクションを鳴らしてもどーしよーもない渋滞の場面でさえクラクションを鳴らして、人々のいらだっている気持ちにさらに大きなささくれを作り上げるのだ。
 しかも、今自分の真後ろにいる大型トラックの運転手は思いっきり嫌なヤツらしく、まったく隙間がないほどピッタリと私の車に接近して走っている。
 おかげでバックミラーの中には風景はまったくなくトラックの前面がどどーんとくっついて写っている。
 サイドミラーの中もほとんどトラックしか見えない。
 きっとトラック側としては「はよ走れ、おらおらおらおら」と言いたいのかもしれないのだが、前方をみるといくら頑張って走ったとしても赤信号で車が止まっていたりするのだ。全くもーと言う感じだったりする。

 そんなこんなで、またしても赤信号で停止した。そして後ろには驚異的テクニックで1mmほどの隙間を開けて大型トラックが止まっていた(あくまでもそんな感じって事で)
 なんつーか、元々そーゆー性格だって言うのもあるんだろうけれど、それがトラックと言う「他の車と勝負しても負けないぜ」と言う甲冑に身を包んだために、気がさらに大きくなり「ワシが一番だもんね」となってしまったに違いないのだ。

 と言う所で、この短気なクラクションはどのくらいの待ち時間で鳴るのか?と言うことを計ってみたくなってしまった。
 現在、赤信号で止まっている車は私の前には3台。
 と言うところで信号が青に変化して、一番先頭の車が動き出した。当然、自分の車はその前の車が動き出さないと前に進めない。
 前の車が動き出した… と思った瞬間、いきなりクラクションの重低音が『ブワッッバーァ!』と響いたのだ、あまりの素早さにびっくりしてしまったのだが、その時間約0.5秒、ハッキリ云って前の車と同時に動き出すってのは無理な話で、それくらいの時間は許せって感じだったのだ。
 なんだかなぁ… 確かにトラックは座席が高いぶん、私なんかより先に遙か彼方の情報を知り得るんだろうけれど、それにしてもねぇ…
2000年2月22日(火曜日)野球野郎の好み
 てなワケで去年もやったんだけど、『プロ野球選手年鑑』による調査です。
 ☆野球選手はどんな芸能人が好きか? 2000年版
【17票】中山美穂
【16票】松嶋菜々子
【11票】森高千里
【10票】広末涼子
【8票】優香・鈴木あみ
【7票】小泉今日子・藤原紀香・内田有紀
【6票】浜崎あゆみ・和久井映見・本上まなみ
【5票】菅野美穂・石田ゆり子・飯島直子・山口智子
【4票】酒井法子・深田恭子・奥菜恵・加藤あい・鶴田真由・矢田亜希子
【3票】木村佳乃・鈴木京香
【2票】20人
【1票】沢山

 中山美穂と松嶋菜々子が1位2位で切迫しております。
 しかし……どこまで本気なのか解らないけれど、【1票】の中にルパン三世の峰不二子とゲーム「ときめきメモリアル」の藤崎詩織の名前があったりします
 さらによく見ると、その中にあの試合に負けるたびに泣いちゃう卓球少女の 福原愛ちゃんの名前が… マニアックですなぁ
 で、以外なのはモーニング娘。関係では安倍なつみがひとりだけしか登録されていなかったりします。
 SPEEDからは今井絵理子・上原多香子、MAXからはレイナのみ。
 地味にマニアックな処では高見知佳とか、渋い処では岩下志麻とかなかなか野球選手はマニアックです。

 てな事で、この先色々と去年のデータとの比較とか色々やったんだけど、日記でというより別項目でと言う感じになっちゃったので、『重箱調査団』の中に詳しくは掲載していたりする。

2000年2月23日(水曜日)コンプリート オブ 杉村
 メールで「知泉」に関して『最近の知泉は1回分の量が多すぎます。読み切れないので、雑学と疑問を二つのマガジンに分けてくれませんか?』などと言う物をもらった。
 うーむ、ごもっとも。
 確かに自分で編集していても毎日の量が多いなとは思っていたりします。
 でもって、ここの『ぐうたら日記』に関してもちょっと全体的に文章が多すぎないか?と言う気もしたりします。
 もっとスマートでセンスのいいHPのあっさりした日記だったら、この10日分以下の文章でスパッと一ヶ月を言い切っていたりする。それが、これでもかこれでもかという大量の文章を果てしなく止めどなく書いていたりする。
 とりあえず、インターネット日記を始めてから、あと1週間でまるまる2年と言う事になってしまうのだが、その間にどれだけの文章を書いたのか・・・たとえば400字詰めの原稿用紙に直したらどれだけの枚数になるのか?
 一般的な字詰めの文庫本で編集したらどれくらいの厚さの本になるのか?と言う感じだったりする。

 もし将来何らかの形で「杉村と言う男が駆け抜けていった時代をコンプリートしよう!」などと言う場合になったら、どうなるのだろうか?
 コンプリートってのは日本語になおすと「完全版」と言うことだったりするのだが、現時点がたぶん今までの人生の中でもっとも短期間に大量の制作物を生み出していると思うのだが、実はここにいたる間での20年余りも周囲から見たら大量制作野郎だったらしいっす。
 物を作るってのに目覚めてしまったのは中学生時代だったけれど、この当時はテクもないし、知識も無かったので、ギター弾いて既製の曲を叫んでいるだけだった。美術の授業など以外で作ったものは、何種類かのボードゲームを考案して放課後みんなでワッセワッセと遊んだ経験もあったりする。
 1週間ごとに新しい種類の(単純なものだったけど)ボードゲームを考案したり、どっかからヒントを持ってきたものを発展させたり、色々やっていた。
 それ以外にも文章とか絵も描いていた。
 で、高校に入った時から暴走しはじめて、とにかく漫画を日々書いて、一気に100頁の超大作だぁ!みたいな状態だったり、さらに曲を作るのだぁと毎日最低1作の詩を書いて、それに曲をつけて… ついでにアニメなんかも作り始めて…
 それの勢いが、美術学校に進学してさらに暴走して、漫画、アニメなんかをこつこつ作る日々。高校時代とは違って夜中も延々と絵を描いたりする日々。
 それから社会人になっても、延々と制作を続けて、某ポプコンなんてのにも出場しちゃったり、個人雑誌「たこやき便り」なんてのを発刊したり、パソコン通信でオリジナルMIDI曲を毎週発表したり、そして現代用語の基礎的ではない知識やらなにやら、で去年からメールマガジンを始めて…
 なんか、今思うと「勘弁してくれ!」って作品も多いが全部まとめたらどれだけになるのか検討も付かないのだ。
 そして、きっとこの先もこんな調子で突っ走るしかないのだ。
2000年2月24日(木曜日)当選は発表を持って… 
 去年、CMの放映本数を少なくしていた事が発覚してあわや「放送免許取消」と言う直前までいった静岡第一テレビがまたしても事件を起こしてくれました。
静岡第一テレビで今年1月、番組の視聴者に抽選で当たる景品を、応募者が少ないことから番組の制作アシスタントらに応募させ、当選させていたことがスポンサーの指摘で判明。過去12週でも60の当選のうち16人が内部関係者。
 なんかみみっちい事件っすね。
 しかし、と言う事は応募したら確実に当たると言う商品だったワケっすね。いやはや。
 私はとりあえず静岡に住んでいたりするんですが、TVは基本的に東京のチャンネルを見ていたりします。
 この伊豆って土地は、神奈川のすぐお隣って事で関東よりの情報が流れていたりするわけです。だからテレビのチャンネルが東京のチャンネルと、静岡の民放4チャンネルと全部見れたりするのです。(見えない家もある)
 でもって静岡と言うと、けっこう横に長く、一番西側の浜松方面になるとお隣が愛知県で、関西方面の流れもあるために静岡の民放では関西系のテレビ番組を放映していたりする事も多い。

 てな感じの静岡テレビ事情なんですが、静岡ローカルの番組ってのがなかなか地方色あってしょぼい物が多いので、げんなりしちゃって私は見なかったりするのですが、毎週5名様にプレゼントに応募ハガキが集まらないってのは… 営業努力が足りないんじゃないかなぁ なんせバラ園の懸賞だってもっと集まるから。

 かし、静岡の番組を見ていて気が付くことは「パチンコ屋」と「結婚式場」のCMが異常に多いと言うこと。こりゃ、いったいどういう傾向なんだろ。
2000年2月25日(金曜日)ギターキッズ野口五郎
 去年からの『郷ひろみ:リッキーマーティン』『西城秀樹:エンリケイグレシアス』のカバーに引き続いて、こんどは御三家の最後を飾るように野口五郎がサンタナの久々のヒット曲をカバーする事になった。
 ついでにこの曲は、グラミー賞で過去最多の13部門(かな?)を独占してしまった。
 と言うニュースをテレビでやっていて、その番組のコメンテーターが「サンタナは我々にとって犯さざるべき聖域ですよ、それをカバーなんて冒涜もいい所だ、どうせ郷ひろみや西城秀樹に続く三匹目のって所なんでしょうけど」まどと発言していた。 ほうかほうか、犯さざる聖域ねぇ。
 突然売れたからそー思ってしまったワケですか。
 本当に60年代からずっとずっと「サンタナは我々の聖域」だなんて思っていたんでしょうか? だったらその今ヒットしているサンタナの曲のボーカル担当の若造に関しても憤慨しているはずなんですが・・・

 サンタナっつーと確かに60年代から70年代にかけての哀愁のラテンギターって感じですが、野口五郎だって「てめぇらにそんなこと、言われたくねぇや」と思っているに違いない。
 なんせ、70年代のギター好きな人の間では野口五郎ってのは、かなりポイント高い人として記憶されていたりする。一般的には歌謡曲歌手なんだろうけど、70年代後半からヒット曲と縁が無くなってしまったのは実はギター系のアルバム制作にのめり込んでしまったという理由があったりするワケっすよ。
 70年代中期にリーリトナーとギターで競演をするアルバム作ったり、自宅地下にスタジオを作ったり、でもってコンサートではサンタナのカバーをやったり…
 つまり、野口五郎にとってサンタナは目標の一つだったワケで、そこらの安易なカバーとはちと趣が違っていたりする。
ついでにサンタナ本人とも何度も逢ったことある上、今回の曲は向こうからも「ゴローならば」と承諾があったらしい。

 昨今のディストーションで誤魔化したヘタクソなバンドとはまったく違うアプローチのクリーンなギターサウンドをちゃんと作れる人なのだ、野口五郎って人は。
 ま、それがヒットするかどーかってのは解らないけどさ。あの人自身、押しが弱い人だから郷ひろみみたいに捨て身の攻撃の出来なかったりするんで。

▼邦題:恋のメラメラ
2000年2月26日(土曜日)不敬罪
 《セミテン》って言葉知ってますか?
 これは今から40年以上昔の「現代用語の基礎知識」に掲載されていた言葉なんだけど、現在の天皇がまだ皇太子だった頃(1958年/昭和33年)まだ結婚もしていなかった学生時代に、学習院の同級生から付けられたあだ名だと説明されている。
 つまり「天皇」ではなく「準・天皇」と言う意味で「セミ+天皇」→「セミテン」と呼ばれていたらしい。で、皇太子もそれに対してちゃんと答えていたと記されている。
 きっと今だったら、そんな事恐ろしくて言えないだろうなぁ。
 ちなみに現在の皇太子の学習院時代の愛称は「デンカ」… ってそのまんまなんだけどね。

 さらにこの「現代用語の基礎知識」の中には現在の天皇が学習院時代に言われていたあだ名が掲載されているんだけど、それが《チャブ》。
 《セミテン》と付けられる前のあだ名らしいんだけど、これの意味がなんと『茶色の豚』って・・・・ちょっと普通の人に言っても問題起きそうなあだ名なのに、皇太子はちゃんと返事をしたそうで、心が広い。
 何故そんな呼び方になったのかは不明だけれど、勝手に想像すると昭和天皇が自分の事を「朕:ちん」と呼んでいたけれど、それの漢字的なもじりで「豚」だったんじゃないかな? よく解らないけど。
 なんか凄いっす。まだ天皇が人間宣言して10年ちょっとと言う時代なのに。

 などと思ったりするのだが、どうも天皇家を崇めまくると言うことは最近どんどんエスカレートしてんじゃないかって気もするのだ。
 その証拠に、現在の皇太子妃の事を「雅子様」とどのマスコミも表現するけれど、その前、現在の皇后の時代の雑誌やテレビニュースなんかでも全部「美智子さん」だったりする。
 「美智子様」などと言っているマスコミは居なかったと思う(あくまでも自分はリアルタイムじゃないので、過去の映像などで判断していますが)。
 さらに、美智子さんの秘話なんかが雑誌に漫画として連載されて問題になったり、時代的に考えると約40年前の方が皇室って身近で庶民感覚で親しまれていたって感じがしちゃうんだけど…

 しかし、雅子様おっかけオバさんって、自分は皇室を愛しているみたいな事を感じているのかも知れないけれど、あれってただの珍しい動物を追いかけているような感じの無神経な行動だと思ってしまうのだ。
2000年2月27日(日曜日)重大発表!(予告編)
 いやぁ日々メルマガを編集発行してて、ちょっとすり減り気味の私です。
 やっぱ、週6回、しかも毎回濃いってのはよくないっす。とりあえず2月が終わるとちょうど創刊から半年で150号と言うキリの良いところになったりする。
 その間には、本職の方が大変な事になって発行できるか?と言う日々もあったし、最大の危機は去年からの大風邪ひきだったり、まったくもー身を削るとはまさしくこの事だったりする。
 その割にちぃっとも痩せないってのが不思議な現象なのだが。

 そのメルマガと平行して、週に1回だけどかなり頭をひねりまくる「ひねもす本舗」と言うメルマガも発行している。
 さらに更新が遅れまくっているが、こんな日記も書いている。
 ついでにHPの方でも色々『重箱調査団』とか『豆知泉』とかをやっている。
 なんだか、凄いっす。

 でもって本職だってやっているからねぇ。
 とりあえず何とか運営を続けていられる状態だったりするけれど、それはあくまでもギリギリの基準値で、これに何かしらアクシデントがあるともうアウトということになってしまう。
 ま、メルマガの「知泉」の本編の雑学部分は実はもう5月分まで編集が進んでいたり(つまり「疑問を考える」と言うコーナーがなければ、5月まで何もしないで済む)、HPで新しく始まった『豆知泉』なんかは2日に1度づつ新作豆知識10本というペースで発表しているけれど、現時点で10月分までの物が編集済みだったりする。(&メモ帳などに書いたままの状態の豆知識もまだ大量にある)
そんなワケで、端から見ているのより現時点の作業量は少ないのだが、「疑問を考える」と、ネタがいっぱいいっぱいの「現代用語の基礎的ではない知識」と、この「ぐうたら日記」が大変な事になっていたりする。
 と言うことで、とりあえずここで宣言しちゃいます。
 メルマガの「知泉」は5月以降は週に4回ぐらいの発行にペースダウンさせます。
 これのほうが読者にとってもラクだと思う。

 などと言って、毎回の号はいまの2倍の長さになる可能性だってあるけど・・・。
 《正式発表は4月中旬予定っすけどね》
2000年2月28日(月曜日)雑学の穴
 雑学は奥が深いっす。
 とりあえず今、我が家の本棚には『雑学コーナー』と言う物があって、いわゆる「雑学本」と呼ばれているような物をまとめて収納している本棚がある。
 そこに収納している雑学本はざっと300冊を超えている。
 それ以外に、知泉に掲載する際には他の辞書とか、雑学ではない本当の学術書関係とか色々調べたりする。(文庫本だけで2000冊を超えているけれど、もう数は数えきれないっす)
 でもって、その情報を調べたい時にいかに素早く取り出すかってのが現在の課題になっている。
 いわゆるファイリング作業なのだが、現在地味にベースデータソフト「ファイルメーカー」でどの項目がどの本に掲載されていたか?と言う物の一覧を製作しているのだが、遅々として進まないっす。

 しかし、自分もそうだったりすることが多いが、本に書いてあることで違っている物が多かったりするので、1冊2冊の本で「これは!」と書いてしまうのは危険だなぁと感じてしまったりする。
 なんせ、多くの本に「これが定説!」と書かれている事柄にも、実は「まだ学会では正しい答えは判明していない」と言うものがある。
2000年2月29日(火曜日)事故の場合
 私はこれまで事故になんどか遭遇している。
 1回は自分でちょっとしてしまったもの、そして2回後からぶつけられたもの。
 でもって、自分で犯してしまった事故の場合、あんまし大した事故ではなかったのですが、ぶつけてしまった相手に菓子折を持って謝りにいって(もちろんそれとは別に修理費などは出しました)その事故の時に同乗していた人の家にまで菓子折を持って「すいませんでした」と謝りにいったんですが、どうも最近は「それはやってはいけない事」になっているらしい。
 保険会社的にもそんな事が指導されているらしい。
 実際、それがそうなのかどうか判らないけれど、今まで2回後からぶつけられた物は(1度は赤信号で止まっているとき、1度は右折しようとして止まっているとき)その事故の時にしか、相手を見ていない。つまり、事故が終わった後「お加減いかがですか?」と言うものは一切無く、声さえ聞いていない。
 完璧に事故の後は相手側の保険会社の人としか会っていなかったりする。
 これでいいの?って気がしちゃうのだ

 なんせ、ぶつけられたこっちは車を工場に入れたり、代車の手配をしたり、病院に行って検査をしたり、相手の保険会社の人と何度もあって金銭的な話をしたり、かなり事故後あれこれで動き回らなくならず、会社を早退したり・・・・
 どうも事故を起こしてしまった後は保険会社の人に任せればいいや的な感じなのかも知れない。
 しかも2度目の事故の人は「家に連絡されると親が心配するので自宅には電話を掛けないで下さい」というメッセージを貰ったりした・・・・おいおい。

 確かに、保険の%の関係で事故直後もどんなに自分が悪いと思える状況でも「絶対に自分が悪かったと言うことを認めることを言ってはいけない」と言われているらしい。
 なんか寂しい話だねぇ

▼閏年:400年に一度の閏年