< 杉村ぐうたら日記(2000年3月11日〜20日)

▲2000年3月11日:土曜日:パラパラ
▲2000年3月12日:日曜日:死刑囚のパラドックス
▲2000年3月13日:月曜日:パクラレ
▲2000年3月14日:火曜日:盗作と言う事
▲2000年3月15日:水曜日:雑学系
▲2000年3月16日:木曜日:我が道を進む
▲2000年3月17日:金曜日:ON THE STREET CORNER 0
▲2000年3月18日:土曜日:仕事がどんどん増える
▲2000年3月19日:日曜日:枯渇したか?
▲2000年3月20日:月曜日:坊ちゃん世代?
2000年3月11日(土曜日)パラパラ
 今、しょっちゅうテレビでは携帯電話でメールを送ると安いと言うことを、安易なユーロビートに乗せて、ガングロな女性がパラパラを踊って宣伝している。
 うーむ、と思うのが、自分個人の感性では「音楽としてレベル低い」「ダンスとしてレベル低い」と言うことだったりする。
 ユーロビート自体が70年代末期のミュンヘンサウンドあたりから来ているものだと思うのだが、その「ミュンヘンサウンド」ってのがダサいの代名詞だったりするので、どんなに頑張ってもダサいんだけどさ…

 で、あのパラパラってのも、思いっきり80年代のダサ文化「竹の子族」の引用だよね、いくら頑張ってもそのルーツの「盆踊り」から抜け出せないって感じ。
 いわゆるダンスブームってのが80年代あったんだけど、そこでは確かに凄いテクのダンスも多かったが、それ以上に多かったのがダンスを完璧に振り付け通りに段取りを踏んでみんな一斉に同じ振り付けで踊るものと言う図式の上で成り立っていたと言うこと。
 先日もテレビで「パラパラの教祖」とか言う、薄汚れた顔した女性が出てきて数人にレクチャーしていたのをやっていたんだけど、「ここで腕をこうして、はい、こうして、次の処でこうやって」と完璧に振り付け通りに踊ると言うのが完成型になっていた。
 うわ、薄ら寒い。

 で、そのダンス自体がほとんど幼稚園のお遊戯状態。などと入ったら幼稚園児に怒られそうな感じで、リズムもノリもあったもんじゃなくて、段取り段取りで決められたポーズを決めていくと言う物。
 そこで1つ解ったのは、ダンスと言っていても足は横にゆらゆらサイドステップ以下の動きしかしないと言う事。だから『厚底靴』でもOKなのだ。
 普通あの靴はダンスのステップには向いていないだろーと思ったのだが、足下は全然ステップ踏んでいないのであれでも大丈夫だったのだ。

 うーむ、踊りが全員同じってのは盆踊りだよなぁ…
2000年3月12日(日曜日)死刑囚のパラドックス
 死刑囚のパラドックスと言うものがある。
 ある死刑囚がいて、その死刑がこの1週間以内に執り行われると決まっているが、その死刑囚に死刑執行の日を知られてはいけない。と言う設定で話は始まる。
 死刑囚に日付を知られてはいけないと言う事になると、(ここでは日曜日を最後の日とする)最後の日曜日には当然死刑は行われない。
 なぜならば土曜日まで生き残ってしまった場合、死刑囚に「明日殺されるんだ」と言うことを悟られてしまうからなのだ。
 と言うことで、実際に死刑が執行されるのは月曜日から土曜日だと言うことになる。
 しかし、よく考えると金曜日に生き残ってしまった死刑囚は「日曜日は絶対に死刑が執行されないんだから、明日の土曜日に執行されるんだな」と解ってしまうという問題が発生してしまう。そんな訳で、日曜日と同様に土曜日にも執行される事はない。
 とすると、木曜日に生き残った死刑囚は「土曜・日曜に死刑が執行されるハズないんだから、明日の金曜日に執行されるんだな」と解ってしまうために、金曜日に執行する事はできなくなる。
 とすると、水曜日に生き残った死刑囚は「金曜・土曜・日曜日に死刑が執行されるハズないんだから、明日の木曜日に執行されるんだな」と解ってしまうために、木曜日に執行する事はできなくなる。
 とすると、火曜日に生き残った死刑囚は「木曜・金曜… 」

 キリがない上に、結局、死刑囚に知られないように死刑を執行することは出来なくなってしまうと言う訳なのだ。
 でも実際には執行しようと思えばいつだって出来る。でも日曜日だと土曜の夜に…
2000年3月13日(月曜日)パクラレ
 メルマガの読者から「現代用語のネタが勝手に某所に書き込まれています」と言うメールをもらった。
 今まで、雑学系や誕生日関係の盗用というのは何度も経験していたんだけど、ついにそれもですか…
 ある意味、そう言う形で盗作の対象になるって言うことは認められたのか?と言う気もするけれど、あんましいい気分の物では無かったりする。
 雑学ネタは編集編纂していたりするがベースに底本があったりするので、純粋な意味の自分の作品では無かったりするが『現代用語の基礎的ではない知識』に関しては、どのネタも頭をひねって考えた作品だったりするので、ちと辛い部分があったりする。
 で、その教えられた掲示板に行ってみると… 見事なほどに現代用語のネタが(しかも作者名を消した状態で)どどーんと大量にアップされていた。
 しかも、そのアップした人物は「俺の作品に対抗できるネタを考えつくかい?」みたいな事を書いていたりするのだ。うむ、偉そうだぞおまえ。
 で、嬉しいんだか悲しいんだか、そこに書き込まれたネタに関して誉めてくれる人、けなす人、そして自分もとオリジナルネタを書いてくれる人…
 なんだかなぁと思いつつ、そこに、このネタは盗用されて書き込まれた物だという事を記載した。

 なんか、悲しくなってしまったっす。
 なんと言いましょうか、インターネット上の無責任な行動と言う物に関して、色々と考えてしまったのだが… しかしとりあえず、自分の場合はこっちの方がオリジナルだという事を証明してくれる1300人ほどの読者がいたりする。
 なんか気持ちが寂しくなってしまったっす。

2000年3月14日(火曜日)盗作と言う事
 そんな訳でインターネット上のコピーペーストはいかんよなぁ
 と言うことで、昨日その掲示板に書き込まれているネタがメルマガ「ひねもす本舗」に掲載された物です。と言う趣旨の文章をその掲示板に書かせてもらった。
 なんかその掲示板ってのが、ありがちな「自由な意見」と言う名の「匿名の罵倒言葉羅列掲示板」と言う感じだった。
 パソ通時代から、この手の無責任な事を書く処はいくつもあったが、ある種「何が面白いんだろう」と言う感想を持ってしまう。無責任な発言や、他人を罵倒するたぐいの書き込みは誰にだって出来るし、そんな事をしているのって思いっきり時間の無駄としか感じなかったりする。
 けど、人によってはそーゆー処で喧嘩腰で文章を書くのが好きな人がいたりするから面倒くさいんだけどね。
 こんな事件がなかったら、そんな掲示板には行きたくないってのが本音。

 ま、そこに「これは『現代用語の〜』と言って…」と書き込みをして、数時間後にそこへ再び行ったのだが、そこにはこの様な書き込みがあった。
『おまえのメルマガだってパクっているじゃねえか。こないだ俺のメルマガが盗作されたぞ』
 うーむと考え込んでしまったわけですが、「ひねもす本舗」と言うお笑いメルマガを発行しているんですが、他の創作系お笑いメルマガって1本も講読していなかったりする。
 最初の頃、何か面白いのあるかな?と、いくつかのサンプルを見たのですが、なんかイマイチ自分の気持ちとシックリ来る物が無く、さらに「もし面白い物があったとしたら、影響を受けてしまうかも知れない」と言う理由で講読してなかったりするのです。

 で、その掲示板の書き込みはさらに『雑学系のメルマガなんて所詮本からのパクリだろ、そう言うのを著作権違反と言うんだ』と言うことも書いてあった。
 うーむ、ぐうの音も出ないとはこのことかも知れない。
 確かに、雑学系のメルマガを発行するに当たって大量の本を資料として利用している。自分的にはそれなりに多くの説などを収集し、自分なりにかみ砕いて発表しているつもりだったのですが、他人から見れば「盗作」と思われてもしょうがないのかなぁ。
 なんか、再び深い部分に気持ちが落ち込んでしまった。
 はたして「雑学系メルマガ」というのは、存在しても良い物なのか?ダメなのか? 難しい問題なのだ。

2000年3月15日(水曜日)雑学系
 所詮パクリかぁ・・・・
 実に単純に打たれ弱い私は、その夜ベッドの中で天井を見上げながら、そんな事を考えていた。
 確かにねぇ

 うーむうーむと考えすぎて、体調を崩してしまう程、なんか打たれ弱かった。
 と言うのも、最近は自分の発行しているメルマガと言う物に関して、一種の自信を持って発行していたから、その根底からどっひゃ〜んと崩されてしまうようなテーマをぶつけられると、答えを求めて迷宮の中をさまよってしまうようになってしまうのだ。

 その掲示板に書いてくれた人のメルマガってのが何と言う物なのか解らないし、その盗作した文章ってのがどれなのか解らないってのが、よけい悶々としてしまう原因になってしまったのだ。
 もし本当に、盗作が認められたのだったら、そのメルマガの作者さんにも謝らなければいけないしなぁ・・・・
 と思いつつ、自分が講読しているメルマガって今、ほとんど無くなってしまい、その上、日々編集に追われている為に、まったくと言っていいほど読んでいなかったりする。
 とりあえず「後で読もう」とフォルダーを作って放り込んであるが、2・3のメルマガしか読んでいなかったりする。

 どうすりゃいいんだろ? とただ、悩んでしまい、メルマガ上でもポカをしてしまうし、仕事でもポカをしてしまう。
 本当に私はいかんなぁ・・・・もっと「おらおら、盗作やパクリがナンボのもんじゃぁぁぁぁ!」と突き進むだけの、ラテン魂が欲しいと思ったりするのであった。

2000年3月16日(木曜日)我が道を進む
 いかんなぁと思ったりする。
 自分がどーのこーのした訳ではないが、雑学系のメルマガなどにおける盗作・パクリと言うある種、答えが出そうで出ない問題に関して、ふと悶々と考え込んでしまって、思いっきり精神的に参ってしまっていたりする。
 思いっきり打たれ弱い私だったりするんだけど、それなりに自分としても本気でメルマガを作っていたりするんで、色々と考える部分が大きかったりする。
 もっと割り切ってしまえばいいのかも知れないけれど、頻繁に休日なんかもヘロヘロになりつつ図書館に出かけて調べ物をしたり、「いかにしたら良いメルマガになるか?」と言う部分でやってきていたので、ちと、その辺の問題は難しいなぁと思ってしまった。
 複数の文献を当たって文章を書いているつもりでも、ネタに寄っては多くの文献に書かれていなかったり、多くの文献に書かれていてもどれも同じ様な物だった場合は、かなり底本と似たような内容の雑学になってしまったりする。
 ま、雑学なんだから同じと言えば同じなんだけど…

 ちと、吹っ切っていかなきゃいかんな。
 あの掲示板にその後、どんな事が書かれているのか凄く気になるが、精神衛生的に良くないのでもう行かないことにした。
 うーむ、結局我が道を進むしかないのだ。
 とりあえず、その辺の問題は胸にしっかり刻み込みつつ。

2000年3月17日(金曜日)ON THE STREET CORNER 0
 私は思いっきりボケている。
 と言うか、色々な事を考えすぎてその結果、もっとも重要な事を忘れてしまったりするような人だったりする。
 あれをやらなくては、これもやらなくては、と色々日々に追われているせいなのかもしれないが、とにかく忘れてしまう事が多い。

 3月2日、ぼけーっと車を運転しながらCDを聞いていた。山下達郎のアカペラアルバム『ON THE STREET CORNER 3』なのだ。
 このシリーズはなんか夜中聴くといいんだよなぁと思いながら朝の通勤時に聴いていた。
 で、ふと全編英語で歌われているこの曲の歌詞を知りたくなって、CDのライナーノーツを引っぱり出した。
 そのとき、ライナーノーツに挟まれていたCDの帯がひらりんと落ちたのだ。
 それを拾い上げて見ると、その帯の裏側にはなにやら文字が書かれていたのだ『今回発売された3と同時に、リマスターでCD化された1・2の帯を3つ揃えて送ると、未発表の曲を収録したON THE STREET CORNER 0を応募者全員にプレゼント』などと書いてあるのだ。
 あぁ、そう言えばそんな事も言っていたな・・・・と思って、その応募の締め切りを見ると「2月29日」・・・・あぁおとといだ。
 え?おととい・・・・・

 私は車を運転しつつ呆然としてしまいました。
 なんせ、今回の3と同時にリマスターされた1・2も買っていたのだ。
 あぁぁぁぁぁぁ!

 そんな事が実に多い私です。
 ジョージアのプレゼントのシールを冬期に一生懸命集めまくり、結局応募しないで終わったりもする。
2000年3月18日(土曜日)仕事がどんどん増える
 私はあんましデジタル派の人間ではない。
 だからインターネットと言うデジタルスペースで思いっきりアナログ的な文字だけの伝達方法のメルマガと言うヤツにのめり込んでいるのかも知れない。

 だからHPなんてヤツが最近どんどんインタラクティブになって、難しい事になっていっているが、全然解らない。
 そのために勢いテキスト満載ページになってしまうのだ。

 でもって、色々先日の精神的打撃の余波がある中、大きな仕事をしなくてはいけなくなってしまった。
 ひねもす本舗と同時に私が作っているHP『杉山バラ園』ってヤツの中にある「バラ辞典」と言うものを完璧にリニューアル制作しなくてはいけない事になった。
 基本的にここに掲載されているバラは、杉山バラ園の中に咲いている種類で、それの苗販売をしているので、完璧にカタログとしてこれからの春シーズンには必要になってくるのだ。
 それを作らなければいけない。

 本当は去年から「作らなければ」と思っていたのだが、やっぱしメルマガ編集に追われ伸ばし伸ばしにしてきてしまったと言う事だったりする。
 素材としては、これまで2年以上に渡って撮影してきたデジカメの写真データと各バラの説明などなどを、いかに見やすく配置するか?ってのがセンスの見せ所になってしまうのだ。
 うーむうーむ、と唸りながら、またしても毎晩2時頃までHP制作を続ける日々が始まってしまったのだ。

 こんな事でいいのか>俺。

2000年3月19日(日曜日)枯渇したか?
 実は今、かなりきつい状態になっている。
 と言うのも、今度の水曜日に発行する「ひねもす本舗41」に掲載する予定の「現代用語の基礎的ではない知識」のネタが考えつかないのだ。
 しかも、発行が水曜日なのに日曜日の朝現在「1個」も考えついていないと言うのが現状なのだ。

 とりあえず、現代用語のネタは毎週10個と言うのが自分に課したノルマだったりする。
 やっぱりメルマガを発行する以上は、読者の皆様に楽しいんで欲しいと思う。確かに最近は読者投稿も増えてきたけれど、それに頼ってばかりいてはいけないと思ったりするのだ。とにかく、自分も書く。
 持続は力なりと昔の人は言ったが、確かにそう言う事かも知れない。

 いわゆる客を集めやすいメルマガってのがあって、もう一つやっている「知泉」が属しているカテゴリー「雑学」なんかだと、どうやら『新しい雑学系メルマガ始めますよ』と告知をすると、だいたいの場合が創刊号から読者数1000〜2000と言う感じみたいなのだ。
 つまり、そのメルマガの内容がどーのこーのと言う前の段階で無条件に反射的に講読してしまう人がそのくらいの数いたりする。
 その点「お笑い系」と称したメルマガの場合… 「知泉」の創刊号は300人にも満たない処から始まって、それから毎週毎週ちゃんと発行を続け、徐々に読者を増やし続けて現在1300人を越える読者になりました。
 いやぁ持続してきたおかげだよね。
 凄く感謝しています。読者数が多いから良いメルマガとは限らないけど、それなりに支持されているんだろうなぁと感じていたりします。

 そんな訳で、現時点の自分はネタを考えつかなければいけない状況に追い込まれているのだ。

▼発行:頭が発酵しています。
2000年3月20日(月曜日)坊ちゃん世代?
 日テレの朝の番組で「現代ニックネーム孝」と言うのをやっていて、人間関係の潤滑油になると言う結論になっていた。
 自分もパソコン通信時代から数えると早8年ほど、この手の世界を覗いて来たけれど、そこで「ハンドルネーム」と言うのを知って「○○ぴー」とか「○○りん」とか「○○ちゃん」とか数多くのパターンを見てきた。
 自分の場合もパソコン通信時代はハンドルネームってヤツを使用していたんだけど、これが自分で考案したものじゃなく、諸事情で『たこやき』と言うハンドルネームになってしまった。
 それ以前に発行していた個人的雑誌のタイトルが『たこやき便り』ってヤツを作っていたのでそれからの物だったんだけど、このハンドルネームってのが凄く恥ずかしかった。
 途中からもう少しましな物ということで「蛸/TACO」と言う物に変更した。
 オフ会なんかに行くとみんなから「たこやきさーん」とか「たこさん」などと呼ばれるのが思いっきり恥ずかしかった。

 でもって、パソコン通信からインターネットに移行した時に、そのまんま「杉村」と言う名前で文章を書き始めた。

 実際に現実社会では自分はその手のニックネームと言うのが無かったりする。
 小学校の頃、文集なんかを作ったときに強制的に「ニックネーム」などと云う物を書かなくてはいけない状態になって、チョロチョロと動き回っているからと言う理由で「ねずみ」と言うニックネームが書かれていた。
 しかし、自分は今まで一度も「ねずみ」なんてニックネームで呼ばれた事無いっす。呼ばれたらきっと気持ちがヘコんでしまうと思う。

 で、テレビの中では多くの若者が名前をベースにした「くにくに」とか「よしよし」とかくり返すパターン、「みさりん」とか「はるぴー」とか名前の語尾に何かをつけるパターンなどを紹介していた。
 以前はこのパターンではなく、その人物の印象と似ている何か別の物の名前を付けていたと指摘して(前述の「ねずみ」なんてのもそうっす)、そのパターンは夏目漱石の『坊ちゃん』に書かれていた「赤シャツ」「野太鼓」「うらなり」などからニックネームを付けるのが流行ったとしていた。
 そこで「坊ちゃん世代の50代以上の人を調査してみると・・・」などとテレビでは言い始めたのだ。
 私の思考回路はそこでストップしてしまった。
 坊ちゃん世代って・・・・あれは明治時代の小説だぞ。
 もし坊ちゃん世代ってのがいるとしたら、すでに100歳を超えているハズ。

 うーむと考え込んでいる内に番組は終わっていた。