< 杉村ぐうたら日記(2000年4月21日〜31日)

▲2000年4月21日:金曜日:漫画本の価値
▲2000年4月22日:土曜日:漫画本の価値2
▲2000年4月23日:日曜日:奥さんを悪く言う人
▲2000年4月24日:月曜日:なんだか凄い事になっている
▲2000年4月25日:火曜日:日常を晒す文学的行為
▲2000年4月26日:水曜日:ストーカーとは
▲2000年4月27日:木曜日:ゲームと音楽
▲2000年4月28日:金曜日:ゲームと音楽2
▲2000年4月29日:土曜日:イジメていた人
▲2000年4月30日:日曜日:イジメていた人2
2000年4月21日(金曜日)漫画本の価値
私はとにかく本を買っている。
基本的に立ち読みはしない人だったりするんだけど、ぼけーっと入った本屋でぼけーっとページを開いてぼけーっと読んで、面白かったので最期まで読んでしまった本でも「これは面白い!」と言うことで購入したりする。
つまり基本的に買ってしまう人だったりする。
そーゆーワケで、私の部屋は本であふれている。現在、段ボール箱に詰め込んで別棟にあるプレハブ倉庫に有る程度収納しようと計画中で、大量に段ボールを買ってきて「たぶんこの先読まないだろうな」「友人が来ても読まないだろうな」と言う漫画本なんかを詰め込んでいる。
で、約15箱ぐらい詰め込んだ。1箱にだいたい60〜70冊以上詰め込めると思うのだが、それでも何故か私の部屋から本が少なくなったと言う印象は受けることは出来ない。何故だ?

2000年4月22日(土曜日) 漫画本の価値2
と言うことで、最近本関連の話が一つ持ち上がっている。
いわゆる「漫画喫茶」と言うものがどうやら一部の人の間でブレイクしているらしい。私的な考えから言うと「結局漫画好きとか言っていても、漫画は読み捨ての消費文化ってこと?」と言う常態で好きではない。
で、その漫画喫茶に関して出版業界から「いわゆる著作権を守るために使用料金を摂取しよう」と言う話しが持ち上がっているらしい。
そうかそうかって感じがする。
これは出版業界側から考えたら当たり前の話しで、本屋での立ち読みでさえある意味問題視されてもおかしくない話しで、なんせ本と言うものは「読む」と言う行為がすべてで、つまり立ち読みでも漫画喫茶でもそこで本に於けるすべての使命を消化しきってしまうと言うことになる。
はっきり言って映画をただで立ち見されているのと同じ事になってしまうのだ。

もし世の中の人が全部、立ち読みで済ませたら出版業界は死滅しちゃうのよ。

大昔にも書いたけれど、本屋にとって立ち読みですまされるって事は「万引き」に等しい行為だったりする。で、客の方も売り物の本をぞんざいに扱ったりするのだ。
それはコンビニなんかで慣らされているせいかも知れない。
なんせコンビニの主力商品は雑誌、この雑誌ってのは売れなかったら返品しちゃえばいいって言う商品で、実はコンビニにとっては食料品と違って売れなくても損益にはならない。
それ以上に、外から見える場所で立ち読みをしてくれると、それが他の客への呼び水にもなると言うのだ。
それに慣らされた客は普通の本屋でも雑に本を扱う。

しかし、本屋も実はほとんどの場合が返品が聞くので「売れなかった」と言うだけで、損益にはならない。
一番問題は、古本屋でも雑にあつかう客が増えたと言うことなのだ。
古本屋の場合は、商品は100%店の物だったりするので、どんなに売れなくても、どんなに汚されても、どこも返品として引き取ってくれない。
だから、古本屋で立ち読み&雑な扱いってのは、最悪な行為だったりする。
2000年4月23日(日曜日) 奥さんを悪く言う人
 いわゆる独身者に向かって「結婚は墓場だよ」みたいな事を言う人がいる。さらに奥さんのことをあまり良く言わない人が居る。
 なんか、それがその人なりの美意識でカッコいいと思っているふしがある。

 個人的にそーゆー事を言う人のことは信用できないと思ったりする。
 自分の意見としては、カッコ悪い大人の典型だと思ったりする。

 心の中できっとこの人はそーゆー事を言うタイプの人なんだろうなぁ、典型的なカッコ悪い人になっちゃうんだろうなぁと、普段の生活態度や発言から想像していた人がいた。
 その彼にやっと彼女が出来た。
 そこで、ある日の会話の中でその彼女の話題に触れたのだが「あんなブス好きじゃねえよ」「結婚なんて、するんなら他のヤツを探すよ」などと、どこを切っても彼女を悪く言う。
 あぁ典型的。
2000年4月24日(月曜日) なんだか凄い事になっている
 気が付くと、パソコン通信時代を含めると、こうやってキーボードをパシパシ叩いて自分の身の回りの事を書き始めたのが、1992年の春頃からだから、すでに8年が経過しちゃっていたりする。
 もう大昔の話だよなぁ。
 今、20歳の人が小学校を卒業した頃からこんな事をやっていると言うワケなので、とんでもない間抜けな成長していない人なのかもしれない。
 なんせ、その時代も同じ様な文体で同じ様な事を書いていた。

 文体に関して言えば、自分が小学校の卒業文集で書いていたものもすでに今と変わらないような文体で、意味不明な擬音がどどーんと入ってきていたりする。
 人間はそう簡単に変わらないって事なのだ。

 はっきり言って子供の頃から、本とか好きだったし、文章を書くのも嫌いじゃなかったが、こと『日記』に関しては挫折の連続だったりする。いわゆる三日坊主と言う状態で、我が家には最初の数頁だけ書かれた日記が何冊か存在していた。
 それが、こうやって人前にさらすという状況の中では延々と書き続けていられたりするから、結局の処、私は露出狂で、お調子者で、軽薄な人なのかもしれない。

 もっとも、深い秘密の部分もあったりする。

 で、普段は日常に追われて、読み返すことなどないんだけど、ふっと邪気に誘われて過去の日記を読み返してみると「ほほう」と言うことが書いてあったりして、それが「現代用語の基礎的ではない知識」のネタに変化したりする場合もある。
 中には「本当にこれって自分が書いたの?」と言う処まで忘れきってしまった文章もあったりして面白い。
 続けて読んでいると、日によって完璧に矛盾した事を書いていたりするけれど、それはそれで日々の記録なので感情がフラフラしちゃっていても構わないと思ったりする。

2000年4月25日(火曜日) 日常を晒す文学的行為
 こうやって個人的な日記を晒すと言うのは、インターネットが一般化されて生まれてきた新しい文学的思考かもしれない。
 たしかに日本には古くから、それも平安時代から「日記文学」と言うジャンルが存在していた事にはいたが、この手の何も誇るべき物もない人物が書く、何も読むべき事件の起こらない日記という文学にまで川は流れてしまったと言う感じなのだ。

 本当に冗談抜きに「今日どこに行って前から欲しかった●●を買った」と言う文章が延々と書かれていたりする、HP日記も存在したりするが、果たしてそれを読む何人が、その人のスケジュールメモを読みたいと思うのだろうか?
 それはそれで凄いのだ。毎日、何メガ、何ギガの無意味な日記が生み出されているのだろうか?

2000年4月26日(水曜日) ストーカーとは
 いわゆる「ストーカー防止条例」だとかが法案可決されて発動されるそうです。
 が、最近ちょっと疑問に思う事がある。

 いわゆる「ストーカーされた」と言う言い方がある。しかしこれって誤用ではないのか?
 正しくは「ストーキングされた」でしょ、たぶん。
 ストーカーとはつけ回す人自体を差す言葉で、動詞じゃないっすよね。

 ほとんど安室奈美恵にアムラーと言ったり、篠原ともえにシノラーと言うのと同じ感覚っすね。
2000年4月27日(木曜日) ゲームと音楽
 いまやゲームと音楽は切っても切り離せない存在になっている。
 が、以前のものは徹底的にベコポコな物で、はげしく気持ちがしおしおになってしまう様な物が主だった。
 それなりに、あの低レベルな音源で頑張っていたって感じもするのだが、それを観賞するなんて事は到底・・・・と思っている頃から「○○○のBGMを手に入れて毎日ウォークマンで聞いている」などと言う強者も大勢いた。

 その中で、少ない音数・ショボい音源でいかに音楽らしくするか?の一つの答えとして、かのすぎやまこういち氏の作曲したドラゴンクエストがあったりする。
 リズムトラックは必要ではない、音も倍音成分の少ないキンキンした物で大丈夫なバロック音楽をそこで採用したと言うのは、うむむむ的な事件だった。

 すぎやまこういち氏は60年代にグループサウンズの作曲者として、ナイスでファンキーなご機嫌なナンバーを書いていた人で、『学生街の喫茶店』等という、今聞き直すとバロックの香りがする名曲があったりする(実はグループサウンズ時代もバロック調を取り入れた曲がある)。
2000年4月28日(金曜日) ゲームと音楽2
 しかし、その当時ゲーム音源のままで無いオーケストラが演奏した「ドラクエ交響曲」やら、本物のバロック演奏団によるCDなどがガバガバ発売されガバガバ売れていた。オリコンのアルバムチャートなんかに入るように・・・・・。
 でも、おまえらドラクエの曲じゃなかったらバロックの曲なんか聞かないだろ?なんで、それに限ってよいと思えてしまうのだ?と感じたが、とにかく売れていたし、当時のパソ通のゲーム音楽のコーナーでは「あのCD買った?」などと言う話が飛び交っていた。

 で、このゴールデンウィークに向けてかの『サクラ大戦』というゲームのCMがガシガシ流れていて、そこには大正時代(だよね?)という時代設定と歌劇団という設定が相まって、その時代っぽいメロディラインのはっきり言って現代のポップスの中ではダサいものが流れていた。
 うーーーーむ、きっとこれもその筋の人たちは「いいよね」と思って買うんだろうなぁ
 本当のその時代の「蘇州夜曲」などは聞かないで。
2000年4月29日(土曜日) イジメていた人
イジメで自殺などの事件が延々と起こっている。
たぶん大昔からその手の話はあったんだと思うのだが、それが表面化してニュースで大々的に取り上げられるようになったのは80年代中期ぐらいからだと思う。
で、その時代に生まれた子供達が今、中学・高校生になって、あいかわらずイジメをしている。

以前はイジメほうの子供達に関しては少年法からの配慮なのかあまり詳しく報道はされなかったのだが、最近はいじめた方の子供にもスポットが当たるようになって、多分そこそこ近くにいる人たちは「あいつがイジメ犯人」と言うのが特定できるぐらいに報道していたりする。(ま、身近で事件が起きた場合、ニュースなんかより口コミで個人情報が飛び回るんだと思うけど)

その中でよく耳にするのは「いじめていた少年は学校でも真面目で成績も良く」的な文句。
いやはや、この一見真面目そうな少年達ってのがくせ者なんすよ。昔から。
私は学生時代に「劣等グループ」と「優秀グループ」どっちにも俗していなかった、と言うかどっちとも交流があったので、その辺はよく解るんだけど、先生に評判のいい優等生グループってのは思想の根底にレベルの低い連中を蔑んで見ていると言うパターンが多い。
さわやかなスポーツマンタイプのヤツはそれに属していない連中を馬鹿にしている事もある。
ってのは昔からの常識的事実なのだ。
2000年4月30日(日曜日) イジメていた人2
人間誰にも自分と他人を隔てる感情と言うものがあって、「仲間意識」と言う物がある以上、それに属していない物に対して閉鎖的な感情を持つのしょうがないことだと思う。で、それに対して「支配欲」が出るか出ないかがイジメの一因になるような気がするのだ。
簡単に言ってしまえば「学歴偏重社会の生み出した歪み」なんて、解ったようなセリフになってしまうのがオチかも知れないけれど、自由競争社会と言う物には「他人をけ落とす」と言うものも付随していて、その結果として「落ちた物を排除する」「支配する」と言う図式が出来上がってしまうのかも知れない。

それが正しいと言うワケではない。よくないと思う。
根本的に自分は「上・下」と言う人間関係にまったく興味のない人で、それが先輩・後輩と言う関係に置いても同様の態度を貫き通してきた。かと言って目上の人の気持ちを逆なでする行為はしない。どの立場の人にも平等にその人格を尊重する態度で接してきたと思う。

ただ「成績優秀な少年がイジメていた」と言うことをわざわざ報道するって事に、ちと疑問を感じちゃう日々なのだ。
(あんまし深く考えていると言うわけではないけど)