< 杉村ぐうたら日記(2000年5月1日〜10日)

▲2000年5月1日:月曜日:ストーカー防止法案
▲2000年5月2日:火曜日:人殺しの経験
▲2000年5月3日:水曜日:バスジャックの夜
▲2000年5月4日:木曜日:読んでみたい・・・
▲2000年5月5日:金曜日:雑多な学問
▲2000年5月6日:土曜日:雑多な学問2
▲2000年5月7日:日曜日:遺伝子組み替え食品
▲2000年5月8日:月曜日:おまえら死んでみるか?
▲2000年5月9日:火曜日:ネオ麦茶ですか…
▲2000年5月10日:水曜日:事件の理由
2000年5月1日(月曜日) ストーカー防止法案
色々な事件が多発して、ついにストーカー防止法案が可決、実行されると言う話になった。
ま、いくつかの事件に関しては「遅すぎた」という状態で、悪くいったら人柱状態になってしまった。

しかし、そのストーカーの線引きは果てしなく難しいよなぁ。
なんせかの「セクハラ」の時も最終的には「嫌らしい目で見た」という、激しく主観的な部分までもが「セクハラ」の定義の中に収まってしまったから、今回もとんでもない処まで行きそうな気がする。
下手をすれば「女性の後ろを歩いた」ということまでが定義づけられてしまって「オマエはゴルゴ13か?」てな状態になっても可笑しくない。
前述の要に「目があった」ということまでがそうなったり、「毎朝、私が乗り込むのと同じ電車に乗り込む男がいて、そいつがこっちを見ていた」と言うことまでストカーにされかねない場合もありそうだったりする。
毎朝同じ電車に乗るってのは、しょうがない事だし、逆に男側から見た場合も「あの女、いつも俺と同じ電車に乗って、そっちを気にして見るとかなりの確率で目が合うんだぜ」ということになる。
うーむ。
2000年5月2日(火曜日) 人殺しの経験
とある17歳の高校生が「人殺しの経験をしてみたかった」という動機で殺人を犯した。 馬鹿で安易な詳論家でなくても、思わず「ゲーム世代の犯行」などと言うフレーズを持ち出してしまいそうな事件だったりする。
[後日追加掲載しますので、しばしお待ち下さいませ]

2000年5月3日(水曜日) バスジャックの夜

[後日追加掲載しますので、しばしお待ち下さいませ]

2000年5月4日(木曜日) 読んでみたい・・・

[後日追加掲載しますので、しばしお待ち下さいませ]

2000年5月5日(金曜日) 雑多な学問

[後日追加掲載しますので、しばしお待ち下さいませ]

2000年5月6日(土曜日)雑多な学問2

[後日追加掲載しますので、しばしお待ち下さいませ]

2000年5月7日(日曜日) 遺伝子組み替え食品
 最近よく聞くのが「本商品には遺伝子組み替え食品は使用しておりません」というフレーズ。
 しかし、本当の事を言えば、世間に出回っている大多数の商品には遺伝子組み替え食品などは使用されていなかったりする。いわゆる先に言ってしまった方が勝ちという状態の宣伝効果なんだろうなぁ。
 現時点では「どうやら遺伝子組み替え植物は体に悪いらしい」という「らしい情報」がお届けされていたりするんで、君子危うきに近寄らずという感じなのかもしれない。
 遺伝子組み替え植物ってのは、かなり古い時代のSFからも「未来の食糧難を乗り越えるための研究」として扱われてきたが、そのSFなんかでも最終的にそれが人体に悪影響を与えると言う結論に達したりするパターンが多かった。
 解りやすいSFのテーマとして「科学万能の未来は幸せとは限らないよ」というものがあって、それの1つとして採用されていた。

 しかし「本商品には遺伝子組み替え食品は使用しておりません」って・・・
2000年5月8日(月曜日)おまえら死んでみるか?
場所は忘れたけど、どこぞで高校生だかがバイクの二人乗りをしているのを発見した警察官がそれを追いかけて、やっと捕まえた時にピストルを出して、その高校生の頭に当てて「おまえら死んでみるか?」と言い放った。
と言うことが、その後に発覚して懲戒免職処分になったらしい。

このニュースを聞いた時に「うひゃー、三流刑事ドラマ」と思ってしまった。
いわゆる、石原プロが作ったりする「男気」に溢れる熱血刑事が、犯人を追いつめる為には手段を選ばず、ピストルがんがん撃ちまくって、車をどっかんどっかん壊しまくると言う、あの手の荒唐無稽なベーシックに「ダーティハリー」あたりがある例のパターン。
もしかしたら、この警察官ってのが仕事として警察を選んだ理由ってのが、その辺りじゃないの?

なんつーか、情けないと思いつつも昔から「3年B組金八先生」を見て教師を目指した、「ブラックジャック」を見て医者を目指した、「エースをねらえ」を見てテニス部に入った、というパターンは多い。
しかし、その事件を起こしている最中その警察官にとって「俺ってカッコいい」と言うピークがあったんだろうなぁ。正義の為には犯罪を犯しても構わない。
2000年5月9日(火曜日)ネオ麦茶ですか…
 なんやらGW中のバスジャック犯人が、事件を犯す直前にインターネットに書き込みをしたとか、それのハンドルが『ネオ麦茶』だとか、そのハンドルで以前色々な書き込みをして動物虐待をしているとか、云々…
 なんつーか、こうしてまた「インターネット」=「犯罪」の図式が明確になっていくのであった。

 って、そんな単純じゃないんだけど、ようするに理解不能な精神状態を理解する為には、判りやすい形での仮想的な悪を作り上げるのが簡単なのだ。
 しかし、私もインターネットに繋いでいる最中にニュースでそんな話を聞いたものだから、興味本位で『ネオ麦茶』で全文検索してしまいました。
 と、やっぱりと言う感じで、この事件の未成年匿名報道をあざ笑うような感じで「実名」「顔写真」が掲載されている処を検索してしまいました。
 うーむ… と思ったりするんだけど、いわゆるアングラと呼ばれる情報が好きな人にとってこの辺はチェックしておかないといけない項目なのかも知れない。
 で、何かの会話の最中にその名前を出して「おめえら知らねぇのか?ダメだね」とアングラ住人であることを自慢げにすると言う、これまた安易な図式が見えてしまうのだ。
 以前、何かの事件の時に、その未成年の犯人の実名を教えてなどと掲示板に書いている人がいたんだけど、ふと思ったりするのが「知って何になる?」と言うものだった。
 確かに事件そのものに興味はある(興味本位だけど)けれど、そこで実名を知ったり通っていた学校の名前を知ったりするのって、あんまり意味がないよなぁ。

 今回、ネオ麦茶の実名などを書いてあった場所には早速、その犯人の小学校の時の作文やらが掲載され「マスコミもヤツの同級生の家に押し掛け、金をばらまいて文集とか買い漁っているみたいだが」などと勝ち誇ったような書き込みをしてあった。
 なんだか、どっちもレベルが低いなぁって感じ。

 最近の傾向としては、事件が起こった時に小学校などの文集を持ち出して、その時期から犯罪の芽があったみたいな事を書いたりするが、どんな人にだって「反抗期」みたいな事があるし、蒼かった時代には背伸びをして大人ぶったことを書いたり、ワケの判らない事を書くんだと思うが。
 でもって、その作文を分析して「犯罪」に無理矢理つなげようとしたりするが、もしその分析が正しいって確証があるのなら、小学校の文集を読んで、その中から将来犯罪者になる人間をピックアップしてその時点から更正させればいいだろ!みたいな感じになってしまう。

 ほとんど「実はあの地震が起こるって事を予期していました」などと地震後に言い出した予言者みたいな分析なのだ。

 結局は、深刻な振りをして犯罪をネタに飯喰っているだけって話だね。
2000年5月10日(水曜日)事件の理由
少年犯罪が起こった時にとりあえず「理解不能」な犯罪理由を「納得」に変換するために紋切り型で持ち出される『TVゲーム感覚』
いい加減にこの結論は辞めましょうよって感じがしちゃう。
ま、確かにそう言われてしまうと納得しちゃいそうな事件もないわけではないけど、じぇTVゲームを熱心にやっている人の内、どれくらいが事件を起こしたんだって話しになると、それは統計学的に言ったら0に等しい数字にしかならないと思うのだ。
確かにTVゲームの多くが「殺戮」と言うテーマで創られていたりするのかもしれないが、それはそれ以前のゲームだってそうだし、多くの文学や映画などがそんなテーマに基づいて制作されているような気がする。

例の「人を殺す経験をしたかった」と言っていた少年の家から「ホラービデオが4本押収された」とワザワザ報道されたって処を見て、昭和と平成の間に起こった「養女連続殺人事件」の時代と何も犯罪心理学的分野での進展は無かったとしか言えなかったりする。
あぁなるほどね、ホラービデオを見た人は犯罪予備軍ですか?って感じ。

ただ現実社会の喪失感と言うものは確かにあるような気はする。