< 杉村ぐうたら日記(2000年5月21日〜31日)

▲2000年5月21日:日曜日:田舎の長男
▲2000年5月22日:月曜日:危機一髪
▲2000年5月23日:火曜日:時代は変わる
▲2000年5月24日:水曜日:自分的にはそうとか思うかも
▲2000年5月25日:木曜日:コンビニ蕎麦の憂鬱
▲2000年5月26日:金曜日:デザインと言う物
▲2000年5月27日:土曜日:新しいシナリオ
▲2000年5月28日:日曜日:ブラックジャック16巻(文庫)
▲2000年5月29日:月曜日:メール公開
▲2000年5月30日:火曜日:掲示板閉鎖
▲2000年5月31日:水曜日:その反動
2000年5月21日(日曜日) 田舎の長男
日曜日だと言うのに朝早く起こされた。
今日は、いわゆる地域のドブさらいをする日だってことで、せっかくの休日のダラダラ至福の時間を奪われ、ぼけーっとした頭のままスコップなんぞを持って出かけた。

でもって、参加してみると集まった近所の人のなかで私が一番若手グループに分類されてしまったりする。
つまりだ、とにかく「力仕事はおまかせね」と言う状態で指図をされて、ゴム長靴をがっぽがっぽ言わせながらドブの中に入り、スコップでうんしょうんしょと底にたまったドロなどを掘り出していたりする。

しかし、出ていくときは「だりー」とか思うのだが、自分の性格として「始めたら思いっきり集中してしまう」と言うものがあって、延々とわっせわっせと仕事をしてしまうのだ。
このいわゆる単調な肉体労働って奴は日頃の自分とは一番遠くにあるような作業だったりするのだが、なんつーか基本的に頭を使わない作業中と言うのは色々な事を考える時間にもなったりする。
それが「現代用語の基礎的ではない知識」のネタなんかを思い付いちゃったりすると面倒臭いことになる。なんせメモ帳を持ってきていない。
私は普段鞄の中に2冊のメモ帳を持っていたりして、それにギッシリ文字が書き込んであったりする。つまり1つの項目に対していくつもネタを考えていったり、それが別のネタになるかも知れないと言うことで、ちょっとでも考えついたりした事を書き留めるようにしている。

で、こりゃ面白いぞ!と思うネタを考えたりした時は、何度も何度も頭の中で復唱して忘れないようにするのだ。
2000年5月22日(月曜日) 危機一髪
そんなこんなで前日のドブさらいの時の話が続くが、けっして2日連続でドブさらいをしているってワケではないので、念のため。

で、頭の中で新しく考えたネタを何度も復唱しつつドブをさらっていた。
スコップを水の中にずざっと突き刺して、底に貯まっているドロをすくう。
今、やっている処は片側が薮になっているようなドブで、そこですくいあげたドロは薮の奥にえんやっと棄てると言う状態になっていた。

はっきり言って頭の中は今思いついたネタを「こうすれば面白くなる、こうすれば落とせる」などとひっくり返していたので、完璧に注意力散漫と言う状態だったのかも知れないが、その時自分はスコップですくいあげたドロを左側の薮の中に棄てようと勢い付けて体を右から左へひねった。
自分の手にぐっと力が入り、テコの原理と遠心力を利用した形でドロを乗せたスコップは勢いよく薮の方向を目指して… と言う処で、自分の左目が何かを捕らえた。
スコップをすくいあげた瞬間から今まで経過時間は約0.5秒と言う感じなのだが、その左目に何か異質な物が見えた瞬間はもっとごく僅かな時間だった。
その瞬間頭の中のシナプスがパキンパキンとつながり「左目のすぐ横に杉の枝が飛び出ている」「このまま勢いで体を左にスィングしたら、そのまま目にぶつかる」「何とかして逸れなくては」と一瞬に考えた。
とっさに左目は固くギュッとつぶり、同時に体はスィングで勢い付いているが微妙に体を前に傾けた。ギュッとつぶる直前、杉の木が本当に目前に迫っているのを感じた。

と、次の瞬間、周囲で仕事をしていた人にも判るような大きな音で「バキッ」と自分の顔が出っ張っている杉の木にぶつかり、その反動で自分の体が今度は逆方向によろけた。
周囲で作業をしていた近所のおばちゃん達が「大丈夫!」と叫んで近づいてくる。
自分はよろけつつも、なんとか足を踏ん張る。左目がじんじんしている。
とりあえず目に直接ぶつかることはなかったが、目尻の脇にある骨ギリギリの処に枝がぶつかり、そこから出血をしていたのだ。

うむむむ、冗談抜きにあと数ミリずれていたら自分の左目は… と思うのと同時に、時間と言うのは密度が濃いと長く感じるものなのか?と言う感じなのだ。

しばらく、左目はじんじんし続け、少しだが視力が落ちていた。
現在はその痛みはなくなったが、左目尻のキズがかさぶたになりつつあり、ついでに目を大きく開こうとすると、キズのせいで突っ張るような感じがする…。

そして、あの時、延々と考えていた「こりゃ傑作だぞ」と言うネタが何だったのか全然思い出せないってのが、一番キツイかも知れない。
2000年5月23日(火曜日) 時代は変わる
 ぼけーっと家電店で佇んでいた。
 新しく出来た家電店に行って、そこのレイアウトの余りにも大ざっぱで客の流れを無視したような間抜けぶりに呆然と立ちつくしていたような状態だった。

 で、気が付くと目の前に携帯電話のストラップが沢山並んでいたのだ。
 私は基本的にキャラ物は嫌いではなく、家にはかなり細かいキャラ物がわんさとあって、トイレなどはその展示場みたいな状態になっていたりする。
 が、携帯ストラップとか、車の中とか、キーチェーンとかにキャラを付けたりするのはあまり好きではないと言う変な人だったりする。

 で、携帯のストラップを見ていたのだが、その中にモーニング娘。が全員揃ったものがあった…と言っても、当然新しいメンバーが4人加わった物ではなかったりする。
 そんな風に、モーニング娘。の脱退加入のスピードは早すぎるよなぁ
このストラップを作ったメーカーも、せっかく肖像権などのライセンスを獲得してから作って発売開始した途端に「過去のモーニング娘。」になってしまったんじゃ、やり切れないよなぁ

 と思って見たら、それは4人が加わっていないどころではなく、こないだルナシーの真也と結婚した石黒彩が脱退する以前のモーニング娘。だった。
 つまり、すでに2期前のモーニング娘。

 人生って悲しいや。
2000年5月24日(水曜日) 自分的にはそうとか思うかも
いわゆる文化庁調べで「現代の若者言葉を乱れていると感じるか?」と言うものが発表になった。
乱れていると感じているのが86%だそうで…。
この辺の調査ってのが、どこでどんな層に対して行われたか?と言うのが実に曖昧だったりするので、この86%にどのような意味があるのか解らないが、確かに時代を反映して日本語が変化しているというのは実感できている。

「〜的」「〜とか」などのように、言葉をぼやかせる表現が顕著だということなのだが、こんなの今に始まった事じゃない。10年前の「〜みたいな」がそうだったし、20年前の「な〜んちゃって」がそうだったし、30年前の「〜かもね」がそうだった。
第一「〜的」なんて、すでに20年以上前に雑誌「POPEYE」が創刊された時点で使われていた言葉だってば。

この手の若者文化を否定するというニュースを話題にするのはTV文化のお得意とする処だったりするんだけど、それ以前のこの手の言葉を流布させたりしたのも実はTVだったりする。
俗に言うイントネーションが平坦な「かなり」などに代表される言葉だって、TVと言う媒体が存在しなかったら「渋谷の方言」ってだけで終わっていたような気もする。
あのガングロメイクだって、TVで大々的に取り上げなければ「一部の突拍子もないセンスのないヤツラ」だけで終わっていたかもしれない。

しかし日本語の乱れって、日本語なんて50年前、100年前、150年前で、それぞれ全然違った日本語を使っていたりするんで、乱れるもなにも元々無いって気がする。
2000年5月25日(木曜日) コンビニ蕎麦の憂鬱
え〜蕎麦なんてぇものはですな、こうチョチョイとつゆを浸けたか浸けないかってぇ具合で一気に、ずずずずっとかっこむのが粋ってぇもんで、これだけでそいつが江戸っ子かそうじゃないかってぇことが判るわけですな。
かくいうあっしも、無類の蕎麦好きとしまして一日一回は蕎麦をたぐるってぇのが日課になってましてな、そこを行くと横町の権兵衛、あいつぁいけませんな。
つゆン中にじゃっぽりと蕎麦を沈ませて、あまつそれをぐるぐるかき回してから食べるってぇ、見ているだけで腹がたつような、おめぇは蕎麦喰いの資格なんぞねぇ!って怒鳴り倒してやりたくなるようなヤツなんでさぁ。

などと、いわゆる通の蕎麦喰いに言わせると、つゆにどっちゃり浸けて食べるのは愚の骨頂と言うことらしいのですが、私は所詮静岡の人間、どっちゃり浸けています。
確かに蕎麦好きだけど、そんなに蕎麦に対して美学は持ち合わせていなかったりするワケであります。

が、なんかいかんよなぁと感じてしまうのが「コンビニの蕎麦」
通に言わせたら「そもそもコンビニの蕎麦を蕎麦と言う事自体が間違っているので、オマエさんの憤慨は却下」ぐらいなのだと思うが、とりあえず身近な蕎麦と言うことで、ついついこないだコンビニにあった蕎麦を食べてしまった。
以前は一つのトレイの中に蕎麦とつゆを入れる場所があって、かなり食べにくかったのだが、現在はそれも解消され、蕎麦猪口が別になっている。
で、蕎麦なのだが…どうにもこうにも蕎麦の香りがしない。
コンビニにそこまで求めてはいけないのかもしれないが、蕎麦の歯ごたえがない。いわゆる蕎麦を打ったと言う状態ではなく、蕎麦を錬り込んだ的なべったりした食感の蕎麦なのだ。

うーむと思ってしまうのだが、やっぱり自分なりの蕎麦美学があったりすることに気が付いた昼下がりなのだ。


これは伝説的な話なんですが、とある高名な落語家が死去の際に、末期のセリフで「一度でいいからつゆにしっかり浸けて蕎麦を食ってみたかった…」と言うのがあるが、うーむなのだ。
兎に角、江戸前落語家なんてのはその粋ってのを体現しなくちゃいけないような存在なので、蕎麦屋でも一目を気にしてそんな食べ方しか出来ないのかもしれない。
これは伝説ではなく本当に言ったと言うもので、柳家小さん師匠が「やっぱりそばってのはのどごしで味わう物ですか?」と聞かれ「馬鹿言うんじゃねぇよ、やっぱししっかり噛んだほうが旨いにきまっているだろ」と答えたと言う。
やはり粋を気取るのには「やせ我慢」「無理」と言うのが美学になっていくのだな。
2000年5月26日(金曜日) デザインと言う物
最近よく街角に、レタリングされた文字をスプレーで書いてある物をみかける。
話に聞くところによると、それぞれの文字を書いている人は「アーティスティック」な行動として、自己表現の一環として路上に作品を書いているのだという。
ま、その書かれた方は迷惑だと思うのだが、その辺の問題はとりあえず置いておくとして、ヤツラの言う「アーティスティック」と言う根拠の無い気持ちの事が問題だなと思ってしまうのだ。
とりあえず、私はこんなヤツだがデザイン的な文字、いわゆるレタリング関係はうるさいっすよ。なんせ、そーゆー学校で勉強していた事もあるんで。
で、あの壁に書かれている文字ってのは完璧に80年代中期に出てきたレタリングスタイルのへたくそな模倣って感じ。
アーティスティックどころか、全然新しい要素がないっす。

あの辺の根拠のない「俺って自己表現している」と言う自信は困ったボクチャンですねぇって感じ。
いわゆるここ10年の美術的物でも、キースヘリングなんかがメジャーになった途端に平気で真似した人が大量に出て(あの絵はテクではなく、いわゆるアイディア勝負だから、真似を始めたら誰でも書けるからね)それでも容認しちゃっていたりする層が存在して、仕事になっちゃったりする。
まったく、困った物だなぁ。
2000年5月27日(土曜日) 新しいシナリオ
ビデオのカタログがあったので、ほけーっと読んでいた。
へぇ「宇宙戦艦ヤマト」のTVシリーズって3回もあったんだ…とか、宇宙海賊キャプテンハーロックってTVシリーズがあったのか…などと、漫画は読むけどアニメは全然という自分は、色々新たな発見があった。

そのビデオメーカーは、とにかく色々な処から版権を集めてきていて「いったい誰がいまさらこんなビデオ見るんだよ」的な物もいくつかあったのだ。

『幻の日仏合作:ベルサイユのばら』
入手困難!ファン垂涎の掘り出し物『ベルばら』実写版ビデオ

って、この日仏合作の「ベルサイユのバラ」って制作時は確か大騒ぎしてTVでも特集を組んで、さらにどっかの化粧品メーカーとタイアップして新作ルージュがどーのこーのと言うヤツもやっていたような気がするが、実際に映画を公開してみたらまったく客が入らなかったと言う作品だったと思う。
そんな、当時さえ受けなかった物を今更見る人ってかなり限定されたマニアって気もするが… 商売になるのか?

と言う処で、石坂浩二が金田一耕助(金田一少年のおじいちゃん)を演じていた映画シリーズもまとめてビデオ化されていた。
※TVシリーズの金田一耕助を演じていたのはドラゴンアッシュのボーカルのパパ、古谷一行。
で、石坂浩二のシリーズだが、自分は原作のほうを大量に読んでいたり、TVシリーズを見ていたりするので、映画を見たのか全然曖昧になっていたのだ。
そんな中、石坂シリーズの中で一番問題作と言われる「獄門島」もラインナップに入っていた。
この作品は、原作とは犯人が違う、ついでにほぼ同時期に映画とのからみでTV化された古谷シリーズの方でも犯人が違う、と言う「それでは原作の犯人の動機ってのは激しく曖昧になってしまうのではないか?」と言うものだった。
そのビデオの解説を読むと

『獄門島』映画用に新たなエピソードを追加、原作とは異なる犯人が用意された話題作。(1977年、1414分)

・・・1414分・・・・約23時間半。おいおい、新しいエピソード盛り込み過ぎだって。
2000年5月28日(日曜日) ブラックジャック16巻(文庫)
 先日コンビニで手塚治虫の『ブラックジャック16』と言う文庫本が置いてあったので、ついつい購入してしまった。
 実際の事を言えば、秋田少年コミックス(つまり一番最初の単行本)も持っているし、手塚治虫全集版も持っているし、さらにハードカバー版も持っていたりするので、別段買う必要もないのだが、ついついその日は手持ちぶさただったので購入してしまった。

 で、夕べテレビを見ていたらコミックランキングとかをやっていて、その中で新刊にまじって突然2位にこれが入っていたのだ。
 凄いっす…。 だってブラックジャックに書かれている多くの話が70年代の話で、もう20年前の作品っすよ。その当時に書かれた他の漫画を思い出してみると、多くの作品が「今更読んでもなぁ」と言う時代と共に生きて死んでいった作品になってしまっている。
 その中で…。

 もっとも、読んでみると手塚治虫漫画にやたらと出てくるシリアスシーンの照れ隠しギャグなんかで「がきデカ」とか「ま・た・ん・き!」「とりいかずよしか」などと言う会話などが突如出てきたりするので、今始めて読む20代前半、あるいはブラックジャックが連載されていた頃にはまだ生まれていなかった世代にはハッキリ言って意味不明だと思うのだ。
 これはしょうがないって思うかもしれないけれど、手塚治虫が生きていた頃は新たな単行本化の際にはかならずセリフなんかのチェック、そこに書かれている背景などのチェックをいれて、その時代にふさわしくない物は全部変えるという作業をしていた。そんな単行本ごとに違う作品を見てきたので、すでに古びてしまったものが出版されるってのはちょっと悲しいかなって感じがする。
 手塚治虫の単行本を判型が違った時に新たに買ってしまうというのは、マニアな楽しみなんだけど、このセリフなどの微妙な変更と言うのがあったりする。
 中には、おなじ単行本に見えて刷り直し版で書き換えている物もあったりする。
(セリフではなく、中のストーリーなどをいじって変えている場合もあるし、初版と再版ではラストがまるっきり変わっている物さえあった。)
 しかし、死後10年、まだ読み継がれている…というか、新刊ランキングの上位に登場するって凄いことかも知れない。
 今の20歳ぐらいの人に胸張っていばれるのは「俺は手塚治虫と同じ時代を生きていたことがあるんだぞ」って事だったりする。(前の世代に「ビートルズと…」と自慢されていたように)

2000年5月29日(月曜日) メール公開
5月中旬の日記にも書いたが「ひねもす本舗」に盗作した作品が掲載されていた、謝罪しろ!と言っている某氏のHPにその間に交わしたメールが掲載された。
先日のメールで「掲載拒否ならばその理由を送るべし。そうでない場合は掲載許可したと見なし発表します」との事が書かれていたので、それをそのまま実行したに過ぎないんですが…。

なんか大昔、ドクター中松が選挙(たしか都知事選)に出たときにやった方法に似ているなあと思ったりした。
その手口は、選挙に立つと言っても著名人の友達がいなかったので、当然の事ながら後援会などを結成しようとしても全然派手にならない。普通はそこに「○○○さんを支持します」などと言って大物俳優の名前とかが連ねてあったりするのだが、そんなのとんでもない話なのだ。
で、さすが発明家、そこで考えちゃったのだ、凄い方法を。

とにかく思い浮かぶ有名人に手紙を出して「後援会に参加してください」と。その人選はとにかく凄くて、俳優女優タレントからスポーツ関係、財界、政治家に、たしか100人以上だと思ったけれど、手紙を出したのだ。
しかし普通はそんな手紙をわけのわからない自称『発明家』などから送ってこられても、多くの場合は秘書やマネージャーの段階ではねられる。
ところがその手紙には恐ろしい秘密が隠されていたのだ。

『私の後援会に参加してください。もし嫌だと言う方は断りの手紙を下さい。』

つまり、最初っからほとんど読まずに廃棄してしまった場合、当然断りの手紙なんかだすわけがないので自動的に後援会の会員となってしまうのだ。
で、ドクター中松の選挙に立つときのパンフレットに後援会メンバー一同として各界の著名人の名前がずらっと並ぶことになったと言う。
ま、あとで色々問題になって裁判直前までいったらしいけれど。

そこまでひどくはないけれど、「メールをよこさない場合は公開を許可した」と、最初から今に至るまで一方的な押しつけに終始しているこの相手には何を言っても「公開できないのは負けるのが判っているからでしょ」みたいな感じになってしまうので、この先、黙殺って方法が一番なのかなぁ、関わりにならない方がいいのかなぁと考えたりする。
なんかこんな面倒な事、考えたくないっすけどね・・・

しかし、そのHPに行ってびっくりしたのは、メール公開って事になったけれど、まさかメールのラストの署名の処までそのまま公開しちゃうとは思わなかった。
こっちはフルネームで書いている、
で、相手側は苗字すら判らないって・・・・

2000年5月30日(火曜日) 掲示板閉鎖
結局、相手側で公開されたのはたぶん月曜日で、そのHPを見にいったのは今日(火曜日)の朝目覚めてからだったりする(前日の日記に書いているけれど、前日帰ってきたのが遅かったので…)。
なんか、もう関わりたくないって感じで思いっきり面倒臭いんすけど・・・。

で、メールの公開部分をチェックして、相手の掲示板でどんな罵詈雑言が飛び交っているかと思ったら、意外や意外、常連とおぼしき人が相手側の態度が悪いとか、盗作と呼ぶ範疇にないとか、どっちかと言うとこっちが有利(って問題じゃないけれど)てな感じ。
少し胸をなで下ろした感はあるんですが、それとは逆にちょっと不安もあった。

で、夜、帰ってきてから電源を入れてメールチェック、そしてまずは「ひねもす本舗」の掲示板をチェック・・・・
     『盗作野郎死ね!』
と、いくつか書かれていたりする。
おいおい、やるかも知れない、いやいやそこまで馬鹿じゃないだろう。と思っていた杞憂が見事に現実の物になってしまっていた。
まったくもーと思いつつ、その書き込みを消す。
もしかしたら、この掲示板の書き込みを消したことを「証拠隠滅」などと言ってまた責め立てるのではないか?などと思ったが、そのネット上での暴力を容認するわけにはいかないっす。

その後、相手側のHPに言って新しい掲示板書き込みを読むが、こっちはあまり悪く言われていない感じ・・・・うーむ、でもこれって逆に、掲示板に書かないけれど向こう側に付いている人に取っては「馬鹿野郎」と感じてしまう理由にもなるんだろうなぁ。
相手の掲示板に書き込もうと思い躊躇したが、それでかえって火に油を注いでもしょうがないので踏みとどまった。とりあえず、この件に関しては自分から発言するってのも面倒臭いっす。

で、再び「ひねもす本舗」の掲示板に戻ってくるとまたしても書き込みが…速攻削除する。
うーむと思いつつ、火曜日の夜なので明日の朝発行の「ひねもす本舗51」の最終チェックをして、ついでに「知泉」の今日発行分もチェックして…と作業をして発行に漕ぎ着けたのが、夜の11時。
再びアクセスして、まずは…と掲示板を見ると、またしてもなにやら「盗作を認めて謝罪せよ」の書き込み。
くー面倒臭いっすと思いつつ削除。
その後、まぐまぐにアクセスしたのだが、11時を過ぎていたので重くなり何度かのビジー後、なんとか発行に漕ぎ着けた。その作業が終わったのが、もう12時直前。
で、再び掲示板に戻ると…またしても。
結局、他の作業をしつつ、何度も掲示板をチェックして、削除しての連続を繰り返して「こりゃ、相手は諦めないなぁ」と言う結論が出たのがもう1時近く。
そこで、最悪のパターンで「掲示板閉鎖」と言う状態のページを作り、それをアップする。
その後、遅くなってしまったが風呂に入って「さぁて寝る前にもしかしたら何かメールでも…」と、緊急チェックを入れて、ついでに「バラ園」の掲示板を見ると、さっきまでは何も書いて無かったのに「謝罪しろ」との文面が…。

ちょっと待てよぉ、「ひねもす本舗」ならば自分の責任だけでHP自体を封鎖しても構わないけれど、基本的に「バラ園HP」は自分のものじゃないので、それは攻撃方法としては一番最悪じゃないか?
と、慌てて消す…と、その書き込みにはアドレスが記載されていたので、そのアドレスが果たして本当なのか判らないが「もうこれ以上荒らしは辞めて下さい。盗作問題に関しては第三者に委ねると言う趣旨の事を○○○氏は書いていますが、彼を信じているのなら逆にこの行為は不利になりますよ」と言うたぐいのことを書いて送った。
もし、そのアドレスがデタラメでまったく関係ない人に送られたとしたら、こっちがこんどは意味不明の人になってしまうが。
とにかく、しょうがないのでバラ園の掲示板も閉鎖と言うことになってしまった。
基本的に掲示板を封鎖してもバラ園の業務にはまったく関係して来ないけれど、迷惑を掛けてしまった・・・・。

気が付くと時計は2時…。 明日の(今日だけど)仕事もあるので慌てて寝るが、精神的にヘビーになって寝付けないっす。
と思っていたら、目が覚めたのは6時半、いつもならシャワーを浴びて出てくる時間だったのだ・・・・

この先もこんな日々が続くのかなぁ・・・
結局、俺が正しい!と勢いこんで発表したのに、自分の味方に付くと思われたHP常連達に賛同して貰えなかったと言うことで、逆上したか?
それとも、先週の掲示板のように「みんなで荒らしに行こう」と言うツアーが訪れたのか?

まったくもー、この先、自分はそことはまったく関係ない!と言う立場を取ることにした、そのHPにも行かないし、メールが来ても無視(無視しますと言うメールは最初送った方がいいかも知れないけれど)
自分がインターネットと関わるのはそんなことをする為ではないっす。
2000年5月31日(水曜日) その反動
基本的に感情的にならない人だったりするので、勢いで感情的になってしまうと、その余波が後に響くことになるのは自分では何度も経験してきた事なのだ。
で、寝不足もあるが、今かなり精神的&肉体的に弱っちい状態になっている。
他人と話をしていても上の空の時がある。今日、そんな風な態度を取られた人、ごめんなさい。

よくすぐ怒りMAXになってしまう人がいたりするけれど、そーゆー人は逆に実はそんなにMAXではないのかも知れない。
と言うのも、自分は過去に1度、本当に「切れる」と言う状態の怒りを経験した事があったりする。その時は本当にその切れた瞬間の記憶が吹き飛んでいた。今考えると激しく異常な経験をしたと思っている。

もう随分前になるんだけれど、某会社で仕事中(いままで転職経験、出向経験があるので、今の会社とは限らない)の話。
以前から、色々陰でコソコソ人の悪口しか言っていない年齢は30代後半の男がいた。どうも人の悪口ってのが基本的に好きではないので、あまりお近づきになりたくないタイプの人間だった。
なんせ、その場にAが居ないとAの悪口、Bが居ないとBの悪口、Cが居ないとCの悪口と言う状態で、とにかくこの男が何かをしゃべっていると言う事は、ほぼイコール悪口を言っていると言う状態だった。
その日、僕は机に向かって資料を制作していた。コツコツと地味な作業なのだが。
で、その時僕のちょうど後ろ側にある機械の処でその男が数人の後輩を引き連れて仕事中だというのに延々と無駄話をしていた。ま、無駄話と言っても、この男が混ざった段階で100%誰かの悪口になってしまうんだけど。
で、自分は聴くつもりもなかったが、すぐ後ろと言うこともあって、その会話の一部始終が耳に入ってきていて「まったく、そんなに他人の悪口を言っていて楽しいか?」などと、少しいらいらしながら仕事をしていた。

その悪口はどこまでもどこまでも続き、こんどは女子社員の話になっていた。
「あの女、不細工だから男に飢えてっから誘えば一発だぜ」などの、脳味噌の欠片も使用していない話が延々と続いていた。
その会話を聴いている内に、イライラが段々怒りに変化しているのに気が付いていたが、もう遅かった。

ふっと我に返った時、自分は立ち上がり後ろにいたその男に向かって
「てめえ人の悪口ばっかり言っていやがってうるせぇんだよ!そんなに人を言えるほどに立派な人間か!」などとタンカを切っていたのだ。(もしかしたら、それより前に少し何かあったかも知れないけど不明)
「な・・・なんだよ。悪口言ってんの俺だけかよ」
「おまえ何歳だ?小学生みたいに他人がやっているからやって良いとでも思っていたか?」などと、かなりテンションぶち切れ状態でどばどばドーパミン噴出して、今まで貯めた感情が暴走していた。
結局、その場にいた他の同僚に引き離されて終わったが、一部の同僚の中では「よく言ってくれた」と賞賛の声(逆もあったと思うけど)
で、そんな普段はほけーっとしている人間が感情的になったものだから、そこから数日は現実感がなくいつも以上にぼけーっとした人間になってしまった。

夕べも、そんなに感情的ではなかったと思ったが、さすがに最後に自分の処でなく「バラ園」の掲示板に荒らし書き込みをされたということで、感情的になってしまったのかも知れない。
現在かなりテンションが落ちているのだ。

なんか、もううんざりしている。
今年の3月ぐらいから「盗作」だとか何だとかって話がずっと続いている。
これって、やはりメールマガジンを発行している間は延々と続く物なのか?
確かに作品は発表した段階からその評価は他人に委ねる物だが、なんかだんだんと面倒臭くなってきてしまった。
個人的に言えばメルマガなんて廃刊しても構わないって感じかなぁ
基本的に物を創作するって事は、メルマガを発行しなくても続けていくと思うので、ことさらメルマガやインターネットに拘るつもりはないっす。
こんだけ文章をわっさわっさ書いている人だから、コンピュータよりの人かと思われがちだが、基本的にコンピュータとは縁遠い人だったりするので、引退しちゃっても大丈夫。
文章以外の音楽活動をちゃんと再開しようかなぁ
そう言えば、ここ約半年ぐらいはほとんど他のHPなんかも見ていないっす。ただの自分の作品の発表の場になっていたりする。
もうインターネットである必要性はないか・・・・。


▼盗作:うーむ

▼知泉:2重配送