杉村ぐうたら日記(2000年8月11日〜20日)

▲2000年8月11日:金曜日:おーるおあなっしんぐ
▲2000年8月12日:土曜日:  
▲2000年8月13日:日曜日:何をゆー!黒沢ゆー!どぅーん!(1)
▲2000年8月14日:月曜日:何をゆー!黒沢ゆー!どぅーん!(2)
▲2000年8月15日:火曜日:  
▲2000年8月16日:水曜日:エロ羅列
▲2000年8月17日:木曜日:ループがらせんでリングしている
▲2000年8月18日:金曜日:ブラスケ
▲2000年8月19日:土曜日:ロシア語
▲2000年8月20日:日曜日:  
2000年8月11日(金曜日) おーるおあなっしんぐ
古来より日本人と言うのは実に繊細に機微のなかで生活してきた。
それは文学を見ても、絵画を見ても、派手さではなく、その深さを求めて来ている。色について書かれた本を読むと水墨画に於ける微妙で複雑な色を(と言ってもすべて無彩色)何100にも区別して書いてあったりする。
これは、かなり誇るべき文化だとずっと思っていた。
で、最近ふと思ってしまうのだが、いわゆるガングロなどの現代日本をある種象徴している品の無いファッションなどを見ていると、その日本人が数百年育んできた繊細な感覚はもう無くなってしまうのではないか?と言うことだったりする。
ガングロと言う物が出てきたのは90年代中期ぐらいで、その頃はまだ「おまえら日焼けしすぎ」てな感じだったが、いつしかどう考えても日焼けではない色へまで進化して、その勢い化粧まで塗装のようになっていた。
去年あたりまでのバカなガングロは徐々に衰退しているが、まだ黒く、そこにシルバー系のアイメイクなどを施したりしている。ほとんど舞台化粧のようなメイクを。
あれなんかを見ていると「お前ら限度ってものをしらないのか?」と思ってしまったりするのだ。
ま、判りやすいって言えば、激しく判りやすくて、元々顔の造作が整っている子で、あそこまでのメイクをしているのがほとんど居ないってのが、何故彼女たちがあそこまでメイクを濃くするのかってヒントなんだと思うけど。
で、こんどは美白なんて事が流行り始めると、非人間的なまで真っ白にしてしまう。
つまり、限度が判らないのだ。
それには自分の美意識ってものが無いせいもあるんだと思うけど、激しくデジタル的な「黒!」「白!」と言う記号的な感覚しかないせいなのかもしれないっす。
その言語などを聞いていても、感情の中間地点がほとんど無いような状態でいきなり「MAX」になってしまう『超』や『バリ』や『オニ』や、その手の形容詞なんかに見て取れる。
会話をしていると、いかに凄かったかと言う事を説明する為に(実は大したことない)この手の言葉を使用しないと、いけなくなってしまったのかも知れない。
なんか常にテンションを上げていないと、不安になってしまうのかも知れないが・・・凄く面倒臭そうだよねぇ。

2000年8月12日(土曜日) 
2000年8月13日(日曜日) 何をゆー!黒沢ゆー!どぅーん!(1)
と言うワケでこの春頃から何度も何度も見かけるCMに「こんにちわ黒沢ゆうです、私はいまチップスターがお気に入り」とかなんとかいいながら、自分に向かってビデオカメラを移している女性が出ている物がある。
まったくもー判った判ったと思いつつ「金の掛かってねぇCMだよなぁ」とか思ったりする。
ま、それでもあの部屋に見える場所はセットだとしたらそこそこ金が掛かっていると思うが、それにしたって…
と言うことが問題ではない。問題なのは「こんにちわクロサワユウです」だ。
私はそんなにドラマを見る人ではないのだが、この人は知らない。噂では黒沢明の孫娘だとか(つまり黒沢久夫と林寛子の娘)言う噂もあるがよく判らない。
その黒沢明の孫と言うステイタスと、かわいければ誰でも出来る仕事との関係がよく判らないので、どうでもいい話なのだ。
で、このCMのコンセプトは「アレ」だろうなぁと思いつつ、同傾向のCMとして冷蔵庫のCMで一人のアイドルっぽい人が出てきて「色々入っちゃってヨーコ嬉しい」「ヨーコ困っちゃう」「ヨーコ幸せ」などとひたすらヨーコと言う自分の名前を連呼して、最期に「で、どこのヨーコさん?」と言って終わる、結局冷蔵庫のCMなのかよく判らず、ついでに本当にどこのヨーコさんかも判らずに終わるCMがある(全国放送かは判らないが少なくとも東京チャンネルのCM)。
この二つのCMのコンセプトは出演しているアイドルの知名度アップと言うものなのだ。

2000年8月14日(月曜日) 何をゆー!黒沢ゆー!どぅーん!(2)
で、たぶんこのCMが出来た背景にあったのは数年前のドコモのポケベルCMで「広末涼子・ポケベル始める」と言うヤツ。
あの時点で広末涼子と言うアイドルはほ無名だったのに、一気にその大量オンエアCMで全国区になったと言う背景がある。実は同時期に広末涼子はニンテンドー64(だと思った)のCMでも「広末涼子○○○!」みたいなものを展開させていた。(こっちの放送期間は短くてあまり話題にならなかったみたいだけど)
つまり、この一気に名前を売り込む為の大作戦が見事に成功しちゃった例となったのだ。
そんな背景を前述の二つには感じる。
もっとも大量に名前を出せば絶対的に成功するとは限らないのだ。つまり、その売り出したい物が大衆のニーズにガッチリはまっているかどうか?と言う部分、つまりアイドルの場合は同世代の男子などに受け入れられる素材か?と言うのが大前提になければいけないのだ。
そう言う意味では、前述の二つは「・・・・」と言う感じ。
そう言えば、広末涼子とほぼ同期で同じ様なニーズの上でCM展開していた、遠藤久美子ってのは失敗しちゃったのかね?
最近は、ガソリンスタンドのCMぐらいでしか見かけないけど(レギュラーだった「人気者で行こう」でも、去年の秋の改変をキッカケにフェイドアウトしていたし)

2000年8月15日(火曜日) 
2000年8月16日(水曜日) エロ羅列
基本的に私も一般レベルにすけべだし、そりゃささやかなことで幸せな気分になってしまったりします。
なにげに走っている自転車の女子高生のスカートがめくれて、中から白い物体がチラリと見えた時はそれが本当に目指すべき白い物なのか不明だとしても「神様ありがとう今日もなんとか生きていく勇気が湧いてきました」とお祈りをしてしまったりするのだ。
それとか、中学生の頃なんかだと、前の席に座っている女子の背中にブラジャーのデザインが透けて見えるだけで「おぉぉぉ俺は14年間生きていて今最高に幸せですぅぅぅぅ!」と、かのオリンピック金メダリスト岩崎恭子にも勝るとも劣らないほどの感激をしてしまったりしていた。
実に単純で安上がりなのだ。
それが青春っつーものだ。
しかし、よく判らないのがそーゆー部分の喜びと言うか、興味の対象を悪い方に肥大させてしまった人々がカメラをカバンの中に潜ませた状態で、こっそりとスカートの中を撮影したりするような(専門用語で逆さ撮り)ヤツになってしまうのだ。
はっきり言って、その喜びが私にはよく理解できないのだ。
以前、何かの雑誌(いわゆるエロ系)を本屋でパラリとめくった処、そこには「最新逆さ撮り!」みたいなページがあって、ずらずらずら〜〜〜と、スカートの中身がバッチリ撮影されている物が羅列してあった。
なんと言いましょうか、かなり非日常的な構図でどう説明したらいいのか判らないけれど、確かに色々な布地があって色々な足があったりするのだが、結局どれもこれも同じで3個ぐらいでゲップが出てしまうような感じで、その非日常的で、非人間的な構図の写真を羅列して、本来の目的である「興奮」って物へ持ち込めないような気がするのだ。
個人的な感想だけれど。
[エロネタだが、まだ続く↓]
2000年8月17日(木曜日) ループがらせんでリングしている
だけど、たぶん撮影している人は「撮影している」と言う部分で興奮はあるのかもしれないなぁとも思ったりするんだけれど、どうも分かんないなぁと言う感じなのだ。 これは、なにげなく意識せずに歩いている時にスカートがちらっとめくれて見えたのとかなり違うと言う感じなのだ。
なんか、見ることが出来ればいいのか?と言う状態だったりする。
その手のエロを追求している人の興味の焦点は激しく1点に絞り込まれてしまうのかもしれないけれど、大昔にいわゆる裏ビデオなんて物を知人に見せられた時にも凄く考えてしまった部分がある。
その当時、ビデオデッキを持っている人が少なかったために「えっビデオデッキ持っているの?」と言うことで、さして親しくない彼がそのどこからか入手したビデオを持参して我が家にやって来たのだ。
私の場合はあくまでも音楽番組などを録画するという目的が最大の物だったので、そのビデオでエロ系を…と言うのは初体験だったのだ。
で、ビデオがスタート… あふんあはんあふんあはんと中途半端な小学校の学芸会以下のドラマを経て本編が始まった。と思ったら、完璧にカメラはその法律で禁止されている唯一の場所を延々と写し続けるのだ。それも全体像がよく判らないほどに接写した状態で。「→IN」「←OUT」の機械的なくり返しが延々と続く。たとえばこれをアニメで表現するとしたら片道4枚、計8枚ぐらいのセル画のループを延々、約5分(時間の感覚が判らなくなってしまう)見せられると言うかなりきつい責め苦になってしまったのだ。
で、カメラアングルを替えて…またループ状態が延々と。
気が付いた時には自分は熟睡していたのだ。
そんな感じに、もしかしたらエロの追求者は「一点豪華主義!」とばかりに、そこさえ押さえておけばよい!と言う状態なのかも知れない。
だから逆さ撮りにも情緒やそこ至るまでの経緯などは関係なく、ただ物体の羅列でいいのかも知れない。
私には永遠に判らない問題なのかも知れないのだが。
[エロネタはまだ続く↓]
2000年8月18日(金曜日) ブラスケ
で、そんな中、ふと迷い混んでしまったインターネットの網の片隅で「スケブラ」をテーマにした処へ行き着いてしまったのだ。
いわゆる、前述した「夏場の服の背中などに見えるブラジャーのシルエット」てやつを、追求したサイトだったりする。
うげーマニアックと思いつつ、こんな変なエロ系サイトを作っている人だから、随所に変な物があるかも知れないと思ってエンターしてみた。
そこにあったのは、表題に偽り無しの「背中写真」の羅列羅列… いわゆる、街角で歩いている女性の背中にブラジャーの線が透けているのを撮影した物を羅列してあると言うダケの、質実剛健実用本位と言うものだったのだ。実用なのかは判らないけれど。
で、日付を見るとほとんど毎日更新という異常なマメさ加減なのだ。
しかし、街を行く見知らぬ女性の背中に薄っすらとブラジャーが見えるのをこっそりとデジカメで撮影してウッシシ、と言う状況を客観的に考えると、なんかかなり薄ら寒い物を感じてしまうのだが。
もっとも、逆さ撮りを一生懸命している姿、あるいはそれのセッティングの為に一生懸命カバンに細工などをしている姿を想像すると、思いっきり薄ら寒い。
なんか「暗い情熱」と言うのは怖いのだ。
そう言えば、以前友人の車に乗った時に「実はこの車のバンパーの処に暗視カメラが設置してあって(つまり赤外線カメラ)横断歩道を渡る女性の服なんかが運良ければ透けて見える(場合もあるらしいが、ほとんど見えない)んだぜ」などと言い出された時も、かなり気温が寒くなるのを感じたことがある。
なんだかなぁ・・・・・・
2000年8月19日(土曜日) ロシア語
と、話はなにげなく続いてしまうが、上記のサイトでは透けて見えるブラジャーの事を「スケブラ」と称しているが、どうも語感的に好きではない。
実はこのネタは「現代用語の基礎的ではない知識」の中で書いていたりするのだが、その時は「ブラスケ」と名付けていたりする。
なんとなくロシア語みたいな語感でこっちの方が好きだったりするのだ、ハラショー!

関係ないが、フランス語に聞こえる日本語シリーズってのがあったりするわけで、如何に書いてある言葉をなんとなくアンニュイにだらだら〜と発音すると「あら?フランス語かしら」と思えてしまうわけです
有名な所で
▼麻布十番(アザブジュバ〜ン)
てのがあったりしますが、他に
▼10と10で20(ジュト、ジュデ、ニジュ〜)
▼柔道部汗臭せぇ(ジュド・ブ・アセクセ)
なんてのもあります。

ま、そんだけのネタですが。
2000年8月20日(日曜日)