杉村ぐうたら日記(2000年8月21日〜31日)

▲2000年8月21日:月曜日:火事再び
▲2000年8月22日:火曜日:  
▲2000年8月23日:水曜日:  
▲2000年8月24日:木曜日:リアルタイムの20年前(1)
▲2000年8月25日:金曜日:リアルタイムの20年前(2)
▲2000年8月26日:土曜日:ドラクエIIV
▲2000年8月27日:日曜日:朝まで生テレビをぼけーっと見ていた。(1)
▲2000年8月28日:月曜日:朝まで生テレビをぼけーっと見ていた。(2)
▲2000年8月29日:火曜日:朝まで生テレビをぼけーっと見ていた。(3)
▲2000年8月30日:水曜日:掃除をした
▲2000年8月31日:木曜日:  
2000年8月21日(月曜日) 火事再び
夜中の1時頃、ベッドで本を読んだ状態でうつらうつらと眠り始めていた。
と、どこからかサイレンの音が… これは消防自動車だ… と、30%程度しか動いていない頭でその状況を感じていた。
うりゃりゃ、随分とサイレンが近い処まで来ているな… 近所で火事か?
と、ぼけーっと思っていた時、そのサイレンがかなり近い場所で停まった。
と言うことは、本気で近所?
と、僕はベッドから降りて、カーテンを開けた…
「えっ?」
そのカーテンを開けた向こう側の世界は真っ赤だったのだ。そしてたった今、到着したばかりの消防車から数人の消防士が走り降りて火元にホースを伸ばしている最中だったのだ。
「おいおい冗談じゃねぇよ」
その燃え上がっていたのは、我が家の前の路を挟んで向こう側にある畑のさらに向こう側にある農機具小屋で、冷静に距離を考えてみると、畑の向こう側ってことで約200m程離れていて、よっぽどの事がないと延焼はしないような距離だったりするのだが、真夜中の真っ暗闇の中でかなりでっかく立ち上っている火柱は、ほんとうに家の直ぐ前に見えていた。
で、最初の消防車が消火活動の準備として、ホースを伸ばしたりしている最中に、別の消防自動車がサイレンをけたたましく鳴らして、4台ほど追加でやってきた。
そして消化場所を照らす為の強力な照明を設置した車も登場し、あっという間に昼間並みの明るさになってしまったのだ。
そしてまだ燃えさかっている火に誘われたような野次馬の群れ(と言っても、結局自分もその中の1人だったりするんだけど)。
なんかとんでもないことになってしまったのだ。
で、この火事だけどどう考えても火種になるような物がどこにもない。
たとえばよく畑で農作業をしている時に、刈り取った雑草などを燃やしていたりする場合もあるが、前日にはそんな事もやっていなかったと思うし、もし火種が残っていたとしても、今は真夜中の1時だもんなぁ。
どう考えてもこれは《放火》ってヤツではないか?(正確に言えば不審火)
周囲に燃え移るような物がなかったのと、四方から消火する事が出来たのであっと言う間に鎮火したのだが… 絶対、火の気のないような場所だったりする。
翌日の新聞にも不審火の疑いか濃厚みたいな事が書かれてあった。
しかも、その場所から数100mほど先に行った場所で半年前にも不審火なんて物があった。(去年の日記にも書いてあるけど)
これはどう考えても…
かなり怖いっす。
2000年8月22日(火曜日) 
2000年8月23日(水曜日) 
2000年8月24日(木曜日) リアルタイムの20年前(1)
とあるバラエティ番組で10代後半のアイドルが登場していて、そのアイドルが産まれた時の話題がでてて、出演者が口々に「これってついこないだの話だよなぁ」などと言っていた。
しかし、ついこないだに思えても20年前の話なのだ。
そのアイドルにとっては、そんな昔の話をつい最近と言われても困ってしまうのだな。とうぜん、そこに出てくる「たのきんトリオ」や「イモ欽トリオ」なんて知らなくて当然なのだが、出演者にいちいち驚かれてもなぁと言う感じかもしれない。
が、実際のことを言えば自分的にも「そりゃついこの間の話って気もする」と言う側の世代だったりする。
しかし、普段話をする時にその辺の時間感覚をついつい頭の中に入れて会話をしてしまうので、同級生なんかが20歳ぐらいの相手に向かって20年前の話をリアルタイムで話していたりするのを聴いていると、恥ずかしくなってしまう事があるのだ。
で、ふと考えてみた。その20年前にリアルタイムで20年前の話をする大人の事を。
つまり1980年頃に、1960年頃の話をする人がいた場合、自分はどう思っていたのか?と考えると、「うっせぇなこのジジイ」だったかも知れないのだ。
そこまで激しく嫌わないにしても「俺の世代とは違うっす」と思ってしまった様な気がする。
2000年8月25日(金曜日) リアルタイムの20年前(2)
ちょうど1980年頃って60年代のグループサウンズのリバイバルがあった時期で、その当時の人々が再結成してイベントなんかをやっていた。
音楽的には嫌いではなかったが、そのやけに丸くなってニコニコ昔話をしているミュージシャンのなれの果ては嫌いだった。(沢田研二なんかの現役でやっていた人は別格だけど)
そう考えると、20歳ぐらいの連中は直接言わないにしろ心の中で「そんな昔の事言われてもわかんねぇよ」と思っているに違いないのだ。
そう考えると、最近レベッカなんかが再結成なんかしたのも、20代ぐらいにとってはそんな感覚だったのかなぁ。(個人的にはレベッカ再結成には賛成ではない)
2000年8月26日(土曜日) ドラクエIIV
でましたか・・・・と言いつつ私はドラクエを最期にやったのが、実はファミコン時代だったりするので、たぶん「ドラクエIII」が最期かな?
確かによく出来ていて、物語的に判りやすいし(それ以前のRPGなんかを知っていると特に感じる)かなり錬り混んで作ってあると思う。
3以降の作品は周囲でやっている人の話でおおむね好評と言う感じなのでふ〜んと思いつつ、手を出さないで今にいたってしまった。
で、4年ぶりの新作ですか。
たぶん今回もと思っていたら、やはり「購入した返りに恐喝して奪われた」と言う事件が発生したりして」なんか風物詩的な風景だよなぁと言う感じ。
しかし、今回はプレステで、メディアがCD-ROMでの発売なので以前みたいに「今回買えなかったら次回いつ入荷するのか判らない」と言うことは無いハズなのだ。
2000年8月27日(日曜日) 朝まで生テレビをぼけーっと見ていた。(1)
いわゆる「切れる17歳」てなことから「今の学校教育を考える!ドンドンッ!」と言う感じの議題で話は進んでいるのだ。
しかし、いっつも思うのだが「お前ら人の話を聞いてから意見をいえ!」「それが出来ないような言いたがりの子供なら議論に参加すんじゃねぇよ!」と感じてしまうのだ。
ま、この人が喋っているときも間髪おかずに意見・質問・反論を挟み込むと言うディベートテクニックと言うのは確かにあるのだが、根本的な事を言えば、この場は「相手をねじ伏せる」と言うのが主題ではなく「いかにしたら良くなるのか?」を考える場だと思うのだが・・・
互いの利害の中であーだこーだ言っている姿を見て「バカだねこいつら」的な感情を抱いてしまって、結局こうだから誰も新しいことを進められないんだよなぁ。て、なるとごり押しでも独裁政権でも石原慎太郎のように、他人の意見を聞かずに「とりあえず動く」と言う人間には勝てないよなぁ・・・田原総一郎、あんたは偉そうな意見を述べているが、いったい何の実績を出しているのだ????と思ってしまうのだ。
2000年8月28日(月曜日) 朝まで生テレビをぼけーっと見ていた。(2)
で、今年25歳と言う若さで衆議院に受かってしまった原陽子議員なども出ていたのだが、彼女がやっと意見を言えるかと思った時も
「えー私が今の学生を見てて…」と言った瞬間「え?今の学生ってあなたもついこないだまで学生だったんでしょ?あなたと今の学生とは違いがあるの?え?それとも今の学生と言うのはあなたの学生の時とはもう全く違う物になってしまったの?え?そこの処を教えて欲しいな」と早口で息継ぎ全く無しで口を挟む田原総一郎、お前…。
その口挟みにややたじろぎながらも原陽子議員は気を取り直して「確かに、私もこの間まで学生をやっていたのですけれど…」と言いかけたところで「そう今の学生ってのがすぐ切れるとか学級崩壊だとか社会問題として連日ニュースに取り上げられているワケだけどそこの処現役に一番近い世代として意見を言って欲しいわけですよねもちろんあなたと今の高校生の間には数年の差があるわけで世代的に言ったら微妙な差があると思うのですがここのパネリストから見たらその差は見えないのでそこの微妙な差を教えてほしいな」と再び田原総一郎が一気にまくし立てる。本当にお前はその無呼吸一気流し込み喋法を応用すれば50メートルプールも泳ぎ切る事が出来るのではないか?と言う感じなのだ。お前は意見を聞きたいのか?それとも邪魔したいのか?どっちなのだ?
完璧に気合い負けしてしまった原陽子議員はたぶんこの番組に出るまで準備してあった言葉をすっかり見失ってオロオロしてしまっているのだ。
普通こーゆー場なら誰かが助け船でも出して「おいおい、せっかく言おうとしているんだから意見を聞いてやろうじゃないか」などと言ってもいいのだが、そーんなにこの魑魅魍魎百鬼夜行の海千山千親父共には関係ないのだ。
原陽子議員がオロオロしたと思った瞬間、その横にいた別のパネリストが「この教育の場で起こっている数々の問題ですが」と自分の意見を言い始めるのだ。その口調は「誰にも口を挟ませないもんね」と言う百戦錬磨状態、しかしそれに別の意見をかぶせる別のパネリスト、さらに別の意見が…そして田原総一郎が「それではここでいったんコマーシャルを」と切り上げてCMに突入するのだ。
うーむ、たぶんその後最期まで見たワケでないのだが原陽子議員はほとんど発言をしなかったような気がするのだ。
うーむうーむ。
2000年8月29日(火曜日) 朝まで生テレビをぼけーっと見ていた。(3)
しかし、あの場に来ている学生に質問をするときも学生が喋っている途中で田原が別のことを言い出して中断する。まったくこの親父は。
でもあそこで現役の学生の意見を聞いても意味無いと誰も思わないのかな?
なんせ、問題を起こしている学生ってのが実は大量にいるワケではなく、本当の感想を述べてくれそうな学生はこんな場には絶対来ないのだ。
こんなディベート爆破の議論の場に来ているような学生はコチコチの真面目派で、現役ながら「キレるヤツの精神構造って判らないよな」などと思っている人ばっかりだと思うのだ。そんな真面目な人に意見を聞いても、パネリストと同じ様な意見しかでないってのは判っているだろ…。

とか思いつつ、見てしまうんだよなぁ。何百回も放送されているこの番組だが、結論なんかが出たことなんて無いだろうなぁ
出そうになったとしても田原総一郎が…。
2000年8月30日(水曜日) 掃除をした
ついについについに部屋を思いっきり掃除した。
そして風がさわやかに通りすぎる、激しく夏向きの部屋に生まれ変わった。
カーテンをシャッと開けると明るい陽光が飛び込んでくるのだ、私の部屋がこんなに明るかったなんて・・・と感激してしまうぐらいに掃除をした。
と言っても、元々物が多い私の部屋からその品々が消去するハズがなく、キレイになった部屋とは裏腹に完璧クローゼットになってしまった部屋もあったりする。
が、現時点では10畳の部屋はベッドとテレビ&オーディオと机しかないあっさりルームになっていて、これならばいつ誰が来ても恥ずかしくないぞ!と言う状態。
いやあひろびろしてる〜〜〜〜〜と、嬉しくなってフローリングの床にゴロゴロしながら本を読んでいて、そのまま寝てしまい、現在、体のアチコチがギシギシと痛いっす。
と、言うワケで9月になってやっと夏向けに大掃除をしたのだが、よく考えたらあと4か月で今年も終わる。
つまり夏向けではなく、すぐ冬向けの部屋にしなくては寒々しくなってしまうのだ。 うーむ、やっとストーブをしまいこんだのに。
2000年8月31日(木曜日)