ひねもす雑記
2000年11月11日〜20日


▲2000年11月11日:土曜日:自分の性格
▲2000年11月12日:日曜日:じゃないですか
▲2000年11月13日:月曜日:チョーウソホントっ子だから
▲2000年11月14日:火曜日:カナリ・ヤバイ
▲2000年11月15日:水曜日:ヤンキー語
▲2000年11月16日:木曜日:暴威の通
▲2000年11月17日:金曜日:パラパラ
▲2000年11月18日:土曜日:ドリカム 新弟子を歌う
▲2000年11月19日:日曜日:人生時間表
▲2000年11月20日:月曜日:みんな不良だった
2000.11.11[土] 自分の性格
自分の性格で治さなくちゃいかんなぁと考えている事が最低でも1つある。
と言うのも、実は激しく「飽きっぽい」と言う性格だったりする。
などと書いても、きっとこの文章を読んでいる人々は「おいおい、5年以上に渡ってネット日記を書き続けていて、ホームページも一般的な尺度からいったら外れた状態でわっせわっせと更新し続けて、さらにメールマガジンを発行し続けている男が何を言うか、このバカチンめが!」と思われてもしかたがないのだが、実際、自分で自分を反省する場合にこの「飽きっぽい」と言う部分はいかんなぁと感じてしまう部分なのだ。
と言うのも、1つの事を始めると怒濤の集中をして周囲の事が見えなくなってしまうという、ちょっとそこまでやらなくても的なのめり込み方をしてしまう私だったりするのですが、それがある瞬間「ぷちっ」と回線が切れたかと思うと、「なんでこんな事やっているのだろう」と激しく興味を失ってしまったりするのだ。
で、次の瞬間にはもう別の物に激しく興味を惹かれて怒濤の集中をはじめてしまうというくり返しだったりする。
そんなくり返しが結局「日記」「知泉」「豆知泉」「誕生日データ」あるいは、それ以外のインターネット以外の雑多な趣味へと繋がっているのだ。
その都度都度、自分が興味のある物へなびいてしまうのだが、1個人の興味の対象なってたかが知れていて、結局狭い範囲の物でしかない為に、日記を書いていて「あぁこれ飽きたなぁ」と次に手を出すのは「知泉」だったりすると言うことのくり返しで、複数の趣味をぐるんぐるん回ってしまうのだ。
その飽きる速度があまりにも激しいので、周囲には常に複数の趣味を平行してやっているかのように感じさせてしまうという事になっているらしい。
本当に集中すると、一気に「日記」を20日分書いたりするような状態なのだ。
2000.11.12[日] じゃないですか
「いわゆる、私って退屈が嫌いな人じゃないですか」と彼女は言った。
そして「だから、いつも笑わせてくれる人が好きなんですよ」と言葉を続けた。
ボクは、それって結局自分では面白い事を発見できないから他人に任せてしまい、しかも相手が面白い事を発見出来ない人の場合は「この人面白くない〜い」と結論を出してしまうような、お前は何様状態だよなぁと心の中で思った。
それ以前に、さほど親しくない彼女から「私って退屈が嫌いな人じゃないですか」と半疑問型みたいな口調で喋られても、そんなのしらねえよと考えていた。
こんな「私って○○○な人じゃないですか」と言う不思議な文脈をここの処聞くことが時々ある。
なんと言うか、凄く居心地の悪い言葉だと思ってしまうのだ。なんつーか、自分の性格や趣味などを他人から評価して貰った状態をさらに他人に訊ねるという状態の変な言い回しなのだ。
いわゆる、数年前から出てきた「今日、天気がいい?って感じだから、朝の目覚めも?凄くよかったんだ」的な、単語の語尾上げ半疑問型しゃべりがさらに進化した言語体系なのかも知れない。
この半疑問型ってのには、根底には「しゃべりを断定しない」と言う物が存在していて、そのルーツは80年代から存在していた。
多分顕著な形で表面化してきたのは「〜みたいなぁ」と言う、1つ1つの語尾に「みたいな」を付ける事によって「凄く楽しい感じみたいなぁ」「もう面倒臭いみたいなぁ」と、実際に自分の感情にワンクッション入れて相手に伝えるというワザだった。
これには、直の感情ではないと言うことで相手ととの円滑な距離感を保つことが出来るという反面、自分に自信がないと言う部分が色濃く出ているしゃべり方なのではないか?と感じていた。
2000.11.13[月] チョーウソホントっ子だから
これは80年代中期から昭和末期あたりまでの言語体系で、それ以前の70年代末から80年代までは「うっそ〜ほんと〜かっわいい〜〜〜」の時代だった。
その当時にも、実は現在の「私って○○○な人じゃないですか」の根っこみたいな言葉が誕生していて、「私ってチェッカーズ大好きっ子だから」とかの言い方など(これは根強くラジオや雑誌の投稿ペンネームとして使用され続けていた)自ら、自分の状況を説明する際にしようする事があった。
「〜〜みたいな」とほぼ同時期に「それってかったるいし〜〜〜」と言う言語も登場していた。この言語の特徴は文脈が終わらないという事だったりする。「あついし〜〜なんかやる気ないし〜〜もう帰ろうかなって感じだし〜〜」とエンドレスで続けようと思えば続いてしまうのだ。
これなんかも「言い切る事の怖さ」がにじみ出ている様な気もする。
その後90年代に入って92年頃に「チョー」の時代が訪れ、いわゆるコギャルと言うものが台頭してくるようになるのだが、ここでの言語の特徴はそれまでとはまったく逆に「言い切る」あるいは「断言する」と言う物が見受けられ、言葉の中間地点が無くなって、普通から次がすぐに「チョー面白い」になり、逆だと「チョーつまんない」となる、完璧に「0」か「1」で表す言葉が多くなっていく。
2000.11.14[火] カナリ・ヤバイ
しかし、それと同時期に例の語尾を上げる「なぜそこで疑問型になるのだ?」という言語体系も誕生してきた。(最初に気になりだしたのは1993年暮れ頃で、一般的に騒がれ出したのは1994年秋以降)
この半疑問型のルーツはアメリカでそれより少し前から流行っていた言葉と言う説もあるが、ちとその辺は不明なのだ。
そして半疑問型に続くような形で一般的になって来たのは、平坦しゃべり。(これが話題になっていたのは1995年夏頃から)いわゆる「カナリ・ヤバイ」てな、文章で書いた場合には全然ニュアンスが伝わらないけれど、日本語本来のイントネーションを排除したような喋り方。つまり「箸」と「橋」と「端」が全部同じになってしまう言語だったりするのだ。
当時、ちょうど、茨城弁を喋るタレント・つぶやきシローが出てきた頃なので「実はあのしゃべりの元祖はつぶやきシローだ!」「いや、さらにルーツはマギー史朗だ」などと言う話が飛び交っていた。
確かに田舎の言葉っぽいのだ。
以前聞いたラジオで新人バンドが先日のライブの様子を「カナリ・ライブが・イケてるって・カンジで・チョー・イイカンジ」と、全部平坦で喋ったのを聞いて、大笑いしてしまった事もある。どう聞いても東北出身ですな。(別に東北を莫迦にしているワケではないっす)
とある番組で言語学者の人が出てきて「これは元々80年代中期に学習院大学の女学生の間でパーティと言う言葉を使う時に、ほかのパーティと区別する時にイントネーションを変えて差別化していたのがルーツです」などと解説をして、その番組でも「へぇ」などと言う形で終了していた。
が、ぜ〜〜んぜん違うと思うのだ。平坦にする「パーティ」と言う言葉は、80年代初期にすでに使われていて、その為に「パーティ券」の略語『パー券』は平坦だった。
2000.11.15[水] ヤンキー語
このイントネーションを平坦にするってのは、そんな上品な方向ではなく、70年代のヤンキーがルーツだと思うのだな。
あの辺の言語は当時から「バイク」も「チョッパー:バイクのハンドルの形態」も「アイパー:アイロンパーマの事」も、多くの言葉が平坦で喋られていた。
この言語体系が何故生まれたのかは解らないのだが、当時のヤンキーと言うのの特徴的な物の一つに愛国心とでも言うか、なわばり意識の結実したためと言うか、何故か地元の方言を喋る頻度が高いように見受けられた。
70年代中期と言うと、どちらかと言うと世間は60年代安保の流れも忘れ去られ小汚いスタイルよりお洒落な物に移行していた時代だった。
ちょうどアメリカ文化賞賛雑誌『POPEYE』などが創刊され、音楽はニューミュージック・シティポップスが中心になり、ファッションはアイビーが全盛を迎えようとしていた。
言葉に関しても60年代の「地方の時代」70年代初頭の「ディスカバーJAPAN」が過ぎ去って「方言=ダサい」と言う図式が色濃くなっていた時代だった。
地方から東京に出るという行為も、それ以前は「集団就職で・・・・四畳半一間で・・・・貧乏生活で」という、思いっきり「赤ちょうちん:かぐや姫」「同棲時代:上村一夫」「赤色えれじい:林静一」と言うイメージがあったが、70年代末にはガラッと変わり「アーバンライフをエンジョイ」が合い言葉のようになり「なんとなくクリスタル:田中康夫」になってしまったのだ。
そんな時代の中で、意味不明の行き場のない怒りを秘めたヤンキー(ここで言うヤンキーとは暴走族系列)達は、何故か地方に固執し、そのテリトリーの中で言語体系を守りながら、さらに平坦な言葉を造り上げていったのだ。
2000.11.16[木] 暴威の通
この平板なイントネーションがどの時代に出てきたのか?と言うと、たぶん76年辺りだと思う。
暴走族の教祖的な矢沢永吉が所属していたバンド「キャロル」は今考えても平坦な発音をされてはいなかった。
が、その弟分のバンド「クールス」になると、最初はちゃんとした発音だったがいつの間にか平坦な発音をするようになっていた。この辺の境界線が76年周辺だと思うのだ。
80年代に入って暴走族御用達バンドと言うと「横浜銀蠅」だが、これも多分「ギンバエ」と平坦な発音をしていた様な気もする。(フルネームで呼ぶ場合はイントネーション有り) バンドでは「ボウイ」と言うバンドも、デビュー時の「暴威」などと漢字で書いてボーカルも「氷室狂介」だった時代はイントネーションがあったが、84年頃から平坦な発音をするようになっていた。
自分は、「暴威」時代から知っていたのだが、その後ヒット曲が出てメジャーになった頃、会社の同僚との会話にボウイの話題が出た時に「発音はボウイ↓って平坦にしないと通じゃないっすよ」などと言われてしまった。その時心の中で「最近聞き始めた人に限って平坦な発音なんだよ!」と思ったのだが。
2000.11.17[金] パラパラ
話は思いっきり「懐かしモード」に入ってしまったが(※「〜モード」は1995年頃にパソ通などでよく使われ始めた言葉)(※「〜入ってる」は1995年頃コギャル語として定着し「ちょっとブルー入っている」などと使用された)なんだか、80年代から90年代にかけて、日本語と言うのが激しく変わってきているのだが、これが定着するのかどうかはよく解らない。
なんせ「チョー」と言う言葉は特徴的だが実際には昔から使われている言葉だったりする。
で、言葉は水物なので、少し前に流行った言葉をいまさら使うと「ダッサい」と言うことになるので、極端に使わない層も出てくるし、さらに現在流行っている言葉を指して「マスコミで指摘され始めたらもうダサいよね」と使わなくなる層も存在したり、みんなが使わなくなった事にギャグとして使い始める層も存在してグチャグチャなのだ。
この「終わってしまったブームをいまさらやるってダサいよね」と言うギャグで使っている内に、再び流行ってしまうと言う現象が時々あるのだ。
現在、流行しているパラパラという踊りも80年代末から90年代初頭の「バブル末期」に流行したマハラジャ・ジュリアナ・キング&クィーンと言う中で流行っていた物で、1998年頃の段階では「いまさらパラパラ踊っているのってギャグでしかないよね」と言うコンセプトで『SMAP×SMAP』の中でキムタクが踊ったことにより、再びブームになってしまったと言う物だったりする。
前回のブームは、本場のマハラジャなどでしか踊る物ではなかったのだが、今回のブームはいわゆる「お茶の間」から出たブームと言うことで、高校生→中学生→小学生→幼稚園児まで踊るし、逆に老人会でも「これは手の運動になるワイ」と健康体操に取り込まれたり・・・なんか凄いことになっている。
同じようなもので、80年代に「俺達ひょうきん族」の中でビートたけしが、60年代のクレイジーキャッツ谷啓のギャグ「ガチョーン」をやっている内に、これが再び流行語になってしまったと言う物もある。あれも本来は「いまさらそんなカビの生えたギャグ言うヤツいねえよ」的なスタンスだったハズなのだが。

なんか、最初に意図していた文章と偉く違う物になってしまったが、どちらかと言うとほら、私って回りくどい人じゃないですか。だからしょうがないって感じ。もうこれ以上文章を書いても、無駄みたいなぁ感じだっし〜、カナリ疲れて来たからバイナラ。

※「もう、いいじゃないですかぁ!」とダミ声で言葉を荒げて言うと、かの沖雅也が自殺した時に愛人関係だったと言うことが公表された日景忠男社長になってしまう。
未だにあの人は涅槃で待っている沖雅也の処へは行かず、新宿二丁目辺りにいるらしい。
2000.11.18[土] ドリカム 新弟子を歌う
『♪新弟子にぃ 誰もが〜ぁ 憧れる〜♪』
ボクは車を運転中、CDから流れてきたドリカムの曲に合わせて歌っていた。
実に不思議な歌詞で、たぶん恋愛をテーマとした物だと思うのだが、途中に突然「新弟子」と言う単語が出てくると言うドリカムにとって新境地を開いた曲なのだ(と言っても随分前の曲だが)
最近は、あの厳しい修行や、必要以上に太ることを強要されると言うことからなり手が少ないと言う相撲業界を救うために、ついにドリカムが立ち上がったのだ! この歌の主人公の女性が憧れているのは相撲取りのタマゴで、辛い修行を続けているために、女性どころではない、そんな新弟子にほのかな恋心を抱いている女性の歌なのだ。

と言うのはまったくのウソで、この曲『go for it』を何気にカーステで流して聞いていた時に、その部分の歌詞が『♪新弟子にぃ 誰もが〜ぁ 憧れる〜♪』と聞こえてしまったために、それ以降は何度聞いてもそう聞こえるようになってしまったと言うワケなのだ。
正解の歌詞は『♪以心伝心 誰もが〜ぁ 憧れる〜♪』だったりするのですが、基本的に発音した場合「i」は他の音よりアタック音が弱い為に楽器にかき消されたり、特にカーステレオなんかで聞いた場合には聞き取りにくくなってしまうのだ。
特に『以心伝心』と言う音の場合、分析すると「i−shin−den−sin」となる。基本的に「ン」と言う音の場合は前の音とセットになって1音節を数えるので、単純に字数は7音あるが、メロディに乗せる場合は4音しか無いことになってしまうのだ。
(曲が先にあって、それに詞を乗せる場合は単純にメロディの数と詞の数を指折り数えると陥り易い間違いです)
で、最初の「i」だけが「ン」が無いためにアタック音がないので、沈んでしまうと言うワケで「シン・デン・シン」と聞こえてしまうのです。
さらにこの「以心伝心」と言う単語が乗っているメロディと言うのは最後の音を伸ばしている事が悲劇を大きくしていたりするのです。
音を伸ばす場合、基本的に「か」なら「かぁぁぁぁぁ」とその音の子音が残ることになります。ところが「以心伝心」の最後の文字が「ン」だったりするワケですが、このンには子音は存在しません。つまり伸ばす為には無理が出てきてしまうのです。
そこで最後に「ン」がきた場合、多くのアーティストは英語の「ing」みたいに音をはしょってしまうのです。つまり「以心伝心」がこの状態では「シン・デン・シ〜〜〜〜」のように聞こえてしまうのです。
だから私が「新弟子」と聞き間違ったとしても、1つも悪い事はないのです。
2000.11.19[日] 人生時間表
昭和十一年正月発行の『力之日本(正しくは右から書いてある)』を読んでいたら以下の様なことが書いてあった。
人生時間表
人の人生を五十年として見たら、眠ったり休んだり働いたりする時間がどんな割合になると思ひますか。勿論人それぞれに依って違ひますが、大概次の様な割合になります。
(イ)睡眠 約十六年四ヶ月
(ロ)休養 約十六年
(ハ)勤労 約八年三ヶ月
(ニ)食事 約一年六ヶ月
(ホ)読書 約一年三ヶ月
(ヘ)入浴 約七ヶ月
(ト)化粧 約六ヶ月
(チ〕其多雑事 約五年四ヶ月

うーむ、そうだったのかぁと思ったりするのだが、まず「人生五十年として」と言うのが、確かに国勢調査なんかの昭和10年頃の記録をみると平均寿命が50歳とかだったりするのだが、短いっす。
その50年を単純に閏年を含めずに計算すると50年×365日=18250日となる、さらに18250日×24時間=438000時間と言ふ事になるのであらふ。
で、睡眠時間約十六年四ヶ月と言うのは(5969日)143040時間と言うことで、平均睡眠時間は7.8時間と言うことになる。これはどうなんでしょうか?
自分を振り返ると「そんなに寝ていない」と言う感じですが、人に言わせると私の睡眠時間は基準には全然ならないらしい。
で、勤労時間の約八年三ヶ月と言うのは計算が難しいが、普通の勤労が当時は週休1日、年末年始に五日休む&お盆で三日休むと計算して年間305日勤務すると仮定する。そして18歳から50歳まで働くとして(当時は尋常小学校のみの人も多かったと思うけれど)32年間×305日=一生の勤務日数9760日と計算する。
と、約八年三ヶ月と言うのは(3010日)72240時間なので9760日で割ると1日平均7.4時間となる。 いわゆる一般の会社の定時間の8時間より短い数字だし、残業なんてぜーんぜん無いという感じになっているのだ。
確かに、大正時代から昭和初期の小説なんかを読むと、昼の3時4時に仕事を終えて(普通の会社で)そこから買い物に行って、食事をしてなんて場面も出てくる。
かのサザエさんの漫画版なんかでも、波平さんやマスオさんが夕暮れに成る前に帰ってきたりするのも、実は作者の長谷川町子女史の過去の記憶から書かれているので、戦前のサラリーマンが描かれているのだとも言われている。
ついでに、サラリーマンの波平・マスオが会社に行くときに帽子をかぶるというのも、戦前の風景で、戦後帽子をかぶるサラリーマンは激減→滅亡してしまった。
2000.11.20[月] みんな不良だった
手元に1988年発行の雑誌が何冊かある。時代としては昭和最後の夏という感じなのだが、その雑誌をパラパラとめくっていると、何だか日本って国も随分と遠くに来たなぁなどと感慨に耽ってしまうのだ。
その雑誌などにはおきまりのように最初にアイドル系の女の子達が出ていてにっこりとほほえんでいたりするのだが、全員が揃いも揃ってイモっぽいと言う感じなのだ。
と言いつつ、たぶんその当時の最新ファッションで最新メイクで最新ヘアスタイルだったと思うのだが、今の価値判断で見ると激しくイモで、今こんなファッションをして街を歩いていたら、奇異な感じでじろじろ見られるか、遠巻きにして近づかないようにしてしまうかも知れないという感じなのだ。
時代はバブルの最高潮へと突入するちょっと前で、いわゆるゴージャス系が流行りはじめた頃なのだが、とにかく全員、眉毛が濃い!
女子高生ぐらいだと、ナチュラル+メイクって感じなのだが、20歳ぐらいの「あたしっていい女」ってのを自負しちゃっているような女性の場合、まるでゴルゴ13みたいな眉毛をしているのだ。
で、街角で見つけた美少女!的なグラビアに出てくる女子高生達がかなり異様に見えてしまうのだ。
顔などは基本的にナチュラルなメイクなのでさほど問題ないのだが、問題は制服のスカートなのだ。
ほとんどの人がヒザが隠れるほどのスカートだったりする。それを今の「お前らそれでいいのか?」という状態のミニになってしまった制服を見慣れた(と言っても、そんなにじろじろ見ているワケではないが)目で見ると・・・・思いっきりダサい。
なんか全員が、70年代のスケバン(この言葉も・・・)って感じ。
一番最初にミニにしている制服を見た時は(たぶん1996年頃)「お前ら、それじゃ三流AVだよ)と思ったのだが、いまではあたりまえのファッションになってしまっている。
結局、人間の美意識ってのは激しく流されやすいって事なのかもしれない。

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