ひねもす雑記
2000年11月21日〜30日


▲2000年11月21日:火曜日:コンビニおにぎりに歴史あり・1
▲2000年11月22日:水曜日:コンビニおにぎりに歴史あり・2
▲2000年11月23日:木曜日:コンビニおにぎりに歴史あり・3
▲2000年11月24日:金曜日:キムタク結婚
▲2000年11月25日:土曜日:本を読む人
▲2000年11月26日:日曜日:未来がそこまで来ている・1
▲2000年11月27日:月曜日:未来がそこまで来ている・2
▲2000年11月28日:火曜日:未来がそこまで来ている・3
▲2000年11月29日:水曜日:一般大衆の皆さん
▲2000年11月30日:木曜日:一般大衆の皆さん(色違い)
2000年11月21日(火曜日) コンビニおにぎりに歴史あり・1
1974年[昭和49年]5月:セブンイレブン第一号店が東京都江東区豊洲に開店
              日本初のコンビニエンスストアが誕生
1975年[昭和50年]6月:福島県郡山市のセブンイレブンで24時間営業を開始
1976年[昭和51年]5月:セブンイレブンの100号店開店
1999年[平成11年]3月:セブンイレブン8000号店開店

しかしセブンイレブンのおにぎりってヤツを一番最初に食べたのは、かれこれ20年も前の話になったりするのですが(ジジイ特有の遠くを見る目つきで)最初はちょっとしたカルチャーショックでした。
なんせ、当時はパリパリした海苔で食べると言うのは想像していなかったおにぎりのジャンルだったワケです。
それまでのおにぎりで海苔が付いているのは、基本的にしんなりと湿っていると言うの当たり前だったワケっすが、よく考えてみるとおにぎりの時以外の海苔ってのは軽く焙った状態のこんがりパリパリ感ってのがおいしさの秘訣だったりするワケで、おにぎりにおけるしっとり感というのは、海苔の旨味の根元を無視した行為ではなかったのか!これでいいのであろうか!我々はここに海苔をおにぎり史に於ける長い迫害の呪縛から解き放たんと欲ッし!直ちに海苔しっとり地獄からの開放を要求するものである!なお、我々の思想と重信房子はまったく関係ないものである事を!ここに宣言するのでありますっ!
と、渋谷の駅前で外宣車で叫んでしまいそうなぐらいにショックを受けたワケっすよ。
ついでに、おにぎりが1つ1つ個別包装されているってのも、当時は目新たらしかった。

2000年11月22日(水曜日) コンビニおにぎりに歴史あり・2
しかし、今振り返って見るとまだセブンイレブンのパリパリ海苔おにぎりは洗練されておらず、かなり各個人の力量に委ねられる部分が多かったように思う。
今のおにぎりは、真ん中にあるビニールひもをピシッと抜いて、左右にビニールをムキッとさせることによって「あら不思議」となる。
ジツによく考えられた仕組みなのだが、ここに至るまでの紆余曲折を私は見てきた。いわゆる歴史の生き証人と言う状態なのだ。
その20年前のおにぎりはただビニールに巻かれたおにぎりと、海苔が中で分離しているのを取り出して各自海苔を巻いて食べるのだぞ、と言ういわゆる「手巻きおにぎり」だったのだ。
それでも、外出した先でパリパリした海苔でおにぎりを食べる事が出来るというのはカルチャーショックだったのだ。
でもこの作業を「セブンイレブンのおにぎりって面倒くせーよな」などと暴言を吐く人間も存在したことは確かなのだ。まったく近頃の若いモンはちょっとした労苦を厭い楽な方へとすぐなびいてしまう。まったく嘆かわしいことじゃ、と当時10代だった私は思ったのだ。
そんな面倒臭い派の要求を呑んだのか、セブンイレブンのおにぎりはいつの間にか進化をとげたのだ。それもあまり良くない方向へと・・・・

手巻きおにぎり時代の次に訪れたのは、引き抜きおにぎり時代だったのだ。
見た目は以前とほとんど変わらなかったのだが、おにぎりの頂点(と言うかこの場合は一番下▼)の部分にミシン線が入っていて、そこをピッと破ると内側のビニールが顔を出すと言う仕組みで、このビニールによってパリパリ海苔とごはん部が分断されているのだ。
その破った部分から顔を出しているビニールを「エイヤッ」の気合いもろとも引き抜くとアラ不思議、中でパリパリ海苔とごはんが御対面!となるもので、私は一番最初にこの引き抜きおにぎりを手にした時に「俺は隠し芸大会の堺正章かっての!」と心の中でツッコミを入れた。

2000年11月23日(木曜日) コンビニおにぎりに歴史あり・3
しかし、この時代はあまり歓迎されなかった。と言うのも、かつておにぎりの内容物と言うと「梅」「鮭」「焼きたらこ」と固形物系が多かったのだが、この時代セブンイレブン主導の元、おにぎりの人気商品は「マヨネーズ&鮭フレーク」とか「生明太子」とか、いわゆるゲル状の物が増えていたのだ。その上、セブンイレブンのおにぎりはその製造過程の仕掛けによって具をおにぎりに埋没させると言うのではなく、片側にくぼみを作り、そのくぼみに詰め込むと言うスタイルだったので、エイヤッと引き抜いたビニールにかなり大量の具がくっついてしまうと言う悲劇を誕生させる事になってしまっていた。特にマヨネーズ&鮭フレークなどは悲惨な状態になる事も少なくなかった。
これは消費者としては「無駄はいっさい許さないザマス!」と言う気分にさせられ、コンビニおにぎり暗黒時代だと感じたわけであります。
そんな暗黒時代をじっと堪え忍んだ末に訪れたのは、あたかもモーゼの十戒みたいに左右に分離する方式のおにぎりだったのだ。
これも実際の事を言えば、パリッとビニールを左右に分けた際に、その左右に引き離されていくビニールに海苔の左右角がくっついていってしまうと言うプチ悲劇も内含しているのだが、おにぎりのメインである具が流れてしまう忌まわしい過去と比べたら許せる程度の悲劇なのだ。
この先、おにぎりはどんなにハイテクでブリリアントにIT革命していくのか解らないが、私はこのひとときの幸せを忘れず、胸に刻んで生きて行くのである。

2000年11月24日(金曜日) キムタク結婚
最初は冗談かと思ったのだが、夜のニュースでキムタク本人がインタビューに応えていたので「うむむ」と思ってしまったのだ。
意表を突くような突然のニュースで、芸能ニュースなのに一般のニュース番組の中でその本人が多くのインタビュアーに囲まれ喋っていると言うシーンはつい2か月ほど前にも「田代まさし」の件でも見たが、今回はかなり違うのだ。
工藤静香が妊娠4か月って事がまずニュースになって、そこからキムタクのインタビューで「結婚します」と言う展開なのだ。

未だに一部では人気が高いらしいが、私は工藤静香と言う人物のよさが今でも解らないので「ふ〜んそうなのかぁ」程度の感想しか持たないのだ。
歌のほうもここの所パッとしないし、そもそも「歌が上手い」と言われているが、私にはどうも「ミの音より低い部分になると音程が不安定になり、ややフラットぎみ」と感じてしまうので、テレビで聴くたびにあぶなっかしい歌だなぁと感じていた。
その後で出てきた話題として「工藤静香は排卵誘発剤を飲んでいた」とかって話題もあって「こりゃキムタクやられたか?」などと思ってしまったりするのだ。
しかも、思いっきりタイミング良く(テレビ的には話題にも上らないが)中居くんが付き合っていた女性を妊娠させて堕胎させたとかって話題も出ている最中だし、妊娠4か月ってことは、本当につい最近妊娠していることが判明したばっかりだし、どこかで誰かがリークしたとしか思えない・・・って考えれば考えるほど、色々な事が想像出来てしまうのだ。
しかも工藤静香の親友(と言うか子分?)の酒井法子の場合も出来ちゃった結婚だったし・・・。
キムタクのインタビューですが、一部では「しっかりとした物の言い方で、浮ついた所もなく、あの年齢にしては」みたいな事を言っているが、社会に出て10年も経っていれば普通でしょ・・・というか、あのインタビューってふてくされているように見えてしまったっす。
ま、キムタクの場合、演技もあのパターンのしゃべり方だったりするから地なのかも知れないけれど。(ドラマの場合、脚本がまず木村拓哉と言う人物を想定して書かれているので無理がない)

とりあえず、ジャニーズ事務所に所属していて、現役アイドルの最中に結婚したのはキムタクが最初なんじゃないかな?
いちおう近藤真彦もジャニーズ所属で結婚したけれど、現役アイドルって感じではなくなっていたから、たぶん。ま、ジャニーズ事務所としてもあそこまで大々的に公表されちゃって、しかも妊娠しているって状況じゃ認めざるを得ないって感じっすね。

2000年11月25日(土曜日) 本を読む人
悔しいが何故か関口宏のやっている番組ってのは、自分の琴線に触れるような物が多い。
日曜日の朝はただたんに「巨人ニュース第一主義」の徳光和夫を見たくないって理由で関口宏の番組を見ているんだけど。
その中で最近は『本パラ:関口堂書店』というのが・・・・、ついつい見てしまうのだが、実は読書と言うのはオーソドックスな趣味だが、実態としてはほとんど無いのかも知れない趣味なのだ。
と言うのも、履歴書やらなにやらで趣味欄にはすぐ「読書」と書いたりするが、本当におまえ本読んでいるのか?と言う人も少なくない。
実際、本屋などにいくと解るのだが雑誌コーナー・漫画コーナーなどは賑わっているのに単行本コーナーなどにいくと閑散としている事が多い。
ま、こっちとしてはそんな状況のほうがのんびり本を選べるので嬉しいのだが。
だから、日常の中で「あの本読んだ?」などと語り合う仲間もおらず、果てしなく孤独な読書人として日々を過ごすことになってしまうのだ。
と言っても孤独がいやってワケではない。逆に、よくその手の読書人がサークルを作ってワイワイやっているのも苦手だったりする。なんつーか、本を読んでその本に意味を求めちゃう人もいたりするので、「それって学生時代の本の読まされ方と同じでいや〜ん」てな感じなのだ。
あくまでも本を読むのは娯楽、意味なんてないのだ、その読んでいる瞬間瞬間が快楽でジェットコースターのように突っ走って読んで、読み終わったら「じゃ次行ってみよう〜〜か〜〜〜」となっちゃうような、果てしなく快楽主義の読書人なのだ。

で、この関口宏の本パラなのだが先週は「カレーの本」特集で、10冊を紹介していたが個人的にそんなにカレーの本って無いだろうと思っていたが、そこで紹介された内の2冊を読んだことがあった。
しかも1冊は現在発行されていないヤツだったりするので、ちょっとした「お宝」気分・・・って、んな本が値段出ると思えない。
そーかそーか、それでも2冊読んでいたかぁ
と思いつつ、今度は「大坂の本」特集。今度はあんまり読んでいないと思ったら10冊のうち3冊読んでいた(と言いつつ、その中の1冊は『たこやき』と言う純粋には大坂の話ではなかったけれど)。
うーむ、結構読んでいるのだなぁと思ってしまうのであった。
しかし、こんな番組を見ていると「あぁこれも読みたい、あれも読みたい」と思ってしまうので、かなりこまった番組と言う感じだったりする。

2000年11月26日(日曜日) 未来がそこまで来ている・1
『鉄腕ダッシュ』を見ていたら、東京にいる城島茂がPHSを利用した遠隔操作のロボットを大坂で動かし、買い物をすると言う実験をやっていた。
どこまで完璧にやらせなしで撮影されたのかは不明だが(移動とかで、商店街と歩道などの段差もあったと思うし)かなり凄いものを見せてもらったという感じなのだ。
なんせ東京にいながらロボットを動かす(移動させる)って事自体凄いのに、大坂のロボットに取り付けたカメラで東京の城島がその現場を見て、周囲の人に挨拶しているワケで。普通なら「きっとどこかの物陰に隠れているに違いない」とか思ってしまうのだが・・・。
そして遠隔操作でロボットの指を一本一本動かすことが出来るようになっているので、店の商品を持って買い物が出来たりするのだ。
おまぬけだったのは、PHSの電波を利用していると言う欠点で、買い物をしようとデパートにいったのはいいのだが、エレベーターに乗り込みドアが閉まった瞬間に電波圏外になってしまい、通信が途絶えてしまったと言うことだったりする。
お陰で、状況を把握していない買い物のおばさんなんかは突然ロボットがエレベーターに乗り込んできたと思ったら、突然黙り込んでただの鉄のかたまりになってしまったって・・・かなり怖い状況だと思うのだ。
電波が届いていれば、城島がマイクをつかって何か喋ったりするのだろうが、ロボットは不気味にも黙りこくったまま。
で、目的の階に付いてドアが開いた瞬間に、電波が復活した為にドアが閉まる前にダッシュでエレベーターを飛び降りるロボット・・・残されたおばさんは最後の最後まで何が起こっているのかワケわからない状態だったと思うのだ。
ま、このロボットは走行には足の裏に付いているローラーを使用してゴロゴロしていたので、ロボットと言ってもかなりメカニック的には稚拙なのかも知れない。

2000年11月27日(月曜日) 未来がそこまで来ている・2
そんな中でホンダがロボットを作って、先日もニューバージョンを完成させたが、それに対抗する形でソニーが発表したロボットは凄かった。
ホンダの場合は果てしなく人間に近づけようと言うもくろみから、サイズも人間並みになっていたりするのだが、ソニーの場合AIBOで培った技術を元に赤ちゃんサイズの大きさで造り上げてしまったのだ。
で、そのサイズの場合大変なのはメカニック的にかなり細かいものになっているのだろうが逆に利点として「軽量化」と言うものがあったりする。
つまり、動きがムチャクチャ機敏なのだ。
いわゆる工業用ロボットのウィ〜〜〜ン、ガシャ、ウィ〜〜〜ン、ガシャの世界から激しく進化したスムーズな動きをしてくれるのだ。
なんか、鉄腕ダッシュとソニーロボットを見てて「ついに未来がやって来た」と感じてしまったのだ。

2000年11月28日(火曜日) 未来がそこまで来ている・3
未来と言うテーマで言うと(関東圏限定かもしれないけれど)NTTのCMが「そうか・・・当たり前のように未来が来ていたのか」と思ってしまった。
そのCMは、昔のテレビアニメや特撮物のワンシーンを切り張りした物だけれど、まず「スーパージェッター」が通信をしているシーン、続いて「ウルトラセブン」の腕時計型通信機で話しているシーン、続いて「サイボーグ009」が通信しているシーン、さらに「サンダーバード」の通信シーンが短く出てきて、それぞれのシーンの間に現在の若者が楽しげに携帯電話で会話をしているシーンが挿入されていると言うものなのだ。
それを見て「そういえば、子供の頃はそんな道具はSFの中のもの」と割り切って見ていたような気もするが、いつの間にかそんな道具を当たり前のように使っていたのだ。
とちょっとビックリしてしまったのだ。
こうやって個人がコンピュータを持っているって事自体凄いことなのかも知れないし、インターネットなんかで世界に向けて個人が情報を発信できるってのも(と言っても世界のどこからでも見ることが出来るってダケで、発信しているワケではないと思うが)凄いことなのだ。
でも人間ってそーゆー凄いことなんかにも、すぐ麻痺しちゃって当たり前になるんだよねぇ。特に最近はその手の麻痺にみんな加速度が掛かっているような気がする。
ある意味テクノロジー依存症みたいな状況も怖い未来だよねって感じ。

2000年11月29日(水曜日) 一般大衆の皆さん
以前描いた「現代用語の基礎的ではない知識」のネタに【大衆】と言うものがあって、それでは「自分がこれに含まれるとは誰も思っていない」みたいなことを書いたのですが、私は思いっきり大衆だったりします。
でもって、物を造るという行為においても「芸術品」などといってありがたがられるような物ではなく、あくまでも「大衆芸能」的なスタンスを守り通していきたいっす。
世間一般の評価地位は低くてもいいのだ。
なんせ、私自体がそのてのちまたで流行する雑多な物が好きだったりするし、それらを見て聞いて育ってきたので、感謝していたりするのだ。
しかし、最近のファッションを見ると「???」と思ってしまうような物が多い。いわゆる、一生懸命ファッションにのめり込んでいる人ってのは、果てしなく最先端を目指して、今ではない1歩先を模索しているものだと思っていた。
が、今一生懸命ファッションを気にしている人々は「その他大勢」を目指しているようにしか見えないのだ。
2000年11月30日(木曜日) 一般大衆の皆さん(色違い)
現在、フリースが流行っているってのは根の部分に単純に「安い物が多く出回っている」と言うものがあるので、一般大衆化してしまうのはしかたがないことだと思うのだが、それ以外では去年あたりは「明るい色のダッフルコート」だったり、今年の夏は女の子はそろいも揃って小さなカーディガン(呼び方が適切ではないかも)をボタンひとつ留めた状態で着ていた。
その色にバリエーションがあると言えばあるのだが、あまりにもそろいも揃ってという状況に「この人々はファッションのセンスと言うものが皆無なのではないか?」と思ってしまったのだ。
私は基本的に、その時代から外れない程度に他人と違う服という基準でファッションを選ぶ(最近は自分の中で定番化してしまった服を着ている事が多いが)。
なんつーか、ファッションを楽しみたいからなぁ
町を6人ぐらいのグループが歩いていると、全員が茶〜金髪で、全員が同じ系統のファッションをして… もしかしたらそれは彼らにとって制服なのかもしれないが、結局、中学高校と制服を着せられたためなのか、累計的なファッション(しかも業界に完璧にコントロールされたもの)しか着ていないってのは…
と、いいつつ洋服を買いに行くと、その手の同じ様なものしか無かったりするからしかたがないって言えばその通りなんだけどね。

雑学メルマガ:知泉 講読&バックナンバー
HAPPY BIRTHDAY'S CLUB


ひねもす雑記