ひねもす雑記
2000年12月01日〜10日


▲2000年12月1日:金曜日:風邪に始まり風邪に終わる
▲2000年12月2日:土曜日:ヘビーな年が終わり、ヘビ年が始まる
▲2000年12月3日:日曜日:今年の政治&芸能
▲2000年12月4日:月曜日:プリンター大作戦
▲2000年12月5日:火曜日:交通事故ゼロを目指して
▲2000年12月6日:水曜日:カルトと少年犯罪
▲2000年12月7日:木曜日:ある種の偏見(デジタル時代の写真)
▲2000年12月8日:金曜日:ある種の偏見(デジタル時代の音楽)
▲2000年12月9日:土曜日:ある種の偏見(デジタル時代の映像)
▲2000年12月10日:日曜日:ある種の偏見(水戸黄門・宇多田ヒカル・aiko)
2000年12月1日(金曜日) 風邪に始まり風邪に終わる
なんつーか、気を抜いている間に12月になってしまって、世間ではすでにクリスマスのムードが高まっていますが、みなさんお元気ですか?私は風邪ぎみです。
というわけで、今年も残すところ1ヶ月なんですが、ちまたでは「今年の総括」的な話題も出ています。実際の事を言えばあと31日もあるので、まだ何が起こるか解らないぞと言う感じですが、とりあえず本当の年末になると激しく忙しいので、ここらへんで総括しておこうかと言う感じなのかも知れません。
私個人で言うと今年は「ダメ炸裂」な年だったと言うことかもしれません。
なんせ、今年の最初の日記を見れば解るように、その前年にひいた激しい風邪を引きずったまま熱でうなされ幻聴幻覚をみつつベッドの中で新年を迎えていますから、これ以上最悪な始まりもないでしょう。
しかもその風邪が2月まで続いていたりしたので、最悪どころじゃないっす。
で、今年の前半はメルマガ「知泉」が異様に盛り上がって、疑問コーナーが大爆発で「雑学」よりそっちがメインになってしまった事もあった。
確かに面白かったのだが、ハッキリ言うと自分の生活がまったくなくなるぐらいに編集作業に追われまくったと言うことだったりする。なんせ、私は日常は平凡なサラリーマンをしていたりするので、あの量はかなりきつかったっす。でも、投稿してくれるメールを無視することができない・・・と、激しく破錠の道を歩んでいったわけであります。
と同時に、今年飛躍的に有名になった「2ちゃんねる」のお笑い専門掲示板においてメルマガ「ひねもす本舗」のネタが大量に流用されるという事件が発生して、それに関し色々なメールも寄せられるようになり、どんどんディープな世界に引きずりこまれていったわけであります。
2000年12月2日(土曜日) ヘビーな年が終わりヘビ年が始まる
その後、執拗な中傷メール(これが複数のアドレスを持つフリーメールからだったので、対応しようが無かった)を貰ったり、投稿作品が盗作だとか、「ひねもす本舗」の作品(自作)が別の所からの盗作だとか、いろいろあったり、さらに「2ちゃんねる」で活躍している某メルマガの作者による「知泉作者の杉村が俺のサイトを荒らしている」と言う根拠のない中傷に伴った、ひねもす&バラ園の掲示板荒らしや中傷メールの嵐・・・・・。
それによって、かなり精神的に肉体的に消耗してしまい、しばらくのメルマガ休止を余儀なくされたり、あんまし良いことがなかった年だったような気もする。
良いかな?と思っていた、某雑誌の連載というのも昨年12月に連載依頼の話があって、2月発売の3月号に1回掲載されたのですが、その3月号が発売された段階で「実は編集方針の変更により、この連載は初回のみで」と言う話が決定していて、幻の1回連載ということになってしまったり。
なんかトホホな1年でしたな。
2000年12月3日(日曜日) 今年の政治&芸能
世間的にニュースと言えば、田中真紀子に「凡人」と称された、人間的にはいいヤツかもしれない(その裏で意外に行動的で色々な話を進めた)小渕首相が倒れ、そのまま死去し、替わりに「失言のデパート」森喜郎という男が首相になって、世紀末の政治をネタ的には実りのある年にしてくれたって感じですな。
その場その場に行って、その場に居る人におべっかを使うつもりで、別の人々を引き合いに出して馬鹿にしてみたり、飲み屋でメートル親父がつぶやく戯れ言を壇上で喋ってしまう迂闊さ、その先見性のなさ、そのお山の大将的な足下を見ていない度数、みごとに現在の政治を象徴している人だったりしますな。

芸能ニュース的なネタでは、カメラ&ビデオ愛好者として田代まさしと言う人は忘れられないっすね。(芸能人としてもう忘れられたかもしれないけれど)
なんと言っても、どこから見ても「いかにも怪しいですよ」と言うマスク&サングラスというスタイルで盗撮するという、コントで鍛えた「このシチュエーションにはこのスタイル」と言う様式美には感服しちゃいます。
しかも記者会見でのシドロモドロの「ミニにタコ」は、ある意味流行語大賞を上げたくなってしまうギャグだったりします。その記者会見の弁明の為にその駄洒落を考えたのだとしても、実際にその駄洒落のビデオを撮影していたのだとしても「ミニにタコ」って駄洒落を面白いと思っていたとしたら、最悪かもしれないけれど。
しかし、この事件が起こって解ってしまったことの1つとして「田代まさしという芸人の存在理由はなかった」と言うことなのかも知れないっす。
思い返してみると、シャネルズ→ラッツ&スターのボーカルとしてデビューして、その後は芸人として歩んできたけれど「芸は?」と言うと、寒い小道具を使ったダジャレしかなかったと言うことで、基本的に芸が無い人だよなぁと言うことが解って、復帰は果てしなく難しいと思うしかないのだ。
しかし、ある意味では最後の最後まで寒いギャグを飛ばす人と言うスタンスを崩さなかったと言う部分は評価できるのかも知れない。

とりあえず、キムタク結婚と松田聖子離婚というのは大きな今年のニュースだと思うが、体を張った、芸能生命を掛けたネタと言う意味では、田代まさしは印象に残りました。
というか、ここで芸能史に名前を残しておかないと、二度と名前を見る機会がないかもしれないのだ。

あと1ヶ月は平和でありますように。
2000年12月4日(月曜日) プリンター大作戦
私はこの年末、エプソンの880なんてプリンターを手に入れてしまったのだ。
以前からエプソンの770ってヤツを持っていたのだが、結局現在USBが使えないとどーしょーもないって事で、新たに購入を決意してしまったのだ。
しかし、安い。大昔のプリンターの値段をしっているだけに、現在のプリンターの値段は驚異的に安いとしか言いようがないのだ。
今から10年前だと、モノクロのドットインパクト型プリンター(それも異常にでかく、A4しかプリント出来ないくせに横50センチ、縦40センチ、高さ15センチぐらいで、しかも重い)で15万円とかだったのだ。
そんなプリンターで文字しか出力できず、しかもA4を1枚出力するために大音量のドッドッドッドッドッドッドッドッドッドッ… というのを5分近く聞いていなくてはいけないような物だった。当然、夜中に出力なんかしたら騒音公害で訴訟を起こされるのは間違いなしってものだったのだ。
それとくらべて、写真画質カラー出力で3分も掛からない、しかも隣の部屋にいくとプリンターが動いているのさえ解らないと言う状態で(時々、チッ、ウィンぐらいは聞こえる)なかなか凄いのだ。
しかもプリンタードライバーの設定もCD−ROMに入っているインストーラーをクリックし、ガイドに従ってボタンを押していれば完了という、機械音痴の私でさえ出来るという凄さなのだ。
そんでもって「よっしゃ!デジカメで撮影した画像をプリントしてみるぞ!」と意気込んで… うーむ、そこで気が付いたのは自分の持っているデジカメの画素数が写真画質ではなかったので、プリンターが良くなったのかどうかがほとんど解らない画質なのだ。
とりあえず、出力が早くなった・画質がちょっと明るくなったかな?程度の進歩はあったのだが…
2000年12月5日(火曜日) 交通事故ゼロを目指して
テレビを見ていたら、完全コンピュータ制御の車の実験をやっていた。
いわゆる、前の車との車間距離を自動的に取り、前で停まった場合それに併せて減速して停まると言うもの。
さらに、道の車線なども察知して、ハンドルを離しても道から外れることなく走り続けると言う機能もあるらしい。
さらに高性能なカーナビを積載しており、目的地を選ぶと瞬時に現状で、もっとも最短距離&渋滞していない道を探し出し、その方向に自動運転をするという機能も検討中だというのだ。(これは道の脇にセンサーを埋め込む必要があるので、いますぐと言う話ではないが、高速道路などの管理しやすい道の場合は比較的早い時期に実施できるらしい)
こんなシステムが完備された場合、運転中に心臓発作などを起こしても事故になる可能性はなくなり、脇見運転・居眠り運転も大丈夫になると言うのだ。
そして、交通事故ゼロになっていくとテレビでは説明していた。

が、思いっきりこのシステムには盲点があったりします。
なんと言っても、交通事故の多くをおこすのが無理な暴走行為をする車両だったりするんだけど、その無理な暴走行為ってのは好き好んでやっている行為だったりするので、そんな「果てしなく安全運転、追い越しも出来ない、車間距離を一定に保ってパッシングもない、当然制限速度を超過した走りは不可」と言う車に乗るだろうか?ってことなのだ。
もし、法的に絶対設置しなくてはいけない状態になっても、それを外して走るだろうし、制御システムのある車だとしても、脇道から勢いよく突っ込んできた車から身を守ることは出来ないだろうし…
結局、交通事故ゼロの現実化は果てしなく難しい話だと思うのだ。
2000年12月6日(水曜日) カルトと少年犯罪
なんか冗談抜きに今年のキーワードは「17歳」なのかも知れないなぁと言うぐらいに、17歳の犯罪が目立つ。
と言うか、その手の犯罪をことさら大きくピックアップして報道するから「またしても17歳!」とか思ってしまう部分もあるんだろうな。
たぶん35歳がピックアップされたとすると、35歳が犯罪を犯すたびに「またしても35歳!おたく世代の暴走!」とかマスコミは騒ぎ上げるような気がする。
犯罪の要因はそれぞれ複雑にあって、十把一絡げに「少年犯罪はこうざます」と斬り捨てることは出来ないと思うのだが、どうもマスコミに属する人々は『理解の範疇を越えた少年犯罪』に対して全部まとめたような考えをしているみたいなのだ。
そんな中で、敢えてまとめて考えてしまうのだが、教育の中で「努力すれば結果は必ず付いてくる」とか「人間一人ひとり、この世の中に必要のない人間なんていない」とかいう、教訓的な背中を押す言葉が氾濫しているのが、あんまし良くないんじゃないかなぁ
80年末期バブルが盛り上がっていた頃に突然、それらのお祭りに背を向けたように「自分探しの旅」みたいな言葉が流行った時があった。
でも人間ってそれぞれ、思ったほど大きな存在じゃなくて、いくら頑張ってもダメなものはダメだったりするのだ。
そんな部分を教えないってのは、よくないよなぁ
いわゆる、80年代の「自分探しの旅」に出かけた純朴な青年達が行き着いた先が新興宗教だったワケで、それすら今はなくなってしまったので暴走するしかないんじゃないかなぁ
所詮、人間ひとりの存在なんて、自分が見渡せる周辺ぐらいにしか影響を及ぼさないって事を把握しないで、成功者の姿ばかりを見せられているってのは・・・・
2000年12月7日(木曜日) ある種の偏見(デジタル時代の写真)
ずっと昔、パソコン通信時代に自分が編集した文章をまとめた雑誌を発行していたことがある。といってもそれで儲けようとは全然思わずに、メールをくれた先着10名様に無料で配送!などといって、1部配送に400円ほど掛かっていたので、儲けるどころの話ではなかった。
で、数日後に配送した相手から感想のメールが届いたのですが、そこには「内容は面白かったのですが、ワープロの文字はやっぱり読みにくかったです」てな事が書かれていたのであります。
そこで私はう〜むと唸ってしまったのでありますな。
その当時私はプリンタを持っていなかった為に、実は文章出力は会社の機械をこっそり使っていたのです(すでに時効だよね)。で、その機械ってのがいわゆるプロ仕様の機械で(そう言う仕事をしているもんで)一般書店に出回っている本なんかの印字とまったく同じフォントを使用して出力していたのです。
つまり、読者の「個人で発行している雑誌」=「安価なワープロで出力」と言う図式がそんな印象を与えてしまったに違いないと思ったのです。
それに似た話を、友人のカメラ屋店員M氏も言っていた。
最近のデジカメは300万画素が当たり前になりつつあり、さらに個人ユースのプリンターも果てしなく精度が高くなって、はっきりいってそれをフォトプリント用紙で出力した場合、どーみてもフィルムで撮影してプリントしたものと大差なかったりする。
が、お客の中には「これデジカメ&プリンターで印刷した写真なんですよ」と見せるとあからさまに「やっぱりデジカメとかはまだまだだね」的な事を言う厳しいお客さんもいたりすると言う。
長年、写真を扱ってきたプロ店員が見て「差があまり解らない」と言う状態なのだが、最初に「デジカメで」と言うと、やはり長年趣味で写真を撮ってきたマニアとしては「けっデジカメがナンボのもんじゃい」的な偏見があるらしく、いまだにダメらしいのだ。
確かにデジカメは画質なんかを自動補正してしまったりするので、シャープすぎる場合もあるかも知れないけれど。
2000年12月8日(金曜日) ある種の偏見(デジタル時代の音楽)
同じようにCDが出始めた頃にも「だめだめCDなんて硬い音は音楽じゃないね」などと言う音楽マニアは多かった。
しかし、実際の事を言えばあの当時「CDで発売する」というのを前提にして、まだ洗練されていなかったデジタル音響機器で録音をしてデジタルカッティングしていたのでもともとの音自体が硬かったことが多いので(その当時発売されたバンド系の曲を聞くと、ミキシングの堅さに驚くこともある)、CDがデジタルだからダメというワケではなかったのだ。
現実問題として、アナログで発売されているレコードだって現状では絶対デジタル機器を使用していたりするハズなので、デジタル=硬いみたいな図式はあくまでも偏見って気もする。
※音楽マニアはステレオが無茶苦茶良いものだったりする場合もあるので、当時のCDプレイヤーがそれに対抗する物が出ていなかったと言うのもあるハズ。
つまり、デジタルは充分に現状のものと差し換わってしまう可能性もあると思うのだ。
※確かにデジタルオンリーで録音された音は硬く、そこそこ耳のいい人がヘッドフォンとかで聞くと差が解り「これ硬いよな」と感じてしまう。
しかし盲点はあって、そのデジタルオンリーで録音した音を、1度アナログテープに録音して聞き直すと、デジタルとアナログの差が区別付きにくくなってしまうのだ。
2000年12月9日(土曜日) ある種の偏見(デジタル時代の映像)
たぶんこの先、ちゃんとこなれていくとは思うんだけれどビデオのデジタル化ってのは思った以上に、違和感があるような気もする。現状では。
今年の10月に私も、それまでの約10年間の8mmビデオ時代に終わりを告げ、デジタルビデオ時代に以降したワケですが、これがビックリしちゃうぐらいに画像が鮮明だったりする。
ま、レンズがよかったり、基本的な映像を取り込むCCDの技術開発があったりするので、5年ほど前に購入したアナログビデオと、最新でのデジタルビデオを比較するって事自体がムチャなんだけれど、その画像のシャープさに驚いちゃいました。
いわゆる店頭なんかで展示されあるビデオを見る限りでは解らない「撮影されたビデオ」状態での画像は凄いっす。
とりあえず、ストップモーションにしても鮮明に記録しているので、走っているシーンなんかも被写体を追ってカメラをパン(左右に動かすこと)させた物なんか、周囲の風景は流れているのに被写体はクッキリとほとんどブレもなく空中に浮いた状態で見ることができる。
なんか、感動しちゃったっす。
しかし問題はシャープすぎる事かもしれない。個人レベルの機械だけでなく、プロ仕様のデジタルビデオ機材も異様にシャープな感じがしちゃって、先日見た「さくや妖怪伝」と言う映画なんかも、たぶん外ロケもあったんだと思うが、全編室内でセットを組んで撮影したような感じがしちゃったりする。
つまり肉眼でみるのより激しくシャープでリアリティが薄くなってしまっているのだ。
2000年12月10日(日曜日) ある種の偏見(水戸黄門・宇多田ヒカル・aiko)
それを一番最初に感じたのがTBSの「水戸黄門」で、たぶん今放映しているシリーズからデジタルビデオ撮影に変わったのだと思うけれど、全編クッキリハッキリしちゃっていて時代劇特有の新作でも古臭いというイメージがなくなって、凄く変な感じなのだ。
実は、水戸黄門がデジタルで撮影しているなんてことは知らなかったのだが、ある日チャンネルを変えた時に遭遇してしまったもので、最初は時代劇コントでもやっているのか?と思った。それぐらいに重々しさがなくなっていた。(後で雑誌でデジタル撮影していると知った)
先日リリースされた宇多田ヒカルのライブDVDなんかを見てても「こりゃデジタルビデオの画質だな」と解るぐらいに鮮明で、なんかそれ以前のライブビデオとは印象がかなり違っていた。なんかメタリックな感じとでも言うのか・・・・。
と同時にaikoのライブDVDも見たのだが、こっちは「いかにもアナログビデオで撮影しました」的な印象がして、それはそれでキャラクターに合っているのかもしれないが、かなり違う物だなぁと偏見なのかもしれないが思ってしまった。
しかしデジタルビデオの場合は、本当に細かい部分までリアル(それ以上)に記録していくので、ライブを見ていても情報量が多く、遠景で撮影した画像でもそこそこ人物の表情まで映っているというのが凄いっす。
どっちが良いと言うのは解らないのだが。