ひねもす雑記
2000年12月11日〜20日


▲2000年12月11日:月曜日:あと3週間
▲2000年12月12日:火曜日:その手のマニア
▲2000年12月13日:水曜日:いけ!ピカチュウ
▲2000年12月14日:木曜日:ストップ!メイキング・オブ・センス
▲2000年12月15日:金曜日:火を付けたあなた最後まで責任もって
▲2000年12月16日:土曜日:大道具
▲2000年12月17日:日曜日:ストーカー?
▲2000年12月18日:月曜日:そう言えば過去にも・・・・
▲2000年12月19日:火曜日:読書家って素敵
▲2000年12月20日:水曜日:格好悪い
2000年12月11日(月曜日) あと3週間
気が付けば、今世紀もあと3週間って所で、なんか凄いんだろうけれど、結局世間一般はSFとはほど遠いなぁ
もちろん、前に書いた通りに、20年前には考えもつかないほどコンピュータ化、電子化が進んだりして、それなりにSF的な部分もあるのだが。
宇宙計画も60年代から70年代に掛けてのアポロ計画が頓挫してしまったことによって、やっと最近宇宙ステーションの建設が始まったけれど、思いっきり計画とずれてしまった。
でもって、昔からSFの世界ではそこに住む人々は激しく表面的で、機械に管理されたかのように、起立正しく無駄なことは許さず!みたいな感じが多かったが、なんか世の中はどんどん崩れて、欲望だけで生きているような規律の無さが目立ってきている。
とりあえず男女の性の差が無くなり、女性的になる男性、その反対に男性的になる女性と言うのが描かれているSFが多かったが、これはぴたり当たっているかもしれない。
でも、60年代・70年代に書かれたSFと比べて見ても、物質的には変化が多かったが人類は思ったより進化していないと言うことかもしれない。
あと3週間後にやってくる21世紀は… 結局、今日と陸続きの明日でしかなかったのだ。
2000年12月12日(火曜日) その手のマニア
みなさんの周辺で、今日、郵便局なんかに行った人はいませんか?
いましたか?
もし居たとしたら、その人は迷惑な意味不明の自慢をしていませんか?
「ねぇねぇ見て見て、このスタンプ、ほら日付が121212なんだよ、凄いでしょ、面白いでしょ」
凄くない。面白くない。とハッキリ言ってあげましょう。
と言うワケで、今日は「平成12年12月12日」と言う、12が3つ並ぶと言うある種の人にとっては嬉しい日だったりします。ある種の人ってのは「物好きマニア」なんですが。
そんな人は多分、今年の3月4日にも郵便局に出向いて「1234」のスタンプを押したに違い有りません。
たぶんこの手の下らないスタンプマニアがニュースになった最初は、1980年だったと記憶しています(ってそれ以前を知らないので、あったかも知れないけれど)。
その1980年は年号で言ったら昭和55年だったので、その年の5月5日に
「5555」と言うことで、実際にはこどもの日で郵便局は休みだって言うのに多くのファン(?)の要望で休日返上してスタンプを押すためダケに業務をしたと言うのがニュースで流されていました。
で、そんな人々が郵便局の前に行列を作っているのまで見た記憶があります。
なんだかその精神構造解らないっす。
2000年12月13日(水曜日) いけ!ピカチュウ
ふと思ったのだが、私は基本的に「ポケモン」なんつーアニメを真剣に見たことはないが、たぶんこれは・・と思う箇所がある。
あのアニメの中で主人公のサトシ(だよね)がいつも連れてあるいている番組のマスコット的存在のピカチュウ。
たぶんサトシは劇中で「行け!ピカチュウ」とか叫んでいるんだよね。甥っ子に付き合ってちらっと見た時にそんな感じだった。
で、疑問なんだけど、あの「ピカチュウ」って名前はあの生物の種族の名前であって、あのサトシと共にいる黄色い物体の固有名詞ではないんだよね。
たしか、ピチュー(たぶん)と言う幼少期を経て、ピカチュウに成長し、最終的にライチュウになると言う設定のハズだから、「ピカチュウ」はあくまでもその生物の種族(の成長段階の)名と言うことになる。
だとすると、ずっと一緒に旅を続けていながらサトシはそいつに名前も付けずそう呼び続けていると言うことになる。つまり、ペットの犬を「行け!犬」と呼んでいる状態なのだ。
きっとピカチュウも思っているだろうな「今日も人間に命令されちまったぜ」

ちなみに中国なんかでは、ペットには固有の名前を付けないのが基本らしいです。しょせん動物、お前らに名前は必要ないぜ的な考えらしいです。
2000年12月14日(木曜日) ストップ!メイキング・オブ・センス
CDショップに行ってぼけーっと新譜の棚を見ていて「おぉぉぉぉぉっ!」とビックリして、迷わずそのCDを手に取ってレジに向かってしまった。
それは《スクリプト/トーキングヘッズ》てヤツなのだ、いつの間にトーキングヘッズは再結成していたのだ?たぶん「スクリプト」なんてタイトルの曲は知らないので、新曲なんだと思うが水臭いぜ、まったく・・・。
とレジが混んでいたので、その最後尾に並んでやっと冷静な気持ちでCDを見直した。
なになに・・・どっかのテレビ番組のエンディングで使われているんだって?へぇ、そんな情報も入って来なかったなぁ、しかしその番組も趣味がいいというか、マニアックだと言うか・・・・。
ま、あのきまぐれなデビット・バーンの事だから今回も発作的に再結成だったのかな?でも、本当はトムトムクラブの方を再結成してほしいよなぁ、あのラップの元祖みたいな曲を再び聴きたいっす。
そんな事を思いながらジャケットを見るのだが、そのジャケットの人物はぼやけたモノクロ写真でカメラで顔を隠している・・・でもデビット・バーンじゃないよなこれ。なんか日本人に見える・・・。
と裏面を見る。クレジットらしき物はほとんどない・・・で、1曲目:トーキングヘッズ。 ありゃ?3曲目がトーキングヘッズ(insto)って・・・・?えええ?
あやうく私はダマされる所だったのだが、どうやらこのCDの「トーキングヘッズ」と言うのはグループ名ではなく曲名で、歌っているのが「スクリプト」と言うバンドらしいのだ。そう言えば、このCDは洋楽のコーナーではなく、邦楽のコーナーに置いてあった。
おいおい、マニアックだっていったとしても、ちゃんとビルボードに記録を残しているようなバンド名をそのまま曲名に持ってくるのってありか?
もし「そんなバンドあったなんて知らなかった」と言うのなら、それは不勉強で恥じるべきことだぞ!
もしそれが許されるのなら、いかにも曲名っぽいバンド名を付けて「ビートルズ」とか「ローリングストーンズ」ってタイトルの曲をリリースしちゃうぞ。
たとえばEVERY LITTLE THINGが歌う「ビートルズ」と言う曲が出た場合は問題ありすぎ(「EVERY LITTLE THING」ってのはビートルズの曲タイトル)
「BAD BOY」と言うバンドもかつて存在していたので、そっちでも可。
しかし、本気でダマされる所だった。
2000年12月15日(金曜日) 火を付けたあなた最後まで責任もって
その店に入ろうとした所、入口のガラスの所にそんなポスターが貼ってあった。
いかにもな、三流っぽいアイドル(もしかしたら売れているのかも知れないけれど、あまりにステロタイプな笑顔の女の子)が、にっこりしているポスターの横に
《火を付けたあなた最後まで責任もって》
のコピーが書かれていた。
ま、この時期だからいわゆる防火関連の消防のポスターだと思うが、そのいかにもオヤジが酔っ払いながら考えたコピーが寒々しかった。
あるいは、コピーライターが複数のコピーのサンプルをプレゼン(提示)した時に、とりあえずギャグとしてこんな臭いコピーも混ぜておこうか。と思ったものが、消防局のオヤジに大絶賛されて、気が進まないけれど使用してみました的な、どうしようもないコピーだった。
本当に酔っぱらいながらじゃないと考え付かないようなオヤジギャグ的コピー。
しかし、ふと思ってしまったのが《火を付けたあなた最後まで責任もって》と言うコピーを頭の中で輪唱すると、火事になってしまったんだから、この際だ、全焼させちゃおうぜ!」的なニュアンスが・・・・・感じないか?
いや、私はそう感じてしまったのだ。
しかし・・・・・、そのコピーと三流アイドルって・・・・。

それだったら、数年前の榎本加奈子が頬杖つきながらこっちに微笑んでいる防火ポスターの方がなんぼかましだった。
あれは、いかにも榎本加奈子が良からぬ事をたくらんでいるって感じがして、緊張感あふれるポスターだった。「この女だったら、保険金のために火でもおこしかねない」てな感じで。
2000年12月16日(土曜日) 大道具
当たり前のように紅白歌合戦に出場する小林幸子。
ハッキリいって私は、NHKやテレビ東京なんかの演歌番組は全然見ないので、小林幸子を見るのは紅白歌合戦がらみでしかないぞ。(って紅白もほとんど見ないんだけど)
ついでに行ってしまえば、演歌歌手のほとんどがそう。年末の有線大賞や歌謡大賞と紅白歌合戦以外では見かけないっす。
で、問題の小林幸子っすけれど、出場が決まる半年前から衣装を企画しはじめると言うが、彼女の衣装を作る人は「大道具」だって言うのは本当ですか?
で、あれだけ話題になっていくと毎年徐々にばかばかしさをパワーアップしなけりゃ周囲は納得しないってことで、本当にこの数年の暴走は確かに紅白歌合戦の目玉になっているのかもしれない。
しかし、今年の紅白に関しては「いつにもまして大がかりですが、今年は歩きます」などと発言していた。
確かに、以前は衣装ではなくてほとんど書き割り、あるいは遊園地にある顔だけだしてキャラクターになりきる記念写真パネル状態。カメラが引いてその全景を写そうとすると小林幸子がどこにいるのか解らなくなってしまうという凄さ。
しかし大がかりで歩く・・・・と言うと、今年はあれしか無いか?
HONDAと提携して、あのロボットに背負われて登場する・・・・と言うアイディアはいかがでしょうか?
あるいはソニーの体長50センチのちびロボットがたくさん出てきて、それにガリバーのように担がれて出てくるってのは?
いかにも、21世紀の幕開け的な演出だと思うんだけれどなぁ
2000年12月17日(日曜日) ストーカー?
昨日の話。
すみやのCDコーナーをほけーっと歩いていた。新譜コーナーのベスト10には「ま、妥当な線だね」的なCDが並んでいて、これと言って掘り出し物という感じのCDは並んでいなかった。
このCD棚はちょうど胸ぐらいまでの高さのディスプレイになっていて、こちら側は邦楽でベスト10&出たばかりの新譜が並び、裏側には同じように洋楽CDがベスト10&新譜が並んでいる。
ふと顔を上げると、その棚の向こう側で洋楽CDを見ていた女性も偶然、顔を上げたために目があってしまった。
年の頃なら20代中盤、服装はあまりにも今風でこれと言って特徴のない物、髪型は型まで掛かるような長さのもので軽くウェーブが掛かっていた。顔つきはやや痩せ気味で目つきはいわゆるよく言えば切れ長、悪く言えばキツネ目と言う状態。
と、一瞬でこの程度を見て取ったのだが、これと言って興味がないので、DVDコーナーに移動した。
なにか面白い(しかも安い)映画はないかな・・・と探していたのだが、ふと気が付くとさっきの女性がすぐ近くに立っているのに気が付いた。が、同じすみやの中だし別に気にも留めずに、次は本のコーナーに移動し、数冊雑誌なんかをぱらぱらとめくっていたのだが、購入にまで至るような本はなくその場を立ち去ろうとした時、視線の片隅にさっきの女性がまた入った。
その女性は手に雑誌を持って立ち読みをしている様にも見えたが、顔はこっちを見ていた。もしかしたら偶然、またしても顔を上げた瞬間に遭遇してしまったのかもしれない。「うむむ、さては惚れたな」などと思うほど自惚れてはいないので、うむむと思っただけで、そのまますみやを後にした。
で、私の生活範囲がもろにばれてしまうのだが、その後はBOOK・OFFに立ち寄った。このBOOK・OFFはさっきのすみやとはそこそこ離れた場所にあってあまり知られていない近道を使って車で20分と言う場所なのだ。
で、私はそこで何冊かの文庫本を手に取りレジに行こうとした時、その文庫棚の向こう側にさっきの女性が・・・・・
いやいや、いくら車で20分と言ってもあくまでも狭い地元に点在するショップなので、偶然同じ人と遭遇する事はそんなに珍しいことではない。実際に、以前も友人と「また逢ったね」などと笑ったこともある。
そうだ、そうに違いない!と考えながらレジで会計をすませて、そそくさと店を後にした。
駐車場にある車に乗り込んでキーを差し込んだ所で、バックミラーに映った出口からさっきの女性が出てくる所が見えた。
もしかしてマジで?と思ったが「いやいや偶然が重なるって事もあるはず」と、そのまま車を発進させた。が、店を出て国道に出たすぐの所で赤信号で停まらなくてはいけなくなってしまった。「もしかして本当に後を付けられているのだとしたらこれはまずい」と思っている内に、バックミラーの中ではたぶんさっきの女性が乗り込んだ白い軽自動車がBOOK・OFFの駐車場から出てきてこっちに向かってきているのだ。
ほとんどサスペンスドラマのノリでどきどきしていたりするのだが、とりあえずその女性との間には2台ほど車が入っているので少しは安心。
本当は、ここで素直に自宅へ戻ろうと思っていたのだが、もし本気のストーカーだったらそれはかなり危ない話って事になるので、思い過ごしだとは思うが、わざと家から離れた方向へ進むことにした。しばらくは国道をそのまま走っていたのだが、途中でふっと脇道に逸れて、その車から逃れることにしたのだ。
もし本当につけ回しているのなら問いつめるべきなのかもしれないが、想像以上に危ない相手だったら何を持っているか解らない。今考えるとあの切れ長の目はかなり怖いような気もする。
脇道に逸れてしばらく走って、別の大通りに出たのだが、ふと気づくとバックミラーのかすか後方にさっきの白い軽自動車が脇道から大通りに出ようとしているのが見えた。
どう考えても「すみや」→「BOOKOFF」→「国道」→「脇道」と言うコースは不自然すぎる。
「こりゃマジにやばい」と考え、次の交差点がちょうど黄色から赤に変わったところだったが「でやぁぁ!」と信号無視状態で右折して(実はこれも家とは逆方向)そのまま突っ走った。
で、交差点が見えなくなった所の脇道にもぐりこみ、かなり複雑な道を通り抜けてついにその車を振り切ることが出来たと言うワケなのだ。

もしかしたら、錯覚なのかもしれないが、かなり怖い体験だった。
先日も殺害された女性が、見知らぬ男にコンビニで声を掛けられたとかってのもあったし、ストーカーは怖いっす。(その事件はネットの出会い系サイト絡みと言う話もある)

もし、この話から数日後に私が殺害遺体で見つかったりした場合は、この日記がかなり重要な証拠になるかもしれないっす。
だから、ここに公表はしないけれど、とりあえずその女性の似顔絵を自宅のHDの中に残しておこうとか思ったりするのであった。

▼PS:その後
2000年12月18日(月曜日) そう言えば過去にも・・・・
そんなストーカーに追いかけられた(妄想かもしれないけど)経験から、ふと過去にも似たような経験をした事を思いだしてしまった。
それは随分と昔の話だが、その当時付き合っていた彼女の家に遊びにいった後の話だった。
実はこの彼女というのが、結構男友達が多く、色々面倒な話も多かったのだがとりあえず付き合っていた。
で、その関係かも知れないが、彼女の家(弟と二人暮らし)の前に車を止めて出てきた時に、ラジオのアンテナがへし折られていた事もあったし、別の日には運転席側のウィンドウの上にある雨よけ(名前知らない)がバキリともぎ取られていた事もあった。あちゃーっと思って助手席側もみるとそっちもバキリ・・・こりゃワザとだよなぁ的な、嫌がらせを車にされたことが何度かあったのだ。
で、ある日も会社帰りに彼女の家によって、夜9時頃帰ろうとした時だった。
自分が車を止めてあった駐車スペースのすぐ後ろ側に停まっていた車がいきなりライトをハイビーム(上向き/いわゆる遠くまで照らすときに便利だが、普段は使用しない)にしたのだ。まぶしい!と思ったのだが、そこで見送りに出てきた彼女と別れて車に乗り込んだ。
と、さっきのハイビームの車はふたたびライトを消して発進する様子もない。
と言うことで車を駐車スペースから発信させ、いつもの帰り道を走らせていた。
しばらく走った所で、バックミラーの中に異様な物が映ったのだ。その物とはかなり暗い道なのだが、そこを自分の車の後を付けるようにライトを付けない車が走っていた。
「なんだ?」と思ったのだが、しばらく走ってもずっと後ろをライトも付けずに走っている。その後、何度かカーブを曲がったのだが、それでもずっと後ろを付いてきている。
と、その時「さっきのハイビームの車?」と思ったのだ。
あまりに眩しすぎて、その車の車種とかが解らなかったのだがなんかそんな感じがした。
って事は、彼女の家の前からつけられている?
と思った時に「そう言えば、こないだ彼女の弟の彼女(変な感じですが、そう言う関係の女の子)が帰りに家までずっと付けられたと言う話をしていた」と言うのを思い出した。
もしかしたら、その後を付けていた車ってのは、彼女の彼氏(ま、私のことですが)の後を付けようとして間違って弟の彼女のあとを付けていってしまったのでは?
その為に、今回は間違えないように最初ハイビームで確認をしたのではないか?
と言う結論に達したのだ。が、ここで荒ぶる魂を持つ男なら車を降りて「てめえ何が目的だ、この野郎!」などと叫ぶのだろうが、私は心の師が「無抵抗主義者ガンジー」だったりするので、あくまでも騒ぎ事を起こさぬように・・・と考えていた。
その後もずっと、わざと帰り道ではない脇道をカクカク曲がってもその無灯火自動車は尾行し続けてくるのだ。
で、最後は踏切りの遮断機がちょうど降り掛けていた所を無理に走り抜けて、相手を巻くことが出来たのだ。
それから、しばらくして彼女とも別れたのでどうなったのかはよく解らないが・・・

なかなか世の中には暗い人もいたりするので怖いのだ。

そう言えば、以前、家も務めている会社も知らない女性の友人から「ずっと彼女の後ろを走っていたでしょ、彼女おびえていたわよ」などと言われた事があるが・・・
いわゆる「幽霊の正体みたり枯れ尾花」と言うヤツで、勝手に思いこんでいるとそう感じてしまうものなのかもしれない。(枯れ尾花とはススキのことです)
私は本気で、その彼女の家を知らないし(どの辺に住んでいるのかは、ちょっと話に聞いた事があるが、特定できるほどではない)、彼女が務めている会社なんてのも、だいたいどの辺ぐらいは知っていたが、社名すら知らなかった。
2000年12月19日(火曜日) 読書家って素敵
この作家はさぁいつも思うんだけれど最後のツメが甘いんだよね、俺から言わせるとさ
へぇそうなんだ
でも着眼点がいいところが時々あって、おしいなって思うんだよね、俺なら話を別の方向に引き延ばしてもっと面白くできるんだけどなあって残念に思うんだよ
凄ぉい
あ、これも読んだことあるんだけれど、この犯人ってのが実は探偵の助手だったって設定なんだけど、動機の部分が弱いんだよね
へえそうなんだ
なんかさ、意表を突くって事ばかりに着目して、その本編は二の次って感じ
ふ〜んそっかぁ凄いなぁ
確かにエンターティナーとしては面白いのかも知れないけれど、純然たる推理小説として考えたら三流だよ、これは
そうなんだぁなんか凄ぉい、ところでマーくんは年間何冊本を読むの?
年間?そうだなぁ小説なら30冊以上は読んでいるかな
凄ぉい、あたしの友達でそんなに本を読んでいる人はいないよぉ
大したこと無いって、それ以外の科学関連とかの本も入れると年間、数え切れないぐらい読んでいると思うよ
うわぁマーくんって凄い
はっはっはっ、ケイちゃんもこの本読んでごらんよ、今度貸すから
うんうん
これは本当に面白いよ
うん絶対読む!
はっはっはっ

そのカップルは中古本チェーン店・BOOK・OFF(またしても出てきましたが、思いっきり自分の生活圏の狭さを物語っているなぁ)の単行本棚の前で冗談抜きに向き合った状態で抱き合いながら、顔だけを本棚に向けてこんな会話をしていた。
別に読書家を自認するわけではないが、こんなことを自慢げに話しているマーくんは格好悪いと思った。
ついでに、その程度の話で凄いを連発するケイちゃんとも付き合いたいとは思わなかった。
さらに、ついでに言わせて貰うとその後、別の所に移動している二人を見かけた時にはじめて顔が見えたのだが、コメントを差し控えたくなるようなルックスの二人でした。そんでもって、二人とも何か悪い宗教にはまった人のように表情の無い座った目つきをしていました。
別にヒガミでもなんでもなくて・・・・・。
2000年12月20日(水曜日) 格好悪い
やはりここの所テレビで『今年の重大ニュース』に交じって『20世紀を振り返って』みたいな番組がいくつか放映されている。
その手の細かい歴史を突っ込むようなのが好きなのでついつい見てしまうのだが、結局『20世紀』と言いながら、映像の残されている関東大震災周辺からこっちの歴史ってコトになってしまう。
確かにこの20世紀と言うのは映像と言う分野の異常に進歩した時代だったりする。いわゆるそれまでは絵画によって物事を知る事が出来たりするようになったが、あくまでも画家の主観が入ってしまうので、正しい過去とは言えないものだった。
その点、写真・映画などはかなり写実としてその物体を映し出していたりする。
しかし、こうやってまとめて過去を検証してみるとすごく1つの事を取り上げて「この時代はすべてそうだった」的に語ってしまう危険性があったりする。
50年代・みゆき族が!太陽族が!
60年代・カミナリ族が!ヒッピーが!
70年代・フィフティーズが!(←70年代末に50年代のリバイバルがあったんだけど、日本の50年代と言うよりアメリカングラフィティで象徴的に描かれていたアメリカの50年代を真似たファッションだったりする)
80年代・竹の子族が!
などと時代を決め付けてしまったりするが、これらは実は東京と言う凄く狭い地域で起こったブームだったりするわけで、東京から車で1時間ちょいの静岡ではそんなブームはまったく関係なくのぺーっと時間が過ぎていた。
あの手のブームとして扱われた「族」みたいなのは、その場所に行って同じ様な格好をする事によって「参加している」と言う共同幻想的意識を高め「他のヤツらと違う」と言う極地的優越感を味わう物だったりしたのだ。
とりあえずそれぞれの地方にも、そのニュースを見て同じ格好をする人なんかも存在したと思うが「やっぱ何ンか違うべ」と痛感して辞めるか、東京に出ていったと思う。
だから時代の検証番組もある意味、歴史をゆがめてしまう事もあるのだ。
でも、80年代以降はマスコミの発達によって、東京のファッションはまたたくまに日本中に伝播し、さらに韓国・台湾・香港にまで伝播するようになっていたりする。

その手の番組で、町行くコギャル(この言葉の古さはOKなのか?)に過去のファッションの映像を見せて反応をみるという企画があったのだが、各時代のファッションを見て「うわっ終わってるよこれ」(50年代の映像だから当たり前だっての)とか「ダメすぎでしょ」とか「ウチらの方が気合い入ってるよね」とか言いたい放題。
ま、テレビ局としてもその様な反応を期待してそう言うキャスティングをしているんだと思うけれど、そのコメント一つひとつがあまりにも「今」と言う基準しか見えていないし、現時点のガングロで化粧塗りたくり&金髪&厚底クツ&etc.と言うデコレーションごちゃごちゃが最高と思っているから、それ以外は全部否定しちゃうのだ。
なんせ、その手の会話を聞いていると自分およびその仲間以外を馬鹿にして蔑むような発言が異常に多いのだから、そうなるのは当然なのだ。
たぶん、今小学生ぐらいの子供が彼女たちの年令になった頃には「うわ、化け物じゃん」「ケバすぎ」「みんな同じ顔しててカッコ悪〜」などと言われて馬鹿にされているんだろうなぁ。

しかし80年代のファッション関連を列記してみると・・・。
聖子ちゃんカット・レイヤードカット・巻きスカート・ハマトラファッション・YMOによるテクノカット(もみあげ切っただけなんだけど)・重ね着・ざっくりしすぎた網目ファッション(毛糸なんかで出来ていた)・パステルカラー・ワンレングス・チェッカーズカット・DCブランド系スーツ・肩パット・タレントショップ・セーラーズ・大きなプリント柄・ペイズリーのリバイバル・フードのついた服・太い眉・フレームに色がついた目がね・ソバージュ・前髪立て(正式名称は知らないけれど、ワンレンの前髪だけを立てるようにカールさせてディップで固める髪型)・ボディコン・エリ立て・サイドバッグ・金のチェーンネックレス・・・・
今考えると80年代のファッションはそうとう恥ずかしい。(地方に行くといまだにその手のファッションをしている人もいたりしてビックリするけれど)
で、90年代から2000年に掛けてのファッションの多くが現時点でも恥ずかしい。
結局ファッションとは恥ずかしいもので、最先端って言うのは1歩先にはもっとも恥ずかしい物になってしまうと言うことなのだ。
かつて70年代初頭に早川義男と言う人が「カッコいいという事はなんてカッコ悪いことなんだろう」と言っていたが、確かにその通りなのだ。