ひねもす雑記
2000年12月21日〜31日


▲2000年12月21日:木曜日:無い・・・・
▲2000年12月22日:金曜日:ニーズ
▲2000年12月23日:土曜日:当たり年
▲2000年12月24日:日曜日:紅白:見たことない
▲2000年12月25日:月曜日:21世紀は来ない
▲2000年12月26日:火曜日:真冬の怪談[起]
▲2000年12月27日:水曜日:真冬の怪談[承]
▲2000年12月28日:木曜日:真冬の怪談[転]
▲2000年12月29日:金曜日:真冬の怪談[結]
▲2000年12月30日:土曜日:稲荷も燃える年末
▲2000年12月31日:日曜日:20世紀の終わりに
2000年12月21日(木曜日) 無い・・・・
今年の冬は思ったより寒くない。
昨日のニュースでも静岡近郊のスキー場は積雪量が少ないと言っていた。
確かに、外に出ると寒いことは寒いが、かつての様にマフラー&手袋は必須と言うほどでもなかったりするのだ。
だから朝起きたときも、フトンから「エイヤッ」のかけ声で腹を決めて飛び出ると言う必要もなく、別段慌てて暖房を入れなくてもよいと言う感じなのだ。
今日も、起きた時にそんな寒さを感じず、とりあえずシャワーを浴びて髪の毛を整えてと言う朝の儀式を済ませて食卓に着いた。
その食卓に着く前に、車のエンジンを掛けるために一度外に出たのだが、夕べ小雨でも降ったのか地面が濡れていて、車にも霜は降りていない。とりあえず車の暖機運転と言うことでエンジンを掛けたのだが、普段のこの時期ならば車のエアコンもMAXホットにしてフロントの霜などを取るようにするのだが、その必要もなかったりする。
なんかこんなに寒くないんじゃ年末って感じでもないよなぁなどと思ったりもした。
食卓に着き、朝食を食べている最中に「あ、今日って21日か・・・・じゃ、冬至だぁ」などと思い出した。
てぇことはこんばんは「ユズ湯」で「カボチャ」を食べて・・・などと結構その手の風物詩的な行事を重視する私としては、そうかそうか冬至かぁなどと思ったりする。
でも、子供の頃の冬至の季節はやっぱりムチャ寒くて雪なんかチラホラ降ったりしていたよなぁなどと思ったりするわけで、やはり確実に地球の温暖化現象は進んでいるのだろうか?と環境問題なども考えたりするのであった。
と、そんなコトを考えている内にいつもの出勤時間になってしまったので、慌てて残りの食事を掻き込み、カバンを持って立ち上がった・・・・・
あれ?とボクはジャケットのポケットを探ってみた、あれあれ?鍵が無い。ズボンのポケットにも、カバンの中にも・・・あれ?鍵が無くては会社に行けないのだ。こりゃまいったぞ。と、やや焦ったりする私であった。
確か昨日は帰って来て・・・そのまま二階の部屋へカバンを置きに上がって・・・
と言う所で「あ、暖機運転している車に鍵は刺さっているんだ」と思い出したりする私であった。
まったくお間抜けな話だが、これと同様のコトが年に何度もあったりする私なのだ。
2000年12月22日(金曜日) ニーズ
いわゆる芸能界と言うのは一般視聴者のニーズによって成り立っている。つまり「こういう人が好き」という人々がいれば、その要求を満足させるような人物がテレビの中で活躍すると言う図式になっている。
それは「好き」と言う存在のみだけでなく「こいつ嫌い」と言うタイプのキャラクターも必要悪的に配置されていなくては物事は円滑に動かない。
つまり、現時点に於ける悪役(ヒール)的存在の芸能人としては、本人がどこまで自覚しているのかは不明なのだがデヴィ夫人がいる。デヴィ夫人の場合は「他人に厳しく、自分に優しい」と言う一般世間にいても嫌われるタイプの人の極端な例として登場している。
きっと大勢の人が「こんなうぜーヤツ出すンじゃねぇよ」などと思っているのだが、出てくる。そして出るたびに発言で事件を起こす。
これもある種の必要悪としてニーズがあるのだ。テレビ局側としても、視聴者としても。
つまり、雑談の時の格好のネタとなってくれるために、その時代に於いてかならず一人ぐらいはこの手の人が場面場面に出てくる。
同じように「おいおい」と思いつつも、入れ替わり立ち替わり出現するキャラに「お馬鹿ちゃん」と言うのもあったりする。それの現在1位は「釈由美子」あたりだと思うが、最近までは榎本加奈子だったり、神田うのだったり、基本的には20歳前後の女性タレントの場合が多い。見ていてイライラしてしまう存在だが、それもある種の必要悪的な存在だったりするのだろうなぁと思ったりする。
で、時々「うぬぬ」と思ってしまう「悪」でも「好き」でも無い、いわゆる薬にも毒にもならないキャラもいたりするのだが(ここからやっと本題)、雑誌を見ていたら「遠藤久美子・新作DVD発売」ということが書いてあった。
私はこの遠藤久美子と言う存在に関してはちょっと「?」と思う事がある。数年前のマクドナルドかなんかのCMでブレイクして、ちらちらとバラエティ番組に出て、少しドラマなんぞにも出て、CD発売して全然ヒットせず、「人気者でいこう」などのレギュラーからいつの間にか消えて、結局1年ぐらい前からほとんど見かけなくなったなぁと思っていた。
が1年で切れると思った風邪薬の「ルル」のCMを今年も続行、それ以外にも「日石灯油でポッカポカ」とか、あとは何かの公共事業のイメージキャラをやっていた。
うーむと思ってしまうのが、いわゆるこれは「オヤジに気に入られるアイドル」のパターンなのではないか?と思ったりする。
CMとしては「風邪薬」と言うのは何故か定番で(トゲが無くて安心できると言う意味か?)、あとは若年層がターゲットではない商品や公共事業のCMに出てくると言うと、いまだに現役な西田ひかるとか、80年代だと柏原芳恵とか榊原郁恵とか、そんなに定番ではないが奥山佳恵とか早坂好恵とか・・・(何故かよしえが多い)、冷静に考えると同世代の男子にはあんまり人気無くて、オヤジ世代から「あの子は明るくていいねぇ」などと言われるパターンのアイドル。
もしかしたら遠藤久美子という存在はそのツボにビシッとジャストフィットして、意外としぶとくこの先も生き延びていくのではないか?と思ったりするのだ。
しかしDVDは売れないと思うなぁ
2000年12月23日(土曜日) 当たり年
今年は年明け早々から大風邪引きで死にそうになっているし、それ以外に「今年は今世紀最後の年だからガンガンいくのだ!」と計画していたのだ、あんなことやこんな事が連発して起こって、今年は冗談抜きに今まで生きてきた中で最悪にボロボロの年になってしまったのだ。ちとトホホな世紀末なのだ。
そんなこんなで年末になってしまったワケでありまして、今年はもう何もなく平穏に過ぎ去ってくれればいい、頑張るのは来世紀の話なのだ。と思っている。
と、思って生活をしていたのだが、この20世紀の末の末になって、しかもクリスマス直前だと言うのにとんでもなことになってしまった。

某所で買い物をして、そこの駐車場から表通りに出ようとした時だったの。
僕の前には1台のワゴンが駐車場から出ようとして待機していた。
ここの表側の道路はそんなにも広くないが片道一車線のわりかしゆったりした道で、そこそこ車の行き来も多かったりするので、出るのも少し先の赤信号が替わるタイミングを計らなければいけないような場所だった。
で、前のワゴンは右折をしようと車の切れる瞬間を待って・・・・やっと切れたのかゆっくりと道へと走り出ていった。それに併せて自分も駐車場の出口に車を移動して、(左折すつ予定)右から来る車をチェックし・・・・・と思った瞬間だった。
たった今、駐車場から出て車体が完全に道に出たハズのワゴンがいきなりバックをして駐車場に戻って来たのだ。
あっ!と思った瞬間、自分でも意外なほど敏速に左手がスチャッとギアをバックに入れて、と思ったのだが、自分の車の後ろには次に出ようとしている車がピッタリ付いている、このままバックしたらその車に当たる!と思った次の瞬間、バックをしてきた車がガシャッと鈍い音と共にぶつかって来たのだ。
そんなにスピードが出ていなかったので、そんな激しい衝撃は無かったがその鈍いゆっくりたした音と車体全体を無理矢理押された衝撃は伝わってきた。
おいおい、なんて事をしてくれんだよぉ!
と思いながら、ギアをニュートラルに入れ、その状態で車から降り、そのぶつかっている場所をチェックしようと前に歩み出た瞬間だった。
そのぶつかってきたワゴン車はいきなり発進をして道へ飛び出ていってしまったのだ。
「あっ」と思う間もない出来事で、そのナンバープレートをチェックする余裕もなく、慌てて追いかけようかと思ったが、その道は赤信号から青に変わったばかりで目の前を何台も車が通り過ぎていて、とうていではないけれど追いかける為に駐車場から出ることも出来ない状態になっていた。
「・・・・・・」
とりあえず、ゆっくりぶつかってきたので見ただけではぶつけられたのかどうかは不明の「ほぼ無傷」状態だったのだが・・・・・
最後の最後まで、とんでもない一年だったのだ・・・・もうこの後は事件起こらないよね・・・・・。
2000年12月24日(日曜日) 紅白:見たことない
結局、今年もNHK側が一生懸命交渉したけれど宇多田ヒカルは出演をしない事になった。
その事に関して本人がHPで「でも紅白歌合戦って見たことないから」と書いたことに関してNHKの担当が激怒していると言う。
「見たことないだって?ふざけるな!もう二度と出してやらないからな」と、実際に言ったかどうかは分からないが、そんな話題も聞こえてくる。
しかし、やっぱり国営放送だねぇ、いまだに「紅白は国民行事です、参加しない人は非国民です」とでもいいたいのかな?
そんな考えだから自民党と同じで、支持率や視聴率が下がって行くんだよ。私にとっては、あの番組を半分以上の人が見ているって事が驚きだったりする。
2000年12月25日(月曜日) 21世紀は来ない
いわゆる「未来の姿」と言うことで、自分が子供の頃の学習雑誌なんかで描かれていた未来像とは思いっきり違う21世紀がやって来ないと言うのが、確実になってしまった。
といいつつ21世紀はあと100年もあるので、どうなるかなんて事は全然解らないワケなので、いつの間にかみんなのファッションが銀色の宇宙服みたいなボディスーツになって、空中にチューブが縦横無尽に張り巡らされていてその中をエアカーが無音ですーっと走り回っていたり、食事がチューブ式になっていたりするかも知れないが、現時点ではそんなことは無い。
一般的な生活は子供の頃の延長と言う感じだったりする。
ま、細かい部分で言えばビデオを家庭で当たり前のように見ていたり、インターネットがあって、携帯電話が・・・などと言う部分は、思いっきりSFの世界なのかもしれないが。

で、何故ファッションなどを見ても、デザイン的な部分のSF臭さがないのか?と言う所で考えてしまったのは「もう未来的デザインは古い」と言うことが最大の原因だと思う。
と言うのも、60年代後半から70年代前半に語られていた「SF的」な物は、その時代にSFドラマや、あるいは現実のファッションなどに取り入れられてしまったために80年代にはすっかりそのイメージが古くさくなってしまったのだ。

しかし、まさか21世紀の姿が「フリース」という、あの安っぽい服だったとは。
2000年12月26日(火曜日) 真冬の怪談[起]
実に奇怪な話で、それが何故起こったのか、まったく現時点になろうとも答えの見つからない話が現在身の回りで進行している。
これから書く話にはまったく誇張も作りも無い。

我が家の菩提寺は山の中腹にあり、ほんとうに静かなところにある。
そのお寺の本堂に入る階段の脇に、特別に柵で囲まれた戦死者が埋葬された墓地がある。今から50数年前に起こった第二次世界大戦(大東亜戦争)のさい、この平和しか取り柄のないような地域からも多くの若者が戦争へとかり出されて出ていき、そのまま帰らぬ人となったのだ。
当時の我が家の長男もその戦争にかり出され、南洋の海の藻屑となって英霊となって奉られることとなった。つまり、私の父親は長男では無かったのだが、そのために跡取りとなり私へとつながっているのだ。

その戦死者の墓は中央に鎮魂碑が建てられ、それを囲むように約30墓石が奉られている。いまでもそんなに人口が多くない地域なのだが、それでも30人ほどの戦死者が出たということで、あの戦争の愚かしさ、恐ろしさが今でも伝わってくるような気がして、僕は子供の頃、このお寺の中でもこの場所が一番怖い場所だと感じていた。

その戦死者の墓にはいって、奥の角に我が家の墓があり、そこに私の当然みたこともない叔父が眠っている。
あの戦争から55年以上が経過した現在、徐々にその記憶を持っている人も少なくなっており、あまり熱心に掃除をする人も少なくなってしまった。
そんな墓だったのだが、ある日へんなことになってしまったのだ。

2000年12月27日(水曜日) 真冬の怪談[承]
ある日、お寺の近所にすむおばあさんが、1週間に1度の掃除に訪れた時、いつもと違う不可解な状況に気がついた。
なんと、我が家の墓石とその隣の岩田家(仮名)の墓石が台座の上から下ろされて、その台座のさらに下にある台座のところに並んで置かれていたのだ。
はっきり言って、この墓石というのは大の男がやっと運べるってほど重い物だったりするワケで、元にあった場所から倒さずに下へ置くって言うことでさえ、かなり大変な労働だったりすると思うのだ。
もちろん、墓石を単純に突き飛ばして下に転げ落とすなんてのは簡単にできる仕業だったりするのだが、そんなことをした後に立て直したという痕跡はまったくなく、丁寧に、2つの墓石をそれぞれの下に下ろしたという状態になっていたのだ。

どうしてこの2つが?という疑問もあったのだが、そのおばあさんの報告を聞いてやってきた近所の人が見た感じでは、その岩田家の隣の墓石は台座にコンクリートでしっかり固定をされていたので、おろせなかったのではないか?ということだったのだ。
それにしても、なにの目的で墓石を下ろすのか?
結局、犯人らしき人物も目的も判らなかったが、「壊されている」とか「無くなった」とかの騒ぎではないので「今度、人数が集まった時に元の位置にあげよう」ということになった。
2000年12月28日(木曜日) 真冬の怪談[転]
とか言いつつ、結局、年末に向かう忙しさの中で数日そのままになってしまったのだが、ある日、別の人が墓参りをしたついでに「そう言えば、戦死者のお墓が下ろされていたって聞いたけど、どうなっているのか?」と、そこをのぞき込んでみると…

下に下ろされている墓石は1つだけになっていた。
「ありゃりゃ、1つだけあげてもうひとつは断念しちゃったのかね?」と思って、さらによく見ると、何故か杉村家の台座の上に岩田家の墓石が乗っかった状態になっているのだ。
うむむ…
しかも、近所の人が別の時に集まった時に出た話では「誰もあれをあげた人はいない」ということなのだ。
さっきも書いたが、はっきり言ってあれを一人で下ろすのが困難っつーことは、当然、持ち上げるのはもっと困難と言うことになる。しかも腰ぐらいの高さならなんとかあがるかも知れないが、墓の台座の高さは僕が向かいあった時に、胸の高さぐらいまである。
この高さにまで持ち上げるってのはかなりの力持ちってことになるのだが、近所でウェートリフティングをやっている選手がいるって話は聞いたことがないし、無理矢理持ち上げたように、墓石や台座がこすれたような跡もなかったりする。
うぬぬ、かなり不可解なのだ。

2000年12月29日(金曜日) 真冬の怪談[結]
で、それから数日後、誰も持ち上げたという話も無いのだが、墓石はいつの間にかちゃんと収まるべき場所に収まっていた。
誰が?何のために?いつ?
結局、誰にもその謎は解けないのだ。
実はお寺の和尚さんは数年前に病気で倒れて、それ以降は歩くのがやっとで、このような力仕事は当然できる状態ではない。
確かに、普段は誰も通らないような山道の途中にあるお寺だったりするので、目撃情報が全くないってのもしょうがない話だったりするのだが…。
その墓石が問題なく元に戻ったあとで、そこへ行った時に、ふとその墓石を持ち上げようとしたのだが、びくとも動かなかった。当然、持ち上げて下に下ろし、さらに元に戻すなんてことは一人ではできないような気もする。
はたして?

と、話が終わったのだが、実はその二つの墓石が元に戻った状態の前日まで、岩田家の墓石が我が家の台座の上に、そして我が家の墓石は下に下ろしてあったハズだったのだが、なんとその間に「ふたたび両方の墓石が下に下ろされていた」という状況を目撃した人もいたりする。
それらの行為を一気に行わずに、何故数日にわたって行っていたのか?というのも激しく意味不明の不可解な状況なのだ。

現実社会で起こった物語というものは、ドラマや映画・小説なんかと違って、まったく結論が出ないまま、尻切れトンボで終わってしまうから始末に負えないのだ。
2000年12月30日(土曜日) 稲荷も燃える年末
[不可解な墓石事件のあとに続いて恐ろしい事件が起こってしまったのだ]
我が家の庭にはお稲荷さんの祠(ほこら)があったりする。別に熱心にお稲荷さん信仰をしているワケではないのだが、祖父がやっていたらしくそれがそのまま残されている。(自分が誕生する前に祖母は亡くなっていた)
でもって庭に繋がっている裏山には金比羅さんが奉ってある。
これもどうしてここにあるのか不明なのだが、ずっとあるのだ。果たして1つの家の敷地内に稲荷と金比羅があるってのは良いことなのかどうかは解らないのだが、それを無碍に棄てると言うことも出来ないので、そのままになっている。
でもって正月ということでそこを掃除して、お供え餅をあげたりすると言うのが恒例行事だったりするのだ。
私は山にある金比羅の掃除をして、花瓶の水を替え、そして餅をあげて・・・と作業をしていた時だった、庭のほうで母親が何かを叫んでいるのだ。
うむむ?と思いながらそっちの方向にいくと、そこで母親が「放火だよ」などと言っているのだ。
しかし、どこを見渡しても火の手があがっている様子はないので「この忙しい年末に何を言っているのだ?」などと思いつつ母親のところに近づくと「お稲荷さんの中が」などと言っているのだ。
で、お稲荷さんの祠の中をのぞき込むと、そこには1冊の雑誌らしきものの燃えた炭が・・・・そして祠の壁の一部も焦げた状態になっていたのだ。
うぬぬぬぬ、こりゃどうすりゃいいのだ?
と思いつつ、とりあえず警察に電話をして、現場検証と言うことで来て貰うことにした。
この日記の過去の分を遡って見ると解ると思うけれど、今年の8月21日・9月16日にほんとうに近所で放火と見られる火事が連続して起こっているのだ。
8月のは本当に家の前にある農機具小屋で起こったし、9月のは近所で3件も連続して起こり、さらにその後解った事では別の所でも2件燃えかすが見つかり、さらに警察には届けられていないけれど何件か火を付けたのではないか?と言う跡もあったらしい。
で、さらに1年前の日記には11月12月にもほんの近所で不審火が起こっていたりする。
うむむ、そう言うことは我が家の稲荷さんもその被害にあっていたのか・・・稲荷さんの中は8月に母親が掃除をした以降はあけて居なかったのだが、いつ火を付けられたのは解らないのだ。
さらに警察が来てから色々な話をして、実は我が家の家のまえにある空き地や我が家の横には時々、駅から乗ってきて棄てた自転車があったりすると言う話をしたのだが、その時、警官が「この近所で無職だったり不審と思われるような30代ぐらいの男性と言うのは居ませんか?」などと聞いてきたりするのだ。
しかし、心当たりが・・・・って、よく考えたら無職ではないが我が家の前・右・左に自転車が棄ててあり、我が家の周辺で放火事件があり、30代の不審者・・・・って該当者は俺か?
ま、そんなこんなで年末も年末の押し迫った時にこんな事件で警察を呼ぶとは思わなかった・・・・・はぁ
来年は明るい話題でぱぁっと行きたいものだよなぁ

※雑誌は車関係の本らしかった。とりあえず、その手の雑誌はまったく購入したことがないのだ。
結局、犯人は若いヤツってことなのか?
2000年12月31日(日曜日) 20世紀の終わりに
しかし、今年は色々ヘビーな話が多かったが、12月に入ってから風邪を引いたり、ストーカーもどきに追いかけられたり、当て逃げされたり、墓石が降ろされていたり、放火されていたり・・・・たった1ヶ月にこんなに事件が連発するとは。

ということで「20世紀の終わりに」と言うと「あぁあの曲ね」と思う人は激しく少ないと思うが、80年代の最初の事にヒカシューと言うテクノバンドが歌っていた曲だったのだが、まさかこんな20世紀の終末を迎えるとは思わなかったっす。
でもって、こんな日記をインターネットの片隅で書いているとは・・・・
でも、こう切羽詰まってしまうと「所詮21世紀がどーのこーの言ったとしても、今日が明日になるだけじゃんケッ」などと思ってしまうのだ。

でもって、こうやってたった1行経過しただけですが、実は前の行を入力したのが20世紀で、こうやって現在は21世紀だったりします。
しかし、21世紀になった瞬間は見事に日本テレビにしてやられたって感じだったりするのだ。
日本テレビの「行け年来い年・世紀またぎスペシャル」なんてのを見ていて、番組中でカウントダウンを初めて3・2・1・ハッピーニューイヤー!!!ドッカーンとその特設ステージではラインダンスが出てきたりして大騒ぎになっていて、テレビのこっと側でも「新世紀おめでとうございます」などと言っていたのだ。
が、テレビの中は突然、ディレクターが出てきてラインダンスが中断され、慌てた松本明子が出てきて「時計が狂っていたってぇ!じゃまだ20世紀なのぉぉぉ?」と叫んでいた。
と、その時会場にピッピッピッポ〜〜〜〜〜〜ン、と時報が鳴り響いて・・・・・ 「え?今、年が変わったのぉぉぉ?」と松本明子が叫ぶという、100年に一度の大事な瞬間をフェイントされて・・・・・

とほほな新世紀なのだ。