ひねもす雑記
2001年1月01日〜10日


▲2001年1月1日:月曜日:あけおめ・こんよろ
▲2001年1月2日:火曜日:それは違うんじゃ?
▲2001年1月3日:水曜日:正月カレーフェア実施中
▲2001年1月4日:木曜日:癒されたいか?
▲2001年1月5日:金曜日:仕事始め
▲2001年1月6日:土曜日:かぶっている
▲2001年1月7日:日曜日:やってるやってるゥ!
▲2001年1月8日:月曜日:荒れる成人の日
▲2001年1月9日:火曜日:手作り風味
▲2001年1月10日:水曜日:今年の計を立てていない
2001年1月1日(月曜日) あけおめ・こんよろ
なんだかんだ言いながらも、結局昨日から24時間経過すると21世紀になっていた。
と言うか、いつも通りに1年新しくなっただけだし、単に昨日から1日経過しただけだったりする。
そんでもって、ことごとく大昔の予言者の言っていたことがノストラダムスの時と同様にウソっぱちになってしまう新世紀なのだ。
と言いつつ「21世紀はどうなる」的な予言(予想)だったりすると、まだ猶予は100年もあったりするので、ウソとも言い切れなかったりするんだけどね。
(でも「ソ連が核を」的な予言は、その敵大国ソ連自体が存在しないからウソだけど)

まったくもって、ダラダラと地味に今年も「のんべんだらりんフェア開催中」って事で始まりました。
で、タイトルの『あけおめ・こんよろ』は今世紀もと言うことで、今年限りの限定バージョン。
しかしこの「あけおめ・ことよろ」って言葉もはじめて聞いてからすでに5年ぐらい経過したと思う。最初は、パソコン通信時代に誰かが掲示板に書き込んだ言葉だったと記憶している。
でもって、今年はテレビでも何人かの芸能人がこれを言っていたりするのだ。
あぁやっと市民権を得た言葉なのだなぁと思いつつ、でもって終わったなぁと思った。
最近の言葉の流行り廃りは「テレビや雑誌で言われ始めた段階で終わり」と言うことになっているので、終わったよなぁと感じてしまうのだ。
が、この言葉は使ってもせいぜい松の内・元旦から3日ぐらいしかないと思うので来年もきっとどこかで誰かが言っているに違いない。
もっとも、この言葉は江戸時代にすでに使われていた由緒正しい流行語だったりするのですが。

で、21世紀の話なんですが、すでに去年語り尽くしたのでもう話題としては古いって感じがするのだ。だからこれからのテーマは22世紀なのだ。
2001年1月2日(火曜日) それは違うんじゃ?
ほけーっとテレビを見ていたのだが、そこで変な表記にぶつかってしまった。
静岡の某民放のニュース番組なのだが、そのバックにある画面におおきな文字で「21」と書いてあって、その右下にやや小振りなアルファベットが「st」と書いてあった。
たぶんきっとこの画面で「21世紀」を意味したかったのだと思うが・・・・
「21st」って・・・・中学1年生レベルの間違いじゃないか?
たしかに「1」の場合は「ファースト」なので「1st」と言う表記は間違いではないのだが、「21」の場合は「トゥエンティーワンス」だから「21th」が正解なのでは?
もしかして、この静岡某民放の人々は揃いも揃って「トゥエンティーファースト」だと思っているのでは?
うむむ、21世紀になっても国際化の波はまだやって来ないのだ。

▼PS:2001/01/08

なんだかこの表記でも最近はありらしい。なんか納得いかないけれど。
2001年1月3日(水曜日)正月カレーフェア実施中
正月のテレビを見てて凄く感じるのが、正月恒例の初売りのCMや、フジカラーなどの行事を撮影しよう的なCMに混じって何故かカレーのCMが多いと言うことなのだ。
ずっと遡ると70年代末頃に「おせちもいいけどカレーもね」と言うCMがあって、そこから連綿と正月にはその時代のアイドルやお笑いが起用されて・・・と言う感じだったりする。
たぶん元祖はキャンディーズあたりか?
しかし何故カレーなのだろうか?正月に。
ラーメンでも、麻婆春雨でも、グラタンでも、スパゲティでも、ハンバーグでも良いと思うのだが、とにかく「おせちもいいけどカレーもね」なのだ。
そんなCMを20年以上に渡って放映しているので、逆に「正月の3が日が終わった頃にはカレーだよね」と風物詩化しちゃっているのではないか?
そうなるとこんどは逆に「年明けのカレーもいいけどピザもね」とか「ラザニアもね」とか、カレーに近い路線として「シチューもね」となってしまうかも知れない。
が、20数年連続して放映している割に「正月明けにカレーを食べた」と言う家庭の話をあまり聞かないってのは、全然浸透していないって事なのか?
でもって今年は元speed上原多香子とココリコの3人がCMを繰り広げていた。
そのCMのラストで三人がテーブルに並んでカレーを前にしてポーズをとって終わるのだが… たぶんポーズをとって終わっているのだと思うのだが…。
そのシーンで上原多香子が中央に座っていて、左右のココリコも何かポーズをとろうとした瞬間、カレーのパッケージがどーんと現れて画面には「左右にカレーのパッケージを置いて上原多香子がひとり居る」という構図になって終わるのだ。
なんか悲しいぞココリコ。

去年やっとゴールデンに自分たちがメインの番組をもてたと思ったら、その番組のメインのコーナーが「1万円で1ヶ月を暮らす○○○」と言う企画にもっていかれてしまったってのも激しく悲しい。
頑張れココリコ・・・・って思っても、ココリコの漫才とかコントって見たことないや。

▼2001.1.3:NEWS
2001年1月4日(木曜日) 癒されたいか?
2001年なのだ、21世紀なのだ、といいつつテレビでは「今年も癒しがブームの中心に」的な事を言っていたりする。
そうかそうか、世間はいまだに疲れているか、そんなに他人に慰めて貰いたいのか・・・。 などと思ったりする。
確かに、松嶋菜々子や本上まなみなどの「優しげ・涼しげ」な美人がブームだったりするのだが、よく考えるとこの手の「癒し系女優」はいるが「癒し系俳優」が存在していない。ってことは、結局疲れているのは男性だけか?
などと思う。
が、女性だって大いに疲れていると思う。
ただ単に男性は根本的にマザコンなので、女性にいい子いい子して貰いたいってことなのだ。

しかし「今年も癒し系が」などと言うのだが、よーく振り返ってごらん。この《癒し》と言う言葉がいつ始まったのかを。
なんともう8年も前の飯島直子が出演していたジョージアのCMが原点だったりするのだ。あそこで「やすらぎパーカー」が景品として登場し「やすらぎた〜〜〜〜い」などと言い始めたのだ。
疲れたり、癒されたり長すぎるっちゅーの。
2001年1月5日(金曜日) 仕事始め
実は昨日までが正月休みだったわけでありまして、と言うことは今日が仕事始めってことになる。
しかし、新年早々はそんなにどどーんと言う仕事も入ってこないので、かなりまったりした状態で仕事をこなす。
上司は正月風邪をひいてまだ直っていないと言うことで、半日で帰ってしまうし、まだなーんか正月気分が開けていないのかなぁ
さらに、今日が仕事始めなのだが、明日は土曜日で休みで、次も日曜日で休みで、さらに月曜日もハッピーマンデー成人の日で休みと来ちゃうわけで、3連休なのだ。
こりゃ仕事に身が入らないってことおびただしいのであります。
などと言いつつ、仕事はキッチリこなすのであります。
2001年1月6日(土曜日) かぶっている
ふと人混みに紛れ込んだ時、その前方をぼけーっと見ていて「これでいいのか?」と思ってしまうことが多々ある。
というのも、人混みの構成年令が20代ぐらいが中心だった場合、その後ろあたまの60〜70%が茶色から金髪だったりするのだ。
それを一概に「全員同じ色」とは言わない。確かに、微妙な差があったり、メッシュだったり、複雑に各自それぞれが工夫をしている(と思う)。
さらに今年は服装の大多数が「フリース」と言うことになっている。
余りにもあまりにって感じなのだ。

もともと個人的な見解ではジャージ系統のファッションは好きではないので、いくら暖かいと言っても、いくら安いからと言っても、いくら色のバリエーションがあるからと言っても、自分の領域には入ってこないタイプのファッションアイテムなのだ。
あの服の好き嫌いは別にして、思ってしまうのが「何故みんな同じタイプのベクトルを向いたファッションをしていて平気なのだ?」と思ってしまう。
あまりにも制服ではないか?
なんかこれってファッションと言うものを楽しむ事を本当に拒否しているような感じなのだ。
それとも自分がズレているのか?と思ってしまうのであった。

なんか「流行っている」と言うのが人々の服を選択する目安で、個人的な「好き嫌い」を言っている人ってのが少ないような気もするなぁ
ただ、流行っている物を「俺、それ嫌いだから」というと「センス無い」と言われそうな風潮が・・・・
2001年1月7日(日曜日) やってるやってるゥ!
ふとテレビを見ていたら浜松で展覧即売会をするってCMが流れていた。
でも、そこに出品される画家の名前を並べて紹介していたのだが「ラッセン」「シム・シメール」などに混じって何気なく「ジミー大西」などと言う名前も入っていたりする。
そうかそうか、そうやってちゃんと画家として認識されているのか、凄いっす。
いわゆる芸能人をやりながら二科展なんかに参加する人の絵が、激しいぐらいに「おいおいこのレベルで二科展?」と言う感じなのに対して、凄いことかも知れない。
あの二科展に出てくる芸能人の絵は、まったく絵画に興味がなくて芸能しか知らない人には「へぇあの人がこんな絵を…」と感激するに値する物かもしれないけれど、ちょっとでも絵をかじった人には「この程度の絵は初心者でも書けるんじゃないの?」と言うレベルのものがおおかったりする。
そこいらの「いつか二科展に出展できるようになりたい!」と思っている人は、芸能人になるほうが手っ取り早いかもしれない。

しかし、ジミー大西は凄いなぁ(って個人的な感想ではジミーちゃんの絵のスタイルはあんまり好きではないけれど)
2001年1月8日(月曜日) 荒れる成人の日
今年の成人の日は今日だったんですが、各地の成人式でバカ全開の新成人が暴れ回ったと言うことがニュースで報道された。
高知県なんかだと、会場の二階に陣取った数名のお馬鹿さんな新成人が大騒ぎをして、果ては県知事がしゃべっている最中に「帰れ!帰れ!」の帰れコールを言い出す始末。
また別の会場では、最前列で一升瓶を抱えた馬鹿集団が大騒ぎして、祝辞を述べている最中に壇上にまで上がり込んでクラッカーを鳴らしたり、新聞記者に殴りかかったり・・・・。
あまりにも格好悪すぎて情けなくなるねぇ。
でもって、以前ならば「彼らが30歳・40歳になった時にその時にした行為を恥じるのではないか?」などと思ったのだが、どうやら「馬鹿は何歳になっても馬鹿」と言うことが最近やっと判ってきたので、ヤツラは40歳になっても「俺らの成人式の時はヤンチャしてなぁ式典をメチャクチャにしたんだぜ」的にそれを誇りだとか勲章だとか思ってしまうのだろうなぁ。
激しく格好悪い。
ま、この手の人々は「他人が迷惑がっているのが面白い」と言う思考回路の持ち主だから何を言ってもダメだと思うのだが・・・。
有る意味、そーゆー格好悪い同世代の人間を見て、それを反面教師として残りの大多数の新成人はまっとうな人生を歩んで欲しいと思う。
あくまでも馬鹿なのはほんの一握りの世間に相手にされないチンピラだと思うのだ。

でもって、そんな日々を送ってきた人間にも社会は最終的に福祉の手をさしのべなくてはいけなかったりするから、面倒くさいんだけどね。

▼PS:逮捕
2001年1月9日(火曜日) 手作り風味
仕事で色々な漫画の原画を見たりする事が多かったりする。
で、かつて自分もそんな事をやっていた過去があったりするので、それらの絵に「そうかそうか」と思ったりするのだ。
でもって、新人の絵の場合は一生懸命綺麗綺麗に仕上げてあったりするのだが、ある程度年期を重ねたプロの場合は原画は汚くても印刷した時には綺麗、と言うテクニックを身につけたりしていたりする。

でもって、今日見た絵でちょっとショックを受けてしまったのだが、自分が学生の頃は金もなかったのでスクリーントーンなんてめったに使えずに「ここぞ!」と言う所にワンポイント的にしか使っていなかった。
でもって、当時のスクリーントーンの絵柄は網点は基本として、バックに使えそうなものは実際の所少なかったりした。
なんだかよく判らない花が散っている、安普請のアパートの壁紙みたいなのとか辺なのはあったが。
でもって、当時は「漫画家になるにはまずはアシスタントから!」みたいないわゆる師弟制度の名残みたいなものがあったので、まずは背景を上手に成らなくてはいけない。その為には均一な横線を引けなければいけないとか(当然、今手書きでバックの横線を引くような人はほとんどいないと思う)、点描で綺麗にグラデーションをあがけなければいけないとか(ゲゲゲの水木しげるでお馴染み)、そんなテクが必須だったのだ。
そんなのも今や、点描のスクリーントーンもあるし、さらに最近はコンピュータ経由でどんな背景も簡単に模様付けできるようななっているのだ。

でもって、漫画の背景なんかで心理描写に出てくる俗に言われるグリグリというものがあって、これはかなり色々なバリエーションがあったのだ。が、今やそのグリグリさえスクリーントーンになっているのだ。
私はその原画を見た時に最初は「おぉグリグリだ、いやぁ上手に書くねこの人ぁ」などと思ったのだが、次の瞬間それがスクリーントーンだということが判明してビックリしてしまったのだ。
うーむ、最近のアシスタントはある意味、楽だよなぁ(大変なのには変わりないと思うが)
2001年1月10日(水曜日) 今年の計を立てていない
うわぁ何もしない内に、今月も10日になってしまった。
今月の3分の1を無駄に使ってしまったのだ。
てぇことは今年の36分の1を無駄に使ったと言うことになってしまう。
てぇことは今世紀の36500分の1を無駄に使ったと言うことになってしまったのだ。
いかんいかん。

と言いつつ何も考えていないのだ。