ひねもす雑記
2001年1月11日〜20日


▲2001年1月11日:木曜日:自然保護
▲2001年1月12日:金曜日:うまい
▲2001年1月13日:土曜日:上を向いて歩こう
▲2001年1月14日:日曜日:めっちゃ恥ずかしい
▲2001年1月15日:月曜日:オタクなのかなぁ(1)
▲2001年1月16日:火曜日:オタクなのかなぁ(2)
▲2001年1月17日:水曜日:打楽器
▲2001年1月18日:木曜日:最短記録
▲2001年1月19日:金曜日:誕生日増加の謎
▲2001年1月20日:土曜日:風邪引き野郎
2001年1月11日(木曜日) 自然保護
いわゆる地球上にはたくさんの絶滅寸前の動物が存在していて、それを絶滅の危機から救おうと言う自然保護団体もたくさん存在しているという。
そんなニュースがこの10年、あちこちで聞かれるようになってきた。
いわゆる「地球にやさしい」と言う旗印の下に。

しかし、いつも疑問に思ってしまう事なのだが「絶滅寸前の動物を救うことが自然保護なのだろうか?」と感じたりする。
中には無意味なほど人間が乱獲したあげくの絶滅もあるかもしれない。その中には「絶滅寸前のくじらを食用にするなんてもってのほか!」とヒステリックに叫ぶ団体もいたりするが、あれはそのキャンペーンを立ち上げた欧米人達は判っているのかな?
もともとクジラが絶滅しそうになった理由ってのが「クジラのヒゲはコルセットの材料にバッチリざんす」と言うことで、ただヒゲを欲しいがために20世紀前期までにヨーロッパ近海だけでなく太平洋のクジラを乱獲して、何種類かのクジラを絶滅させてしまったと言う経緯があったりするって事を。
沖の鳥島に遭難してたジョン万次郎がアメリカの船に助けられた話があるが、あれは捕鯨船で、ヤツらはアメリカ近海でクジラが採れなくなったので太平洋中を乱獲し廻っていた。そんな捕鯨船の一隻に救助されたって事を。
ついでに19世紀中期にハワイを無理矢理アメリカの領土にしたのは、その捕鯨船の中継基地にしたかったためだって事を。
確かに日本人も大昔からクジラを捕っていたが、その肉は当然食べていたし、脂も、骨も、ヒゲも(これは人形浄瑠璃に使われていたが、最近はクジラのヒゲが採れないので作れなくなってしまった)、革も、はっきり言って残す部分はまったく無い状態で捕獲していた。
が、欧米の場合はヒゲを捕ると、残りの物は肉もすべて捨てていたんだから始末が悪い。 どうやら、宗教的な理由で「ウロコのない海洋生物は食べてはいけない」と言う戒律があるかららしいが・・・・。
なんか、捕鯨国の日本を攻撃している自然保護って・・・と思う。

で、絶滅寸前の種を救うって事がどれだけ自然保護になるのかは、はだはだ疑問なのだ。
なんせ、地球が出来てから何億の年数が経っているが、その間に登場してきた生物の種の約99%がすでに絶滅していると言われている。
つまり生物の種は誕生してきたからには死を迎えてしまうのだ。
つまり、自然淘汰と言う掟の中で絶滅していく生物の種を無理矢理生きながらえさせてしまうってのは、思いっきりな自然破壊なのかもしれない。
2001年1月12日(金曜日) うまい
いわゆるテレビのバラエティ番組をはじめとして、安易なテーマでありつつ視聴者の興味も引くために「グルメ」と言うものが全面に押し出されるパターンが多い。
旅番組などは当然の事、お笑い番組でも多用されている。
それは料理(調理)対決だったり、聞き味対決だったり、早食い大食い対決だったりする。で、そこでふと感じてしまうのだが、出演者の殆どが食べた瞬間「旨いよ」と答える。女性出演者も同様に。
別に間違いではないが、ここ数年「おいしい」と言う言葉があまり使われなくなってきたような気もする。
中には男性タレントでも「おいしい」と言う人がいたりするが、個人的見解としてはそっちの方が美味に聞こえる。
別に女性だからと言うわけではないが、女性タレントでも食べながら「うまい!うまいよ、うまいうまい」などと連呼する人も多くいたりするわけで、なーんか「品が無いなぁ」と感じてしまう。ついでに「この人が語彙がその程度しか無いのか」と感じてしまうのだ。
しかし、現状では私は古い人間なのかも知れない。

だけれど「美味しい」と言う言葉があまり使われなくなった暁には「旨いで表現できない場合の言葉」となるかもしれない。

▼2001.1.12:NEWS
2001年1月13日(土曜日) 上を向いて歩こう
世間一般の評価として現在の総理大臣は、とにかく無責任でいい加減で状況把握の認識力が無く、しかも「子供」と言うことらしい。
でもって、この10年近く低迷している日本経済に関して「緩やかなる上昇傾向」だと言う政府見解を述べたりするのだ。
ま、どうせ認識力のない人のいう事なので・・・と思ってしまうが、実はこの「経済の底を見た、徐々に上向き」と言う発言は今年に限ったことでないのだ。
92年頃に、バブルがはじけてどどーんと経済が落ち込んだあと、実は1994年の正月の政府見解ですでに「景気の下降はストップした。これからは徐々にだが上向きになる」と言う公式発表が成されていたりする。(過去の雑誌を読みかえしていたら、そんな事が書いてあった)
おいおい、それから7年、毎年正月に「上向き」と言う言葉を使っていなかったか?
そんな状態だったら、現在は思いっきり好景気だぞ。

ま、間抜けな総理大臣はアフリカにいって金をばらまいて(しかも自分の金でやっているみたいな気分で)ニコニコしながら「この国の大統領と私には共通した事があります・・・(約数秒の貯め)大統領はモイー、私はモリーであります」などと、近頃、小学生でも言わないレベルの駄洒落を披露して、お付きの腰巾着が「うわはっっはっっは!」とことさら大きな声で笑ったりする、ほのぼのした外交を展開してりゃいいんだってことか。(日本からファンを大量に引き連れていってハワイやラスベガスでコンサートを開催して「ラスベガス公演も大成功」などと言っている演歌歌手みたいな状況だな)

去年の、内部分裂の危機にも毎晩、高級料亭で会食をしていた時に「こんな時に毎晩料亭で食事でもないだろ」と指摘をされると、逆キレ状態で「じゃどこで食事をすればいいというんだ?」などと言い出す始末。
あのさ、1ヶ月の食費を家族4人で数万円で工面している庶民の税金で、毎晩数万円の食事をするって神経、ダメだこりゃ。

内部分裂に関して「そんな事ばかりしているから、私の支持率が下がるんだ」と発言する始末。

公費流用事件に関して「そんなの私には関係ない、それは小渕時代までの話だ」などと言い出す始末。
ほとんど「俺は悪くない」とか「悪いの俺だけかよぉ」という、馬鹿なガキと同じレベル。
その他、ムチャクチャな発言は大量にあるが、もう国民は諦めているために、それすらニュースにならない。
もう、この国は終わりですか?
2001年1月14日(日曜日) めっちゃ恥ずかしい
去年の暮れから今年の正月にかけて多くのバラエティ番組にシドニーオリンピックで活躍した選手が駆り出されていた。
そのお陰で、マラソンで金を獲得した高橋尚子選手などは帰国後まともに練習をする時間が作れず、おまけに客観的に見ただけでわかるほど体重まで増えてしまっていたりする。
なんつーか、ある意味テレビ的にも安易だと思うし、いわゆる昔のアマチュアリズムを取っ払った状態のオリンピックと言う物のあり方を考えるべき状態なのかも知れないっす。
かつてはオリンピックに出場した選手が帰国した時、空港で記者会見を開いたってことだけで「それはアマチュア規定にひっかかる行為だ!」とオリンピック委員会から厳重注意を受けたりしていた。
それが今や、オリンピックの放映時に流れているCMの中にもその選手が出ていたりするんだから(その出演料は選手育成のためのオリンピック基金だかに入ると言う噂だけど)

でもって見ていて可愛そうだと思ったのが、水泳の田島寧子選手。
彼女は銀を獲得した際のインタビューで「うわぁ金がいい、メッチャ悔しいぃぃぃ!」と叫んで、そのキャラとその言葉が注目されたりして、年末の『流行語大賞』なんかも受賞していた。
で、バラエティなどに出た時にアナウンサーのおっさんに「田島選手と言えばあの言葉がありますよね」などと言われてマイクを差し出されたりするのだ。
しかし、あの言葉はあの状況でだから出た言葉であって「ではマイクに向かってどうぞ」と言って発言するたぐいの言葉ではないと思うのだ。しかも田島選手は別に関西の人ではなく(神奈川県鎌倉市出身)あの言葉はただ最近の言語体系の中で同世代の人が使っている言葉だったりするのだ。
で、田島選手も困った表情をしながら「・・・・めっちゃ・・悔しい・・・・っすか」などと小さな声で言ったりするのだ。

タレントが狙って作り出した流行語と違って、この手の言葉を素人がワザワザ言い直すってのは辛く恥ずかしい事なのだ。
2001年1月15日(月曜日) オタクなのかなぁ(1)
気が付くと私の所有しているCDは4桁になっていた(シングルを除く)。
別に「一生懸命買いまっせ」と言うワケではなく、その都度その都度、気に入った曲が有れば購入すると言う生活を10年ほど続けていた結果だったりする。(CDを買い始めたのは1988年頃からで、それ以前のアナログレコードも大量にあったりする)

気が付くと私の所有している漫画単行本は数えるのも嫌になるほどの量で、スチール製の本棚7個+段ボール箱10個ほどになっていた。
これも「一生懸命買いまっせ」と言うことではなく、日々買っているうちにこうなってしまったと言うだけの事で、そーんなに漫画のキャラクターに思い入れもなかったりする。あくまでも物語として面白ければそれで良しと言うスタンスなのだ。

気が付くと私の所有しているビデオテープ(テレビ録画ものが中心)も4桁になりそうな勢いだったりするのだが、これだって「一生懸命録画しまっせ」と言うワケではなかったりする。
そのビデオテープの95%以上が音楽物で、最初は好きな曲を録画してストックしていたものだったが、仕事の関係でその時間までに帰れないことが多くなったので、音楽番組を全部、留守録画するようになって、基本的に「HEY HEY HEY」と「MUSIC STATION」は約10年ほどほとんど録画してあったりする。それ以外に衛星放送のライブ物もかなり録画してある。

気が付くと私の所有している文庫本もどうやら4桁を軽く超えているらしい。
これだって別に文庫本コレクターってワケではなく、単純に「年間小説を100冊は読むのだ!」と言う個人ブックフェアを開催して早10数年と言う状態だったりするので、当然の結果と言うことになるのかも知れない。
さらに本屋に行った時に「これも読みたい、今読む時間が無くてもいつの日か!」と購入して読んでいない本も実はその倍ぐらいあるので、数えるととんでもない事になりそうなのだ。

さらに、この10数年に購入した雑誌なんかでも「CDでーた」「ダ・ヴィンチ」「日経エンタ」などは創刊号から現在のものまで全部あるし、それ以外の雑誌なんかでも将来資料性の高くなりそうな物は残してある。

てな事を書くと、私の部屋はとんでもない事になっていそうな感じだったりするのだが、実際のことを言えば、かなりの量のものは別棟にある物置に収納してあったりするし、普段生活&作業をしている部屋にはあまり物を置かないようにしているので、いわゆる「圧倒的な物の多さ」と言う状態には見えなかったりするので、ご安心を。

2001年1月16日(火曜日) オタクなのかなぁ(2)
しかし、こんな事を書くとたぶん「こいつってオタク」と思われるんだろうなぁ。
たしかに「データオタク」なのかも知れないけれど、いわゆる世間一般で言われるオタクとはなんか自分でも違うんじゃないかな?と思ったりする。
説明は難しいが、いわゆる集めているのではなく、集まってしまったと言うことだったりするし、その物に関してそーんなに思い入れがあるわけではないって事かなぁ。

しかし、オタクなのかも知れない。
よく世間一般の「オタク」をイメージさせる部屋と決定的に違うのは、生活空間に物を置かないようにしていると言う事かも知れない。
あくまでも「資料」として整理してあったりする。(CDは実用品として)
それに比べて(と言ってもサンプル数は少なかったりするが、あくまでもイメージ的なものとして)オタクと呼ばれやすい部屋は、その空間にとにかく物を詰め込めるだけ詰め込んである種、要塞化しているような物だったりする。
手に届く範囲内に物があると安心安心ってのは、かなり物品などに精神的な部分を依存しちゃっている状態なのではないか?

うんうん、ととりあえず自分的には納得を無理矢理するのだ。
2001年1月17日(水曜日) 打楽器
日テレ系で放送している「歌の大辞典」と言う、新旧のチャートを交互に放送する音楽番組がある。
始まった当初は、すぐ終わると思っていたが、もうかれこれ4・5年続いているってのはやはり、視聴者の年齢層が広いからなのか?
ま、そんな中で過去の曲なんかを聴いていると歴然と「違うよなぁ」と感じてしまうのが、ドラムを中心とした打楽器の音の小ささと、ベースの音の小ささ。
今、改めて聞き直すとそのショボさに愕然としちゃうのだ。
さらに言うと、その番組で流される映像の多くが『紅白歌のトップテン』などと言う一連の公開番組からの物だったりするんだけど、当時から「この番組のミキシング(音のバランス)って悪いよな」と感じていた。
同じ時代の別の局の番組に比べると激しくバックバンドの音量とかが小さかったり、メリハリが無かったりした。
80年代にはいってからは、それもやや解消されていったんだけれど(YMOをはじめとするテクノ系の音やバンド物が増えたせいか?)なんつーか、音がショボい。
テレビ番組に限らないんだけれど、当時の曲なんかを聴いた時にとにかく「違う」と感じてしまうものが「ボーカルの音量」だったりする。
昔は「あくまでも歌物」と言うスタンスで歌謡曲が作られていて、バックの音なんかはついでみたいな状態だったような気がする。
中には野口五郎(この人は当時、自宅にスタジオを作って多重録音アルバムを制作したりもした)や太田裕美(歌謡曲とポップスの垣根を取り払った人で、松本隆と言う作詞家があらゆる実験をして、さらに音造りもアルバム毎に替えていった)などもいたが、あくまでも歌がメインだった。
今の曲になれてしまうと、昔の曲はボーカルの音ばかり目立ってしまうのだ。
しかし、最近の曲はリズムトラックしか無いようなのも多く、それはそれで困りものなのだ。
2001年1月18日(木曜日) 最短記録
朝、出かける直前のテレビで「昨年末離婚した石坂浩二が、たった5日目に再婚をしていた」と言うニュースが流れていた。
うむ、そうかそうか、と思ったりするのだが、そこで「この離婚後5日で再婚と言うのは芸能界最短記録です」などと言っていたのだ。
しかし、実際の事を言えばかの愛川欽也がうつみ美土里と再婚した時は、前日に離婚して翌日結婚と言う「翌日再婚」だったのだ。
もし面倒くさい人だったら絶対にテレビ局へ「これちゃいまっせ」とクレーム電話を入れているんだろうなぁ。
私は面倒くさいことは面倒くさいのでやらない。

しかしクレーム好きな人ってのは実際に存在していて、メルマガやこのようなサイトを運営していると、多々いるって事に気づかされたりするのだ。
ちょっと、うんざりしちゃうんすけど、しょうがないか・・・
2001年1月19日(金曜日) 誕生日増加の謎
たとえば自分の誕生日などをチェックした場合「おいおい、俺の誕生日の同世代ってAV女優ばっかりじゃん」などと思った方はいらっしゃいませんか?
たぶん、そう感じたのは20歳前後の方だと思います。
それは何故か?というと、それぞれのジャンルの人々のデビュー年月日が関係していたりするせいなのです。
基本的にAV女優と呼ばれる方々のデビュー時は18〜20歳ぐらいだったりしまして、それも毎月誕生日が判るような人だけで20人以上デビューしていたりします。実はこのサイトのAV女優の誕生日は某それ関係のサイトにある「新人紹介コーナー」が元ネタになっていたりしますが、そこには毎月20人ほどの新人さんが掲載されていたりするわけです。
(たぶんそれ以上の人がデビューしていると思うけれど)
つまり、そう考えると年間240人ほどの誕生日が掲載され続けるというわけだったりします。
そうなると、かなりの確率で「俺の誕生日には…」となる訳です。
で「AV女優ばっかり」と感じてしまうのにも理由があったりします。
たとえば[俳優][女優]というジャンルの人のたくさんいたりするのですが、それらの人が頭角を現してくるのは(子役や中高校生もいるが)多くが20歳前後から、劇団経由の人などは30歳前後だったりします。
つまり、現在20歳前後のところにはまだ名前がでてこない人が山のように存在するのです。
同じようにスポーツ選手の場合も高校卒業後だったりしますが、多くの場合は20代中盤あたりから登録されたりします。
それ以外の作家なんかだとやはり30代以降で登録されるケースが多く、政治家なんかも30代ぐらいからだったりします。
つまり、現在30歳ぐらいの人の場合、その誕生日データの中にAV女優なんかも多く含まれていたりするのですが、それ以外の人々も多く含まれているのでさほど目立たないというのが実状だったりする訳なのであります。

2001年1月20日(土曜日) 風邪引き野郎
高校時代、腎盂炎と言うヤツにかかってしまった時、体調がヘロヘロの状態で病院へ行った時「こりゃ風邪ですね」などと言われ、通り一遍の診断と処置をされた事がある。
多分、腎盂炎で体が弱っている状態で風邪を併発していたのだと思うが、そんな状態で数日を過ごし「もしかしたらまだ熱あるかも知れない」と思いながら学校へ行ったりしていた。
はっきり言って、連日の高熱で体がおかしくなっていたのだと思うが、もう高熱なのか平熱なのか全然解らない状態だったのだ。
で、授業を受けていても何も頭に意味が入ってこない、ありゃこれは変だぞ・・・と思いながら休憩時間に保健室に行って熱を計ったらなんと「40度越え」だった。で、その状態でフラフラと早退をして家に辿り着いた時には41度になって、翌日入院をしてしまった。

そんなこんなの話を以前、知人との雑談の中で喋ったことがある。
するとその知人は誰もが知っているほどの負けず嫌い(と言っても努力をするワケではなく、出任せで大きな事を言うだけなんだけど)で、「41度がなんだってんだよ、俺は最高で43度の高熱を出したことがあるぞ」などと言い出したのだ。
うむむ・・・・それは凄い・・・実は人間の体内を構成しているタンパク質は43度から凝固しはじめてしまうと言う性質を持っているのだ。
つまり、ニワトリの卵が熱すると固まってしまうのと同じ状態。
凄いっす、人間の常識を越えた男!  と言いたかったが、そこはじっと我慢をしたのだ。
この手の「俺の方が凄い」的な人間には逆らわない方が世の中平穏なのだな。

などと言いつつ私は現在、熱を出して寝込んでいる。
その体感温度は45度くらいなのだ。

▼2001.1.20:NEWS