ひねもす雑記
2001年3月01日〜10日


▲2001年3月1日:木曜日:どんどん壊れていく[1]
▲2001年3月2日:金曜日:どんどん壊れていく[2]
▲2001年3月3日:土曜日:どんどん壊れていく[3]
▲2001年3月4日:日曜日:そう言えば3周年
▲2001年3月5日:月曜日:新雑誌「MINA」
▲2001年3月6日:火曜日:花柄
▲2001年3月7日:水曜日:杉村 IS DEAD ?
▲2001年3月8日:木曜日:テレビを見る
▲2001年3月9日:金曜日:続々々放火事件
▲2001年3月10日:土曜日:報道カメラマンにはなれない
2001年3月1日(木曜日) どんどん壊れていく[1]
てなわけで、先月の中期の雑記10日分でどどーんと書いたコンピュータクラッシュ事件ですが、現在も細かい部分に余波があったりして現在も細かくいろいろなものをインストールし直したり探したりの日々が続いていたりする。
で、実は今年に入ってからテレビの調子も悪かったりする。
このテレビってやつは今から4年か5年ほど前の雑記を探してもらえば、その当時の話題もあると思うが、一度色が真っ黄色になって修理をしてもらった過去もあったりするのだが、今回はどんどん色が薄くなって、現在はほとんどモノクロテレビと間違えるほどの彩度になっていたりするのだ。
(ついでに、先日会社で使用しているコンピュータもクラッシュしたような状況になっていた。モでもすぐ復旧できたけど)
とはいいつつ、まだ見ることも可能だし、20〜30分つけていると、若干色が濃くなってきたりするのと、別のテレビもあったりするので問題はさほどなかったりするのだ。
で、コンピュータ、テレビと日々の生活で無いと困ってしまうなぁというものが続けて調子悪くなってしまったのだが、実はそんな状態にとどめを刺すように、もっと生活の中で必要不可欠な物がいきなり調子悪くなってしまったのだ。
それは自動車。
私の場合、毎日、片道1時間という自動車通勤をしていたりするので(バス&電車だと不便な場所にすんでいる)これが無いと本気で困ってしまうのだ。
そんな自動車がとんでもない事になってしまった。
最初は、キーを回した時に少し「しゅわんしゅわん」と何かエンジンが絡んでいるような音がなっていた。
「ありゃ、エンジンオイルのせいかな?確か去年の夏の終わり頃に変えたのが最後だったかな?しかし・・・」
と思いつつも、発信させるとその音も消えてしまったので「大したことないかな」ぐらいに思っていたのだ。

2001.3.1 キャスターとして人気のあった久和ひとみさんが40歳と言う若さで死去
同日、健康体操指導者の草分けだった竹腰美代子さんも71歳で死去、彼女は昭和皇后の健康指南役としても有名で、夫はクレイジーキャッツのメンバーだった安田伸(すでに故人)
2001年3月2日(金曜日) どんどん壊れていく[2]
しかし、その日を境に毎回発進時にシュワンシュワンという音がするようになり、次第に赤信号で止まっている時も、渋滞中に低速でノロノロ走っている際にも聞こえるようになってしまった。
そこで友人に聞いたところ「そりゃエンジンオイルが古くなってんだよ」という明確な答えをいただき、早速オートバックスに行ってエンジンオイルを交換してもらうことにしたのだ。しかし、ここのところ私は結構まじめに半年に1度だけどオイルは交換しているので問題はないハズなのだが… やはり毎日の通勤時間が長いせい、他の車より早く交換をしなくちゃいけないのかなぁなどと考えていた。
そしてオイルを交換してもらって「ありがとうございました」とエンジンを回した時に再びシュワンシュワンという音が… まだ新しいオイルが行き渡っていないために音が出るのかも知れないと思いつつ、整備士のあんちゃんに聞いたところ
「こりゃエンジンオイルじゃないですよ。たぶんベルト関係がゆるんでいてそれが音を立てているんじゃないですか?とりあえず、ここでも出来るんですが時間がかかってしまうので、ディーラーの修理工場へ持っていったほうが早いと思いますよ」と明確な答えをいただいたのだ。
うぬぬ、ベルトと来たか。

というわけで、週末、ディーラーへ持っていって「ベルトだと思うんですが修理をお願いします」と頼んだのだ。
2001年3月3日(土曜日) どんどん壊れていく[3]
で、しばらくしたところで係りの人がやってきて「エンジンへオイルが回る部分にオイルや鉄粉が詰まっていて、オイルが行き渡らない状態になっていました。でもって、その影響で結構削られてしまった部分もあり、修理はかなり面倒な事になってしまいますが…」などと、激しく明確な答えをいただくことになってしまったのだ。
うぬぬぬ!しかもその修理は部品なども結構交換しなくてはいけないので、しめて15万円なり的なものだというのだ。
ちきしょーっ!と意味不明に思ってみても事態は変わらず、結局お願いするしか方法は見いだせないというわけなのだ。
しかも、しかも修理に出している際の代車が13日まで予定が詰まっていて、どうにも都合がつかないというのだ。もちろん、どっかでレンタルをしてもいいのだが、とりあえず現状は音以外は問題なく走るということで、13日まで無茶をせずに安全運転を続けよ!ということになったのだ。
しかし、ここのところ、コンピュータ・テレビ・車、と、ある意味現在生活する上で必要不可欠な物が(しかも値段も高い)一気に壊れていくってのは、そんな運命なのか?
それとも、ここを乗り越えれば新しい道が開けるとでも言うのだろうか?とりあえず、無理に前向きな考えをすることにした。

とにかく、15万円は痛いっす、結局テレビを買い換える話も、マックだけじゃなくてウィンドウズもねという話も、全部無くなってしまったのだ。
人生は曲がりくねった長い道なのだ。

2001年3月4日(日曜日) そう言えば3周年
そう言えば、色々なことに追いまくられ、落ち込んだり、ため息ついたり、肩を落としたり、背中で泣いたり、トホホだったり、何で俺だけがぁッ!だったり、どうしろって言うンだ?だったり、している間に、このHPが《祝!3周年》ということになった。
と言いつつ、この文章を書いている現時点ではサイトの更新をするためのパスワードなどがいっさい不明の状態で、まだ色々準備があるので復活が出来ない状態だったりする。
しかし3周年かぁなどと、つい遠くを見つめてしまったりするのだが、このサイトの中にはその3年前の日記だって書かれているワケで、ある意味それを今初めて読む人にとってはリアルタイムな3年前なのだ。
[モ3年前の
3月1日〜10日の日記
でもって、見事なくらいに3年前と今は成長をしていないって事が明確になってしまい、ちょっと愕然としてしまったり、呆れたり。
その3年前の日記には「バンダイはすでに飽きられたたまごっちの新作をさらに発売するのか?」という話題が書いてあったりする。
そうかそうか、そんな時代だったか。でも、今考え直してみると、確か当時PHSで《PDSで発見たまごっち》みたいのを出すとかって話があったよね。実際に発売されたのかどうか解らないけれど、PHSの中で育てたたまごっちのデータを別のPHSにも飛ばして遊ぶことが出来るとか、いろいろな機能が盛り込まれていたと思うけれど、当時は「んなものでゲームするヤツいねえよ」的な嘲笑の的だった。
が、今や携帯電話ってのはある種のゲーム機だしね。つまり早すぎたってのと、アイディアにシステムが追いついていなかったって事かな?

あとは、FMステーションって言うFM雑誌が廃刊されるって話題や及川光博って変だよねという話題を書いていたりする。そうかそうか… って振り返るジジイモードの時にも役に立つっす。
あと何年こんな日記・雑記が続くのか解らないけれど、今は激しく無意味な記録だとしても、10年後20年後には激しく誰も覚えていないようなワケの解らない記録になっていると思うのだ。
ま、このHPの内容がすべて「実は覚えていても得をしない情報」だけだったりするだ。
そんなこんなで、3周年の自分に乾杯!(ノンアルコール)

2001年3月5日(月曜日) 新雑誌「MINA」
なんやら女性向けの新雑誌として《MINA:ミーナ》というのが創刊されたらしい。
でもって、雑誌のキャラクターで創刊号の表紙を飾るのがMAXのミーナ・・・・なんか、思いっきりしょぼいような気がするんですが。
いや、別にMAXのミーナがしょぼいってワケではないんだけど、なんか雑誌の誌名として、顔として・・・そんなに世間から崇拝視されているワケではないのに何故?って感じなのだ。
果たして、どれくらい持つかって感じ(売れるか?って言うのではないのが悲しい)なのだが、そういえば2年ほど前に神田うのを雑誌のイメージキャラクターにした、やはり誌名《UNO》ってのがあったけど、あれはどうなったのだろうか?

2001年3月6日(火曜日) 花柄
こないだコンピュータショップに出かけて思わずめまいで倒れ込みそうになってしまった。 なんせ、iMACの新色は《花柄》なのだ。
思いっきりコギャル寄りの作戦なのか?なんか、あまり良い方向に進んでいるとは思わないのだが・・・・でも、標準でCD−R/Wが装備されているってのは惹かれる部分があるけれど。
うーむうーむ、愛しているマックだが最近の傾向は・・・・

2001年3月7日(水曜日) 杉村 IS DEAD ?
     《あきれてものも言えねぇ》
             オリジナル作詞:忌野清志郎/改悪作詞:杉村
どっかの掲示板に、俺が死んだって書いてあったぜ
よく言うぜクソ野郎、よく言うぜ、あきれて物も言えねぇ

と言うわけで、なんだかよく解らないが《杉村が死んだ》と言う話題が某所で交わされていたらしい。某所ってのは、例の2ちゃんねるの掲示板の事なんだけどさ。
そんでもって、そこを読んだ人がエルローザブックスの掲示板の方に「真相はどうなんですか?」と書き込んだのが、例のiMACクラッシュ事件の真っ最中だったのだ。
それを知ったのが、バラ園のコンピュータで接続した時のことで「うぬぬ、これはちゃんと釈明の書き込みをしないといかん!」と思いつつ、とりあえずその書き込みを削除した。
(釈明すりゃよかったのだが、とりあえずこのデマがこれ以上広まらないようにと考えて)
しかし、その後、簡単に修理できると思ったiMACが以外なほどとんでもない状態になってしまったので、すっかり対応が遅れてしまったのだ。

みんなには心配をかけてしまったかも知れないけれど、こうやって静岡の片隅でいまだに細々と生きていたりするので安心してくださいませ。

2001年3月8日(木曜日) テレビを見る
ふと気がつくと、私はテレビと言うと最近はニュース番組ぐらいしかしっかり見ていないと言うことに気がついた。
とりあえず、そこそこ見ていると思うのだが、毎週毎週欠かさずに見ているような番組はない。当然、ドラマなんかも一生懸命見ているようなものは無かったりする。
今年初めのドラマが一新する際に、とりあえず前評判などでおもしろそうと思ったものの初回をいくつか見たけれど、なんだかピンとくる物が無かったりして、その後はほとんど…。
で、夜10時台はだいたい『ニュースステーション(テレビ朝日)』を見て、その後は『今日の出来事(日本テレビ)』を見て、途中で『ニュース23(TBS)』を見て、風呂に入って、ベッドに潜り込んで本を読みながら眠り込むという生活が日常だったりする。
と言うわけで、だいたい私のテレビライフは『ニュースステーション』から始まったりするワケだが、その関係で9時台はテレビ朝日の番組を見ていることが多いような気もする。
と言っても、見ているのではなくつけているだけなのですが。
で、何回か見ている『君の諭吉は泣いている』と言うドラマなんすけど、勤勉実直な非人間的な経理マンが潰れそうな学校を建て直すと言う話で、少年隊の東山が主演している。で、潰れそうな学校の理事長になったのはこれまたジャニーズTOKIOの国分だったりする。
このコンビは某建築会社の営業コンビで「先輩って本当に家が好きっすね」「ああ好きだとも」と言うワケの解らないCMでおなじみだったりする。
あのCMは途中に出てくる新築の家に住んでいる家族の子供はすべて男の子でいかにも「ジャニーズ事務所所属」って感じがしちゃうヤツだったりする。
で、このドラマなのだが、今日も何気なく見たのだが(ここ2回ほど見ていなかった)なんか前とイメージが違う。
まずナレーションに対して登場人物がつっこみを入れたり、思いっきりカメラに向かって喋ったり、無表情だったハズの東山がなにやら表情を作ったり… どこかで番組のテコ入れが入ったのか?
で、この演出って往年の『時間ですよ』とか『寺内貫太郎一家』などの久世演出って感じなのだ。うむむ…。

2001.3.8 渋い俳優、花沢徳衛氏が89歳で死去
2001年3月9日(金曜日) 続々々放火事件
そんなワケで今晩もニュースステーションを見ていたのだが、なんつーか日本の政治ってのは冗談抜きに地に落ちたって感じなのだ。
ギネスブック級の馬鹿が総理大臣をやっていて、そいつを引きずり下ろそうにも、その後にそこに座ることのできる器の人物が一人もいないってのは、かなり驚愕すべき事実だったりする。
こうなったら、一気に若手の議員になってもらい政治の若返りを計って清浄化するしかないんじゃないか?などと思っていた。
でもって番組後半のスポーツコーナーを見ている時だった。突然サイレンの音が鳴り響いたと思ったら、我が家の母親が階下で「火事だ!」と叫んだのだ。
と言っても我が家が火事だったワケではなく、ワケではなく、我が家の正面にある田園地帯を挟んだ向こう側の県道に5建並んでたっている借家の真ん中の家が燃えさかっているのだ。
僕が見た時はもう家は完璧に燃え上がって、その両側の窓から火が噴きだし完璧に中は燃え尽きていると言う状態で、隣家にまで火が移ろうとしているような状態だった。

うぬぬ… と思ってしまったのだが、あの5建の借家がある場所は… もう1年半前になってしまうが、1999年11月12月と連続して放火と思われる火事が出た草むらのすぐそばなのだ。しかもその2回も今回も時間はちょうど同じ頃。
ついでに去年2000年8月に放火によって農機具小屋が燃え上がった場所ってのは、その借家と我が家との本当に中間地点の田園のど真ん中だったりする。(その時も時間は同じ頃)
なんてこった…
それ以外に9月にもその近辺で5件の連続した放火事件が起こっていたり、実際に火がつけられた日付は不明だが(放火の日付はたぶん去年の8月から12月までの間)我が家の庭にあるお稲荷さんのほこらにも火が付けられたと言う事件もあった。
つまり、この1年半の間にほんとうに狭い範囲、歩けば10分でぐるっと回ることが出来そうな範囲で、判明しているだけで9件の放火事件が起こっていて、ついに10軒目の今回、民家に火がつくほどの大きな事件になってしまったのだ。

ひねもす雑記の中の一連の放火事件に関する記述。
1999年12月20日
2000年08月21日
2000年09月16日
2000年12月30日

今までの火事のパターンが、どうも連休や夏休みや冬休みに関係しているのではないか?と言う感じなのだ。
今回も金曜日の夜だし、そろそろ春休みで学校も勉強って感じではないし…。

2001年3月10日(土曜日) 報道カメラマンにはなれない
実を言うと夕べの火事の際、ちょうど手元にあったと言うこともあって、思わず燃えさかっている家をビデオで撮影してしまったのだ。
と言っても、その燃えさかっている現場にまで出向いてというワケではなく、遙かに離れた場所から(でも3倍の望遠だったので、鮮明に)撮影したのだ。
その撮影時間はほんの1分そこらだったりするのだが、翌朝それを再生してみた。
あまりにもショッキングな画面で、今までテレビの中でしか見たことのないような風景が、実際に、普段生活している圏内、しかも見慣れた風景の中で起こっているという、現実の中に非現実が紛れ込んできたような不思議な風景がモニターの中で展開していた。
ほとんど暗闇の中で、周りの風景は見えないのだけれど、かなり悲惨な感じなのだ。

しかし、そのビデオを見ながら自分の心の中には別の感情がわき上がってきていた。
「こんな映像を撮影しちゃっていいのか?」
と言うものだった。
客観的に見たら「凄ぇ」なのかも知れないが、その燃え崩れようとしている家には実際にすんでいた人もいるワケで、その中にはお金には代えがたい思い出が山のように詰まっていて、それが一瞬のうちに全く燃え尽くされてしまうと言う、とんでもない事がそこの当事者の身に降りかかっているのだ。
現在、その火事で死んだとか怪我をした人はいないと言うのが判明しているのだけれど、その撮影していた瞬間はそんな状況は全然解らないワケで、もしかしたら焼死した人もいたかもしれない風景を客観的に撮影していたと言うことになるのだ。

現在激しく「なんつー物を撮影してしまったのだ」と言う後悔と自責の念で精神的トホホ状態。
俺はロバート・キャパにもピリッツァー賞受賞者にもなれないや。