ひねもす雑記
2001年03月11日〜20日


▲2001年03月11日:日曜日:本の丸写し
▲2001年03月12日:月曜日:それはあまりにも青春っぽく・1
▲2001年03月13日:火曜日:それはあまりにも青春っぽく・2
▲2001年03月14日:水曜日:道路・第二章
▲2001年03月15日:木曜日:大風呂敷
▲2001年03月16日:金曜日:やりますか?やりませんか?
▲2001年03月17日:土曜日:バタフライ効果
▲2001年03月18日:日曜日:マンツーマン
▲2001年03月19日:月曜日:新水戸黄門
▲2001年03月20日:火曜日:メルマガ再開
2001年03月11日(日曜日) 本の丸写し
この手のサイトを延々とやっていて、それに関して興味のあるサイトなどにも時々おじゃまさせてもらったりする。
で、先日クイズ系サイトに出かけた時に、そこのリンク集に『クイズに役立ちそうなサイト』と言う項目があったので、厚かましくもそのサイト作者に「私のサイトなんていかがなものでしょうか?」などとメールを送ったりした。
以前ならば、この手のメールと言うのは「俺のサイトってすごいだろ?」みたいな自意識過剰野郎っぽくて躊躇してしまったのだが、長年やっていると図太くなっていくと言うワケなのだな。
というか、基本的に宣伝がヘタなんだよなぁとか思ってしまうのだ。

で、そのサイト作者から返信メールが来たのだが、そこには好意的なことが書かれていて、次回更新でリンクを張らせてもらいますとのことだったのだ。
で、その文面の中に『オリジナリティがあって』と言う一文があったのだが、たしかに誕生日データなんてのを羅列しているサイトは結構の数あったりするのだが、どーもその多くがその手の本をざーっと書き写しただけって感じのものが多かったりする。
基本的に誕生日ものはデータなので、オリジナルなものではないから、どこも同じ事が書いてある(まったく違う日に誕生日が書かれてあったら問題だけど)と言うのはしょうがないのだ。
その中で、本の丸写しじゃない感じを出すのは結構大変だったりする。
とある誕生日サイトをのぞいたときに驚いたのは、全部芸能人の名前だったんだけど、生年月日と名前が書いてあるだけのものがザーッと並んでいた。つまり、そこに書かれている人物がどんな職種の人なのか不明な状態なのだ。
うーむと思ってしまったんだけれど、それと逆の方向でこのサイトの誕生日データは「そこまで書かなくても」的なものをひたすら羅列するようになっているのだ。
その結果、オリジナルなものになったのかもしれない。

しかし、実際の事を言えば雑誌や本の丸写しという、著作権をどう考えているのだ?的なサイトも少なくない。
先日、何気なく「花言葉」を書き連ねたというサイトを覗いたんだけれど、やはり1冊の本を読んでそれを書き写しただけというものだった。
このサイトの誕生日データの花言葉を見ると解ると思うけれど、1つの日に対して決まった花は存在しなかったりする。さらに花に対しての言葉も1つでは無かったりする。
と言うのも、そんな「花言葉」なんてものを完璧に規定している文章は存在しないのだ。あるものは生花業界が、あるものは園芸組合が、あるものは出版社が独自で、あるものは自称占い師が、それぞれ勝手に「この日はこの花で、花言葉はこれ」と決めて発表しちゃっているのだ。
だから、そのサイトの作者はとある1冊の本を読んで「そうかそうか」と丸写しをしてしまった状態だと思うのだ。
で、さらにびっくりしちゃったのは、そこに書いてある花の名前をクリックすると花の写真が表示されたりするのだが、たぶんその丸写しした本をそのままスキャンしただけ。
なんせ、印刷物から線数を考えずにスキャンした時に出る、モアレがばっちり出てしまっているのだ。
うむむむ。
実は私もサイトの花言葉のところで花の写真を表示したいと思ったのだが、そんな資料を撮影する労力がなかったりするので断念しちゃっていたのだ。そうか、本を丸写しすればいいのかぁ
って、著作権は・・・・。
で、恐ろしいことにそのサイト、設営から現在までの日数とアクセス数を見ると毎日200人強の人が訪れているんだよね。(本当に花言葉しかないサイトなんだけど)
なんつーか、結局こんなものでいいのか?

2001年03月12日(月曜日) それはあまりにも青春っぽく・1
インターネットってのは色々な物が詰まっているパンドラの箱なのかも知れない。
こうやって静岡の片隅でその向こう側をあまり意識しないで入力している文章が、次の瞬間不特定多数の人々に読まれ、それまではある種気のあった気心が知れた友人にしか言ってなかった内面をさらけ出してしまっていたりする。
なんだか不思議な気分になってしまう事がある。
基本的にデジタルな原理は知っているが、時々、デジタルではないアナログな感情と言う物までその中から押し寄せて来てしまうことがある。

高校を卒業した後、2年間在学していた某美術学校の友人としばらく音信不通になっていたのだが、ひょんなことからネット内で再開し「じゃ久々に集まろうか」などと言う話にもなったりする。
なんだか、インターネットとは冷たく杓子定規なデジタルな世界ではなく、粋な計らいと言うものも演出してくれる変な道具なのだ。

そんな感じで、先日も何気なく美術系のサイトとか出版社系サイトなんかを彷徨いていた時、ふと懐かしい名前に遭遇してしまった。
と言うのも、かつて美術学校時代にちょっとすったもんだあった女の子の名前で(当然現在は「女の子」と言う年齢ではないが)風の噂では、卒業後もなにやら絵本関連の雑誌に掲載されていたとかって話を聞いていた。
へぇそこそこ活動してんだ・・・と言うことで、そんなに深い気持ちではなく全文検索で名前を入力してみると、どうやら現在、懐かしいその美術学校で講師をしているらしい。へぇと思いつつも「確かに生真面目なところがあったから講師っていうのにも向いているかもしれないなぁ」などと思いつつ、その美術学校のサイトへジャンプした。
[↓続く]

2001年03月13日(火曜日) それはあまりにも青春っぽく・2
で、そこで卒業以来逢っていないその彼女の顔写真が講師一覧の中にあるのを見つけてしまった。
基本的に自分の頭の中では20歳の時のイメージしか残っていないのだが、久々に見た彼女は当時とさほど変わらずにそこに存在していた。(もしかしたら昔の写真を掲載しているかも知れないと言う疑惑はあったりするが)
なんだか、こうトキメキってのとはちょっと違うアドレナリンの鼓動を感じてしまったりするのだ。
自分にもあの美術学校時代から今までの間に、人に語れないような事、今となっては笑い話になってしまう事、様々な歴史を積み重ねて来たが、きっと彼女も今に至るまで、僕なんかには想像もつかないような歴史を重ねて来たのではないか?などと考え、あぁ自分の関知しないところでもすべての人に時間が流れ、すべての人は悩み苦しみ笑い生きているのだなぁなどと、やや哲学的達観をしちゃったりするのだ。
彼女の名字が変わっていないってのは、もしかしたらまだ結婚をしていないのかなとか(別にだからどーこーしようってワケじゃないのだが)思ったり、あの同じ時代に美術と言うひとつの目的を持って勉強してきた多くの仲間の中でこうやって未だに美術に関わっている人は少ないんだけど、彼女はその道を貫き通しているって事に対し、凄ぇなぁと思いながら、ある種の羨望を抱いたりもした。
果たして自分がここまで歩いてきた道は正解だったのかなぁ、まだ努力が足りないのではないか?とか、なんだかあの美術学校時代、誰かの部屋に集まって結果の出ない青臭い美術論を語り明かしていた時代に気分が戻っている自分がいたりする。
なんだか、ずいぶん遠くに来てしまったような気もするが、まだまだ結果は見えていないと思う。
もし再び直接彼女と再会する様な事があった時に、堂々と胸を張っていられる自分でありたいと思ったりするのだ。

2001年03月14日(水曜日) 道路・第二章
てなワケで実は昨日、私は誕生日を迎えたと言うことで3◎歳になりました。
いやはや、すっかしジジイだよな、まさか自分がこんな年齢になるとは思っても見なかったぜ!と言うぐらいの年齢になってしまった。
誕生日ってヤツはうれしくもなんともないなぁ
ってのは感情がスレてしまったせいかもしれないが、ある程度の年齢になると「どーせ年齢を重ねたって、そー世間が変わるってワケでもないんで、嬉しくとも何ともないよ」などと思ってしまうのだ。
現に、本当はとんでもない事なのに、21世紀になった際にも「世紀が変わるっていっても、基本的には今日が明日になるだけでしょ」などと思っていたりした。
いかんいかんいかん!
虚無的だとか、ニヒルだとか、シニカルだとか、そーんなの全然おもしろくないのだ。そんな感情の持ちようってのは誰にでも出来るのだ、ワシはまだ老けている暇なんてないのだ。今年こそ攻め攻め攻め!で突っ走るのだ。
などと、誕生日を過ぎて思ったりする。

実は去年は「攻めの一年」にするつもりだった。
その為に、メルマガパワーアップ大作戦&HP大爆発作戦などを考えていて、それ以外にも音楽生活を復活するのだ!と言うテーマで、MIDIを入力し始め・・・と、かなりアクティブにいく予定だったのだ。
しかし、去年は2月ぐらいからメルマガがらみで、HPがらみで、その他実生活でも色々な事が起こって、前を向いている余裕がなかったのだ。
そしてその最終的な締めとして、去年1年かけて細々と作ってきたMIDIデータも、何もかもがクラッシュする事件が起こってしまった。

が!私は思う。
今こそ再生のキッカケではないか!どんどんっ!
かのジョンレノンが歌った「スターティングオーバー」と言う曲があった。あの曲の発表直後、佐野元春が「グッバイから始めよう」と言う曲を作り「うぬれ!」と思ったのもつかの間、田原俊彦が「さようならから始まる物語」などと言う曲をリリースし、80年代になったとたんに、「終わり」モ「終わりじゃないんだ」と言う作品がどんどん出たが、ついに90年代末にはSPEEDがそのまんま「スターティングオーバー」って曲を出すに至ったが、そーゆーことなのだ。
杉村第二章が始まるのだ!わはっはっははははは(って、これまで何度言ったことか)

2001年03月15日(木曜日) 大風呂敷
今年の目標は「ネット上で曲を発表すること」と言うことに、とりあえず決めた。
実際の事を言えば、現在自分のサイト(のトップページ)には毎日約200〜300人の人が訪れていたりする。
本当に感謝だったりしますが、その訪れてくれる人の大半が誕生日&雑学と言うことで、実際の事を言えば「杉村の創作物」と言うものではない、整理整頓されたデータに対してのお客様だったりするわけです。
あんだけの量をまとめたんだから十分に創作に値すると言われたこともあるが、自分の中ではガッチリと「創作物」と「情報物」というのは別物になっていたりする。
現在、このサイトの中の創作物は「現代用語」と、この「ひねもす雑記」と言うことになっているが、実際の事を言えば自分の中で創作ってのは《絵》《音楽》《文章》と言う3本の柱があって成り立っていたりする。つまり、まだ現時点で杉村は3分の1しか正体を現していませんぜ、と言うことだったりするのだ。

もっとも、現在支持してくれる人もあくまで「文章を書く杉村」に対しての評価だったりするわけで、それ以外の物に関しては・・・・と言う状態だったりするので、ある種大冒険なのだ。
しかし、しかし、第二章を踏み出すにはそれが大事なのだ、負けないこと、めげないこと、くじけないこと、それが一番大事〜〜〜〜♪なのだ。

大風呂敷広げまくり

2001年03月16日(金曜日) やりますか?やりませんか?
先日、自動車の調子が悪くて修理代が15万掛かってしまうと言う事を書いた。
で、現在その車はディーラーにあったりするのだが、本当はこの金曜日に仕上がっている予定だった。
しかし、その自動車をディーラーに預けた翌日、会社へと電話が掛かってきたのだ。
「予想以上に酷くなっていて、見積もりで出した物以外にも部品を交換しなくてはいけなくなってしまい、料金がさらに10万ほど多く掛かってしまうのですが・・・・どうしますか?やりますか?やりませんか?」
・・・・って、ほとんどいきなりドアを開けた瞬間そこに、かのTプロデューサーが立っていて「で、この企画、やりますか?やりませんか?」と言う電波少年的展開になっていたのだ。
しかし、ここで「やらない」と言えるワケないので、「やってください」と頼み込むしかないのだ。くぅぅぅ約25万かぁぁぁ・・・・・。
完璧にマックバージョンアップ大作戦も、ウィンドウズも買っちゃうかもね大作戦も、やっぱCD-RWでしょ大作戦も、すべてすべて作戦中止!自宅待機!と言うことになってしまった。
それどころか、夕飯のおかずが1品減ったり、エッグチョコを買うのを諦めたり、昼食のラーメンにチャーシューを乗せるのをためらったり、コカコーラを飲みたいのに安いチェリオで我慢するとか、激しくすべてのことにたいして「安い物」を選択しなければいけない人生を歩むことになってしまったのだ。
あぁぁぁ、今年は前向きに前向きに攻撃攻撃の突撃寛太くん馬鹿一直線人生を突き進もうと思っていた矢先に・・・なんてこった。

が、障害が多ければ燃えると言うのは恋愛とも同じように、私の「やるときにはやる」と言う信念は、そーー簡単にはへこたれたりはしないのだ。

2001年03月17日(土曜日) バタフライ効果
とある専門用語で「バタフライ効果」と言う物があって、一匹の蝶々が羽ばたいた時のごく小さな微風が影響して別の風を起こし、さらにその風が徐々に大きな風を起こし、最終的に台風になってしまう可能性もあると言う物だったりします。
例として、ある日道ばたにあった空き缶をけ飛ばしたら、それがたまたま妊婦の前に転がっていき、その妊婦がその缶で転び流産をしてしまったとする。実はその時生まれてくるハズだった子供は将来地球の危機を救うハズの救世主になる予定の子供だった。つまり、1つの空き缶をけ飛ばしたことがキッカケで地球が滅亡してしまう、と言う「if」を積み重ねた考えの事だったりします。
あるいは、その時生まれてくるハズだった子供は大きくなって独裁者になって、地球を滅ぼしてしまうハズだった。と言うことで、もしかしたら空き缶一つで地球を滅亡から救ったかも知れない。
このパターンは学問的になる以前から日本では「風が吹いたら桶屋が儲かる」という物で言われ続けていたりしますが、最後が「桶屋が儲かる」ってオチがせこいっす。

そんなワケで、どーんな事でもいいから「前向き」と思えることは実行していこうと思うのだ。
しかし、バタフライ効果は難しい部分もあって、もしかしたら「あの時、やらなければ成功したのに」と言う、プラスのつもりが最終的にマイナスを指していることだって無いわけではない。
難しいのだ。

2001年03月18日(日曜日) マンツーマン
先日、某CDショップに行った時のこと。
CDショップと言ってもそこは、CD&本&家電&コンピュータと言う感じにかなり広いフロアにどどーんと色々な物を売っているのだが、そこでぼけーっと本を立ち読みしている時に、後ろの方で万引き防止ブザーがビビッッビーーーーーッと鳴り響いたのだ。
「お」と振り返ってみると、その入り口の自動ドアが開いていて、そこから若い男が走り去っていく姿が見えた。
うーむ、ダッシュにかける青春なのだな。と思ってしまった。
残念ながら私は過去にそう言う冒険をした事がないのだが、知人の中の数人が「そう言えば学生の頃やったことあるよ」などと言う、つまり青春の熱病的犯罪とも言えるのが、いわゆる万引きだったりする。
ま、社会人になってそんな事をして捕まり、会社での立場を悪くしたり、クビになったりするってのバカらしいし、それと万引き出来る程度のものを買うぐらいの金は持っていたりするのだ。
大人になってもやるってのは、ある種の病気だと聞いたこともあるけれど。

しかし店側によっては「学生」=「万引き」と決めつけている処もあって、以前東京に住んでいた時にあったレコード店では、店に入るなりそこの親父がツカツカと近寄ってきて、かなりの近距離で「何をお探しでしょうか」と聞くという「おめー客を犯罪者扱いすんなよ」的な処もあった。(そのせいなのか、その店には友人は誰も近寄らなかった)
偶然にネットで知り合った人も、そのレコード店が生活圏内にあって「そうそう、あそこの親父ってうっとおしかったよね」などと言う話にもなった程なのだ。
で、現在その店は無かったりするのだが・・・。

実は高校時代にも同じような「学生」=「万引き」と決めつけた店が存在していた。
そこは通学で利用しているバス停のすぐそばにあったスーパーなんだけれど、バスの時間待ちの際に「ガムでも買おう」と立ち寄ることが時々あった。
最初の頃は気がつかなかったのだが、ある日ふとヨコを見ると、何故か幼稚園ぐらいの女の子がちょっと離れた処に立ってこっちをジッと見ているのだ。
うぬぬ、さては俺に惚れたか?などと思ったが、どうやらそうではない。
パンでも買おうかと、別のコーナーに移動するとその女の子もスススッと移動して、やはり同じような距離でこっちをジッと見ている。
そういえば消しゴムが終わったんだよな、と文房具コーナーに移動すると同じように、スススッと距離をあけて移動してこっちをジッと見ているのだ。
どうやらこの女の子は、僕が万引きでもするのではないか?と監視をしているらしいのだ。
と言っても、この女の子が自主的に万引きチェックをしているのではなく、親かなんかに言われて活動しているのだと思う。
つまり「学生服を着たお兄ちゃんやお姉ちゃんが入ってきたら、しっかり見張って、カバンの中に商品を入れないように見ていてね」などと命令をされて、それに従っているのではないか?と言うことが想像できる。
うーーーむ、と思ってしまったのが、確かに学生の中には万引きをするヤツもいるだろうが、そんな小さな子供に「学生服の人」=「悪いことをする人」と植え付けてしまっていいのだろうか。きっとそのこの頭の中には精神的なトラウマとなって後々まで残ってしまうに違いない。

なんか、そんなことが判明してしまってから、その店には入りにくくなってしまった。別に万引きをしているワケじゃないのに。

2001年03月19日(月曜日) 新水戸黄門
新水戸黄門の石坂浩二が黄門さまの扮装を公表したが、今回の黄門様にはトレードマークとも言えるヒゲがない。
石坂浩二曰く「実際の黄門さまは文献によるとヒゲが無かったらしいので、私もヒゲ無しでいきます」と言うことだったが、実際の黄門さまを持ち出したら「黄門さまは本当は諸国を漫遊しなかった」と言うことになってしまうと思うのだが・・・・。
新趣向として、黄門さまは一切水戸藩から出歩かず、各地で起こった事件を側近に聞いて、指図をするだけで解決するという、推理小説における『安楽椅子探偵』的な話にしたら、それは斬新かも知れない。
2001年03月20日(火曜日) メルマガ再開
そんなこんなで無理矢理ともいえるほどポジティブに前向きになっている杉村だったりしますが、とりあえずメルマガを再開しました。
数週間前から「出さなくては」と準備をしていたんだけれど、いまいちキッカケがつかめずに、先送りになっていたのだが、ここの処「現代用語の基礎的ではない知識」の掲示板にワシワシと書き込みが増えてきたと言うのがあって、そして古くからの友人(しかし10年以上空白はあったけど)のおおつぼ氏より「ネタ考えました」とメールが届けられたのに背中を押されて「やったれ!」と発行してしまいました。
ついでに、雑学メルマガ「知泉」のほうも一緒に。

なんつーか、この先どのように展開していくか解らないけれど、このメルマガが自分の思っている未来につながっているかは解らないので、他の努力をじゃましない程度にワシワシと続けていくのだ。

最近は例の「杉村が死んだ」と言う噂が流された時にしか行っていないが、かの2ちゃんねるのメルマガに関する掲示板を見ると、なんだか「部数は俺の方が多いぞ」とか「金儲けはこっちの方が」的な話題が多かったりするので、結局「メルマガ文化」とか言っても、その手のベクトルに向かっているのかぁと思ったりする(あくまでもあそこの意見は激しく偏った意見だと思うけれど)。
とりあえず、「知泉」も「ひねもす本舗」も部数を自慢したり、金儲けを自慢したり(って、別に広告を載せているワケではないけど)ってわけでなく、とにかく楽しんでもらえるメルマガを長く続けると言うことを、最大のテーマにしたいって考えていたりします。
別に商業目的でやっているのでも、小遣い稼ぎにやっているのでもない場合は、そんなスタンスが一番いいと思う。
本当は「知泉」に関しては、去年の今頃盛り上がっていた「疑問を考える」みたいなコーナーが楽しいとは思うのだが、あれの場合、冗談抜きに自分の生活をほとんど切り捨てて取りかからないとやっていけないような物だったりするので、もう再開できないなぁと感じていたりする。楽しかっただけに残念っす。

あくまでも、私の生活を切迫しない状況での発行を続けていこうと考えています。


▼2001.3.20:メルマガ《ひねもす本舗》より