ひねもす雑記
2001年5月11日〜20日


▲2001年5月11日:金曜日:クラッシャー杉村
▲2001年5月12日:土曜日:ヘアケアする
▲2001年5月13日:日曜日:愛は盲目:ラブイズブラインド
▲2001年5月14日:月曜日:肩書きは難しい
▲2001年5月15日:火曜日:本物みたい!
▲2001年5月16日:水曜日:女性は冷たい?
▲2001年5月17日:木曜日:自由っていったい何ンだい?
▲2001年5月18日:金曜日:おやじィ
▲2001年5月19日:土曜日:オヤジギャルはどこへ行った?
▲2001年5月20日:日曜日:マウンテング
2001年5月11日(金曜日) クラッシャー杉村
今年の雑記の中で何度も出てくるネタに「壊れた」と言うものがある。
ざっと振り返ってみると
○コンピューター
○自動車
○テレビ(壊れつつ現在も使用中)
○スキャナー
○キーボード ○カーステレオ(CD)
などなど、結構値段が張るモノばかりガンガン壊れているのだ。(ついでに去年の10月に購入したデジタルビデオカメラは、実は去年の12月に一回修理に出している)

で、最新壊れ物情報として、家で使っている電話の子機が壊れていた。
と言うのも、家に電話は掛かってくると、コール1回後から子機の方も鳴り始めるハズなのだが、先日、家で作業をしている最中、階下の電話が鳴ったな・・・と思ったのだが、部屋の方の電話が一向に鳴らないと言うことが判明したのだ。
慌てて、階下へ走ったのだが、寸での差で電話は切れてしまった。
ここの処、電話と言えば携帯電話に掛かってくるのがほとんどだった為に(と言っても、普通の人より電話回数は極端に少ない。なんせ電話嫌いなもんで)気が付かなかったのだ。
あるいは部屋にいる時はCDなどを掛けている事が多いので、階下の電話に気が付かなかった時も多いに違いない。
どうやら、子機自体からも電話を掛けられない、電源が入らない・・・と言うことで、子機の中にある充電池が寿命になったのでは?と言う感じだったりするのだが。


▼2001.5.11:ちょっと豆知泉的な電話ネタ
2001年5月12日(土曜日) ヘアケアする
なんだかこの数年で髪の毛の質が著しく悪化している。
以前は、とりあえず普通にシャンプー&リンスをしているだけでサラサラヘアを維持できていたのだが、最近はそんな事も無くなって、髪の毛を洗って乾かした段階ですでにバサバサになってまとまらなくなってしまったりする。
思わず「ナンダヨー、ドシテダヨー(BY.チューヤン)」などと一人叫んでしまったりする日々なのだ。
バサバサの上にクセが出てきて、さらに白髪も交じりつつあるので、一生懸命まとめて小泉純一郎と言う状態なのだ。
例えば、朝出かける際に髪の毛をまとめて「そこそこOK」と思っていても、外気にさらされ(空気に湿気が多く含まれていると最悪)気が付いた時にはサイドのクセ毛がピョピョンと立ち上がり、さらに全体がバサバサで、朝シャンプーをしたばかりだと言うのに、外見上は数日髪の毛を洗っていないみたいな(あくまでも自分を客観的に見た状態)感じだったりするのだ。
そこで「なんとかしなくては!」と決意して、いわゆるコンディショナーと言うものを購入して試すことにしたのだ。
普段通りにシャンプーをして、その後でコンディショナーを適量髪の毛に擦り込み、しばらく湯船に浸かって・・・・・気が付いたら寝ていたので、約20分経過(本当は2〜3分)。慌てて洗い流す。
で、いつものように髪の毛を乾かしていくと・・・・おぉ、ちょっぴり感激しちゃうぐらいに髪の毛がツヤツヤしているような感じなのだ。いわゆる櫛通りが良いと言う状態で、ブラッシングもしやわせな気分なのだ。
そんなワケで久々に髪の毛がツヤツヤして、思ったような感じにセット出来たりするので「そうだったのか、うんうん」と激しくうなずきながら家を出たのだ。

が、結局「髪の毛のツヤ」と言うヤツは取り戻すことが出来たのかもしれないが、「最近天然パーマぎみ」と言う部分のフォローまで出来ずに、しばらく経つと髪の毛が徐々に外巻きカールになりはじめてしまったのだ。
うぬぬ、耳にまで掛かる(前髪を引っぱるとクチの所まで長い)長髪で、ツヤツヤサラサラで、しかも外巻きカールって・・・俺はフジテレビのアナウンサーかっての!
と言う感じになってしまったのだ。

2001年5月13日(日曜日) 愛は盲目:ラブイズブラインド
凄い勢いっす、小泉内閣。(まだ実質的なものは何もないけれど)
この小泉人気の勢いでCMを作ったりして、わっせわっせと前に進もうとしているわけで、ホンマに変わって貰わなくちゃ困るわけですな。
と言いつつ、その国会で憮然とした表情をして腕組みをしている長老自民党議員たちはおもしろくないんだろうなぁ。
かの前首相なんかは、インタビュアーに新内閣について聞かれて、ふてくされた様子で「支持率の低い私が小泉首相に意見する必要なんかあるんですか?」などとキレたように吐き捨てる始末。
あの人は基本的に責任の無い立場でゴチャゴチャ言っているほうが似合っていると思うのだ、責任が出てしまってからも態度が同じだったんで問題になってしまうんだと思う(って総理を辞めても国会議員なんだから責任はあるんだけど)
・・・・って、責任無い立場のほうが・・と言う意味では田中真紀子も同じか?
しかし旦那の田中直樹って今も国会議員だよね?もう数年見かけていないような気もするけれど。(ココリコの田中直樹ではない)

しかし、国会の答弁とかのエキサイティングな感じは、かなりアメリカ式って感じで、ある種のショー的な感じさえする。
しかし問題は、それに対する野党の意見陳述ではなく、それを見ていて抗議メールなんかを送ったりする国民側だよなぁ。(かなり感情的なモノが届けられているらしい)
あの手の答弁ってのは多分に、ディベートと言うか、ワザと必要以上に激しい言葉を投げつけて、相手の本心がこぼれ出るのを誘い出すのが常套手段で、それに関して「小泉さんを批判するな」とか「田中さんの揚げ足を取るな」とか言い出すってのは、あまりにも討論をしらなすぎるって感じなんすけど・・・。(意見は意見として受け止めるべきだとは思うけれど)
きっと、それまで国会中継なんて興味なくて見たことがない人なんだと思うけれど、それじゃ「小泉さんの言った事は全部受け入れなさい」「間違ったことに見えてもちゃんとやっているんだから、文句は結論が出たあとで言いなさい」って感じで、結局それは昔ながらの自民党を支持してきた「自民党員」の集会的な発想なんじゃないの?(党内規約は絶対服従)
あるいは、モノの善悪が解らないような女子中高生が熱狂的に支持するジャニーズのアイドルに関する盲目的な愛と同じ。(ジャニーズの誰かが出演するドラマの中での悪役などに対してカミソリを送るオバカさんが今でもいるらしい)
結局、そんなメールを送る人は自分で考えることなく、何か良さげなモノにすり寄って、もたれかかって安心しているだけの人なわけですな。
そーゆー人は、もし小泉政権が景気回復なんかに失敗しても、絶対文句言っちゃダメ!「ダマされた」なんて言っちゃダメ!

個人的にはかなり期待をしているんですが・・・。


▼2001.5.13:ラブストーリー
2001年5月14日(月曜日) 肩書きは難しい
「TVタックル」を見ていたら、その番組の最初で出演者の紹介をしていたのだが、その際に奈美悦子のところで「タレントの奈美悦子さん」とナレーターが紹介した瞬間、画面で見ていても解るぐらいに奈美悦子の顔が「ムッ!」と変化した。
変化した表情をカメラはとらえていたのだが、次の瞬間なにごとも無かったかのように次の出演者の紹介へと移り、カメラもそれに合わせて移動していった。
確かに自分も、奈美悦子の肩書きは「タレント」ではないだろーとか思ってしまうが、言われた本人はそれ以上に「ザケンナコラァ」的な感じだったかもしれない。

奈美悦子と言えば、今回のTVタックルのテーマになっていた「病院での事故」と言うことで、裁判沙汰になった人だが、職種は?と言われたら今は「女優」だと思うのだ。
ずっとずっと昔は、由美かおる・金井克子・あと一人忘れたけれど、西野舞踊学校出身の4人で元祖セクシーアイドルグループ[レ・ガールズ]として活躍していたダンサーだったりするけれど、ここ30年ぐらい(自分はセクシーアイドル時代は知らなくて、女優としてのみ知っている)は女優業だと思うのだ。
別にタレントが下だとか、女優が上だとか言うことではなく、なんとなく「タレント」としてお茶を濁される紹介は、どういうモノかなぁと思ってしまったのだ。
いわゆるおばさん系の芸能人で「タレント」としか言いようがない人には、デビ夫人とか野村沙知代とかの百鬼夜行的な人がいたりするワケで、基本的にはそれらと一緒に扱われるのはイヤだろうなと思ったりする。
自分も誕生日データなんかを作っている最中に、職種のジャンル分けで「よく解らない」と言う人を自動的にタレントにしてしまったりする。
でも、少なくとも何かで功績を残している人の場合はちゃんと「喜劇役者」とか、デビューが歌手だった場合は「歌手」だとかにしていたりする。
でも、難しいっすね、この辺は。

2001年5月15日(火曜日) 本物みたい!
通信販売のカタログに、思いっきりAIBOのコンセプトをパクった、三流犬型ロボットの広告がのっている。
「頭をなでると、かわいらしい声でクゥンクゥンと鳴きます」と書いてあるのだが、その写真を見ると、頭の部分になにやら小さく飛び出したボタンの様な物が・・・。
つまり、「頭をなでる」と言う行為をするつもりで「頭のボタンを押す」とクゥンクゥンと録音された音が流れ出すのだな。
「マイコン内蔵」と言う言葉もいまさら凄い。マイコンって言葉も10数年ぶりに聞いたような気がするが、今更、機械の中にコンピュータが入っていると言うことをワザワザ謳うと言うのも、なんかアナクロなセンスでカッコいいかも知れない。
メーカーはまったく知らない処だし、デザインもどうしたらアレをパクってここまでダサく出来るか?と言う感じだったりするんだけど、その広告の写真には堂々と《本物みたい!》とキャッチコピーが・・・
これは《本物の犬みたい》と言う意味なのか、《本物のAIBOみたい》と言う意味なのか、その辺の見極めが難しいのだ。
もしかしたら《本物のプーチみたい》と言う意味なのかも知れない。


▼2001.5.15:月と太陽
2001年5月16日(水曜日) 女性は冷たい?
車を長いこと運転していると(とりあえずゴールドカード所有)色々なことに気が付いてしまう。
鈍くさい人、荒っぽい人、無理矢理な人、などなど。よく言われるのが普段おとなしい人なのに車に乗った途端に「クヌヤローザケンヂャネエゾ、テメエ」的な凶悪な表情になって、びゅわんびゅわんと飛ばし、車線変更も「オラオラぶつかってもしらんぞ」的な強引さで入り込み、何人(なんぴと)たりともワシの前を走らせねぇ!と言う感じになってしまう人もいたりすると言うことなのだ。
本来の性格だったのか、あるいは実際の自分は弱いけれど鉄のヨロイを着込めば大丈夫と言う人なのか解らないけれど、そんな感じに性格が変わってしまう人の運転は怖い。

で、長いこと運転していて、気が付いたことがある。
自分は会社の駐車場に車を毎朝止めているのだが、その駐車場ってのは進行方向向かって右側にある。つまり、そこに入る為には右折をしなくてはいけないのだが、当然、通勤ラッシュの最中なので対向車線はそこそこ交通量が多い。
ということで、右折ウィンカーを出して駐車場の直前の道路中央部に止まり、車の波が切れるタイミングを待っていたりするのだ。
手前に歩行者が押すタイプの横断歩道もあるので、そこが赤になるのを待ったりもする。
で、時々、対向車で止まって「ほらよ、駐車場に入ンな」と促してくれる人もいたりして、感謝感謝だったりする。 こんな事をふと気が付くと実に10年も続けている事になったりするのだが、その10年の中で学習した事が一つある。
それは《女性ドライバーはほとんど止まってくれない》と言うことなのだ。
異論はあるかと思うが、私の10年の経験上、95%が男性で、女性の場合は止まらずに素通りなのだ。
別に素通りするって事が道交法違反って事ではないが、そんな感じで「女性ドライバーは冷たい」と言うのが頭にいつしかインプットされてしまったのだ。

2001年5月17日(木曜日) 自由っていったい何ンだい?
いったい何を卒業すると言うのだろうか、支配からの〜〜〜〜卒業〜〜〜〜〜ッ
と言うわけで、街頭に立ってギターを掻き鳴らして「俺達の熱いメッセージを聞いてくれ!」という自称ミュージシャンは未だにわんさか居たりします。
と言っても、そこで提示されているメッセージと称する物は、もー20年30年も前から使い古された物の焼き直しだったりするんですけどね。
で、このたび静岡県東部で最大の街といわれる沼津市(最大のわりにショボイんですが)が、街を活性化させる大作戦を考え出したのだ。
「駅前の広場での楽器演奏に許可を出そう!許可申請をしてくれたらガンガン使ってもオッケーすよ」と言うもの。
ま、市のほうはあんまし金を使わずに活性化できる有効な手段と思ったんだろうなぁ、ついでに若者のハートもガッチリ掴んで・・・・。
ところが、そんな許可制にしてから数週間が過ぎたのだが、その間に許可申請を出して演奏したのは、お年寄りが一人(ハモニカ演奏)と言う状態らしい。

何というか、ストリートミュージシャンってのは基本的に「好きな時間に好きな場所で」と言う状態だったりするので、こうやって市側にお膳立てを整えて貰ってやるってのは、かなり違う方向に向かっているような気がするのだ。
ヤツラは実際には薬にも毒にもならないような、チンケな曲を歌っていたとしても、未だに古くから続いている「俺はミュージシャンなんだよ、親や教師なんかとは対立した存在なんだよ」的な、いわゆるティーンネイジ症候群的な考えを持っているので、市に許可してもらうのはカッコ悪いことこの上ない状態のハズ。
ついでに、同じような仲間から馬鹿にされるのも見えている。

そんなこんなで、市が準備したストリートミュージシャンスペースは今日も閑古鳥が鳴いている。

私が学生の時代は、その手のストリート系ミュージシャンが絶滅したような時代だったのだが、真夜中の歩道橋の上で私はギターを掻き鳴らした事がある。
客は満月だけさ


2001年5月18日(金曜日) おやじぃ
「おっキミは近頃ハヤリの言葉で言うとオヤジギャルだネ」
なぞとオヤジどもが嬉々として言っていたのはバブル末期の90年代初頭。
このオヤジ臭さを演出する物のひとつに「流行に敏感な様子を演出しようとして失敗している姿」と言うのが存在している。
まだまだ現役とばかりに、その時代に流行っていると思われる言葉を羅列して「武内課長(仮名)って若〜い」などと言われたがっている下心が見え見えになってしまっている辺りに哀愁が漂うのだが、さらに流行語と言う認識自体もオヤジ臭いし、日常会話の中ですっきりその言葉を使う事が出来ず、思わず意思確認の意味もこめて「ハヤリの言葉で言うと」などと言う形にして「俺は分別の付いた大人であるから一般的な常識もわきまえているが、ちゃんと現代の流れも把握してんだゾ」と、オヤジ臭さを紛々とさせてしまうのだ。
この「オヤジ臭さ」ってのはどこから来るのだろうか?
てな事を考えるんだけど、いわゆる若い頃からあだ名が「オヤジ」とかって人の場合はあくまでもハズしておく。これは容姿の問題が多いのでしょうがない事なのだ。
で、オヤジ臭さの要因で注意しなければいけないのは「一生懸命若いふりをする」と言うことかも知れない。
なんせ若い人は一生懸命若いフリをしなくても若いんだから、その点でどー頑張ってもかなわないのに、無理をしちゃうのだ。「まだまだ若いモンには・・・」と言った段階でどうしようもないほどのオヤジぶりが発揮されてしまう。
どっちかと言うと、若い若くないに関係ないスタンスで生きようとしている人が、年齢のわりに若く見られているような気がする。
凄く難しいんだけど、そーゆーことなのかも知れない。


▼2001.5.18:少年隊夢
2001年5月19日(土曜日) オヤジギャルはどこへ行った?
で、前日書いた冒頭の言葉「オヤジギャル」って言葉もいまは誰も使わなくなったなぁ(もしかしたらオヤジ系雑誌なんかでは今でも、オヤジ側から女性を見るときの言葉として「オバタリアン」と共に使われているかも知れない)
で、何故使われなくなったのか?と考えると、一過性の流行語だったという以上に「それが当たり前になった」と言う部分があるのかも知れない。
当たり前になると誰も言わなくなるのだ。かつて24時間テレビで「平和が当たり前になれば平和と言う言葉を誰も使わなくなるかも知れない」と言うテーマの主題歌が作られたことがあった(ハズ、もう10年以上前の「サライ」も「負けないで」も無かった時代の話だけど)
それと同じように、バブル期にレースクィーンのハイレグが話題になったが、今や普通のアイドル写真なんかでも水着は当たり前のようにハイレグなので、いまさら「ハイレグ」などと言う言葉を使わなくなった。
それと同じように、オヤジギャルと言う言葉も。

あの当時、オヤジギャルと言うのは「ゴルフをやっている」とか「栄養ドリンクを飲んでいる」とか「カラオケで歌いまくる」とか「娯楽と言えば温泉」とか「酒飲んでクダをまく」とか「牛丼を食べている」とか「駅の立ち喰いでうどんをすすっている」などを実践している若い女性に対して向けられた言葉だったハズ。
で、それらは今では「それのどこが変なの?」状態だったりするもんで、そりゃオヤジギャルって言葉も無くなるワケだ。
この10年で実に多くの価値観が崩壊してしまったような気もする。
それは別に女性が・・・なんて事は言わないんだけど、人間すべてが(たぶん日本人だけだと思うが)キチッとしているのはかっこわるい、やっぱ自由にルーズに余裕を持って生きていたほうがいいよね。的な方向にすすんでいるような気もする。
いわゆる日本には宗教的な思想背景がないってのが最大の理由のような気もする。
(別に宗教にハマれなどとは思わない。あくまでも宗教的概念の事)


▼2001.5.19:そっくりさん
2001年5月20日(日曜日) マウンテング
こうやって、杉村って名前をさらしてサイトを運営して、メルマガを発行して、それなりに雑学がどーのこーのと言うものをやっていると、色々なことに遭遇する。
根本的に雑学と誕生日データは自分で考え出したものではない。あくまでも、参考文献が存在していて書いている。
と言うと「それは盗作じゃん」と言い出す人もいると思うけれど、難しい問題で、いわゆる学術書なんかも実際は参考文献の山のなかから誕生していたりする。
誕生日データだって、ここ10年以上に渡って色々な雑誌に掲載されたプロフィールなんかをまとめた物だったりする。
それを「盗作」で片づけられてしまうと、何も発表できなくなってしまうのだ。
あくまでもその辺は謙虚な気持が必要になってくるんだけど。

で、雑学関係でもう一つ困ってしまうのは「ウソ書くな」的なクレームが時々来てしまうことだったりする。
自分も先日メルマガ上で「サーロインステーキ」と言うネタで、クイズ番組で言っていた答えが実は「俗説」で別の答えがある。と言うことを書いたのだが、あくまでも「自分の知っている知識の中ではこんな雑学になっている」と言う部分で書いていたりする。
それは当然のことながら本を調べて、そこに掲載されている物をベースにさらに別のネタなどを組み合わせて書いていたりする。
でも、語源などの場合いまだに諸説紛々状態で結論が出ていない物もたくさんあったりする。と言うか、複数の説があるものがほとんどで、カチッと答えが出ているものなんてかなり少なかったりするのだ。
実は雑学を蒐集するキッカケになったのも、本によって書いていることが違うと言うことに気が付いたからだったりする。だから、サイト上に掲載してある知泉の中には語源を複数掲載していたりするのだ。
で、困ってしまうのはメルマガなんかで「○○の語源は▽▽である」などと書くと、「○○の語源は◇◇◇です、その程度のことも知らないクセにメルマガを発行しているとは笑止千万」などと言うありがたいメールが届けられたりする。
で、色々調べていくと、結局「◇◇◇と言う説もある」と言う域を出ない話の場合もあったりする。きっと、たまたまその人が読んでいた本にはそう書いてあったんだろうなぁと言うことなのかも知れない。
で、間違いや別の語源などの指摘は自分も勉強になって感謝するんだけど、なんだかその手のメールをくれる人ってのはかなり高圧的な態度と言うか、俺様のほうが知っているんだぜ、お前のメルマガを添削してやるぜ的な状態が多いような気もする。(間違いを指摘されているんで、こっちが卑屈になってそう感じるだけかも知れないけれど)
なんか、他のことでもネット上で掲示板なんかを見てて感じてしまう「相手を論破した方が勝ち」と言う部分を感じてしまう。
自分は別に論破されてもいいんだけど、なぜ相手より上に立とうとするのかな?って気がずっと、パソコン通信の時代から感じている。どうも、現実社会ではあんまり感じない感情なんだけど・・・。
これはやはり偏差値・学歴重視ってヤツの弊害かねぇ?

ま、基本的にクレーマーってのは多くて、メルマガなんかを発行していてメールを時々貰うんだけど、その半分以上が「間違っている」とか「おもしろくない」とかのクレーム的なものだったりする。
クレーム好きな人ってのは実際存在するワケで、以前メルマガで体験したのも「ちょっと性格悪いんじゃないの?」と言うものだった(その人がここを読んでいないことを願う)。
読者投稿で「○○○の語源ってなにですか?」と言う物があって、自分もよく解らずに1ヶ月ぐらい経過していた。
その間、メルマガ上では何度もその疑問「○○○の語源ってなにですか?」と言う読者に呼びかける文面を掲載していたのだが、まったく反応が無かった。
で、数件図書館をハシゴしてついにその語源が掲載してある辞書を発見して、うれしさのあまりその晩発行した号に急遽掲載したのだ。
で、発行して数時間後に「それは間違いです」と言うメールが・・・・
それによると前置きに「語源を調べる際に、民間に流布している俗説と言う物は・・・」と言うことがつらつらと書かれてあって、「○○○の語源ですがメルマガ上では△△△と書かれていましたが、▲▲▲▲先生の著書の中では◇◇◇◇◇となっており、これは学術的な裏付けもあり、確実視されている物です」などと、書かれてあった。
なんだか、その権威主義ぶりにはどうもなぁと感じたりしたんですが、「そんなの知っているんなら、先に投稿してくれよ」と思ったわけですよ。
で、当時いくつか雑学メルマガを読んでいたんだけど、それら雑学系メルマガに時々その人物の名前が登場して「それは間違いです」と指摘をしている事が判明した(相変わらず威圧的な文体で)。
結局、他人の間違いを指摘するのが生き甲斐なのだな・・・そして、相手を見下ろすことによって自分の優位な立場ってのに満足するタイプの人間なんだろうなぁって感じちゃったのだ。

とりあえず私だってメルマガを発行するこっち側には、400冊以上の文献&図書館通いってヤツがあったりするワケで、ちょちょいと1冊本を読んでそれを丸写しにしたダケじゃねぇぞ!って裏付けぐらいはあったりするのだ。
(複数の本に書いてある間違いってのも実際、存在していたりするので面倒臭いんだけどね)