ひねもす雑記
2001年6月01日〜10日


▲2001年6月1日:金曜日:校正係
▲2001年6月2日:土曜日:知ってる?
▲2001年6月3日:日曜日:水がぶ飲み
▲2001年6月4日:月曜日:肝っ玉母さん
▲2001年6月5日:火曜日:俺達の勝手
▲2001年6月6日:水曜日:安定すると言うこと
▲2001年6月7日:木曜日:ジッと見つめる
▲2001年6月8日:金曜日:UFO
▲2001年6月9日:土曜日:心神耗弱状態
▲2001年6月10日:日曜日:ダサい
2001年6月1日(金曜日) 校正係
こんなところで日々雑文を書き散らしている私は、とりあえず編集やら製版やら印刷やらをやっている会社に勤めている怠惰なサラリーマンなのだ。
結構専門職的な意味合いのある仕事が多く、いわゆる永年勤め上げている職人的な人が多くいたりする。
その為に、自分が就職した頃、会社でロッキンオンジャパン(今のサイズでは無かった頃)なんかを昼休み読んでいた所、何気なく通りかかった同僚が「お、結構いい紙使っている雑誌だな」などと手に取り、雑誌の内容以前に紙質や製版状況、閉じの甘さなどをチェックしてしまうのだ。こりゃ完璧に職業病って感じなのだ。

で、先日、会社のトイレに入った時のこと。そこの個室の中、ちょうど腰掛けた目の高さに「トイレ使用の際の注意事項」みたいなものが書かれた張り紙があった。
いわゆる『中でタバコすってんじゃねえよ』的な事が書いてあったのだが、そこにボールペンで書き殴ったような文字で《SEX愛好会同士慕集中》などと、ここに書くのさえはばかってしまうような稚拙な落書きがあった。
とりあえず壁に書いているのでなく、着脱可能な張り紙に書いてあるってのが少しは良心的だが、どー考えても社会人しか利用しないトイレの落書きとしては幼稚すぎて恥ずかしいのだ。
が、さすが!と思ってしまったのは、その落書きに対して『士』と『慕』の部分に赤い色鉛筆でチェック(レ印ってヤツ)が入っていて、『志』と『募』の文字が書き添えられていた。
おぉどんな誤植も見逃さないと言う校正魂がこんな落書きにさえ発揮されてしまったのだろうか・・・。
しかし、校正をしたって事以前に、常に赤鉛筆を携えているってワケで、さすがなのだ。

▼2001.6.1:追記
2001年6月2日(土曜日) 知ってる?
土曜の夜、ほけーっとテレビを見ていたら『恋のから騒ぎ』をやっていた。
なんつーか、明石家さんまってのは「自分一人で場を仕切って大人数との対談をする」と言うタイプのバラエティトーク番組を確立しちゃったよなぁって感じなのだ。
それまでも司会者対複数人と言う図式はあったが、明石家さんまのようなトーク中心で根本的に番組進行計画が無いってのは無かった。
なんせその「明石家さんまVS複数人数」と言う番組は、この素人女性を相手にする『恋のから騒ぎ』だけでなく、『踊るさんま御殿』では芸能人、『あっぱれさんま大先生』では子供を相手にトークを展開させている。
どれも対峙する相手キャラが代わっているだけで、根本的な方向性はまったく同じだったりするのだ。つまり企画の使い回し状態。
巧いなぁと思うけれど、この『恋のから騒ぎ』に関してはもう8年ほど続いているが、あそこに出てくる女性の「あたしって特別な存在なのよ」的気分が精神的によくないので、ほとんど見たことがなかった。
いわゆるバブル期の「デートの時にどれだけお金を使ってくれるかが、愛の大きさのバロメーターなのよね」と言う、なんじゃそりゃ?を未だに実践している女性が、それを当たり前だと思って喋っていたりする事がある。
もちろん、こんな番組に出て自分の性癖やら男性に貢がせたやらの話を平気で出来る人って段階で、普通の精神を持ち合わせていない可能性が高いんだけど、それにしても・・・

で、たまたま夕べ見ていた所で、自分の彼氏の話をしていた女性がその会話の中で突然「でもって由美子が」とそれまでの会話の中に出ていなかった女性の名前を出したのだ。自分もそれを聞いていて「ん?」と思ったが、やはり突っ込み上手の明石家さんまはそのポイントを聞き逃さず「誰やねん由美子って?」と突っ込みを入れたのだ。
そこでその女性が、「由美子・・由美子って知らない?」と、ほとんど「なんであたしの友人由美子を知らないの?」的な表情で逆に問い交わしたのだ。
ま、その後は明石家さんまが上手にそこをネタにして話を展開させて言った(そのテクがやはり上手だと思う。強引に人の話を中断させて自分のギャグに持っていくことも多いけれど)
それを見ていて「おいおい、それはまるで幼稚園児の世界把握能力と同等だぞ」と感じてしまった。
いわゆる幼稚園ぐらいに通っている子供は自分の友達を誰もが知っていると思って会話をする事がある。なぜなら、ヤツらは自分の見えている世界が地球のすべてだと思いこんでいるからなのだ。
つまり、その女性ももしかしたら自分の価値観ってのが世界のすべてで、それからハズれた人は信じられず、自分が世界の中心にいると思っているかも知れないって事なのだ。
話は難しくなってしまったが、自分以外の考えや価値観を全然理解できない人ってのが実際に存在していたりするから怖いのだ。(しかもその手の考えを持っている人の価値観ってのが異端だったりする事がほとんどだから、面倒臭い)

2001年6月3日(日曜日) 水がぶ飲み
最近、ふと思いついて実行していることがある。
それは「なるべく多く水分を摂取すること」なのだ。
なにかの本に「1日に2リットル以上の水を飲むことによって体内の不要な毒素などが排出される」「水分を大量に摂取することにより体が活性化して新陳代謝率がよくなる」などと効能が書かれてあったのを思い出してしまったのだ。
自分はこの数年『慢性ダルダル症候群』に掛かっていて、とにかく日々体がダルく、起きる時もダル〜、昼にもダル〜、夜もダル〜となっていた。根本的な原因は不規則な生活と睡眠不足と精神的ストレスだって事は激しいほどよく解っている。
「体の健康を気にする以前に、生活を1から改善せよ!」と言うことなのは重々承知しております。
そんなワケで、とりあえず水分を補給する作戦に出た。
まず、朝食でお茶は当然飲むのだが、その後会社まで通勤が自動車運転1時間と言う長丁場なのでその間にコンビニで購入した500mlのペットボトルを1本飲むと言うことにした。もちろん、ノンカロリーのウーロン茶や日本茶を飲んでいるのだが、最初はキツかった。

と言うのも、実はそれ以前の生活の中で自分は水分をさほど摂取していなかったのだ。なんせペットボトルで購入した飲料を500ml全部飲み干すって事はまれだった。ほとんどが気が付いた時には飲み残していて、水道に流してしまうような感じだった。
缶飲料でも最近メインの350mlなんていらない、基本的にオレは250mlで充分なのだ!と言う人生を送ってきていた。
そんなワケで、1時間で500mlを飲み干すっての事自体が大変な暴挙だったのだ。最初は結構辛く「無理して飲んでいる」と言う意味合いが濃かった。が、数日たった頃には、うぐうぐうぐうぐ・・・と一気にかなりの量を飲むように体質改善されていたのだ。人間って凄い。
で、会社の昼食時にもペットボトル1本、帰りのまた通勤1時間でペットボトル1本を飲むようにした。けっこう無理なく飲めるのだ。これだけで、1.5リットルを飲んでいると言うことになる。
あとは何げに水分を補給していれば、知らぬ間に1日2リットルを飲むようになっていたりする。

そんなこんなの生活を2週間ぐらい前から続けているのだが、最初の2日ぐらいは朝「あぁなんか顔がムクんでいるような気がする」と思ったのだが、気が付くと体のほうもその大量飲料生活が当たり前になってしまったのかムクみも取れてきた。
で、気が付くとなんか体の調子がいいかも知れない・・・と言う感じだったりする。
以前はどんなに寝不足の時も「寝付きが悪い」と言う状態が多かったのだが、今は「寝る!」と決意するとすぐ寝ている。体もなんか疲れが抜けているような気がする。
あくまもで、気がすると言う感じなのだが、やはり水分を多く摂取するってのは体にいいことかもしれない。
ps
注意すべきことは塩分を多く取りながら水分大量摂取をすると、水分が体に蓄積しやすくなって、いわゆる『水太り』になってしまうらしい。

▼2001.6.3:YOU
2001年6月4日(月曜日) 肝っ玉母さん
以前、会社で後輩と話をしていてそいつの母親が豪快でどっしりしたタイプだという話題になった時に「じゃ肝っ玉母さんって感じ?」と発言してしまった。
が、次の瞬間頭の中で「おいおい肝っ玉母さんって・・・あの京塚昌子が主演したドラマは70年代初期だろ、コイツは多分その70年代前半生まれだから、そんなドラマは知らないよなぁ、ヘタすりゃ京塚昌子って女優自体しらないよなぁ。あぁ会話がかみ合わないぞ」と思ってしまった。
が、とりあえず相手が「ちょっと違うかな」と言っただけで、問題なくその瞬間は通り過ぎた。
この手の、ある程度年齢を重ねた人間が世代の違う人と話をする時に「自分は解っているつもりで古い年代の話題を喋ってしまい、ジェネレーションギャップを激しく感じる」ってのは、凄くカッコ悪いと思っていた。
別に若い世代に無理して歩み寄ろうとするってのも激しくカッコ悪い行為だと思うけれど、現時点を把握しないで古い世代の常識が現在も通用しているような浦島太郎的発言・行動ってのも現代を生きている人間として激しくカッコ悪いと思う。
で、最近読んだ本で「この職業にはどうしたらなれるか?」と言うテーマで、74年生まれの女優がインタビュー中で「将来は元気いっぱいな肝っ玉母さんみたいな役を演じてみたい」などと答えているのだ。
74年生まれでも通用するのか?「肝っ玉母さん」って。
それともこれはただ単に「豪快な母親」と言う意味で、あの京塚昌子が演じたドラマの事を指しているわけではないのか?
もしかしたら、女優って事で普通の人より過去のドラマを把握しているので、その辺も勉強しているのか?
とにかく、今の人が理解できる会話を心がけること。


▼2001.6.4:サラッと読みやすい
2001年6月5日(火曜日) 俺達の勝手
昨日の「TVタックル」の中で、《電車の中で我が物顔に振る舞う女子高生》と言うコーナーがあって、電車内での携帯電話・化粧・飲食から着替え・ムダ毛処理や、下着同然の服・ブラひも丸見え・ミニスカートなどなどが指摘されていた。
ついでに今朝のニュースなんかでも、それと連動したワケではないだろうが同様の話題を放していた。
ま、最近の女子高生はかなり野生化しているかなぁと言う気もしないでもない。男子高校生なんかもキレたりケンカっぱやい事が「カッコイイ」と思っているのも居るんだけど、なんか激しく即物的な方向へ行ったり「自分が何しようと勝手」と言うスタンスに行ってしまっているような感じはする。
その事に関して女子高生の弁護側の漫画家(名前忘れたが、何とか未明とかって人)は「それをちゃんと教えてくれる大人がいなかったからしょうがない」みたいな事を言って、スタジオの女子高生(もどき?)も同調していたけれど、それって「じゃ、悪い事だって解っているわけだね?」と言うことになってしまうんじゃないか?ついでに「教えてくれる人がいなかったから」と開き直ってしまう辺りが結局「自分は悪くない、悪いのは周りだ」って事で、自己正当化しようとしているとしか思えないんだけど。
あまりにもカッコ悪い自己弁護だよなぁ。
あと「みんなやってンじゃん、なんでオレにだけ注意すんだよ」ってのも小学生並みの思考能力しかないって感じ。
たぶん、一人で電車に乗っている時はやらないんだろうなぁ。

でも、この手の番組で街頭インタビューされて発言するテーマに添ったダメな若者ってのは、たくさん街頭インタビューした中で、番組側が意図した解答をしてくれた若者をピックアップした濃縮還元解答だって事を理解して見ないと「全員があんな感じ」と思いこまされてしまうのだ。
ついでにスタジオなんかにわざわざ来て「あたし達のどこが悪いってのよ」なんて言う女子高生(みたいな人々)は思いっきり特殊な存在だと言う事。普通の思考能力を持った人間なら、そんな事カッコ悪くて出来ないハズなのだ。わざわざスタジオにまで行って。
ついでに、スタジオでカメラとマイクを向けられて発言をしなくてはいけない状態に陥った時、誰でも《自分の役割》と言うものを無意識の中で演じて、ことさら大げさに振る舞ってしまうものらしい。素人ならなおさらコントロールが利かずに、興奮して演技をしてしまうと言う(本人はそう思っていなくても)。
つまり、極々一部の極々特殊な人々をサンプルとして抽出した状態が《若者の代表》としてマスコミュニケーションの場に提示されているって事なのだ。
本当の一般の人々は少々はそんな感じがあったとしても、あ〜んなに酷くはない。

で、問題なのはそーゆー番組やニュースが流されると本当に東京の実状を知らない田舎の高校生が「東京ではそうなのか!」と一大奮起して「オレってイケてる」と思いこんで、そのテレビで放映されていた事を実践してしまったりすることなのだ。
ハッキリ言って、一時期は東京より田舎(地方都市)の方が女子高生のルーズソックス度は高かった。未だに主流かと思ってしまう所もあったりする。
以前、高橋幸宏氏が言っていたんだけど「東京から離れていけばいくほど、パンクをやっている人たちの髪の毛が高く立っている」と言う言葉もうなずけてしまうのだ。
確かディスコ全盛の頃もマハラジャなんかの地方支店に行けば行くほど、そこで踊っているおねえちゃん達の服装がボディコンを通り越してヌードに近くなっていく、と言う話も聞いた。

話は戻るけど、おかげで「マスコミにすぐ影響されるお馬鹿さん」と「普通の人」を簡単に分別できるから便利なんですけどね。


▼2001.6.5:誘蛾灯
2001年6月6日(水曜日) 安定すると言うこと
テレビの中に三笑亭夢之助がいた。
相変わらず、さほど面白い事も言わずに軽妙な会話で温泉などを紹介している。この辺の芸風はもう20年以上前から変化していないような気がする。
と言うか、三笑亭夢之助自体を見るのが数年ぶり、へたしたら10年以上ぶりかもしれない。それなのに「懐かしい」と思わせない「あぁまだ居たのか」っぷりが素晴らしい。
でもって、この三笑亭夢之助と言ったら唯一のネタが・・・・ちょっと面白い事があったり、料理が美味しかったりすると、次の瞬間、カメラに向かって寄り目をする。と言う物だったんだけど、相変わらずでした。
これを70年代から続けているってのは、ある種の伝統芸みたいなものだと思う。
70年代初頭にはこの手の「ここが面白いポイント」と言う部分で、自らがストップモーションになってカメラに向かって精一杯の面白い顔をすると言う芸風がいくつかあった。(ハナ肇や三波伸介とか)
その中でも多かったのが「!」と言う表情で寄り目をすることだった。ジェリー藤尾なんかもやっていた。
三笑亭夢之助あたりはそれの後発で、TVに出始めた頃、すでに「寄り目キメ」は廃れていたのだが、あえてそれをキメにして出ていた。
で、今もそれを続けている。
凄いなあと思う反面、もう充分です。次に逢うのはまた10年後ってことでヨロシクと思ってしまった。

現在、かつて三笑亭夢之助がいた場所には中山秀征が座っている。

2001年6月7日(木曜日) ジッと見つめる
会社帰りにコンビニに立ち寄って、雑誌とウーロン茶を購入しようとした。
と、その時、2つあるレジの両方とも客が立っていたので、比較的買い物が少なくてすぐに終わりそうだった入り口側の若い男性店員のレジに並んだ。
ぼけーっと待ちながら何気なく前でレジ計算をしている人の買い物を見るつもりもなく見ていた。
その男性はパンとポテトチップスとコカコーラをカウンターに並べていたのだが、そこにあったコカコーラってのが缶コーラではなく、懐かしいスタイルの瓶入り250mlサイズの物だったのだ。
「おぉ懐かしい!」と思って、それを買い物客の肩越しに見ると《伝統のグラスボトル登場!》と書かれていて、いわゆる何かの記念限定品と言う感じのコカコーラだったのだ。
今でも、結婚式場とかではあるハズだけど、こうやって普通に売っているってのは久々だったりする。
へぇ・・・と思いながら、その前の男性客のレジ計算が終わるのを待っていた。
と、言うところでレジにいた男性店員がバーコード読みとり機をコーラに近づけたところで異変が起こってしまったのだ。
パンをピッ、ポテチをピッ、コーラを・・・と言う処でその男性店員の手が止まってしまった。
「ん?」とその男性店員の表情を見ると、何故かその男性店員はその復刻版瓶入りコーラを凝視していたのだ。眉毛と目に必要以上の力を加えて・・・・その表情はあたかも「おいおい、こんな新製品出てんのかよぉ。」的な感じだった。
たぶん、その凝視タイムは約2秒ほどだと思ったが、その後は迅速にレジ作業に復活して何事もなかったかのようにその処理を終えた。
で、自分の番になって雑誌とウーロン茶をカウンターに置いて、財布をとりだし・・・と言うところでその男性店員の手がストップしたのだ。
ちょうど、そのレジのすぐ横にあった入り口から女子高生二人がなにやら脳天気な声で喋りながら入ってきた処だった。
ボクは、財布の中の小銭をチェックするふりをしつつ、その男性店員の表情を盗み見ると・・・・さっきの復刻版瓶入りコーラを凝視していた時と同様の表情で、その女子高生の方を凝視しているのだ。
完璧にバーコードリーダー(読みとり機)を持った手はストップしていた。
ま、その凝視タイムもやはり2秒ほどで終了して作業復帰を果たしたんだけど、なんつーか解りやすいと言うか、怖いというか・・・

2001年6月8日(金曜日) UFO
TVに自称《UFO研究家》とかって人が出ていて色々なことを話していた。
この手の胡散臭い話(UFOや心霊写真など)を嬉々として見たりするってのは小学校ぐらいで私は卒業しちゃったりするのだが、屈折した形で好きだったりする。
つまり、そこで嬉々としている人の壊れっぷりを鑑賞するのが楽しいのだ。
もちろん、地球外生物なんて物はきっと宇宙のどっかには生息しているとは思うが、地球にこっそりとやってきて人間に見つからないように隠れて・・・とかってのは「どうだかなぁ」と言う感じだったりする。
なぜ隠れる必要があるのか?
何かで見たとんでもない説では「月には人間なんか足下にも及ばない知的生命体が生息している」と言うものがあって、それによると地球に人類が誕生した何百万年前から地球人に見つからないように月の地下に潜り、そこでひっそりと生き続けている。その地下には超近代的な都市が存在する。」と言う、三流SFでも書かないような設定のものがあった。
なぜ地球に生命が誕生した時点で隠れなければいけなかったのか?ってのが「地球人は野蛮なので、その存在を知られたら絶対に侵略しにくるに決まっているので」と言うことらしいが・・・。
じゃ、地球人もどこぞ近くの惑星なんかに生命体を発見したら「きゃー怖い!」と全人類が地下に潜らなければいけないのか?って、激しく無意味な現実不可能な事をかなり真面目に解いていたりする。
壊れているよなぁ。
以前、何度もスペシャル番組をやって日本中の子供たち(と一部の分別のつかない大人)を煽り続け、啓蒙し続けていた矢追純一と言う人は「NASAの超極秘プロジェクト」を日本のテレビで大々的に特集したりしていたが、その為に当局からマークされたワケでなく、結局その時代遅れの誰もが知っている捏造したネタを大げさに扱ったと言うことで業界を追われ、人々の目に触れる処から姿を消してしまった。
噂では自己開発セミナーみたいな物を開いて(会費がムチャ高い)、そこで講演をしているらしいが… それじゃほとんど宗教だよなぁ。
で、話は冒頭の《UFO研究家》なのだが彼の夢は、将来自分の開発したUFOをとばすのだと言うのだ。
確かに、現在の飛行機のようにだだ広い場所を必要としないNO滑走飛行を現実の物にしたら、そりゃノーベル賞物だし、人類のために大いに役に立つと思うので、研究したいと言うのなら思う存分してくれ!と思ってしまう。
しかし問題なのは彼とインタビュアーが延々と「UFO」と言い続けていたことなのだ。
なんせ『UFO』ってのは《未確認飛行物体》の略称なんすから・・・・。まず、それが宇宙人の乗り物だと判明した段階で《未確認》ではなくなってしまうんですよ。
さらに自分で開発制作した《未確認飛行物体》って・・・・・。


▼2001.6.8:NHKの音楽番組
2001年6月9日(土曜日) 心神耗弱状態
大阪の小学校で真っ昼間、突然進入してきた男によって8人の児童の命が奪われた。
それも小学校の1・2年、しかも1年は男の子だったが、2年は全員女の子。つまり、思いっきり抵抗できない弱い相手を狙ったと言うことになる。
なんでも、報道によると精神病院への通院歴もあって、その事件直前に精神安定剤を通常の10倍ほど飲んでかなり不安定になっていたとされている。
が、精神安定剤とかってのは速効性の薬じゃないので「6時間前」とかに飲んだってのなら解るが、たぶん全然影響を及ぼしていない。
前から精神病院に通っていたと言うことから、その精神安定剤を服用していた筈なのだが、そんな事も解っていなかったのか?と思ってしまう。
さらにニュースでは、3年ほど前に事務員として勤めていた小学校で、ポットの中に精神安定剤などを混入して職員に飲ませると言う事件を起こしているらしい。
3年ほど前って、例の和歌山毒物カレー事件(林真須美&健治)の後に大量に発生した類似毒物混入事件の頃です(あの事件は1998年:詳細は《
知泉:毒物事件》の項目参照)
なんつーか、心神耗弱ってのではなく「思考回路が短絡的」と言うことなのかもしれない。
どうやら数年前に「事件を起こしても逮捕されない方法を知っている」などと話していて、その後、精神病院へと通い始めたらしい。
以前、何かの話の際に本当にこの手の「もし無差別犯罪を犯したいと考えている人がいた場合、演技でおかしくなったフリをすれば捕まらないのではないか?」と言うことを知人と議論した事がある。
でも、無差別殺人だとか、去年のバスジャックだとか、そんな事件を起こすって段階で絶対的に「まともな精神ではない」ってのは当たり前なんだから、そこで「前後の見境が無くなっていた」と言う理由で逮捕されないってのは、矛盾した話だと思う。
いわゆる犯人の人権と言うものを守りすぎて、結局犯罪を犯した側の方がガッチリと法律に守られると言うワケの解らない状態になってしまうってのは・・・・。
色々考えていくと「直前に10倍の精神安定剤を飲んだ」と言うのも《ワケが解らなくなっていて》と言う伏線として犯人が計画した事なんじゃないかって思ってしまうのだ。
なんつーか、とんでもない時代になりつつあるのかなぁ


▼2001.6.9:母校
2001年6月10日(日曜日) ダサい
最近のブームを見てて思うのは「なーんだオタクってのは5年ほど先を行っている人たちだったのか」と言うこと。
最近の携帯電話→チャットにはまる女子高生とかを見ていると、90年代初期〜中期のあの汗臭い人々の事を思い出さずにはいられない。
ボクは90年代中期に自分の意志とは別にひょんな事からパソコン通信と言うものと関わりを持ってしまった。が、根本的にそこでディープに交わされる世界観と言うものに入り込むことが出来ずに、やや傍観者としていた。
で、オフ会などと言う物にも数回出たのだが、なんつーかコンピュータに依存する人々と言う印象は確かに強く、それと同時に当時はまだ高価だった携帯電話・ノートパソコン・モバイル端末などをその場に持ってきてこれ見よがしに披露して「おぉ!」などと言われている人が多々存在していた。(この手の人は自分に自信が無いからなのか、やたらと所有機材自慢を繰り返す)
携帯電話と言ってもまだやっと筆箱サイズになったような時代でeメールなんて出来るハズもなく、メール・チャットと言うのはパソコン通信の中でだけの話だった。
で、オフ会で誰かの家に上がり込むと、そこでチャット大会になったりするのだが・・・複数人が複数台あるパソコンに向かって
○○○:はろはろ〜元気ですかぁ?>ALL
◇◇◇:うみゅ!元気なのじゃ
▽▽▽:ボクも元気で〜〜〜す。
◇◇◇:今日はみんなの顔が見れて嬉しいのら〜〜〜(^_^)/
▽▽▽:(笑)
等というチャットが始まったりするのだ。その場にいる人々によるチャット。
その前の居酒屋なんかで会った時はほとんど喋らなかった人が、実に能弁にチャットをし始めたりする。もちろんモニタに対面しているので、お互いの顔なんか全然見ない。部屋にはカシャカシャという音しか響いていない・・・。
それを見て心の中で「うげぇ」と思っていた。
直接合っていなくてもパソコン通信の中で一晩中チャットをしていたと言う話をよく聞いた。ついでにパソコン通信は遠距離で電話を掛けなければいけない事もあって「先月の電話代は8万だったぜ」などと言うのも勲章としている人もいた。
いわゆるオタクな人々。当時は雑誌やテレビの中でも嘲笑の対象でしかなかった人々。
で、現在、その当時に嘲笑をしていたような世界の人々がやっていることは、結局その嫌っていた人々がやっていたことだったりする。たしかにそこで交わされる内容は全然違うのだが、根の部分は同じって気がする。
ついでにファッションを含めて現代は、必要以上に自己防衛の為にディコラティブ的になっているような気もする。服だけでなく、アイテムの多さ、そのマニアックな知識を誇り、それを知らない人を知識面、物質面で圧倒して勝ちの場に上がろうとする。
それら全部含めて、昔感じた「オタク」と言うジャンルの人々と同様なニオイを感じていたりするのだ。
あと『まんが喫茶』が一般的な存在になったって事にちょっとショックを受けている。
これも少し前なら「オタク的なこと」だったハズなのだが・・・・・
結局、オタク的と言われていた方向が正しい道なのか?

PS
オタクとギャル系の人々の共通点に、もうひとつ「特殊な言語を開発して仲間内でさも当たり前のように嬉々として使う」と言うものもある。
最近もインターネット上の某所などでは[あぼーん]や[氏ね]などがあったりする。
などと書くと[オマエモナー]って・・・


▼2001.6.10:キショい

▼2001.6.10:追記