ひねもす雑記
2001年6月21日〜31日


▲2001年6月21日:木曜日:学割
▲2001年6月22日:金曜日:実用書
▲2001年6月23日:土曜日:似非バンド
▲2001年6月24日:日曜日:ななこ再び
▲2001年6月25日:月曜日:今はいつ?
▲2001年6月26日:火曜日:やれば出来る
▲2001年6月27日:水曜日:私は可哀想
▲2001年6月28日:木曜日:私は狂っている
▲2001年6月29日:金曜日:交通事故
▲2001年6月30日:土曜日:夏バテしてる?
2001年6月21日(木曜日) 学割
ぼけーっとTVを見ていたら携帯電話のCMで「高校生・大学生だけでなく、お花やお茶などを習っている人にも学割が利きます!」みたいな事を言っていた。
おいおい・・・それって学割なのか?ただの割引ではないのか?と思ったのだが、とにかく「学んでいる人はすべて学生」と言うことなのだそうだ。
ま、基本的に現在携帯電話なんかの新規加入者ってのは、頭打ち状態というか、携帯電話が欲しいと思う人はほとんど手に入れてしまった状態で、新規加入はあんまし見込めない状態になってしまったらしい。
つまり、もう「乗り換え」と言う状態で、他の所に契約をしている人を引き抜くしか道はないのかも知れない。
そこで「他社よりサービスがよい」「安い」などなどの方向へ進んでいくのだ。
かなり割引をしたとしても、少しぐらいは利益率があるので、もうガンガン値下げをするしか道はないのかもしれない。
いわゆるデフレなんすけどね。
しかし、そうなると自動車教習所に通っても《学割》、カルチャースクールに通っていても《学割》、スイミングスクールに通っていても《学割》、マタニティ講座へ通っていても《学割》と言うことになる。
なんだか、よく解らない時代なのだ。

2001年6月22日(金曜日) 実用書
このネタは雑誌に書いてあったものなので、心苦しいのだが、それを読んでしまってから、それが脳裏を離れないので書いてしまう。
雑誌『本の雑誌』の読者投稿で、本屋に行ってそこの店員に『すいません、横尾忠則の新刊入ってますか?』と聞いたところ、その店員は実用書のコーナー担当に向かって(横尾の本が実用書か?)『○○さ〜ん、旅行ただ乗りの新刊って入ってますかぁ?』と聞いたそうな。
《横尾忠則:よこおただのり》→《旅行ただ乗り:りょこうただのり》って・・・、似すぎているので、これからきっと横尾忠則の事を目にしたり耳にした時、頭の中では《旅行ただ乗り》って言葉が揺れるようになってしまうに違いないのだ。


▼2001.6.22:【実用書の豆知泉】

▼2001.6.22:鈴木宗男
2001年6月23日(土曜日) 似非バンド
去年、ホワイトベリーと言う北海道出身の女の子バンドがヒットを飛ばしてから、いわゆるかなり若い女の子のバンドと言うのが何組かデビューしたりしている。
って、それらの音をこれまで聞いたことは無かったんだけれど、今日、NHKの『ポップジャム』に《ZONE》と言う女の子バンドが出ていてショックを受けた。・・・聞いたと言うより見ると言うほうが正しい。
曲は可もなく不可もないただのポップソングだったんだけど、その年端もいかない女の子たちはギター2本・ベース・ドラムと言う編成で踊りながら歌っていた。
そう演奏しながらではなく、踊りながら。
とりあえず基本的な部分はギターを弾いているような形を取りながら歌っているのだが、その手つきはどうみても演奏していない。演奏しているように見せかけると言う気すら元々ないと言う感じで、曲中のキメ部分では4人がそろって大きく両手を上に向けたりして、ポーズを取りながら踊っている。
当然のその間もバックの音は鳴り続けている。
ドラムなんかは、普通のドラムセットなのだが、ダンスをする関係からもともと座っていないでピョンピョンはね回ったり、クルクル回ったりしている。どう見ても、ただドラムセットの向こう側で踊っているだけなのだ。(ほんの瞬間程度はドラムを叩く手つきをするのだが、そのスティックがドラムに当たっていないのはバレバレ)
なんだこの「どーせ楽器を持っていても演奏していないのはすぐ解るんだから、一生懸命演奏している振りするなんて面倒臭せぇゼ」的な開き直りは・・・・
当然、CDなんかでは絶対演奏しているハズないし(普通に演奏できるバンドの場合ですらデビュー当時はスタジオミュージシャンがやっていたりするんだから、当然だけど)、ステージでも演奏のポーズを取ることすらしないって・・・・根本的な疑問として「じゃ、なんで楽器なんか持っているの?」と言う感じなのだ。
たぶん、事務所的には、「女の子4人組をデビューさせたいけど・・・・現在スピード以降の「ポストSPEED」的な、歌いながらダンスをキメるグループが大量に出た後なので、いまいちインパクトがない。」と言う部分と「去年ホワイトベリーが売れたから、その線で行くか」と言うことなのだろうな。
とりあえずホワイトベリーが実際に演奏しているかどうかは、この際置いておくにしても彼女たちは小学校の頃から北海道でアマチュアバンドとして練習&活動をしていた。かつてウンナン&鶴瓶が司会をしていた「特報投稿王国」の中で《北海道に小学生女子バンドがいる!》と言う話題で紹介されたことがあったりする。(その映像を見ていたレコード会社のプロデューサーが目を付けたらしいけど)
が、いきなり「バンド形態でデビュー」と決められたとしても、その女の子たちにはそんな資質は全然なかったと思うのだ。ピアノぐらいは習っていた子はいるかもしれないが、このバンドにはキーボードはいない。
で、デビューに至ったのだが・・・・・・
でも、かなり画期的なバンド(もどき)だと思う。それまでの業界的なタブーとして「演奏がヘタだからってカラオケを使用して演奏しているふりだなんて事は言っちゃダメ」と言う暗黙の了解があったものを「バレバレじゃん」と言う状態でも「言っちゃダメ」と言う状態にしてしまった《裸の王様》的バンドなのだ。
インタビューでも「曲を作る勉強のために○○○さんの曲を一生懸命聴いています」みたいな事を言って「バンドをやっている」=「当然、曲も自分たちで作らなくちゃね」と言う路線を貫いているのだ。
なんか、清々しいぐらいにバカらしいバンドなのだ。


▼2001.6.23:作曲
2001年6月24日(日曜日) ななこ再び
昨日、土曜日の午前中、ぼけーっとTVを見ていたらNHK衛星で《朝の連続テレビ小説「ちゅらさん」》の今週分をまとめて放送していた。
実はそんな放送が有るというのを今回初めて知ったんだけど、ぼけーっと見ていると無編集なので、15分ごとにいきなりkiroroが歌う主題歌が流れてくる。
1週間分(月曜〜土曜)までの6回も主題歌を聴いたので覚えてしまった。
で、話の内容より気になったのは、主人公(国仲涼子が演じる古波蔵恵里)が病院へ看護婦として就職したと言う物で、そこで新人看護婦の教育担当として佐藤藍子が演じる中堅看護婦が任命されたと言うものだった。
あの佐藤藍子のあいかわらずの「どう演技してもあのギョロ目の表情はわざとらしい」と言う感じが場にそぐわない感じがするのだが、その役名が「佐々木奈々子」と言うので「おいおい」と思ってしまったのだ。
確か、かつて佐藤藍子は「研修医・奈々子」だったハズ・・・・オマエは医者にならずに看護婦になってしまったのか・・・。

▼2001.6.24:エンリケ
2001年6月25日(月曜日) 今はいつ?
梅雨時と言うことで、毎年恒例なんだけれど、体調を崩している。
まったくもーってな感じなのだが、こればっかりはしょうがないのかなぁ。
そんな状態で、だらだらとベッドの上で目覚めた。
別に目覚まし時計がなったワケでもなく、蒸し暑さで汗をじっとりとかいて、寝苦しさのなかで目覚めたと言う感じだった。
カーテンから薄ぼんやりとした明かりが漏れてきている。
テレビのリモコンはベッドから離れた位置に置いてあって、それを取りに起きあがるのも煩わしかった。
体がだるくて、起きあがることさえ辛いのだ。
ふと今が何時なのか?と思った。
外の薄暗さは・・・明け方なのか、それとも夕暮れなのか?じんわりとした雨降りなのでその辺の判断が激しく難しくなっている。カーテンの隙間からぼんやりと明かりが漏れている。
その上、寝る前の状況はどうだったのかさえ思い出せないほど頭のなかがモヤモヤと梅雨時と言う感じになっている。
テレビが消えていると言うことは、ダラダラと寝てしまったワケではなく、ちゃんと寝始めたのか?それとも本でも読んでいるうちに?いや、明かりが消えていると言うことはちゃんと寝ようと思って寝たはずなのだ。でも、その寝始めたのがいつなのか解らない。もしかしたら明かりを付ける必要がない明るい時間帯に寝込んでしまったのか?
と、結論が出ないようなわけの解らないことをだらだらと考えていた。
がもっと重要なことに気が付いてしまったのだが、今は何曜日なのだ?と言うことだった。 確か、休日だったような気もするが、日曜日だったか?いや、昨日会社から帰ってきた気もするので今は土曜日では?いやそんな事はない、土曜日は出かけて買い物をした・・・ような気もする。では日曜日か?いや日曜日なら・・・あれ?もう起きて会社に行かなければいけないのか?でもこんなに疲れて居るんだから休んじゃおうかな・・・でも今日は休日だったような、いやまてよ昨日も会社で今日も会社じゃないのか?
と延々とだらだらとまとまらない思考の中で自分は漂っていた。
あぁもういいや、また寝ちゃえ、後はなんとか成るハズだ。

そして、それから何時間後か解らないが目覚め、テレビを付けると日曜の午前中だと言うことが判明した。
私は日々、ダメな人間になっている。
(ってこれは昨日の日記だな)
2001年6月26日(火曜日) やれば出来る
もうずっと昔の話、自分は東京で美術学校なんて物に通いつつ、東京で一人暮らしをしていた。
日々、課題と言うヤツに追いまくられ、週に何本かの締め切りを抱え、自宅に戻れば地味に絵を描くという生活が続いていた。それ以外に漫画なんてものも書いていたから、地味度数は激しく高かった。
で、ある日のこと「明日提出の課題が・・・」と思いながら、気を抜いた瞬間に眠り込んでしまったのだ。それは連日の課題制作で疲れていたと言うこともあって、激しく深い眠りに落ち込んでいた。
どろどろに眠り込んだ、ハッと目覚めた時は異常なほどにだるさに包まれていた。自分でも自覚できるほど爆睡したと言う感じだったのだ。
が、外の風景はゆったりと青白く爽やかな状態で、その瞬間「うわぁ!課題やってねえええええええ!」とあわてふためいてしまったのだ。
今日の課題は絶対提出しなくてはいけない!と思っていたのだが「今晩徹夜でもすればなんとかなるかな」と言うペースでしか制作は進んでいなかった。
時計を見ると6時20分。
が、なんとか学校に出かけるまでのわずかな時間で、9時30分までの3時間で形にしなくてはいけないのだ。
その時自分はこともあろうことか、A2サイズの紙にペン画をかりかり書いていて、どー頑張っても時間だけは掛かると言うタイプの絵を描いていた。
がばっと起きあがった自分は、とにかく一心不乱にカリカリカリッと通常の3倍ペースでペンを動かし書き続けた。
ハッキリ言ってもう完成度なんてのは二の次で、とにかく画面を全部ペン画で埋め尽くして形にしなければいけないのだ。
ひたすらカリカリカリカリカリカリカリカリカリカリカリカリカリカリカリカリ・・・・・と書き続けた。
約1時間連続カリカリで腕がしびれ始めてきたが、このペースを崩さなければ時間内になんとかなるハズだ!と踏ん張り続けた。
BGMに掛けているレコードをかけ直すのも面倒臭いので、延々とビートルズのレットイットビー・サイドBが回転し続けていた。
そして約2時間30分後、なんとか時間的に余裕を持った形で完成した。
完成度と言う点では反省点は多々あるが、なんとか形になったと言うことで「よし」とした。

と言うところで、変な状態に気が付いた。
時計は9時を指しているのだが、カーテンの向こう側、外が真っ暗だったのだ。さっき目覚めたときより遙かに暗くなっていた。
って、さっきの6時20分って夕方だったの?
てことは、学校から帰ってきてぐっすり眠ったと思ったのはたった1時間ぐらいだったの?

うむむ、と思いながらとりあえず完成した絵を見つめるのであった。
そして「やれば出来るじゃん」と自分に言い聞かせていた。

2001年6月27日(水曜日) 私は可哀想
なんやら、堺正章と岡田美里が離婚したそうなんだけれど、いわゆるPTSDが原因らしい。 岡田美里のほうが、子供の頃に父親に暴力を振るわれた過去があって、その精神的なトラウマが現在も恐怖心となって残っていて、堺正章に暴力を振るわれるのではないか?と慢性的に恐怖を感じていた。と、記者会見をしていた。
と同時に、その離婚に至った経緯を本に書き起こして・・・・って、思いっきり商売じゃないの?
どうやら、堺正章は暴力を振るったこともなかったらしいんだけど、スタッフに強い口調で指示などをしているのを見るに付け「いつか私も・・・」と思っていたという。
うーむ、と思っちゃいますな。

確かにそんな精神障害ってのは近年大々的にクローズアップされて、この間の大阪の小学校での殺傷事件でも「子供達が受けた精神的なダメージが」と言うことで、その校舎を取り壊して新しい物を立て直すと言う話になっている。
でも、きっとこれは『PTSDと言う精神障害がある』と言うことがクローズアップされた事によって、逆に必要以上にその手の「あたし傷ついているの」と言う患者が増えてしまったような気がする。
この10年間は、なんかやたらと「癒されたい」だとか「精神的トラウマ」だとかっていう、外部からは解らない精神的に病んだ部分が色々なところで強調されてきたような気もする。
で「その手の症状が精神的な病気として存在する」とマスコミで流されたとたんに、現実にも「実は私って」と諸手をあげてその手の人々が出現してくる。
二重人格と言うのがクローズアップされると、現実に二重人格と呼ばれる人が増えてくる。 実はもっと複数の多重人格ってのが、と言われると、現実にも出てくる。
確かにそれ以前からあった事例なので、まるっきり無いとは言わないけれど、結局「精神的な病み」というのは、自分で創り上げてしまう部分も大きいんだろうなぁと思ったりもする。
いわゆる、精神障害と言うのは自己暗示によるヒステリー症と言う側面もあって、いわゆる霊感が強いのよなんて事を言う人に対して「この写真にはタチの悪い霊が映っている!」と合成写真を見せると「あぁぁ私にも見えます」と思いっきりそれが合成写真だったとしても、そこに映っている霊に影響を受けてしまったりする。

子供なんかにある病例では、「学校なんかに行きたくない」と思うと、仮病だったハズなのに本当に痛くなってしまうと言う物がある。
精神的思いこみが肉体のほうを突き動かしてしまうのだ。
だから「痛い痛い痛い学校に行けない!」と言っている瞬間は本人にとっては仮病では無くなってしまうのだ。
しかし、この『精神的』と言う病気は、周囲からは判断しようが無く、本人の内部だけの問題なので「私は病んでいる」と言われればそれを信じてやるしかないので、激しく面倒だったりする。

2001年6月28日(木曜日) 私は狂っている
たしか吉田拓郎の初期曲で『私は狂っている』みたいなタイトルの物があったと思うんだけど、70年代初期はこんな物でもOKだったんすよね。
で、精神的な病気ってのは他人には測りようがないってのはかなり面倒くさいもので、ほとんど自己申告制なわけっすよ。
あの大阪の小学校の殺傷事件の犯人も結局は「自分にしか解らない病気」と言うもので自己防衛しながら犯罪を犯したと言うことになっている。
いわゆる、ただの虚言癖だって、「自分は病気なの、みんな親切にしてね」と言うことでことさら病気ぶったりするのだって、全部精神病だったりする。
それをことさら大げさにやれば犯罪も放免されるって、思ったらしい。
で、今からもう13年も前に捕まったあの「連続幼女殺人事件」の宮崎に第二審でも死刑判決が出た。
これも、途中から「精神鑑定」と言うヤツで無罪になろうとしているのは客観的に感じていたりするのだが、あくまでも本人の自己申告的なものなので難しいのだ。
いわゆる狂ったフリってのは誰でも出来ると思う。そんなのまで全部無罪にしたら、被害者はやりきれないっすよ。
基本的に、宮崎みたいな犯罪を犯すヤツなんて、その犯罪自体が狂った行為なんだから、精神的におかしいのは当たり前なのだ。

ただ、まいっちゃうなぁと思うのは宮崎と言う男、そして大阪で小学生を殺した宅間と言う男は同世代。
さらに言うと、去年捕まった新潟監禁事件の犯人も同世代。
いわゆる「おたく第一世代」なのだ。
2001年6月29日(金曜日) 交通事故
朝、いつものように通勤途中のセブンイレブンへ立ち寄り、そこで雑誌なんかをパラパラ見て、結局面白そうなのがなかったので、ウーロン茶だけを購入して、いつものように出ようとした。
と、言うところで自分の前に、やけに派手なピンク色のTシャツを着た女性が立っていた。実にじゃまな事に、彼女は買い物を終わらせたあと、出口の所まで歩いていって、その釣り銭をサイフに入れようと立ち止まっていたのだ。
つまりドアのところで立ちふさがっている状態。
ここで強い口調で「おらおら邪魔じゃい!」と言える性格なら問題なのだが、基本的な人生理念として「波風を立てずに人生を穏やかに過ごすのだ」と思っている私は、なんとかその女性の横をすり抜けてドアを開こうとした。
が、ちょうどそんな時、その女性はサイフに釣り銭を入れ終わり、ちょうど私が手を伸ばそうとしているドアに手を伸ばしてよっこらしょ・・とドアを開けた。
うぬぬ、と思ったのだが「波風を立てない」私はその女性がドアを出るのを待った。
で、気が付いたのがそこにいた派手派手ピンクの女性は、30代ぐらいで、行っているとしても40代中盤と思っていたのだが、60歳と言う感じだったのだ。
どうりで行動がのろいと思った。
で、私は駐車場でウーロン茶の一口目をぐびりとやり、CDを適当にチェンジして「さぁて今日も一日が始まるのだ」と車を発信させた。
しばらく走った時だった、ふと3台ほど前を走っていた軽自動車が右折をしたのだ。その運転席を見て「あ、さっきの派手派手ピンクの人・・」と思った時だった。
反対車線はそこそこ渋滞をしていたのだが、その軽自動車が右折をして脇道に入ろうとしたとき、その渋滞の車を抜けて一台のバイクが!!!!

と思った瞬間、ゴシャッと鈍い音と共にバイクにのっていた40代後半の男性が前につんのめった様な形で急停止をした軽自動車のボンネットの前を転がっていた。
思いっきり、交通事故の瞬間と言うものを見てしまったのだ。

こうやって、10年以上も自動車通勤をしていると何度も交通事故の現場に遭遇するが、ぶつかった瞬間と言うのもこれまで3回ハッキリ見ている。
いわゆる「カメラは見た!衝撃的瞬間!」的な感じなのだが、もともとその手の番組ってのが精神的によくないのであんまり見ないのだが、現実で見てしまうとことさら激しく精神的動揺ってヤツを起こしてしまう。
別に、オタオタして右往左往するワケではないが、瞬時に色々なことを考えてしまう。
事故に遭遇したその双方の人生と、その事故に遭遇したことによる波状効果と言うものを考え、あの女性はこれからどんな日々を送らなくてはいけないのか。あの男性は入院をして、その間にどのような生活が変化するのだろうか。それ以外にこれまで抱えてきた問題がどのような影響を受けるのだろうか。
的に、基本的には「なんでそんな事を考えなくてはいけないのだ、オヌシが」と言う問題を激しく考えてしまうのだ。

とりあえず、軽自動車とバイクがぶつかった付近を歩いている人が何人かいたのと、自分がここで降りていっても無闇に渋滞を巻き起こすだけなので、非人情的かもしれないがその現場の横を通り過ぎていくしかなかったのだ。
バックミラーの中に、軽自動車を降りて立ちつくす女性と、倒れたまま動かない男性、そして携帯電話でどこかに連絡をする通行人、しゃがみこんで男性に何かを話しかけている通行人、その他の風景が映っていた。

自分も、いつ当事者になるかもしれない交通事故ってヤツは・・・と、なんだか色々な事を考えながら車を走らせるしか無かったのだ。


▼2001.6.29:稔るほど・・・

▼2001.6.29:3/7/10人祭
2001年6月30日(土曜日) 夏バテしてる?
6月から7月に掛けて、梅雨でジメジメで、さらに太陽がギンギンで、激しく湿度が高く、激しく気温が高い状態が連日続いている。
雨がやんだと思った次の瞬間「真夏並みの暑さです」などと言う状態になってしまうのだ。
そう言うことで、日常会話の中ででも、テレビなどの中ででも、聞こえてくるのが「早くも夏バテ状態です」と言うことなのだ。
そうかそうか、確かに早すぎるよな・・・と思ったりする。
こうやって雑学を日々扱っているとイヤになってしまう「知識的突っ込み精神」がむくむくと起きあがって来てしまうのだ。
実は豆知泉でも書いたことがあるんだけれど、夏バテとは「秋になって涼しくなっても夏の疲れが抜けない状態」を言う言葉なのだ。
つまり暑くて「あぁやる気が起こらない」とダラダラしてしまうのは、夏バテとは言わないのだ。
しかし、こんな事をワザワザ指摘すると「ケっそんなの知っててもちっとも偉くねえぞ、ばーろー」と言われてしまうので、要注意なのだ。