ひねもす雑記
2001年7月01日〜10日


▲2001年7月1日:日曜日:田代まさしが復帰した。
▲2001年7月2日:月曜日:インターネットと私[1]
▲2001年7月3日:火曜日:インターネットと私[2]
▲2001年7月4日:水曜日:インターネットと私[3]
▲2001年7月5日:木曜日:頑張れオヤジ[1]
▲2001年7月6日:金曜日:頑張れオヤジ[2]
▲2001年7月7日:土曜日:業界くん
▲2001年7月8日:日曜日:小学校2年の頃
▲2001年7月9日:月曜日:出逢い系サイト
▲2001年7月10日:火曜日:24時間早い
2001年7月1日(日曜日) 田代まさしが復帰した。
去年の9月末に盗撮事件を起こしてから約9ヶ月の謹慎をしての復帰だそうで・・・でも、普通の会社ならそれだけ大騒ぎをされて9ヶ月も職場から離れての復帰ってのは難しいだろうなぁとか思ってしまった。
いわゆる、実際あった事件では電車の中で痴漢をした(容疑で)裁判になった男性が会社側から「社のイメージダウンに繋がる」と言う理由で退職(解雇なんだけど、組合の関係もあって自主退職と言う形になる)させられたと言う話もあったりする。しかもその痴漢はぬれぎぬだったと裁判で判決が出たのだが・・・。
記者会見では、やはり定番の話として「妻が」とか「子供が」と言う話が出てきて、いわゆるワイドショーを見ている主婦にとっては「そうよね奥さんは大変よね、でもそんな田代さんを見捨てずに内助の功で頑張っているのよね」と言う状態に持ち込んでいたりする。
社会的責任があって、さらにちゃんと家族がいて、あんな事件を起こしたんだから田代まさしには同情する余地はまったく無いハズなのに、家庭の話を持ち出すってあたりは・・・ で、復帰はナイナイの番組からで、ぬいぐるみをかぶってのチョイ役での登場だったらしい。(結局見なかった、普通日曜日の午後4時頃なんてテレビを見ている時間じゃないだろう?)
自分の場合は、日曜夜の「電波少年」でいきなり見てしまったのだが、ここにはいわゆる裏の力が働いていたんだろうなぁと言う感じがしちゃうのだ。
田代まさしが謹慎をしている間、気に掛けていたのは和田アキ子だったりするのだが、ふと感じてしまうのが事件を起こした当時「ヤツも本心は良いヤツで、魔が差したとしかいいようがないんだけど、なんとか頑張って欲しい」みたいな事を言っていた。
でも、和田アキ子って、自分とはさほど関係ない芸能人が起こしたちょっとした事件に関してはかなり批判的に厳しい事を言っていたような気もするんだけどなぁ。芸能界のご意見番として。(同様に仲間のせんだみつおが去年飲酒事故を起こした時もいきなり歯切れが悪くなっていた)
仲間だから助けるってのはいいんだけど、それ以外の時と物言いの仕方が変わってしまうってのは、ご意見番としては失格だよなぁ。
ついでに言うと、新人アイドルとかが出てきたときに「何こいつ?」みたいな事を言うのに、同じホリプロの新人に関しては「本当にこの子はいい子なんですよ」的な事での差別化っても激しいよなぁと昔から思っていた。
で、今回の田代まさしの復帰に関して和田アキ子が裏で動いてテレビ局に働きかけをしたってのは、復帰報道がされる前から噂されていた。
しかし、テレビ局も慎重でそれぞれの番組のスタッフも二の足を踏んでいたのだ。なんせ「田代まさしの芸能界復帰には反対」と思っている人も多くいたのは事実なので、へたに番組に出したら・・・と言うことで。
さすがに和田アキ子も同様で、自分の司会をしている番組に出してもいいが、リスクは大きすぎると考えたらしい。
そこで、自分が命令したらぺこぺこして動いてくれるタレントが司会をしている番組に白羽の矢を立てた。それがナイナイと松本明子。
と言うことは、実は5月の段階で噂として流れていた。本当に復帰すると言う噂の前に。
で、見事にナイナイと松本明子が司会をする番組に登場となったのだ。


しかし、仕事が無くなってしまい、いきなり生活に困ってしまい・・・と言う話が出てくるが、ハッキリ言って田代まさし辺りになると、ワシらが想像もできないぐらい高給取りだったと思うのだ。
少なくとも、一般素人とは全然比べようがない程の金は持っているハズなのだ。
それが、いきなり仕事が無くなったからって食っていけない状態になるか?と言うのも疑問だったりする。
まったく貯蓄がないって事はないでしょ。
で、復帰して、たぶんギャラは以前よりガクッと落ちると思うが、ワシら庶民よりは儲けるんだろうな・・・って、ただのヒガミ・やっかみかも知れない。


▼2001.7.45:追記
2001年7月2日(月曜日) インターネットと私[1]
そう言えば、今年ももうすっかり半分すぎてしまったのだ。
ワシは成長しとるか?と自問自答したりする。
とりあえず、日々なにかしら物を制作したりしているが、果たしてそれが未来へ何らかの形で繋がっているのだろうか?と言う部分で疑問を感じたりしている。
しかし、とりあえず匍匐前進だろうが、じわじわとどこかに向かって進んでいるような気もする。
その進んでる先がどこなのかはよく解らない。もしかしたら、崖っぷちなのかも知れない。
そんなこんなで、2001年の折り返し地点なのだ。

しかし、実際の事を言うと、6月の中旬に、なぜ突然モデムが壊れたのか、何が壊れたのか全然解らずインターネットに接続できなくなってしまった。
そんでもって、毎日なんとか繋ごうとあーでもないこーでもないといじって見たが、一向に接続できず時間だけが過ぎてしまった。
時間と言っても、平日は夜帰ってきてわずかな時間、ゴシャゴシャといじって「ダメなのだ」どうしたらいい?と悩んで寝る・・・と言う繰り返しで、まったく進展せず繋げない人生を送っている。
で、週末は週末で色々忙しくて、ついつい流されたまま、その辺のことは忘れてしまっていたりする。(と言うか、以前から週末はあまり繋がなかったのだが)
[↓続く]
2001年7月3日(火曜日) インターネットと私[2]
そんなこんなで、7月に突入してしまった。
つまり約2週間以上、ネット関連とは縁遠い生活をしていたりする。
ま、今年の1月〜2月に掛けてもそんな感じの日々だったりしたんだけど、色々考えたりする。
確かに自分はこうやってサイトを運営して、日々の日記を書いたりしている。そんでもってメルマガなんかを発行していたりする。
でもって、インターネット以前のパソコン通信から数えると、ネット歴がすでに10年って感じだったりするらしい。
そー考えると、客観的な杉村像と言うヤツは「ネット依存症候群」な人なのではないか?と考えられたりするかもしれない。
以前も、悪質な某所で『杉村みたいにネットに常駐しているような依存症のヤツは』みたいな書かれ方をしていたが・・・・。 しかし、実体はネットに接続するのは、90%サイト更新・メルマガ発行と言う状態で、繋いだとしてもテレホタイムに1時間と言う感じで、ネットサーフィンとやらは本当にほとんどやっていない。
インターネットで今どんな事が起こっているのかはほとんど把握していないと言うのが現状なのだ。
もちろん《インパク》なんてのも覗いたことすらない。(ってコレはみんな同じか)
ふと、こうやって2週間ほどネットに繋がない日々を過ごしていると「あぁ別に必要ないかなぁ」なんて思ってしまう私がここにいたりする。

などといいつつ、実は現在CATVインターネットの工事をしてもらう日程待ちの状態だったりする。(モデムが壊れる前から予約をしていて、やっとこの7月から私の地域でもサービスが始まった)
とりあえず24時間ってのと、スピードアップって状態が改善されれば、インターネットへの参加状況も変わるかも知れない・・・・。
でも、一つ注意しなければいけないのが、自分のサイトを作るときに「こんなに早く表示出来るんなら、こんなことも」などと、色々な物をのっけて重くしてしまわないようにしないといけない。
現在も通常電話回線でパワーのないコンピュータでインターネット接続をしている人も大勢いるハズなので、そちらを優先するような「誰でも楽しめるサイト」を考えなくてはいけないと思うのだ。
[↓続く]
2001年7月4日(水曜日) インターネットと私[3]
さらに現在、ネットに繋ぐことができなくなったってのとは関係なく、サイト上の《知泉》の大改造を行っている。
これまで知泉のシステムは《知泉》と言うフォルダーの中に[あ]〜[わ]までの44個の細かいフォルダーがあって、それぞれに書き込んだ項目が収録されていた。
最初は「これのほうが整理できて便利なのだ」と思っていたのだが、更新の際にかなり面倒臭いことになっていると言うことがしばらくして判明した。
つまり1週間に1回更新しようと考えた時、その1週間に新しく書いた項目が5個、ついでに弱冠の追加訂正をした項目が13個あったとする(だいたい1日1項目のペースで追加している)。
そして更新の際に《知泉》のフォルダーを開き、[あ]に1項目、[え]に1項目、[け]に1項目、[さ]に2項目、[ち]に1項目、[ひ]に2項目、[ほ]に1項目・・・と言う感じで、毎回それらのフォルダーを開いて1つ更新、閉じて次の[え]のフォルダーを開き1つ更新、閉じて次の[け]のフォルダーを・・・と、実に地味に面倒くさい作業があったりする。
その為に、ついつい更新が面倒くさくなって1ヶ月に1度みたいなペースになってしまうのだ。
その為に、ずっと考えていたんだけれど、すべての項目を1つのフォルダーにまとめてしまうのだ!と言う大作戦を決行することにした。
1つのフォルダーにまとめた場合の最大の利点は更新の時に[○月○日以降に新規作成&修正追加をした項目のみを、一気に更新するだけ]と言う感じだったりする。
と言っても問題は山積みなのだ。

なんせ、[あ]のフォルダーを開くとそこにある項目の名前は[0001.html]から始まっているのだ、で[い]のフォルダーの中も[0001.html]から始まっている。
つまり1つのフォルダーにまとめるためには項目名を変更しないといけない。
そこでワッセワッセとその作業を開始した。項目名を替えて、左側にでるインデックスに登録し直して・・・と言うことで、これまで書いた知泉項目を1つのフォルダーにまとめた所、なんと現在の項目数が2050を超えていた・・・、自分でも驚いてしまった。
で、名前を変えるだけで問題は治まらなかったりする。

それは、それらの文章の中に出てきたキーワードや関連項目に対して細かくリンクを張っているのだが、それらのリンク先はすべて過去にあった場所に向かっている。
つまり、それらも全部直さなければいけないのだ。
実に地道で大量な仕事。
とりあえず、一端文章の中にあるリンクを全部削除して、あとでじわじわとリンクを張り直すということにした。
で、これが終わったからって安心ではないのだ。

知泉における項目の名前と場所が変わったと言うことは、誕生日データの中にある細かい知泉へのリンクの行き先も全部ダメと言うことになって、そっちも直さなければいけないのだ。
ハッキリ言って、2000項目も増える前にすべき作業だったのではないか?と言う気もするが、とりあえず今やらなければ、さらに先に大変なことになるってのは目に見えているので、頑張ってワシワシと変更をするのだ。

と言っても、普通にサイトを利用する人にとっては、まったく表面的な変化は無かったりするので、苦労は解らないと思うのだ。


▼2001.7.4:40Gのハードディスク
2001年7月5日(木曜日) 頑張れオヤジ[1]
筑紫哲也のニュース23で、何回かに渡って「オヤジ」と言うものについて考えていた。らしい(2・3回ちらっと見ただけなんで、全容は掴んでいない)
なんつーか、筑紫哲也的なテーマの選び方だよなぁとか思ってしまうのだ。
でもって、そこに嵐山光三郎が出てきて「オヤジ論」を語っていた。
で、感じた事は「この二人も老けたよなぁ」と言うことなのだ。別に老人になったということではなく、結局、自分の年齢の目線でしか物を語れないおじさんだったんだなと言うこと。
いわゆる「若い連中が」とその世代をひとまとめにしてけっ飛ばすような発言をしていると言うのを見て「ありゃりゃ、この二人って30代から言論活動を(もっとそれ以前からか?)していたと思うけれど、その当時は逆に若い世代からオヤジ達を見てけっ飛ばしていたような気がするんだけど」と言う感想を持った。
結局は、自分の世代が考えている事が基本的にまっとうで、その上・下の世代に物申すみたいな状態だったのかぁと言う感じなのだ。
きっと、今、新人言論家で「それはEことなのでR、ホントにすばらC」などと書く人が出てきたら、嵐山光三郎なんかは「最近の若者は日本語が乱れている」などと言うんじゃないかな?

若い世代ってのは経験不足で、いわゆる世の中のしがらみで構築されている人間関係の複雑さが理解出来ないで、傍若無人と直感だけで生きているもの。
オヤジ世代ってのは自分が成功してきた方法論が絶対的な正義で、新しい波を理解出来ないって事を伝統が正しいと開き直り、感覚的な物事の捉え方が出来ないもの。
これはいつの時代でも変わらないのだ。

2001年7月6日(金曜日) 頑張れオヤジ[2]
もっとカッコイイ大人になりたいよなぁ
などと思うけれど、自分が10代だった頃、周りの友達なんかもそう考えていたハズなのだが、どうやら周囲を見渡すと、10代の連中から「薄汚いオヤジども」と呼ばれるような人が増殖中なのだ。とりあえずギリギリ30代なのだが。
きっと自分なんかも、10代なんかから見たら薄汚いオヤジの仲間入りをしつつあるんだと思うけれど、それは見た目だけではなく、思考能力とか、他人との接し方なんかにも現れてくるんだろうなぁ。
しかもタチが悪いことに、自分の世代なんかは「大人」と言う価値観が壊れはじめたのを体感してきた世代だったりする。
いわゆる「大人」=「立派なもの」と言う価値観が。

昔の30代と、今の30代(つまり自分の世代)があまりにも違うと言うことに愕然としたりするんだけど、何故こんなにも違ってしまったのか?と考えてみると、自分が子供の頃に30代だった人ってのは「戦争経験者」あるいは「終戦直後経験者」だったりするんだよね。かなり、大変な世界を通り過ぎてきた世代。
自分の小学校時代には「戦争を知らない子供達」なんて歌が流行っていたし、苦労なんて物の質が全然違うところで成長してきたりする。
そして自分の世代、30代後半ってのは「オタク第一世代」だったりするんだよね。
いわゆる連続幼女殺人の宮崎とか、新潟監禁事件とか、神戸児童殺傷事件とか、全部この周辺の人々が同世代だったりするわけで、完璧に壊れ始めた世代とも言えたりする。
(と言っても、それが総てではなく極々特殊な例なんだけれど)
あと「ダメ連」とか自分たちを名付けて、結局は無理矢理な理論で自己を正当化して、弱い物同士が身を寄せ合っているだけの「開かれたひきこもり」なんてのも、同世代か。

自分はとりあえず自分の世代が正しいなんて自覚は毛頭も無いけれど、この先、どんなじじいになっていくんだろうか・・・。
でも、「オヤジ世代から物申す」って物を申しているのは、嵐山光三郎にしても、筑紫哲也にしても「ある種の成功者」だから言えるんだよなぁ

2001年7月7日(土曜日) 業界くん
ずっと「肌に合わないなぁ」と感じていたCMがあった。
浜崎あゆみが出ている『ハイチュウ』のCMで、お馬鹿なCMプランナーがつまらない企画を持ち出して浜崎あゆみが延々とつまらなそうな表情でそれを聞いている。と言うシリーズ。
基本的に浜崎あゆみに興味がないんだけど、それ以上にこのCMのコンセプトとかニオイとかってのが、自分にとっては凄く嫌な感じがするものだった。
その嫌さ加減を上手に説明できないし、他の人は嫌いって以前に「別に興味ないっすよ」的なものだと感じていたので、あえてそれを人に言ったことなどなかったが、なーんか説明出来ないようなイヤな感じを受けていた。

で、今日『日経エンタ』なんてのを読んでいてビックリしてしまったのが、このCMに出演しているCMプランナーは本当のプランナーで、さらにこの男は80年代は『シャインズ』と言うグループで、90年代は『東京プリン』で活動していた、伊藤なんとかってヤツだったのだ。
あぁぁ、こりゃ凄いや。見事にこの人物が今までやってきた仕事は「嫌い」と言う枠組みでくくれるってのが凄い。
つまり、誰が作ったってのを知らずして「やはり嫌な物だった」と言うこと。
日経エンタの中では「ついにCMでCM業界をパロディに」とか書いて誉めていたが、この人が80年代からやってきた事は延々と『業界くん』だったような気がする。
いわゆる80年代前半に、いとうせいこう辺りが坂本龍一・みうらじゅんなんかと組んで作った『業界くん』と言うマスコミ業界をパロディにしたものを下敷きにして、80年代中期以降に出てきたマスコミバブリーなムーブメントなのだ。
秋本康&とんねるずなんかもその流れだったし、秋本康が仕組んだおニャン子なんかも基本的にはアイドル業界の仕掛けを裏側から見せると言う、それまでの業界のパロディ的な存在だった。
とんねるず(特に石橋)なんかは、延々とその位置にキープして、ことさら番組内でスタッフを持ち出したり、さらにスタッフでグループを組んで、『ザ・業界』と言うジャンルをやってきた。
私は、どーも、その辺の「内輪受け」的な持って行き方が好きではない。

しかし、今回の知らずして嫌いだったと言うことで、改めて「嫌いなんだなぁ」と痛感してしまったのだ。


▼2001.7.7:事件発生
2001年7月8日(日曜日) 小学校2年の頃
ふと思い出したんだけど、小学校2年の時、なんだかよく解らない事件に巻き込まれた事があった。
当時の自分は、3月生まれと言うこともあってクラスで体が一番小さく、体育などでは常にひどい成績を取っていたと思う。
しかし「3月うまれだから、小学校低学年の時は背が低いのはしょうがないよ」と言うのはある種の弁護の言葉だったのは、小学校6年までクラスで1番2番を争うほど背が低かったのだ・・・と言うことは、まだその2年の時は気づいていなかった。
で、そんなチビなりに考えていたのは「体力的にかなわないのなら、頭脳勝負だ」と言うことで、それなりにいい成績を取っていた。
テストなんかが普通の子とは違って、好きだったりしたのだ。

で、ある日のこと、算数のテストで95点を取った。1つだけ、ささいな間違いで点を落としてしまったのが、まぁまぁ満足って感じの点だった。
で、学校から帰って夕食時にそのテストをランドセルから取り出して親に見せた時に「なんでこんな点なの?」と突然言われてしまったのだ。
「んん?」とそのテストを見ると何故かそこに書いてあった点数がいきなり「35点」と言うものになっていたのだ。
ありゃ?35を95と見間違えてしまったのか?と思ったのだが、そんな事はない。
なんだなんだ?と思ってテストをよく見ると・・・・名前の部分がなんか変なのだ。どー見ても自分の筆跡ではない字で自分の名前が書き込まれていて、そこをよく見ると別の名前を消した跡が・・・

結局、それは隣の席の女の子が悪い点数を取ってしまったテストを名前の部分を書き直して勝手に交換してしまっていたのだ。
我が家は基本的に学習塾に行ったり、スパルタ式ではなく、思いっきり放任主義だったのだが、今考えると、その女の子の家は厳しかったのかもしれないなぁと思ったりもするのだ。
その後は、そのテストを母親が学校に持っていたのか、行かなかったのかは知らないので、どうなったか解らないのだが、何故か突然そんなことを思い出してしまった、梅雨時の午後3時と言う感じなのだ。

2001年7月9日(月曜日) 出逢い系サイト
今、出逢い系サイトと入力して《デア異形差違と》と変換された。確実に私のエートークはバカ道を突き進んでいる。
と言う話ではなく、ここ半年のニュースの中で頻繁に出てきたキーワードが「出逢い系サイト」と言う言葉なのだ。
ニュース的な話題としてはマスコミなんかが(それも親父の味方に立つような頭の固いマスコミ)「とりあえずインターネットとかの事件を叩いておけばいいでしょ」と言う感じで事件が起こると大騒ぎをする。
いわゆる親父さんと言う種族は「若者」が嫌いなので「若者=インターネット」と言う部分も大喜びで叩いたりする。
それはどーでもいいんだけど、その出逢いを求めたサイトで血なまぐさい事件が続出しちゃってんだけど、個人的見解では「チャット程度で知り合ったヤツと平気で会いに行くって段階で軽率」と思ってしまう。
それはネット&携帯時代に限らず、それの一段階前の「テレクラ時代」にも感じていた。 あるいはナンパってのも同様の危険性はあるのに、今や世間的にはオッケーなのかも知れない。

よく事件になるのは、女性が襲われたとか、逆にノコノコ男が会いに行くと数人のヤローが出てきて「俺の女に何すんねん!」となったりする話。
どっちもどっちなんだけどさ。
しかし愛用者は「あんな事件は氷山の一角でさ」などと言うのだ。
しかしだなぁ、実際にボコボコにされて金を巻き上げられたとしても、警察にまで届ける男は何%いるのだ?と考えると、表面に出てきた事件こそが「氷山の一角」なんだろうなぁ

2001年7月10日(火曜日) 24時間早い
そんなワケで、約1ヶ月インターネットに接続出来ない状態で「ま、いいか」と過ごしてしまった私だったりする。
本当はメルマガ発行やらなんやらを、ちゃんとやらなくてはいけないと思ったりもするのだが、それ以上に実生活で色々あって、色々と面倒で、色々大変で、色々な事を色々しなくちゃ状態で、一ヶ月が過ぎてしまった。
メルマガを楽しみにしていた方には突然、前触れもなく休刊状態になってしまったので、すみませんと思ったりするのですが、その「すみません」も言えない状態なのだ。
なんせ、ネットに繋げる事ができないのだから。

で、前々から申し込みをしていた、ケーブルテレビを介したネット接続がいきなり可能になった。
と思ったのが、なんだか繋がらない。
うぬぬと焦っても繋がらない、色々設定して何度もリスタートかけても繋がらない。
もしかしたら「マック自体が壊れているのでは?」とか思ったが、とりあえず繋がらない。
確実に、マック横に置いたターミナルの処にまでは来ているハズなのだが・・・・

こういうときはどうしたら・・・と、ベッドに倒れ込み考え込んだ・・・・と思ったら、見事に寝ていたのだ。
もしかしたら俺は普通の人が当たり前に出来る事が何一つ出来ない、お馬鹿さんグランプリ日本代表なのではないか?などとも考えながら、洗面台で顔をバシャバシャと洗ったりするのであった。
とりあえず、寝て、顔も洗って、ややリフレッシュしてしまった私は再びマックの電源を入れるのだ・・・・・・・あれ?繋がった・・・・・。
何がどーしてこーなったのかは全然不明なのだが、とりあえず繋がった・・・。
本来ならば「何故」と言う部分を追求するのだろうが、繋がったんならそれでいいじゃん、と私は今に至っているのであります。

しかし、まさかあんな事になろうとはその時は思っても居なかった・・・