ひねもす雑記 |
2002年05月01日(水)こっそり復活 |
以前も時々お休みをした時があったけど、この1996年から続いている日記が10ヶ月に渡って休止したのは始めてだった。 最初、今年の頭に復活しようかと考えていたんだけど、再び例の事がまたしても面倒くさくなってしまったので、うーーーーむと言う状態になってしまったのだ。 と言いつつ、「踊り続けるのを辞めると死んでしまう赤い靴」及び「羽ばたくのを辞めたら堕ちる事は空を飛ぶ鳥も知っている」って、どっちも松本隆ですが、そんな状態で発表する当てもない文章を日々書いていたので、徐々に過去に遡って文章を出していこうかと思っております。 そんなわけで、こっそりこっそりと。 |
2002年05月02日(木)怒られるからダメ・1 |
4月とは思えないほどのぽかぽか陽気で、本を読むスピードもゆるみがちな午後3時と言う感じなのだ。 そこは大きな公共施設の駐車場で人影もほとんどなく、少し離れた場所で小学校低学年ぐらいの男子2名がボールで遊んでいて、少し離れたベンチで母親1名が監視をしているだけだった。 そのボールの弾む不規則な音が、ポーン、ポーンと建物の壁に反射した残響音をともなって響き渡り、さらに私を眠気へと誘うのであった。 と、その母親らしき人物の声で「やめなさい、そんな事をしたら怒られるわよ」と聞こえてきた。 半分眠ったような状態だったが、その声がしたほうへ視線を移動すると、さっきまでボール遊びに興じていた子供が建物脇にあった水道に繋がっているホースを持って、じゃかじゃかと放水しているのだ。 少し坂になった場所から水を流し、もう一人の子供がその水と一緒に坂を走っていた。 母親の声を聞こうともせずに、その子供は延々と水を流し続けている。 「恐いオジサンが来て怒られるわよ」と母親はさらに続けている。 うーむと思ってしまった。 この子供がやっている事は誉められることではないが、自分も同じような事をやっていた過去がある。子供と言うのはバカなくせに、創造力が旺盛なので、ただホースから垂れ流されている水でさえドラマを組み立て、そこで演技をしたり、物語を作ったりする物なのだ。 ※続く |
2002年05月03日(金)怒られるからダメ・2 |
ま、とりあえず怒っているらしいけれど、ベンチから立ち上がらない状態で言い続け居るってのは、悪いことだけど、そーんなに悪い事でもないと言う認識があるのだろう。 で「そんな事をしたら怒られるわよ」っつー怒り方は基本的に間違っているだろ。 「怒られるからやっちゃダメ」と言う理論は、正しいようで全然正しくない。 交通違反をして警察につかまった時に「他のヤツもやってんのに、なんで俺だけ捕まえンだよ」と自分が置かれた状態を理不尽だと感じて突っかかるあんちゃんと変わらないのだ。 確かにキミは運が悪い。しかし違反を犯したことは事実なんだよ。 だから「怒られなきゃ何をやってもいい」と言う理論に繋がる注意の仕方は、子供の教育上間違っておるのだよ。 「あんたのやっている事はいけない事だから、やるな」と言う視線に立って叱らなければ全然ダメでしょ。怒るのは「恐いオジサン」じゃなくて、母親がちゃんと怒らなきゃ。 で、そんな状態を数分続けて居たとき(自分は面倒臭い&眠いので車の中でぼーっとしていた)その脇を50歳ぐらいの男性が、水をじゃかじゃか出して遊んでいる子供に向かって「水を無駄にしちゃダメだぞ」と怒りながら通り過ぎた。 別にキツイ怒り方では無かったが、それを見た母親はその男性に保護者として「すいません」を言うわけでもなく、子供に向かって「ほら怒られちゃったでしょ」と言い放ったのだ。 全然ダメだよなぁ |
2002年05月04日(土)犬のフンは飼い主が |
毎朝、意識するわけでもなく、この看板を視界の中に入れているのですが、ある日ふとこの立て看板の大いなる欠陥に気が付いてしまったのです。 この標語はビックリマークで終わっているのですが、もしかしたらそのビックリマークの後に続く言葉が「犬のフンは飼い主がした物だった」と続ける事も可能なのだな・・・・と考えた。 松林の中に落ちていた「犬のフン」と思っていた物の正体は…。 あるいは標語の前に「実は」と言う文字を付けるだけでも、内容は変わってしまうのだ。 しかし、この立て看板というのは基本的には共有財産である松林をキレイにしましょう。と言う物だと思うのですが、犬のフンなんかより立て看板の方が美観を損ねていると思うのだ。 以前も、某観光地に行った時、そこにでっかい「ゴミは持ち帰りましょう」みたいな看板があって、激しく美観を損ねていた事もあった。 看板自体がダメだと思うが、NASAの衛星からも撮影可能かと思えるようなでかい看板を取り付ける理由が解らない。 確かに、ゴミを持ちかえる事が出来ない、幼稚園児以下の道徳心の持ち主がいることも確かなんだけど。 とりあえず美化を推進する立て看板を制作する人にも美的センスってヤツを養って貰いたいと思ったりする。 |
2002年05月05日(日)違う、それは違うぞ! |
手にはエルビスコステロの新譜を持ち、他に何か無いか?とうろついていたのだが、そこに20代後半ぐらいのカップルが来てなにやら探していた。 「えっと・・・トアエモア・・・・とあ・・・・」 「何てグループなの?」 「トアエモア」 「無いじゃん」 「うーん、あると思うんだけどなぁ」 などと話をしていたのだが、私は心の中で「トアエモアじゃなくトワ・エ・モア!」と叫んでいた。 私ってヤツはいわゆる「奥ゆかしい典型的な日本人」として人生を波風立てずに過ごす事を人生最大の目標にしているために、ズカズカと二人の間に立ち入って「正解はトワ・エ・モアです。あなたの探している曲は「虹と雪のバラード」ですか、それとも「誰もいない海」ですか、あるいは「空よ」ですか?」などと言うことは出来なかった。 うーむと、思いながら『コステロ』と『くるり』の新譜を手にレジへ向かってしまったのだ。 そして今自宅に帰ってきて「あぁ何故あの時、親切に教えてあげなかったのだ」と後悔をしている私がここにいる。 いやぁ実に奥ゆかしい。 |
2002年05月06日(月)某DM業者様 |
複数のメルアドを使っているみたいなんですが、全部送信年が1941年になっていますよ。 |
2002年05月07日(火)積読な日々 |
そんなこんなで気が付いた時には大量の漫画本が我が家に蓄積されて、何千冊と言う数え切れない状態になっている。 もちろん、それ以外の本だって大量にあり、自分でも把握出来ないのだ。 日々本屋に立ち寄り目に付いた面白そうな新刊を購入し帰宅。しかし、何もせず本を読んで過ごせる程、優雅な生活を送っていない私は、細々とした生活のあれやこれやに追われ、積んでおくだけになってしまう事も少なくない。 読まずに本棚でほこりを被っている小説本も山ほどあるが、同様の漫画本も大量にあるのだ。 以前などは、某漫画家のコミック1巻を買って、読み出すキッカケを失いつつ、新刊がでる度に「いつかまとめて読む」と購入し続け、気が付いた時には25巻完結となっていた。(約5年間)なんてこった。 |
2002年05月08日(水)オッサンの魂・1 |
自分の場合は、あまりリアルタイムで知っているワケではないけれど、そこで歌われていた曲はかなり知っていて、そこそこに好きだった。 が、そこに出てきてヘラヘラ笑いながら当時の音楽を楽しそうにやっている、人々が大嫌いだった。 その時、10代後半で音楽なんかを作ったり演奏していた自分は「もう終わったオヤジどもがみっともない格好をさらすなよ」と思っていた。 今でも懐古趣味みたいな「昔は良かったよな」なんて言っている人間は基本的に好きではないけれど、10代後半の頃は特に嫌いだった。 過去の栄光にすがるしかない連中と軽蔑もしていた。 だから、再結成したタイガースに当時もまだバリバリの現役アイドル歌手だった沢田研二・ジュリーが参加する事もあんまり許したくない事実だった。 案の定、ブームから10数年後の再結成時に作られた曲などは、名曲にはなりえなかった(若干ヒットはしたけれど)。 ※続く |
2002年05月09日(木)オッサンの魂・2 |
フィンガー5なんかも、最後は2人組「フィンガーズ」だったけれど、数年前になつかし番組では「子供たちで二代目を作りたいとか、最近も出てきて「音楽活動を再開します」とか… ピンクレディも勘弁して欲しい。数年前に再結成みたいな事をした時に「10数年ぶりに活動をしてみて…」とか言っていたが、80年代中盤にすでに1回再結成をしてシングル出したのを忘れたか?ヒットしなかったから、あれは栄光の歴史には含めていないのか?などと感じた。 で、先日「安全地帯」が再結成するというニュースを聞いたんだけど、うーむ確かにここ数年、玉置浩二もいまひとつだし、他のメンバーも微かに名前は聞くけれど… TVの芸能ニュースでは喜んでいたけれど、やっぱりなんだかなぁと思ってしまう。 ARBも甲斐バンドもレベッカもゴダイゴも再結成したけれど「昔は良かった」的に感じてしまったし。 でも自分が10代の頃に「GSのじじいども」と感じていたものは、現在で言えば「安全地帯」や、再結成はしないで欲しいが「チェッカーズ」とか「プリンセスプリンセス」辺りなんかに相当するんだろうなぁ そう言えば、正確にはGSではなくカレッジフォーク的なグループだった「ワイルドワンズ」なんかは、現在もまだ年に数回活動を続けているけれど、この活動って、例のブームから10年目の再結成で「懐かしいね」と集まった時から続いているリバイバルだったりする。 |
2002年05月10日(金)リスペクター |
著作権的に考えたら大問題で、裁判になったりするケースもあるんだけれど、何気に曲を聴いていて「あれ?これって」と気が付いた時は「おぉその手で来たか」と思わずヒザを打ってしまう事もある。 それは商業的なパクリの場合も、リスペクトの場合もあるので人によっては「ざけんな」と思うらしいので難しいけれど、例えば佐野元春の「SOMEDAY」のサビコーラス部分なんかは完全にロネッツの「BE MY BABY」だったりするんだけど、アレには愛を感じる。 商業的かもしれないけれど、元おニャン子の某歌手のアルバム曲でフェアグランドアトラクションの知る人ぞ知る名曲が引用されていたりするのを発見した時は「凄い凄い」と感動しちゃったりもする。 おニャン子を聴く層とフェアグランドを聴く層は重ならないので、発覚する事も少ないだろうなぁって感じ。 基本的に子供の頃から筒美京平と言う天才的リスペクターの曲を聴いて育った世代なので、ある種音楽のパクリには寛大なのかもしれない。 でも、最近の一連のつんく作品におけるパクリは安易すぎて、物足りなさを感じてしまうのだ。 |
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