ひねもす雑記
2002年10月01日〜10日


▲2002年10月01日:火:たどり着いたらいつも雨降り
▲2002年10月02日:水:どしゃ降りの雨の中
▲2002年10月03日:木:Power to the Peple
▲2002年10月04日:金:酸っぱい経験
▲2002年10月05日:土:前略、道の上から
▲2002年10月06日:日:ワカンナイ
▲2002年10月07日:月:買い物ブギ
▲2002年10月08日:火:ノーベル賞・1
▲2002年10月09日:水:ノーベル賞・2
▲2002年10月00日:木:ノーベル賞・3



  2002年10月01日(火)たどり着いたらいつも雨降り
    [イラスト:パパイヤ鈴木]
    パパイヤ鈴木 なんやら「戦後最大の台風接近中」だとか「戦後最大級の暴風雨」だとかニュースで言っていたのだが、朝の段階ではそうなのかふ〜〜〜んと言う状態の天気だった。
    そのニュースでは台風21号の速度はかなりゆっくりで夜半に伊豆あたりに上陸とか言っていたので、今日は残業なんかしないで帰ったほうが無難だと考え、仕事を切り上げた。
    午後6時ちょい過ぎの帰り道は案の定、メチャ込みで車は遅々として進まなかった。たぶんいつも以上に込んでいるのでは?と言う感じなのだが、そのゆっくりとした進みの中、最初はポツリポツリという雨だったのが、だんだんと強くなっていくのだ。
    こりゃ、思った以上に台風の接近は早いのかもしれない、とラジオをつけると「台風は伊豆下田を通過し」などと言っている。っつーことは既に暴風雨域ってヤツにここは入っているのか?と言う状態なのだ。


    [イラスト:おやじダンサーズ]
    (後列左)長谷川16t・大津年金手帳/(前列左)中嶌ジュテーム・松元ドカン

    おやじダンサーズ と言いつつ、まだ気楽な物で「戦後最大級のブーフーウーかぁ… てな事を書いても、若い人にはネタが解らない駄洒落かなぁ」などと考えていた。
    通常の帰宅時間ならD駅踏切には6時45分頃到着するのだが7時30分にたどり着いた。この段階で倍の時間がかかっていた。
    雨はかなり激しいドシャ降りになっていたが、ここまで来れば家まで10分ちょっとなので… と思った自分が甘かった。
    D駅踏切を過ぎてしばらく行った処でまたしても渋滞があった。この先はつっかえる要素があんまりない道なので、ここで渋滞しているって事はずっと先まで繋がっている事だよなぁと考えていたのだが、少し行ったバス停の直前、なぜかすべての車が脇道へ曲がっていくのだ。
    と、見るとその前方には誘導灯を持った消防団員が立っており、「こっちへ迂回してください」とやっているのだ。


    [天気図(10月1日午前9時予想)]
    ○○○ うぬぬ。とその直進先を見ると普段はなんでもない場所なのだが見事に水没しており、ドシャ降りの雨の向こう、その水没した道の中に2台ほどの車が斜めになって立ち往生しているのだ。
    「この先はもう完全に進めません」と叫ぶ消防団員に促され、結局バス停手前を右折するしか無かったのだ。でもこの細い道を上手に抜ければ大通りN道路に出る事が出来る。
    が、その考えも甘かった。なんとN道路へ向かう道はすべて「通行禁止」となっていた。
    うぬぬ、ここってそんなに低かったのか… と思いつつ、激しい雨の中、かなり不安になりながら通れる道を探し細い路地をウロウロしていた。
    結局、どうやってもN道路に出る事が出来ないと言うのが判明してしまい、車はさっき通った道へ戻ってしまった。
    午後07時40分
    そこに立っていた消防団員に聞くと「自分の家がある地域に行ける道は無いんじゃないか?」と言うことだった。
    なんてこった… このまま前進してもさっきのD駅バス停で迂回させられるしか無い… ということで「もしかしたら、遠回りになるが山沿いの少し高い道を選べばならばなんとか抜ける事が出来るのでは?」と思いつき、車の方向転換をするのだ。
    その道は、幹線道路から外れているのでほとんど車の往来も無いのだが、高校があったりして道だけはちゃんと整備されている。案の定こっちの道は全然渋滞しておらず、快調に車を走らせる事が出来た。

    [イラスト:D駅付近の通行止め]
    ○○○ が、その道から我が家の方へ繋がる道の処にまたしても「通行禁止」の標識が出ており、行く手を阻むのだ。
    しかし、ここまで来たらもう戻る事はできない。完全に家から離れていくような感じなのだが、一気に山の中腹にあるK駅まで上がって、そこから山沿いの道を下り、さっき通行止めになっていたN道路の向こう側に出ると言うルートを選択した。
    雨は若干小振りになって居たのだが、ラジオの中では「あそこもダメここもダメ」とこの地域のすべての道が灌水によって遮断されていると報告をしている。
    午後07時45分 あまり街灯も無いような、しかもほとんど土地勘のない道を走っていたのだが、またしても前方で誘導灯を振っている消防団員が… 
    と見るとなんと、山が崩れて道が遮断されちゃっていた。と言ってもここでUターンするほど道幅は広くない(しかも後続の車も居てバック出来ない状態)、どうする?
    とりあえず車から降りて確認したのだが、崩れた山はいつ更に崩れてもおかしくない状態だった。
    しかし、私の車の後ろには数台の車が繋がっているので、ここで戻る事もできず、消防団員数名が必死に崩れた土をスコップでかき分けているのを待つしか選択肢が無いのだ。
    数分後、なんとか一台ほど車が通れるようになったので、消防団員に感謝をしつつそこを通り抜ける。


    [イラスト:K駅付近の山崩れ]
    ○○○ K駅への道をクネクネ走ったのだが、以前ここを通ったのがすでに10年以上前と言うこともあって、記憶が曖昧でしかも雨降りの夜と言うことで「果たしてここでいいのか?」と不安になりながら走っていたのだがなんとかたどり着いた。
    実はこんな日に限って携帯電話を家に忘れて来てしまったので、駅から家に電話を入れ事情を説明する。
    午後08時00分
    そこから山を下る別の道を通る予定なのだが、そこってのが左は山、右は崖(と言っても1・2mほど)と言う「いつ崩れても文句は言えません」状態の絵に描いたような崩れやすい地形が続いている。
    しかし現実問題として「今家に繋がっていると思われる道はここしかない」と言う事なのだ。
    意を決して車を発進させたのだが、山崩れ以前に大量の雨が山側からガンガン流れて来て、道は左から右へ流れる川状態だった。ハンドルを直進にしているのにタイヤは右へと引っ張られているのが伝わってくる。もちろん左側は崖なので流されたら命にも関わる事なのだ。
    そこを何とかすり抜けて、さっき通行止めになっていたN道路の家とは反対側に出た。つまり、家のある場所を迂回して向こう側に出ているって事で、この時点でかなりの距離を走っている事になる。
    しかし、この先は低い場所も多いので灌水している可能性も高い。ちょっと慎重に走らないといけないのだ。なんせ、この段階で路肩あにる農業用側溝に斜めに突っ込んでいる自動車を4台も見ている。
    いたる処が、道なのか川なのか解らない状態になっているのだ。
    (1日分の話だが長いので翌日分へと続く)


  2002年10月02日(水)どしゃ降りの雨の中
    午後08時10分
    (続き)
    N道路を少し下り、人通りの絶えた脇道を選択し(この辺りに来ると子供の頃の遊び場なので、細かい道も知っている)なんとか家の近くまでたどり着いた。
    で、考えていた通りに3年ほど前の大雨で水没した場所が同じように水没して通行止めになっていた。その時の事はこの雑記にも書いてあるのだが、全国放送でヘリから撮影された映像が放映され、心配した東京の友人から電話が来たほどだったのだ。
    そのときは、私の家がある地域へ繋がる道が全部閉鎖され、完璧に陸の孤島になってしまい「もしこの場に金田一少年がいたら、絶対に殺人事件が起こっているぞ」と言う状況だったのだ。
    で、前回は閉じこめられ、今回は逆に閉め出されてしまった。
    もう一本ある畑の中を通るルートも水没して、ここまで来たが結局中には入れないと言う事になった。

    午後08時45分
    その以前の時に水没した橋周辺は、前回の大水以降に計画された高くする工事を実施中だったのですが、それに間に合わなかったわけです。
    とりあえず、その水没地点の少し前にコンビニがあるので、そこで夕飯としてパンとコーヒーを購入し、路上に止めた車の中でわびしい夕食を食べた。
    基本的には「駐車禁止」の道なのだが、有事立法って事で(ウソ)。
    ここまで来るのに、かなり神経を使っていたらしく、パンを腹に収めた途端に胃が痛くなってきて、吐き気が… 吐く処まではいかなかったが、かなり胃が痛く、ムカムカしはじめ、一気に体調不良な人になってしまった。普段から環境の変化などに弱い人だが、よりにもよってこんな時にもその能力を発揮しなくてもいいのに。

    午後09時00分
    まだ水は引きそうもなかった。
    本当なら同じ地区へ行こうとする人がここに大量に貯まっても良さそうなものだが、あまり人も増えていないってのは、最初に通行止めになっていたD駅付近がまだ解除されていないって事なんだろうなぁ。
    水没した場所をバシャバシャと歩いて渡ってきた人の話では、水はまだ腰ぐらいまであるんで車が通れるようになるのは、夜中だとの事。
    どうしようか… と思いつつコンビニの前でしばし呆然としていた処、「もう少し川の上流にある橋が渡れるようになった」との情報を教えてもらったのだ。もうどんな情報でもありがたいっす。
    と言うことで、極々近所でありながら一度も走ったことのない細い道を抜けて、そんな処に橋があったのさえ知らなかった橋を渡り(川の水がグワングワン流れていて、かなり恐かった)なんとか水没していた場所の向こう側に抜ける事が出来、やっと家にたどり着いたのだ。
    午後09時25分
    さっき胃が痛くなったのがずっと続いている。
    ついでに9月末の雑記に書いた筋肉痛も重なって、かなり最悪な状態になっている。
    なんてこった。



  2002年10月03日(木)Power to the Peple
    誰もが自分の事で精一杯で何も発言していませんが、やはりタマちゃんは1日の台風で海に流されちゃったんでしょうかね。

    [イラスト:密航者・タマちゃん]
    ○○○ 北海道の西友で起こった偽装豚ロース肉事件で、消費者が「金返せ!」と詰めかけて、西友側が「解りました、申告通りに返金します」と応じた事件が先月27日に起こった。
    その結果、西友が販売した金額の4倍以上の4900万円ぐらいが返金となってしまったらしい。つまり、詰めかけた多くの人がデタラメな申告をして金をふんだくったと言うことなのだ。
    その中の最高請求額は98万円らしいのだが、その金額で購入できる豚ロース肉は約400キロだそうで、それでトンカツを作ると3333食分となるらしい。
    オマエはメチャ繁盛している食堂でも経営してんのか!・・・って食堂やっている人間は西友の食肉売り場で購入せず、精肉卸市場で買うなあ。
    でも請求額が98万円ってのは、請求した人間も「やっぱ100万円を超えちゃ嘘臭くなるよな」と思っていたのかもしれない。やはりそれぐらいの知恵は廻るのだ。…って全然廻っていない。
    当然、西友もこの人には請求通りの返金はしなかったらしい。


    実はその時に詰めかけた人の多くが主婦ではなく、おめーは西友で食品なんか買わねえだろ?と言う感じのチンピラヤンキーだった。ニュースで放映された画像でも金髪のチャラチャラした人々が大挙していた。そんでもって当然のように直情型の彼らは警備員に暴行なんかをやらかして、何人も逮捕されていた。
    しかし何故こんな大量のチンピラが集結したのか?って事なのだが、実は暴力団が影でこの騒動を煽っていたらしい。暴力団から手下に「西友に返金を請求して大騒ぎしろ」と指令が出て、「西友にいけば金ふんだくれるぜ」と言う情報が横のネットワークで流れ、あの事件になったのだ。
    もちろん、普通の主婦みたいな人々もニュースで映っていたので、その話題は色々なところに広がっていたのだと思うけれど。
    暴力団は西友に対して嫌がらせ&「ヤツラを撤去してやる」みたいな形で金を請求したと言う事で逮捕されたらしいが、まったくもーって感じなのだ。

    しかし、もっと「おいおい」と思ってしまうのは、この返金事件で売り上げの4倍以上の金を支払ってしまった西友の営業担当みたいなひとが「こうやって騒ぎに乗じてウソの申告をした人が多かったのは実に残念でした。レシートが無くても自己申告に対してそのまま応じると言う、性善説に基づいた対応をしたんですけれど、実に残念な事です」などとインタビューに答えていた。
    あの・・・性善説に基づいているのなら、西友が客を騙して生産地の違う肉を高く売っていたのはどう理由付けするんでしょうか?



  2002年10月04日(金)酸っぱい経験


    [イラスト:映画版トリック・阿部寛]
    阿部寛 「ノド痛い・・・」と言うタイトルですが、別に先月末の筋肉痛から先日の台風が関連して、またしても風邪をひいてノドが・・・というワケではないのだ。
    確かに現在、体調をぐらぐらと崩していたりはするのだが、ノドは普通の状態だった。
    実は、さっき何気なくコンビニに立ち寄ったときに、飲料棚の中に『燃えちゃう・きりり』と言う新製品があったのを発見してしまったのだ。
    新製品が出たら買わなければいけないと言うのは、高度経済成長の時代に幼年期を過ごした大量消費時代の申し子としては致し方ない事で、さらに言えば日本経済を立て直す為に必要なことなのだ。政治家の机上の空論は当てにせず、庶民レベルでコツコツとやっていかなければいけないのだ。
    と言うことでさっそく購入した。
    と言いつつ、「きりり」の夏バージョン「モーニング娘。がどーしたこーした」ってのは恥ずかしくて買わなかったが。


    で、その「きりり」だが味は基本的にグレープフルーツなんだけど「燃えちゃう」ってのは中に唐辛子エキスでお馴染みのカプサイシンが入っているために、体内でカロリーが燃えるって仕組みらしい。
    ふ〜〜〜ん、と思いながら飲んだのだが、基本的に「健康志向」何て物は持ち合わせていないので、それがなんじゃい!と言う感じなのだ(虚弱体質気味なので健康に気を使わなければいけないんだろうけど)。
    味は100ml=30kcalと言うことで、濃厚さはなくサラリと薄いグレープフルーツと言う感じ。個人的にはもっと酸っぱい方が好みだったりしますが、きりりとしてはこんな物かなぁと言う感想。
    それを飲みつつ本を読んでいたのだが、次第にノドが痛くなってきた。
    最初は「ついに風邪の症状がノドに出てきたか」と思ったのだが、なんか違う。
    同時になんか汗をうっすらかいているような気もするので、そう勘違いしそうだが、どうやらノドの痛みは内容成分にあるカプサイシンなのでは?と言う感じなのだ。
    飲み続けているとだんだんノドの痛みが強くなってくる。
    結局、途中までしか飲むことが出来なかった。
    で、ノドの痛みを和らげようとお茶を飲んだ瞬間ノドの痛みが引いて、その後はまったく痛くなかった。
    うーーむ。
    別にこの飲料が完全な悪者って事じゃなく、元々風邪気味でノドが炎症を起こす直前だった処にカプサイシンが刺激を与えてしまった為の痛みだと思う。
    とりあえず自分の中ではNG飲料でした。
    ※もしかしてまだ全国販売じゃない?



  2002年10月05日(土)前略、道の上から


    [イラスト:香取慎吾]
    ○○○ その男は本棚の下に隠すように取り付けられてある引き出しの中に顔を突っ込んだような状態でなにやらゴソゴソと作業を続けていた。
    その男は顔を上げるでもなく、作業を止めるでもなく、いきなり大声で「ラッサイッセー!」と叫んだ。
    その男から2mほど離れた場所で本をパラパラめくっていた自分もいきなりの出来事にぎくりとなってしまった。
    その男は自分がそんな意味不明の奇声を発したことにはさほど興味がないらしく、以前のままの姿勢で黙々と作業を続けていた。
    その作業と言うのは、その引き出しの中に大量に収納してある本の入れ替えなのだが、前屈みの姿勢を長時間続けるのは大変そうだった。
    自分はその場に目的の本が無いと判断し、裏側にある本棚へと移動しようとしていた。
    が、またしてもいきなり「ラッサイッセー」とその男は大声で奇声を発したのだ。
    オマエは一世風靡セピアかっての、ラッセーララッセーラ、セイヤセイヤセイヤ。
    まったくもって、ビックリさせるぜブックオフ。


    と言うことで、ブックオフの店員マニュアルなんかに書かれているのかもしれないけれど、客が入ってきたらレジの中にいる店員が大声で『ラッサイッセー!(イラッシャイマセのはずだが、そうとしか聞こえない)』と叫ぶ。店内にいた別の店員もその声が聞こえたら、どこで何の作業をしていようと復唱するように大声で「ラッサイッセー」と叫ぶ事。みたいな状態なのだ。
    ほとんど猿山の見張り猿が「ウキィィィ」と叫んだのを伝言リレーで本隊に危険を伝える状態と大差ないのではないか?
    それってどういうもんですかね?


  2002年10月06日(日)ワカンナイ(BY.井上陽水)


    [イラスト:ピンポンパンのお姉さん時代・酒井ゆきえ]
    酒井ゆきえ ここの処、ニュースは北朝鮮による拉致問題で埋め尽くされている。
    平日はサラリーマンとして、早朝のニュース番組&ニュースステーション辺りを見ているだけなのだが、土日の休日に「さぁここで泣いてちょうだい」と言う涙腺をいかに緩ませるかに主眼を置いたワイドショー的な報道番組を見ることが出来る。
    ワイドショーは、どんな事件だって「家族愛」などをキーワードに心の機微につけ込んで「涙」を誘発するような構成・ナレーション・音楽で盛り上げる盛り上げる。
    他人の悲劇を取り上げて「まぁ可哀想」と涙するってのは、完璧に「自分はそんな事になっていない」と言う高見の見物だから為し得る感情なんだろうけど。
    今回の事件のように、実際は複雑な内容だけれど「北朝鮮は悪」と言う単純構造が見えているだけに、憎悪を向けやすいと言うのも、盛り上がる要素なんだと思う。今や日本国民の気持ちはガッチリと同じ方向を向いて団結しているような状態なのだ。
    ある種、被害者(日本国民という同胞意識)としてのヒロイズムに酔いしれるって気持ちいいのだ。そして憤怒していても実際の被害者の関係者でないかぎり、気分的な物はアメリカで起こったテロの時と大差ない程度の危機感と憤怒だと思うんだけど。
    もちろん、北朝鮮もそう思われて当然の理由があるんだけど、結局この構図って、アメリカがテロにやられた直後のアメリカ国民の大多数の姿と重なっていくような気がする。
    つまり、ここで北朝鮮が追いつめられてヤケクソでテポドンでも発射したら、国民総出で「北朝鮮を攻撃すべし、北朝鮮を根絶やしにすべし」と盛り上がってしまうような気もするのだ。
    アメリカとアフガニスタンが色々戦闘状態になった時に「平和的解決を!」と叫んでいたその手の人々は、あの時以上に現実問題に即した事件なので、今こそ声高々にメッセージを歌い上げるべきなのだ。そしてその収益金を貧困にあがいている北朝鮮北部の農村地帯の子供達に寄付するのだ。
    ハッキリ言ってこの北朝鮮の話に関しては、どう解決していいのか解らない。馬鹿な政治家みたいに現状に対して文句言うのは出来るけど。


    [イラスト:モデル出身タレント・はな]
    はな しかし、もし北朝鮮が一気に開放政策を打ち出して、他国の文化まで受け入れることになったらなったで、大変な問題になると思う。
    アフガニスタンなんかでも、今、指導者として立っている人物たちでさえ、生まれた時から「アメリカは敵国だ、ヤツらに報復するのが神に与えられた使命なのだ」と教え込まれている人なので、根本的な部分に平和的解決と言う手段を知らないんじゃないかと言う物があった。まず「平和って何?」なのだから、交渉のしようがないと感じてしまうのだ。
    それと同じように北朝鮮にいるほとんどの人がすでにこの閉鎖的軍事国家になった後に生まれ育った人なので、総書記が絶対的な神様なのは曲げようがない刷り込みになっているし、自分で何もかもを判断して行動するって事もできなくなっていると思うので、「平和って何?」だと思うのだ。
    (↓続く)

  2002年10月07日(月)買い物ブギ(BY.笠置シヅ子)
    (↑続き)

    [イラスト:かなりいい加減に書いた坂下千里子]
    坂下千里子 教育ってのは怖ろしい物で、日本だって第二次世界大戦の末期には閣議決定で「決戦教育措置要綱」として『学校の授業は国民学校初等科を除き停止』と言う措置をとっていた。
    当時の話をまとめた本を読むと勉学対象となっていた小学生も実際には授業はほとんどなく「勤労奉仕」と言う名目で風船爆弾の材料になる楮(こうぞ)の皮むきや、代用ガソリンになる松の根油を作ったり、「体育教練」と称して「一人一殺!」と叫びながら手榴弾を投げる訓練をしていたと言う。(←これなんか、殺人部隊を育成しているテロ国家となんらかわりない)
    つまり戦争中だから勉強なんてしている場合じゃない、ガキも軍事工場に出かけて武器や食料を作って、自爆覚悟の戦闘状況に備えなさい。と言う事なのだ。アフガニスタンを否定できますかって状況。

    ついでに言うと、戦時中に天皇陛下様の恩恵を受けこの世に誕生し、それまで熱烈な「天皇教」の信者だった小国民として教育を受けていた子供たちは「天皇=軍服を着て白馬にまたがった大元帥陛下」の印象が、戦後になっていきなり「アメリカからやって来たマッカーサーと握手をする平服を着た小柄な天皇」になってしまい大混乱したと言う。中には「あれは日本を精神的な面からも支配しようとするアメリカ側が流したデマ画像だ」と考えた子供も多数いたと言う。
    もし、あのまま日本が軍事国家の道を歩んでいたら、北朝鮮・アフガニスタンと同じ状態になっていただろうし、国民すべてが自らの考えで行動すると言う事が苦手になっていたと思う。(現在もほとんどの人が自分で考えているフリをしながら流されている様な気もするけど)
    以前、北朝鮮から韓国へ逃げてきた人が「韓国で生活をして困ってしまうのは、買い物に出ると色々な物が溢れていてどれを選んだらいいのか全然判断できない」とインタビューで答えていた。
    自由というのは、逆に言うと自分ですべてを選択して自分で責任を負って自分で尻拭いまでしなければいけないと言う事なのだ。日本人でも尻拭いまで自分で出来る人間がどれだけいるのかは不明だけど。

    もしこの先、北朝鮮と言う国が国交正常化と称してマジに開かれていったら、当然の事ながら他国からの大量消費主義が押し寄せることになると思うのだが、それに国民が反応できるか?と言う部分の懸念もあったりする。(消費する前提のカネが無いと言う問題点もあるが)
    なんせ、同じように中華人民共和国、いわゆる中国が現在その大量消費にさらされ、他国の情報が押し寄せて来て、若年層では長く続いてきた儒教の教えに対して反発するような傾向が強くなり、学校を出てもフリーター、あるいは引き籠もってしまうとか、ゲームや漫画にしか心を開くことが出来ない人々などが大量に発生しているらしい。
    もう完璧にダメになった日本の二の舞なのだ。それ以上に、日本が50年に渡り経験してきた、戦後の混乱期と高度経済成長期と新人類とハイテク依存症が同時に押し寄せている混乱状態かも知れない。
    中国・韓国・台湾、そして北朝鮮を見ていると「やっぱ日本ってのも根っこは同じアジア人種だよなぁ」と思ったりする。
    日本だって「自由だぜ、オレ達は好き勝手に個性的に生きているぜ」などと言いつつ、同じ年代の人はほとんどが同じベクトルで動いている。
    北朝鮮の事をなんだかんだ言っていても、日本が戦後アメリカに占領され強制的に民主主義を押しつけ得られなかったら北朝鮮と同じ国になっていなかったとも言い切れないのだ。
    日本国軍がかたくなに国を死守しようと閉鎖して周辺との国交を断絶していたら、北朝鮮と同じ国になっていたハズ。国民も右に倣えが好きだからね。
    拉致された人の問題は早期解決して貰いたいと思うけれど、その後には北朝鮮軍部によって精神的な部分まで拘束されていた北朝鮮国民の精神的な解放と言う、もっと難しい問題が控えていると思うのだ。



  2002年10月08日(火)ノーベル賞・1
    あのタマちゃんが帷子川に再出現したらしい。もう不法滞在2か月なのだ。
    そう言えば、韓国で開催されているアジア大会に北朝鮮も参加して話題になっているが、応援団のおねえさん達は質問には一切答えないそうです。
    ついでに寝泊まりは港にある大型船の中で、どんな事があっても外部との接触を避けているみたいです。


    [イラスト:2002年度ノーベル物理学賞・小柴昌俊]
    小柴昌俊 今年のノーベル賞が発表され始めたのだが、3年連続で日本人が選出された。
    いわゆる80年代に発見されたニュートリノに関する研究(ニュートリノの存在自体はもっと昔から仮説として取り上げられていたが、確実に発見されたのが80年代半ば)による功績を認められたって事なのだが、一般人にはなんとなく判ったようで判らない功績なので「うーむそうかそうか、よかったよかった」と言うしかないのだ。
    確かに10年以上前に雑誌「ニュートン」あたりで、ニュートリノがどーしたこーしたって、その辺の記事を読んだ記憶もかすかにあるが、すべては霧の彼方。実生活にはあんまし影響ないっす状態。
    もっともノーベル賞はこの手の宇宙線に関する授賞例も多いので、その方向性で賞を選出しているのだろうなぁ。


    [イラスト:2000年度ノーベル化学賞賞・白川英樹]
    白川英樹 授賞することになったのは東大教授もしているという小柴昌俊氏で、実は誕生日データにはすでに記載してあるほどの、その筋では有名な人だったりします。
    TVでは、突然の授賞に戸惑いながらも大喜びしている気のいいおじいちゃんが映っている。奥さんも上品で静かそうな人なので「いかにもノーベル賞でも取りそうな学者」と言うイメージもあるのだ。
    しかし、いくらなんでも夜遅くまでマスコミが自宅に詰めかけ、恒例という夜食のアイススクリームを食べるシーンまで必死に取らなくてもいいと思うのだ。
    恒例ということで、「アイスクリームを食べるノーベル賞受賞者」をマスコミに対してパフォーマンスとして行うってのも、どうかと思うが、アイスクリームにスプーンが入った瞬間に10人ぐらいのカメラマンが一斉にフラッシュをバシャバシャバシャバシャ!!!!!!!!!!!!!って、いかがなものでしょうか。



  2002年10月09日(水)ノーベル賞・2


    [イラスト:2001年度ノーベル化学賞賞・野依良治]
    野依良治 「いや〜日本は3年連続受賞なんて凄いね」
    などと言っていたら「二日連続受賞」と言うとんでもない事になった。しかも今度の授賞は「人生を掛けた長年の研究の集大成が評価された」的なこれまでの受賞者にみられるようなほぼ隠居に近い状態の人ではなくバリバリの現役研究員。
    島津製作所に勤める43歳の研究員だっつーから、ビックリしました。
    もっとビックリしたのは、当の本人らしく記者会見にも背広ではなく、作業服でってのがなんともはやで(余計なお世話だが名前の田中耕一ってのも、あまりにも普通過ぎてインパクトないです)、自分も「何故?」状態だったらしいのだ。


    [イラスト:2002年度ノーベル化学賞・田中耕一]
    田中耕一 さらにマスコミは奥さんの所へも押し掛けたのだが、研究員って結局普通のサラリーマンなので奥さんだって全然把握しない状態でパニックになって何やらシドロモドロの事を言って逃げていた。
    そりゃダンナが会社でそこそこ大きなプロジェクトを成功させたぐらいの事は知っているだろうけど、ダンナはまだ40歳になったばかりだし、いきなり「ノーベル賞おめでとう!」って理解できないっすよね。
    どうもノーベル賞は前もってのノミネート制ではなく、いきなりの発表らしいので。
    結果、奥さんはたぶん社宅みたいな所にいたんだと思うけれど、実家に逃げ帰ってしまったみたいっす。


  2002年10月10日(木)ノーベル賞・3


    [イラスト:1994年度ノーベル文学賞・大江健三郎]
     大江健三郎 でも、以前からノーベル賞なんかが発表されるとマスコミが押し寄せてインタビューをしますが、その受賞内容に関するインタビューってほとんど聴いたことがないような気がする。
    きまって出てくるのは「奥様はなんて言っていましたか?」「誰にこの事を最初に報告したいですか?」的な事だったりする。
    当然今回もインタビュー中では「ニュートリノ」なんて言葉は出てこないし「たんぱく質の昇華に際して…」なんて言葉は出てこないのだ。ま、TVのワイドショー的ニュースで報道するって事を前提に考えたら難しい事言ってもしょうがないのは判るけど。
    科学や物理学の話は難しいんだけど、以前、文学賞を大江健三郎氏が受賞した時も、その作品の内容にはまったく触れずに終わっていた。文学だったら、いくらでも判りやすいインタビュー展開出来ると思うんだけど。


    [イラスト:1974年度ノーベル平和賞・佐藤栄作]
     佐藤栄作 その時見たワイドショーなんかでも、スタジオにいたコメンテーターと称する人々が適当な事を口々に言っていたが、その中に確か「作家」と言う肩書きの人も二人いたハズだが、どうも大江氏の作品は微塵も読んでいないみたいな感じだった。
    さらにノーベル賞授賞式で大江氏が読んだ原稿のタイトルが「あいまいな日本の私」だったが、ワイドショーなどでもその事にもまったく誰も触れていなかった。
    あのタイトルは大江氏の前に文学賞を受賞した川端康成氏が同じ場所で読んだ原稿「美しい日本の私」に引っかけてあるんだけど…。

    日本人がノーベル賞を受賞すると、しばらくするといつも「イヤだな」と感じる事がやってくる。
    それまでは、そんな人がいたのさえ知らなかったような政府がいきなり「文化勲章」なんてのを与えたりするんですよ。まいどまいど。
    確か、白川教授も野依教授も貰ったと思うんだけど。で、大江健三郎は「そんな賞を貰う義理も必然性も無い」と言って拒否をしていたりする。



     


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