ひねもす雑記
2002年10月11日〜20日


▲2002年10月11日:金:お引っ越し 忘れ物
▲2002年10月12日:土:敬称略
▲2002年10月13日:日:祭
▲2002年10月14日:月:大きな古時計
▲2002年10月15日:火:梱包
▲2002年10月16日:水:口を閉ざす
▲2002年10月17日:木:簡単ネットショップ
▲2002年10月18日:金:働けど働けど我が暮らし楽にならず
▲2002年10月19日:土:儲かってる?
▲2002年10月20日:日:おッかちゃんの為ならえんやコーラ



  2002年10月11日(金)お引っ越し 忘れ物
    [イラスト:3年A組ドラゴン先生(笠原大)]
    3年A組ドラゴン先生(笠原大) え〜っとですね、約5年前のオープン以来長年「izu.co.jp」のアドレスを使っていましたが、この都度どど〜んとサーバー大移転計画を実行します。
    と言っても、「izu」の契約が切れるのが来年の2月、さらにデータの大半がある別サイトの契約は来年の7月頃まで続いていますので、しばらくはどっちでも使える状態で徐々にジワジワと移転をしていきます。

    なんせこのサイトの場合、誕生日に関しても、雑学に関しても、全文検索でそのページにポンッと飛んでくるパターンがかなり多いので、いきなり移転「そのページは存在しません」ではかなり不親切だと思っちゃうし、サイト運営者側からしてみたら「せっかく来てくれた客を逃す」って事になっちゃうワケです。
    ま、客と言ってもそれにて何かの恩恵を被るってワケでもないんで、ゼロからの再出発なのだ男は裸一貫でどーんと勝負だ! でも良いんですが、愛用してくれている方々に寂しい思いをさせてしまうってのも、悪いっすからね。


    [イラスト:3年C組革ジャン先生(木阪佳史)]
    3年A組ドラゴン先生(木阪佳史) とりあえず、かなり雑に計算したのですが現時点で記載されている誕生日の数が『53,263』って事で、いつの間にか5万人を超えていました。
    この半年の間にAV関連の誕生日を削除してガクッと数が減ったりもしましたが、その前の1年の間に調べて記載しなかったものを随時追加したために、こんな状態です。
    いわゆる「一生懸命調べて載っけても気軽にコピー&ペーストされちゃうんじゃ、馬鹿らしい」と言うことで調べて整理したままにしてあった物が大量にあったワケです(今も記載されずに待ち状態のデータはかなりある)
    しかし1日平均記載誕生日が145人分って状態です。

    1月1日なんて特殊な日は300人を超えていたりしますが、いつの間にか100人以下の日もなくなっていました(2月29日は除く)。一番記載人数が少ない日で1月27日の108人って状態です。
    とりあえず引っ越しというキッカケなので、このデータの名前『HAPPY BIRTHDAY'S CLUB』ってのを『知誕-ちたん-』へ改称しようかと思っています。
    「知泉の誕生日データ」の略なんですが、ちょっと違和感あるかも知れませんが、いつか慣れると言うことで(知泉と言う名前も最初は「変な名前」と言う意見が大多数だった)名前は重要だよなぁと思っています。


    [イラスト:3年D組激安先生(児島浩次郎)]
    3年D組激安先生(児島浩次郎) 実は最初に「知泉」と言う名前を考え出した時も「他との差別化を狙って」と言う部分が大きかったのです。4年半前、あの当時、ロボット型全文検索ってのが一般的になりつつあったんですが、そこで「知泉」と調べると当たり前のようにこのサイトに飛んでくるって状態でした。

    つまり「知泉」なんて変な名前を付けているサイトは他にはなかったから。(現在は複数の「知泉」と言うサイトが存在します)
    インターネットが生活の大きな部分を占めるようになった今、この「全文検索で探し出しやすい」というのはかなり大きなポイントとなるんじゃないっすか?
    音楽雑誌なんかを見ていると未だにデビューしてくるソロアーティストで「YOSHI」とか「HARU」とか「KAZU」みたいな記号化されたような名前の人が多いのですが(バンドのメンバーの場合はそれが半分以上)それって、凄くデメリットでしか無いような気がする。
    アーティスト情報を調べたいと思っても、その調べたいと思っている「YOSHI」にたどり着くのが至難の業。

    と言うことで、当たり前の単語を並べた『HAPPY BIRTHDAY'S CLUB』と言う名前を捨てて、ネット検索も考えて『知誕』として生まれ変わります。
    以前途中まで作って挫折してしまった、年代毎に並べたデータが『知泉クロニクル(年代記)』で『知クロ→チクロ』だったのと同じ発想ですが。
    そんなワケで、引っ越し先のプレ公開は10月21日、正式公開は11月01日(辺り)と考えています。

    そんなこんなで、偶然に『知誕』に訪れてしまった人で「おいおいここにある知誕っつー誕生日データはHAPPY BIRTHDAY'S CLUBとまるっきり同じじゃん!酷いパクリサイトをハケーン!」などと言って2ちゃんねるで盛大なるお祭りなんか施行しないでくださいませ。

    ついでに(本題がこっちかもしれないが)エルローザ側がネットショッピングサイトとして本格的デビューを飾る予定です。もう時代的には「今更?」の後発なんですけどね。

    ちなみに今回のタイトル「お引っ越し・忘れ物」は斉藤由貴の曲。


  2002年10月12日(土)敬称略


    [イラスト:1年B組新八先生(岸田智史)]
    1年B組新八先生(岸田智史) 皇太子の長女・愛子さま・・・って、いくら皇室の人間だからと言って、まだ1歳にも満たない赤ちゃんに「さま」付けってのはどーかと思います。
    いつの間に日本のマスコミを中心とした物は皇室を崇め立てるようになったんでしょうか?
    戦後の文献なんかをみると、終戦で「人間宣言」をした昭和天皇の事を色々な呼び名で書いていましたが、その扱いは徐々にこなれていって今上天皇とか天皇陛下とかの扱いだった。
    で、現皇后が日清製粉関連の正田家から選ばれた時の表記に関して言えば、さまではなく「美智子さん」だったのだ。


    [イラスト:2年B組仙八先生(さとう宗幸)]
    2年B組仙八先生(さとう宗幸) 当然、初の民間からの嫁入りなんて状態もあったので、かなり親しげな扱いだったんじゃないかな(リアルタイムでは当然知らないので当時の文献なんかを読んだ感想です)。
    各週刊誌なども特集として美智子さんの生い立ちなどを小説仕立てにしたり、月刊「明星」に到っては『美智子さん』と言うタイトルで連載漫画にしていたりする。
    もっとも、この時点、昭和34年で漫画と言う表現媒体はまだあんまり認知されていない物だったのと、さすがに「そこまでキャラクター化するのってどうよ」と言う状態で、宮内庁より連載ストップのお達しがあったと言う。
    ま、そんなこんなでも「天皇家は敬いつつも、今や普通の人々と同じと考えるべし」的な状態でいたんだと思う。それでなかったら「皇室アルバム」なんていう他人の家庭の日々移りゆく姿を延々とストーキングするような番組が放映できるハズがないのだ。
    1970年代中期(昭和50年頃)にはラジオに端を発したクイズの中にも
    「朝、天皇がトイレに入ろうとした処、中にヒロノミヤがいました。さて天皇はなんと言ったでしょうか?」
    なんてオイオイ…って物が、平然とラジオで放送されていたのだ。


    [イラスト:3年B組貫八先生(川谷拓三)]
    3年B組貫八先生(川谷拓三) ちなみに答えは「交代してんか…(皇太子殿下)」だったんですが、なんともはやであります。
    確か、この皇室トイレシリーズはいくつもあったんですが、それがまとめられた本になって版を何版も重ねていたってことは、当時は大丈夫だったんですな。
    でも今、なぜか皇室の人々の呼び名はすべて「さま」ですからね。
    紀子さま、雅子さま、そして愛子さま。時代は逆行しているんでしょうか。たしか前首相も「日本は天皇を中心とした神の国」と言っていましたので、どうやらそう言うことらしいです。



    [おまけ]
    今回『○年○組先生シリーズ』を似て無くても勢いでGO!しちゃったので、お詫びにそれらの簡易データベースを。
    1979年10月〜1980年03月 3年B組金八先生第1部(武田鉄矢)
    1980年04月〜1980年09月 1年B組新八先生   (岸田智史)
    1980年10月〜1981年03月 3年B組金八先生第2部(武田鉄矢)
    1981年04月〜1982年03月 2年B組仙八先生   (さとう宗幸)
    1982年04月〜1983年03月 3年B組貫八先生   (川谷拓三)
    1984年10月〜1984年12月 東中学3年5組    (南こうせつ)
    1988年10月〜1989年03月 3年B組金八先生第3部(武田鉄矢)
    1995年10月〜1996年03月 3年B組金八先生第4部(武田鉄矢)
    1999年10月〜2000年03月 3年B組金八先生第5部(武田鉄矢)
    2001年10月〜2002年03月 3年B組金八先生第6部(武田鉄矢)
    ※東中学3年5組と言う作品がシリーズに含まれているらしいのですが(制作スタッフなどが同一)私は番組の存在すら知りませんでした。
    2年B組仙八先生からはシブがき隊・三田寛子・本田恭章あたりが出ました。
    1年B組新八先生からは見栄晴あたりしか出ませんでした。
    唯一、元々俳優だった川谷が演じた3年B組貫八先生からはめぼしい有名人は出ませんでした。


  2002年10月13日(日)祭
    [イラスト:よゐこ・有野晋哉]
    よゐこ・有野晋哉 ドンツクーツードンツクツー シャカシャカシャカシャ〜ン 悪魔〜〜〜〜退治をいたしましょ〜〜〜〜ドカドカドドドドドド 悪魔退治〜〜〜悪魔退散〜〜〜〜悪魔退治〜〜〜〜ドンドカドカドカ〜〜〜〜シャンシャシャシャ〜〜〜ン
    と言うことで、今日は私が住んでいる所の秋祭りなわけであります。
    この地域は現在16組ぐらいにまで分けられていて、それぞれの組が持ち回りで祭当番をするってことになっています。
    当番が回ってくるのは16年に1度って事になるので、それぐらいならイッチョ頑張って見ようかと思ったりもするのですが、16組に分かれるぐらい家が多く、しかも山なども背後に控えていて、その中に点在する家もあるので、かなり広い場所だったりします。
    一時期、私の住んでいる町は「日本で最も人口増加率の高い町」と言う誇らしいのかどうなのか全然判断が付かない記録を樹立した事があります。ハッキリ言ってその頃、関東圏の近郊のベッドタウン化が激しく始まっていたって事なんですけどね。


    [イラスト:酒井政利]
    酒井政利 で、この昔ながらの神社中心の秋祭りで男衆は、獅子舞をして各家庭を周り、前述のかけ声やら太鼓などを打ち鳴らすと言うのが仕事なのだ。
    昔は1つのチームが朝7時の礼砲と共に神社を出発し、途中休憩をしつつ午後2時頃にはぐるっとまわって神社に戻ってきて、酒を酌み交わしガハガハガハと大笑いをして解散となっていたらしいのですが、居住者がかなり増えてしまった為に、2斑に分かれて回ると言うことになっている。
    それでも午後2時に終わるかどうか・・と言う感じなのだ。

    日頃はギネスに挑戦をするかのように椅子にへばりついて、ほとんど歩かない生活をしている私なので、今日は歩くってダケでとんでもない重労働なのだ。その上、棒に太鼓を吊り下げたものを二人で抱えドンドンドンドンッと叩きながら歩くってのは、もう大変な事っす。
    結局、神社に帰ってきたのが午後4時と言う状態で、書くようなネタは山のようにあったと思うのだが、なんだか脳味噌までが疲れてしまってイマイチ覚えていない程疲れていたりするのだ。


    [イラスト:京本政樹]
    京本政樹 たしか途中、昼食の時に同じ斑の人が「祭だ祭だ!」と勢いで日本酒をガブガブ飲み、足腰フラフラになってワケの解らない状態になり、手に棒と刀の形をした拍子木みたいな物を持ちガシャガシャリズムを取る係だったのだが、自販機めがけて突っ込んでいき「おりゃぁぁぁぁぁぁ」とガンガン棒で叩きのめし、店先にあった野菜の種袋を収めたラックをなぎ倒し、周囲の人に押さえ込まれ車で強制送還と言う事件も起こったハズなのだが、もう総てが夢の中と言う状態。

    やっぱし改めて「体力を付けなくてはいけない」と実感しちゃう秋の夕暮れなのだ。



  2002年10月14日(月)大きな古時計


    [イラスト:スガシカオ]
    スガシカオ ♪うぉぉきなのっぽのふるどぉけい、うぉじぅぃさんのとくぇいぃぃぃい〜ぃ♪
    と、いきなり平井堅が歌って、オリコン1位連続4週ですか・・・・意表を突きすぎて凄いよなあ。
    ここ1年ぐらい懐メロのリサイクルが流行っているとは言え、そんな100年以上昔のポピュラーソングと言うか、合唱曲みたいな物を持ち出してしまうってのは。
    で、見事に多くの人がその術中にはまっている。
    たぶん昨今のカラオケボックスでは「大きな古時計」を平井堅になりきって熱唱している人も多いと思う。
    なんせこの曲の場合、カラオケで歌うために必死にマスターする必要ないってのも、カラオケ人にとってもポイント高いと思う。もう日本人のほとんどがDNAレベルにまで染みこんでしまっているメロディライン&歌詞なので、いきなり平井堅みたいに歌詞カードを見ず、目を閉じて歌っても大丈夫と言う曲なのだ。
    でも冷静に考えてみれば、平井堅が歌ってオリコン1位を取ったと言う前提があるから成り立っている状況だと思う。


    [イラスト:クラムボン]
    クラムボン もし、これが平井堅がリリースしていない1年ほど前だったら、カラオケでいきなり「じゃ、俺『大きな古時計』歌います!」なんて言い出すヤツがいたら、周囲は「マジそれ?」「うわ〜童謡かよ、勘弁してくれよ」となって、場は一気に盛り下がったに違いないのだ。
    どんなにいい曲だとしても、カラオケの場で小学校で習った唱歌みたいなものを切々と歌われたら迷惑この上ない。元々ヒット曲だったんだけど「この広い野原いっぱい」とかね。
    現時点では「ヒットした」と言うインプットがある状態なので、何も不思議ではないんだけど、それもかなり変な話だと思う。
    でも、この曲がオリコン連続4週1位なんてのを記録したからって、二匹目のドジョウを狙って童謡を歌い始めるヤツがいそうで恐いっす。


    実はこの曲がヒットし始めた時にメルマガ『知泉』で関連したネタを書こうと考えていた。
    そのネタと言うのが「100年休まずと歌われているが、アメリカの原曲では90年間となっている」とか「この曲がアメリカで発表された時、大評判になり二匹目のドジョウとして続編も作られた」とかって話題だったのです。
    続編ってのは、完全に動かなくなった古時計は廃品業者に引き取られ、分解され、木の部分は暖炉で燃やされ、金属部分は解かされて別の物になったって話なのですが、以前に読んだ本に書かれていていつか書こうと思っていたわけです。
    が、やはりこれだけ話題になった曲なので、メルマガに掲載する前に思いっきりTVで同じネタをやっていた。
    たぶん、今のタイミングでそれを書いたら「あのTV見たんでしょ」と言われるのは間違いない。
    うーむ
    とりあえず「NHKみんなのうた」で評判になった曲なので、すでに紅白歌合戦は決定ですな。

    ※この文章は2週間ほど前に「忙しくて雑記が書けない日用」に書いて保管してあった物ですが、記載するキッカケを失い今に至る。


  2002年10月15日(火)梱包


    [イラスト:漫画家&エッセイスト・夏目房之介]
    夏目房之介 80年代に多くあったコンセプトアート(簡単に言えば突拍子もない事やって芸術だと言い張る芸術行動)のひとつに「何でも梱包しちゃうぞ」と言うものがあった。
    最初は「大きな木」だとか「車」だったりしていたのが、それでは我慢できなくなって「ビルを丸ごと紙袋で包み込んでしまう」とか「塔を丸ごと」とか、挙げ句の果ては「島を全部」とかって大騒ぎな状態にまで発展した。
    結局はバブル期の「カネならいくらでも出す」と言う企業のバックアップがあったからこそ出来た芸術だったみたいで、バブルの崩壊と同時に現時点では無かった事にされている。
    あの当時は金の余っていた企業が「儲けや業績ではなく社会的な地位を高めたい」という、成り上がりの行き着く状態に陥っていて「やはり社会的な余裕を見せるって事なら芸術でしょ」と、そっちのほうの有象無象の芸術家に投資をしていた時代だったのです。
    あの当時も思っていたがあれって何だったんでしょうか?
    とりあえず芸術と称される物には昔から興味があった自分ですが、あの時代に人々が「芸術」と叫んでいた物のほとんどに芸術性を感じなかったので、こんな事をふと思い出して「そう言う時代もあったなぁ」などと懐かしんでみたりする。


    [イラスト:民俗学者・マンガ評論家・大月隆寛]
    大月隆寛 なぜ、いきなりそんな事を思い出したのかと言うと、現在我が家がそのコンセプトアートの真っ只中にあるのです。
    実はこの状況はアートの最中ではなく、我が家の外壁や屋根などを塗り替えたりする大工事の真っ最中だったりするワケで、まず屋根を… と言うことでそれ以外の総ての部分にビニールシートでマスキングが施されている状態なのです。
    この家ってのは自分が20代の時に(今思えばこれもバブル期)えいやぁ!と勢いで建ててしまった物で、いつの間にか築10年と言う状態になっていたのですが、その建築業者から「だいたい家の外壁や屋根の塗り替えなどは10年が目安となっております」と言う話を持ちかけられ、それに従ってしまったのであります。
    話によると塗り替えなどをしないでそのままにしていると、痛みも早くなるので長い目でみたらそのほうが得策ですと言うことなのだが、「最近は新築の家も少ないので、少しでも金を稼ごうという名目ではないか?」とも思ったが、母親がその説明に根負けして塗り替えをする決意をしてしまったのだ。
    現在も家のローンでヒーコラしているのでありますが、そうか10年か・・・と感慨に耽る以前に「塗り替え費用って100万円も掛かるのかよ!」と困り果てているワケです。
    つまりローン以外に年間10万円も塗り替え用に貯金をしなきゃダメな状態。
    100万円あればCD何枚買えるんだよ… などと計算をしている私であった。基本的にサイフの中にある金の計算をする時の単位が「CD何枚分」だったりするんで。
    (3200円計算でCDは312枚、つまり年間31枚… って事は、CDの方に何倍も金を使っていた計算になり、そっちのほうにも愕然としている。)


    [イラスト:ガイナックス創業者・オタキング岡田斗司夫]
    岡田斗司夫 もともと、あんまり凹凸の少ない四角い家なのですが、それが現在完璧に梱包されている。
    とりあえず玄関から中に入る事は出来るのですが、内部に入ると総ての窓は雨戸が閉められてマスキングされいるので昼間でも真っ暗なのです。朝起きた時に何時なのか全然把握できずにボケ〜っとしてしまうのであります。
    それ以上にボケ〜っとしてしまうのが、締め切った家、密封された家の周囲が塗り替えの為のシンナー臭で満たされているワケで・・・なんだか、徐々に頭の中が不明瞭になっていくようなきがする。
    なんせ換気が出来る窓が少ししかなく、どうやってもニオイが逃げてくれづ、逆にへたすればシンナー臭が窓を開けたしゅんかんにどっと押しよせてくるかんんんじなのら。
    子供の頃からプラモデルを作っていたのれ、シンナーには強いハズだが(と言っても袋に入れて吸ったいわ。しなかったけどね)ここまで長時間さらさられていると、なんっだか頭がくらくrしてくるろであったりするのれありmす・
    コウやっtざっきを欠いていても、あんだかまとまったぶんひょうが掛けない感じで、オチはどうしようかなnてわからなくなっtきるのでありmず・
    きょいはもu銚子が÷いのれ、おわりにひたいとおもひまふ。
    あるじゃーのんにはなたう゛ぁを・・・・・



  2002年10月16日(水)口を閉ざす
    [イラスト:犬養毅]
    犬養毅 昨日、北朝鮮に拉致され生存が確認された5名が一時帰国と言うことで20数年ぶりに日本の土を踏んだ。
    空港での対面は、思ったより穏やかな感じなんだけど、その裏には色々な事がありそうな感じなのだ。なんつーか、そう裏を読んでしまわざるを得ない状況がある。
    いわゆるマインドコントロール的なこともあるだろうし、北朝鮮に残された子供などの家族のこともあるだろうし、迂闊な発言はできないので言葉は少な目に、肝心な事は言葉を濁すと言う状況が続いている。
    当然、北朝鮮側は日本のマスコミ報道で何が論点になっているのかは把握しているので、「横田めぐみさんには逢った事がある。しかし日本人だとは思わなかった」と言う方向の話はOKとしたらしい。が、それも不思議な話なのだ。
    北朝鮮から亡命した人の話では、90年代末に確認した所、拉致された日本人は特殊な建家の中に収容され、そこから出るときは車が横付けされ周囲の人とは一切口もきかず、どこに行くにも監視の目があったと言われている。
    でも帰国した人の話では、拉致された人々は普通に生活をしていて、その中で横田めぐみさんに逢ったとされているのだ。さらにドライブに出かけた時にとか、その手の話がでてくる。しかし、相手もこちら側も一切日本人であるような素振りをしなかったので、相手が日本人だとは気づかなかったと言うことらしい。
    しかし、90年代末でさえ収容施設に入れられ監視されていたのに、横田めぐみさんが亡くなったのは今から10年以上前なんだから、そんなに自由に外を歩き回っているハズないのだ。
    当然、収容所の中で逢ったとしたら自分と同じ特殊な環境の中にいる人物ってことで「日本人だ」とか気づきそうなのだが。


    [イラスト:石橋湛山]
    石橋湛山 でも最初の話では軍部の一部の急進的なグループが起こした拉致事件だったハズなのに、平壌(ピョンヤン)の極中心部や北朝鮮のあちこちにその手の収容所があるってのは、どう考えても一部の人々がやっている事じゃなく、軍主導・国公認で大々的に行われている事ってミエミエなんですが。
    しかし表面的には和平に向かって穏やかに速やかに自体は好転しているかのように見えますが、いまだに北朝鮮は裏側でコソコソと暗躍しているみたいですな。
    拉致被害者が帰国した日の真夜中に、北朝鮮から発進された乱数表を使ったモールス信号が傍受されたらしい。70年代から延々と続けられている工作員への司令なんだけど、こんな日にもモールスを打つって事は、現時点で日本に潜り込んでいる工作員がその司令を聴いて何らかの行動をしていると思われるのだ。
    当然、帰国した5人の行動をどういう形かで監視して、北朝鮮にとって困るような発言をしないかをチェックしているに違いないのだ。
    でも、特殊工作員が暗躍しなくても、拉致被害者の行動は逐一テレビで報道されているんですが…。
    しかし未だに乱数表を使ったモールス信号ですか…。
    思わず「CDって知ってるか?」と尋ねてしまった被害者家族の気持ちも分からないでもない。
    答は「馬鹿にすんなよ、それぐらい知っているよ」だったらしいですが。
    因みにCDのデビューは1983年なので、拉致された人の中にはギリギリ知っている人もいるハズ。当然20年前に登場した技術なので、北朝鮮でも存在していると思う。と言ってもあの状況では農村部などではレコードなんかも知っているかどうか(レコードは100年ほど前にデビューですが)
    しかし24年ほど前の日本と今の日本ではかなり色々な事が違っていると思うのだ。

    かつて日本の総理大臣をしていた「森-失言王-喜朗」と言う男がイギリスのブレア首相に耳打ちして「北朝鮮に拉致をされた人々を東南アジアとかヨーロッパの第三国に連れて行ってそこで発見しちゃったってことにしたらいいんじゃないか?」って案はどうっすか?



  2002年10月17日(木)簡単ネットショップ
    [イラスト:ブッシュ(親)元大統領]
    ブッシュ(親)元大統領 この秋はなんやかんやで忙しくて、新作連続ドラマを1本も見ていない。
    もっとも前シーズンも最初から最後まで見た作品はない。「濱マイク」が毎週単発だったので何度も見たと言う感じなのだが、結局12話の半分ぐらいしか見なかったのだ。
    ユースケのやっている「アルジャーノン」も興味があるが、どうも見逃している。
    基本的に自宅で作業をしている時は集中するために、CDを掛けているのだが、集中しすぎて気が付いた時は夜中の1時…と言うことも少なくない。
    (とりあえずニュースステーションは押さえておこうと思っているけど)
    そんな私ですが毎週、テレビ番組関連雑誌なんてヤツを買っている。今となってはテレビを見るためのチェック雑誌と言うより、ネットで構築している情報のネタ本と言う状態であったりします。
    で、その中に「おぉ今の時代だなぁ」と言う広告を見つけてしまった。
    『インターネットの仕組みが判らないあなたでも今すぐネット内にお店が持てます。簡単ネットショップ』と言う物なのだ。
    そのシステムに加入して、メニューに従って自分が持ちたいショップのジャンルを選択し、さらにカタログ化されている商品の中から売りたい物を選択し、それでOK!難しいインターネット言語を覚える必要もありません。お店の商品が売れなくてもあなたの損益は一切ありません。カタログにある商品は有名ブランドの物ばかりなので安心。
    と言う物。


    [イラスト:マッキンレー大統領]
    マッキンレー大統領 それには「お店を立ち上げただけで毎月20万円の臨時収入が!」みたいな、例の「ペンダントを身につけただけで宝くじに当たるし、彼女も出来て、しかも会社でも昇格しました」と言う広告とほとんど同じような状態の無条件に美味しい話が書かれている。
    確かに今「ネットショップを開業して毎月100万円の収入」なんて話をあちこちで聞きますが。
    実際には逆の「ネットショップを開業したけど忙しいばかりで収入もほとんどなくトホホ、時間給を考えたらコンビニでバイトしたほうが割に合うよ」なんて方が多いんじゃないかなぁ。
    でも失敗した人は「恥ずかしいからそんな事なかったって事にしておこう」と口を閉じてしまうので、失敗例はあんまし流れてこない。
    成功例ばかり聞こえてくるのだ。

    実際にその広告に載っている誰でも簡単にネットショップで大もうけってのがありえる話なのか判らないけど、もし誰でも簡単に儲ける事が出来るのなら、その業者がネットショップやりたい人を募集しないで自らやればもっと儲かるのに…。

    人間地道にコツコツ生きましょう。


  2002年10月18日(金)働けど働けど我が暮らし楽にならず
    [イラスト:飯田久彦]
    飯田久彦 忙しい・・・
    昔から「貧乏暇無し」と言いますが、まさに今その状態。
    この御時世「忙しいなんて言っていられるのは幸せなんだよ」などと言われそうでありますが、現在忙しいのは本職の方は少しで、あとの大多数は他の細々とした個人的な事だったり、あんな事だったりするわけです。
    つまりマジに忙しさに追われても、全然金にならないと言う状態。
    根本的に体力低下ってのがかなりこの忙しい状況に拍車を掛けているワケなんですが。
    で、気が付けば、この雑記も停滞しているし、メルマガの方も発行ストップしちゃっていたりする。
    まったくもー!と自分で自分に呆れちゃったりする。
    そんなワケで、今年はずっと忙しいかも知れません。
    もしかしたら来年も忙しいかも知れません。
    気長に雑記の更新を待ってやってください。


  2002年10月19日(土)儲かってる?


    [イラスト:ケリー国務次官補]
    ケリー国務次官補 ノーベル賞なんてものを受賞したがばっかりに、ただの研究員から一躍有名人なってしまった島津製作所の田中耕一氏ですが、キャラが立っている。
    そのお陰で、前日にノーベル賞が決定した小柴昌俊(東大名誉教授)氏なんかはすっかり置いてきぼり状態。
    大騒ぎされたのは授賞が発表された10月8日だけなんじゃないのか?状態で、まさに研究していたニュートリノの「何でもすり抜けてしまう物質」と同様に、マスコミもすり抜けてしまったみたいなのだ。
    しかし田中耕一氏の場合、これまでの、どっかの教授とかではなく「ただの会社勤めをしているただの研究員」って事や、日本人初の戦後生まれの受賞とか、物理化学医学系の受賞者で日本人初の博士号を持っていない人だとか、最初の会見の時に作業服で出てきたとか、見た目がいかにもオタクな青春を送って来た感じだとか、奥さんもいかにも大学時代にアニメサークルとかで知り合ってそのまま結婚してしまった様な感じの人だとか、首相官邸で食事&談話をした後のインタビューで上がりまくっていたとか、色々ネタは尽きません。
    しかも名前もコレまでの「野依」とか「白川」だとかって言う、いかにも研究していそうな名前(よく解りませんが)じゃなく、凄く平凡な「田中耕一」ってのも、ポイント高いっす。


    [イラスト:クリーブランド大統領]
    クリーブランド大統領 で、慌てちゃったのが島津製作所の方で、これまで一介の研究員だったのを5階級だかの一気昇進だとか、田中研究所を別棟に建設予定だとか、慌てまくり状態。
    完璧に理解はしきれていませんが「タンパク質の分子をイオン化させ、質量を倍増させて、それを飛ばし飛距離と時間を計測して、それまで測定不能だったタンパク質の正確な質量を計測する機械の開発」と言うことで、これがバイオや色々な分野に多大な貢献をしているらしい。
    でもって、その測定する機械に関する収入が島津製作所に年間40億円だとか入っているらしい。と言っても会社勤めの研究者はもともと「会社名義で研究している」と言う頭があるので、ことさら自分を主張しなかったりする。
    で、今回のことにより島津製作所は田中さんに特別ボーナスとして1000万円を出すことにしたらしい。この金額が高いか安いかは不明ですが、とりあえず現時点では会社側はそのシステムの収入以外に、ノーベル賞受賞が発表されてから株価が急上昇したって事もあったりする。
    でもって下世話な話ですが、今回の事で田中さんはどのくらい儲かったかと言う話です。


    [イラスト:タフト大統領]
    タフト大統領 まず島津製作所から特別ボーナスの1000万円
    次にノーベル賞の賞金ですが、日本円になおして約1億円となっていますが、今回の化学賞は同種の研究をした3人の連名受賞なので3等分にされます。
    ノーベル賞の規約の中に、同時に受賞できるのは3名までと言う項目があり、文学賞以外は3名受賞がパターン化しています。
    この賞金の分配ですが、以前ノーベル平和賞を受賞した「地雷撤去運動」のグループが、賞金の分配方法で揉めてしまい、受賞後いきなり分裂解散になってしまったと言う、ギャグのような話もあったりします。
    で、今回の田中さんは3等分で約3250万円を受け取ることになります。
    さらに化学賞の場合はバイオインダストリーと言う化学専門機関から50万円が研究費として渡されます。
    現時点で4300万円と言う事になっています。
    で、さらに現在日本政府が「文化勲章を・・・」と考えているみたいですが、これを受賞すると350万円が追加されます。
    文化勲章ってその程度か・・・と思ってしまうのは早すぎます。この350万円ってのは1年分で、実は文化勲章の賞金は一生涯、死ぬまで毎年支払われるのです。つまり43歳の田中さんがあと40年生きるとするとなんと総額1億4000万円も受け取ることになります。
    凄いっす・・・・
    よーし僕も頑張ってノーベル賞を取るぞ!


  2002年10月20日(日)おッかちゃんの為ならえんやコーラ
    タイトルには深い意味がありません。
    なんかノドが渇いたので自販機で何か飲み物を買おうとした。
    その自販機はダイドーのものだったんだけど、その中に「新発売」と書かれた物があった。
    ダイドーにおける「新発売」は名前とパッケージを変えましたぐらいの意味しかないので、さほど心を揺さぶられる物はないんですが、今回はちょっと揺れてしまった。
    と言うのも、ダイドーが出している炭酸飲料シリーズに「mistio」と言う物があるんですが、それまでは「レモン」だったり「グレープ」だったりしていたのが、今回の新発売は「コーラ」なのです。

    コーラってのは基本的にコカコーラとペプシの独壇場で、それ以外のメーカーが発売してもあっと言う間に撤退してしまうと言うのが長い歴史の上で繰り返されてきた。
    そんな中、久々に大きなメーカーの「コーラ」登場と言うワケなのだ。
    で、この「mistio」は珍しい事をやっていて「Gas Vol.」と言う表示をして炭酸がどれだけ含まれているかというのを提示しているのだ。
    いわゆる最近の微炭酸と言う流れの中で「微炭酸つっても、どれぐらいの微炭酸か教えまっせと言う事なのだ。
    とりあえず目盛り4で「強炭酸」と言うことになり、多くの飲料が1〜2ぐらいしか炭酸が含まれていないと言う。
    で、このコーラはやはり「強炭酸:Gas Vol.3.5」だそうです。やっぱしコーラは飲んだ瞬間に「ゲフッ」と激しくゲップをしてしまうようなのが理想なワケで、その判断は激しく正しいと思う。
    早速購入してしまったのだが…

    確かにコーラ・・・・しかし、なんか「飴にあるコーラ味」を炭酸にした様な、なんともはや締まりのない味と言う感じを受けてしまったのだ。
    なんなんだろうなぁ、コカコーラとそれ以外のメーカーの違いってのは。



     


ひねもす雑記