ひねもす雑記
2002年10月21日〜31日


▲2002年10月21日:月:面白くない!(1)
▲2002年10月22日:火:面白くない!(2)
▲2002年10月23日:水:勝ち負けがスベテな人達
▲2002年10月24日:木:ダイブ
▲2002年10月25日:金:幸せな結末
▲2002年10月26日:土:オラ東京さいぐだ
▲2002年10月27日:日:イメージの洪水
▲2002年10月28日:月:消費推進委員会
▲2002年10月29日:火:勝ったが勝ち
▲2002年10月30日:水:寒い
▲2002年10月31日:木:乱闘



  2002年10月21日(月)面白くない!(1)
    [イラスト:天本英世]
    天本英世 まったくよくもまーこんなに面白くない物を誇らしげにサイトに載っけているものだな、呆れちまうぜ。
    しかもサイトオープンが1998年3月だってぇ?それから延々と4年半以上もこんなものを不特定多数の人間の目が触れる所に放置して、おいおい、生き恥をさらすってのは、このことだな。
    作者の顔が直接見えないからって、厚顔無恥にも程があるってもんだ。
    とっとと失せやがれ!

    と言う感想を自分のサイトに放置されている「現代用語の基礎的ではない知識」を読み返して思いました。
    なんといいましょうか、このサイト、基本的にというか、根本的にというか、最終的にというか、私ひとりで5年近く構築し続けて来たんですが、やはり一人ではすべてに気が回らないというか、気が回っていても時間的余裕が無く「やらなくちゃなぁ」と思いつつ手つかずになってしまう部分も出てきてしまうワケです。
    それが、まさに「現代用語の基礎的ではない知識」。

    冒頭であのように書いたんですが、中には今見ても「オレってギャグセンスあるじゃん」と自画自賛したくなるようなネタも若干あるんじゃないかと思いますが、多くが「言い切れていない」とか「古すぎてネタが機能していない」と言う状態。
    なんせ「現代用語の基礎的ではない知識」を書き始めたのがパソコン通信時代の1994年だったりするので、すでに最初のネタは8年も前の物だったりするので、そりゃ古くなって当然なのだ。
    たとえば今読んでいる高校3年生が小学校5年生の時のネタなのだ。まだ阪神大震災もオウム・サリン事件も起こっていない時代の話なのだ。


  2002年10月22日(火)面白くない!(2)
    [イラスト:久石譲]
    久石譲 そのお笑い辞書『現代用語の基礎的ではない知識』は、1999年からはメルマガとして「週に10本以上新作をアップする!」と言う、あいかわらず自分の限界に挑戦するような苦行をやっていたのですが、コンスタントに発行出来ていたのは最初の1年間、その後は色々面倒くさい事件に巻き込まれて(メルマガに記載したネタが盗作だと訴える人とか、嫌がらせとか)徐々に失速し、結局今年の9月に「半年以上発行されていないメルマガは停止します」と言うことで、その歴史に幕を下ろしてしまったワケです。

    メルマガに記載したネタすら、ネット上に反映させる事もせず、ただひたすら放置プレイ。
    それでも時々「お笑い辞書が面白かったです」的なメールを貰ったりするのですが、そのたびに心の中で「今のオレはそんな面白い事を考える余裕もないんだよ。許しておくれよぉ変わってしまったオレを許してくれよぉ草原に寝ころぶオレが好きだったからって、涙拭く木綿のハンカチーフ下さいなんて言わないでくれよぉ」と叫んでいたワケであります。


    [イラスト:マギー司郎]
    マギー司郎 てなわけで、現在その5年近く続いた場所からの完全移転を目指して、サイト内部を整理しつつ、色々なものを読み返していたりするのですが、かな〜り取り扱いに困っちゃいますね。
    確かにあの当時は面白かったハズと言うネタが古びて「考古学的な文章」になっていたり、なんだか恥ずかしいネタになっていたり、ネタをさらに上回った状態になって発酵していたり、腐敗していたりして、中途半端な直しでは全然ダメ状態。

    とりあえず記載した年などが書いてあるので、その辺は読者の配慮に任せるって事にした方がよさそうなのだ。で、新作も徐々に書き加えて「今現在笑えるネタ」も書いておくとする・・・・
    メルマガの方は停止してしまったので、もう一つの「雑学・知泉」の後半の雑記コーナーで時々新作を発表すると言う方向性でいくしかないのだ。

    ついでに「現代用語の基礎的ではない知識・掲示板」もリスタートさせようかと思っている。
    あんまし手を伸ばして、結局何も出来ない状態になると言う恐れもあるので、少し考えつつ行動をするのだ。そう言う意味では自分も成長したなぁと思う秋の夕暮れであった。


  2002年10月23日(水)勝ち負けがスベテな人達
    [イラスト:三遊亭円歌]
    三遊亭円歌 夜、色々な作業をしながらニュースステーションを見ていた。
    と思ったら、いつの間にかうたた寝をして日付が変わっていた。
    で、テレビの中ではさま〜ぁずと優香が出ている「怪しい××貸しちゃうのかよッ!」と言う、かなり怪しい番組をやっていた。

    この番組は時々見ているけれど、春頃に始り今に到るまでずっとタイトル未定で「色々な場所を色々な人達の集会に提供してそれをのぞき見する」と言う、よく判らない内容の番組だったりする。
    初期は「怪しいホール貸します」と言って地下アイドルのファンイベントをやっていたり(超C級アイドルと超C級だからこそ大好きなファン達の集会)、夏には「怪しいビーチ貸します」と言ってホストクラブ主催のプライベートビーチ海水浴とか、やはり超C級アイドルのビーチ水着オーディション(水着と言ってもスクール水着)とか、さらに「怪しい廃校貸します」と言って暴走族とレースクィーンの合コンとかを放映していた。

    文面で書くとあまりインパクトないけれど、普段世に出てこないかなり特殊な偏った人々の和気藹々はなかなか凄まじい物があるのだ。


    [イラスト:桂米朝]
    桂米朝 で、今晩見てしまったのが「暴走族とギャングとレースクィーンの三つどもえ合コン」と言うさらに判らない物。
    興味のない側から見ていると、単車を乗り回してつるんでいる連中(暴走族)と、渋谷センター街で座り込んでつるんでいる連中(ギャング)と、ぜーんぜん区別がつかないんだけど、ヤツラはまったく違う方向性で存在してお互いの存在を疎ましく思っているらしい。

    で、合コンと言っても女の子は無視に近い状態で、結局にらみ合いばかりが続き「(暴)オレらは、おめえらみたいにチャラチャラしてねえで、ビシッと気合いが入っているからよ」とか「(ギ)バイクがないと何も出来ねぇんだろ?」とか「(暴)おめえはらいつもつるんでッけど、一人じゃ何も出来ねえんだろ?俺らは一人の時もビシッとしてっからよ」とか「(ギ)俺らはいつかはデッカイ事やっからよ、おめえらみたいに何も考えていねえようなのは嫌いなんだよ」などと延々と威圧し合いが続いていた。
    どっちもかなりのパーセントでつるんでいて、どっちも何も考えていないと思うんですが。

    結局は、実はどちらも同じ方向性で存在しているからこそお互いが目障りなんだろうな、と言う状態なのは一目瞭然なんだけど、彼らは客観的に見ることが出来ないために、死ぬまで平行線をにらみ合いながら走り続けていくのだろうと思う。
    この手の人は根本的な部分で「相手より勝つ事」が何よりも重要らしく負けを認めるのは死んでもイヤらしいので面倒くさいんだけれど、ある意味単純で判りやすい。

    つまり「オレはお前らと違って」と言う発言の段階でよく判るんだけど「他人と比べて優位に立つ」と言う事が信条だったりするのだ。
    この優位に立つってのは、自分の中で何かを昇華させるって事が出来ずに、常に他人との距離で自分の位置を測らないと不安になっちゃうんだろうなぁと思う。


    [イラスト:柳家小さん]
    柳家小さん しかも根拠の無い自信で「オレはやるときはやっからよ」とか「根性だけは負けねえからよ」とか「半端は嫌いなんで」とかの、昔からこの手の人々の常套句がガンガン飛び出してくる。
    もっと別な事に根性を出して半端じゃないことをやればいいのに・・・・と、学生時代からその手の人々に接するたびに思っていた。

    他人と常に比較して常に優位に立ちたいと思うために、普通の勉強をしている学生に対して「机にかじりついてばかりで楽しいか」とか「そうやって社会の歯車になる勉強ごくろうさん!」などと否定的な態度をとったりするパターンも昔はよくあった(今はあんまり知らないけど)。
    勉強ばっかりしているのが楽しいワケないじゃん。
    そりゃ好き勝手気ままにバイクでも乗り回している方が楽しいと思うけど「将来やりたいことをやる為に」今、根性を出して精一杯、中途半端じゃない勉強をしているんだってば。
    ヘロヘロになっても、さらに机にしがみついて勉強して、自分では無理かと思える学校や資格を目指すのって激しく根性いるぞ。

    いわゆる学校からドロップアウトしちゃった為に「勉強が出来る出来ない程度の事で人間に順位をつけんなよ」みたいな安直な主張で自分を正当化しようと考えているのだろうけど、そのクセ彼らも勉強じゃない物で順位を付けるのが大好きってのは、学校教育の弊害なのかなぁなどと皮肉な感じを受けてしまうのだ。
    結局、他人を否定する事でしか自分の優位性を見いだせないんだろうなぁと、この暴走族vsギャングと言うレベルの低い争いを見て思ったワケなのだ。

    自分が必死で、自分が目指している事を頑張っているのなら、他人なんか関係ないでしょ?



  2002年10月24日(木)ダイブ
    [イラスト:漫画家のやまだないと(女です)]
    やまだないと 朝6時台、出勤の支度をしながら「めざましTV」を見ていたのだが、芸能情報の所で「B-DASH」と言うバンドのライブが紹介されていた。
    ライブは拳をリズムに合わせて突き上げノリノリで盛り上がっていたのだが、それを見てへ〜ぇと思ってしまった。

    とりあえずB-DASHってバンドの音は知っているのだが、以前聴いた時の感想は「どうも古くさい懐かしいタイプのバンドだなぁ。バンドブームの頃に大量にあったパンクと自称しているバンドの1つって感じ」と言う物だった。


    [イラスト:小説家の獄本野ばら(男です)]
    獄本野ばら ま、単純でストレートなのでライブで盛り上がれば楽しい系統のバンドなんだとは思うけど。
    ただ、シングルカットしたと思われる曲(ラジオで何度か聴いた)は、さほど目新しい要素がない曲を誤魔化す為なのか途中でリズムがスローになったり、いきなり早くなったりと言う小手先しか耳に残らないような物だったので、あんまし期待はできないなぁと思っていた。

    結局、去年から今年にかけてインディーズからブレイクしたモンゴル800(モンパチ)なんかも同じように「音が単純で勢いがある」と言う10年前のバンドブームに立ち返った同系列のバンドって感じ。
    で、問題はバンドのあり方ではなく「めざましTV」での紹介。

    『彼らのライブなどでは、客などが他の客の上に飛び乗って御神輿のようにぐねぐねと客が頭上で支えて移動すると言う現象があります。これをダイブといい、今から3年ほど前ぐらいに同じようなインディーズバンドのライブで定着した物です。』
    などと、B-DASHのライブで盛んに行われるダイブの事を紹介していた。
    うーむ3年ほど前から定着したのか・・・って、10年前のバンドブームの末期にはすでにあったような気もするんですが…。(ダイブって名前は付いてなかったと思うけど)


    [イラスト:三瓶]
    三瓶 初期はステージのアーティストが客の波に飛び込んで、ワッショイワッショイと頭上で支えられて動き回ると言うパターンだったのが、次第に客も… と言う状態で変化していった。中にはギタリストがワッショイされながらギターソロを弾いたりしていた。
    聖飢魔IIのデーモン小暮なんかは客席に飛び込んだ瞬間、モーゼの十戒のように客が左右に避けてしまい、床にベタンッと叩きつけられた事があった。これはキリスト教の祟りだとも言われている。

    しかしこうやって、このような視聴率のいいTV番組で、そのような紹介をされると、それが情報の基準になってしまい「ダイブ=3年ほど前に定着」と言うのが答えになってしまうのだ。
    あんなちょっとの情報でも、その瞬間日本中で何百万人と言う人が見ている計算になる。
    きっと今日の昼休み、どっかの会社でいい年をしたオッサンが若い社員を捕まえて「ねぇダイブって知っている?」と勝ち誇った顔をしながら聞いているに違いないのだ。

    「ダイブ?知っているよ、飛び降り自殺の事だろ」


  2002年10月25日(金)幸せな結末
    [イラスト:山下達郎]
    山下達郎 綾辻行人の『どんどん橋、落ちた』と言う短編推理小説集を読んだ。
    推理小説としてトリックなどに重点を置き、いかに読者を欺くかと言う事に主眼を置いた作品、いわゆる「新本格派」と呼ばれる作品を書いてきた綾辻行人氏は「トリックばかりに目が行って、人間が書けていない」などと言われており、その色々な葛藤の末に書き上げた作品集だと書いている。
    その辺はなかなか難しい問題で、一概に「推理小説」と言っても70年代後半からは社会派の人間ドラマが中心となった作品が多くなってしまって、人間の葛藤や社会的なテーマが主流の時代には、昔からあったトリックなど謎解きが中心になった推理小説は「古くさい」と敬遠されがちだった。

    いわゆる「私は人より多く本を読んでいる識者である」と自負しているような人からは「あんなの子供だましだよ」などと馬鹿にされていたのだ。
    自分個人の意見としては「しょせん小説なんて娯楽のひとつだから、そんなに大上段に立って構えるなよ」てな感じで、トリック重視はそれはそれで楽しみ、社会派推理小説もそれはそれで楽しめると思っている。

    で、今回書こうとおもったのは別の話で、この文庫本の解説は歌手の篠原美也子さんが書いていて、その文章で色々考えてしまったことがある。
    彼女は1993年にメジャーデビューをしたんだけど、1999年に所属事務所とレコード会社の契約が総て切れて、いわゆるフリーの状態になったと書かれている。
    つまりハッキリ言えば「売れていないのでこれ以上契約していても会社側としては得る物がない」と判断されてのリストラなのだ。
    その事も彼女はちゃんと書いていたのだが、解雇に到る数年間は「CDを出しても売れず」と言う状態が続き、自分でどんな曲を書いたらいいのかさえ解らなくなって、最終的には自分を恨み、自分が作った曲さえも憎しむようになってしまったと書かれている。
    大好きで始めた音楽で、自分が楽しむために、周りの人を楽しませるために始めた音楽が、プロになった事で売上げや動員数が音楽の目標になり、その後ろにいるスタッフの為に身を削り、解雇されるまでの後半の数年間は苦しみ続けていたという。


    [イラスト:ラブハンドルズ]
    ラブハンドルズ プロになったんなら当たり前、と言う意見もあるんだろうけれど、物を作るのが楽しくて、それで他人が喜んでくれるのが楽しくてという気持で創作を続けていて、それでたまたまプロになってしまった人には色々キツイ物があると思う。
    彼女は解雇されてしばらくは音楽に触れる事も出来なくなったらしいのですが、現在はインディーズレーベルで作品を発表し、自分にとって最も好ましい状態でライブ活動を続けていると書いてあった。

    自分なんかの場合は卑怯な所もあって最初から「好きな創作活動は仕事にしない」みたいな部分があったんだけど、その裏で「より多くの人に楽しんで貰えるにはプロになるしかない」と言う気持もあった。
    もっとも今は昔と違って、サラリーマンをしながらプロ活動していると言う人も多いし、地方に居ても創作活動をして東京などへ作品を電送するなど、状況がどんどん変わっているので、考え方次第で色々な展開も出来るような気がする。
    さらにプロにならずとも、この様な場で作品を発表し、それまでは考えられなかったような大勢の人に見て貰える機会も与えられている。

    音楽関係では長くアマチュアを続けていたメンバー間の結束が一枚岩のように堅いバンドが、プロになったがために1年で解散をし、メンバーの関係もケンカ別れのような最悪菜状態になり、中学時代から延々と続けてきた音楽活動を辞めてしまったと言うのも、今までかなり見てきた。
    そう言うのを見ていて、果たして創作を続けている人のある種の目標である「プロになること」ってのは幸せな結末なんだろうかと考え込んでしまうのです。


  2002年10月26日(土)オラ東京さいぐだ
    『THE RING』
    そのビデオを見た人は、一週間以内に返さないと、延滞料金を払わされてしまう。


    [イラスト:菅野美穂]
    菅野美穂 ちょっと遊びで東京へ出かけた。
    最近はどこへ出かけるのにも自分で車を運転しているので、電車に乗るっては年に2・3回と言う状態なので、キップを購入するときもふと考え込んでしまったり、東京の路線がどのように繋がっているのかさえ心許ない状態になってしまったのだ。
    そう言う意味ですっかり田舎者丸出しで、ウロウロしていた。

    その途中の電車の中でカップルが「この電車でいいの?」「いいと思うんだけど」などと発車直前まで躊躇してドアとホームの間に立っていたために閉まるドアに挟まれるの見たり、天気が寒くなるのか暑くなるのか雨が降るのか降らないのか微妙だった為に半袖Tシャツ男のすぐ横にマフラーまでした女性が立っていると言う変な状況も見たり、発車直前の電車に駆け込もうとして階段の最後の段でけつまずきホームに座り込みながら電車を見送る女性も見た。
    実に電車というのはエピソードに溢れているのだ。

    横浜(正確には保土ヶ谷)で友人O氏と落ち合い、その後ウロウロしつつ某所に住んでいる友人H氏の部屋へ行き、さらにK氏と落ち合い、怒濤の居酒屋呑めや歌えの酒池肉林大会へ突入したのだ(嘘)。
    この東京行きには二つの目的があって、1つはサイト関係でO氏に色々助けて貰おうとしていたのだが、その件は前日に何とかある程度見通しが立ってしまったために、もう一つの目的、友人K氏の個展を見に行くと言うものがメインになった。
    今回集まったメンツは美術学校時代の連中だったので、今までこのサイトで発表してきた似顔絵をプリントアウトした物を持っていき感想を貰おうと目論んでいた。


    [イラスト:驚いた演技の中山美穂]
    驚いた演技の中山美穂 結果として「おおむね好評」と言う状態で、さらになんとなく解ったのが「この似顔絵いいね」とが面白がってくれる作品ってのはそれぞれ微妙に違っていて、その人の興味の対象がどこにあるのか?と言う部分も伺い知る事が出来ると言うものだった。
    文学関係が好きな人や、音楽好きな人、TVが好きな人、ニュースが好きな人。それぞれが色々な所のツボで反応してくれるのだ。

    そうかそうかと思いながら、結局作品の好き嫌いってのは誰がしても正解はなく、誰が評価してもある種的はずれだったりするのではないかと言う事なのだ。
    もちろん書いた本人が「自信作」と密かに思っているモノが全然評価されず「ちょっとね…」と思っているモノが意外にも好評だったりする。
    最終的には「自分の好き勝手にやるべし」と言うこと「ワシが楽しいんだから文句言うな!」と言う図々しい態度でこれからも似顔絵を描き続けるしかないのだ。

    実はこの2週間ほど、雑記も停滞し(文章自体は書いていたが)、似顔絵も停滞していたのは、色々雑多な事に追われての結果だったんですが、それらが何となく自分の手を放れそうな感じなので、雑記は徐々に以前のように怒濤の乱れ書き状態へと突入していく予定なのだ。


  2002年10月27日(日)イメージの洪水
    [イラスト:横尾忠則]
    横尾忠則 土日と東京に出かけたのだが、日曜日の日中は木場駅近くにある東京都現代美術館で開催されていた『横尾忠則の個展-森羅万象-』を見に出かけた。
    横尾というと、自分が物心付いた頃からもうすでにビッグネームだったんだけど、その当時も現在も作品を生み出すペースを崩すことなく、常に進化し続けているポップアート界の巨人なのだ。
    作品の画風や方向性に関して好きか嫌いかと言われれば、かなり苦手な部類に入るのかもしれないが、その圧倒的なイメージ埋蔵量と圧倒的なパワーは認めざるを得ない状態だと思う。


    [イラスト:横尾忠則]
    横尾忠則 その横尾忠則と言う人物の集大成的な作品展で、かなり広いスペースを縦横縦横無尽に使ってこれでもか!これでもか!これでもか!これでもか!これでもか!と作品を展示し、どうだ!どうだ!どうだ!どうだ!どうだ!と有無をも言わせぬ迫力で迫ってくるのだ。
    かつてジミ・ヘンドリックスと言うギターの天才は「ギターを弾き続けていないと、頭の中にあるイメージが溢れ出てきて死んでしまいそうになるほど息苦しくなってしまう」と言って超絶テクでギュワンギュワンとギターを掻き鳴らしていた(結果として精神的な拠り所を薬に求めて、それで死んでしまったが)。



    [イラスト:横尾忠則]
    横尾忠則 それと同じような横尾忠則と言う人物も、自分の中にある押さえきれない衝動的なイメージをキャンバスに 叩きつけてきた。それでもまだ枯れることなく、延々とイメージが湧き出ているのだと思う。
    閉鎖的な部屋の四方が作品で埋め尽くされ、さらに見上げるような高さにまでギッシリと作品が掲示され、閲覧者は横尾忠則と言う人物の脳味噌の中をさまよっているかのような幻想に襲われ、洗脳されたかのように脳神経までヒリヒリと麻痺した状況になってしまうのだ。
    部屋数がいくつあったのかさえ記憶できないほど、部屋を抜けても抜けても、どこまで言っても横尾の世界が続いている。


    [イラスト:横尾忠則]
    横尾忠則 1960年代に書かれた作品も、1970年代も、1980年代も、1990年代も、そして2000年以降に書かれた作品も書かれているテーマや技法は時代によって変化しているが、その求めている方向や空気感は常に熱くパワフルであり続けている。
    閲覧者は精神の安住できる外界を延々と求めて作品の海の中をかき分け進んでいく状態だった。
    展示の最後は、夜更けの街頭に照らされたような三叉路ばかりを描いた大量の風景油絵で終わっていたのだが、もうぐったりした状態で何も考える事が出来ない状態。


    [イラスト:横尾忠則]
    横尾忠則 その最後の「三叉路シリーズ」が、平凡とも言える画材・これまでの内面をさらけ出す作品と違っていて、あくまでも客観的な風景画の連続と言うモチーフの意図する所がどこなのかまで考える余裕はなく、ある意味「早く開放されたい」と言う状態で展示場から出てきた。

    好きとか嫌いとかの範疇を超えて有無をも言わせないと言うパワーは凄いと思う。
    こんな文章では言い表せないほどのヘビーな体験だった。
    とりあえず来年の春先、私は似顔絵をテーマにした個展を静岡の片隅(結局バラ園でですが)で開催する予定になっています。
    どういう形式になるのかは不明ですが、大いなる刺激を貰いました。



  2002年10月28日(月)消費推進委員会


    [イラスト:なんでだろ〜〜〜〜ぉ♪テツ&トモ]
    テツ&トモ チョコエッグから始まった海洋堂製作のミニフィギュアですが、未だにガシガシ色々なメーカーから出ていて、コンビニのお菓子コーナーは玩具コーナーみたいな状態になっている。
    しかも、そのラインナップが子供向けではなく完璧に30代〜40代のいい年をこいた大人向けではないか?と言う状態。
    まったく見透かされているよなぁ などと思いつつ、ついついコンビニに立ち寄った時に意味もなく買ってしまうのであった。

    でも「大人買い」と呼ばれる、一気にどーんと段ボール単位で購入して、一気にコンプリートなのだ、わはははははははは!と言う姿はカッコ悪いよなぁと言うことは何度かここでネタにしていた。
    まさか、身近にいないよなぁと思っていたら、東京の友人が見事に菓子メーカーの策略にはまりまくって「タイムスリップグリコ第2弾はコンプリート」だとか「○○は買わないほうがいい、あれ実は海洋堂製作じゃないんだよ」などと言う状態になっていた。
    おぉ友よ。

    まったくもー!と思いつつ「例のセブンイレブン限定シリーズで今度は手塚治虫キャラクターが始まったんだけどさ」などと聞くと、いきなりフンガーッ!と鼻息が荒くなって「集めなくてワ!」などと思ってしまう私がいたりする。

    P.S.
    その手塚治虫キャラクターシリーズですが、コンビニで見かけたのでついつい購入、1個目が『三つ目がとおる』でした。
    ふむふむ、さすが海洋堂製作、よく出来ているなぁと思いつつ箱に『第1弾』と書かれているので、続きも出るらしい。
    第1弾は『三つ目がとおる』『ブラックジャック』『リボンの騎士』『ジャングル大帝』『ワンダースリー』と言うラインナップ、第二弾があるためにアトムとかは今回のには入っていない。
    で、ついつい毎日コンビニでコーヒーなどを購入するついでに一個づつ購入していたのだが、1個重複しただけで、6個買った所で全種類コンプリート出来てしまったのだ。
    でも、まさか「隠しキャラ」とかってのは存在していないよな・・・。



  2002年10月29日(火)勝ったが勝ち
    [イラスト:あばれヌンチャク]
    あばれヌンチャク 23日の雑記で「勝ち負けがスベテな人達」と言うのを書いたけれど、これはその手の族系統の人ばかりじゃなく、誰の胸の中にも存在しているモノなのかも知れない。
    自分もこうやって文章を乱れ書きしている状況の中で「ふふふ〜ん、オレ様って凄いのであ〜る」的な文章を書いてしまう事もある。
    書いているときはそんな意識は全然なく、いたって客観的な側面から書いているようなつもりだったりするのだが、数日後に何気なく読み返した時、自分の文章に対して「なんだよ、この鼻持ちならない文章は、テメぇぇぇぇやろうってのか?ウキーッ!」と思ってしまう事もある。
    それは根本的な部分で自分の躁鬱の振幅が大きいってのが関係しているんだろうけれど、まったくもってイヤハヤと思ってしまう。

    その手の「鼻持ちならない感じ」とか「他人を見下して優位に立ったつもりになっている」ってのは、個人で運営しているサイトの日記なんかを見ると頻繁に出ている(もちろんここも含めて)。
    確かに、面と向かってしゃべれないような事を「オマエは何様だ?」と言う状態で書けるってのが個人サイトなどの醍醐味なのかも知れないし、雑誌やTVラジオなんかの評論家より躊躇無く書けるってのが、憂さ晴らしになるのかも知れない。

    その手の感情が常に爆発しているようなのが、例の巨大掲示板サイト。
    書き込んだ文章が気に入らなければ、徹底的に見下してバカにする。
    たとえば芸能系の所を覗くと、ありとあらゆる芸能人をこけ下ろして、蔑んで、叩きまくっている状態。
    なんか、精神的に疲れちゃうので「こんな事を言う人が身近にいなくて良かった」と思いつつ、その掲示板を閉じてしまうわけですが、これも「他者を自分より下だと認識して自分の優位性を確認する」と言う行為なんでしょうな。

    その手のモノでありがちなのが(この先差別的な内容が含まれていますがご勘弁を)朝鮮系の人、あるいは部落出身とかいうのをバカにする書き込み。
    前述の芸能版でも「在日タレントを列挙せよ」みたいなノリで、真実なのか解らないけれどかなり多くの人が名指しされて「こいつらはこうやって日本の芸能界でのさばって・・・ウンヌン」などと、口汚くののしるような事が書かれている。
    そうかそうか、そうなのか… と、何も考えないような人はその書き込みに洗脳され(真偽のほどは不確実なのにまるっきり信じ込んで)、次からはその切り口でそれらの文章を別の所で増殖させていくのだろうなぁ。

    そもそも「韓国国籍」だからって、馬鹿にする理由はどこにも存在しないような気もするが…。
    在日の人は日本芸能界だけじゃなく、経済的な部分でものさばって、それ以外の所でも… とか批判的な事を書いてあったんだけど、それを読んでいると逆に「へぇ、つまり日本人より韓国人の方が優秀だって事を言いたいんだ」と思ってしまう。芸能でも優れていて、経済的にも優れていて、島国の日本人を席巻しているワケだから。
    なんか、どんな形でも何かを見下して自分の立ち位置を確認しようとしている人は面倒臭いっす。
    と、自分の場合「他人を見下している人」を見下しているんですけどね。

    ※私は別にその手の差別に全然興味ないっす。っつーか、大昔から続くドいなかの百姓の子孫ですから、見事に身分は低いです。


  2002年10月30日(水)寒い
    [イラスト:いとしこいし]
    いとしこいし まだ10月だってのにムチャクチャ寒い日が続いておりまして、秋物として購入した服を着る機会があまりなく、いきなり冬物へ突入しております。
    しかし、ついこの間まで「あぢー」とか言っていた様な気もするんですが。

    よく日本は四季の移り変わりがあって素晴らしいなどと言われますが、虚弱体質な人にとってはこの上なく苦労の多い国であります。
    と言うか、1つの場所でありながら、夏は夏で日射病(現在は熱中症)になって死ぬ人もいるし、冬は冬で凍死しちゃう人がいるって、思いっきり生活には適していない場所なんじゃないか?と思ってしまう。
    例えば暑そうなイメージのアフリカの赤道直下の国なんかを調べてみると、その殆どが高地にあるために太陽は真上にあっても気温は比較的涼しい。降雨量も少ないのでもちろん湿気もない。夏の盛りでも避暑地並の暑さしかなく、日本でいったら軽井沢みたいな状態らしいのだ。逆に夜はぐっと冷え込むが凍死するほどではない。そんな季候が1年を通して変わりなく続くらしい。
    暑いところは延々と暑く(砂漠なんか)、あんまり寒くなることはないと言う。
    つまり「暑いのが得意」と言うヤツは砂漠周辺へ移動し「寒いのが得意」と言うヤツはそれなりの場所へ行けばいいのだ。

    しかし日本の変化し続ける季候ってのが今の日本人の特徴「長寿」ってのを創り上げたとも言われているのだ。
    つまり季候の変化に耐えうる適応力のあるタイプの人種だけが生存競争に勝ち抜いて、人種的な特徴となったために丈夫な人種として「日本人は長寿」を誇るようになったと言われている。

    丈夫な人種と言う意味では、以前どっかの馬鹿な風見鶏政治家が「日本人は単一民族で構成された優秀な民族」なんて発言していましたが、それはまったく逆で縄文・弥生時代なんかに北から西から南からいろんな所からいろんな体質を持った人種が集まり、複雑に交配を続けてきたんだってば。
    その中から、各民俗の優秀な特徴を受け継いだ種族が誕生(正しくは弱い遺伝子は淘汰された)したのが現在の日本人の源流だと唱えている学者もいる。
    その為なのか、海外からの文化を簡単に受け入れてしまうという特徴も備えている(仏教なんかもそうだし、明治以降の文化を見ればそのまんま)のだ。

    そんな意味で言うと、私なんかは劣性遺伝子が前面に出ているようなダメな人間なので、昔だったら見事に排除されちゃうような存在だったかもしれないのだ。
    そーゆー駄目な人間だからこそ、人間が実際に生活するのに有意義な物を作り出さずに、こんな無意味な物をガシガシ作り続けているのだろうなぁ。VIVA!ダメ人間。



  2002年10月31日(木)乱闘
    [ウド鈴木]
    ウド鈴木 日付的には11月1日の話題なんだけれど、タレントのウド鈴木が盛り場で複数の若者と乱闘になって逮捕されたらしい。
    最初は「噂では酒が呑むとグズグズになってしまうと言われているウド鈴木なので、その席で暴れちゃったのかな?」ぐらいに思っていたのだが、どうやら完璧にウド鈴木が酔っぱらった若者達に絡まれての事件で、最終的にウドが額を6針も縫うような怪我をしたみたいなのだ。

    有人たち数人で盛り場を歩いていたウド鈴木に、5・6人の若者が「おっウドじゃん!」と近寄ってきて、サインをせがんだり、馬鹿にするようにちょっかいを出したりしていたらしい。
    それに対してウドはある程度受け答えながらも「プライベートなので辞めてくれよ」的な感じで対応していたらしいのだが、酔っぱらった若者達はさらにエスカレートしてウドを、ドついたりしていたらしい。
    それを見ていた別の数人の若者グループも集まってきて大騒ぎになってしまい、最終的にはビデオカメラを目の前で回されていたのでそれを辞めろよと取り上げようとした所、若者の一人と小競り合いになって、突き飛ばすような形になってしまったらしいのだ。
    で、それを見た仲間達が集団心理も手伝って、ウド鈴木に一斉に飛びかかり押し倒し、馬乗りになった状態で殴る蹴るの暴行事件となってしまったらしい。

    あくまでもニュースなどで報道されていることなので、どこまでが真実なのかは不明ですが、それが事件のあらましです。
    ウドは大けがをしつつ警察の事情聴取に対し自分の暴行を認めて書類送検となってしまった。

    芸能人の多くがこの手の酔っぱらいなどに絡まれて嫌な思いをした経験があると言われているけれど、特にウド鈴木みたいな「イジメられてなんぼ」「馬鹿にされてなんぼ」的な仕事をしているお笑い芸人の場合は酷いと思う。
    特に馬鹿な若者なんかは、TVでいじめられているのが日常の姿だと思いこんで、いきなりドツイたり、完璧に見下した態度で接してくるらしい。
    TVと現実を一緒にすんなよ。小学生じゃあるまいし。おまえらが馬鹿にして蔑んでいるような芸能人のほうが、お前らより何倍も稼いで、いい生活しているのに。

    でさらに最悪なことにヤツラは「芸能人が一般素人に手を出したら、どんな事になるか解っている?」みたいな状態でちょっかいを出してくると言うのだ。相手が悪くても、こっちが少しでも手を出した瞬間にマスコミが一斉に叩き出すのを知っているのだ。
    馬鹿なヤツに限ってそんな権利を主張してくる。

    ほとんど学校で「先生が生徒に手を出したらPTAが黙っていないよ。即刻解雇処分だよ」などと権利だけを主張して傍若無人に振る舞う馬鹿ガキと同じ思考方向なのだ。権利を主張するなら、義務も果たせって事だ。
    まったく、同じ事故を起こしてもいきなり飛び出してきた自転車より自動車のほうが悪くなってしまうような状態だったりする。
    芸能人といえども、仕事以外の所では普通の人間で普通の市民であるワケで、色々大変なのだよなぁ。

    その事件後、ウド鈴木が釈明とかと言う形ではまったくテレビには出てこない。
    しかし、事件以前に撮影したバラエティなどはそのまま放映していると言うことから、事件に関してウド側にあまり落ち度は無かった思われているらしい。
    ワイドショーなんかでの扱いは知らないが、状況としてはウドは被害者的な立場と言うことで収まったのかもしれない。



     


ひねもす雑記