ひねもす雑記
2002年12月21日〜31日


▲2002年12月21日:土:続いていくのかな?
▲2002年12月22日:日:DVDなのだな
▲2002年12月23日:月:センスが無ければ金持ちになれ!
▲2002年12月24日:火:ドンチャン
▲2002年12月25日:水:クローンベビー
▲2002年12月26日:木:豆豆知泉
▲2002年12月27日:金:日韓(1)
▲2002年12月28日:土:日韓(2)
▲2002年12月29日:日:ジョンレノン音楽祭
▲2002年12月30日:月:演歌
▲2002年12月31日:火:来年もよろしく



  2002年12月21日(土)続いていくのかな?
    [イラスト:有働由美子(NHK)紅白司会]
    有働由美子(NHK)紅白司会 ぼけーっとしたり、どたばたしたり、そんな日々を過ごしていたら、今年もラストスパートに突入してしまいました。
    って、最近はなんだか年末って意識が段々薄くなって入るような気もする。以前みたいに「今年いっぱいの追い込み仕事」と言うのが無くなったせいかもしれないし、本の編集を通して年末はとうの昔に過ぎ、現在は2月や卒業シーズンの仕事をしていると言うことも関係しているのかも知れない。
    なんか淋しい状態なのだ。

    しかし、この数年、色々肉体的にも精神的にもヘビーな時期がありました。
    ま、それらの根本はインターネット上でこのような活動をするって事から発生した物だったんで、「ネット活動なんて辞めちゃえば楽になるじゃん」的な考えもあったんですけど、なんかダラダラと上手にクリア出来ない状態で今に至っています。
    と言う中で、今年は去年夏から続いていた問題も春先に解決し、勢いで書き始めたイラストで新たな方向性を見つけた(それが正解かはまだ見えませんが)、ある意味収穫のあった年になったかもしれません。
    去年の今頃は、精神的にどどーんと落ちて、それに引っぱられる形で肉体的にもダメージがあったワケで、もし何かの宗教でも目の前にあったらすがってしまったかもしれません。でも、私の場合、精神的弱さより「集団生活が面倒くさい」と言うモノが大きくあるので、集団生活的なモノを強いられる新興宗教にはハマる事が出来ないと言う、なんだか良く判らないけれど助かっている構図になっています。


    [イラスト:阿倍渉(NHK)紅白司会]
    阿倍渉(NHK)紅白司会 去年の夏から今年の春にかけては、本当に最大級にシビアな日々を過ごしておりまして、精神のダメージが肉体に影響を与え、肉体のダメージが精神に影響を与え、と言う悪循環で、体調不良を続け、慢性的胃炎をおこし、最終的には検査入院→胃カメラ→流動食の日々みたいな、純然たるどこに出しても恥ずかしくないような病人になっていた時期もありました。
    マジにサイトを閉鎖しちゃっても構わないとか考えましたが、ネット以前の10数年続けてきた無意味な誕生日データ収集が、どうやら多くの人に利用され活用され役に立っていると言う事も痛感していた為に、閉鎖ではなく「誰か続けてやってくれそうな人に引き渡してもいい」と言う方向も考えたりしました。
    でも、地味で面倒くさいこの作業を続けてやってくれる人もいないだろうなぁ(例の疑似サイトを作っていた某氏は地味で面倒臭い作業をやり続ける根性ありそうだったんですが、いかんせん根本的な間違いが酷すぎて・・・)と、結局今に至っております。
    現在も体調はちょっとした事で(気温の変化がキツイ)崩れてしまうほど弱っちい状態ですが、なんとか続けています。
    たぶん来年も続いていくのだ。


  2002年12月22日(日)DVDなのだな
    [イラスト:夏川りみ]
    夏川りみ 夏川りみの「涙(なだ)そうそう」って、ぼけっとタイトル聞くと「我が闘争」って聞こえるよね、ヒトラーか。
    かのボブディランのライブアルバムの初回限定特典が「DVD」らしい。
    他にも来年になって発売されるBoAのニューアルバムなんかも初回限定特典でDVDが付くらしい。
    うーむ、現時点でDVDってのはオマケとして手頃なアイテムになりつつあるのだな。
    確かにCDと同じサイズだし、ディスク原価は怖ろしく安いので、限定特典と言う状態でちょちょいと映像を撮影して付けるだけでも、なんか激しくトクした気分だし、そんなのだって後々レアアイテムに成りうるのだ。
    きっと発売と同時にヤフーオークションには「初回限定!」とビッツラマーク入りで高値で登場するに違いないのだ。


    そう言えば、こないだも本屋で音楽雑誌のコーナーを見ていたら、ギター初心者向けのヤングギター(だと思った)なんかに「これでプロのテクもバッチリ!」と言う付録として、DVDが付けられていた。
    そうか時代はそうなってしまったのかと愕然としちゃいましたね、なんせ自分の時代はペラペラのソノシートが付いていたりするのが精一杯だったんで、隔世の感ってヤツがあります。そのソノシートは今でもレコード棚に大量にありまして、石川鷹彦大先生(性格は悪いらしい)がギターをレクチャーしていたり、鳴瀬やソウル徹やホッピー神山やサイズ松浦や越美晴なんかが演奏したりしている物がある。 激しくマニア向けなので値段は出ていないと思うけど。
    確かにDVDならば、音だけじゃなく指遣いなんかも見ることが出来るので、チョーキングやハンマリングなんかやり放題って感じだと思う。チョーキングの限度が判らず弦をブチブチ切る事もないだろうし、デタラメな指遣いで慣れてしまう事もなくなるんだろうなぁ。
    自分の場合も独学でギターを勉強したので、誰にも真似できないような変な奏法を習得してしまった。


  2002年12月23日(月)センスが無ければ金持ちになれ!
    内村光良(ウッチャン)主演の「恋人はスナイパー2」を見た。
    昨日、昼間ぼけーっとしながら「1」の再放送を見てしまったので、その流れで。って、思いっきりテレビ朝日の思う壺なのだ。
    でも、香港映画なんかって全然見たことないんだけど、ワイヤーを使った動きって、あんなに物理学的法則を無視した動きでもOKなの?自由飛行できるワケでもないのに、空中で方向を変えるのって…。


    [イラスト:福原愛]
    福原愛 先日TVで神田うのを見た。自分が見ている番組ではあまり見かけないので(半分以上が音楽番組なので見かけないのも当然なんだけど)最近はどんな事をしているのかはほとんど判らないけれど、あいかわらずだった。
    その番組では、出演者の名前などを伏せてゲスト芸能人の考え方・生活感・結婚感などを述べさせ、別室にいる多数の独身男性に「結婚したい相手か?」と問うというモノだったんだけど、最悪でした。
    ま、神田うの自身も自分は結婚には向いていないと言っていたので、一般的な男性の結婚観などからは激しく外れているのは当然なんだけど。
    神田うのと言えば、あいからわずバブル期を引きずっているようなブランドやら何やらの話しか出来ない人ですが、それはそれで自分には知ったこっちゃないので、その発言にはイラつきもしないんだけど、話をすればするほど可哀想なほどにセンスのない人なんだなぁと痛感しちゃう。
    ティファニーのなんとか○○万円とか、カルチエのなんとか○○万円とか、プラダのなんとか○○万円とか、確かに凄いんだけど、その自慢をする会話がすべて「これは値段が○○万円で」と言う値札付きなのだ。
    確かにブランドの値段が張るモノは、それなりに良い物だと言うのは認めるんだけど、結局好きと言う価値観が最終的に値段と言う部分だけに集約されちゃっているのってどうなの?って状態。
    つまり、それらの品々に関して神田うの自身の客観的価値観はまったく含まれていないって事。
    つまり、自らが「これはデザイン的に素晴らしい」と言う価値観以前に値段が前に出てきているって事が、凄くダメだなぁこの人と感じしてしまったのだ。(ま、普通に豪華そうな物だったので値段を聞かされなければ「おぉぉ!」と驚く事が出来ない程度の物ってことなんだけど)
    ノンブランドでまったく無名のモノで「これは凄く安かったけど、デザインが好きで」と言うモノが一切出てこないのだ。
    どんな馬鹿でもセンスがない人間でも金さえ持てば豪華な物は揃えられる。
    「だってうのが素敵と思ったモノは偶然に値段が高いんだもん」と答えるのは目に見えているんだけど。


    現在アメリカの経済が落ち込み世界的不況になったと言われていますが、それでも高級ブランド品は売れ続けている。で、その高級ブランド品の約60%ほどが日本人に買われているらしい。
    月収がどれほどだか定かではないけれど、そこらの普通のOLさんでさえ、1個何10万円もするバッグを持っていたりするってのが、あんまし理解できない。
    「リッチな物を持っていると気分がリッチになる」と言う意見もあるんだけど、それってある意味現実逃避じゃん。
    根本的な自分自身にそれだけの価値があるのか?と言う事を考えていくと、ブランドで固められた虚栄心ばっかりの寒々しさを感じてしまうのであります。

    いや、別にクリスマス直前にこんな事を書いて、高価なプレゼント反対運動を展開しようって腹ではないっすよ。


  2002年12月24日(火)ドンチャン
    [イラスト:映画監督・堤幸彦]
    映画監督・堤幸彦 天皇誕生日だとか、クリスマスだとか、年末だとか、なんだか面倒臭いのでダラダラしています。
    しかし相変わらずクリスマスイブって事でみんな大騒ぎしているンすか?
    ま別に消費がちょっとでも上向きになるキッカケになるのかも知れないので、ある意味賛成なんですが、イブって結局「クリスマス前夜祭」なのだぞ。
    正月を考えてみれば「正月前夜祭」って事でそこまで大騒ぎするか?誕生日前夜祭を騒ぐか?と、イチャモンをつけたりする私ですが、そんな意見とは裏腹に世間一般では23日(天皇誕生日)24日(クリスマスイブ)25日(クリスマス)とドンチャン騒ぎの枠が拡大され、更に今年は21日(土曜)22日(日曜)と激しくバージョンアップしちゃっているわけです。
    なんつーか、基本的に、酒飲んで「飲めや歌えの大騒ぎでドンチャン!」ってのがあんまり得意ではないので、忘年会シーズンなんてのも苦手だったりします。
    たぶんこの手の騒ぎ方って1980年代初頭の学生コンパから始まったのだと思うけれど、スナックやら学生コンパ・合コン系列の無意味に煽って盛り上げるようなパターンの飲み方は凄く苦手。
    基本的に私の場合アルコールを受け付けない体質ってのがドンチャンを苦手に思ってしまう一因だとは思うんですが、酒を飲む場でまったりとくだらない話をするのは好きです。
    実際合コンと称する、往年のフィーリングカップル5対5(さらに昔の集団お見合い)の延長線上にあるような場には参加した事がないんですが(らしき物には出た事あるけど)、最近の傾向はさらにイヤな感じになっているらしい。
    あの手の場で「おもしろい」と称される人はただ単に大騒ぎしているだけだったり、その時点で旬なギャグを言うだけの人だったり、誰でも出来るような誰かが流行らせた物まねだったり、実際シラフの時に見たら全然・・・と言うモノが多かったりする。
    って、その手の場所にいっても基本的にシラフなので、観察をして、さらに冷静になってしまう自分が悪質なんだけど。
    誰でも出来る物まねって言うのは、昔なら「森進一」とか80年代なら「デーモン小暮」「サザン桑田」とか、最近なら「極楽とんぼ加藤」だとか。この手の物まねっては物まねタレントがTVなんかでやりだした途端に世間一般の人々も「あんなの俺にでも出来るよ」と真似を始める物。
    物まねを商売にしている人は「誰を物まねするか?」と言う部分で突出しているんで「真似を真似する」のは簡単なのだ。
    などと、どんどん冷静になってしまう私はその手のドンチャン宴会にはやはり向いていないのかも知れない。
    たぶん宴会の場では私は激しく傍観者になってしまうのだ。
    あと人生を説いちゃうヤツとか、自分の不幸な身の上話を語り出すヤツってのも苦手。
    まそんなのにコロリと言っちゃう婦女子も多いので「好き嫌い言わずに習得しなさい」などと思ったりもするんですが。



  2002年12月25日(水)クローンベビー
    なんだか無自覚に時間ばかりが過ぎて、思いっきり年末のせっぱ詰まった状況になっている。 でも、相変わらずまったり進行中。
    氾濫している外来語を日本語で言い換えると言う作業が国立国語研究所によって発表された。(中間発表)
    その一覧


    [イラスト:さかな君]
    さかな君 クローン操作をした子供がどこぞで産まれたらしい。
    いわゆる「人類は宇宙人がDNA操作をして作り上げたモノなのだ」と言い張る宗教団体の仕業なのだ。
    世間一般の考え方は「クローン技術は神を冒涜した行為である」とか「人道的に許されない行為である」とか色々言われていますが、個人的には「よく判らない」と言う状態。
    そんな事を言ったら、それ以前の試験管ベビーなどと言われていた男性の精子を機械的に女性の卵子に着床させるってモノなんかも激しく神を冒涜したりする行為だと思ってしまう。
    遺伝子操作が良いことだとはあんまり思わないけれど、悪いことだとも思わない。

    今までにクローン技術で色々な動物が生まれているんだけど、それに関しては成功しているのか失敗しているのか判らないっす。なんせヒツジなんて、どれも同じような顔をしているしねぇ。
    そもそもクローンで誕生した人間ってのになんか意味を感じないので、その宗教団体の「宇宙人に替わって私たちが新たな人類を誕生させる」と言う部分にも疑問を感じちゃう。
    新しい人類を誕生させるのに「クローン」では「同じ人類を誕生させる」って事にしかならないのでダメじゃん。

    昔からよく言われているのが「ヒトラーのクローンを作る」と言う話題なんだけど、まったく同じ遺伝子を持った人物を誕生させても、実験材料として管理された中で成長したら凡庸な普通の人間にしかならないと思う。
    ヒトラーの場合、母親との死別、画家としての挫折、投獄などの経験から他人に対しての不信感などという後天的な要素が複雑に絡み合って、あんな状態になったのだと思う。
    もしクローンとして誕生した場合、当然周囲はある種実験材料として管理されたまま成長していくと思うし、勉強などに関してもちゃんとした教育を与えられて育つと思うので、クローン云々ではなく、そこそこ頭がよい大人になると思う。
    そうすると「クローン=優秀な人類」と言う図式になってしまうと思うのだ。

    そんな事をせずとも、人類はそれなりに環境に対応して進化していくのだ。
    最近の若い人々は体格も西洋人並みになり、戦前戦中生まれ育ちの人たちの子孫だとは思えなくなっていると言われている。
    それらは子供の頃から肉製品や乳製品を当たり前のように食べているからだと言われている。
    それとは別に最近の若い人の顔つきも昔に比べてのっぺりとしておらず、西洋人化しているとも言われているのだが、これも子供の頃からの食生活が大きく関わっている。
    実は肉などを子供の頃からちゃんと食べている為に、骨を作るカルシウムが大量に取り込まれて、その為に鼻などの軟骨部分がしっかりと作られるので、鼻が高かったりホリが深い顔になったりすると言うのだ。
    そうか、そうだったのか、しかしオレの子供の頃は・・・・と悲観する事もない。

    例えば、我が家の親戚などで戦前にアメリカに移民をした人がいるのだが、その人々(もうかなりの高齢ですが夫婦で健在)が数年前に帰国したときにビックリしたのが、顔つきが純粋な日本人とは思えないようなホリが深い、西洋人的顔になっていた。
    昔の渡米する前の写真で見ると、日本に残った兄弟と同じような顔をしていたのに・・・・。
    つまり、食生活で骨格まで変わってしまうかもしれないのだ。



  2002年12月26日(木)豆豆知泉
    先日バラ園のほうへ「知泉の本売ってますか?」と言うお客さんが訪ねてきたらしい。
    私は従業員では無いので(やはり勘違いしてバラ園の社長がこのサイトを作っていると思っている人もいるみたいです)その現場に居合わせなかったのですが、わざわざ訪ねて来てくれてありがとうございます。
    この知泉の本と言う話題は時々メールなどでも寄せられ「知泉の本は出さないんですか?」と言われ続けて来ました。
    自分自身も基本的に活字マニアなので「いつの日か!」とは思っているんですが、こればっかりは自分でフンガーッ!と思ってもどうにもならないワケであります。これを出版関係の人がいましたら、ご検討お願いいたします。杉村は現在どことも関係ないフリー状態ですので、誘われればホイホイと出版に同意します。いい仕事しまっせ。

    「同人誌」とか「自費出版」と言う方向もあるとは思うのですが、自分の中でそれは自己満足だけで終わってしまうんじゃないかなぁと言う部分があったりします。確かに自費出版でそこそこ売れれば小遣い稼ぎは出来ると思うんですが、それは自分の本意ではないなぁと思っています。

    と言いつつ「そうかぁ知泉の本かぁ」と思っていたので、勢いで本を作ってしまいました。と言っても根本的にへそ曲がりな私なので自費出版とか同人誌と言う方向性とはまったく違う本を作ってしまいました。
    サイズは16.5mm×21mm・厚さ3.5mmと言うかなり小さいもので、500円玉より小さいものです。
    とりあえずメルマガの読者の方に「抽選で5名!」と言うで新年度プレゼント企画にしましたが、それとは別枠で『雑記を読んでくれた方の中からも抽選で5名に』とプレゼントをしたいと思っています。(つまり全部で10冊)
    メルマガの方の倍率より、こっちの方の倍率の方が低くなっていますので、雑記を読んでくれる奇特な人の方が優位だと思います。
    メルマガで応募しちゃった人でも、いいっすよん。
    [この懸賞は終了しました。]

    1月10日に〆切、出来れば翌日に当選者の方にメールで当選を報告いたしますので、それの返信で送付先住所&名前を教えてください。
    雑記枠当選者の発表は、たぶん来年1月11日辺りの雑記内でひっそりと発表したいと思います。

    豆本ってヤツにはコレクターも多数存在していて、豆本市場ってのもあるらしいのですが、現時点ではネットの局地で微妙に名前が知れている程度の知泉の本て事で、プレミアも全然付いていないのですが、これはこの先、杉村の努力で高値になる可能性もあります。
    と言っても、そんなモノの可能性は宝くじで3億円を当てるのより低いかも知れませんが。



  2002年12月27日(金)日韓(1)
    昔は猥雑で騒がしいだけの曲として大人からは嫌悪され、若い世代からは既成概念を壊す曲だとして支持されていた曲が当たり前にCMなんかに使われていて、隔世の感があるっす。
    シェーバーのCMではRCサクセション「キモチE」だとか、スキーとか関係だと思ったけどクラッシュの曲だとか、キムタク出演CMではキッスだとか。
    ビートルズが来日した段階(1966年6月29日)では、今聞くと教科書的でおとなしいポップスですら「騒音」「子供に聞かせたくない」とか右翼まで大騒ぎするほど嫌悪感を示す人が多かったって、今では想像も付かないっす。


    今年は韓国と北朝鮮と関係の深かった年であると言うことで、まず韓国で「日本の首都・東京の場所は?」とか「日本の首相は誰?」と言う質問を街角でやっていた。
    その正解率は90%以上になっていた。

    が、逆に日本で同様に「ソウルはどこの首都?」と言う質問をした途端「えっと・・・北京!」などと激しくとんちんかんな答えをしていたり、「ソウルと平壌(ピョンヤン)の場所は?」とか「南北境界線はどれ?」などと言う問題を出していたが、正解率は激しく悪かったと言っていた。
    もちろんその結果はテレビマジックなんだと思うんけれど、実際もそれに近い状態だとは思う。
    ちなみにテレビマジックってのは多くインタビューなんかをした中から、局側の意図した答えをした人間ばかり集めて編集して、それが代表意見と見せてしまうマジックの事。

    同じように三流雑誌なんかの「若い連中の性の乱れ」と言う特集を組んだりするときに「こんなに最近の女子中学生・高校生は進んでいる!」などと言うことで、多くのアンケートが記載されていたりするのだが
    「えっと中2の時に初体験すませて、経験人数は50人ぐらいかなぁ(17歳)」とか「もう何人か忘れちゃったぁ、エッチなんて日常的な挨拶じゃん(18歳)」みたいな事が書かれていたりする(と思った) もちろんアンケートの中でも突出した答えばかりを羅列しているワケなんだけど、インタビューをしたのが真夜中の渋谷センター街だったりする事もある。

    真夜中のセンター街でブラブラしている女子高校生あたりにアンケートすれば当然の答えだと思うのだ。
    前述のテレビのインタビューなんかも、夜の繁華街っぽいところでのアンケートだったので、当然その手の答えを期待した結果の編集だと思うのだ。

    とりあえず今年は、前半はワールドカップで日本と韓国の距離が縮まったような感じだったし、後半は北朝鮮の問題(これは距離は縮まっていないけど)と言うことで、朝鮮半島との関係が深い年だった。

    そんな中でコンビニで見かけた新製品のカップラーメンですが、韓国の会社が製造して日本の代理店が売っていると言う状態のキムチ味のモノの名前が「チゲ・ラーメン」
    これって本当に韓国の会社が作っているんですか?
    豆知泉にも書いたり、昔から何度も言っているんですが「チゲ鍋」ってのが一時期流行ったが「チゲ」ってのは辛いって意味じゃなく「鍋」って意味なんスけど。
    つまり「鍋ラーメン」って事なんでしょうか?



  2002年12月28日(土)日韓(2)
    [イラスト:タマちゃん(浅草キッド:玉袋筋太郎)]
    浅草キッド:玉袋筋太郎 で、テレビでは韓国と日本とのつながりと言う特集で「韓国の名物キムチはもともと日本人が作ったモノだ」と言う事になっていた。
    「そもそも唐辛子は秀吉が韓国を攻め込んだ際に、加藤清正が目つぶしとして持ち込んだのが最初」と言うことになっていた。

    マジっすか?そんな話始めて聞いた。
    すべての事を知っているワケではないので、完全否定するワケにもいかなんだけど、その番組では元々唐辛子は日本にあったモノでと言っていたんですが、じゃ何故「唐(昔の中国)辛子」なんでしょうか?
    その番組に出てきた歴史学者だかの人は「文献には出ていないのですが」と前置きをして前述の説を述べていた。
    うーむ文献に載っていないのに断言するのか・・・・実は「秀吉の韓国出兵の時に日本へ持ち帰った」と書かれた古い文献は存在しているんですが。

    そもそも唐辛子は日本産でもなく韓国産でもなく唐(中国)産でもなく、原産地は南アメリカだったりします。
    つまり西洋諸国に知られたのが、コロンブスがアメリカ大陸を発見したとされている1492年以降と言うことになるわけです。
    もちろん大陸発見をしたすぐ直後に西洋に伝わったとは考えにくいので、1510年以降に始まった南アメリカ大陸探索以降に唐辛子が発見され、西洋に持ち帰られ、それが中国経由か、韓国経由で日本に入って来たものだと考えられる訳です。
    秀吉の朝鮮出兵は1592年の事なので充分伝達はされていてもおかしくは無いんですが。

    しかし、その番組中ではきっぱりとその「日本から韓国へ唐辛子が持ち込まれた」と言う説が今までの常識を覆す事実として紹介されたような形で終わっていて、出演者も「それは知りませんでした」とか口々に言っていた。
    テレビの場合、一度に何百万人が見ていたりするので(人口1億2792万人なので視聴率1%でも127万人)、それらの人の頭に「唐辛子は日本から韓国へ入った」とインプットされちゃうワケなのだ。



  2002年12月29日(日)ジョンレノン音楽祭


    NHK衛星で「ジョンレノン音楽祭2002」と言うのをやっていたのだが、案の定「ジョンは愛と平和を歌い続けた」と言う部分の大安売り状態。
    いつも、ジョンレノンに関してこの評価で「う〜む」と思ってしまうのだ。
    確かにその手の音楽を幾つも作っていたんだけど、当時は時代がそう言う空気で、他のアーティストだって反戦歌を歌っていたんだけどなぁ。

    その中で「ジョンレノン」と言う元からあるブランドと、もちろん楽曲の良さで今でも聞かれている物が多かったりするので、そんな状態になってしまうのだと思う。
    何故「反戦歌=ジョンレノン」みたいな図式になったのか?と言うと、ジョンの書く詩はひねりがなく直接的なので誰にでも反戦歌として理解しやすいって事なんだと思う。

    たとえばCCR(Creedence Clearwater Revival )の名曲『雨を見たかい』って同時代の曲があるんですが(かつてKUWATA BANDもカバーしていた)、これなんかは実にレトリックを駆使した詩なので、一般的には反戦歌として捕らえられていない。
    詩は「雲一つない晴天の日にだって大量の雨が降ってくる事があるんだ」と言う内容で、ここで言われている雨ってのはベトナム戦争の爆撃弾の事を指している。

    その点ジョンレノンの場合は言葉の使い方が思いっきり「ベタ」なのだ。どっちがいいとは言い切れないけれど。
    ジョンレノンは人気や知名度でもともと突出していたのでムーブメントの中心になりやすいのだが、最初っからそんなブームがあって後乗りしただけなのだ。
    ビートルズ時代もエリナリグビーなどで「ロックとクラシックの融合」とか言われているが、他のバンドがやったことを真似しただけなんだよね。つまり、流行物が大好きなミーハーって事。

    で、この番組を見ていると「ヨーコとの愛を」みたいな部分も大きくクローズアップされていたんだけど、もちろんライブのプロデューサーがヨーコ本人なのでそれ以上の事は言えないのは判るけど…。
    ジョンレノンには、学生時代から精神不安になる性癖のある自分を支え(デビュー直前に結婚)、アイドル的な人気を得た時も存在を知られないように(ジョンは未婚と言うことになっていた)蔭で支え続けたシンシアという前妻、そして長男ジュリアンがいたのだが…。

    そんな人々を裏切ってオノヨーコと不倫の上、強引に離婚をしたと言う過去があるんで「愛を」と言われてもなぁと思ってしまう。
    精神的に共鳴できるヨーコと強く引かれ合ったと言われても、自分の責任を放棄するという経緯があったわけだし。
    さらに公式ではないが、ビートルズ解散後しばらくヨーコとの別居期間があったが、その間はホームヘルパーだった中国人(メイって名前だったような)と再度不倫をしていたハズなのだ。
    で、子供ショーンの為に和解をして… と言う経緯があるので「愛」ってのもなぁ

    きっと身近にジョンレノンと言う人物がいた場合、友達にはなりたくないと思う。
    でも、それを補っても余りあるように楽曲が良いので「ミュージシャン・ジョンレノン」は大好きなのだ。


  2002年12月30日(月)演歌
    [イラスト:島唄のアルフレド・カセーロ]
    島唄のアルフレド・カセーロ 今年の紅白歌合戦の話題の一つに「長年連続出演していた演歌歌手が落選した」と言うこともある。 自分なんかも演歌と言うと、もうここ数年「聞くのは年末の紅白歌合戦ぐらいだなぁ」と言う状態が続いている。
    それは、かつては「夜のヒットスタジオ」にしても、初期「ミュージックステーション」にしても、演歌歌手もポップス歌手も、あるいは海外からのアーティストも、一緒くたにごちゃ混ぜに出演させていたので、否応なしに聞かされていたと言う感じもする。
    しかし、いつしか演歌は「どれを聞いても同じ」と言う印象になってきたような気がするのだ。自分が子供の頃はそれでも、演歌と言うジャンルの中には色々な曲があったような気がするんだけど・・・・。

    と考えていくとなんか演歌がダメになったのは大御所だった古賀政男が亡くなった1978年以降と言う気がしてくる。
    古賀政男って人は日本に「演歌」と言うジャンルを根付かせた人だと自分は思って居るんだけど、古賀政男は今のようにポップスとの明解な境界線を引いて作曲をしていたワケではなく「大人の為のポップス」的な形で曲を書いていたんだと思う。そのために色々なジャンルの音楽を演歌と言うカテゴリーに引きずりこんで幅を広げようとしていたんだと今その楽曲を振り返って感じるのだ。当の本人には演歌なんてカテゴリー意識はなかったと思うけど。

    結局、古賀政男がいなくなった80年代以降は、演歌の作曲家といえば師弟制度と言うことで、師匠の意にそぐわない新人作曲家はデビュー出来ない。あるいは師匠の求めるカテゴリーに矯正された作曲家しかデビューできず、どんどん演歌と言うジャンルが狭い方向へ向かって、新しい道を探さなかったためだと思っている。
    そんな状態だから、かつてフォーク歌手だった連中が作った曲は、演歌の中では目立つためにヒットしやすいという構図になっていたんだと思う。
    ま、歌舞伎や能・狂言のように伝統芸能と言うプライドを肥大させ、現代にそぐわない物になっていくしかないのかねぇ、現状では。
    ついでの古典落語のみに固執する古典派落語家ってのにも同じものを感じる。



  2002年12月31日(火)来年もよろしく
    [イラスト:今年はありがとう]
    てなワケで、激動の2002年は本日で終了です。
    この雑記も去年の7月に休止し、今年の春に復活してから、劇的な変化をして今に至っていますが、なんだかんだ言いつつここまで来ました。
    ラストになってイラストの無い日なんかもありますが、けっこう年末は忙しいのよ。と言い訳をしちゃって勘弁してくださいませ。
    とりあえず年末に「豆豆知泉」なんか作っちゃったりしたのもあるけど、他にトップページが新年バージョンになったり…。

    結局、考えてみると「何故こんな雑記に使命感を燃やして頑張っているか?」と言う最大疑問が存在していますが、ある種のアイデンティティ・自己存在証明だって事で。
    本当は年の最後の最後は、この1年を振り返ってだとか総括的内容になったりするんだろうけど、それをやり始めるととんでもない事になりそうな気もするので、このサイトに関する(及び作者の)今年一年の事を振り返りたいんだったら、この雑記を全部読み返せ!と言う事でよろしく願いたいのだ。

    で、スットコドッコイの私なので、年の最後は紅白歌合戦を見ての感想を少し。

    紅白歌合戦でSMAPが出演するシーンで必要以上に去年は出演辞退でしたが… と言う部分をクローズアップしていたが、稲垣吾郎的にはどうなんでしょうかね?
    で、香取慎吾が「SMAPは五人でSMAPなんです!」と言っていたが、かつて在籍していた森くんの立ち場は?などと考えてしまう。

    石川さゆりの「天城越え」ってあんなに途中にチョッパーベースが入る曲だったの?
    でも、あんなに地味なチョッパーも珍しい。

    中島みゆきが遂に出演したのだが、黒部ダムからの中継。
    同じように中継だった平井堅はアメリカからの中継だったが、ちゃんと会場と中継で会話をしたが、中島みゆきは歌以外まったく喋らなかった。
    もしかして、録画?と思ってしまう状態だったが、中島みゆきの場合、喋ったらその楽曲の世界を無惨に破壊しかねない人なので、喋らせて貰えなかったのでは?と思っている。

    中島みゆきの出演場面に関して感動した事があった。
    別に楽曲的なことでは感動もなかったのだが、実は途中で中島みゆきが歌詞を間違えた。と言うのは画面下に歌詞が表示されていたので誰もが「お!」と思ったに違いない。
    が、さすが技術を誇る国営放送。歌詞を間違えた!と思った瞬間、その歌詞テロップが画面から消えたのだ。
    そして、しばらくしてサビの処で正しい歌詞を歌い始めた瞬間、歌詞テロップが再び表示されたのだ。 つまり、テロップ係の人は冷静沈着にスイッチングして事なきを得たと言う状態。
    ちょっと、この職人技に感動した。
    P.S.
    この中島みゆき出演シーンが58.9%という今回の瞬間最高視聴率を獲得。さらに年明け最初のオリコンでいきなりチャート10位を獲得、発売129週連続100位以内に入っていたが、10位は初。
    P.S.2
    さらに翌週、発売130週目にして遂にオリコン1位を獲得し、チャートインから1位獲得までのスロー記録だった都はるみ「北の宿から」を抜いてしまった。
    そんなワケで、また来年もスットコドッコイ人生はローリングしていくのだ。流れる石にはコケは生えないのだ。バカは死ンだって直らないのだ。
    ビバ!


     


ひねもす雑記