ひねもす雑記
2003年06月11日〜20日


▲2003年06月11日:水:雑学・知泉(仮称)
▲2003年06月12日:木:私にパワーを!
▲2003年06月13日:金:共有財産
▲2003年06月14日:土:似顔絵なんてラララ…
▲2003年06月15日:日:泣いても笑っても
▲2003年06月16日:月:泣きなさい笑いなさい
▲2003年06月17日:火:…っけ
▲2003年06月18日:水:おかしいぞ!
▲2003年06月19日:木:似顔絵を描いていきます
▲2003年06月20日:金:変化するモデル
  2003年06月11日(水)雑学・知泉(仮称)


    [イラスト:ハナメガネ]
      そう言えば以前「似顔絵展の為に全力で走りすぎて、終わった途端にカラッポになって失速しないように、頑張る」と言う趣旨の事を書いていたけれど、思わぬ方向からドツカレて失速してしまった。
    とりあえず生まれて初めての個展と言うヤツだが、ソレによって得るモノは余りなかったのかも知れない。
    悪い意味では色々な物を得たとは思うけれど。
    と言うことで、詳しくは話せない事情があって、このサイトの存続もどうしようかなぁという感じになりつつあります。
    現時点では「エルローザブックス」なんて名前なのですが、その名前ももう見たくも聞きたくもない状態。とりあえず現在は15日以降は『雑学・知泉(仮称ですが)』になる予定ですけれど、その書き換え作業も激しく面倒くさい。
    もう何もするのも面倒くさい。しばらくサイトを閉じちゃおうかとまで考えた。なんせ、書き換えなければ表紙を開くたびに「エルローザブックス」なんて名前が出てくるワケだし。

    なんだかトホホな毎日。イラストも激しくスランプ状態で描けないし。

  2003年06月12日(木)私にパワーを!
    しかし、先日の土曜日曜は思った以上にお客さんが来てくれなかった。(無名の人間の絵画展としたら盛況だったのかもしれませんが)
    静岡新聞で宣伝したのもほとんど反応無し。さらにメルマガ読者&サイト読者と言う申告をしてくれる人もいなかった。
    もっとも、メルマガで7500人ほどの読者がいたとしても、それは全国あるいは海外へも拡がっているわけで、静岡の東部の辺境へ来てくれる人がどれほどいるのでしょうか?
    単純計算すれば静岡で東部の人でも100人近く読者がいるハズだ!などと思うのですが、やはりネット人口的なものは今でも都市部に集中していて、さらに読者の大半が自動車を持っていない学生さんと言う可能性が高いっす。マジに近場の人はどれくらいいるのか分からない。
    思った以上に入場者数が少なかったと言うのは、ただのグチでしかないんですが、自動車を持っていないと行きにくい場所でのイベントと言うことを差し引いても「自分にまだその吸引力がない」と言うことなんだと思っています。
    わざわざ来て貰うと言う事に関して、甘い計算をしていたのかもしれません。わざわざ行動を起こすと言うことは大変な事で、たかがメルマガを読んでいるからと行って、その作者の個展に…と言うのはあまりないのかも知れないっす。
    それと客を呼べなかった大きな要因の一つに「似顔絵展」と言う性質が存在しているかもしれません。
    お越しになって下さった方々はゆっくりと一つ一つを見て、笑ったりしてくれていたのですが、この状況を知らない人にとっては「似顔絵展?なんかつまらなそう」と言うイメージが先行しちゃっていたんじゃないでしょうか?(それ以前に絵画展と言う物に食指を動かす人が少ないのかも)
    似顔絵を描く側からこんな事を言ってはいけないのかもしれませんが「似顔絵って面白くない物が多い」と言うことです。
    有名な針すなお氏とかの絵だって「わざわざ見て楽しいものか?」と言われるとう〜むと思ってしまうものだし、山藤章二氏の絵だってブラックアングルとかの風刺1コマ漫画は別として単純に書かれた似顔絵だけだったら…(その手の単行本持っていますけど、面白いかと言うと…)、和田誠氏の似顔絵も面白いけれど、それがただ羅列されているだけだと…
    そして、そんな有名じゃない自称「似顔絵書き」の人の絵は…。
    実際ネット上でも趣味じゃなく仕事として似顔絵を描いている人のサイトが複数存在していますが、個人的な感想として「面白くない」そして「似てい(自主規制)」と言うことです。
    つまり『似顔絵展』と言う物自体が興味を引かれる物ではないって事なのです。
    ま、とりあえず自分に集客パワーが無いって事が最大の理由だと思います。

  2003年06月13日(金)共有財産
    ある種のあきらめが付いたのか、食欲も徐々に回復し眠れないって事もなくなりつつある。
    色々な問題は、あくまでも主宰する側の問題で、来てくれるお客さんにはできる限りな物を見せなければいけないと思っているので、最後の土曜日曜はちゃんとやろうと思う。
    水曜日に雑記を更新し、メルマガで色々あった事を報告した以降、ネットも面倒臭いと思って繋がなくなってしまった。(と言いつつ、常時接続なのでマックの電源を入れた瞬間に繋がっているんだけど)
    いかんなぁ、5年間サイトを運営してきて、何度か中傷&攻撃をされて精神的に参った時があったけれど、今回のはいかんともしがたい。
    でも、サイトに於ける状況が特殊な物に変わりつつあるので、辞めたり停止したりすることは無責任な事だと思えるようになってきた。
    個人が運営しているサイトなので、諸事情はその運営者の生活に関わっているわけで、いつ辞めようとそれは勝手なのだが、今やこのサイトは「共有財産」的に扱われている節がある。
    メルマガも信憑性の薄い雑学を載せて、クレームを受ける事もあるが、それはそれで日常的な楽しみとして待っている人も多くいるらしい。
    もっとも杉村が勝手にやっていると言う気軽さが無くなってはいけない部分が多いと思うんだけど、それ以上にある種の使命感(悲壮感の漂う使命感ではなく、お気楽な使命感なんですけど)を感じている。
    個人が運営しているサイトなので、いつかは終わってしまうのかもしれないけれど、とりあえず生きている間はなんとか続けて行きたいと思っている。

    アシタ・アサッテはさほど世間から求められていない似顔絵展だけど、頑張ってみるしかないのだ。

  2003年06月14日(土)似顔絵なんてラララ…
    泣いても笑っても今日と明日で似顔絵展が終了する。
    色々あったけれど、その間、見に来てくれた人々や、応援のメールをくれた人々や、色々根回しをして出来るだけ予定していた形で開催できるように走り回ってくれたジョームに感謝です。
    本当はこの週末には、1日のプレオープン時に使用した狭い場所へ移動してショボショボ状態で… となってしまっていたんですが、ジョームが色々働きかけをして広いイベントホールで開催することが出来るようになった。
    やはり人間ってヤツはひとりで生きていく事が出来ないんだなぁ。いくら突っ張って生きていても、何かしらの形で多くの人に支えられ、多くの人の中で生きていくのだなぁと、この似顔絵展を開催している時に痛感しました。
    そう言う意味では、やってよかったと感じる事ができました。ある種、反面教師となってくれた人にも感謝。
    メルマガや雑記読者がどのくらい来てくれたのかは不明ですが(友人関係&会社関係を差し引くと驚くぐらいに入場者少なかったような気が…)、横浜からわざわざ来てくれた方もおりまして大感謝であります。
    今、自分自身はほとんどメルマガとか取っていないんですが、たとえば愛読しているメルマガの関連イベントが横浜辺りであったとして出かけていくかというと… 凄く感謝です。
    しかも、「面白いね」と言う評価だけは貰っていたけれど、全然売れていなかったTシャツの第一号購入者となってくれました。感謝感謝。(私の姉貴とかが先週やってきて「え〜これが2500円なのぉ高いわよ、せいぜい1000円ね」と言ってTシャツをかっさらっていったのはカウントしません)

    昼過ぎに東京より自動車で旧友K氏とH氏、そしてK氏の彼女のEさんがやってくる。
    先日電話で「じゃ、14日行くよ」と行っていた時は、開催場所が別の狭い処になるって話しだったので「あんまし期待しないほうがいいよ」と行っていたのだが、広い場所での開催だったので「凄いね圧倒されちゃう」と感激してくれていた。
    最初Eさんも我が家に泊まる予定だったが、諸事情で日帰りになってしまった。その為に三島駅まで…と言う時に横浜から来てくれたメルマガ読者さんもいたので「じゃ、一緒に三島駅までどうっすか?」ということになって、同乗して帰っていった。

    6時に似顔絵展を閉じ、家に帰る途中にある温泉施設に寄った。
    その温泉で今までの疲れがドッと出てしまい、ずっと頭痛状態でジンジンしてしまった。
    翌日がラストだと言うのに、ダラダラと色々な事を話し夜更かしをしてしまう。
  2003年06月15日(日)泣いても笑っても
    似顔絵展最終日。
    この開催中の2週間、我が家の母親は会場へ足を運ばなかった。というのも前述したように、自動車がないと訪れにくい場所だったし、開催中の土曜日日曜日は朝早くから私は出かけていたし、姉貴も色々忙しくて母を連れて行くことができなかったのだ。
    で、とりあえず1回ぐらい見ておくと言うことで母親を連れ、K氏&H氏と出かける。
    ラストなので「この日ぐらいは客が大量に」と考えていたが、やはり閑散としており、ある意味ゆっくり絵を見ることができる状態。
    一通りイラストを見終わった母親はどうやって帰ろうかと考えている処に、ジャストタイミングで母親の弟(つまり自分にとってはオジサン)夫婦がやってきたので、一緒に帰ることとなった。
    さらに先週も来てくれたM氏が遊びにやってくる。(電話したんだけど)
    自分の友達は東京の美術学校時代の人々と地元の高校時代の人々とまったく共通項もなく存在しているのですが、M氏と東京から来たK氏は15年ほど前に1度逢っているので「おぉ久しぶりです」と言う状態。
    なんか、こうやって考えるとこの2週間は自分を廻る人々と再会をすると言うイベントだったのかも知れないっす。こうやってイラストを描いているというもの、結局の処、色々な人との出会いや別れの産物なのかもしれない。
    つまり、今の状況を前向きに考えると「次への大きなステップを踏むために、自分の足元を確認する」と言う意味があるのかもしれない。
    大きな痛みを伴ってしまったが、ステップの為と考えれば、大丈夫なのだ。
    昼少し前にK氏H氏は帰っていった。
    そしてダラダラとM氏と雑談をしながら過ごす。
    M氏は日曜日ごとにプレオープンの日から3回来てくれているが、この閑散とした状況の中で会話をする相手がいなかったら、激しくキツイ物になっていたに違いないのだ、激しく感謝です。
    そう言えば、この半年間はとにかく休日はこの準備などで時間的にも精神的に追いつめられていて、こんな風にゆったりとした時間の中で、友人と雑談をして過ごすなんて事はあんまりなかったなぁとも考えていた。
    今回のイベントを開催した事によって、旧友と再会し、さらに「そのうちグループ展を開催しようぜ」と言う話も立ち上がってきた。そのグループ展はたぶん東京の吉祥寺周辺で開催しようと言う(あくまでも予定)話しになりつつあるので、今回遠くてと思っていた東京周辺の方々にも見て貰えるのではとか思っています(グループ展なので、一人分の掲載スペースは小さくなりますが)
    さらに、静岡県東部のちいさな新聞ですがそこより「連載できますか?」という話しも頂いた。
    とりあえずイラストで時事的な風刺をと言う話だったのが、冷静に考えてみると「時事的な風刺」なんて事はいままでやっていないので(政治家をちゃかす事はあっても)まったく未知の領域なので「描けないと思う」と言う壁にぶつかってしまったのですが、単純に似顔絵を描くと言う方向でなんとか、期待に添うことが出来ればと前向きに考えている。
    とりあえず、今回の「似顔絵展」というイベントがあって連鎖的に次への展開が始まりつつある。
    メールや掲示板で応援メッセージを書き込んでくれた皆さんたちの励ましもあって、前へ前へと進む気持になれたみたいです。

    午後2時以降、客はさっぱりになってしまったので、6時までの予定だったが、5時頃より片付けを開始する。
    実は最終日のラスト3時間ぐらいは、バッジや絵はがきを投げ売り状態、あるいはバシバシと無料配布とか考えていたんですが、客がまったくいないのでそれをする事も出来ない状態でトホホなのだ。
    思ったよりあっと言う間に撤去終了で、その後M氏とジョームと3人で近くのファミレスで簡単な打ち上げ。
    と言っても私は酒ダメだし、M氏も車なので、本当にコーヒー&ポテトみたいな物で…。その横でジョームは生ビールをグビグビ飲み干している。
    色々走り回ってくれたり、バラ園側に立って奮闘してくれたり、ジョームにも激しく感謝です。

    約2週間、普段では感じる事が出来なかった色々な物を経験させてもらった「似顔絵展」が終了した。
    そして明日から、またこれまでと同じ生活が始まる。しかし、その中で「前向き」と言う物を求め始める生活が始まるのだ。
    ずっげー前向きな私がここにいる。そして私を取り巻く全ての人に感謝感謝。
  2003年06月16日(月)泣きなさい笑いなさい


    [イラスト:矢沢永吉]
    矢沢永吉 ドロドロに疲れている。
    が、基本的に本職があるからこそ、似顔絵やサイト運営が出来るのだ。そっち方面でへとへとになって本職がおろそかになるってのはダメ社会人の烙印を押されてしまうッツーことで、栄養ドリンクをぐびぐび飲んで、むりやり出かけた。
    体力的なヘビーさもあるが、精神的なヘビーさもやはり引きずった状態。
    いったい私のこの半年間は何だったのだぁぁぁ!と言う気分はかなりある。
    と言いつつ、似顔絵展を見ているお客さんには概ね好評だったような感じで、楽しんでくれていたみたいな状態なのだ。


    [イラスト:松本零士]
    松本零士 掲示板の書き込みや、メールなどで「味方をしてくれる人は沢山います」と言う事で背中を押す多くの手を感じる事が出来ました。
    確かに、ネット内でこうやって展開していて、それなりにアクセス数があったり、読者数があっても、それは日本全国へ、さらに世界へと読者はばらけているのだから、静岡東部なんていう局地で開催するイベントへの参加は難しいって事なのだ。
    でもなんか、今まで張りつめていた物が一気に無くなったようで「はぁぁぁぁぁ」と肩から空気が抜けていくような感覚にも襲われた。


    [イラスト:リヒャルト・ゾルゲ(本物)]
    リヒャルト・ゾルゲ で、先日スーパーに買い物に行った時に「ブルボン・懐メロクッキー」と言う物を発見して4種類ほど購入してあったので、それを通勤中に聴いてみる。
    先日「タイムスリップグリコ」の第4弾として70〜80年代のシングルCDがオマケとして付くと言う情報があったけれど、実はブルボンもまったく同じようなコンセプトの商品を出している。
    グリコの方は全部で20数種類で中に何が入っているのか分からない状態らしいが、ブルボンの物はパッケージにシングルのジャケット写真があって中身が分かるようになっている。(全9種)
    もっとも、グリコの方はシングルCDサイズでありながら中袋にちゃんとシングルの穴が開いているし、ジャケットの裏側も完璧に再現してあるらしい(まだ東海地方では発売していない)。
    そんなワケで、購入してあったが日々の忙しさの中で聴いていなかったCDを掛けた。そのなかに「チャンプルーズ:花」があったのだ。
    確かに以前からいい曲だとは思っていたが、今のドツボに落ち込んだ自分にとっては、かなり泣ける曲になっていた。
    ♪いつの日か、いつの日か、花を咲かそう。
    あぁ咲かせてやろうじゃねえか、てやんでぇ!と、私はまだまだ続く苦難の道を走り続けるのであった。
  2003年06月17日(火)…っけ


    [イラスト:6月16日没・享年82・最長寿落語家・春風亭柳昇]
    春風亭柳昇 自分では自分の文体は自然に出来上がってしまった物なので「特徴的」だとは思っていないんだけど、他人に言わせると「どこから読んでも杉村的」なのだそうだ。
    で、とあるサイトの日記でこのサイトを読み込んでしまったと言うことが書かれていて、さらに「そのため昨日からの日記の文体が思いっきり影響を受けちゃっているのだ」だそうです。
    う〜む。
    特徴ある文体というか言い回しと言うので、ずっと10年以上引っかかっている物がある。
    某雑学系文庫本を先日読んでいて「そう言えば、●○●と言えば×××もそんな風にいわれていたっけ。」と書かれていた。
    普通の人はサラッと読み飛ばしてしまう部分かも知れませんが、この言い回しがずっと引っかかっている。


    [イラスト:五代目・古今亭志ん生]
    古今亭志ん生 「そういえば … いたっけ」と言う、何か長い文章を書いたあとのオチとか、ちょっとしたサゲの部分で、1人ツッコミ的に書かれることがあるこのフレーズ。
    これって多分一番最初に見たのが、10年以上前に某ミニコミ誌の中で、なにかの文章のラストでトボケたような感じで終わっていたのだが、実世界で、あるいはそれまで読んできたプロ文筆業の文章の中で見たことがないフレーズだったので、凄く印象に残っていた。
    なんだかボケ方として、上手に説明出来ないけれどイヤな感じを受けた。なんかワザとらしいギャグ的な印象とでも言うか、あまりギャグを言い慣れていない人が「ここはギャグですよ」と、ことさら笑いの箇所を明確にしたような、へたくそな印象を受けた。


    [イラスト:立川談志]
    立川談志 そして、その後、何度もミニコミとか、そっち方面でこのフレーズを見ていたが、さらに1990年頃ニュースでかの連続幼女殺人事件を起こした宮崎某が以前作っていたミニコミ(手書きガリ版誌)が紹介されていたんだけど、そこでもこのフレーズが多用されていたのを見た。
    で、その後パソコン通信をやり始めるようになり、その中でこの「そういえば … したっけ」と言うフレーズを何度も何度も見かけるようになった。
    別にそんな特徴あるフレーズじゃないじゃんとか思われるかも知れないけれど、どう見ても、そこに至るまでの文体からして「したっけ」と言うやや馴れ馴れしい言葉遣いで1人ツッコミをしているのが、浮いて見える場合が多々あるような気がするのだ。
    10年前からずっと気になっているんだけど、やはりこれは何か慣用句的に「文章の最後にやや笑いを含ませて終わる言葉」として確立されているんでしょうかね?
  2003年06月18日(水)おかしいぞ!


    [イラスト:八代目・桂文楽]
    古今亭志ん生 実は似顔絵展なんてのをやった場合、簡易的オフ会みたいな状態になるのではないか?と思っていたが、世の中そーんなに甘くは無いという事が分かった。
    確認できたメルマガを読んでいる OR サイトを見ていると言う人は、本当に一握りって状態だったような感じ。
    あとは、他のイベントに来たついでに、バラを買いに来たついでに、(&友達・会社関係)が圧倒的だったような気がする。圧倒的と言ってもパラパラとしかって状況。
    確かに現実問題として、インターネットが凄くブームになっていると言っても、それを日常的に自宅で見られる人がどれだけいるのだろうか?とか、って話になると、かなりまだまだ感があるのだ。
    だから、今回もお客さんが話しかけて来ても「プロの方?」とか「インターネットでやっているんですか?」とか、そんな説明が多かった。
    そんな感じで、普段接しない人と逢うと、面白い人にも遭遇します。
    夫婦で来ていた、60歳ぐらいのオジサンは「これは君が書いたのか?」と言う、なんだか高圧的な態度から始まり「これ無料で見せちゃっていいのか?」「なぜ金を取らない?」「これだけ書いているのに趣味なのか?」「金儲けでやっていないのか?」と言う、激しく「個展=プロ=金儲け」と言う図式から外れている状態を訝(いぶか)しがっていた。
    さらに「何故タダでやっているんだ?理解できないぞ、何故だ?おかしいんじゃないのか?」などと、怒りを込めたようにブツブツと言いだし、隣りにいた奥さんになだめられていた。
    いや・・・・アンタの怒りの意味のほうが理解できないよ。


    [イラスト:十代目・桂文治]
    十代目・桂文治 確かにお客さんの中には「普段はどこで書いているんですか?」的なプロだと勘違いしている人も多かったんですが、そのたびに「これはあくまでも趣味で」と説明をしていた。
    とある50歳すぎのおばさんも驚いていて「でも、大変でしょう?」みたいな事を何度も何度も言っていた。
    そこで「ま、母親からは道楽者って言われていますけどね」と答えると、そのおばさんは「そうね」と言い切った。
    おいおい「道楽者」って、ダメ人間ってことじゃん。普通そこで返す答えは「そんな事ないわよ」じゃないのか?
    間違いではないが、なんか釈然としないナリ。
  2003年06月19日(木)似顔絵を描いていきます
    [イラスト:吉田茂の孫(朝鮮人の改名問題で発言して…)麻生太郎]
      このサイトを5年間やってきて、ずっと見てきた人でさえ去年いきなり絵を描き出した時には「おいおい、このサイトの売りはそれじゃねえだろ」と思ったかも知れませんが、今や作者である杉村の興味はそっちに移行しております。
    確かに「雑学面白い」とか「お笑い辞書おもしろい」とか「誕生日データおもしろい」とそれぞれに対して応援は貰っているのですが、やはりあくまでも「杉村が趣味でやってんだからさ」と言う部分で勘弁して欲しいのであります。
    「似てもいねえ似顔絵描いてんじゃねえよ、それよかもっと誕生日データを充実して世界1を目指せよ」と思っている方もいるかも知れませんが、そっちも地道にボチボチ行きますので(と言いつつ、今でも新人データは月に100人以上追加し続けているんですけどね)


    [イラスト:ツルコでオマ・笑福亭鶴光]
      そんなワケで、色々ありまして「バラ園」のサイトから徐々に「杉村」のサイトへ塗り替える準備中です。
    とりあえず、バラ園のショップの方は残すのですが(切りバラ&アレンジ・苗販売のみ)、これからの目玉商品は杉村ということになっております。
    杉村の書く似顔絵を見て「!」と思った出版者やTV・マスコミ関係者はガシガシ連絡ください。いい仕事しまっせ。
    と言うことで、私の人生をある意味変えた「笑福亭鶴光」師匠の似顔絵。最近の写真を見てもなかなか若くてビックリしました。
    中学の頃、土曜深夜のオールナイトニッポンは毎週聞いておりまして、それでエロに目覚めたと言う部分もあります。ついでに杉村における関西人のイメージは笑福亭鶴光師匠がベースになっております。
    で、今回写真を捜して色々なサイトを巡ったのですが鶴光と言う名前の読みは「ツルコ」が正しいみたいですな。所属の松竹芸能のサイトでもそうなっていまして、初めて知りました。
    カブセはしてまっか?何色のパンティ履いてまっか?ええのんか?いっくー!


    [イラスト:鈴木宗男&ムルアカ]
      このサイトで似顔絵を描き始めた去年の6月の段階で鈴木宗男騒動は終結していたので書くキッカケを失っていましたが、このたび新潮社との裁判で名誉毀損と言うことで勝訴した記念に、宗男&ムルアカを書いてみました。
    しかし、ムルアカは格闘家になったんでしょうか?
    ついでに一時期タレントとしてバラエティにも多々出ていましたが「背が大きい!」と言う話題以外に面白いことも全然しゃべれないので、それ以降は全く見ていません。
    たぶん最後に見たのは去年の秋のTBS感謝祭に出演して、マラソンで宗男そっくりのアホの坂田師匠と一緒に仲良く走っている姿が最後だったと思います。
  2003年06月20日(金)変化するモデル
    [イラスト:週刊朝日・似顔絵塾的に書いた小池栄子]
      似顔絵というと現時点で頂点とも言えるのは週刊朝日の「似顔絵塾」だと思います。
    それの善し悪しとかは別にして、知名度とかある種の権威的な部分ではやはり、多くの似顔絵描きの目標地点ではあると思います。
    でも個人的には読んでいて面白いけれど、参加したいとは思わないと言うのが正直な部分。
    山藤章二氏の絵は好きだし画集も持っているけれど、やはりあの似顔絵塾はある種、山藤章二と言う人物の好きな方向性という物が見えて取れるわけです。ま、その方向性も一本じゃないと思うけれど、なんかそれをふまえた上で「山藤章二氏に選ばれる絵を描く」という裏テーマが大きくなってしまった様な気も…。
    と言うことで、ある種の禅問答に近くなっているあのコーナーに出すのならこの手法と言うことで小池栄子の似顔絵を。


    [イラスト:なんでスポーツ選手の出たがり妻ってのは… ビクトリア・ベッカム]
      しかし似顔絵ってのが難しいなぁと思っちゃうのが、書かれる人物も日々成長していると言う部分。
    たとえば現在来日中のベッカム選手でも、現在「ベッカム」と言うことで、去年のW杯時の通称ベッカムヘアの絵を描いても「おいおい、今さらかよ」と言うことになってしまう(と言いつつ、有る程度年を召した似顔絵書きの方の新作はそんな髪型だったりするんですが)。
    その横にいるベッカム夫人だって、ベッカム夫人として最近知った人にとっちゃ「なんであんなのにベッカムは惚れちゃったの?」的な存在ですが、数年前はスパイスガールと言うアイドルとしてバリバリにブリブリにメリメリだったワケです。
    確かに最近のビクトリア夫人は「どうしちゃったの感」が強いし、「美容のTBCのコマーシャルに出ている場合じゃないだろ?」という状態。ついでに何故かいつもテラテラと脂っぽい気がする。
    ※スパイスガールズの頃は「Posh Spice:ポッシュ・スパイス(ビクトリア・アダムス)」です。

    [イラスト:石原裕次郎・初期]
      似顔絵を描かれる本人が変わってしまうのはどうする事もできないんですが、たとえば文豪シリーズの似顔絵を描く場合は凄く楽なんですよ。有る程度イメージが固まっていて、それ以上変化しようがないので書きっぱなしにしても大丈夫。何十年先に「新作」と言って発表しても大丈夫。
    ところが芸能人の場合、現役の人はつねに変化している。
    例えば、松田聖子なんかデビュー時と今じゃまったく別人となっている。だから今、デビュー時の顔を描くと、な〜んか違和感がある。
    今回描いた石原裕次郎と言う人に関しても、自分の世代だと「石原裕次郎って「太陽にほえろ!」のボス」というイメージがほとんど(後はムードコーラス系デュエットソングばかり歌う歌手)でありますが、裕次郎世代の人にとっては「太陽族」のアイドルで、何をやらしてもバッチリ決めて、ヨット遊びもドラム演奏もさまになっている。つまり高度経済成長期の目標となっていた若者のオピニオンリーダーだったわけっす。
    だから似顔絵を描くとき、どっちの石原裕次郎か?と言うのは、重要なチョイスになるワケです。


    [イラスト:石原裕次郎・晩年]
      個人的には、デビュー時の時代背景とかは理解できるんですが「何故あそこまで人気があったのか?」と言う部分はあんまし判らない。
    先日も3時間スペシャルとかやっていたみたいですが(全然見なかった)そこまで影響力があったんですか…。
    と言うか、もっと言うと個人的趣味の中に「西部警察」とか「太陽にほえろ!」とかに存在している、ある種特別なダンディズムってのが、全然理解出来ないってのがあります。
    姉貴が「太陽にほえろ!」を好きで見ていたので、その横でぼけーっと見ていた事もありますが、推理物としては弱いし、ドラマ物としても破綻が無い凄く安心感がありすぎる物だったし、やたらと刑事が殉職しちゃうし、う〜んと思っていました。
    ま、そんなこんながありますが、個人的には石原裕次郎と言えば晩年の姿の方がシックリくるのであります。

     


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