ひねもす雑記
2003年7月11日〜20日


▲2003年7月11日:金:お手洗い
▲2003年7月12日:土:市中引き回しの上
▲2003年7月13日:日:感動という名の商売
▲2003年7月14日:月:よろしこ
▲2003年7月15日:火:恐るべき子供たち
▲2003年7月16日:水:リピーター
▲2003年7月17日:木:追いつけないや
▲2003年7月18日:金:コンセプト
▲2003年7月19日:土:妹よ
▲2003年7月20日:日:15年目の復讐

※諸事情で8月末頃まで似顔絵は休止しますです。
  2003年7月11日(金) お手洗い
    どうにもこうにも時間の経つのが早すぎる。
    今年に入って、ずっと展示関連で追われ続け、それが終わっても色々な事でずっと忙しい状態を続けている。
    それ以前からも「忙しい」と言うのが口癖のようになっていたので、なるべく言わないようにと思っていたのだが「その当時の忙しいなんてのは全然忙しいってのには入らないよな」的な忙しさの中にいる。
    とりあえず現時点では、ネット上にはその忙しさが見えない状態の水面下の忙しさなんだけど、本当に大変なんすよ。
    雑記更新が遅れているのは、それもあったりするワケです。

    御手洗コミック
    その忙しいってのは自分の本職以外の所でもあったりするワケですが、そんな時でも本職はちゃんとこなさなければいけない。
    で、先日から漫画のフキダシを色々編集すると言う作業をしている。昔ながらの漫画だったら、あまり苦労はないんですが、最近の漫画などはフキダシごとに文字の大きさが微妙に違っていたり、書体を目まぐるしく変えたりしていて、なかなか大変なのであります。
    で、某出版社の仕事なのですが営業から入ってきた袋に「お手洗いコミックス」と書かれてあった。
    え?お手洗い?トイレに関する漫画なのか?と思って開いてみたのだが、その中にはトイレに関する記述は無い。うーむ。
    その仕事を手渡された時も確か上司が「おてあらいコミックス」と言っていたので、何故なのか不明なのだがそんな名前なんだなぁと、納得させて作業に入った。
    で、判明したのが主人公の苗字が「御手洗」と言う物でした。
    あの… この「御手洗」って苗字の読み仮名は「おてあらい」じゃなく「みたらい」なんですけれど…。
    確か、今はどうか分からないけれどキャノンだかの社長がこんな苗字じゃなかったっけ?

    金曜の夜「ニュースステーション」の次の枠で高橋克典主演のドラマをやっていた。(東京チャンネルだけかも知れないけど)
    なんやら普段はお人好しの情けない男だが、実はその裏では正反対なピカレスクで強面の人格が… って、それ2年ぐらいまえに高橋克典が仲間由紀恵とやっていた「FACE」ってドラマもそんな設定じゃなかった?(ちゃんと見ていたワケじゃないので、詳しくは知らない)
    当時「FACE」と言う短い英単語だけのタイトルで意表を突いているなぁと思っていた。
    で、この間まで仲間由紀恵が主演していらドラマのタイトルがもっと意表をついた「顔」。
    しかし、この金曜深夜枠は昔の大映ドラマ並に「その設定無理があるんじゃないか?」とか「出演者の演技がなぜそこまでわざとらしいの?」と言う作品のオンパレード。
    前作の菊川怜主演のもちょっと見たけれど、凄く濃い演技をしているドラマだった。
    (この時間枠があなどれないのは仲間由紀恵の「トリック」とか、釈由美子の「スカイハイ」だとか、優秀な作品も時々紛れ込んでいるので)

    TBSでは堂本剛・広末涼子・内山理名の『元カレ』の再放送を深夜枠でやっていた。
    って、6日にやった新番組の再放送をいきなりですか。そこまでして視聴率を取りたいのかぁ・あるいはテレビ局がBS放送制作に慣れきって、頻繁な再放送に鈍感になっているのか。
    どうやらこの再放送は今回だけで「第2回からはちゃんとした時間帯の本放送を見てね」ってことなのか。
    見ないけど。

  2003年7月12日(土) 市中引き回しの上
    信号が赤になったのに止まれなくて、結局信号無視してしまいました。M岡くん御免なさい。

    犯人が中学1年生だったと言う、屋上から幼児を全裸にして投げ落とした衝撃の事件。
    その事件の後、○○○が「あのような事件は親にも保護者としての責任があるワケで、被害者の親をテレビに出すのと同じように出して顔をさらす必要がある」と言うことで「市中引き回しの上、打ち首も当然」とか言ったことで問題になっている。
    勢いで、時代劇的なニュアンスで言ってしまった言葉だというのは理解できるけれど、実際にそれを言っちゃダメだよなぁ
    ま、確かに被害者の親がテレビで追いかけられ逃げ回らなければいけない状況は変だと思うけれど、加害者の親の顔をさらすって事は当然、加害者少年の特定に繋がることになっちゃうので、現行の少年保護法で問題ありです。

    でも、この少年法っても結局は「俺は○○歳だから今犯罪を犯しても逮捕されない」みたいな考えを根付かせるだけにしかならないってのは感じます。
    そのくせ「どんな小さくても人間としての尊厳を」とか、権利とかだけはイッチョ前に待っているんだよなぁ。
    「義務はないが権利はある」ってのはダメな人間を育て上げるだけでしょ。でもって、少年法に護られているって事を考えていくと「まだ一人前ではないので善悪の判断が乏しく…」って事でしょ。
    つまり、その時点で親の管理化に置かれていると認識されているんだから、少年自体はそれなりの施設に入るとして、親もそれなりの刑罰を受けるってのは当然だと思います。
    動物に例えると問題ありですが、飼っていた犬が他人に噛みついたら当然飼い主が罰せられるんだし。
    確かにこの手の犯罪によってその加害者の家族が刑罰以上に周囲から迫害されたり、社会的制裁を受けると言うのはよくある事なんだけど。
    かの幼女連続殺害事件の宮崎勤の家なんかも地元の名士だったハズなのだが、すでに一家離散であの当時家が建っていた場所は更地になっている。
    他の少年が起こした凶悪事件の家族は、親が離婚、引っ越し、と言うのがいくつか報告されている。
    だけどそれは家庭で管理しきれなかったと言う、当たり前の事が出来なかったためのツケなんじゃないかなと思ったりするのだ。

    最近は中学・高校なんかで事件が起こるとすぐ学校側が謝罪会見をして「監督不行届でした」みたいな事を言うが、問題の多くは学校が作ったんじゃなく、家庭が作ったんじゃないのかとか思うのだ。
    ま、だからと言って犯罪を犯すと「あそこの家は片親だからね」みたいな、紋切り型で犯罪に至る原因を推測しちゃうってのも間違いだと思うんだけど。
    子供も確かに1個人ではあるんだけど、「まだ一人前じゃないので」と法律で規定されているんだったら「その監督権は家庭にあり、監督者である親は加害者の子供と共に罪を償う事」ぐらいに考えていかないとダメじゃないかなぁ。
    何にしろ「自分でケツを拭く」と言う事を考えていないとダメだと思うのだ。
  2003年7月13日(日) 感動という名の商売
    今朝は地域活動で堤防の草刈りがあったのだが、昨夜から連続するザンザン降りの大雨。
    当然中止になったので良し良しなのだ。
    と言いつつ結局来週が草刈りになるので、逆に言えば3連休の真ん中に… と余計イヤな状態になっているんですけどね。

    ずっと前に『盲導犬クイールの一生』という本の宣伝文句に関して「ベタな感動の押しつけ」と言う事を書いた。
    その作品を読まずに書いているので、きっとそれを呼んで号泣した人にとっては「血も涙もないヤツ」と思われてしまうかもしれませんが、とにかく感動作だったとしても宣伝段階で「感動できます。涙が止まりません」みたいな事を大前提に押し出したってのが、好きじゃないわけです。
    個人的には、何度見ても、ストーリーを知っているクセにラストの部分で泣きそうになってしまう映画ってヤツも存在しているんで、それなりに一般的な泣きの感性は持っていると思うんですけどね。
    その『盲導犬クイールの一生』ってのは、出版社の思惑通りにヒットしたみたいで(作者は泣かせる=売れるという図式で書いた作品では無いと思うけれど・思いたいけれど)、現在NHKで連続ドラマ化されている。
    基本的にドラマを続けて見るような生活習慣がないので、NHKの番組案内でチラッと見るだけなんですが、そこでもやはり「感動の名作」扱い。
    確かに原作がそうだったんだろうけれど、自社で作っているドラマを放送中から「名作」と位置付けるのもどうかと思います。

    で、出版業界の話に戻ると、この作品以降当たり前のように、盲導犬ネタの本がいくつも出ている。
    それは恒例のパターンなので「ふ〜ん」状態なんですが、最初の『盲導犬クイールの一生』の出版元・文藝春秋も負けてはいない。
    『クイールへの手紙』『クイールを育てた訓練士』と言う関連本を出している。
    訓練士の話はまぁ「ありかなぁ」とは思うんだけど『クイールへの手紙』ってヤツがどうにもこうにも…。
    この本ってのは、『盲導犬クイールの一生』を読んで感動したと言う読者からの手紙とクイールの未公開写真をまとめた本。
    読書アンケートハガキってヤツがハードカバーの本なんかには挟み込まれているんだけど、それを使ってさらに商売するかぁと思ってしまうのだ。もうこの本は最初にあった「どうしても書きたかったので書いた本」と言う趣旨とは激しく逸脱して「感動って金になるからね」状態なんだと思う。
    ま、それをさらに求める読者、自分が経験した感動を共有したい読者ってのが存在するから成り立つ物で、それは出版業界的には悪いこっちゃないと思う。
    でも、なんか興味が無い側からしてみたら「あざとい商売」としか思えないのだ。

  2003年7月14日(月) よろしこ
    河川愛護月間と言うことで、大阪の道頓堀川の底をさらって大量の自転車などを引き上げた。
    太田房江大阪府知事は「あくまでも河川愛護月間なので」と言っているが、これはどう考えても阪神優勝を見越した川掃除だよなぁ
    とりあえず「飛び込むために綺麗にしているワケではありません」とか言っているんだけど、なんせ前回川を綺麗にしたのがワールドカップ直前だもんなぁ、これはどう考えても「お祭り好きの大阪人が飛び込むキッカケになるイベント」の準備としか思えないっす。

    ジャズサックスの巨匠ベニー・カーターが12日に亡くなった、享年95。
    ベニー・カーターといったら、ハリウッド映画の音楽制作に一番最初に参加した黒人と言うことで、ジャズ界だけじゃなく、黒人音楽の世界でもとにかく功績のあった人。
    ご冥福をお祈りいたします。
    と思っていたら、ブエナビスタ・ソシアル・クラブに最長老として参加していたキューバの伝説的歌手コンパイ・セグンドも亡くなった。こちらも享年95。
    本当につい最近までバリバリ現役でやっていたって状態なのだが、ご冥福をお祈りします。
    95歳かぁ、まだまだオレなんてひよっ子だよなぁ、先は長いぜ、自分なりにどこまでジャンプ出来るか頑張るしかないのだ。

    なんだか木村拓哉と言う人物が苦手なのである。
    スタイルのバランスは良くないと思うけど、確かにねカッコいいと思うよ。
    でもなんか世間の評価とは違って「そこまで凄いか?」と思ってしまう部分がずっとあった。ドラマを見ても(全話見通した事はないけど)いつも同じ演技としか思えないし、役柄も常に予定調和的になんだか凄い人って感じのモノばかりのようで…。うーむなのだ。
    で、最近思ったのは、苦手なのはなんかね「超人気者の俺だけど、一般人と変わらないんだぜ」と言うスタンスを、その言動から感じちゃうからなのかなと言うこと。
    「一般人と変わらないんだぜ」と言うことは別に問題じゃなく「超人気者の俺」というのが凄く自覚の中にあって、それが常に大前提としてくっついている感じがしちゃうのだ。確かに超人気者なんだろうから仕方がないのかもしれないけど。
    「超人気物の俺」が普通に買い物行っちゃうんだぜ的な感じ。
    「超人気物の俺」が普通に出来ちゃった結婚するんだぜってのは予定外だったと思うけれど。
    それとマスコミ側が、異常に有り難がったり、崇め立てたりする感じも苦手なのかも知れない。
    ま、ジャニーズ事務所に所属しているって段階で、何につけても「機嫌を損ねないように」的な扱いなので、それはどうしようもない部分なのかも知れないっすけどね。

    そんな事を思ったのは、嫁の工藤静香が「アンパンマン」の声優をしたと言うのが大々的に朝の番組で紹介されていて、娘がどーのこーのとか語っていたを見て。(そう言えば、工藤静香の子分と言われる酒井法子も出産後すぐの仕事がアニメの声優だったような気がする)
    その時のテレビ局側の接し方が、ただのお母さんタレントの工藤静香ではなく、言葉に出さなかったけれど「木村拓哉の妻・工藤静香」的扱いだったのだ。もう、最大限に注意をして下からヨッコラショと持ち上げたようなインタビュー。
    しかし、当然のようにその言葉の中に「木村拓哉」と言う単語は出てこない。誰でも知っているのに、その家庭的なイメージはNGワードなのだ。工藤静香サイドはOKだとしても、木村拓哉サイドでは。
    しかし、現時点では着実に工藤静香は結婚によってランクアップした扱いになっている。
    本当はもっと公の場で「アタシの旦那はキムタクなのよ、どう?」って発言したいんだろうなぁ。なんせディナーショーでいきなり「最後の曲は、らいおんは〜とです」と言い放ってSMAPの曲を歌っちゃうような状態なんだもんな。
    もっともっと利用して、芸能界の婦人列伝のトップに君臨したいんじゃないかなぁ。(黒澤明の息子の嫁と言う座を林寛子が降りたし)

    ジャニーズのタレント全般なのかも知れないけれど、木村拓哉ってドラマに出演してもなんか汚れた部分はあんまり無いよねぇ。悪役的な役を演じてもどっかしら綺麗な部分で収まっている感じがしちゃって、悪い事をするのにも実はそれなりの理由があるみたいな。(例外として「ランチの女王」に出ていたV6森田剛は、チンピラと言う役が冗談抜きにサマになりすぎていたが)

    もう、一時期ほど木村拓哉という存在は世間でありがたがられていないと思うんだけど、どうなんでしょうか?
  2003年7月15日(火) 恐るべき子供たち
    12歳の少年が幼児を裸にしたり、そしてビルから突き落としたり…、色々複雑で根深い問題を抱えた事件だと思います。
    あいかわらず基本的なことを理解出来ないお馬鹿さんな政治家が「じゃ、少年法で刑事責任を負える年齢を「12歳以上」に引き下げようか」なんて言っているらしいけれど、何も解決しないよ。それじゃきっと数年後には小学生の凶悪犯罪者が出てくるだけ。
    あの中学1年生は、結局の処「意味不明の犯罪」じゃなく、そう言う形で性に目覚めてしまったんじゃないかなと思ったりもする。迂闊な事は言えないんだけれど、中学1年生辺りってのは、小学生の頃と確実に違うのは、女子に対し「性的に自分と違う存在」と言うのを確実に感じて、処理しきれないモヤモヤを抱え始める年齢だと思うのだ。個人差はあると思うけれど、自分のケースを考えてみるとね。
    それが、ある種屈折した形なのか分からないけれど、幼児、しかも男子ばかりに目が向いてしまったのかもしれない。性の嗜好性ってのは計り知れないからねぇ。
    テレビでは少年の家庭環境が関係しているとか、学校の転校が多かったとか、母親が溺愛していたとか、そっちをクローズアップしているけれど、性的嗜好は計算しきれない部分が多い。
    別に普段真面目だった人が性犯罪を犯しやすいのかって言うのも間違いではあるけど(報道される場合、普通の会社員が性犯罪おかしてもネタにならないので、教師・医師・警察官などの場合ばかり報道される。そのため偏った印象になってしまう)真面目なのに屈折した人は多いとは言われる。

    今回、言われ始めている「12歳に引き下げようか」って話なんだけど、この12歳ってのは今から6年前に神戸市須磨区で起こった「酒鬼薔薇事件」の時の犯人が14歳の少年だったので「刑事罰に問えない」と言うことで、いきなり「じゃ14歳以上は問えるようにしよう」とそれまでの16歳から引き下げたもの。
    果たして12歳に対して「世の中の仕組みを理解しておらず、物の善悪が分からない」と言う言葉が適応される物なんでしょうかね。もし12歳で善悪が理解出来ないヤツがいたら、それは確実におかしい。
    その酒鬼薔薇少年だって、もう6年が経過してすでに20歳。報道はされていないけれど、すでに出所してどこかで普通に生活しているとも(とりあえず年内に出所するらしい)噂されている。
    病む終えない事情で殺人に至ってしまったというワケでなく、あくまでも「快楽殺人」として犯罪を意図的に犯して、さらにその犯罪をマスコミを初めとした多くに挑戦状として公開した犯罪者です。
    結局、この殺人はある種の快楽を伴うエクスタシー的な行為だと思われるので、難しいことなんですが、表面上は反省・謝罪と言うスタンスを取っていたとしても、脳が覚えてしまった快楽と言う信号として永遠に残るものだと言われている。
    よく、麻薬なんかをやった人が更正したと思ったのに、結局再犯で逮捕されてしまう事があります。あれは確かに更正施設なんかで禁断症状を乗り越えて、スッパリ縁を切ったハズなんですが、実は「脳」ってヤツは一度覚えてしまった快楽を永遠に忘れる事がないらしい。
    つまり、普通の人がエッチをする時の快楽を10だとして常に10の快楽で満足出来るのに対して、麻薬でもっと深い100程の快楽を経験した人は10程度の快楽ではぜんぜん満足出来ない体になってしまうと研究で導き出されている。
    だから、快楽と言う形での犯罪に手を染めてしまった人は、その快楽をどこか脳の片隅で要求しつづけてしまうらしいのだ。
    きっと、12歳の少年は酒鬼薔薇と同じように数年で出てくるのだと思うけれど、その先はずっと続く闇の世界が待っているのかもしれない。

    そんな中、某小学校で忘れ物を頻繁にしている児童に向かって教師が「忘れ物が多いと、裸にして捨てたり、突き落としたりするゾ」と言ったらしい。
    凄ぇファンキー、ロックな魂はまだ死んでいない!っつーことですね。ROCK IS NOT DEAD
    と言うか、自分が子供の頃は教師なんか、子供に人権があるなって思っていないような扱いをしていた先生もいたような気もするが。

  2003年7月16日(水) リピーター
    電車だかで痴漢をしたって事で罪に問われていた男性が無実を訴え告訴していた。
    そしてその事に共感して多くの人が参加した形で「冤罪事件を考える会」と言うのが出来、それが大いに盛り上がっていたらしい。
    で、結局その最初に痴漢として訴えられた人は先日、裁判で無実が証明出来なかった。
    もちろん、こんな事で諦めるワケにいかないので、さらに無実を訴える市民運動として続いていた。
    で、先日その代表者(最初に痴漢として訴えられた人)が電車内でカメラ付き携帯電話を使って盗撮をしていた処を現行犯逮捕されてしまったらしい。(この手の犯罪での現行犯逮捕者は去年774件だったそうで、それの2倍3倍以上逮捕されていない人が存在すると思う)

    おいおい、結局そうだったのかよ!と言う形で支援者は裏切られて終わってしまったのだ。
    今度の盗撮で捕まった時、その男性はいきなり携帯電話に撮影されていたと思われるデータを全消去し、さらに携帯電話を折って壊したという。
    明らかに「やってました」と言う状態の証拠隠滅なのだが、今回も「えん罪だ」と言っているらしい。
    おいおい、携帯電話を壊した行為をどう理由づけるんだ? 前回の痴漢がもし本当にえん罪だとしても、こんな事をしていたら全て信じられなくなるぞ。
    たぶん、この時の盗撮以前からやっていたんだろうなぁ、そしてそのデータが携帯電話の中にギッシリと残っていたのでは?
    実はこの事件を起こした時は「痴漢冤罪事件を訴える」と言うビラまき集会をした帰り道だったという。

    う〜むと考えてしまうのは、かの田代まさしの時と同じだなぁと言うこと。
    この手の屈折した性的嗜好ってのは反省程度じゃ直らないって事は昔から心理学などでは言われていることで、どんなに過去痛い目を見ても再犯してしまうと言うことなのだ。
    この場合の性的嗜好ってのは「見知らぬお姉ちゃんのお尻を触る」とか「女子高生のスカートの中を見る」って事が興奮材料ではなく、本編は「見つかってしまうかも知れないスリル」の方だと言われている。
    だから田代まさしなんかの場合も「有名芸能人であるオレが捕まったら人生アウトだよな」的な、とんでもなく大きなリスクを背負った興奮だったので、それ以上の興奮を他のことで感じる事が出来ないので再犯となってしまったんじゃないかなぁ?特に2度目は「マジ今度こそアウトだよなぁ」と言う、カタルシス的なリスクの中で。
    だからこの男性も、前回の痴漢の時以上に「今度捕まったらもう絶対アウトだし、支援者から袋叩きだよなぁ」と言うとてつもなく大きなリスクの中で行ってしまったのだと思う。
    前日に書いた「脳は快感の上限を一度覚えてしまうと、それ以上の快感を常に求めてしまう」と言うことが、この手の性犯罪の再犯にも言えるんじゃないかなぁ。

    しかしこの人、テレビのインタビューなんかで以前「子供にお父さんはそんな悪いことをしていないんだよって教えたい」とか「子供のために」とかことさら子供を持ち出し、さらに《お父さんは犯人じゃない》と言う子供が書いたと称する本まで出版している。どうするんだろうか。
    ついでに、この人を支援するサイトもいくつかあったんだけど現在はトップページを含め全部消去されている。たしかに続けている状態ではないし、応援していた人にとっちゃ「裏切られた」状態なんだろうけれど、その手の事をちゃんと考えて行動していたのなら、消去と言う形で逃げるんじゃなく、ちゃんと現状に向き合った形で謝罪文やら現在の考えなどを明示しなきゃダメなんじゃないかなあ。
  2003年7月17日(木) 追いつけないや
    「オレオレ詐欺」って、確かにやっている犯罪をそのまま表現した名前だけど、マヌケすぎ。
    と思っていたら「わたしわたし詐欺」だそうで、被害に遭った老人二人は「オレオレ詐欺は知っていたけれど、わたしわたしだったので気づかず現金を振り込んでしまった」って… 物事に対して「応用」って物がないのか?
    そんなこっちゃ、次に「ボクボク詐欺」とか「ワシワシ詐欺」とか「拙者拙者詐欺」とか「オイドンオイドン詐欺」とか「ワラハワラハ詐欺」とか「アッシアッシ詐欺」とか「ウチラウチラ詐欺」「ミーミー詐欺」とか「ワタクシワタクシ詐欺」とか … キリが無いので辞めます(これだけで今日の雑記を終わろうと思ったけど)

    なんだかここの処、犯罪がらみの雑記ばかり書いていますが、今度は「小学女子が4人、4日間監禁」だそうで。
    現時点ではよく話が見えていないけれど、先週ひとりの女子小学生が女子高生風の女に声を掛けられ「アルバイトしない?」みたいな事を言われ、1週間経って友達を連れ4人で渋谷に行った所、20代後半ぐらいの男2人にマンションへタクシーで連れていかれ、そこで監禁されたらしい。
    マンションに入った途端に男の態度が豹変し「着いてきたって事はどういう意味か分かって居るんだろうな」みたいな事を言われたとかなんとか、で手錠とかをさせられ4日監禁。その主犯と思われる男は部屋の中で練炭自殺をしていたとか。
    なんだか全然物語は読めないけれど、監禁した男も悪いけれど「アルバイトしない」との誘いに乗った女子小学生もどういうものなんでしょうか?いわゆる「犯罪はついに小学生まで」と言う、上記にかいた文章のまんまの事件がもう起こりつつあるって感じっす。

    そのマンションの中で何が行われたかって事の真実は永遠に秘密なんだろうけど、なんせ日曜日にいなくなって4日目と言うことで警察も「本格的に事件と言う方向で捜査しなくちゃいけない」と言うことで、名前と顔写真を公開した直後に事件が発覚したため、一部マスコミなどでそれら小学生の事を発表してしまったらしい。(当然、ネットには情報が流れているんだろうなぁ)
    今の処の話では純粋に犯罪に巻き込まれたと言う状況ではなく、犯罪に荷担したような状況もあるので色々な問題あり状態。

    結果として、有ること無いことが憶測で乱れ飛び、尾ひれがいっぱい着くのは想像できる。
    もしかしたら、その女の子達は学校に通いにくくなってしまうかも知れない。下手すりゃイジメの対照にだってなりかねない。色々人生狂ってしまう可能性を秘めているのだ。
    さらに、ロリが大好きなAV界なんかはこのネタを拡大解釈して作品を作るってのは、充分ありえる話。なんせあのおぞましいコンクリート詰め女子高生事件でさえネタにして作品作ったし(これは公開直前にクレームがついてお蔵入り)、こんどはAVじゃないけど「酒鬼薔薇事件」が映画化されるらしい。
    制作者は「人間の心の闇を」とか常套句として言い出すだろうけど、結局は「話題性と見せ物」でしかないんだけどね。犯罪実録物って話題にはなるけれど、後々まで名作として語り継がれる物ってほとんど無いし。
    結局、犯罪を非難する裏側で「この事件は視聴率取れるぞ」と喜んでいるマスコミなどの人々が見え隠れしている。

  2003年7月18日(金) コンセプト
    子供の頃、あのねのねと言うフォークシンガーが好きだった。
    フォークシンガーと言っても基本的にはコミックソング中心だったのですが、自分の第二次成長期に多大な影響を与えた事は確かです。
    というか、あのねのね&笑福亭鶴光って言う下世話な関西芸人の影響バリバリだったってのは、間違った人生の第一歩だったのかも知れませんが。
    で、私はいわゆるエロ系には奥手だったので当時あのねのねが歌っている曲で意味不明の物がいくつかありました。
    その中のひとつ、童謡の「大きな栗の木の下で」の替え歌で『大きな栗とリスの歌』と言うヤツがありました。ま、凄く単純に馬鹿な曲なんですが、それを聴いていた時点でその歌詞に出てくるエロ単語を把握していなかったのです。
    レコードはライブ盤でこの曲を歌い始めると客席は大爆笑… 歌詞は最初と最後がタイトルのように変更されている以外はそのまま「♪あなたと私、仲良く遊びましょ♪大きな栗とリスの歌」
    でも何故か大爆笑で受けている。
    今はその理由も解りますが(解った処でタイした物じゃないんですが)、当時は「????」でした。
    で、その曲に関して今怖ろしいと思っている事が一つあるのです。
    もしかしたら当時、意味が分からずこの曲を人前で大声で歌っていたかもしれない。と言うこと。
    あ〜〜〜無知って怖ろしい。

    今テレビで「トリビアの泉」をやっていて、それが第1回目放送が20数%を獲得して、その週の視聴率2位だった。なんてことで、雑学が注目されているんでしょうかね?
    でもあの番組のコンセプト「明日からすぐ使えるムダ知識」って部分では、そんだけ視聴率がいいと、その手の雑学に興味ある人はほとんど観ているってことで、日常会話の中で使っても「へぇ〜」じゃなくて「それこの間やっていたね」と言うリアクションになってしまうのだ。

    そんなこんなでネット検索で「トリビアの泉」を調べてみると、その手のページが大量に増殖している。中には、テレビで放送したものを全部克明に記録して、さらに出演者のへぇ点数や雑談まで文字起こしをしている処もある。
    でも、それって根本的な部分で「著作権の侵害」だよん。
    というか、楽しいかなぁ、ひたすら与えられた物を書き写すって作業は。(そのサイトへのアクセス数は多いかもしれないけれど)
    そうでないサイトでも、思いっきり「トリビアの泉」を意識した処もいくつかある。
    投稿で盛り上がろうと掲示板で「思う存分トリビアの泉を書き込みたまえ」的な事を書いてあるのもある。
    その掲示板、6月の終わり頃に設置されて1カ月ぐらいが経過しているんだけれど、最初の「管理人からのヒトコト」と次にどこかのDM業者が「今なら●○見放題!」と書かれたもの以外の書き込みが無い。う〜む、元々サイト自身が雑学系だったとか、アクセス数が多いって言うサイトではなさそうなので、冷静に考えれば盛り上がらないのは必至だよなぁ

    そんな感じで現在「トリビアの泉」がブームなのかもしれないけれど、それの余波なのか、ここ数日アクセス数がががーんと増えている。
    ここ1年ぐらいは平均して5000人前後って処だったのに、いきなり1万人アクセスを軽く突破になっている。
    どうりで、誕生日検索とかが重いわけだ。その関係で誕生日データの更新が手間取っている。
    水曜日の9時から「トリビアの泉」が始まるのだが、それが終わったぐらい、夜10時ぐらいからどーんとアクセスが増えて木曜・金曜とアクセス数が多いまま続いている。

    しかし、どういう物かなと思っちゃうのが、その手の「コンセプトそのまんま」と言うサイト。
    トリビアの泉関連もそうなんだけど、たとえば道楽者の王様みうらじゅん氏が「貰って困るお土産物」と言うコンセプトで展開している「いやげもの」と言う物があるわけです。
    例えば今更ペナントとか、ワケの解らない提灯とか、使い道の無いでかい金属のキーホルダーとか、それをもっともっと追求したのが「いやげもの」
    で、そのコンセプトをそのまんま拝借して運営されているサイトもいくつかある。確かにクスリとは笑えるんだけど、なんかそこからはみ出せない状態なのだ。
    町で見かけたおかしな物ってのをコンセプトにして作ってるサイトもいくつかあるんだけど、やはり「VOWOW」の呪縛の中で展開されているのが多い。
    時々、独自の観点から作られているサイトもあるので、もっと見方の転がし方次第で面白い方向に行くとは思うんですが。例えば、これもすでにあるコンセプトですが、赤瀬川源平氏の「トマソン」と言う視線のズラしかたってのは、その人なりの視線が加わるし、視線次第ではどんな展開も出来ると思うのだ。

    これだけ多種多様なサイトが乱立しちゃっている現状では「個人的ズレ」が一番重要になってくるんじゃないかと思うのだ。
    これと言って特殊な個性を持たせていない「誕生日データ」「雑学」のサイトを運営している私がどーのこーの言える立場ではないんですけどね。ただ量で圧倒するというコンセプト。

  2003年7月19日(土) 妹よ
    ダンディ坂野の誕生日は公式では1971年となっているけれど、このサイトの誕生日データでは1967年になっている。
    以前「マジっすか?」と突っ込まれた事もあるけれど、それが本当なんだからしょうがない。
    と思っていたら、事務所側の声明が出て「ダンディは32歳ですが、坂野賢一(本名)は36歳です」だそうです。つまり本名・芸名と同じ感覚で、本年齢・芸年齢ってことですか。
    昨日の「誰でもピカソ(テレ東)」で芸人特集をやっていたのだが(最近は芸人とか歌手とかのネタばかりで全然、アート的でないのでツマラナイ番組)、そこにもダンディが出ていた。
    本当にマジで面白くない処が凄いんだけど、そこで久本雅美が「ホンマは36歳なんやのにな」と発言。 とりあえず現時点では、ネタ的に「公然の秘密」なんでしょうかね?

    前から凄いと思っていたが藤谷美和子は凄いね。
    個人的には、芸能界でのポジション確保の為に「ワザと変な言動を繰り返す」人だと思っていたんだけど、マジにおかしな、いわゆる電波の人だったんですな。
    もしかしたらテレビ的には報道されないかもしれないので書きますが、皇居へいきなり言って「紀宮さまは私の妹です」と発言したらしい。
    ことの発端は、常日頃から紀宮に似ていると言われていて、ある種のシンパシーを感じていたらしい。
    で、何故かいきなり「紀宮さまは最近疲れているように見えるので激励のファンレターを渡そうと思った」。
    普通、手紙は投函すればいいと思うのだが、藤谷美和子はいきなりタクシーで皇居に駆けつけてしまったらしい。
    6月26日午後3時ごろ、アポなしで皇居に来た藤谷美和子は当たり前のように坂下門から皇居内に入ろうとしたが警察官に呼び止められた。
    その時に「紀宮さまにお会いして、お手紙を渡したいのです」と言い放ったのだが、当然そこでそんな来客予定がなかったので、これ以上は通せないと言うことになったらしい。
    最初は警備の警察官は相手が誰なのか判らなかったが、途中で藤谷美和子だとは気付き(有名女優なのでもしかしたらアポがあるのかも)と慌てて問い合わせて見たが、そんな予定はやはり無かった。
    その間に異変に気づいた警察官が10名ほど集まってきた処で、いきなり藤谷美和子が「秋篠宮殿下は私の弟、紀宮さまは私の妹です。早く通して下さい」と言い放ったと言うのだ。
    その後、御所の担当者からの電話に対し藤谷は「あなたは失礼です。私は手紙を持ってきたのだから、早く紀宮さまと会える時間を決めて下さい」と言って、乗ってきたタクシーに籠城したと言う。
    結局、やってきてから1時間後、警視庁丸の内署員の説得で帰っていったらしい。
    う〜〜〜〜〜〜〜〜む、なんだか判らない事件っす。
    確かに、藤谷美和子って人はトーク番組に出ても何かを語らなければいけない時に、異常に焦って意味不明の事を口走る事はあるけれど…。
    しかし秋篠宮が37歳、紀宮が34歳、藤谷40歳なのでちゃんと「この二人は年下」って事を把握していたんだな。
    あまりにも難しい問題を多く抱えている事件なので、報道しにくいよなぁ。
  2003年7月20日(日) 15年目の復讐
    13日に福井市で昔イジメられた相手に復讐をするために爆弾を作り、セットする前に暴発してその男だけが怪我をすると言う事件があった。
    その爆発した場所が、イジメていたと言われる男性の自宅近くだったらしい。さらにそこまで乗り付けてきた車の中には2個の爆弾があり、自宅にはまだ6個の爆弾があったと言う。
    まったくもって、自爆しちゃうなんて言う爪の甘さがイジメられる原因なのだ。

    などとイジメに対して「イジメられる側にも問題がある」なんて言い方は嫌いなのだが、この男はどういうものかねぇと考え込んでしまった。
    なんせ33歳で「高校時代のイジメに対し」なんだもんなぁ。すでに15年ほど昔の話だろ?いまさら復讐されてもどうしようもないぞ。
    そんなに長く考え込む根性があるのなら、何故イジメられている時に何か行動に移せなかったのかなぁと思う。
    それを見る限りでは「イジメられる原因はそのヘンにあるような気がする」って感じなのだ。

    この手の、いい年をしても過去にずっとしがみついている人間は結局の処「現状が上手くいっていない」事に不満を持っていて、その原因は辿り辿っていくと高校時代のイジメが原因なのだ。人間関係を上手に築けないのもあそこでイジメられた事によって抱えてしまったトラウマが原因なのだ。そうだオレは全然悪くないのだ。オレは人一倍努力しているのに、それが報われないのはあいつ等のせいなのだ。
    と、ほとんど「風が吹けば」→「桶屋が儲かる」に等しいような、遠回しの原因追及で他人のせいにしているって感じなのだ(実際、心理学系の本にはこの手の症例はいくつも載っている)
    ま、逆に言えば「そんな風に過去に固執しているから、先に進めないんだよ」と言うことなのだ。ついでに「だからイジメられちゃうんじゃないの?」と思ってしまう。
    あくまでも自分が今ここに立っているのは、自分がこれまでやって来たことの積み重ねの結果だと言うことを良くも悪くも受け入れない事には、ダメな人生を送っている自分の進むべき方向は見えないんじゃないかなぁ。
    そんな爆弾をセッセセッセ作っているようなヒマがあったら、なんか現状を打破する為の何かがあったんじゃないか?と思うのだ。
    いくらイジメたヤツが憎くても、その復讐をした処で自分の現状で抱えている問題がきれいサッパリ解決出来るワケじゃない。結局イジメられたヤツに嫌がらせをするって事は、イジメていた連中と考え方は同じだって事に気づかないのかなぁ。



     


ひねもす雑記