ひねもす雑記
2003年08月21日〜31日


▲2003年08月21日:木:雑学ブーム
▲2003年08月22日:金:書けない
▲2003年08月23日:土:タイトル決定
▲2003年08月24日:日:頭の悪いお笑い
▲2003年08月25日:月:たるみ
▲2003年08月26日:火:ナイ
▲2003年08月27日:水:未完成&トリビア
▲2003年08月28日:木:発売日&値段ほぼ決定
▲2003年08月29日:金: 
▲2003年08月30日:土:茹でる重い
▲2003年08月31日:日:夏の終わりのメール
  2003年08月21日(木)雑学ブーム
    てなワケで、9月中旬発行予定の「雑学本」の制作を急ピッチで進めているワケですが、当然と言ったら当然のごとく、現在ブームになっている「トリビアの泉」に絡んだ企画として出版の話が持ち上がったワケです。


    基本的に1ページの最初にメインとなる雑学がドンッと来て、そこで「へぇ」と言わせて、その後に解説文が入るんですが、TVの場合は映像として見せるのでそれだけで十分インパクトがあって説得力があるんですが(ついでに1ネタに対してかなりお金が掛かっている)、本の場合そうも出来ないので解説文を解りやすく、或いはさらに微妙な笑いへと持っていくと言う手法を取っております。
    で、その後に「補足雑学」が来るという、どっからどー見ても「トリビアの泉」に影響されているよなぁ的な作りなのですが、それだけで終わるような本にはしないつもりです。
    なんつったって、こっちには5年分の雑学ストックありますから。(1998年3月サイト開設、1999年9月メルマガ知泉創刊)

    [イラスト:白石美帆]
    白石美帆 で、現時点では原稿&イラストは終了して、編集サイドのまとめを待っている状態なのですが、毎週「トリビアの泉」をチェックしながらハラハラしております。
    というのも「本に載せる予定の雑学を放送されないだろうか」って事なのだ。
    実は、これまでに編集途中で番組で放送されちゃったネタがあって、それを急遽差し替えたって経緯もあります。

    そのネタは「サザエさんのエンディング曲は2番の歌詞である」ってヤツなんですが、それなりの解説なんかも書いていたのですが、番組のほうではオリジナル歌手の宇野ゆう子さんが出てきてその歌詞を歌うと言う「そりゃ太刀打ちできないよ」と言う展開をされてしまったので、サザエさんネタで別の物を書いてみました。
    この差し替えた雑学はちょっとビックリしちゃうネタなので、本を読んでのお楽しみっすよ。(差し替えた物の方がインパクトがあったので、結果オーライなのでありますが)
    ま、そんなワケで現時点ではすでに原稿アップしちゃった状況なので「トリビアで放送されちゃっても、差し替えが難しい」と言う、お祈り期間であります。どうか放送でネタがかぶりませんように。

    [イラスト:かつみ小百合]
    かつみ小百合 とりあえず、トリビア系の雑学ブームは現時点でも続いているみたいだし(昨日の放送はこれまでで最高視聴率の27.7%)、雑学本の出版状況もまだ上向きなので波に乗れるか!って所なのだ。(トリビアの本は1・2巻合わせて78万部突破だそうで)
    しかし、どんな所にも落とし穴は待っているかも知れない。
    去年、あれほどまでブームになっていた「早食い選手権」が、どこぞの中学校の給食時間にそれを真似をした中学男子がノドに食べ物を詰まらせて死ぬと言う事件によって、いきなり「自粛」「放送中止」「そんなブームは存在しなかった」と言うことになってしまったので、上向き加減の雑学ブームもいついきなりプツリと終わるかもしれないのだ。

    どこぞの中学で、誰も知らないくだらない雑学を披露しあっている最中、あまりのくだらなさに大爆笑をして呼吸困難で死んでしまう中学男子がいないとも限らない。それによって「雑学=危険」とレッテルを貼られ、「自粛」「番組中止」「雑学本出版差し止め」「雑学本=有害図書指定」「雑学本制作者逮捕」となってしまわないとも限らない。
    一寸先は何が起こるか解らないのだ。
  2003年08月22日(金)書けない
    いやはや参っちゃったね。そうか、こういう事だったのか!
    と思ってしまうワケですが、よくエッセイストなんかで「文章の書き出しが思いつかずに、〆切が来てしまった」的な事を書いて、結局「私はこうして苦労しながら文章を書いている」と言う趣旨のエッセイを書いている人がいるわけです。


    [イラスト:福島瑞穂]
    福島瑞穂 何かを書いてくれと依頼されて、その何かを書いてくれと依頼されたことについて書くのってアリなのか?とか思うが、それ以前に「書けないってどーゆー事?」とも思っていた。
    こうやって遅れ遅れつつではあるけれど毎日文章を書いている身としましては、書きたい事は山のようにある。それをガシガシ書いちゃうのだと言う方向でやっているので「書けない」と言うのは、ちょっと信じられない部分の発言だったのだ。

    で、今自分がその「書けない」と言う壁にブチ当たっている。
    などとココに書いているんだけれど、実は例の雑学本の「まえがき」と言う物を書かなくちゃいけないんだけど、最初の数行を何度も書いては消して書いては消しての連続。
    別に学術的な事を書こうってワケじゃないんだけど、別に感動させようなんて思っているワケじゃないんだけど「ダメだ、違う」と頭を悩ませている。
    基本的には普段こうやって書いている文章のテイストをそのまま表現しなくちゃ意味ないとおもっているので、語り口調はこんな感じなのだけど、な〜〜〜んか違う状態で、な〜〜〜んか上手く書けない。


    とりあえず、自分にとってはメジャーな仕事第一弾(2弾があるかは不明ですが)の、ページを開いて最初の文章なのだ、とにかくスタートラインなのだ。
    などと力んじゃっているんですが、自分的には「力む必要ないよなぁ」とも思っている。
    なんせ、自分自身、雑学本なんかの最初に「作者からのまえがき」みたいのがあっても読まないもん。 とりあえず、なるようになる・・・・・と思っている。

    自分の本のまえがきを書くために、他の雑学本のまえがきを読んでみた。
    「ちょっとした雑学を披露できれば学校や職場だけでなく、飲み会の席でもモテモテ間違いなし」
    いや・・・・そんなことは全然ないってば。
  2003年08月23日(土)タイトル決定
    本のタイトルが決まりました。
    実はこのタイトルについては紆余曲折ありまして決まったワケですが、やはり個人的な思惑と、出版人としての「いかに目立つか」「いかにブームに乗るか」と言う部分のせめぎ合いって感じでした。


    自分の場合、基本的に「他者との差別化」と言うものを意識していて、サイト運営を始めた時も「誰も使っていない名称で」と考え《知泉》と言う単語を考案しました。昔の文人でそう言う名前の人もいたってのは知っていたんですが、雑学系サイトって事でこんな名前を付けている処がないと言うことで全文検索をいくつか試して(当時はまだGoogleはなかった)確認した上でのGOでした。
    当初は漢字二文字と言う堅さもあって「なんか変だよ」と言う意見が周囲にあったのですが「名前なんてのは後から付いてくる物なのだ、要は内容だよ」と、基本的にオレのサイトじゃん勝手にさせろよ的な暴走で始まったわけです。
    こうやって5年もやっていると、もう「知泉」は「知泉」でしかあり得ないと言う状態になっていました。


    自分的には「このサイト発の雑学本って事なので当然その名前を全面に押し出したような物なんだろうな」と思っていたのです。
    文章原稿をほぼ完成させ、次のイラストの打ち合わせと言うことで編集部事務所へ出かけた時に提示されたタイトルが『元祖へぇ〜 雑学○○○連発!』と言うもので愕然としちゃったワケです。
    確かに、トリビアのブームに乗っかった形ではあるんですが、それは… としばし頭の中が真っ白になってしまったのです。
    編集長氏は長年の経験と過去の成功例から「この手のタイトルじゃなくちゃ」と言う形でほぼ決定と言っていたわけですが、他の話をしながら頭の中で「本を発行した時に当然メルマガなんかでも宣伝するんだけど、このタイトルじゃあからさまに嫌う人も多いだろうなぁ」と考えた。

    いくつか寄せられたメールの中にも「トリビアの泉で放送されるネタって知泉からの物が殆どなんじゃないですか?」的な事は書かれていて、確かにすでに… と言う物が多いのですが、それはただ大量に雑学があるので当然引っかかって来ちゃう物も多くあると言うだけだと思うのです。
    しかも「元祖」ってつける段階で「うさんくささ100倍」と言う気がしちゃうんですが。
    で、その場で意を決して「でもこのタイトルってサブタイトルっぽくないですか?」と言う反論をしたのだ。なんつーか、基本的になんでも受け入れて流されてしまうような部分のある私ですが、最近は段々と自分の意見って物を押し出すようにしている。あの似顔絵展の色んな事から徐々に変化してきているような気分なのだ。
    そして「どうしても知泉と言う単語はゆずれない」と言う事を申し出て、あとは先方の会議で… と言うことになったのだ。
    担当Hさんにもその旨をお願いした。

    友人達からは「そのタイトルじゃぁな、杉村っぽくないよ」とか「出版辞めたほうがいいんじゃない?」などとの意見も出たのだが、流石にここまで進めた話なので、なんとか形にしたいと考えていた。そして「自分の本だ」と胸を張って言えるような物にしたい。


    で、今回ゲラ(編集した物の試し出力)が出てきて、それに文章チェックを入れると言うことだったのですが、それと同時にタイトルだけでなく表紙のデザインまでが完成してきた。
    そこにあったタイトルは「最初の物+知泉」と言うものだったわけです。きっとタイトルだけ聞くと「ダメじゃん」的な感じなんですが、出来てきたサンプル表紙を見ると「こっちの意向を大きく反映してくれた」と言う物になっていました。
    つまり「元祖へえ〜○○○連発」と言う部分もあるが、『知泉』と言い切ってもいいようなタイトル。
    たぶん、編集長や営業とのタイトル決め企画会議で担当Hさんがかなり頑張ってくれたんじゃないか?と言う状態。感謝しています。

    ネットやメルマガ上での宣伝も「知泉」と言う本が出た!と言い切る事も可能です。
    やっと、本が出る実感がジワジワ来ています。たぶん発行は9月中旬。期待して待っていてくださいませ。かなり濃い読みでのある本になるはずです。
  2003年08月24日(日)頭の悪いお笑い
    ついでに集英社の雑誌「nonno(ノンノ)」にも掲載されます。
    9月15日頃に発売される号だと思うのですが、それで「東京新名所マニアックス」と言う特集があり、そこで東京に関するトリビアを… ということで、私が厳選したネタを紹介と言うことになっています。
    タイミング良く、本の宣伝が出来るってことで「なんか追い風状態」であります。


    王貞治の顔が便器の中にあって、その口から水が噴き出す「王シュレット」が問題になっています。
    フジの「ワンナイR&R」の中で通販番組コントがあって、そこで上記の商品が登場したそうです。ま、世界の王じゃなくても承諾もなく似顔絵を便器の中に沈められて… って怒るのは当たり前だっての。
    とりあえずマスコミ的には「あの世界の王の偉業を貶めた」みたいな状態なんですが、これの場合は世界の王だなんだって問題じゃなく、最近の「他人を貶めて笑いを取る」と言う風潮が悪い形で出てしまったと言う感じなんだと思う。
    たとえばかつてはドッキリカメラなんかで芸能人のビックリした顔を見て「素の顔が見れて楽しい」なんて事をやっていた状態から遥か遠くまで来て、その人間の恥部を明らかにさせて笑うと言う趣旨の物が多いような気がする。

    時々しか見ないが、ロンブーのやっている隠しカメラを使ったのなんて、貶められるのが一般素人だってのも「それでいいの?」的な感じがする。確かに、浮気をする男はどーしょーも無いと思うが。
    あれなんかは、浮気が出来るようなシチュエーションを作って相手をハメ込み、そこで貶めるって物なのは、どうなんですか?
    いわゆる犯罪捜査でやっちゃいけない「誘導操作」で、たとえばワザと道ばたにお金を落としておき、それを拾ってポケットに入れたヤツを逮捕するような物で、犯罪を起こさせる状況に誘導しておいて… と言う物なのだ。
    しかも依頼者は彼女で、浮気に走りそうになった状態で相手を貶めておきながら「もう絶対浮気はしない?」などと上から押さえつけるような態度を取る。そんな誘導操作をするような女とはつき合いたくないのだ。

    他にも、ブラックメールとかって企画では芸能人にファンと称する女性からメールを送り、それで引っかけると言う物。別に悪いことしてないじゃん。でもその状態を見て笑いを取る。
    他人を貶める事を全然罪悪だと思っていないのだ。そんなこんなで「王貞治」をネタにくだらないギャグを作ったってことなのだ。

    あれは実演しちゃったタレントも悪いが、たぶんスタジオ入りするまでそんなネタだってのを知らない状態だったんじゃないのかなぁ。でもスタジオ入りしてセットや小道具が準備されている段階で「出来ない」なんて誰も言えないと思う。 結局の処、馬鹿な放送作家が居て、馬鹿なディレクターが居て、ゴーサインを出しちゃったんだろうな。
    でも「王シュレット」なんてネタは、馬鹿な中学生か、飲み屋で夜明けまで飲み明かして脳細胞の半分以上が死んでいる状況じゃなきゃ思いつかないネタだよなぁ。その放送は見なかったけれど、あいかわらずスタジオで馬鹿笑いをしているスタッフの声がインサートされていたんだろうなぁ。

    その影響なのか、9月中旬、前時間の番組「トリビアの泉」が時間延長スペシャルらしい。
    私はいつも「トリビアの泉」を見終わった後はすぐニュースステーションにチャンネル替えてしまうので、ワンナイR&Rってほとんど見たことないっす。
    ついでに来週のその時間はココリコミラクルタイプSPらしい。もしかしてこのまま番組消滅?
  2003年08月25日(月)たるみ
    ここ数年「DAKARA」みたいに「不要な栄養分を排除し、不足な栄養分を吸収する」的な健康維持の為の飲料が複数出ていますが、今回コカコーラから出たのは…
    その名も『tarumi』あのね、たるみってネーミングはどうなのよって感じなのだ。漢字で書いたら「弛み」ですよ。
    とりあえず「現代人のこころとカラダのタルミに注目した」って事なんすけどね。
  2003年08月26日(火)ナイ
    携帯電話を充電器に繋いでいたハズなのに全然充電されていなかった。
    どうも最近、充電状態が悪いのだ。たぶんバッテリーがいかれつつあるのかも知れないんだけど、そりゃ買ってから随分経過するので、そろそろって事なのかも知れない。
    しょうがないなぁと思いつつ、その状態で出かける。

    しかしやはりすぐに「バッテリー不足です」と表示され、携帯電話の電源が落ちてしまった。
    そーゆー時に限って、連絡しなきゃいけない用事があったりするのだ。
    とりあえず、ガソリンスタンドに寄らなきゃいけなかったのでそこで電話しようと考えていた。
    が、世の中ってヤツはそんなに甘くなかったのだ。なんとガソリンスタンドには公衆電話が無かったのだ。当然あるとおもっていたのだが、現時点では既に、携帯電話を持っているほうが「当然」になっているので、かつてあったハズの公衆電話は撤去されていたのだ。

    ふんぬ!と思いつつ、連絡をしなきゃいけない時間が迫っていたので、ガソリンを入れた後、記憶の中で一番近い場所にある公衆電話に車を飛ばした・・・・そこも、あったハズの公衆電話が撤去されていたのだ。
    あちゃーと思いつつ、さらに別の場所へ・・・そこも見事に公衆電話が無くなっていた。

    その後、なんとか公衆電話を発見する事が出来て、なんとかなったのだが、まさかこんなに公衆電話ってものが消滅しているとは思ってもいなかった。

  2003年08月27日(水)未完成&トリビア
    近所に住んでいる親戚の葬式に行って来た。
    間柄で言えば、父親のイトコと言うことになっているのだが、もうちょっと血縁関係としては濃いのかも知れない。
    実はそのS家から我が杉村家にお婆さんが嫁いできたので、その兄弟の子同士でイトコなのだが、同時に杉村家からS家にも嫁に入っているのだ。
    つまりお互いの家に男女が居て、お互いの家に嫁に入った状態。つまり父親と、今回亡くなった伯父の血は共にS家50%・杉村家50%なので、イトコだがほとんど兄弟みたいな状態なのだ。

    天気がちょっと心配だったのだが、お通夜は小雨でその夜更けがドシャ降り、で葬式当日は朝の内は曇っていたが昼頃からは夏の青空になり、ついでに風も吹いていたのでそれなりに過ごしやすい状態で式典を行う事が出来た。
    近所に住んでいるって事もあって、自分も子供の頃からかわいがって貰っていて、色々な事が思い出されてしまうのだが、あまり長期苦しまなかったというのがせめてもの救い。
    今の医学は直る見込みのない患者でさえ、生命だけを維持させてしまうという、果たして延命する事が良いことなのだろうか?と言う状態なので、時々思ってしまうのだ。

    しかし、多くの人に惜しまれての葬式だった。
    かつて誰かが「人間ってのは死んだときに全てが完結する物である」と言っていた。たしかに生きている間は常に可能性を秘めているワケで、未完成と入ってもいいのかもしれない。
    どんな人生を送るのか?どんな目標を決めるのか?どんな人間になろうと夢想するのか?それは何歳になっても目標として掲げていかなければいけない物なのだ。そして夢を実現させる為に、ほんの1歩づつでも進む手探りを続けるしかないって事なのだ。
    ま、どんな死に方をするかの為に生きているワケじゃないけれど、今出来る事を無理せずに、今できる大きさで、1つ1つクリアして前に進んでいくしかないのだ。

    トリビアの泉(視聴率:関東27.0%)
    すでに書いてしまったネタを差し替えるワケにもいかないので、ちょっとハラハラしながら「重複ネタはないか?」と見ている。
    たぶん普通の人とは違った感覚で番組を見ているのでは?

    とりあえず大きなネタ的な物のかぶりは無かったが「毛虫を裁判に掛けた事がある」と言うのはニアミス。
    あの手の動物裁判ってのは中世の事例を探せば大量にあります。
    トリビアでも補足しておらず、自分の本でも記載していない補足トリビア
    中世、1匹のメス豚と6匹の子豚が飼い主を殺すと言う事件が発生した時、裁判官は「親豚に重大な過失があり判決は死刑。しかし6匹の子豚は親の無責任な教育により感化された物と見なし、酌量の余地ありと見なし執行猶予付きの保釈とした。
    こんな馬鹿げた裁判が山ほどありました。
    毛虫裁判も複数残されており、トリビアで放送したものは「教会からの破門」でしたが、中には裁判への出頭を3度繰り返している間に、被告である毛虫たちは蝶々になってしまい判別不可能となってしまったので、判決は見送りと言う物もあった。


    [イラスト:トリビア]
    トリビア絡みの掲示板とかをチラチラ覗くんだけど、そこで一番多用されている言葉は「そんなの知っているよ」なのだ。そりゃ、誰も知らないネタなんか存在しないワケで。
    結局「俺は昔から知っている、その程度で騒いでいるヤツラより上にいる」と言う優越感のアイデンティティを確認したいんだろうなぁと思っちゃう。つまり裏返せば「そう思わないと我慢出来ない程度のアイデンティティ」と言うことなのだ。
    普通の会話でも1つのネタで盛り上がればいいのに、横から「そんなの普通ジャン」とか「そんなの知っているよ」と話の腰を折って、その折って盛り下げていると言うことに全然気づいていない人もいる。
    かといってその人が面白い事を言えるかと言うと、話を盛り上げる事もできない場合が多い。
    何かの本で読んだけれど、その場でそのネタを振って場を盛り上げた人が話の中心になった事への嫉妬でその手の発言をして、同じような賛同と賞賛を得たいと考えているらしいのだ。その手の人は。
    その手の掲示板なんかの書き込みでも「知っていたよ、あんなのであんな点数取れるなんて、レベルの低い番組だな」みたいな事を書いている。
    だったら自分も応募して点数取ればいいじゃんと思っちゃうのだ。つまり同じように、採用されて話題になっている状態への嫉妬心及び、知らなかった人へ「俺は知っていた」と言う優越感を感じたいだけの話らしいのだ。
    知っていたのなら、それをさらに盛り上げるような補足トリビアでも書けばいいのに…。
    ○山下画伯は旅先ではなく家に帰ってから絵をかいていた
    これ銀の脳を獲得したけれど、そうか…そこまで受けるネタだったのか。と言うのも美術系に興味が昔からあるので自分的には当たり前だと思っていたわけで。それは誰も自分の好きな分野に詳しいので、一般的な尺度を見誤ってしまうワケっす。
    山下清が旅先でメモも取らずに、家に帰ってから絵を描き始めたのは、実は山下画伯はサヴァン症候群と言う一種の精神的な症状を持っていました。これは、1度でも風景を意識的に記憶しようとすると細部まで記憶出来るという才能です。
    サヴァン症候群に関しては人によって記憶の方向が違います。別の人の症状では1度ピアノ曲を聴いたら次の瞬間に頭から最後まで1音も間違わずにコピーできると言う症状の人もいるそうです。

    今週のトリビアで一番問題だったのは「テンガロンハットは…」だろうなぁ
    結局「テンガロンハットは10ガロン水が入るということで名付けられた」みたいなトリビアだったんだけど、その後検証して「入らなかった」と言うVTRでオチをつけた。
    ま、それはいいんだけど、画面上ではテンガロンハットではなく延々とカウボーイハットが映し出されていたわけで…。
  2003年08月28日(木)発売日&値段ほぼ決定
    徐々に完成に近づいております。
    本日、イラストを全部入れた状態のゲラが宅配便で届けられまして、これで原稿的な物はほぼ完成(カバーなどはまだ初校ですが)。
    友人と手分けして書いたイラストを初めて全部見ましたが、自分を含めて5人、こりゃ全員個性的だなぁ。ある意味統一感なし、ある意味バラエティに富んでいて飽きない、と言う感じ。
    でもイラストを各自に割り振って、1週間と言う極短い期間で完成させてくれた友人達に激しく感謝。

    で、発売日がほぼ決定で、9月11日か12日に配本だそうです。だから店頭に並ぶのは9月の第二週土日の13・14日って処です。
    ほんでもって値段なのですが1100円で決定だそうで、最初は「1000円を超えちゃうと買う方もちょっと躊躇しちゃうよね」的な感じだったのですが、ページ数が200ページを超えて230ページ前後ってこともあるししょうがないかなぁ状態。

    それより問題なのは、「トリビアの泉3」が9月3日発売だそうで… 1・2の方が合わせて90万部とか言っているんで、この3はどうなる事やら。(1&2巻で90万部と言うことは実質的には45万部と言うことになるので、いくら売れているといっても雑学本の読者層はそんな物だと言うことです)
    と言いつつ、「トリビアの泉3」は売れないんじゃないの?という楽観的な部分もあるのだ。
    今爆発的に売れている「1・2」は現在放映中の番組の圧倒的視聴率(毎週25〜27%)を受けて、それの深夜版で観た人が少ない部分のトリビアが乗っているって事で売れているんだと思う。
    まさにあの頃は「明日使える」的な、観た人だけがネタに出来る物だったんだけど、今や3〜4人に1人が見ていると言う異常な状態での番組を本にしても「もう知っている」と言うことなのだ。
    そんなこんなで、トリビア3が発売され、9月には各出版社からトリビアの泉便乗の雑学本が大量に出回るハズで、そうなりゃ本屋も平積みで「トリビアの泉フェア」とかを開いちゃうと思うのだ。
    で、そこに「知泉」も並んで…
    取らぬタヌキの皮算用なのだが。

    で、今回のゲラで中扉ページや奥付なんかも初めて出てきたんだけれど、苗字はOKだったけれど、名前の方が間違っていた。
    (今までネット上ではなるべく下の名前を隠していたけれど、もう本に記載されちゃうんじゃ解禁って事なので書きますが)本当は「喜光」なんですが「善光」となっていました。
    もっとも、その直後に担当のHさんから「宅配便で送った後で間違いに気づきました」とメールがあったので修正済みなんですけどね。
    この「善光」っていう間違われ方は子供の頃からずーっと付きまとっている。
    まず小学校に上がったばかりの頃の名簿がこれだった。その後、学年が上がって担任先生が替わる都度「善光」と書かれていた。
    高校に上がったばかりの頃、フルネームのハンコが配られたんだけど、そこにも見事に「善光」と。
    さらに、高校を卒業した後で作った銀行のキャッシュディスペンサーカードも見事に「善光」
    社会人になった時も、入社時に会社から配付された名刺も「善光」
    もうずっとこんな状態が続いている。とりあえず今手許にあるレンタルビデオの会員証も「善光」になっている。
    もしかしたら葬式の時まで「善光」って書かれるんじゃないかと。
    もう「善光」ってペンネームにした方が早いんじゃないかって状態なのだ。
  2003年08月29日(金)  
    言葉は常に変化し意味を重ねていく。
    ケーブルTVの中に「カラオケチャンネル」と言うものがあるんだけど、それの中にいくつかプロモーションビデオを流す番組があるので、よくチャンネルを合わせている。
    以前はビデオを流すだけだったのに、最近はちゃんとした番組を作ろうとしているらしく、司会の女性がいてゲストを呼んで、と言う物がいくつかある。
    個人的にはその手の番組は邪魔で、以前のビデオ流しっ放しの方がいいんだけど、ぼーっと付けっぱなしにしている事もある。
    しかし、司会をする女性が20代前半で、音楽の事をまったく知らなくて「なぜ音楽番組の司会にしちゃったの?」ってのが…。
    その回は柳沢慎吾がゲストで、80年代の音楽とかをリクエストしていたのだが「カルロストシキ」と言われ、「えっ?メキシコ人歌手なんですか?何なんですかそれ?」みたいな発言をしていた。
    一番驚いたのが「じゃ次は西城秀樹のギャランドゥを」と柳沢が言った瞬間「えっ?」と絶句してしまった。その反応に柳沢が「どしたの?」と聞いた所、小さな声で「それって毛のことでしょ?」「え?」「あの水着からこぼれる毛」みたいな発言をしたのだ。
    この女性司会者は西城秀樹の歌っていた「ギャランドゥ」はまったく知らずに、その曲から派生した男性の水着などからヘソに向かって繋がっている毛を意味するとされている「ギャランドゥ」だけを知っていたのだ。
    う〜〜〜〜む、昭和は遠くになりにけり。

  2003年08月30日(土)茹でる重い
    異様にサイトが重い。
    トップページを開くだけでも1分以上待ちがあったり凄いことになっている。
    掲示板に書き込んでくれた情報によると、去年の今頃もいきなり重くなっていたそうで(自分のサイトの事ながら去年の今頃の事を覚えていないっす)、それはやはり夏休みの自由研究をサイトに書いてあることをまとめたダケで終わらせちゃおうって作戦のせいなのかもしれない。
    確かに昔、一生懸命に図書館で調べたり、観察記録をつけたりしていた手間なんか全然関係なくクリッククリックで知りたい情報をそこそこ収集できるって事になっている。
    で、多分子供にせがまれた親が「しょーがねーな」とやっているのでは?と言う感じなのだ。

    でもねぇ
    夏休みの読書感想文でもそうなんだけど、これらの宿題の根本的な部分にあるのは「作品を提出する」って部分じゃなく「観察をする」って事だったり「色々調べてそれをまとめる」って事だったりするんだと思う。
    夏休みって長い時間だからこそ出来る、じっくり考え込む勉強なんだと思うんだけどなぁ。
    これは一過性の「とりあえず片づけておけばいいや」って問題じゃなく、将来、物を考える時、調べ物をする時、何か書類をまとめる時、社会に出た後でもかなり意味のある作業のハズなのだ。
    個人的に言えば、小学校当時から物を調べてまとめて、個人的な本にして友達に回し読みさせていたような人間なので、一般的な小学生とは嗜好が違うので、一概には言えないんですけどね。
    今思うと、当時から「雑学的な物」が大好きで、よく雑誌の下の欄なんかに書いてある1行知識をメモ書きして本みたいにまとめて、友達に回し読みさせていたような気がする。
    全然変わっていないんじゃん。
    あと、欽ドンみたいなラジオ番組(鶴光とかも)なんかを録音して、それを文字起こしして閉じた本を作っていた。(これは今ちまたに多くあるトリビアの泉の放送内容を羅列しているようなサイトと同じ。でもサイト上でやるのは完璧に著作権にひっかかるんですが)。
    上記の「夏休みの宿題」について考えて、あぁちっとも成長していないやと言う事に愕然としてしまった夏の終わりであった。

    翌日(8月31日)判明した事なんですが、このサイト最近は9000程のアクセスが毎日あるんですが、それでも個人レベルサイトとしては、いっぱいいっぱいなんです。
    が、この土曜にはなんといきなり1日で「約26000アクセス」がありました。
    先日「1日で12000人超えたぜ、凄ぇぇぇぇぇ」と驚いていたのも、遙か遠くにブッチぎった状態。なんだよ弐萬六千って…。 このサイトの運営が始まった時の1年分のアクセス数じゃないのか?

    で、さらに発見してしまったのがアクセス増加の理由が、この月末に発売された日経ネットナビ2003年10月号のリンク集で「トリビア的サイト」と言うことで紹介されていました。
    なんやら、最近は雑誌に掲載する場合も承諾を取らないってのは通常になっているらしいです。
    うむむ。

    ついでにメルマガの方が、8月の最初には読者数「7322人」だったのが、今「8980人」で、あとちょっとで九千人です。なんつーか、トリビア人気に便乗しない手は無いぞ!と言うことなんでしょうか?

  2003年08月31日(日)夏の終わりのメール
    ウィルスメール関連メールが今日だけで150通を超えていますな。
    ほとんどが「あんたのアドレスから来たメールにウィルス入ってたからよぉちゃんと管理しとけ、このヴォケッ」と言うたぐいのウィルスチェック自動返信メールだったわけですが。
    その送ったとされている相手のアドレスはこっちが全然知らないメールアドレスなので、こっちがウィルスに感染してても送りようがない状態なのだ。
    つまり誰かが感染していて、その誰かのメーラーの中にあるAのアドレスからBのアドレスに送ったと称したメールを偽装配信しているって事なんですな。それの発信側に私のアドレスが設定されちゃったと言うことらしい。
    ここの所、そこそこ多かったが今日は爆発的に多い。
    実はバラ園の方のアドレスにも昨日辺りから爆発的に増えているらしいので、意図的な物か?などと思ってしまいますが、その辺は難しいっす。

    そんな夏の終わりであった。

    とある雑学サイトで見つけた文章
    >>[ピース・マーク]中指と人差し指の2本立てたVサインを「ピース
    >>マーク」というのは、日本に2発の原子爆弾を落として戦争が終了し
    >>た事に由来し、1本は広島、もう1本は長崎を表している

    と言うヤツなんですが… まず最初に、指2本で作ったサインを「ピースマーク」なんて基本的に誰も言わないよ。ピースマークってのは○に鳩の足型を入れたものを指す言葉で、文字通り「平和のシンボルマーク」。
    ついでに言うと指を二本突き出す「Vサイン」は原爆を落としたアメリカじゃなくて、イギリスのチャーチルが一番最初に戦争で勝利(終結)した事を群衆に知らせるために「ビクトリー」の頭文字である「V」を表したのが起源なんすよ。
    きっとこれも間違った雑学として大きく拡がっていくんだろうなぁ。

    間違った雑学なのに、一般的に浸透しちゃっている物で「バカチョンとはバカでもチョンでもの略で、チョンとは朝鮮人のことを軽蔑していう言葉である」と言う物があるんですが、全然違う。
    まずチョンに軽蔑の意味があったら、チョンと言う苗字の朝鮮人はどーすんの?前韓国大統領のチョンドファン氏とか。
    (と言いつつ昔はオランダ人に多い名前ヤンをオランダ人の総称としてイギリス人が馬鹿にする為に使っていたと言う過去もあるんですけどね。→現在のニューヨーク周辺にオランダ人の植民地があったのでそこに住む人をヤンキーと呼んだのがアメリカ人の総称ヤンキー) あ。トリビア的な展開としては「ヤンキーとはオランダ人を指す言葉である」ってものありだなぁ。
    で、話は戻りますが「バカでもチョンでも」と言う言葉ですが、この言葉は江戸時代から存在している言い方で、「とるに足りないもの」と言う意味。
    ここで言うチョンってのは繰り返し記号の「ゝ」のことを意味しているんですが「漢字にすらなれない半端物」と言うことから、江戸時代に中途半端な状態をチョンというようになったんであります。
    (チョンまげと言う髪形はこの「ゝ」に似ているから名付けられた)
    と言いつつ「バカチョン」が朝鮮人をバカにする言葉だと強く信じちゃっている人も多く、その説明が面倒だったり、心の中で「この人差別論者なんだ」とか「言葉の意味を知らない恥ずかしいヤツ(実際は逆なんだけど)」とか思われちゃうのも面倒なので、極力人前では言わないようにしているんですけどね。

    とある雑学サイトでショックを受けた雑学
    「東京ドームはビッグエッグと呼ばれていた事もある」
    え・・・・・これが雑学として成り立っているの?今は呼ばないの?
    ちょっとショック。



     


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