ひねもす雑記
2003年10月01日〜10日


▲2003年10月01日:水:大学の意味
▲2003年10月02日:木:実感なし
▲2003年10月03日:金:思想の無いタイトル(1)
▲2003年10月04日:土:思想の無いタイトル(2)
▲2003年10月05日:日:思想の無いタイトル(3)
▲2003年10月06日:月:73年定年
▲2003年10月07日:火:16-9+9
▲2003年10月08日:水:シュワ当選
▲2003年10月09日:木:髪切った?
▲2003年10月10日:金:汚れている
  2003年10月01日(水)大学の意味
    真夜中、3時30分頃に目覚めてしまい、寝付けないのでテレビを付けてみた。
    ハヒフヘホ〜の吉村明宏(和田アキ子のマネで有名だった)とマッハ文朱が司会をする通販番組をやっていた。
    あまりに凄い司会の人選にショックを受けて余計寝付けなくなってしまった。この二人が司会者で成立する番組が、テレビ朝日ではありあえるって事なのか。

    広末涼子、とりあえずまだ早稲田大学の生徒だったんですな。これもビックリ。
    とりあえず現状では単位が取れないので、退学だそうで・・・。
    それについて「あーだこーだ」言っている人が多いんだけど、別にそんなに騒ぐ話ではない様な気がする。もっとも、広末が早稲田に入ったってのを最初に大騒ぎしたってのも個人的には「だから何?」みたいな者だったんですけどね。
    そもそも「大学を出る」とかって事に現時点では最初の意味が無くなっているし、広末にとっては何ら価値の無いものだったって事が判明したんでしょうな。
    普通の人が大学に入って卒業する意味は現時点では「就職の時に役に立つ」という部分がほとんどでしょ?他者もその人間を判断するのに「どこそこの大学を出た」ってのが、その人物を測る最初の価値観としてしか意味していないような気がする。
    そう言う意味としては、広末にとっては大卒って言葉は「時間が勿体ない」以外の何者でもないって感じ。
    で、個人的に何だかなぁと思うのは就職の際、あるいは資格を取得するって目的以外での、大学の意味が本来のものじゃ無くなっているような現状なのだ。
    根本的な部分での大学の意味って「学問を得るため」というものだったハズ。それは大昔の学問をするためには仕事の傍らでは出来ないって時代には必要だったのかも知れないけれど、今や就職した後でも勉強はいくらでも出来る(高度な学術的な研究以外では)。
    自分も、最近ふと思ったのが「学生時代より今の方が勉強しているかも知れない」ということ。
    根本的に知識を得たいという部分だったら大学なんかに行かなくても十分出来ると思うのだ。
    広末は確か、心理学を勉強したいとか言っていたけれど(高校時代)それだったら、芸能界に居るほうが魑魅魍魎が跋扈している姿を見ることができるので、机上の学問より身になると思うのだ。

    あぁだこぉだ言っている芸能レポーターが多いと思うが「立派な大学をちゃんと卒業しているのに、何故、年端もいかない芸能人の尻を追いかけて、どこそこのホテルに泊まったとか、下半身の話を必死に話すような下世話な仕事しか出来ないんですか?」ということを言いたいのだ。
    わざわざ大学出た意味が無いじゃん。

    そんな中、日本大学に通学中のハズの坂本ちゃんが「仕事が忙しくて思うように通えない」という事で留年が決定したけれど、誰にも騒がれていない。
  2003年10月02日(木)実感なし
    出ると思ったけれど「竹書房・エロビアの泉〜あへぇの本」だそうです。
    と言うか、思いっきりこれはタモリ倶楽部で春頃やっていたよなぁ。タイトルそのまんまだし、ボタンを押すと「あへぇ〜あへぇ〜あへぇ〜あへぇ〜あへぇ〜あへぇ〜」だったし。
    パロディだったハズが結果としてパクリになっちゃいましたね。
    しかし竹書房ッスか、実は数日前に出版社の話題が出ていてそこで「竹書房ってヘアヌード写真集で大きくなって、いまだにエロ系で売っているんで「竹書房」を「ケケ書房」と呼ばれている」などと話をしたばかりだったんだが・・・・。

    しかし、最近の本屋の片隅(と言っても目立つ所)で「トリビア特集」みたいなコーナーを設けている本屋が多いんですが、そこでも単行本「知泉」を見かけません。
    「トリビアの泉」1〜3巻・松尾貴史「犬も猫舌」・完璧便乗本「思いっきりトリビア」・複数出ている「阪神タイガースのへぇ関係」・それ以外のあまり便乗していない普通の雑学本、そして今回の「エロビアの泉」と並んでいる書店があるのですが、やはり「知泉」は無い。
    東京や神奈川からは「本屋で平積みされていました」などと言う報告があるんですが、少なくとも静岡県の東部では発売された9月13日から4日間ほどしか本屋に置かれているを見ていないっす。
    会社の帰りに日替わりで何件かの本屋を渡り歩いている日々なのですが(ってそれは以前からだけど)どの本屋でも見かける事がないっす。
    だから、生まれて初めての本を発表した!と言う事になっているんですが、なんか「本当に本を出したのかなぁ」的に実感がなかったりします。
    現時点で第3刷まで決定したんですが、その第3刷がこっち方面に来るんでしょうかね?

    しかし、近所の本屋も少なくとも5冊ほど入荷して、それが4日ぐらいで完売したのに、追加注文ってしないんでしょうか? なんか本屋の仕組みがよく判らないっす。
    他の某雑学本なんかは、一気に15冊ほど入荷され平積みにされていたんですが、入ってから2週間ほど経過しているのに、ほとんど売れていないような状態(山の高さが変わっていない)、う〜む、何故この本はいきなり15冊入荷なんでしょうかね?

  2003年10月03日(金)思想の無いタイトル(1)
    ずっとベストセラーになっている本で片山恭一という人が書いた『世界の中心で、愛をさけぶ』という小説がある。(2001年4月刊の本が何故ここに来てどーんと売れ出したのか不明)
    このタイトルを聞いてピンと来た人が多いと思うけれど、もちろんハーラン・エリスンの『世界の中心で愛を叫んだけもの』というハヤカワ書房から出ていた作品タイトルのパロディになっている。
    と、ずっと思っていた。
    ま、普通に考えてもそのタイトルの類似性からしてみたら、ど忘れちゃったらドッチがドッチか解らなくなってしまうほどよく似ているタイトルなので。
    そう考えると、本のタイトルに内容は違うにしろ(片山恭一のは読んでいないっす)激しく類似したタイトルを付けちゃうってのはまずくないか?あるいは作者の良識を疑ってしまうぞ、と思っていた。
    特にこれだけベストセラーになってしまった今、元祖のハズのハーラン・エリスンの本を見たときに「これってアレのタイトルをパクったんじゃない?」なんて言われそうな勢いなのだ。
    と、ずっと思っていた。
    ところが、もしかしたらこの作者の片山恭一という人物はハーラン・エリスンの『世界の中心で愛を叫んだけもの』を知らない可能性が出てきたのだ。
  2003年10月04日(土)思想の無いタイトル(2)
    実は、10年近く前テレビ東京で放映され、極一部だけれど社会現象を巻き起こしたアニメ『エヴァンゲリオン』の中で(これも見ていない)使われた、とある回のタイトルが『世界の中心でEYEを叫んだけもの』だったそうで・・・・。
    たしか『エヴァンゲリオン』が流行っているときに、その読解解説関連では古今東西の作品のパッチワーク的な世界感とか言われていたので、もちろんハヤカワSF文庫で発売されていたこの辺りの作品も関連しているのかもしれないので、『エヴァンゲリオン』側のスタッフは小説のオマージュ的な扱いとしてサブタイトルに『世界の中心でEYEを叫んだけもの』と付けたのかも知れない。
    ま、昔から映画のタイトルを曲名にしたり、その手の別ジャンルへのタイトル引用は珍しい事じゃないんだけど、それの元ネタを知らなかったのかもしれないが、元々小説のタイトルだった『世界の中心で愛を叫んだけもの』と激しく類似な『世界の中心で、愛をさけぶ』という作品はマズイでしょ。
    作者の見識の低さって部分だけじゃなく、それに関わった編集人達が一人としてこの部分を指摘できなかったってのは・・・・。

  2003年10月05日(日)思想の無いタイトル(3)
    同じような巡り巡って困った物になったケースで『アイドルをさがせ』というヤツがあります。
    大本は60年代のフレンチ・アイドル「シルヴィ・バルタン」主演の映画『アイドルをさがせ』ってのがあり、それの同名主題歌もヒットしたんですが、それから20年以上経過した80年代中期に吉田まゆみが漫画として同名の作品を書いたのです。
    内容はまったく映画とは関係ない物なんですが(漫画の各話のサブタイトルがすべて曲名パロディだった)、それがヒットして映画になってしまった(実は映画版前に、月曜ドラマランド版のオールナイトフジ&初代いいとも青年隊主演の時代を感じさせる作品がある)。
    つまりこの時点で映画『アイドルをさがせ』という同名のまったく違う作品が誕生したことになる。
    さらに主演菊地桃子が主題歌『アイドルをさがせ』を出したので、さらに同名異曲が誕生してしまったのだ。

    自分の出した本も、いわゆる便乗した状態のタイトルなんだけれど、出版界にしても、ドラマ界にしても、自ら文化を創るという意識が薄いんだよなぁ。(特に野島作品はタイトルそのまま「家なき子」「未成年」「人間失格」「高校教師」などなどで、人間失格では太宰治の遺族から裁判起こされたり) 前に書いた「エロビアの泉」なんてのは誰もが解るパクリなので、ギャグで受け止める事が出来るんだけど。大まじめな小説のタイトルで、しかも元ネタがそ〜んなに有名じゃない(アマゾンなどの書評ではエヴァンゲリオンのパクリという指摘の方が多かった)ってのは、どうっすかねぇ。
    タイトルなんかどーでもいいじゃんという意見も少なからずあると思うんだけれど、アマゾンの書評なんかでは元ネタの存在を知らないと思える複数の人が「タイトルにインパクトにあったので手に取った」などと書いている。これって元のタイトルを考えた人の苦労をお手軽に自分の物として利用しているとしか思えないわけで(原題はThe Beast That Shouted Love at the Heart of the World)、内容がどうあれ「卑怯だよな」と感じちゃうのだ。

  2003年10月06日(月)73年定年
    もうすぐ衆議院が解散して、選挙運動が始まるらしい。
    で今問題になっているのが「73歳・議員定年制」なのだ。
    これを実行すると中曽根ちゃんがアウトになっちゃうので、やはり派閥を持っていて、未だに権力を握っている中曽根ちゃんの為に実行できない状態だとか、逆に実施しても「中曽根は特例」とかってことにするとか…。
    なんだかなと思うんだけど、これの議論は国会でいくらやってもダメですな。
    だって自分たちの権利を自ら悪くする法案が通るハズがないって。
    以前だって国会議員の給与をもっと引き下げようという法案が出たけれど、たった1回の審議で「却下」だった事もある。

    大昔の話だけど、故渡辺美智夫(ミッチー)が40歳ぐらいの頃から「国会議員60歳定年法案」を立ち上げた事があり、自著や色々な所でこの話をしていたんだけど、自分が60歳に近くなった時にいきなり「やはり国政を任されている人物はそれなりの人生の積み重ねが必要なので、定年は実行すべきではない」とか言い出した事もあるっす。
    ま、国政がどーのこーのではなく、誰でも自分の身がかわいいって事がよく判るんですけどね。

    でも「73歳定年」って何よ?
    普通の企業で考えたらあり得ない話でしょ? そんな爺連中が多くなってしまうから、実生活で汗水たらしている人たちの気持ちが理解出来ないのもしょうがないっすね。
  2003年10月07日(火)16-9+9
    未だに人気がある漫画「名探偵コナン」ですが、あの漫画って平成6年5号に連載が始まっているので、すでに9年もやっているんですなぁ
    つまり来年早々から「連載10周年記念」みたいなイベントが開催されるんだろうな。
    って事なんですが、あの話の根本は高校2年生の名探偵工藤新一がとある秘密結社のクスリによって体を小さくされてしまい、小学1年生の江戸川コナンとして活動を始めたってものです。
    つまり、小学1年生になっちゃった事からすでに9年なので、そのまんま高校2年生になっちゃっています。
    つまり、もう根本的な部分の「元の姿に戻れるか?」というものは意味が無いですなぁ。
  2003年10月08日(水)シュワ当選
    昨日、カリフォルニア州知事に俳優アーノルド・シュワルツェネガーが当選した。
    選挙直前にセクハラ疑惑だとか、ヒトラーを賞賛していた発言があったとか、いわゆるネガティブキャンペーンの大嵐状態。
    と言っても、アメリカの選挙ではこれらの足の引っ張り合いは日常的なことなので、シュワちゃんもあっさりと「過去にそういう事もあったかもしれない。ごめん」と早々に謝った。こんな実際にどうか不明な物に時間を割いている余裕はないのだ。
    しかもそれらの「私は胸をもまれた」とかキーキー言っている人が、どうも胡散臭そうな人ばかりってのが、どうにもこうにも。
    しかし、芸能人が立候補したときにありがちな、仕事仲間も駆けつけてっていうのが知っている限りではなかったみたいで、どうやら共和党から立った事に問題があるらしい。
    いわゆる共和党ってのは、戦時中にレットパージという共産党主義者を弾圧する行動に出て、多くのハリウッド関係者を逮捕したり国外追放にした元凶なのだ。かのチャップリンがアメリカを追放されたのだってこれによる物。
    つまり、戦後50年以上経っているが、未だにハリウッドと共和党というのは水と油状態らしい。
    そのために共和党から立候補したシュワちゃんに対して、ハリウッド協会はブーイングをしているみたいで、たぶん落選しても仕事はもう来ないのではとか言われている。ま、ハリウッドだけが映画製作会社じゃないけど。
    しかし、カリフォルニア州って確かにでかくて人口もむちゃくちゃ多いけれど、その州知事選挙に100人以上が立候補するってのはどういう物っすかね?
    たぶん、それのせいでその他大勢の票が分散してしまい、ネームバリューのあるわかりやすいシュワちゃんに票が集中しちゃったんだと思う。
    ま、党がどーだとか、俳優だからどーだとか、って部分じゃなく、この先何が出来るかってのには興味がある。
  2003年10月09日(木)髪切った?
    宮沢りえが映画の制作記者会見に出てきた時、意表をついたショートのツンツンヘアーで登場したそうで。
    そこで、やはり早速記者が「失恋したのでは?」と聞いたそうなんだけれど、今時、失恋=髪の毛を切るってのを言い出すってのはどうなんですかね?
    確か20年ほど前に松田聖子が「髪を切った私に〜」という歌詞を唄って、その時ベストテンですでに「今時、失恋したからって髪の毛を切るような女性はいないですよねえ」と話題になっていたんですが、今時の芸能記者はまだですか・・・。
    というか、男女が一緒に食事をしただけで「熱愛発覚」とか騒ぐ連中なので「何か変化した」=「恋愛関係で何かがあった」としか思考能力が働かないんだろうなぁ
    太ったとか、服の趣味が変わったとか、なんでも
    と思っていたら、宮沢りえが「えぇ髪の毛切ってから周りのみんなに失恋した?とか沢山聞かれるんですよ」などと答えていた。
    一般的にいまだにそうなのか?(と言いつつ、宮沢りえの周囲はすべて芸能関係者だと思うけど)

    「失恋=髪の毛を切る」という関連づけは元々、奈良時代などに夫が死んだときに妻が髪の毛を剃って尼僧となって出家した事が多かったことからの発想だとも言われている。
  2003年10月10日(金)汚れている
    生徒の曾お爺さんがアメリカ人だと聞いて「オマエの血は汚れている」と小学生に体罰した事件が騒がれている。
    最初聞いた時、その血というのはアメリカだとかではなく、韓国とかあっち方面の事かと思った。2ちゃんねるとかに行くと、馬鹿の一つ覚えのようにそっち方面を攻撃している書き込みを見ることがあるので。
    でも芸能関連の所でも「在日の芸能人を晒せ」とか「韓国系の芸能事務所は…」とか「日本の芸能界は隠れ韓国人で占拠されている」とか、だから何?と言う書き込みが散乱している。
    そこで書かれているのを見る限りでは「じゃ、韓国人は優秀ってことなんだね」とか思ってしまうのだ。日本の芸能人より多いって事は。
    しかしアメリカだったか。その教師が汚れていると言っていたのは…。

    自分的にはその差別する気持ちとか、馬鹿にする気持ちってのがよく分からないんだけど、アメリカ人だから日本人だからってどうなんでしょうかね?
    いわゆるヒトラーなんかはゲルマン人が世界で最高の民族であり、悪劣なユダヤ人を根絶やしにするのだなどと言っていたが、実際にはそのとき同盟を組んでいた日本人も馬鹿にしていた。有色人種は駄目な人種だとして(日本人は黄色人種ですからね)撲滅しちゃおうかと考えていたらしいのだ。ユダヤ人を根絶やしにしたあとは、アジア方面に進出する予定だったんだろうな。

    それと同じように「日本人は優秀な人種で、それ以外の血の混じった奴は汚れている」とでも考えているのか?って、根本的な部分で日本人は純粋種ではないってのを知らないのかなぁ
    現代の日本人のベースは弥生人で、それにアイヌ系&琉球系があり、縄文系・南洋系などなどが交わった物で、人によってそれぞれの特徴が突出しているので、単一民族とは言いにくいんじゃないかなぁ。
    自分なんかは「酒が飲めない」と言うアルコール分解酵素を持たない民族(中国福建省あたりが発祥らしい)の血が多く出ていて人には弥生系と言われています。
    でも、歴史をさかのぼって考えても、混血の方が優秀な人材が出やすいと言われていますけれどね。

    っつーか、今の時代に混血とか、人種とかを気にしているこの教師は、それだけでダメな時代遅れの奴って感じっすね。


     


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