ひねもす雑記
2003年10月11日〜20日


▲2003年10月11日:土:HOLD ME 怠惰
▲2003年10月12日:日:変質者とODN
▲2003年10月13日:月:模範
▲2003年10月14日:火:やはり無い
▲2003年10月15日:水:頑張る中国
▲2003年10月16日:木:リハビリ中
▲2003年10月17日:金:タモさん
▲2003年10月18日:土:20年越しの馬鹿友
▲2003年10月19日:日:なんと言うことでしょう
▲2003年10月20日:月:注文してね
  2003年10月11日(土)HOLD ME 怠惰
    朝夕の通勤ピーク時間の1時間のうち40分以上、遮断機が下りっぱなしの通称「開かずの踏み切り」は日本全国に1000箇所以上もある

    いやはや、気がついたら10月も中旬だよ、どうしようかね。
    これを読んでいる人には全然意味不明の文章かもしれませんが、これを書いている現時点の私は「雑記を8月中旬でストップしている男」なのだ。
    いや、雑記自体は日々書いているのですが、気持ちの中で「似顔絵を描いて、それを張った上で公開しよう」などと今でも考えているので、だらだらとすべてが先延ばしになっているワケです。
    8月中旬からストップしているために、実は「メルマガ4周年&単行本発売記念」と言う懸賞もネット上で展開してようと考えていたのが過去の話になってしまいました。
    そのほかに、今読むと「懐かしいね」になりつつある話題が。
    ま、このサイトを昔から知っている人にとっては「それがどうした」状態の怠惰具合なんですけれど。
    その怠惰具合も許した上でお楽しみ下さいませ。

    実際の事を言うと、今年は以上に時間の経過が早い。なんか自分が個人的にどーのこーのとか趣味的な物に走る時間がほとんど無い状態で、ある種のノルマに追われて走り続けているような感じなのだ。
    言いかえてみれば充実しているのかもしれないけれど、別の部分で未だに「これが本当にやりたい事なのか?」という焦燥感も感じている。なんか、未だに迷い続けて、未だに何か目的に手が届いていない感じがしちゃっている。
    まだまだ欲求不満が続く限り、このサイトも続いていくのだ。
  2003年10月12日(日)変質者とODN
    若手弁護士として「行列の出来る法律相談所」などに出ている橋下徹弁護士が今朝のTBS「サンデージャポン」放送中にいきなり謝罪をして番組を降板した。

    それはデイブ・スペクターの海外ニュースのコーナーの最中だったんだけど、いきなり所定の席から前に出てきて「先週の放送で問題発言をしてしまいまして、各方面より抗議の電話を受けました。この番組内での問題発言は2度目なので、突然勝手ながら番組を降板することにしました」と発言した。
    これは予定外の事だったらしく、デイブ・スペクターも呆然とし、司会の爆笑問題も女性アナウンサーも口をあんぐりと開けてただ橋下弁護士の発言を聞くしか出来なかった。
    どうやら先週の放送内で中国での会社ぐるみでの売春旅行問題に触れた時に「中国は売春によって外貨を稼いでいるという側面もあるので、言ってみればODNのような物なんですよ」的な事を言ったらしい。

    ま、誰が考えてもアウトな発言ってのは判りますが、爆笑問題が言うのなら「相変わらずのキツイ毒舌だよな」で受け流す事が出来るが(ま、それでも大問題だけど)、弁護士という立場のいわゆる法を司る良識のある職業としてテレビに出ている人が、そう言うキャラだとしても言ってしまうのはマズいよなあ。

    ちなみに、2度目の問題発言といっていますが、最初の問題発言は去年の5月頃に、和泉元弥の宗家問題に触れて「このご時世、能狂言のファンっていうと恥ずかしいじゃないですか。変質者っていうか」とコメントしたのが、伝統芸能をやっている人々などを巻き込んで謝罪しろ!と大騒ぎになった事があった。

    それだって酒場の席で「あのさぁ今時、狂言がどーのこーのって話題にする事って意味あんの?誰が宗家だとかって実際誰も気にしないでしょ。そもそも狂言なんて誰が喜んで見てるの?今時、狂言を必死に見ているヤツなんてよっぽどの変わり者だよ。言って見れば変質者みたいなもんだよな」と友達相手に喋る分には問題はない。あくまでも、その人個人の考えなんだから。
    でも公の場で弁護士という肩書きで不特定多数を相手にしゃべっているワケだからねぇ。

    今回の売春問題にても、昔から東南アジア方面に売春目的で出かける人が多いらしいが(最近は現地警察も厳重に警戒しているので、少なくなったらしいけど)、それをやはり酒の席で話す分には酔っぱらいの戯言ですんでしまう話だと思うのだ。

    しかし今回の番組降板についての突然の言葉には疑問な部分もある。
    実は先週の問題発言に対して番組放送前に「謝罪VTR」をちゃんと録画してあって、番組の終わり頃に放送する予定になっていたのに、いきなりコーナーを潰す状態で台本に無かった行動に出たってのは? マジにハプニングすぎて年末の「ハプニング大賞」でも使えない状態。
  2003年10月13日(月)社会の模範
    ハッピーマンデーによる月曜日の体育の日って事で「土砂降り」です。

    ということで、テレビなんか見ているんですが、普段見ることのない平日の番組を見ていると馬鹿なネタを延々と繰り返して放送するんですね。いやぁ頭痛くなった。
    といいつつ、垂れ流しで見ていた所、川合俊一がメイン司会をする番組で(久々に川合俊一を見たがこんな所にいたのか…しかし司会を全然出来ていなかった)馬鹿な投稿を紹介するのをやっていた。
    馬鹿親子と言うテーマだったのだが、出てくる親子がすべて「そんなやつ実際にいるのかよ」的な常識を激しく逸脱しちゃっていて、リアリティのなさすぎる話ばかりだった。

    小学校の運動会の応援席でバーベキューをする馬鹿家族に対して、司会の川合が「大阪じゃこんなの当たり前で、きっとテレビを見ている大阪の人がほとんど何であれがおかしいの?と言っている」と発言して、その直後ファクシミリ投稿で「いくらなんでも大阪でもそれはない」と抗議を受けていた。
    しかし抗議を抗議として理解できない川合はファクシミリ投稿を2枚読んだ段階で「ということで大阪にもまともな人が2名はいるみたいで」と発言。さらに「でもマジに大阪人はそれが当たり前だって」と…。
    抗議に謝るワケでも、自分の発言にフォローするワケでもないってのがダメだよな。オマエは石原慎太郎かってことだ。
    で、別の投稿で「ゴミの収集日の前日の夜、マンションの4階のベランダから真下にある収集場所めがけてゴミ袋を投げ落とす馬鹿家族」というのを紹介していた。
    言語道断な行為だが、その馬鹿家族は楽しそうに「今日は失敗」とか「大成功!」とか大騒ぎをしながら、全然悪いと思わず毎回行っていると紹介し、出演者一同が「そりゃダメだよ」と言っていた。
    そこでゲストの桑野信義がいきなり「俺もやったことあるよ。その時3階に住んでいたんだけど」と発言。
    「だってさぁ下まで降りていくの面倒臭いじゃん」などとフォローにならない自己フォローをするが、別の出演者から「でもゴミなんか朝出かける時に捨てればいいでしょ?」と言われると「だって俺の場合、普通の会社員なんかと時間帯が違うからダメなんだよね」などと、さも当然そうに言い放った。
    が、周囲の空気を察知したのか「あ、でも今はやっていないけどさ」などとあわてていい加えるのだ。が、あの様子では今でもって感じだよなぁ。まず「悪い」と思っていない所からして。

    さらに別の投稿では「調子が悪くて病院に行ったとき待合室の席が全部ふさがっていたので、無理して壁に寄りかかって順番を待っていた所、その席に座っていた人たちのほとんどが診察を終えて出てきた子供の両親・兄弟・祖父母という1家族だった」と言う物を紹介していた。
    つまり健康なその一家は席を占領していて、本当に病気で訪れた人々がその周囲で立って待たされていたと言う話なのだ。
    こりゃひどいね、と言っている時ゲストの作家・室井祐月が「あ、これってやはりマズイのかな?」などと言い出すのだ。
    「ウチも子供が調子悪くなると、じいちゃんばあちゃんも全員で病院に連れて行くけれど」などと平然と言い出すのだ。しかも、それが明らかに悪いと思っていない様子でケラケラ笑いながら。
    ま、室井祐月って人の場合、この話に限らずほとんどの会話が「私様」発言なので、いまさら驚くべき事ではないんですが…。

    しかし「まさかと思えるような異常な人々を紹介する」と言うコンセプトの番組なのに、ゲストがそのまさかの人だってのはどういう物なんでしょうかね?

    でも、最近はトークを中心に話がすすむ番組が多いけれど、ただ闇雲に思った事を緊張感もなく考えも無しにしゃべるケースが多すぎ。
    前日の橋下弁護士だって、今回の連中だって「テレビで何百万人の前で話をしている」と言う、影響力を全然感じていないみたいなのだ。
    こっちは9000人のメルマガですらビクビクしながら文章書いているってのに。

  2003年10月14日(火)やはり無い
    先週末に関東近辺の本屋に「知泉」第3刷が出回ったらしいという情報があったので、この3連休は静岡東部のごく一部だけど本屋チェックの旅に出た。
    が、である。

    たぶん17店は回ったと思うが、やはりどこにも「知泉」の影すらない状況。
    なんというか、長年「本を出すのがとりあえずの目標」と思っていたんですが、実際に本を出してみたら発売日の13日から4日間しか本屋に置いてあるのを見ていないって状態。
    東京などでは10冊以上が山積みになっている本屋もあるみたいですが、自分の生活圏内では3つの本屋に5冊・5冊・1冊入ったのを確認しただけ(知人関連で別の2つの本屋でたぶん5冊・2冊を確認したとの報告あり)。

    最初の配本は東販によって部数によって自動的に振り分けられていたみたいなんだけどれど(しかし、大きな本屋に1冊も入らず、スーパーマーケットの横の小さな本屋に1冊入るってバランスは何んなのでしょうか?)どういう流れなんだか分からない状態。
    つまり、そのぐらいしか確認できず、しかも1週間も待たずに店頭から消えて、それ以降は入荷しない状態が1カ月以上続いている。

    ちゃんと、それなりに売れた本だけど追加注文みたいな物はしないのか?う〜むなのだ。
    もしかして本屋への配本ってのは、出版者側の営業だけで決まっていて、本屋が追加注文するってのは無いのか?(本屋に取り寄せ注文があった時以外は)
    とりあえず現時点で19000部を印刷した事になっているんだけれど、冷静にその数字を考えてみた。

    47都道府県に単純計算で均等に配布されたと考えると、1つの県に404冊配布と言う状態なんですが、それでも「少ないものだね」と思うんですが、どうも色々な報告を聞く限りでは東京や神奈川あたりに集中して配布されているようなので、1つの県に200冊配布されていれば良いほうかもしれないっす。
    静岡県に何件の本屋が存在しているのか把握出来ていませんが、とりあえず三島・函南・沼津という地域に18冊配布されているのを確認しているので、やはり半分以上が関東近辺って感じなのかなぁ。

    静岡以外でも結構出回っていないと言う話をメールで聞かされているし、本当に四国や九州なんかにも出回っているのか?などと考えてしまう。
    なんかブームにあわせて「急げ急げ」とせかされて必死になったのが「出回っていないんじゃ意味ないじゃん」とか思ってしまう。

    確実に単行本に載っている雑学が、発売後にトリビアの泉でも紹介されているし・・・
    視聴率25%以上の番組(つまり何千万人単位で見られている)で紹介されたネタが今更載っている本と言うことになってしまうし、あの番組の本が1冊辺り50万部出ているので(3巻で150万部超え)とんでもなく多くの人に「知っている」と言われてしまうネタになってしまうのだ。
    ふ〜む。

    ついでに言うと、メールで報告をもらったんだけれど最近いろいろな番組でトリビア的な雑学を披露するのが多いけれど、あからさまにネタ元が単行本「知泉」に書いてあった物を紹介していたりするらしい。(報告だけで自分はその番組見ていないんですが)
    最初のネタと、さらに補足するネタが思いっきり知泉に書かれているままだったそうです。
    関東近辺以外に住んでいる人でこのサイトやメルマガを知っている人以外は、「知泉」なんて本が出ていること自体知られていないので、トホホなんであります。

    まず知られていないんじゃ、注文以前の話だよなぁ。ツタヤとかにも無いんじゃ、ダメだなぁ。
  2003年10月15日(水)頑張る中国
    中国の有人宇宙船打ち上げ成功!しかもその名前が「神舟5号」っつーから、かっちょいいのだ。ゴッドシップすよ。
    しかしその日のニュースで中国の人にインタビューしたのを流していたんだけれど、揃いも揃って「我が国は遂にアメリカ・ロシアと並んだ科学大国なのだ」とか「同じ国民として誇りに思います」とか「国威を近隣諸国に見せつける事が出来た」とか、ことさら「自国が」と言う部分を強調する。

    テレビ的な、そっち方面だけを編集してる可能性も大だけど、中国や韓国なんかって異常に「我が国は」みたいな部分を強調するような気がする。
    実際の事を言えば他のヨーロッパ諸国もアメリカも「我が国は」と言うのを強調するんだろうけれど。 逆に言うと日本が自国のことをそ〜んなに誇りに思っていないから、そう感じるのかもしれない。
    とか言いつつ、情報操作が大きく働いているんだろうなぁと思う部分も多い。(たくさんインタビューして、ディレクターの意図した答えのみをピックアップする作業)

    それをロケット打ち上げでは全然勝てない日本は、まだ優越感に浸って「中国ってさ、コンプレックスが凄いから、ちょっとでも優位に立つと勝った勝ったって言うんだよね」的なしたり顔で言うのが、ディレクターの意図した部分なのだ。

    たとえばアメリカなんかで放送される日本はいまだに、オリエンタルなイメージで、正月風景や京都の舞妓さんなどの着物を着ている人をたくさん放送している。
    そのために来日した外人が着物を着ている人を見かけないと「なぜ?」と思ってしまうのだ。
    同じように情報操作で、中国と言えば人民服とチャイナドレスですが、未だにそんなもの着ているのは特殊な人だけで、普通に生活している人はほとんど日本と変わらないような状態らしい。
    チャイナドレスなんかも、所有している人ですら少ないと言われていて、若い女性の間なんかでは「あんな古くさくて、ダサい服は着たくない」と拒否反応が大きいというのだ。

    日本人からしてみれば「チャイナドレスって色っぽくていいよね。中国に行ったら着てみたい」的な感じなんだけれど、ダサい服なのだ。
    欧米人が日本のキモノを「色っぽくていい。日本に行ったら着てみたい」と思うのと同じような状態なのだ。

    つまり観光客相手だとか、国賓が来た時に、チャイナドレスを着るってのは、日本でも同じ状態でキモノを来た女性が出てくるのと、まったく同じって事なのだ。
  2003年10月16日(木)リハビリ中
    気がつけば8月後半から2カ月も雑記を更新していない状態。
    実はちゃんと日々、雑記を書いているんですが「イラストを…」と言う考えが頭にあって、ついついイラストを描いてからなどと、更新を先延ばしにしているのです。
    別にだらけているワケではなく、それなりに日々どっかで作業をしているんですが、なかなかねぇ状態。

    実はイラストというか、似顔絵に関して激しいスランプになっているのです。
    別に描けないってワケじゃないんですが、自分の中で過去に書いた似顔絵を見て「なんかダメじゃん」と思うようになってしまったというのが、結構大きな理由かもしれません。
    1年必死に後をほとんど振り返らない状態で似顔絵を描いてきて、6月に個展を開催して、その後単行本を書く話が持ち上がって… ふと気がついたら、似顔絵を必死に描いていた時と違って、自分が描いた似顔絵を客観視できるような距離が出来てしまったのです。
    つまり、自分の作品と言う状態じゃなく、1歩後に下がった状態。

    もともと普通の人は「自分の事は棚に上げて」批評をするものですが、そんな調子で、さらに基本的に目標を常に高く置いてしまう自分なので、これまで描いてきた似顔絵のダメな所ばかりが見えてしまうのです。
    で、見事にスランプ。
    それなりに一生懸命描いても「なんかダメ」と感じてしまい、ペン入れをしても色を塗るところまでいけない。

    う〜むと思ってしまいますが、とりあえず現時点は似顔絵に関してはリハビリ中だって事で。
  2003年10月17日(金)タモさん
    数週間前のタモリ倶楽部の「空耳アワー」でネタとしてタトゥーの曲が出てきた時に、やはり根にもっているらしくタモリが「タトゥーはダメ」とか「オープニング出るくらいなら帰るなよな」とか発言していた。
    ラストにも「タトゥー以外の曲を送ってきて下さい」などと言っていたのだ。

    で、今日のミュージックステーションで安倍麻美(モー娘のナッチ妹)が出てきたのだが、その新曲が見事にタトゥーが歌うハズだった曲とソックリのメロディライン。
    曲の後、CMに入ってしまったのタモリがどういう気持ちでいるか不明だったが、あんましいい気分ではなかったのでは?

    よく「タモリはミュージックステーションでやる気が全然ない」などと言われるが、ほかの「HEY×3」のダウンタウンや「うたばん」の石橋&中居なんかよりは、断然いいと思うのだ。本来主役であるはずの歌手より司会者の方が上に立っている番組はよくないっす。
    タモリはその点、もともと上に立つとかに興味ないので、すべてをさらっと流すので、音楽を聴くためにはすごくアッサリ目でよいと思う。

    でも、実はもともと音楽マニアで、意外なほど好きな音楽のジャンルが広いのだ。
    なんせ、別の番組でミッシェルガンエレファントの解散に触れ「残念だったねぇ」と言い放ったのにはビックリした。さらに「あの手のバンドは永遠に続きそうなんだけど、解散ってのはねぇ・・・・ブランキージェットシティの解散の時も残念だったけど」などと言っていたのだ。
    その手のハードなバンドまで守備範囲だとは意外だった。

    その点、ダウンタウンなんか全然音楽聞いていないし(それもネタにしている)、石橋&中居なんかもそ〜んなにマニアックな聴き方はしていない感じ。流行とか「これ知っていると通っぽい」的な聴き方はしている感じもあるが。
  2003年10月18日(土)20年越しの馬鹿友
    単行本「知泉」に使用されていたイラストは美術学校時代から腐れ縁のように続いている友人との共同作業でした。
    そのイラストの代金を支払うために、今回、東京で大集合した。
    なんだか、そのメンバーが集まると、あれから20年も過ぎたなんていう時間的なものはまったく感じず、あの馬鹿だった20歳前後のまんまと言う感じになってしまうのだ。
    いや、馬鹿なのは不治の病なので永遠なんだけれど。

    確かに20年と言う時間の中で、それぞれが別々の経験をして、別々の人生ってヤツを歩んでいるんだけど「そんなの関係ない」って感じちゃうのだ。学生時代がすべて楽しかったと言うワケでもないんだけど、昔から言われているように「学生時代の友達は永遠」なのかもしれない。
    中には「学生時代の事は封印したい」とか、逆に学生時代の友人には絶対に逢いたくないとか思ってしまう人もいるんだろうし、久々に逢うってのも大きな要因なんだとは思うけれど。

    そんなこんなでありつつ、中には糖尿病ぎみで… などと言い出すヤツもいたり、徹夜が出来なくなったなど「若くはない」ってのを痛感するんですが。

    学校というのは美術系の所で、それなりに癖のある連中が揃っていたんですが、今思うとこの深くつきあっている連中は「お互いに描いている絵を認める事が出来る」と言うくくりがあったのだなぁと、今更ながら感じるのだ。
    美術学校だから絵を描いているのは当然なんだけれど、記憶を辿ってみてもどんな絵を描いていたのか思い出せない級友が何人もいる。最初はもっと大勢でワイワイやっていたけれど、気がついてみれば… というのも、お互いに「絵」ってヤツが何よりも大きかったんだろうなぁ。

    そんなワケで、今まで色々あったし、この先も色々あると思うけれど、仲間ってのは凄いなと改めて実感したのであった。

    そんな中「雑記の更新してないじゃん」と言われてしまった。
    しっかり頑張らなければいかんなぁ

    ☆糖尿病という病気は冗談にならないほどヘビーな病気だが、とある糖尿病を患っていた服役囚は差し入れに大量のチョコレートを希望して、それが届いた途端にそれを一気喰いして自殺をしたと言う事件が実際にあった。
    ☆ついでに言うとハムスターにチョコレートを食べさせると「チョコレート中毒症」になって死んじゃうからダメだよ。犬も量によっては同じ症状で死ぬことがある。いくら自分が好きだからといっても、与えちゃダメ。
  2003年10月19日(日)なんと言うことでしょう
    なんと言うことでしょう。おじいちゃんの大切な思い出が、ワケの解らないオブジェに変身してしまいました。
    なんと言うことでしょう。みんなの集うダイニングが二階に作られてしまったために、毎日階段を上ったり降りたり…、老人の足腰を鍛えようという魂胆なのでしょうか。
    なんと言うことでしょう。壁一面に収納を作ってしまったので、本棚などを置く場所がありません。常に整理整頓して表には物を置くなという指導なのでしょう。
    なんと言うことでしょう。小さな子供がいる家なのに汚れやすい白を基調として、常にきれいにしなさいという事なのでしょう。

    と言うワケで「ビフォ→アフター」ですが、あれを見ていると「おぉ凄い!」と思う時もあるのですが、この先、何年も何十年も生活するって事を考えると「どうなんでしょう?」と言う家が多々存在する。
    毎回見ているワケではないのですが、都会部にある家で「明かりが差し込まずに暗い」という悩みに対して「普段から人が集うキッチン&ダイニングを二階に持ってきて」と言うものが多々ある。
    確かにね、眺望はよいけれど… と思うが、それ以外の部分でどうでしょうか?とか思ってしまうのだ。

    以前あったのでは、子供が三人いてと言う家でも二階がダイニングで1階に子供部屋と言う設計になっていた。
    子供部屋は将来大きくなった時に自由な設計ができるような可動式パーテーションで区切られていた物だったけれど、あれって良くないよね。
    今は小学生ぐらいなんだけれど、子供が中学高校と成長した時に、ダイニングなどみんなが集合している部屋を通らずに、夜中でも自由に知られることなく出入り出来るし、友達などを誘い入れる事も出来る。
    ま、実は自分が昔使っていた部屋がそうだったんだけどね。
    今回も、二階にダイニングを持ってきてという設計だったんだけど、70歳を過ぎた女性と60歳直前の男性が30年の時を経て結婚を… と言う状態でのリフォーム。
    この家は買い物から帰ってきて食材を二階へ運び、一階に集中されたそれ以外の水回り関連の洗濯をして、二階に干して、寝るときも1階へ降りて、と、やたらと1階2階を行き来しなければいけないように感じたのだ。
    現時点で70歳と60歳で、階段の登り降りが大変だと思うんだが、その先もっと大変になってくると思う。
    ま、狭い家なのでしょうがない選択だとは思うし、いざと言うときも1階に寝ているほうが安心だけどね。

    それ以前にいつも「?」と思うのが、おじいちゃんやおばあちゃんの思いでの品を切り刻んで別のオブジェなどにしちゃうのが定番なんだけれど「壊さないでそのまま置いたほうがオブジェになるんじゃ?」と思う事も多々ある。
    なんか「細工しなければ、匠(たくみ)ではない」と、他のリフォーマーとの戦いになっちゃっている様な気がする。(番組以外の部分で、ここで腕を見せつければ仕事依頼が… と余計に頑張ってしまうんだろうけど)
    もっとシンプルなほうが… といつも思ってしまう。
  2003年10月20日(月)注文してね
    単行本「知泉」を出して早1カ月ほどが過ぎましたが、色々な事が判ってきました。
    ここ数年、いわゆる出版業界も不景気で「あんまり売れない」という状態が続いているために、「知泉」も初版の印刷数が最初の予定の3分の1程になってしまいました。

    それもしょうがないけれど、本屋で手に取って貰えれば確実に売れる本だと思っているので、ジワジワ売れるハズ… と思っていました。
    が、結局最初の印刷部数が少なかった為に、置いていない本屋がほとんどという状態でした。(東京周辺ではそこそこ見かけるみたいですが、地元の本屋ではほとんど見かけない状態)

    で、増刷した事にはしたのですが、やはり静岡東部ではほとんど見かけない状態。
    なぜだ?とずっと思っていたのですが、本というのは、最初は出版社が独自の判断で印刷する部数を決め、それを取り次ぎに依頼して全国の本屋に自動的に配布するシステムになっているそうです。
    この辺の「どの本屋に何冊配布」という仕組みはよく判らないのですが、最初は本屋の注文ではなく自動的に配られるそうなのです。

    で、その次の増刷分はその本を入荷した本屋などが「売れたから今度は何冊」という状態で出版社に注文を入れるそうなのです。
    つまり、2刷以降は本屋からの注文がないと増刷も出荷も出来ないという、完全に待ち状態での商売なのです。
    故に「知泉」の場合、最初から置いていない本屋も多かったため、追加注文という物がハナからほとんど無く(テレビで宣伝している訳でもないので、この本が発売されている事すら知られていない)当然の事ながら、最初の本が入ったごく一部の本屋のさらにごく一部が追加注文をして増刷ということになっているらしいのです。

    発売されている事すらあまり知られずに、当然立ち読みで手に取られる事もあまりない状態で、このまま終わりかなぁとちょっとショボン状態なのであります。
    てな訳で、ご購入がまだの方は近所の本屋で注文して(ついでに宣伝して)手に入れてくださいませ。 あるいは、親戚や知人に本屋さんがいる場合は「絶対売れ線だから」と、無理矢理宣伝してくださいませ。

    大手出版社の場合、「この本を入れないと、売れ筋の本の追加を入れないよ」などと脅しのような抱き合わせ商法を行ったり、最初から棚があったり、色々な方法があるそうなんですが、二見さんは… なので、マジに営業的に大変みたいです。(特に本が売れない今は熾烈を極めているそうで、大手の出版社しか相手にしない本屋さんも多いそうで… )
    注文しないまでも本屋で「二見書房の知泉って本、入っていないんですか?」などとワザと問い合わせをするのも「可」です。
    も〜なりふり構ってはいられないのだ。


     


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