ひねもす雑記
2004年02月11日〜20日


▲2004年02月11日:水:平和だなあ
▲2004年02月12日:木:ドキドキ
▲2004年02月13日:金:不健康増進
▲2004年02月14日:土:洗剤意識
▲2004年02月15日:日:愛称禁止
▲2004年02月16日:月:ケロヨンと支那
▲2004年02月17日:火:中華人民共和国チク
▲2004年02月18日:水:鳥が無ければ鯨を食べればいいのに
▲2004年02月19日:木:観覧希望
▲2004年02月20日:金:胡散臭い
  2004年02月11日(水)平和だなあ
    世間的には凄くきな臭いニュースが山盛りなんですけどね・・・
    テレビのニュース番組を見ると、芸能レポーターとしか思えない人物がオレンジ色の建物の外で神妙な面もちで「ついに恐れていた日がやってきてしまいました。我々庶民の味方が今日を持ってひとまず姿を消すことになってしまいます」などと言い出すのだ。
    ま、輸入牛肉が入ってこなくなったので吉野家を初めとする牛丼チェーンがしばらくの間、牛丼の販売を取りやめるって事で、今日そのストックしていた牛肉が終わってしまうと言うことなんだけど、まったく平和だなぁとしか思えない。

    確か去年の暮れの話では2月いっぱいはストックがあるが、などと言っていたんだけど、それが今日終わってしまうっていうのは、駆け込み来店で「しばらく食べられなくなるので、今の内に食べ納めを」なんて事なんだろうなぁ。
    つまり、なんだかんだあるけれど、吉野家的には「いつも以上に儲かっている」って事なんでしょうね。(牛丼が無くなった後も、その場しのぎの期間限定メニューを新しがって食べる人も多そうだし)

    しかし、最後の牛丼を販売して店先に「牛丼は売り切れました」という看板を出している店員が涙ぐんじゃって・・・もう馬鹿かと、もう阿呆かと。
    並んでいたのに食べることが出来なかった男性が店内で大暴れして逮捕されちゃっていたりして・・・もう馬鹿かと、もう阿呆かと。
    そこまで牛丼フリークだと自認しているヤツらだったら「最後の牛丼」が出た後で力強くこう言えばいいのだ『牛丼大盛り!つゆのみで!』

    私の場合、牛丼を最期に食べたのは・・・・去年の秋口に単行本関係で東京に行った時に松屋で食べたのが最後。で、最後と言っているが、その牛丼は約2年か3年ぶりに食べたと言う状態なのだ。
    その数年前に食べた時は一番体調の落ち込んでいた時期で(杉村が更新をさぼり続け「死んだ」という噂も流れた頃)、食べている途中に気分悪くなって残してしまったと言う記憶がある。それ故にずっと食べていなかったんだけど、こういう時にこの意味不明のダラダラ書き続けている雑記が便利なのだ。
    過去の文章をさかのぼってみると、2000年1月に「去年12月に牛丼を食べて気分悪くなって」などという記述がある。
    つまり、去年の秋に食べた、その前に食べたのは1999年12月だったのだ。そうかそうか、とりあえず私はこの世界から牛丼が無くなっても生きていけるのだ。
    そんな事言いつつ、テレビで「もうしばらくは食べることが出来ません」などと言っていると「食べなくては!」と意味不明の使命感がわき上がってしまうのであった。

    ところで基本的な問題なのは「輸入牛肉が入ってこない」と言う話だったハズなのだが、輸入牛肉は牛丼だけにしか使われていなかったのか?みたいな話になっているのだ。
    [2004.02.11-今日の雑学]
    『吉野家』という屋号は、日本橋の魚河岸に最初に店を構えた松田栄吉の出身地・吉野町から取ったもので、家にいるような感覚で食事をして欲しいという事で吉野家となった。
  2004年02月12日(木)ドキドキ
    トリビアで作曲家のリュリのことをやっていたけれど「指揮棒を足に刺して死んだ指揮者がいる」って、雑学としてそんなに面白いかなぁ
    あの番組では言っていなかったけれど、リュリは元々ダンサー出身の音楽家(元々音楽をやっていたけれど、ルイ14世に仕え始めた時踊り子だった)で、指揮が派手だったらしいんだけど。
    なんだか「面白い」ってのがどこら辺なのか解らなくなりつつある。これに関しては検証Vもただそれが描かれた映画を流しただけなので「VTRで笑う雑学」と言う部分でも…

    で、ピカソの「愛人にケンカをさせて勝ったほうとつき合う」って話も「そんなに面白いか?」と思ったんだけれど、その検証Vが昼メロの俳優たちが声を当てていたので「ピカソがどーのこーの」ではなく「ドロドロの愛憎劇をこの俳優達の朗読でやってみたい」という趣旨でピカソの話が選ばれたんだろうなぁ

    子連れ狼の乳母車はソリになったというネタで大五郎がちゃんと画面に出ていたけれど、深夜から見ていた人は「え?」と思ったかも知れない。
    実は深夜版でも子連れ狼ネタが出たんですが、その時大五郎の目が隠されていた。この大五郎は大きくなって事件を起こして、現時点でも塀の向こう側にいるのでそう言う処理になっていたワケです。
    で、今回の放送ではちゃんと顔が出ていたんですが、この映画の大五郎は富川昌宏なので大丈夫だったのでありやす。

    で、今回の放送でドキドキしたのは
    ☆ダンゴムシは…
    ☆バスケットボールは昔…
    まじに「あぁぁぁ出たかぁ!」と思って頭を抱えてしまったんですが、その内容は「ダンゴムシは壁にぶつかり右に曲がると次は左に曲がる習性がある」と「バスケットボールは昔50人対50人でやっていた」ってヤツでした。

    ちなみに先週の放送で「水戸黄門の旅、最大の遠出は鎌倉」というのがあったんですが、あれは公式記録に残されているモノで、実際には若い頃(正しく言えば水戸黄門と名乗る前の話なんだけどね)に熱海まで出かけている。これは水戸黄門のお父ちゃん徳川頼房と一緒に、しかも歩かずに駕籠で出かけたものなんだけどね。

    ついでに去年やった「トリビアの種」で「東京のラーメン屋さんで最も多くサイン色紙を飾られている芸能人は?」というのでテリー伊藤が選び出されていたけれど、これも裏があるっす。
    以前テリーがやっていたラジオで毎週ラーメン屋を取り上げて、その出演してもらったラーメン屋さんに毎週テリーがサイン色紙をプレゼントしていたんです。つまり、もっとも多く飾られているテリーだが、本人がその店に食べに出かけたと言うワケではない。

    しかし来週の予告は「モーツァルトは…」だけど、モーツァルトはエピソード多すぎで絞り込めないっす。短いエピソードだけ集めても1冊本が出来るぐらいありそうだからなぁ
    しかし、トリビアの単行本去年の10月頃までは毎週10万20万単位で売り上げ部数が増えていたんですが4巻が発売された時でいきなり勢いが止まってしまった。
    2003年10月29日放送 3巻で200万部突破
    2003年11月12日放送 4巻で200万部突破(4巻11月7日発売)
      ↓ 2003年12月02日放送 4巻で200万部突破
    2004年01月14日放送 4巻で210万部突破
      ↓ 2004年02月11日放送 4巻で210万部突破
    ま、私の本なんかより何10倍も売れているんですけれどね。(トホホ)

    [2004.02.12-今日の雑学]
    テリー伊藤の本名は伊藤輝夫。 伊東四朗の本名は伊藤輝男。
    (トリビアでピカソが愛人2人にケンカをさせたネタがあったが)ピカソ邸に泥棒が入った事があるが、唯一の目撃者がピカソだった。警察の質問に答えて「こんな顔をしていた」とピカソが書いた絵は、いつも通りの抽象画だった。
  2004年02月13日(金)不健康増進
    ♪健康系、健康系、カテキン式〜♪こんな不味いの飲むのなら〜♪不健康、不健康でも構わない♪
    とりあえず「緑茶」と書いてあったけれど、どうやったらあの味になるんだ?状態。
    食事の時に何気なく買って飲んだんだけど、確かに食欲が減退して痩せるかもしれない。

    水曜日の笑っていいともにくりぃむしちゅーが出たそうで、やはり出てくるなり「いいともの蘊蓄を」と言うことになった。
    そこで言い出したのは、やはりどっかで見たことのあるネタで。
    ☆いいとものテレフォンショッキングで長く話をしたと言うと、阿川佐和子さんの42分があります。他のコーナーをすべてすっとばして喋り続けたそうです。ちなみに1位は43分の黒柳徹子さんです。
    との事。
    しかし実際には阿川佐和子さんじゃなく、有吉佐和子さんで、これは番組途中で訂正が入ったらしい。 確かに阿川さんはそんなキャラじゃないからなぁ。
    有吉佐和子さんの出演は1984年6月22日(金曜日)。紹介したのは作家の有島一郎、紹介されたのはこれも作家の橋本治。
    有吉佐和子さんはまずオープニングの歌詞(当時は1番を全部歌っていた)の「不要な物を処分処分すっきりウキウキウォッチング」と言う歌詞を褒めて世の中に実に不要な物があると喋りはじめ、延々と現状の悪い部分を語り始めたわけです。
    で、「じゃこの辺りでお友達を」とタモリが言い出すと「友達の紹介なんて後でいいでしょ」と延々と語り続け、タモリが「ではこの辺でいったんCMに」と言った所「そんなのどうでもいいじゃない」とタモリをぱかんと殴り、そのままCMに突入した。
    黒柳徹子の時も同じような感じっす。
    毎年年末は「徹子の部屋」にタモリが出演するように、関係は悪くないがそれ以降一度も「笑っていいとも」には出演していない。(出演は同じ年1984年3月14日(水曜日)紹介したのは沢田亜矢子、紹介されたのは泉ピン子)
    有吉佐和子さんは出演後、しばらくして亡くなってしまったので、それが唯一の出演だった。

    [2004.02.13-今日の雑学]
    逆にほとんど喋らなかったゲスト:1991年6月27日のテレフォンショッキングの由紀さおりはエンディング最中の12時47分頃大遅刻で到着し、そのまま翌日の友達を紹介して番組が終了した。
  2004年02月14日(土)洗剤意識
    日テレ「マネーの虎」の冒頭部分で0.2秒単位で1万円札に使われている福沢諭吉の顔を挟み込んでいたと言うことで「サブリミナル効果」を狙ったモノとして問題になっているらしい。
    とりあえず日本放送組合だかの指導によって、それを外したモノに差し替えるという結果になったんだけど…。
    これも都市伝説的なもので「実はサブリミナル効果は本当に効果があるのか未だに答えが出ていない」と言うものなんですけどね。(何度かそのウソについては語った事があるけれど)

    オウム事件の時にアニメ「シティハンター」のコマの中に何故か麻原の顔写真がポツリと1枚混入されていたってのが問題になったんだけど、それに関して言えば「よく見つけたね」状態。
    もっともテレビのコマ数だと十分に肉眼視できる瞬間だと言われている。

    オウム本家では2畳ほどの狭い部屋に閉じこめて幻覚剤(LSD)を飲ませ、延々と麻原の説法や読経を聞かされ、ぐったりするまで洗脳させれられたと言う。
    そこまでやらないと人間は洗脳されないのだ。

    ちなみに最初の話題「マネーの虎」でそのようなサブリミナル画像を混入した理由はよく解らない。なんせ1万円に書かれている福沢諭吉の顔が脳裏にしみこんだとしても、それがどんな効果となって帰ってくるのかは全然読めないからなのだ。

    [2004.02.14-今日の雑学]
    福沢諭吉は「学問のスゝメ」などを書いた事によりとにかく教育的な人とされているが、文化人で最初に漫画の重要性に気が付き、明治32年『時事新報』に北沢楽天の漫画を掲載させた。しかも政府高官と同じくらいの高給で。
    福沢諭吉は、慶應義塾の向かいで銭湯を経営していた。
  2004年02月15日(日)愛称禁止
    野球にはほとんど興味はないが、原監督を無理矢理辞任させてナベツネが首をすげ替えた堀内監督。
    清原のニックネーム「番長」と言うのが「品の無い言葉なのでマスコミ各社はそう呼ぶのを辞めるように」と通達を出したそうで。
    さすが、野球や相撲をつまらなくする事に掛けては天下一品のナベツネが見込んだ男。もしかしたら「ナベツネの言うがままのコントロールしやすい人物」として監督に選ばれたのでは?

    ニックネームが付けられるってのはそれだけ世間に愛されている証拠なワケで、そういう意味で堀内なんて現役時代の印象はほとんど無いや。連戦連勝の巨人の中にあって地味で目立たない男だったからね。
    そういえば松井秀喜も一時期「もう僕の事はゴジラと呼ばないでください」などと言っていたが、誰もそんな発言聞かないでそのまんま使われて、今や「世界のゴジラ」だからね。メジャーに行った時も、逆にこれがキャラを際だたせていたんじゃないかと。

    野球も相撲も一時期の人気は無いって現状で、キャラが際だっていて客が呼べる選手が必要なハズなのに「番長禁止」だとか「高見盛の派手なパフォーマンスに注意」だとか「闘志剥き出しの朝青龍に指導」とか…。
    プロスポーツってのは技術を見せる以前に、見る方にとっちゃ娯楽なんだからその辺を忘れてしまっちゃ困るのだ。別に格式を重んじる伝統芸能にしようと思っていないよね。

    [2004.02.15-今日の雑学]
    ブルーオイスターカルトというバンド(アメリカ)には『Godzilla』と言う曲がある。そして曲中に日本語で「臨時ニュースを申し上げます。ゴジラが銀座方面に向かっています。大至急避難して下さい」とナレーションが入る。この台詞を教えたのは渋谷陽一。
    ゴジラは英語では「Godzilla」だが、広東語(香港)では「哥斯拉」と書く。で、台湾では「酷斯拉」と書く。
    ドラえもんの長編映画一作目「のび太の恐竜」の同時上映は、リバイバル上映だった『モスラ対ゴジラ』。さらにそのポスターをなぜか松本零士が書き下ろしていた。
    石川県根上町は松井秀喜の出身地として大々的に宣伝されているが、森喜朗前首相の出身地でもあると言うことは、忘れたい事実になっているらしい。
    石川土産「松井サブレ」には根上町特産の丸イモが使われている。丸イモは他の地域ではほとんど産出されない特産物。
  2004年02月16日(月)ケロヨン
    オウムの教団関係施設の一斉取り調べが入ったんだけど、その中で最も過激な方針を打ち出しているグループの名前がかなりトホホ。
    「教祖の教えにカエル」と言うことで《ケロヨンクラブ》だそうで…。
    しかし、ケロヨンと言うと、今、浦沢直樹がスピリッツで連載している「21世紀少年」の登場人物の1人の子供時代のあだ名でもあるんだけど、なんかこの漫画を読んで影響受けちゃいそうだよなぁ
    今までも、毒ガスを換気するシステムを『コスモクリーナー(宇宙戦艦ヤマト)』だとか、サリンの事を『サリーちゃん』とか、70年代の元祖オタク世代として色々漫画&アニメに影響を受けたネーミングをしてきたからなぁ、この人達は。
    おめえヘソ無ぇじゃねえか。

    [2004.02.16-今日の雑学]
    ケロヨンなど昔から薬は「ン」で終わる物が多いが、これは戦後横書きが左から読むようになった時に「最後がンだとそちらから読まれる事は無い」と言うことで考案されたもの。
  2004年02月17日(火)中華人民共和国チク
    昨日『ニュースステーション』で、ラーメンに使われている食材の日本国内自給率は?と言う話題の時にメンマを「シナチク」と呼んでしまったと、番組内で謝罪があった。
    そこで久米宏は「中国を蔑視する言葉・支那」と説明していた。(ワープロで直接変換されないんですな)でも実際の事を云えば、シナという呼び方はスペインやイタリアなんかでは当たり前に今でも行われている。
    中国は「チャイナ」じゃないのか?と思われがちですが、そもそもチャイナなんて呼び方はイギリスやアメリカが勝手に押しつけた呼び方で、中国(正しくは中華人民共和国ですが、もっと正しい発音は知らないっす)にしてみりゃ「勝手に英語読みしてんじゃねえよ」なのかも知れない。
    日本だって「ワシの国の名前はニッポンじゃい、なんじゃジャパンっつーのは」状態なんですけどね。
    ただ日本の場合は、第二次世界大戦中の植民地などの問題があるので「日本人が言う支那は蔑視用語」と言うことになって、テレビなどのマスコミ的には表現しちゃいけない言葉になっているダケっす。
    中には中国人が経営している「支那ソバ」の店とかも当たり前のようにあるからねぇ。
    もっとも、現在メンマはほとんどが台湾産。

    そういえば先日のどっかの番組で「しなそば」の店を訪問するのがあったけれど、何もなかった。この辺は各局ごと、番組ごとのライン引きがあるんでしょうかね。

    [2004.02.17-今日の雑学]
    メンマ(シナチク)の原材料は中国産のタケノコ・麻竹。麻竹は50cm程地上に出た太さ直径15cm程成長したものを使用。普通のタケノコは土から出る直前を土から掘り出して収穫する。
  2004年02月18日(水)鳥が無ければ鯨を食べればいいのに
    鳥インフルエンザが大々的に報道されている今、ヒッチコックの「鳥」を見たら怖いだろうなぁ(不謹慎発言)

    とりあえず、横田さん父、落ち着け(不謹慎かもしれない発言2)

    最近よく「鯨が砂浜に打ち上げられて…」などという事件を聞く。
    しかし国際条約の関係からその鯨を食糧として解体することはダメなのだ。変な話。
    で、なぜ砂浜に打ち上げられる事件が増えたのかというと、国際保護団体が「鯨は絶滅危険品種なので捕獲は禁止」と言っているが実際には増えすぎて困っている状態なのだ。
    そのために現在日本近郊の魚が鯨に食べ尽くされつつあり減少しちゃっている。
    それは漁師にとっては死活問題なんだけれど、同じく鯨にとっても死活問題なので、それまでの生活圏内に住んでいた魚を食べ尽くしてしまい、いままでは訪れた事のない陸地に近い所にまで魚を求めて出現するようになってしまったのだ。
    で、鯨ってのは前方に何か障害物があるかどうかって事を頭部にある特殊な機関から発する電波で察知しているんですが、砂浜ってのがその電波を反射しないために鯨がそのまま突っ込んでしまう事になる。
    捕鯨ってのを罪悪みたいに扱っているけれど、実はすでに人間が鯨を捕獲するってことも生態系の中に組みこまれていたのかもしれないのだ。
    牛肉が食べられなくなった現在、鯨を食べるのだ。(これまた不謹慎かもしれない発言3)


    [2004.02.18-今日の雑学]
    ザトウクジラの頭には大量の油が詰まっており、1頭あたり平均500ガロン(約1900リットル)もある。解体すると白い油が大量にどろりと流れ出る。そこで付けられた名前が『Sperm Whale/精子鯨』
  2004年02月19日(木)観覧希望
    ところで「銭形金太郎」における、ネプチューンと渡辺満里奈の存在理由は?
    ついでに客席の意味は?

    ところで「鉄腕ダッシュ」って現在はダッシュ村なんかの記録がメインになっているけれど、あの番組を見ていると時々笑い声が入るんですが… あれっていまだに会場でVTRをみるってのを続けているの?
    最初の頃は会場に客を入れて(全員若い女性だったけど)TOKIOと福澤明と何故か研ナオコと一緒にみて、あーだこーだ言うという物だったんだけど、未だに観覧をやっているのかな?
    そもそもほとんどVTRをみるだけの番組なのに会場に客入れてってのも不可思議な物で。

    そういえば「笑っていいとも」も最初の頃は撮影してきたVTRを見るコーナーもあった。たしか斉藤清六が色々な所へ行って何かをしてくるという物が週に1回のコーナーとしてあったハズ(数回で終わったような気もする)。

    客を入れた公開番組というのでは昨年末に放送した「ザベストテン2003」ってのも変な番組だった。
    オープニングは100人以上の客を入れたスタジオから黒柳徹子と他の司会者などの挨拶から始まり「誰を見たいですか?」などと後ろの雛壇に坐っている客にインタビューなどをしていた。
    そこでの受け答えは和気藹々としていて「それでは最初のゲストです」と久々に歌番組に出ますなどと言う南野陽子と、着物じゃなくミニスカートは久々ですと言う長山洋子が出てきた。
    客席は「オ〜ッ」と薄く盛り上がりいい感じで番組は始まった。
    で、次の瞬間、黒柳徹子が衝撃的な事を言い放ったのだ。
    「じゃ、南野さん、長山さん、歌のセットがある○スタジオまで急いで移動しましょう」
    客席の「エーッ!」という声を背中に「この番組は○○○の提供で」というCM前のコメントが画面に出る中、移動を始める南野と長山、そして黒柳達。

    結局、そこから一時間近く歌専用のスタジオからの生中継で、後半になって元のスタジオへ戻り「懐かしのVTRを見ながらクイズ」という番組を始めた。
    きっと観覧希望でやってきた人々はセットで歌う歌手を見たかったハズなのに。

    [2004.02.19-今日の雑学]
    客を入れて撮影してきたVTRを一緒に見て… という番組を一番最初にやったのは久米宏&横山やすしの「テレビスクランブル」。
  2004年02月20日(金)胡散臭い
    マコーレ・カルキンがテレビに出ていた。
    「ホーム・アローン」に出て人気子役になったあの少年なんすけど、すっかり大人になって久々に登場らしい。
    ハリウッドの子役スターのパターンで、その子役が生み出す大金によって両親が不仲になり離婚し、さらに親権の取り合いで裁判になり、当事者の子供は現実逃避から子供の内から薬とかに手を出し、仕事もなくなり転落人生を… という定番を経験したと言われているマコーレ君でやんす(確か10代の内に出来ちゃった結婚→離婚も経験済み)が、今回見てトホホ状態。

    以前からも、ちょっとそんな感じはあったんですが、思いっきり目がくぼんでギョロギョロした状態になっていた。もうカワイイ・カッコイイという印象がどこにもない。
    たぶん主役は無理っぽいし、脇役でもキツイ、あえて言えば悪役なら… と言う感じなのだ。
    子役で転落して、這い上がって来たといえばドリュー・バリモアなんかがありますが、あの人は「ET」の女の子で話題になって、その後お決まりのパターン。
    たしか腕に刺青も入っているので半袖になれなかったそうで(最近手術で取ったらしいけど)色々ありますなぁ。

    でも今回のマコーレ君のインタビューを見てて、そのマコーレ君が「これからは仕事を厳選して行きたいと思う」などと、とりあえず「俺は人気俳優なんだぜ」みたいな上から発言をしていて「おいおい」と感じてしまった。
    しかし、もっと胡散臭いなぁと感じたのが、このインタビューをしていたのがデイブ・スペクターだったのだ。驚く事にいつの間に覚えたのかヤツは流暢な英語でしゃべっていた。

    [2004.02.20-今日の雑学]
    デイブ・スペクター、メジャーな番組でのレギュラーは80年代初期の「笑っていいとも」。そこでヤツはデイブ・雄三・スペクターと名乗っていた。(サンコン&デリカットも同時期にレギュラーデビュー)

     


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