ひねもす雑記
2004年03月21日〜31日


▲2004年03月21日:日:いかりや長助氏よ永遠に
▲2004年03月22日:月:雑学の文章
▲2004年03月23日:火: 
▲2004年03月24日:水: 
▲2004年03月25日:木: 
▲2004年03月26日:金: 
▲2004年03月27日:土: 
▲2004年03月28日:日: 
▲2004年03月29日:月: 
▲2004年03月30日:火: 
▲2004年03月31日:水: 
※注 3月21日〜4月10日までの日記を日々記載して、まとめてアップしようと考えていたのですが、データの不具合によって消去されてしまいました。とりあえず思い出した物をメモ程度に書いた状態でのアップとなってしまいました事をご了承下さいませ。(詳しい説明は4月11日雑記にて)

  2004年03月21日(日)いかりや長助氏よ永遠に
    前日、本のイラスト代金のために東京のホテルに泊まった。
    ホテルと言っても凄く安いビジネスホテルなんだけれど。

    そこで「いかりや長助氏死去」のニュースを聞いた。
    なんか「ついに」と言う部分もあったが、あぁまた時代が一つ終わったという状態なのだ。
    自分的には中学生ぐらいでドリフの番組はあんまり見なくなってしまったんだけど、それでも自分の中での永遠に消すことの出来ない聖域ではあった。
    予定調和と既成概念の破壊。子供番組と言うことと毎週やると言うことの中で、常に常識を半歩ズラして笑いをとり、常に斬新な事を考えつつ子供が大好きな予定調和の来た来たを毎週繰り返す。

    やっている本人達はすっかり大人なんだから子供の目線に降りるなんて事は至難の業だったハズなのだが、常に入れ替わる子供相手に長い間番組を続けていったというのは凄いと思う。
    実際ドリフも最初の頃は試行錯誤の結果「もうこれ以上できない」と番組を辞めた事もあった。
    (半年ほど先輩バンド、クレイジーキャッツの番組が放送されていた、が子供的には面白くない番組だった)

    自分はあんまりドラマを見ないので、渋い演技のいかりやさんはあんまり見ていないんですが、ラガービールでのソロベースはしびれました。
    あんな格好いい爺になりたい。

    これまでご苦労さまでした。あっちにいる荒井注さんにもよろしくです。

    [2004.03.21-今日の雑学]
    日本人で一番最初にチョッパーベースをやっていたのはいかりや長介だと言うデマが流れたことがある。ウワサの出元は近田春夫。
    実際に日本にチョッパーを持ち込んだのは日本人バンド初のヨーロッパツアーをしたサディスティックミカバンドのベーシスト小原礼(尾崎亜美の旦那)。
    それを一般的にしたのはミカバンド2代目ベーシスト後藤次利(その後のサディスティックスの時)
    チョッパーなどと言うのは日本だけで本当はスラップベース。そこからもチョッパーのチョは長助のチョなどと言われた。(いかりや氏は指が長かったので、普通に指で弾いたのがチョッパーに近い音になっていたと言う説もある)
    ビートルズの武道館コンサートの前座をドリフが務めたというのは、そこそこ有名な話だが、そこでボーカルをとったのは仲本工事。歌ったのは「のっぽのサリー」の一番だけ。
    勢いよくステージに登場していきなり歌っていきなりステージから降りて走り去るというアイディアだったが、引っ込むとき、ステージ袖で待機していたビートルズのメンバーにベースがぶつかった。いかりや氏はビートルズに全然興味が無かったのでそれが誰なのか今でも不明。
    ドリフターズのメンバーでビートルズのステージを生で見たことがあるのは、当時普通の高校生だった志村けんだけ。
    その時、会場で客が「ドリフが引っ込め!ビートルズを出せ」と叫んでいた。その中で志村けんもいてドリフに罵声を浴びせていたとウワサされたが、ドリフが出たのと、志村が見たのは違う日。
    ちなみにビートルズは日本公演の次はフィリピン公演を行った。そこでコンサートが終わった後、いきなり「マルコス大統領が公邸でパーティをするから来い」と命令された。(イメルダが大ファンだったらしい)しかし最初の予定になかった為に帰国しようとそのまま飛行場に向かった所、熱狂的なマルコス支援者に取り囲まれて飛行場でボコボコにされた。実はその経験がビートルズがライブ公演をしなくなった大きな理由。
  2004年03月22日(月)雑学の文章
    20日の雑記に書いた話ですが、パクリだとか、どーだとか言うつもりじゃ無いっす。
    芸人として格好悪いなあと感じるだけです。
    だって、自分の身に付いた蘊蓄じゃないもん。
    ま、人に言わせれば読んで覚えた瞬間からもうその人の知識って事になるんでしょうが、ちょっと考え方が違うよな。

    しかし、こっちのほうが立場は弱いでしょう、たぶん。
    雑学自体は確かに6年ほど前からサイトやメルマガで乱発していましたが「知泉」と言う本をまとめ始めたのは去年の夏からです。
    その時一番苦労したのは、すでに人気の高かった「トリビアの泉」と雑学マニなら絶対チェックしている「うんちく王」は絶対チェックしなければいけないという事なのだ。
    つまり、その番組内で披露されてしまったトリビアなり蘊蓄なりは「もう本に載せることはできない」と言うことなのだ。

    例えそのネタがサイトのほうではずっと前からあって「絶対このネタは笑えるよな」と自信があったとしても、テレビでやられてしまったものは「あ、この雑学ってテレビのパクリじゃん」という事になってしまうのだ。
    なんせテレビは視聴率が悪くても一気に何十万人が見ている。(深夜はそこまで多くないと思うけれど)そして無条件で「テレビの方が偉い」みたいな信仰をしている人は多い。
    テレビでやっていた事を無条件で信じる人、多いでしょ?

    だから逆に言うと「知泉」と言う本のネタはうんちく王で使うのには最良のテキストと言うことになるのだ。なんせうんちく王で出たネタとのかぶりは無い。
    ついでに文章も笑えるようにひねっている物が多々ある。

    雑学も発想の転換でネタになります。先日の「トリビアの泉」で「なるほど」と思った物に「音のしないおならはおならではない」と言う物がありました(文面はちょっと違っていたかも知れないけれど) これに関しては「おならの語源は「鳴らす」である」と言う雑学をもともと知っていたんですが、それではインパクトが少ない。そうかとは思うけれど。
    そこで「音のしないおならはおならではない」と言う文章のひねりになったのだなと言うことなのだ。これは結構、ひねり上手なトリビアだと個人的には思った。

    見出しになりうる雑学を見つけだすってのは結構大変なのだ。

    [2004.03.22-今日の雑学]
    日本ではおならを「へ」と言うが、フランスでは「ペ:Pet」と言う。
    古代エジプト人にとって「おなら」は一種の信仰の対象であった。
    宇宙船の中でオナラをするとニオイが拡散しないので、臭う場所は原液のような濃密な臭さらしい。

  2004年03月23日(火)  

    [2004.03.23-今日の雑学]
    売れっ子役者の事を古くは「千両役者」と呼んでいたが、この千両とは江戸幕府が決めた役者の給料の上限。
    ※当時の役者は芝居小屋が年契約で雇う物で、契約として最初に給料が決まっていた。もっとも千両以上で契約をする人気役者もいて、年俸以外に客の入りで特別給与などを上乗せしていた。ちなみに江戸中期の1両は20万円ぐらいと考えると2億円役者。

  2004年03月24日(水)  

    [2004.03.24-今日の雑学]
    阿波踊りの運動量はボクシングに匹敵する。 「阿波踊り」は科学的に検証した結果、ボクシングにも匹敵する激しい運動を含むことが分かった。
  2004年03月25日(木)  

    [2004.03.25-今日の雑学]
    『招かざる客』という言葉は、本来は「予期せずに素敵な客が来てくれた」という喜びのときに使う言葉。
  2004年03月26日(金)  

    [2004.03.26-今日の雑学]
    スポーツを奨励する言葉に「健全なる肉体に健全なる精神は宿る」があるが、本来は「完全な肉体に完全なる精神が宿っていればよいのだが…現実は」と言う意味。
  2004年03月27日(土)  

    [2004.03.27-今日の雑学]
    現在「藝術」を「芸術」と書いているが、実は「藝」と「芸」は、本来違う意味の漢字。
  2004年03月28日(日)  

    [2004.03.28-今日の雑学]
  2004年03月29日(月)  

    [2004.03.29-今日の雑学]
  2004年03月30日(火)  

    [2004.03.30-今日の雑学]
  2004年03月31日(水)  

    [2004.03.31-今日の雑学]


     


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