ひねもす雑記
2004年08月11日〜20日


▲2004年08月11日:水:オリンピックイヤー
▲2004年08月12日:木:シーザー方式
▲2004年08月13日:金:13日の金曜日
▲2004年08月14日:土:音楽
▲2004年08月15日:日:谷また金
▲2004年08月16日:月:♪赤とんぼ、毛を取ったら
▲2004年08月17日:火:クロベエ
▲2004年08月18日:水:長い酷ぇ数 間違いない
▲2004年08月19日:木:ナンパ歩き
▲2004年08月20日:金:ぬっころす
  2004年08月11日(水)オリンピックイヤー
    てな事で金曜日からアテネオリンピックが始まるワケですが、そうなると現在開催中の高校野球なんて話題の隅に追いやられて、プロ野球なんかも忘れさられて、なんだかんだ言いながら盛り上がっていくんでしょうな。
    日本人なんて島国であんまり諸外国とのつながりも薄いので、自分の国を改めて「日本」という枠で考えるのはこーゆー時ぐらいしかないのだ。他の国はやはり陸続きで他国と接している関係からか、常に自分の国を考えているような気がする。良くも悪くも。

    日本は他のアジア諸国に対して「俺等はお前らと違うモン」みたいな選民意識を持っているような気がするんだけど、それはやはり他のヨーロッパ諸国を見下したような姿勢を常に見せている島国イギリスなんかにも感じる。ある意味、侵略・内紛の繰り返しで成り立っていったヨーロッパの中であんまり関係ない歴史を築いてきた国なので独自なんだろうなあ。

    かのナポレオンもイギリスだけは落とす事ができなかった。その結果、ヨーロッパ各地は以前は右側通行だったのをナポレオンが統治に便利なように左側通行に矯正したが、侵略出来なかったイギリスだけは従来通りに右側通行が今でも続けられている。
    (日本は江戸時代、武士が刀を腰に差している関係から「ぶつからないように」と言う配慮で左側通行が基本だったが、明治時代イギリス式の交通が取り入れられ、右側通行に矯正させられた)

    そんなワケで、先日のサッカー・アジアカップみたいに試合とは別の部分での国同士のケンカは無しでいきましょうぜ。

    [2004.08.10-今日の雑学]テーマ『オリンピック』
    オリンピック公認プールは50メートルジャストに作られてはいない。 計測用のタッチ盤を設置する関係で1センチ長く作られている。
    1900年から6回、オリンピックでは『綱引き』が正式種目だった。
    1964年の東京オリンピックで公開競技として、弓道と剣道が行われた。
    一時期オリンピックの正式種目としてゴルフ・モーターボート・ラグビー・ポロなどが行われたことがある。
    韓国で若者の義務である懲役を逃れる方法の1つ「オリンピックで3位以内に入ること」あと「アジア大会で金メダル」も懲役免除。
  2004年08月12日(木)シーザー方式
    「カバの肉はとにかく不味い」と言うのがカバに関する雑学の定番なんですが、それはウソだという話もある。
    ムチャクチャ旨いために逆の噂を流し密漁を防いでいると言う説もある。これ辺りは確認しようがないので、永遠の謎なのだ。

    この手のウソの雑学も多く流れていて、それが定番化してしまう事も少なくはない。
    以前の話ならば「帝王切開の帝王とは、ジュリアス・シーザー(今はカエサルが一般的な発音ですが)がその方法で生まれた事からその名前が付けられている」と色々な書物に書かれていた。それは単純な雑学本のみならず、ちゃんとした大学の先生が書いた論文の中にでさえ。
    が、実際には間違ったトンデモ雑学で「ラテン語の切るという「caesarea(セザリア)」をドイツ語訳する時に勘違いして「caesar(シーザー・あるいはカエサル・あるいはカイザー)」としてしまった誤訳。さらに日本語訳の際に「シーザーなら帝王」ということで定着してしまった。」というのが正しいとして書かれている。

    もっともドイツ語に訳されたのなら「caesar」ではなく「Kaiser(カイザー・皇帝の意味)」っすけどね。で、上記の雑学を訂正した雑学にも間違いがあって「ドイツ語に訳した時に間違えて」となっていますが、実はドイツ語の「Kaiser」には皇帝という意味と同時に「分離する・切除する」という意味も含まれているらしい。
    つまりラテン語の「sectio caesarea」をドイツ語の「kaiser shinitt」に翻訳した事は間違いではないと考えられている。
    で、どこが間違ってしまったのか?というと、単純に日本語訳した際に勘違いしただけみたいなのだ。つまりこの間違い雑学は日本のみで語られているらしく、しかも「俺ら悪くないも〜ん、悪いのはドイツ人だも〜ん」と言い張ってしまっているのだ。ありゃりゃ。
    で、誰が最初にこの間違いに関して間違った解釈をしてしまったのか?というと、どうやら権威のある「広辞苑」らしい。

    【帝王切開】中世の俗説に惑わされて、ラテン語 sectio caesarea の caesarea を「切る」の意でなくカエサル(帝王)の意と誤解し、それを Kaiserschnitt(ドイツ) と直訳したものという『広辞苑(第四版)』

    で、実はこの間違った間違い訂正が世間に知れ渡ってしまった後、こっそりと『広辞苑(第五版)』ではその記述が修正されている…。


    [2004.08.12-今日の雑学]テーマ『シーラカンス』
    シーラカンスの肉は不味いというのは雑学の定番。しかし別の報告では旨いというものもある。これも確かめられないので永遠の謎。
    シーラカンスの肉を食べた日本人の中にはドラクエの作者・堀井雄二がいる。少年ジャンプの企画で食べたものだが、そこでは本来の味を知るために何も付けずに食べたのだが感想は「水をつけたハブラシを噛みしめたような味」との事。
    別の研究者の文献では「脂肪が多く,酢味噌で食べるのがうまい」と書かれている。
    現地の人は当たり前のように食べていたという報告もあるらしい。
    静物の旨い不味いはアミノ酸の進化具合による。いわゆる原始的な生物はアミノ酸が発達していないので旨味成分がほとんどない。ムツゴロウ氏によるとアメーバはまったく味が無い。
  2004年08月13日(金)13日の金曜日
    今日は13日の金曜日でやんす。
    いわゆる13と言う数字はキリスト教では嫌われる数字で、それはキリストの13番目の弟子ユダが裏切ったと言う事から来ているとされている。
    でも実際の事を言えば、キリスト教以前から13は忌み嫌われていた数字で、どうやらキリスト教での13を嫌悪するのは後付の話らしい。

    というのも元々、古代ギリシアなどでは12進法が使われていて、12と言う数字は「完全数」と考えられていて、オリンポスに住んでいる神々も12人と考えられていた。その完全数に1を足した13と言う数字は「完全を破壊する」という意味で嫌われていたらしい。
    クラフトが書いた「ストラヴィンスキー 友情の日々」という著作の中で極度の「13日の金曜日恐怖症」に陥ったシェーンベルクの話が出てくる。

    この中で1951年7月13日の金曜日に「きっと何か悪い事が起こる」とおびえるシェーンベルクが出てきて、その恐怖の一日が終わった真夜中の12時過ぎに妻が「ほら何も無かったでしょう」と部屋の様子を見にいったところ、ベッドの中でシェーンベルクが死んでいた。しかも部屋の時計は12時すこし前で止まっていたと書かれている。
    しかしなぜ時計が13日に無くなったかのように止まっていたのか不明だし、そもそも死んだのと時計が止まっていた事に相関性が認められないので、作り話の粋を出ないでやんす。

    もっとも13と言う数字はキリスト教圏内で嫌われていると言うことになっているが、イタリアなどでは13(tredici: トゥレーディチ) をラッキーナンバーとしている人は多くいる。
    実はイタリアのトトカルチョの1等賞が「13」なので。これは13試合全ての結果を当てるもの。

    [2004.08.13-今日の雑学]テーマ『ストラヴィンスキー』
    ストラヴィンスキー作曲のピアノ曲「イ調のセレナーデ」の第1楽章の最終符に、「音を出さずに鍵を押せ」という指示がある。つまりピアノの鍵盤をごくごくゆっくり押せという指示で「耳で聴くんじゃない、感じるんだ!」という状態。
    ストラヴィンスキーは自分のヌード写真を撮る趣味があり、それを知人に送りつけたりしていた。かなり迷惑な趣味。
  2004年08月14日(土)音楽
    夏でんなあ、暑いでんなあ。そんなワケで雑記は休みでやんす。
    雑学のほうは前日に続いてクラシック音楽関連。

    [2004.08.14-今日の雑学]テーマ『クラシック音楽家』
    ドビュッシーが作曲した『交響曲・海』は、自宅の部屋に飾ってあった葛飾北斎の富嶽三十六景の「神奈川沖波裏」を見て作られた物。
    作曲家ビバルディがとある罪で裁判に掛けられた時に職業「音楽家」ということで罪が軽減された。それは別に優遇措置という意味ではなく「音楽家なんて尋常ならざる人物なので、犯罪も致し方ない」という物。つまり精神異常者と同等の扱い。
    作曲家シューマンは音楽家ということで彼女の父親から結婚を反対されていたので、大学の哲学博士の学位を取り、認めてもらった。
    モーツァルトは汚い言葉マニア。21歳の時に姉に送った手紙「キミの鼻の頭にウンコをひっかけてあげよう。アゴまでたれるくらいに」。とある女性に送った愛の手紙「ミュンヘンに来ないとウンコするよ?」などなど。
  2004年08月15日(日)谷また金
    谷亮子が2大会連続の金。たしか細木数子が「谷亮子は金取れない」と言っておりました。さてはて。
    ま、占いの場合「当たるも八卦外れるも八卦」とか昔から言っておりまして、当たった場合は「それ見たことか」で、外れた場合は「助言が効いた」って事でどう転んでも良いって事になっているのだ。

    しかし、これでまた谷夫妻が調子づいちゃったらどうするんだろうか?
    たぶん次回オリンピックは32歳なのでキツそうだから、ここら辺りから今まで以上にタレント活動に力を入れるのでは?とか考えてしまうのだが、それはマジに困った物だ。

    すべての新聞が1面に「谷亮子2度目の金!」と大騒ぎしている。しかし同日に男子60K級で野村が3連続の金メダルを獲得しているんだよなぁ。そっちの記録のほうが偉大じゃないか?ほとんどの新聞で谷の活躍の片隅にちっちゃく「野村も金」みたいに書かれていた。新聞によっては一面に書かれていなかった物もあるらしい。
    本人もその事にはちょっと憤慨しているらしい。そりゃ当然。
    テレビでもインタビューは谷亮子中心でオマケで野村という状態なのは、どーかと思うのだ。もっと偉業を褒め称えるべきだと思う。

    これは前回のシドニー五輪の時も同じで、田村亮子(当時)が金を取ったという事がすべての新聞が1面で大騒ぎをして、なんか興味のない場所から見ていると気持ち悪かった。
    もちろんテレビも大騒ぎで「よかったよかった」の大連呼大会。

    そんな中、徳光和夫だけが「まったく田村ばかりでおかしい」と憤慨していた。さすが徳光だ「全部新聞1面が田村じゃなくてもいいだろう、なんせ昨日巨人軍も勝ったんだ、読売ぐらいは1面を巨人にするべきだ」と述べておりました。
    嗚呼…。
    (と言いつつ、その時「田村に国民栄誉賞を!」と言う声が上がっていたのに一週間後、高橋尚子が世界記録で金メダルを獲得した時にそんな事、忘れ去られていたけど)


    [2004.08.15-今日の雑学]テーマ『徳光和夫』
    2002年9月11日のアメリカ同時テロの余波が世界中に広がっている最中の10月初旬、長嶋監督引退に際し「長嶋監督の勇退が同時テロやヤクルトの優勝をかすませてしまった」と発言。
    徳光が巨人好きなのは長島がいた球団だから。長島入団以前、子供の頃は西鉄ライオンズが好きだった。
    近鉄のローズ選手が、王選手のホームラン記録と並びそうだった時「顔も身長も判らないようなヤツに王さんの記録が抜かれるのは納得できん」 と発言。 今期から巨人の選手なんですが、もし抜きそうになったらどういうんでしょうか?
    広島がリーグ優勝を決めた直後「まだ判りませんよ、広島の選手が乗った飛行機が落ちたら2位の巨人が優勝って事もあり得ますから」と発言自体も、実際にそうなってもあり得ない話をしていた。
     
  2004年08月16日(月)♪赤とんぼ、毛を取ったら
    トリビアで「作曲家の山田耕筰はハゲていたので本名の耕作に毛(ケ)をはやして「耕筰」にした」というのをやっていましたが、あれで言っていたか不明ですが(ちゃんと見てなかった)、名前を変えた理由はもうちょっと深い物があるみたいっす。

    実は山田耕筰は占いに異常にハマっていて、自分のみならず周囲の人に改名や漢字変更を強要して、かなり迷惑がられていたみたいです。
    しかも占いにハマり過ぎて『生まれ月の神秘』という占いの専門書まで書いて出版している。
    この占い好きってのは、山田耕筰の姉の結婚相手がイギリス人宣教師ということで、その義兄から教え込まれた物らしい(山田耕筰が15歳の時に姉が結婚してその後一緒に生活をしていた)。

    さらに作曲者になったキッカケも、この義兄に西洋音楽を教わり、オルガンの手ほどきを受け楽譜が読めるようになった。つまり山田耕筰少年にとってはかなり影響を与えた人と考えられる。

    [2004.08.16-今日の雑学]テーマ『山田耕筰』
    日本ではじめて卓球をやったのは山田耕筰(らしい)
    一般的なスポーツ関係の本によると日本における卓球の歴史は1902年に坪井玄道(大学教授)がイギリス留学の時に覚えて持ち帰った物とされているが、実はその義兄と暮らし始めたのが15歳の時1901年で、その同居し始めた当初、イギリス人の義兄が持っていた卓球の道具で試合をしたという記述が残されている。

    山田耕筰の「赤とんぼ」のメロディで「赤とんぼ」のアクセントは「あ」が高くなっていて本来のアクセントと違うが、実は作曲した当時(1927-昭和2年)のアクセントは「あ」が高い物だった。
    現在のアクセントでは「あとんぼ」となっているが、昭和初期まで「かとんぼ」だった。
    山田耕筰と言う人は日本語のアクセントを異常に大切にする人で、メロディを考える時にはその言葉の元のアクセントを重視していた。

    「赤とんぼ」の作詞は三木露風。この曲の3番にある「十五でねえやは嫁にゆき」は実の姉の事ではなく、家で働いていた女中さんの事らしい。(作詞は1921-大正10年)
  2004年08月17日(火)クロベエ
    元チェッカーズのクロベエこと徳永善也が亡くなった。享年40。
    以前も高杢が病気療養した時に書いたけれど、チェッカーズがぎりぎりアマチュアだった時代に同じステージに立った事がある。(こっちはバリバリの素人で、向こうはそのイベントのゲスト)
    なんか同世代の人々の訃報を聞くようになってきて、辛い物がある。
    自分なんかも先日、体調不良から二週間のリハビリ入院をしたばかりなので人ごとじゃないっす。

    時々思い出したように過去録画したビデオをDVDに落とす作業をしている。
    大量のビデオがあるんだけど、その95%が音楽物で、残りの4%がバラエティ関係で、ドラマ・特撮などはほとんどない。
    そんな時に何気にDVDに落としたビデオの中に1988年当時の「夜のヒットスタジオ」があってチェッカーズが出演していた。ちょうどフミヤが婚約したとかって話題の回で、フミヤに杏里が結婚式の定番曲ということで「サマーキャンドル」なんかを唄っていた。

    クロベエは当時も地味だったけれど、チェッカーズ解散後かなり早い時期に「リトルバッハ」というバンドで活動再開をしていたのを記憶している。
    それ以降の活動は不明ですが、ご冥福をお祈り致します。

    [2004.08.17-今日の雑学]テーマ『バッハ』
    ヨハン・セバスチャン・バッハが「音楽の父」と呼ばれるのは、ドレミファソラシドのそれぞれの音の間隔を平均的して使いやすくした「平均律」を考え出したため。
    バッハの最後の作品は「フーガの技法」の4重フーガ(4つの主題が現れるフーガ)だが、《B-A-C-H》の4つの音で始まる第3の主題が登場して間もなく作曲者死去のため途切れている。
    この未完のフーガの原稿末尾には、息子のC.P.E.バッハがわざわざ「BACHの名が持ち込まれたところで作曲者は死去した」という書き込みをしている。
    バッハの一族は音楽家の家系。バッハ一族には少なくとも52人の音楽家がいた。
    バッハは、2回結婚して、20人の子供を産ませた。そりゃ音楽家の家族も多いわけだよ。
  2004年08月18日(水)長い酷ぇ数 間違いない
    漫画「美味しんぼ」の最新刊89巻が出た。
    って、食い物の話ばかりで89冊かよぉって感じ、出てくる人間どれもこれも食いしん坊で、どんな事件が起こっても結局何かを食べれば解決。
    世の中こんな風だったら楽なのになあと思うんだけどさ。

    しかし、確かこの漫画「東西新聞社の創業百周年イベント究極のメニュー」を作るために始まったんじゃなかった? いつそのメニューが完成したのか、あるいはそんな話途中で関係無くなったのか記憶にないっす。
    で、1巻をチェックしたらこれが昭和60年に発行されている。つまり1985年で、その作品中で大原社主が「今年は東西新聞社も創業百周年を迎える」と発言しているのだ。
    つまり来年2005年は創業120周年なのだ。

    漫画の単行本で89巻って言ったら昔はあり得ないような数字だったハズなのに、いまや100巻を超える単行本がいくつか存在している。

    かの「ドカベン」は高校野球編48巻が長いと昔思っていたけれど、気が付いたら「プロ野球編」が52巻で本編とも言える高校野球編を追い越していた。併せて100巻で仕切直しで現在は「スーパースター編(とか言うシリーズ)」になって3巻が出ている。(実は「高校野球編」と「プロ野球編」の間に『大甲子園』というそれまでの水島漫画に出てくるキャラ総出演の漫画が存在していてドカベンも組み込まれている)
    しかしこの中で架空の選手を活躍させる為に新球団を2つ作って…、なんて事を始めたらいきなりリアルの方で球団消滅、集団合併、1リーグ制とかとんでもない事になっていて、どうするんだろうね状態。

    長い漫画の代表は少年漫画では「こち亀」、青年漫画では「ゴルゴ13」
    意外な処では「弐拾手物語(神江里見)」週刊ポストという漫画雑誌じゃない物に創刊当時から連載を始めて27年で「全108巻」(連載終了)。そういえば神江里見と言えば70年代には「週プレ」だったか「平凡パンチ」だったか「GORO」だったか忘れたけれど「青春チンポジュウム」というくだらないエロ系青春漫画を連載していた。そのせいで未だに「シンポジウム」という言葉を聞くと頭の中に「チンポジュウム」という単語が連想的に浮かんでしまうのだ。

    「弐拾手物語」が終わったのはどうやら、原作者の「小池一夫」が『新・子連れ狼』を連載する為、この子連れ狼は本編で主役の拝一刀が死んだ直後から始まり、残された大五郎が成長する物語らしい。まさか新潟県白根市議に立候補し殺人事件を犯して海外逃亡なんて結末じゃないよね。
    そういえば小説では栗本薫の「グインサーガ」が96巻、いよいよ大詰めです(と言いつつ外伝が10冊以上出ているし、作者は100巻では終わりそうもないと言っている)。
    「ペリーローダン」に至っては現在303巻、ハヤカワ文庫のSFシリーズが現在1500冊ぐらいなので5冊に1冊はペリーローダンという計算になるのだ。

    [2004.08.18-今日の雑学]テーマ『色々』
    パルテノン神殿をモデルにして造られたのがロールスロイスのラジエーター・グリル部。
    週刊アスキー連載の唐沢なをき『電脳なをさん』で「次期Mac OSはTigerだ」と言う話から「Tigerってサルの事だろ」という勘違いネタが書かれていたが、サメで「tiger shark」の和名は何故か「イタチ鮫」となっている。その替わり「cat shark」の和名が「トラ鮫」
  2004年08月19日(木)ナンパ歩き
    i-Podのお陰で自宅に死蔵されていたCDを改めて聞くきっかけが出来ているワケですが、ずっと前に購入したまま聞かなかった吉田拓郎のベストアルバムなんてのも久々に聞いている。
    自分にとって歌手吉田拓郎ってのは、エレックレコード時代とソニー時代を指して、フォーライフレコード以降はなんか別の人扱いになっている。(井上陽水も同じような感じではあるんだけど、陽水は作曲者としての能力が落ち込んでもボーカリストとしての魅力があるので、フォーライフ以降も聞いている)

    で、エレック時代の「青春の詩」なんか聞いていると「前を行く可愛い子を引っかけたりする、あぁそれも青春」などと歌っている。
    そうか、70年代初頭はまだ女の子に声かける事を「ナンパ」なんて言ってなかったか。
    たぶん今のような意味でナンパという言葉が使われるようになったのは80年代に入ってからかな。

    確か80年代初頭、水谷豊が「カリフォルニアコネクション」の次辺りに出したシングルが「原宿ナンパストリート」だと思ったけれど、あの時代はまだ流行語というか、新しい付加価値の着き始めたばかりの言葉だったんだよなぁ。
    元々「硬派」に対する言葉の「軟派」から70年代は「女といちゃいちゃする軟弱なヤツ」と言う意味合いで使われていた。70年代のツッパリは有る意味純情で「男子たる物女とイチャつくなんて格好悪い事」などとやせ我慢をしていて、それを男の美学にしていたような部分もあった。
    今や硬派を気取っているバンカラ野郎なんてどこにも存在しないのだ。


    [2004.08.19-今日の雑学]テーマ『フォーライフレコード』
    フォーライフレコードはすでに解散しているが、実は結成当初から倒産しそうだった、それを救ったのが原田真二。アイドル的なルックスとさわやかな音楽で大ヒットをしベストテンの常連でもあった。しかし実際には原田真二はテレビに出たくないとゴネていた。当時社長だった吉田拓郎もTVに出ない人だったので強く言えなかったのだが、拓郎の奥さんが「TVの影響力の大きさ」を説いて納得して、そのおかげでフォーライフは持ち直した。ちなみにその当時吉田拓郎の奥さんだったのは浅田美代子。
    フォーライフレコードは創設してすぐに倒産の危機を迎えていた。吉田拓郎・井上陽水・泉谷しげる・小室等というフォーク界の大御所が集まったのだが時代はフォークからポップスへ移行しつつあったので。そんな事おかまいなしに「この4人で一枚のアルバムを作れば大ヒット間違いなし」と合宿までして「クリスマスアルバム」を制作、当時としては異例の初回50万枚(30万枚説もある)を一気にプレスしたがほとんど売れず(特に季節ものなのでクリスマスが過ぎたら余計売れなくなる)そのおかげで会社が傾いた。ついでに稼ぎ頭のハズの井上陽水が大麻で逮捕されちゃうし…。
    原田真二以降は杏里のヒット、今井美樹のヒットで助けられていた。が、もっとも売れて金になったのは『恋のぼんちシート(ぼんち)』『ハイスクールララバイ(イモ欽トリオ)』というコミックソング。
  2004年08月20日(金)ぬっころす
    昔、パソコン通信なんかをやっていた時(1992年頃)なんか居心地の悪さを感じていた。
    それは、そこに跋扈する魑魅魍魎達がやたらとその場でしか通じない言葉を嬉々として使っていた事なのだ。
    昔から隠語とか符丁とか業界用語とかを使って「俺って通だから」みたいな状態のヤツって好きじゃない。
    あと流行語もそんなに好きじゃないので使いたくないとは思う。

    なんか格好悪いなぁとか、日本語の奥深さを知らないなぁとか思うんだけど、しかし、実際にはその符丁とか流行語がいつしか一般的な言葉として定着して使われているケースも少なくない。
    例えば「新しい」とか「だらしない」なんて言葉は元々江戸時代に流行った逆さ言葉がルーツで、本来は「あらたしい」「しだらない」が正しい日本語。でもすでに当然の日本語として定着しているので、なんやかんや言ってもしょうがないっす。
    他に流行語というか造語では「野次る(やじる)」とか「牛耳る(ぎゅうじる)」なんかは、夏目漱石が考案した造語らしい。元は中国産の言葉だったりするものを「〜る」をつけて動詞化しちゃった物。

    そんなこんなで、こうやってネット活動していると嫌でも目に入ってしまう物に「2ちゃんねる用語」って物がある。
    2ちゃんねるの中で完結していればいいものを、その言葉が当たり前だと思ったり、知らないヤツが遅れているとばかりに、関係ない場所で必死に使っている人も多々見受けられる。
    昔のパソ通時代は「なんかオタク臭くて嫌な感じ」と思っていたが、やはりなんか偏っているかっこわるさを感じる。

    例えばすでに定着しつつある「がいしゅつ」と言う言葉。本来は「すでにその事は書かれている」と言う意味で「既出(きしゅつ)」と書くべき処に「がいしゅつ」と書いた物が定着してしまった物。
    へたすりゃすでに「がいしゅつ」と言う言い方が当然の言葉だと思っている子供もいるかもしれないぐらいの勢いなのだ。

    他にも「香具師」とかいて「ヤツ」と無理矢理読むパターンもある。これは元々テキヤなどを意味する「香具師(やし)」と言う言葉があり、それをよくありがちな「シ」と「ツ」を間違って読むと「ヤツ」になるって事なのだ。(本来香具師とは「こうぐし」と読んで匂物線香など香具を作って売る職人の事をさしていた言葉だったが、その職人が縁日などで活躍していたために、しだいに縁日などで商売をする人々一般を香具師と呼ぶようになったもの)

    もっとも「2ちゃんねる用語」とか言われている言葉の殆どが2ちゃんねる派生ではなく、それ以前の掲示板「あめぞう」やら、もっと古い「パソコン通信」やら、文芸系同人誌などから出てきた言葉です。

    そんな中で「ぬっころす」と言う言葉がある。これなんかはミスタイピング系の言葉でローマ字入力で「ぶっ殺す」と打つ際に「b」を間違ってその横の「n」を打ってしまうと「bukkorosu」が「nukkorosu」になってしまうと言う物。
    それだったら以前、現代用語で書いた「学級崩壊」の「g」を隣の「f」でミスタイプして「ふぁっきゅう崩壊」になった物なんかも考えられますな。

    何にしろ、正しい日本語を理解した上で使いたい物だなあと思うのだが、自分の事は棚の上にあげていますが、なにか?

    [2004.08.20-今日の雑学]テーマ『誤植』
    森鴎外の作品で『様か、左』という意味不明の文があり、評論家などはここの解釈を巡って議論を交わし、最期は本人に確認した所「左様か」の誤植ということが判明した。
    有名処ではつげ義春の「ねじ式」の冒頭に出てくる「メメくらげ」がある。評論家がこの架空のくらげを文学的だと絶賛したのだが、実際にはくらげの種類が判らないので「××くらげ」と書いておいた物を誤植されただけだった。
    朝日新聞は『大相撲ダイジェスト』を『大相撲ダイエット』と誤植した。


     


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