ひねもす雑記
2005年02月11日〜20日


▲2005年02月11日:金:野球関連と廃盤関連
▲2005年02月12日:土:カバー
▲2005年02月13日:日:レコード関連話
▲2005年02月14日:月:南セントレア市
▲2005年02月15日:火:70年代の沖縄ブーム
▲2005年02月16日:水:ニューウェーブ
▲2005年02月17日:木:ニュース
▲2005年02月18日:金:煙草縮小
▲2005年02月19日:土:痛い音楽
▲2005年02月20日:日:悪いのは誰?
  2005年02月11日(金)野球関連と廃盤関連
    色々ゴタゴタと忙しいんですが、そんなタイミングで毎年恒例の「プロ野球名鑑」が発売。 今年は球団なんかも色々変わったので、無視するワケにいかないだろうって感じなのだ。 でも、今のところ、手を付けている余裕は無し。

    ♪あんな株いいな、買えたらいいな、あんな会社、こんな株、いっぱいあるけどぉ、あんあんあん、何ンでも買っちゃえ堀江もん〜♪
    堀江もんの戦略にニッポン放送ハマってますな。
    現在ニッポン放送の株をライブドアが35%所有しているんですが、あと少し買い増すと実質的にライブドアが大きな権利を持ってしまうという状態。
    で、現在ニッポン放送を子会社に以降させているフジテレビが「もう株買わせないもんね」とTOB(株式公開買い付け)価格を引き上げたらしい。
    でもさ、それってすでに35%もの株を所有している堀江もんの財産総額が上がってしまったって事でもあるんだよね。
    ある意味、複数の罠を仕掛ける王手飛車取り状態なのだな。

    北朝鮮が自国の放送で「核保有を宣言」、まったくもってワールドカップで負けちゃったと言うニュースには触れずに、いきなりそんな事を宣言するのってどういう戦略なんでしょうかね?
    と言いつつ、日本もアメリカもそのニュースには「で?」みたいな冷ややかな対応になっている。
    もっと国力があったらアメリカなんか即座に緊急対策を取ったんだろうけど…。

    今日もアナログレコードをチェック中「Let's 後ろ向き!」
    吉田拓郎のエレックレコード時代の「オンステージ2」って、お宝レコードだったんすね、あんまし良く知らなかった。
    最初に所属したのがエレックレコードで、そこで売れたんだけど諸般の事情でソニーに移籍した後で、勝手にエレックが在籍当時の音源を使ってライブアルバム(しかも2枚組)を発売しちゃったということで、吉田拓郎サイドはこのアルバムを認めず発売停止措置、といっても当時「旅の宿」やら「結婚しようよ」が売れていたのでかなりの枚数が売れてしまった。
    その1枚が自分の手元にあるんですが、実は吉田拓郎のアルバムで唯一CD化されていないって事で、中古市場ではかなり高値が付いているそうです。
    ヤフオクでも30年以上前のアルバムとは思えない値段が付いているんですが、中には「アナログしか存在しない幻のライブアルバムです、でもプレーヤーを持っていない方に、CD化した貴重な盤です」とか謳って、思いっきりCD-Rを出品している人がいる。おいおい。
    でも写真を見る限り、ジャケットなんかもちゃんと作ってあって、しかも帯まで。
    なんか、悪質な業者っぽい気がする。
    とりあえず、吉田拓郎が生きている間(って言い方もどうかと思うけど、ヤフオクに書いてあった)はCD化の見込みなしって事らしい。
  2005年02月12日(土)カバー
    またしてもレコード関連話。
    先週書いていた大場久美子のカバーしている「SGT.ペパーズロンリーハーツクラブバンド」の入っているアルバムを購入してしまった。他の曲は別にどーでもいい、その1曲の為に購入してしまったのだ。
    とか言ってますが、HARD OFFで100円なんすけどね。

    で、早速聴いてみると、これがまた琴線に触れるというか、かなり変な部分のツボをギュッと押されるような訳詞&アレンジ、そして歌唱。
    どうやらこの曲は大場久美子が当時やっていたライブのオープニングで歌っていたらしく、「ようこそ私のコンサートへ、みなさん御一緒に楽しいひとときを♪」みたいな内容。
    さらにご丁寧に、本家ビートルズがメドレーでやっているように「SGT.」に続いて「With A Little From My Friends」までちゃんとメドレー化されているのだ。
    歌謡曲のカバー物はムチャをする場合があって侮れない。
    他にはザ・ピーナッツがキングクリムゾンの「エピタフ」をカバーしていたり、色々あります。
    カバーというとビートルズ関連カバーってのも地味に集めているんですが(これの数は天文学的な数字もあって、マニアも山のようにいるので私のは名乗るのもおこがましい)、有名なヘナチョコカバーとして「東京ビートルズ」というバンドがおりました。
    で、かなり知られていないビートルズカバーで「ザ・トータル」というバンドもほぼ同じ時代に(1964年だと思われる)やっておりました。といってもこのグループはバンドではなくコーラスグループ(男3女1)で、しかもレコードデビューはしておらず勁文社のフォノカラーというソノシートシリーズで歌っているだけという代物。
    いわゆる昔よくあった「NHKみんなの歌」とか「けんちゃんシリーズ歌とドラマ」みたいな感じで、数ページのブックレット&ソノシートという物で当時流行りつつあったビートルズをカバーして出しちゃったという物。
    ネット検索しても出てこないので、かなり珍しいものかも知れない。で、そのコーラスのバックで演奏しているのがブルーコメッツ。でもなんかへたくそ。
    さらに日本語で歌っているけど、その訳詞が東京ビートルズとほぼ同じ(完全に同じじゃない)。
    なんか色々不思議なグループなのだ。

    日本テレビ「世界一受けたい授業」、司会者の事を書くとまたあっちで叩かれるので書かない。
    で、今回唐沢俊一氏が出ていたんだけど、どこでも国を言ってくれればそこの雑学を… と言うことだったんだけど、打ち合わせの段階で「アメリカと韓国」という事に決まっていて、ゲストにいたデブの子(役者らしい)が段取り通りに地図上のそこを指すことになっていた。
    と、唐沢氏のサイト日記に書いてあった。しかも収録した1月29日に。って、やっぱ放送前に裏をバラしちゃ不味いんじゃないかと思うんだけど、ま、いいか。
    で、デブの子はあがっちゃったらしく、アメリカを指すハズがいきなりロシアを指してしまい、急遽ロシアの雑学を。その雑学もデブの子に絡んで食事かそっち方面というのが最初から予定されていたらしい。

    でもって問題なのが次に韓国を指す予定だったのだが、デブの子はいきなり北朝鮮を… その時、唐沢氏は思いっきり「どこどこ、ここか?」と言って北の下にある韓国に誘導。で、いかにも編集されたように韓国の地図が画面にどーん! ま、演出ってのはそんなもんだ。
    とは思うんだけど、その画面にどーんと出た韓国の地図。対馬も韓国領になっていますがな。そっちは大問題。生放送じゃないんだから誰か気づいて編集出来なかったのか?っつーか、この手の学問系番組やっていて、その中学生レベルの地図の間違いに気づけよぉ
    その後、日テレのサイト上で謝罪文が掲載されたらしい。
  2005年02月13日(日)レコード関連話
      再度レコード関連の昔の音楽話
    そうかぁビートたけしの歌っていた「俺は絶対テクニシャン」って言う馬鹿馬鹿しい曲、作曲は遠藤賢治だったかワッショイ。ついでに作詞が来生えつこでした。
    ということで、まったくもってリアルタイムな人生と遠くに来てしまっている昭和アナログ野郎です。

    ※BGM:ビートたけし「俺は絶対テクニシャン」ユピテルレコード1981年
      馬鹿なレコードも山ほどあるんですが(基本的に中古で購入)、その中で「センセーショナル・ヒロコ」という、セーラー服と機関銃時代の薬師丸ひろ子応援歌という「なんじゃそりゃ」なものがあります。
    歌っているのは「ひょうたん三銃士」という男三人組で、一人は柳沢慎吾で「そんな仕事もやっていたんだろうな」てな状態ですが、もう一人は岡竜也という俳優で、この人はネットで見るかぎり1990年ぐらいまで俳優仕事をしていたらしいんですが、残りの一人がなんと最近は渋い役の多い光石研でした。
    若い頃は色々な仕事するんですなぁ

    アナログレコードマニアですが、どうも自分の場合、普通のレコードマニアとは違うのは「ジャケットにこだわらない」って部分ですかね。
    ジャケットが汚れていたり、傷ついていると、マニアな人は「価値ないじゃん」みたいな状態になるんですが、私の場合「音源確保」が基本条件なのでジャケットが無くても可の場合も多い。
    アイドル物はジャケットがあると嬉しいですが。

  2005年02月14日(月)南セントレア市
      江口寿史が上戸彩がアニメ化されているCMの絵を担当してる。
    そんな単価の高い仕事与えちゃったら、また漫画書かなくなっちゃうからさ。
    ちゃんと仕事しろよビッグE(あるいは先ちゃん)。ついでに「夏が来て恋をしてポキチ・ペキチ・パキチ」の意味を奥さんに聞いておいてくれ。と意味不明の事を書いてみる。
    とか言いつつ、江口寿史って細かい仕事を色々してるんですなぁ↓
    寿スタジオサイト

    以前「南アルプス市」が出来た時に「アルプスなんて海外の地名をぱくって付けるってどうよ」とか書いたけど、現在愛知県で美浜町と南知多町が合併するって事で浮上してきた名前がなんと「南セントレア市」
    なんか突拍子もなくトンチキな名前っすけど、とりあえず市民から公募してその結果これになったらしい。が、実際に一番多かった候補名は「南知多市」。どうやら「南セントレア市」なんてのは1票もなかったというのだ。

    これってのが合併後に市長に治まる事が決定している現美浜町の町長が合併協議会の中で「どうやら南知多が多いらしいが、これが決まると名前が消える美浜の町民が黙っていない。もし合併話がそんな事で流れたらワシが市長になるって話も流れちゃうかも」ということで、合併協議会の中で「どんな名前がいい?」と投票した時に、根回しをしたお陰で1位「セントレア」17票、2位「南知多」16票と僅差で勝ってしまった事で決定になったそうで、町民からの公募は一切無視だったらしい。
    そもそもの「セントレア」ってのは2月オープンの中部国際空港の愛称だそうで。
    そんなこんなで「決定!合併後は南セントレア市」と発表したところ、当然の事ながらブーイングの嵐で県内外から700件以上の苦情が寄せられて結局、この名前は廃止。

    でもって27日に公募で集まった名前の上位11番目の名前+セントレア(まだこだわるか)で住民投票をするらしい。
    ま、その市は愛知県の知多半島にあるんだし「南知多」で全然問題ないと思うのだが。

  2005年02月15日(火)70年代の沖縄ブーム
    浅野ゆう子ってNHKの朝ドラ「てるてる家族」でいしだあゆみの母親(をモデルにした)役をやっていて、いしだあゆみ(をモデルにした)役を上原多香子が演じて劇中で「ブルーライトヨコハマ」歌っていたんですが、その浅野ゆう子も「ブルーライトヨコハマ」をカバーしていたんですな。すっかり忘れていた。
    自宅のアナログ盤を漁っていて発見した。
    カバーといっても「セクシーバスストップ」のB面ですが。

    ちなみにセクシーバスストップのオリジナル歌手は「オリエンタルエクスプレス」ってファンクグループでニューヨークからやってきたみたいなふれこみだったはずですが、実際のメンバーはティンパンアレイ(松任谷正隆とか)やミカバンド(高橋幸宏や後藤次利とか)が参加していたらしい。で作曲は「ジャック・ダイアモンド」って事になっているんですが、正体は筒美京平っす。(さらにアレンジャーのDr.ドラゴンというのも筒美京平)
    ※BGM:オリエンタルエクスプレス「セクシーバスストップ」ビクターレコード1976年
    南沙織の「人恋しくて」を聴いて思い出したのは、たぶん高校の時に読んだ言語関係の本。
    その本の中で沖縄は日本とは違った言語体系があるが、同時に日本古来の言語が残っているという内容で、この南沙織の「人恋しくて」が取り上げられていた。
    歌詞の中に「♪暮れそうで暮れない黄昏どきは」というフレーズが出てくるんですが、その「黄昏」の発音が古来の日本語「たそ(ン)がれ」という「が」の前に無発音のンが入っていると言うことでその言語学者が(もしかしたら金田一先生かも知れない)「本土の日本語では消滅しかけている日本語を沖縄の人は残している」と絶賛していた。
    なんて四半世紀前に読んだ本をいきなり思い出したりするのであった。

    南沙織ってのは沖縄出身ですがデビュー当時(1971年6月)はまだ沖縄が日本に復帰していなくて(沖縄返還は1972年5月)、異国情緒とかって問題ではなく色々な政治的な事や、悲劇の過去を抱えた状態だった。
    だからなんか、明るい曲を歌っていてもどこかしらに陰があったのだな(それが売り出しの戦略としても)と思ったりするのだ。もっともほぼ同時期にデビューした「フィンガー5」あたりになるとアメリカに占領された沖縄でバリバリにアメリカの文化を吸収して「日本文化の中で育ったヤツらにはこんなファンキーな音楽できねえだろ」みたいな感じだった。
    あとちょっと遅れて沖縄のハードロックバンド「コンディンショングリーン」とか「紫」とかも出てきて、70年代におこった沖縄ブームだったのだ。

  2005年02月16日(水)ニューウェーブ
    でもって、今日も懐かしのレコードを試聴
    しかし80年代初期に全盛だったニューウェーブってのは今、改めて冷静に聴くと「珍奇な事を新しいと錯覚していた音楽」だったんですなぁ。
    中には凄いモノもあるんですが、とにかくほとんどの物が一過性のちょっと精神を病んだような状態って感じ。
    それと同時に、80年代ってのはロックがいきなり歌謡曲化した時代でもあると色々レコードをひっくり返していて痛感する。
    それはエレクトロニクス的な発達が、演奏を綺麗にまとめてしまうようになったせいかもしれないけれど、メロディラインも凄く聞きやすくポップになっている。

    ま、ロックという物が70年代後半から商業としてなりたっていくと言う事が判明してからの事なんだと思うんだけど。
    70年代末に西城秀樹が「僕の音楽はポップスとロックンロールの中間、ポップンロールだ!」とか宣言して、かなり恥ずかしい衝撃を受けたことがありましたが、ボウイがヒットし始めた時に「ボーカルは西城秀樹じゃないのか?」みたいな事を良く言われてました。
    もっとも80年代のポップス寄りのロックを「ロックじゃねえ」なんて言っていると、90年代に流行った(いわゆるイカ天などのバンドブーム以降)ロックなんか、歌謡曲以下ってのが凄く多いんすけどね。

    などと、80年代のニューウェーブやインディーズ(ナゴムの初期とかなので正しくは「自主製作」的な言い方をしていたハズ)なんかを大量に聴いていると、時代のあだ花って言葉が脳裏をよぎりますなぁ。

    ※BGM:MENU「みんな大っきい子供だヨ(DoDoka-DonOn 収録)」ユピテルレコード1984年
    しかしニューウェーブって言葉、もう20年経っているのに当時「新しい波」って言っていたせいで古くさい音楽をそう言うようになってしまったのだ。
    同じように70年代初期にあった「プログレッシブロック」ってのも、ロックにクラシックやジャズの要素を取り入れて「進化するロック」という意味で名付けられたのに、現在その手の曲を演奏する場合は、もう中古市場で値段が高騰しているムーグとかを調達してきて、当時の音を再現するのが「プログレ」って事になっている。懐古趣味の音楽を「進化するロック」と。
    そういえば、自分が必死にSFを読んでいた当時に最新ブームとして騒がれていたサイバーパンクってジャンルも現時点では「懐かしいスタイルのSF」って事らしい。
    時代は変わる。

    「サディスティック・ミカ・バンド」のレコードの帯に『ムーグ野郎のギンガム集団、アロハのドーナツ、ロンドン帰りのサディスティック・ミカ・バンド』とか書いてあってちょっと胸がジンとなりました。さらに加藤和彦は「将軍」って呼ばれていたの?トノバンじゃなくて。
    なんか、あまり誰もついてこないような話をダラダラ書いています。
    ちなみにオリジナルのミカバンドは「MIKA」で、1988年に桐島かれんをボーカルにして再結成した時は「MICA」

    ※BGM:サディスティックミカバンド「ダンスハスンダ(サディスティックミカバンド収録)」東芝EMI1973年
  2005年02月17日(木)ニュース
    こうやってレコードばかり聴いていると時代に取り残されてしまうのだ。(読んでいる人を別の意味で取り残しているけど)
    ハッキリ言って、この1週間ちゃんとニュースも見ていないような気がする。他のバラエティやドラマはもっと見ていない。(結局レコードを聴き始めると、どう頑張っても1988年止まりの話になってしまう)

    14日、母校である小学校に刃物を持って押し入り先生1人を刺殺し、2人に重傷を負わせた犯人(17)は「イジメにあっていた時に先生が何もしてくれなかったから」らしい。
    実際にイジメがあったとしても、小学校の時の沸々とした気持ちを17歳まで引きずって、あれは先生が悪いとか言い出すようなヤツは駄目じゃんと思うのだ。
    圧倒的にイジメをするような人間が悪いんだが、こういう事件を起こしちゃうと「イジメられた方にも問題があったんじゃない?」と思ってしまうのだ。

  2005年02月18日(金)煙草縮小
    JT日本たばこ産業が定員削減で社員の3分の2がリストラ対照だそうで。
    さらに一時期は日本各地に25箇所あった工場も、今や10工場へと縮小だそうです。
    コロンブスがアメリカ大陸を発見した時にはじまり、日本では秀吉の時代に始まった煙草産業がここ数年でいきなりの規模縮小。
    これは日本とかアメリカとかだけの話じゃなくて、全世界規模で「煙草をやめましょう」という運動実施中らしいのだ。なんせ葉巻で有名なキューバでは、かのカストロ氏までもが「ワシも辞めたから国民のみんなもやめてチョ」という事になっているらしい。
    確かに、近所にあった煙草畑なんかも全部別の野菜とかを植えているし。

    去年の夏に購入した「水出しアイスティ」のパックが封も開けずに1箱あったので、それを使ってホット紅茶を飲んでいる。
    元来水出し用だった為にかなり濃く出る。そりゃもう体に悪いレベルに濃く出るのだ。
    なんだかよく解らないが、かの間下このみ(頑張れゲンさん)が「届かなかったラブレター」という本を出して、そこそこ話題らしい。
    数年前から「フォトグラファー」という肩書きで仕事をしていたらしいけど、写真込みの本で、その宣伝文句がいきなり「涙が止まらなくなる本」ってことらしい。
    ハッキリ言ってその時点で私は興味を失いました。
    この手の「泣ける本」ってのは結論であって、本来の目的じゃなかったハズなんだけど、最近の出版業界を見ていると「とにかく泣くのが目的」という傾向で売っている物が目立つ。
    そりゃ、趣味の問題だからそれはそれでいいんだけど、なんか本がただの道具になっているなぁと思ったりもする。

  2005年02月19日(土)痛い音楽
    夕べ発行する予定だったメルマガを朝起きてチェックしてから発行。
    これで、とりあえず去年12月に再開し、無理矢理「毎日発行なのだ、自分にムチ打つのだ!」とやってきた2ヶ月半は終了。来週から、週3回発行に移行する。

    アナログレコードをMP3化するついでに、自分がかつて作詞作曲して多重録音した曲なんかもカセットテープからMP3化した。
    で、本当に久々に自分の曲を聴いたんだけど、すっかり客観的になって聴くと「なんじゃこりゃ」みたいな部分は多い。アレンジの稚拙さが恥ずかしい。ボーカルのへなちょこ具合が恥ずかしい。歌詞のマジすぎる部分が恥ずかしい。ついでに歌詞の中に当時好きだった女の子への暗号みたいな物が隠されていて(たぶん自分しか解らない)恥ずかしい。
    ま、自画自賛で「これいいじゃん」と思う物もないわけではないけど、おおむね恥ずかしい。

    でも、これを創ったのがあの時代で良かったと今思うなり。
    もし今の時代にあれを必死に創っていたら、きっとネット公開していたんだろうなと思うと背筋が凍り付きますな。
    若さ故の過ちと言うだけでは片づけられないような過ちで、きっと2ちゃんねるで「痛い音楽系サイトを晒せ」とかで「おいおいこれ最高に笑えるぜ」とか言われていたに違いない。
    この時ばかりは「早く生まれてきたよかった」と胸をなで下ろしたのであった。

    さっき、アマゾンを覗いたら「知泉2」の中古本が出ていたんだが、値段が何故か1980円。あまりに本屋で見かけないのでプレミア価格でも付いたのか?
  2005年02月20日(日)悪いのは誰?
    2005年1月25日の雑記で、明らかに和田アキ子と思われる「英語もしゃべれないのにいきなりキャメラとか変に英語っぽい発音する人って格好悪い」と発言したあびる優の事を書いたけれど、そのズケズケ物怖じしないキャラが暴走して日本テレビ「カミングダウト」で過去の万引き話を当たり前のような状態で話をして、仕事を干されるらしい。
    番組で「半年以上常習的にやっていた」「食べ物や飲み物を段ボール単位で倉庫から持ち出した事がある(これは万引きじゃなく泥棒だよ)」「5〜6人チームでやっていて盗ったものは友達に配布した」「常習的にやっていた店は結局つぶれた(それが原因かは不明)」などなどを笑い声を交えて放送。
    でも、それを生放送じゃないのに笑えるエピソード的に放送しちゃう番組も問題ありすぎ。

    基本的には飲み屋で馬鹿なエピソードとして話すにはいいが(良くないけど)、それを公共の放送で言っても問題ないと思っていた本人が一番悪いんだけど、やっぱ内容をチェックして放送できるか出来ないかを吟味する役目は局側にあると思う。
    安倍なつみ事件の時にしても、矢面に立たされるタレントを事務所や仕事のスタッフがどこまで管理・コントロール出来るかってのは大事な仕事だと思う。
    で、そのあびる優は安倍なつみ事件が発覚した時に「この事件って格好悪いなあって思いました。もし優だったら「あいつパクってるよ」って思われているのって人前に出るのちょっと恥ずかしくなっちゃう」みたいな事を言っていたらしい。
    ま、そうだね。
    たぶん、今週のヤフー検索・芸能枠でのトップではないかと。

    で、いつもは芸能界で起こった事件をあれやこれや叩き斬りまくる「アッコにおまかせ」では、今まで準レギュラーで出ていたあびる優の件に関してどう扱うのかと思ったら、今回はまったく触れず。
    ホリプロの先輩として謝罪もせず、その問題発言をしたタレントをしかるでもなく、触れない。 ま、そんな物か。

    80年代の名作ドラマ「青が散る(TBS)1983年」(宮本輝の原作が名作だったんだけどさ)の中に出てきた、大塚ガリバーが唄った「人間の駱駝(ひとのらくだ)」って曲は、長渕剛が作曲だったんすな。で作詞が宮田輝&秋元康。
    で、ちょっとネットで調べてみたら1994年の石原プロ製作映画「やさしい嵐」の音楽を担当したり、1995年の柳葉俊郎のアルバム「N」で曲を書いたり、今も裏方でちゃんと活躍中らしい。そういうのを聞くとちょっと嬉しくなる。(この10年の活動は不明ですが)

    で、そうだったの?と驚いたのが、このドラマ「青が散る」って1983年の10月から翌年の3月までやる予定だったのが、1月27日という中途半端な所で打ち切られたらしい。そうだったのか。って、自分もドラマを全部見ていたわけじゃないんだけど。
    このドラマではいわゆる二世タレントが多く出演したってのも変な話題になっていた。(これがデビューの人も)
    二谷友里恵(父が二谷英明、母が白川由美)とか、石黒賢(父がテニスの石黒修)とか、佐藤浩市(父が三国連太郎)とか、利重剛(母親が脚本家の小山内美江子)とか。
    で主題歌が松田聖子の「蒼いフォトグラフ」だった。なんかもう22年前かよ。ちょっと古すぎる話題を普通にしている自分にビックリした、ただのじじいだなこりゃ。
    あ、アナログレコードの話を延々と書いている段階でじじいか。



     


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