ひねもす雑記
2005年04月21日〜31日


▲2005年04月21日:木:吾妻ひでお「失踪日記」を読む
▲2005年04月22日:金:最近の音楽話
▲2005年04月23日:土:記憶の断片のさらなる断片
▲2005年04月24日:日:薄々雑学の裏々
▲2005年04月25日:月:愛・地球博ってどうなんすかね?
▲2005年04月26日:火:緊急時マニュアル
▲2005年04月27日:水:扇動多くて船、山に登る
▲2005年04月28日:木:赤い
▲2005年04月29日:金:雑学者の魂
▲2005年04月30日:土:自由っていったい何ンだい?
  2005年04月21日(木) 吾妻ひでお「失踪日記」を読む
    だけど何かが出ちゃう… 男の子だもん(はぁと)
    と言うことで、相変わらずリビドーの赴くままエロネタで始まりました。
    エロネタと言えば80年代初頭にロリコンという概念を漫画界に浸透させた漫画家に「吾妻ひでお」という方がおりました。
    もちろんそれがメインではなく、マニア的にはSFパロディ作品、あるいはちょっと不条理な文学的な香りのする漫画を書いていた人。
    その作品の発表場所がかなり特殊な雑誌が多く(少年チャンピオン連載もありますが)、基本的には単行本になったのをまとめて読んでいた。
    その吾妻ひでおが失踪したというのは1990年頃に聞いていた。その後、いしかわじゅんによると「土木作業現場で仕事しているのを見付けられた」との事だった。
    そのリハビリのために、SFマガジンの挿絵の仕事とかを紹介したりして、今に至る。
    だと思っていた。

    が、この「失踪日記」を読むと、最初の失踪の時は完全にホームレス状態で住宅近くの山林に毛布を持ち込み夜中にゴミ箱をあさる生活をしていたそうで、その後保護され、少し復帰した後、また失踪。
    その時はガス配管関係の土木仕事に従事していたという。
    で、復帰して仕事も徐々に増えだした時にこんどはアルコール中毒になって強制入院という、かなりヘビーな生活を強いられた(というか自発的、あるいは自業自得)という事を漫画で綴った作品。

    全盛期の絵柄と比べてしまうと、その線に勢いが無かったり、デッサン的な甘さが凄く気になったりもするけれど、相変わらずの吾妻ひでおタッチで淡々と描かれているために、その悲惨な内容のわりにすんなりと読むことが出来る。(復帰直後の線はヘタだけれど、後半は徐々に昔の線に戻っていく)
    そう、80年代にロリコンとかの漫画がどっと出た時に、やはり吾妻ひでおが他の漫画家と違っていたのは、その客観的な絵柄だったのかもしれない。つまり登場人物はソフビの人形の様な柔らかさを伴っているので、そこで繰り広げられるアレやコレやを漫画として受け入れる事が出来るのだ。
    他のロリコン的漫画は(チャンピオンに連載していた内山なんとかなど)ちょっと生々しすぎて、読んでいて嫌な気分になった。(今思うと、少年チャンピオン等の一般少年漫画雑誌によくあんなものを連載したなと言うのが多かった)
    結局、吾妻ひでおの漫画はロリコンではなく、ピグマリオニズム(人形偏愛主義とでもいうのか?)なのかも知れない。

    失踪日記の内容はまじに壮絶な物なんだけど、色々深い。最後にとりみきとの対談もあるんだけど、実はその後に隠しトラックの様な対談が隠されてる。
    「裏・失踪日記」として普通に読んでいると解らないような隠した場所にさらに深いインタビューが書かれている。普通そんな所までチェックしないって。(ここに一人いたんですが)
    というわけで、社会復帰をするために頑張っている吾妻ひでおという漫画家の為にこの本を買ってあげましょう。
  2005年04月22日(金)最近の音楽話
    安室奈美恵の新曲「WANT ME, WANT ME」がなんか久々に面白い感じ。
    ちょっとオリエンタルな感じで、もしかしたら元ネタあるのかも知れないけれど(最近の洋楽・ダンスシーンはちょっと疎い)、以前ならダイアナ・キングとかが歌っていたかも知れないって気もするけど、なかなか面白いっす。
    自分の原体験のなかにある森山加代子「ジンジロゲ」ともなんかリンクするので、買うまでは行かないけれど印象に凄く残った。

    ここの所、自分的に1980年代ドップリになってしまっているワケですが、とりあえず現在の音楽シーンもチェックはしている。
    と言っても、積極的にライブに行ける環境にあるワケでもないし、周囲にバリバリに音楽にはまっている人がいるワケでもないので、結局の所テレビなどが音を聞くメディアだし、CDで〜た辺りの音楽雑誌、それと関連して音楽系サイトなどの情報が中心になってしまう。
    そうすると、本当にマイナーな場所の情報ってのは転がって来なくなるんだけど、それでも以前よりは色々な音楽をチェック出来る環境になっているとは思う。
    昔から「最近の音楽って面白くないな」みたいな事を言う人は多くいるんだけど、そりゃテレビのチャート形式番組には最大公約数的な物しかないので、面白い面白くないってのはそんなに出てこないっすよって感じなのだ。
    どんな時代にだって、色々な音楽は存在している。現在のチャートを見るとインディーズもどきのポップミュージックやラップ系の物がほとんどになっているけど、ちゃんとアコースティックな音楽を発信している人だっているし、当然演歌だってある。
    「面白くない」ってのは、捜していないだけなんだって事。
    とは言え、普通に社会人として生活していると、そう音楽に意識を向けているワケにもいかないのでしょうがないのだ。

    かつてハナ肇が周囲の人間が「最近売れている音楽ってガキ向けばりだよな」と言っていた時に激怒して「それはな、てめえら大人がレコードを買わないからだよ」と言ったという。
    確かに日本の場合は、音楽なんかにうつつを抜かしているのは若い層だけだよなぁ
    と思いつつ、その若い層には最近「音楽ってネットで落とす物でしょ」みたいな流れがある。
    あとレンタルが当然って流れもある。
    困ったちゃんなのだ。

  2005年04月23日(土)記憶の断片のさらなる断片
    去年から続いている若手お笑いブームっすけど、今年最初頃から「もう終わる」と言われ、もうそれぞれがネタ芸人ではなく、ただのタレントになって生き残ろうと必死になっている感がある。
    でもって、女性お笑いは色気を武器にしたり、あとは音楽方面に手を伸ばして番組企画でCDを出すとか出さないとか。
    なんか80年代初頭にあった「THE MANZAI」を中心にしたお笑いブームの終焉と同様の様相を呈してきた。ここから、たけし・さんま・紳助並に生き残る人は出てくるんでしょうかって事っすね。(当時の芸人の多くが現在も芸能活動しているけれど、すでに「その他大勢」になっている)
    ま、ネタ芸人という呼び方もどうかと思うけれど、本来芸人は演芸場で作り込んだ漫才やコントなどを披露するのが本職で、テレビのバラエティでわいわいやっているのは余興。それで認知度を上げて寄席に客を引き込むってのが王道だったと思うんですが、お笑い系の掲示板やブログなどを呼んでいると「バラエティ番組でアドリブが利くのが本当に面白い芸人」という扱いで、ネタが面白くてもトークで使えない芸人はダメって事らしい。
    すっかりテレビサイズがスタンダードなんだなぁ。

    古いβのビデオをDVDの内蔵HDに取り込んで、(基本的に音楽番組ばかりなので)曲ごとにチャプターいれたりしてDVDに永久保存版として記録している。
    その編集課程で曲と曲の間にアナログで編集していた当時の残りカスなどを見つけるのも、細かい愉しみになっている。
    つまりAと言う歌手が歌い終わって番組的にはCMに入るんですが、そこで録画をSTOPしてCMに入るギリギリまで巻き戻し、次の歌手の歌い始める時までスタンバイするんですが、どうしても手動でやっている限界で、本当に微細な0.1秒単位のギリギリ+αみたいな画像が残ってしまう。
    それは肉眼で確認できる場合もあるけれど、まったく普通にそのビデオを見ている時には気づかない様な物もある。
    それが現在のHDに取り込んで、デジタル的にコマ単位(ビデオの場合は正確にはフレーム単位と言うらしいけど)でカッカッカッとコマ送りにしていくと、その残りカスが明確にチェック出来てしまうのだ。現在使っているDVDレコーダーでは1秒は30フレームに分割されているらしい。
    そこですでに記憶のずっと深い場所に沈んでいたようなCMの冒頭部分の絵などが出現してくる。あぁこんなCMあったよなぁと20年以上昔の記憶を呼び起こされる。
    それは残したいと思うような当時印象に残っていた物ではなく、削除対象となってしまった物なので、逆にそれを発見すると「おぉぉ」と思う部分が大きい。
    さらに「このタレント・・・・名前が出てこない」という部分で凄く気になる。

  2005年04月24日(日)薄々雑学の裏々
    「雑学は学問の上澄みをすくい取った物」という事を以前に書いた。
    それ故に時々「知泉に書いてある事は文章の説明がなさすぎて信憑性に欠ける」とか言われてしまうのだ。
    以前、単行本を出した後にどっかのサイトで書評されていて「一つ一つの雑学が無責任なほど短い言葉で羅列してあり説明がほとんど無いのでその意外な雑学の真偽が掴めない。もっと解説をしてくれたらよいのに」みたいな事を書かれていた。
    ま、その意見も解るんですが、いかにシンプルに出来るかってのが逆に知泉における「他者との差別化」であったりします。でも「真偽よりネタ的に面白い方を優先」って考えは無いっすけど。
    確かに無責任な感じではありますが、それが何かの興味のキッカケになってくれればそれで良しって気もします。

    例えば、大昔に知泉で書いて、去年あたりトリビアの泉でも取り上げられた「アルミ箔を歯で噛んだ時にキーンとくる感じの事をガルバーニ電流と呼ぶ」という雑学。知泉の方ではそれだけで終わっていたけれど、さすがトリビアでは派手に戦隊物的なテンションで笑えるネタに転化してました。
    で、ここで終わらない雑学的展開として、この「ガルバーニ」ってどういう意味?という方向に興味を伸ばしていく事が出来る。
    実際には中学辺りの科学とかで習ったかも知れないけれど、カエルの解剖した筋肉に静電気を流すと肉体的には死んでいるハズなのに筋肉がピクッと反応するという物があった(最近は解剖とかの実験はしないか?)。この静電気に筋肉が反応するという事を発見した人物がルイジ・ガルバーニ(1737〜1798)さんです。

    もともと医者だったんですが、当時すでに静電気でビリッとくるのが治療に使われているという事があったのと、当時はまだ人体の多くが解明されていなかったので解剖&動物実験が盛んだった事から、ガルバーニさんも「何か見つけたい」と色々実験している中でこの筋肉の痙攣を発見したワケっす。
    これが第一の後世に残る大発見だったんですが、実はその後の実験の中でガルバーニさんは現代社会に無くてはならない発見の根元をしております。

    カエルの筋肉が静電気に反応するってので周囲から「それ凄いじゃん」と言われて気を良くして延々と実験をする中で、大量に静電気を溜めてそれを… と考えて、金属をカエルの筋肉につけようとする直前、金属が触れていないのに静電気がバチッと音を立て、同時にカエルの筋肉がピクピクッと反応をした。
    つまりこの時点でまだ誰も気づいていなかった直接触れずに電気が空気中を伝わる「放電」という現象を発見してしまったのです。
    で、それがさらに凄い発見の基礎に繋がっていきます。
    同時期の科学者ベンジャミン・フランクリンが凧をつかったカミナリ実験に成功していたんですが、実は「カミナリ=静電気の放電」と言うことはほとんど考えられてなく「カミナリは静電気と同じような現象」ぐらいの扱いだったのです。(まだ神の怒りと考えている人もいた時代)
    そこでガルバーニさんは「この電気が空中を走る(放電)ってのはカミナリと同じでないか?」と考え、カミナリが起こりそうな入道雲の出た日に、真鍮で出来たフックにカエルの脚をぶら下げ、それを鉄で出来た窓枠の所に立てかけたのです。
    「カミナリよ起これ!」とガルバーニさんが祈ろうと思った時、天気もまだ良く、ゴロゴロとカミナリもなっていないのに、何故かカエルの筋肉がピクッピクッと反応を始めたのです。
    「なんじゃこりゃ?」と思ったワケですが、実はそこで現代に必要不可欠な発明をしていたのです。

    つまり真鍮のフックを鉄で出来た窓枠に立てかけた段階で、異なる2種類の金属を接触させる事により電気が発生する。という直流電気(乾電池)の根本的な原理モデルを作ってしまっていたのです。
    そのことも学会に発表はしたんですが、その現象を深く研究する事はなくガルバーニさんはこの世を去っています。当然乾電池という凄い発明に至る事もなかったのです。
    なぜ深く追及して乾電池みたいな形にしなかったのか?というと、このガルバーニさんは基本的に「医学者」で静電気が発生するメカニズムにはさほど興味が無く、カエルの脚が痙攣する方ばかりに興味を引かれていたからなんすね。(電気の放電現象も同じく)

    その後、ボルタさんが異金属の接触により発生する電気の研究を重ね、乾電池を開発する事になるんですが、そこで電気の単位が「ボルト」になるワケです。ガルバーニさんも研究を続けていれば今頃電気の単位が「ガルバーニ」とかだったのですな。
    とりあえずアルミと歯(カルシウム)で接触した時に起こる静電気ということで「ガルバーニ電流」という名称として残ったワケですが。

  2005年04月25日(月)愛・地球博ってどうなんすかね?
    今から35年も昔、大阪で「万国博覧会」って物があって、それ以来の規模らしいんだけど、あの時みたいに世間が「万博一色」には染まっていないっすよね。
    それどころか、普通に生活している自分にとっては、オープン当初はテレビで騒いでいたので「あぁ始まったんだ」ぐらいには認識しているんですが、それから1カ月近く経過した現在「え、まだやってんだっけ?」ぐらいの認識になっています。秋ぐらいまで続けるんだよね、確か。

    大阪万博の当時は第二次世界大戦の傷跡も癒え、高度経済成長のド真ん中で日本中がワッセワッセと大きな明るいハズの未来に向かって進んでいた時代。
    もっとも同じタイミングで、安保闘争とか学生運動や、公害訴訟なんかの嫌な空気も含んでいたんだけど、それでも日本中がまだ熱気を帯びていた時代だったと思う。
    たぶん人間もまだまっすぐに純朴だったんだろうなぁ、学生運動に身を投じるなんてのもある種の純朴さの現れだよね。今の中国がそんな感じ。

    第二次世界大戦が終わって、そこまで抑圧されていた物が一挙に解放され、焦土と化した日本の中で「頑張れば頑張った分見返りが来る」という高度経済成長のわっせわっせを始めて、世界と経済面でも肩を並べ始めた戦後25年目の1970年。
    ほっと一息ついた時に「そーいえばワシら娯楽ってのを無視してたよな」と、世界中の珍しい物を集めた万博にみんなで集中した時代だったのだ。
    ちょうどアメリカも宇宙開発に必死になって、前年にアポロが月から石を持って帰ったというのも大きな目玉だった。(今回の「マンモスの死体」が目玉って扱いはどうなんでしょうか)
    今みたいに娯楽が色々あって分散していたような時代じゃない。とにもかくにもあの時代は「万博は世界に繋がっている」って感じだったのかも知れない。

    それが今や世界中の情報は個人レベルでガンガンネット内を飛び回っている。ほんとうに地球の裏の地味な町で起こった事件やエピソードまで即座に伝わる(現地特派員みたいな状態で世界中で日本人がサイトやブログを開いてますから)。
    今さら、世界中の珍しい物を集めても、本当に珍しい物はありえないし、娯楽だって生半可なアミューズメントでは誰も驚かないし、自宅で遊べるTVゲームだってとんでもない進化をしているワケで、ネット経由で世界中の人とプレイ出来るのも常識の世界だし。
    今の時代、その手の万博に何を求めているんでしょうかね?

    環境を考える博覧会なのに自然の残っていた森を造成しているし、結局、考えつく事はそのイベントを主宰したり企画している人が「金儲けになる」と踏んだから始まったイベントでしょ?ぐらいの感想。
    内容の充実を褒め称えたり、開催した事の有意義さを讃えたり、を開催者もほとんど言っていない感じで、入場者数と食堂などのゴタゴタと経済効果ぐらいしか話題になっていないってのは、あきらかに「経済的」な部分に意味を見出した万博でしかないんじゃないかと。
    世界中を繋ぐ万国博覧会を行う意味はもうネット社会の現代にはどこにもありませんぜ。ただのエコ関連の商品発表会なら晴海とかで充分だし。

    やっぱ世界を繋ぐ博覧会だったら今はネットで自宅で見られるようなアイディアにしなくちゃ。
    例えば、色々なサイトを博覧会のパビリオンとして繋いで、情報を行き来させて… え?もう「インターネット博覧会」って数年前にやったって?当時の森喜朗首相が実行委員長で開催宣言してやったの?糸井重里がネーミングした「インパク」って名前でやったの?
    へぇきっと大成功したんでしょうね。

  2005年04月26日(火)緊急時マニュアル
    昨日の午前中、尼崎でとんでもない鉄道事故が起こった。
    現時点では、スピードを異常に出していたという事ぐらいしか具体的な事は判明していないけれど、なんか日常的な空間の中でこんな大惨事が起こるとは予想が出来ない。

    現在の報道では60人ほどの死者(病院に担ぎ込まれた重傷者も多いし、まだ判明していない乗客も数十人いるらしい)ということで、自分が物心ついてから以降に起こった鉄道事故では最悪な物ではないかと思う。
    実はこの事故を知ったのが、昨日の夜9時近くに帰ってきて夕刊に記載されている記事を読んでからで、文字より先にマンションに横倒しで重なっている電車の写真が眼に入ってきた時に、日本の事故ではないと思った。
    あまりに非現実的すぎて、もし架空の話で電車事故を描いたとしてもあんな無茶な状態の現場は描けないだろうと言う状態だった。

    そう言えば、もう10年以上前の阪神大震災の時も仕事がムチャクチャ忙しい時期だったので、仕事中に関西方面で大きな地震があったという噂は聞いていたが、自宅に帰ってTVを付けた時にその地震の現状を知った。
    最初に倒壊した町並みを見た時は、日本風景だとは思えず「またバルト三国では紛争が続いているのか」とマジに思ったぐらいだった。その風景の中に日本語で書かれた看板がなければ神戸の風景だとは思えなかったと思う。

    今回の鉄道事故は、どんな人間の上にでも降りかかってきてもおかしくない物なので、原因の究明なども急いで欲しい。
    それと、確かにトンデモない事件だけれど、記者会見の場で異常にテンションを上げて鉄道関係者に詰め寄る記者なんてのも勘弁して欲しい。そんなに詰め寄っても意味無いし、その場で必死に謝罪しても意味ないし。
    そんな事でマスコミとしての正義感を高揚させている反面で、病院に搬送されてきた重傷者の写真をベストアングルで撮影しようとタンカの前に回ったり邪魔をしたりするマスコミも山のように存在するってのも勘弁して欲しい。
    さらに事故が起こったからといって即座に上層部が辞任発表するのも「逃げ」としか思えないので勘弁して欲しい。
    まるで緊急時のマニュアルかのように同じ風景が繰り返されるのは、ホント無駄だから。

    とにかく、そんな事じゃなく、生存者の確認や遺体の搬出を迅速に行い、その原因究明に全力上げて欲しいっす。

    報道ステーションに出ていた鉄道関係の専門家の人が異常に興奮した様子で喋っていたので、なんか耳障りだった。しかも興奮した状態でまだ仮定の事項さえも断定して語っていた。
    さらに「ここで急ブレーキを踏んだわけですが」と何度も言っていたが、電車のブレーキは踏まないだろ、と思った。

  2005年04月27日(水)扇動多くて船、山に登る
    中国での反日デモの首謀者とされる人が複数人、中国政府に逮捕されたらしい。
    インターネットを使って人々を扇動した人物などもいたんだけど、その中の一人は大学教授。
    やはり学生を統率して扇動していた人物にそんな人がいましたか(まさか教授だとは思わなかったけれど)
    凄く解りやすい図式でした。

    果たしてこの逮捕で反日デモに参加していた人たちへの洗脳が溶けたのかってのが問題で、たぶん多くの人がいつの間にか「無かった事」にするんだろうと思う。60年代安保の時に学生運動に参加した人と同じように。
    特に中国では「天安門事件」も無かったかのような扱いらしいし。
    でも中には首謀者が中国政府に捕まったと言う事に関して、怒りの矛先を「全ての権力」へとシフトさせてしまう人も出ないとは限らない。反日でもあると同時に、現中国政府へも反発するという、ほとんどアルカイダ的立場。そうなると、どこでも騒ぎを起こすことが目的になって、収拾つかない状態に向かってしまう。

    もう、駄々っ子みたいに「僕ちゃんの思い通りにならないともっと暴れるぞ」と要求ばかりする組織になってしまう可能性もある。アルカイダなんかもすでにそんな状態で「対話」なんてのはハナから望んでいない。
    ま、この反日運動に参加したのが中国国民のほんの一部のお調子者って事であって欲しいっす。
    前に書いたけど中国で「ドイツは戦後保証をちゃんとやったが日本は」みたいな事をデモで叫んでいたと書いたけれど、あの戦争で中国はソ連でも迫害していたユダヤ人に関しては同じ方向の扱いをしていたハズで、ドイツがどーこー言うと自分たちも関係してきちゃうっす。
    そこで当時日本が仕切っていた満州国ハルピン特務機関長だった樋口季一郎の話なんてのは当然知られていないんだろうなぁ。

    ナチスの迫害を恐れてシベリア鉄道経由で満州国境まで逃げてきたユダヤ人約2万人を満州国を説得し続け、かなり独断で満州国経由で脱出させた。戦後、ソ連側から戦犯として引き渡すようにと要求されたのをマッカーサーの拒否で助けられた。その後イスラエル共和国設立後。ユダヤ人の恩人として称えられている。
    中国(満州)に必死に働きかけ非合法でユダヤ人を助けた日本人だっているのだ。
    あと、一人で6千人のビザを手書きで制作し、リトアニア脱出させた杉原千畝とかもいる。一概に「日本人全部ダメ」みたいな考え方はもう辞めた方がいいかと思ったりもする。

    [鉾先(ほこさき)弱ってますから] そう言えば波田陽区ってのも随分「過去形」って感じになってきましたが、未だにカップ焼きそばのCMが流れている。
    でもそこでは「でも私、美味しい顔出来ませんから!残念!」と斬っているが、本来なら「焼きそばって言っても焼いていませんから!残念!! お湯でふやかしただけそば斬り!」とか斬って欲しい。
    なかなか大物を斬るときには気を遣うみたいで、以前もプリンセス・テンコーを斬った際も「本当のイリュージョンは姿を現さない婚約者ですから!」とか言っていたが、本当なら「本当のイリュージョンはあんたの分厚い化粧ですから!」と斬って欲しかった。
    ま、そんな激しい斬りかたをしていたら、まじにイリュージョンで消去されちゃうでしょうが。
  2005年04月28日(木)赤い
    [大映ドラマ復活?] 石原さとみで1970年代末に山口百恵でヒットした「赤いシリーズ」のリメイクだそうです。(3作品のリメイクが決定しているらしい)
    共通点は「唇の厚さ」か?

    もともとドラマはほとんど見ない上に、この赤いシリーズってのが「生き別れになった親」だの「白血病」だのをテーマにした、見る前から感動を約束されちゃっているような物なので、当時も全然興味無かったし、今回も興味ないっす。
    でもやはり、昨今の「あと1年以内に死亡すると宣告を受けた主人公がいかに自分の人生と折り合いを付けて生きていくか」というテーマが多い時代にはジャストなのかもしれませんな。

    といいつつ「往年の赤いシリーズ復活」の裏には「韓流ドラマのブームに便乗して元祖それ系ドラマのリメイク」って事なんだろうなぁ
    韓流ドラマはまったく見ていないんだけど、そのあらすじはまさに赤いシリーズや大映ドラマのまんまっすから。

  2005年04月29日(金)雑学者の魂
    [いまさらトリビア本] トリビアの泉の単行本の11巻と12巻が発売だそうです。
    最初にあんだけ大々的に発売して大ヒットしちゃったからには、途中で辞める事も出来ずに12巻ですか。
    初期は毎週「ただいま累計○○万部!」とかラストに言っていましたが、ある時からしばらくその数字が変化しなくなって、いつの間にか言わなくなっていた。
    やはり本格的なブームは2004年の春先に終わっていたのだなぁ。
    と言うわけで、単行本知泉の方もアマゾンでは微妙な位置をキープしていますが、出版社からの「売れた」とか「増刷」という報告も無くなって久しい。いやはや。もうすっかり過去の話でやんす。

    「まだ知泉なんてやってんのかよ」という声も聞こえて来そうですな。
    ま、そんなブームになんか巻き込まれた私ですが、元々「雑学本コレクター」であったわけで、便乗で発売された『○○トリビア』とか目に付いた物は全部購入している。本屋で手に取った瞬間に「こりゃお手軽な便乗本だな」とか「作っているのは元々雑学なんて興味ない人間なんだろうなぁ」とか、呆れてしまうような物も「時代の証拠」としてコレクション対象で買っていた。
    で、気が付くと本家の単行本は1冊も買っていない事に気が付いたのだ。
    でも値段高いし一杯出ているから大変ジャン・みたいな感じではあります。薄いし。今から全巻セットで購入するとなると1万円以上が飛んでしまうワケで、やはり後々にBOOK OFFでチビチビと集めるのがいいかと思います。

    で、すっかり世間では「いまさら感」がありますが、本屋で『ワールド・トリビア』という本を見つけてしまった。
    まだその名前で出すか… と思ったんですが、どうやら外国で出たトリビア本の翻訳物らしい。
    本のサイズはやや四角っぽい変型本で、いわゆるトリビアなんかのスタイルではない。が、中身は1ページ目に『○○○が○○○な国は…』と見出しがあり、それをめくると『…○○○である』と書かれていて、その解説が少しあるという、トリビアの泉の本以降に大量に出てきたパターン。
    結局これだと、内容的には半分で済むんだよね。って感じ。

    そんなこんなで今さら「トリビア」という名前を付けた便乗本を買うというのはかなり羞恥心を捨てなくてはいけない行為なのだ。きっとエロ本を買うのより恥ずかしいかも知れない。思わず、他の雑誌の間に挟んでレジに出してしまった。
    てなワケで家に帰ってきて、適当に読んでみたんだけど「……」でした。

    いわゆるこの手の雑学物に関して「それって常識じゃん」という物言いはある種のタブーになっているワケで、特に自分みたいにドップリ雑学にはまり込んでいる人間にとっては、どんな本を読んでもそ〜んなにビックリする聞いたことのない話ってのは無いワケで「それって知ってるよ」という尺度で見たら何もかもつまらなくなってしまう。
    しかしあえて言わせて貰えば「それって常識じゃないの?」って状態なのだ。

    たとえば『ダーウィンが進化論を考える為に調査した島は…』『…ガラパゴス島』とか。
    もっとも翻訳物の雑学本で注意しなくてはいけないのは、その国の人の常識と日本人の常識は全然違うって事もあるのだ。特に宗教がらみだとかは。
    アメリカンジョークを笑えないのは、どっちが優れている優れていないって事じゃなく、その蓄積された知識や感性の差だからしょうがないって事なのかも知れない。
    だからきっと「ダーウィンが 〜 ガラパゴス島」で向こうの人は「へぇへぇへぇへぇへぇ」なのかも知れない。
    でも…

    てな事を書いたワケですが、やっぱ自分は雑学ドップリで世間の尺度を見失っているみたいです。
    実は、木曜日、帰宅した所、母親がいきなり「日本で一番最初の自動車事故ってどこで起こったか知っている?」とクイズを出してきたのです。そこで4択を言い始めようとしていたんだけど、即答で「皇居のお堀に落ちたってヤツ?」と答えたのです。
    雑学バカ息子の鼻を折ってやろうと待ちかまえていた母はいきなり不機嫌な顔で「正解」と言ったんだけど、実はこのクイズ、さっきまで放送していたミリオネアで久々に出た1000万円の最終問題だったそうです。
    う〜む、自分の中では雑学の中でも初歩の部分だと認識していたんですが、1000万レベルでしたか。(以前メルマガにも書いた雑学っす)

  2005年04月30日(土) 自由っていったい何ンだい?
    自分がかつて書いたメーデーの文章を読んでいて「やっぱ今の中国ってのは革命が起こった直後のような状態なんだろうなぁ」と思った。
    労働者の集会メーデー。最初は明治22年に二六新報が第1回日本労働者大懇親会という物を開催したのが日本における労働者の集会第一号みたいですが、これは4月3日に開催されていて、イギリスで始まった物とはあんまり関係ないみたいです。
    で、実際にメーデーという形で始まったのが大正9年。

    その後、昭和11年、戦争の足音が近づいてきた時代に政府によって中止命令が出ています。その後、第二次世界大戦での敗戦をキッカケに敗戦の翌年の昭和21年5月1日にメーデーが早くも復活しています。
    この辺りはまさに現在の中国の若者の「闇雲に理想主義を掲げ、過去の弾圧していた歴史を糾弾する動き」ってとリンクするんだけど、軍国主義から民主主義へと変わったシステムの変革を叫ぶ労働者の怒号が飛び交う、イデオロギーが激しくぶつかりあう集会に変貌していったワケっす。

    その結果、終戦から7年後(6回目)1952年のメーデーでは、労働者のデモ隊6000人が興奮状態のまま大行進を始めて、集会場所として使用禁止だった皇居前広場に押しかけ、警察隊と衝突をして大混乱になっています。そのあげく最終的に警察官の発砲により2人射殺。1230人検挙、負傷者2300人という大惨事になっています。
    抑圧されていた歴史からセーブ出来ない自由なイデオロギーが噴出するとこうなってしまうという典型ですな。

    というわけで昨日は「みどりの日(昭和天皇誕生日)」だったんですが、仕事でありました。
    「ブロードキャスト(TBS)」で尼崎の電車事故を扱っていたんだけど、論調は当然のようにJR批判の方向で行われていた。
    そこで被害者の方へのお見舞いに病院へJR職員がお見舞金を持ってきたという話の中で「こんな大事故を起こしておいてJR職員が持ってきたお見舞金の封筒は紅白の水引だったんです」と女性キャスターが締めていた。
    で、カメラがスタジオに戻ってきた後は、福留をはじめとしてその場にいた全員が「紅白なんて不謹慎だ」「JRは常識も知らないのか」というJR叩きが始まりコーナーが終わった。
    でも、普通どんな悲惨な事故が起こったとしても死んだワケじゃないんだから、入院患者へのお見舞は「紅白の水引」だよね。
    確かにこんな事故の加害者側だったら無地の水引もない封筒ってのが正解だと思うけれど、番組的には「入院のお見舞に紅白は非常識」という感じで叩いていたから、ちょっとJRを叩く事に必死で細かい部分を落としている感じ。



     


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