ひねもす雑記
2005年05月11日〜20日


▲2005年05月11日:水:しつけ
▲2005年05月12日:木:調教
▲2005年05月13日:金:小さなスナック
▲2005年05月14日:土:やはりゲームが悪者
▲2005年05月15日:日:初恋の人登場!
▲2005年05月16日:月:で、出てくるかって
▲2005年05月17日:火:色々な御対面と
▲2005年05月18日:水:ビデオの著作権
▲2005年05月19日:木:老けていく美意識
▲2005年05月20日:金:トな人たちの本
  2005年05月11日(水)しつけ
    [しつけは大事]
    仕事で「新入社員のしつけ」という本があった。実際には自分がやったワケじゃないので、内容はちと不明ですが、ハッキリ言って義務教育を小学校6年中学校3年もやって、さらに高校で3年やって、中には大学で2年とか4年とか勉強して社会に出たってのに、しつけをしなくちゃ使えませんか?最近の新入社員は?って感じなのだ。
    「新入社員教育」ではなく「新入社員のしつけ」って事はなんか凄いことのような気がする。
    もしかしたら、新入社員が入ってきて最初に渡される会社の概要とかシステムを説明する小冊子なんかも、文章ではなく漫画で書いてありそうな勢いなのだ。

    [ニャン太・チュー吉のたのしい会社生活]
    しかもその漫画もいわゆる島耕作とかのビジネス漫画系ではなく、登場人物はドジな猫ニャン太くんと、優秀なネズミのチュー吉くんあたりが主役で…。(作画:藤子不二雄プロ希望)

    ニャン太「うわぁい今日から○○商事の社員だぞぉ」
    チュー吉「そうだね、もう学生気分は切り替えて頑張らなくちゃね」
    ニャン太「まずはこの名刺を使ってナンパをしてみよう!」
    チュー吉「こらこら、とりあえず最初は挨拶だろ」
    ニャン太「ちぇ面倒臭いの、ところであのハゲは誰?」
    チュー吉「あれは社長って人で、ここで一番偉い人なんだよ」
    ニャン太「そうか、秘書を愛人にして、政治家とつるんで悪巧みするヤツだね」
    チュー吉「実際にそうだとしても、社会人になったらそんな事言っちゃダメ」
    ニャン太「で、俺の給料はどのくらい出ンの?」
    チュー吉「大学新卒だと○○万円ぐらいだね」
    ニャン太「マジ?そんなに少ないの?やってられねえよ」
    チュー吉「ってか、キミまだ何も仕事やってないじゃん」
    ニャン太「俺は仕事をするために生まれて来たんじゃない、そんな非人間的な生活できっかよ!」
    チュー吉「非人間的って、あんた、元々ネコですから」

    みたいな軽妙なやり取りで会社の仕事を解説した小冊子が配布されて… って説明しきれねぇよ、このペースじゃ。

    [おあしす運動]
    とはいえ、もう10年ほど前になるけれど、某会社で「おあしす運動」を実行中ってのが新聞か何かに載っていたのを読んだことがある。いわゆる
    はよう、りがとう、つれいます、いませんでした」 とかの頭文字を取って「おあしす」この言葉を積極的に言いましょうと言う物。
    それって小学校の段階の教育だよなぁ。さすがゆとり教育の申し子達が社会に出てくると、ゆとり有りすぎで上下関係も人間関係もゆとりたっぷりですな。
    っす、ほか?、つけぇんだよ!、っ
  2005年05月12日(木)調教
    [監禁男]
    18歳の女性を3カ月間も監禁。しかも犬用の首輪をつけさせ、自分の事を「御主人様」と呼ばせていたという。まったくもって陳腐な三流エロ劇画のまんまなのだ。
    もっともこんな事件が起こるとすぐに、それらのエロ劇画方面・エロビデオ方面・エロゲーム方面が諸悪の根元だという論調が高まったりするのも、すごく解りやすく見えているんだけど、それも安直すぎるというか、評論家も心理カウンセラーも何も考えていないだろって感じ。

    で、犯人の御主人様男は取調室の中で「俺は統合失調症だ」と述べているとニュースで言っていたんですが、もちろん本人は「俺は多重人格だ」と言っているんでしょうね。
    多重人格って言葉のどこが悪いのかは不明ですが、最近は「好ましくない言葉」として「統合失調症」に差し替えられているらしい。
    ま、あの手の「御主人様」とか「メイド」とかの、三流SM的な方向が好きな人は「多重人格」ってのも安易にセットで好きな方向だってのは解りやすい図式ですな。
    なんつーか退廃的世界がこじんまりとワンセットになった感じ。耽美趣味在庫一掃大安売りっつー事かも知れませんが。

    多重人格と言う病状は確かに実際にあるらしいんですが、近年急増した多重人格のほとんどが「自己暗示」って事らしい。いわゆるそっち方面の趣味が「格好いい」と感じるような人でそっち方面の作品にどっぷりになると「なんか多重人格って格好いいよね」ということで「あたしも多重人格かも知れない、凄く元気な時と、極度にやる気無い時あるし」みたいな入り口から入って自己暗示を掛けてしまうパターン(もちろんそこからマジになってしまう人もいる)。
    でもそれってただの「気分にムラがある人」程度なんだろうね。

    自分は漫画とか書いていた時期があって、そうするとそっち方面の好きな人が寄ってくる事もある。でも自分の場合、アニメとか全然興味無いし、キャラ萌えする事も全然無いので、一切会話が成り立たないっすけどね(どっちかというと文学方面から漫画に入ったのでキャラではなく作品の物語としての完成度が最大の興味)。
    で、その手の人を観察していると、いきなり漫画とかアニメのキャラになりきったような発言をして悦に入ってるパターンが非常に多い。それがすでに20年近く前の話なので今はどうか不明ですが、たぶん現状は同じか、もっと酷くなっているのかも知れない。

    そう言えば、先日東京で新年会を開いた時に、K氏が「バイトで来ている女の子がアニメ系で、声優志望らしいんだけど、日常会話の中でアニメ系でしかありえない発言をする」という話をしていた。
    普通に会話するときもそうらしいんだけど、何かにふとした拍子にぶつかった瞬間「きゃふんっ」とか「ぽよっ」とか「てへっ」とかとか… そっち方面の語彙が少ないので、上手に表現出来ないけれど、そう言う事らしい。
    それなんかは完全どっぷりアニメの世界の住人になっているんだろうけど、中には自分の中に複数のキャラを持っていて、臨機応変キャラが出てくるようなパターンの人もいるんだろうなぁ と言いつつ、それは多重人格じゃない。

    ところで、昔は良かった言葉が言い換えられる現状で、アンルイスが歌っていた六本木心中の歌詞「独りぼっちじゃ、街の明かりが人の気を狂わせる」って部分、今でもOKなんすかね?
  2005年05月13日(金)小さなスナック
    ナンシー関とリリー・フランキーが雑誌「クレア」でやってた対談が文庫本になって出た。(「小さなスナック」文春文庫)
    これを読みながら「そうかナンシーさんは2002年6月に亡くなったって事は、もう3年も経過しているのかぁ」と時の流れの速さに少し驚いてしまった。

    その中で読んでいて切なくなるのは、2002年1月号での対談(1月号の発売は前年12月で、対談したのはさらに1カ月前の11月)で、ナンシー関が「次の7月で40歳になるんだよ」と言い、リリーが「じゃぁお誕生日会開こうよ」とか言い出しているワケで、実際にはその誕生日の1カ月前、ナンシーさんはいきなり脳梗塞でこの世を去ってしまう事になる。もちろん誰もそんな半年後の出来事なんか予知できる物ではない。
    さらに対談の締めで「いつまでも大人になれない」という話の展開から「私は10年後も消しゴム彫っているのかなぁ、まちがいなく彫っているよな」で話が締められている。何という皮肉な運命。

    もっともそれは今現在の自分だって解らないワケで、ある程度の年令になると身近な人の死にも何度か直面して、色々な事を悟ったり感じたりするけれど、まさか自分にもその死が訪れるなんて予想もしていない。
    でも悲しいかな生まれてきた物には100%必ずいつか死が訪れる。どんな偉いこと言っていても、たった100年ちょっと先には地球上の生物のほとんどが総入れ替えになっているのだ。(今は100歳越えも少なくはないけど、まだ少数ではある)22世紀2112年のドラえもん誕生日に立ち会える人間なんてまだいるかどうかも不明なのだ。

    ダラダラ生きても一生、必死に生きても一生、どっちがいいとは言えないけれど、悔いが残らないような一生を過ごしたいと思ったりもする。
    とりあえず今の現状は自分的には全然ダメな状態なので、もっと努力するしかないのだ。

    ちなみに
    2112年のドラえもん誕生イベントに立ち会えるとしたら、今年生まれた子が107歳まで生きなくちゃいけない。その時代になれば100歳超えも難しくないかも知れないけど、なかなか大変な道のりなのだ。
    (最も初期の設定では「ドラえもんは111年後からやってきた」という設定で年数は決まっていなかった。つまり1970年の連載当初は、21世紀末の2081年からやってきたと言う事になっていた)
  2005年05月14日(土)やはりゲームが悪者
    監禁ナルシスト男は「大量の鬼畜系と呼ばれるエロゲーをしていた」って事で、案の定、安易な評論家がそっち叩きをする。
    自分的にはエロゲーどころか、ゲーム自体一切やらないので、叩かれても感情的にはならないんだけど、つまりSM的な事や監禁などをエロゲーだけに絞って叩くってのはどうなの?て感じで、どうせ叩くのなら団鬼六(今上映しているハズの杉本彩の映画とか)も叩くターゲットに入れ、ついでに谷崎潤一郎辺りも徹底的に叩いて「あの作品は抹殺すべき」とかまで行かなくちゃいかんよ。
    どうせ叩くのならね。

    そのエロゲーがどれだけ売れたかは知らないけど、そのエロゲーをやった人間が全員犯罪者になっているのなら問題だけど、そうじゃない場合はあくまでも事件を引き起こしたのはその犯人の素養って事でしょ。
    飛行機シミュレーションゲームをやって「実際に運転したかった」とハイジャックしちゃったバカも存在するわけで。

    ところで、先日の尼崎の電車事故の時にゲームの「電車でGO」がどうこうって書き込みをネット内で見たんだけど、もしかしたらほとんどの人が、あのゲームのタイトルが元々「戸川純の曲」だって事を知らない?
    一番最初にあのゲームを知った時に、そのタイトルを「何もひねってないなぁ」と思った記憶あり。
  2005年05月15日(日)初恋の人登場!
    [古いビデオ鑑賞日記:1]
    てなワケで、夜のヒットスタジオなんてのを見ていると、ありがちな企画として「初恋の人登場」がある。
    学生時代に好きだった相手とかが出てくるわけで、それが「なぜこんなのを?」みたいなのもあるけれど、成長期には良い方向へ変化する場合と逆の場合もあるので、その辺をどうこう言うつもりはない。

    けれど、当時も見てて思ったのが「なんか出てくる人ってマヌケっぽいよなぁ」と言う感情。
    ま、いきなり素人があの有名歌手が一杯いるスタジオに呼び出されカメラで全国生中継されて、どうリアクションを取ればいいのか?ってのもあるんだろうけれど、なんか「格好悪いなぁ」と思っていた。

    こうやってヒットスタジオなんかを大量に見ていると、初恋以外にも「学生時代に世話になったラーメン屋のおばちゃん」やら「先生」やら「部活の仲間」やらが出てくるパターンもあるんだけど、そっちはそれなりに盛り上がったりしている。
    しかし初恋の人の場合はなぜか変な空気が流れている気がするのだ。
  2005年05月16日(月)で、出てくるかって
    [古いビデオ鑑賞日記:2]
    で、思ったのが「ここに来ている人って一方的に呼び出されているだけで、こっち側の思い入れはほとんど無い」って事が大きいのかも知れない。中には告白されて振ったとか言う人もいる。
    そんなこんなで「好きでも無いのに、その相手が有名人になったからとノコノコ出てくる」って事が間抜け度を上げているのかも知れないなぁなどと思ったのだ。

    逆に、実際にマジに付き合っていたのでここでバラされたらアウト!みたいな場合でも気まずいだろうなぁ、相手は素人なので舞い上がって何を言い出すか解らないし。
    中には小泉今日子の場合のように「取り上げてくれたお産婆さん」が出てきても、これと言って交わす言葉も無いだろうなぁという状態もあるけれど。

    あとベストテンでは、チェッカーズが「涙のリクエスト」がヒットして1位を取った時(1984年04月05日)に「フミヤが高校時代に極親しい関係だった女性」がスタジオにお祝いのケーキなんかを作って持ってきた事があった。フミヤは唖然、メンバーは当然色々知っているワケで大爆笑。
    これなんか当然「なんだかんだあって別れた彼女が、アイドル的に売り出し始めて、どどーんと売れた所にノコノコ私彼女ですみたいな感じで出てきた」って事でしょ?かなりキツイっす。有名になったのを見て元カノが出てくるってのは現実問題として。(その後、色々別の問題もあったみたいですが)
  2005年05月17日(火)色々な御対面と
    [古いビデオ鑑賞日記:3]
    この企画の中で後々話題になった物では、渡辺美里の「高校時代にラグビー部のマネージャーをしていた当時の仲間」が大挙してやって来た(1986年07月23日)と言うのもありました。
    司会をしていた古館がラジオで「彼女はその手の企画が大嫌いだったみたいで、歌が終わってCMに入った途端、来てくれた人たちに向かって「何で来たりするのよ!」と怒鳴り散らした」と語っていたそうで。
    確かにビデオを見ていると、それまで緊張しつつも普通にこやかにしていた渡辺美里が、ラグビー部の連中が出てきた瞬間から表情がこわばりはじめ、明らかにむかついているような表情へと変わっていくのが解る(そういう色眼鏡で見ているからかも知れないけれど)。
    古舘伊知郎はラジオで「せっかく来てくれたのに、大勢の人が見ている中であれはないだろ、なんかどう接していいか解らなかった」と語っていたらしい。
    P.S.それからしばらく夜ヒットに渡辺美里が出なくなったが、久々の出演時になぜか渡辺美里が「古館さんのファンなんです」と花束を持ってきたことがあった。(仲直りの意思表示?)

    他に話題になったのでは、当時は一部の人しか知らなかったBOφWYが初登場した時(1986年03月05日)、今は渋くキメている氷室京介が「ね、初恋の人とか来るんでしょ?」みたいに自分からリクエストして、その通りに学生時代に好きだった女性が出て来てはしゃいでいたという物。しかもワザワザ来てくれた女性はすでに結婚していたというオチまでついて。
    当時、布袋寅泰は山下久美子と結婚したばかりで、すごく仲がいいという話題が出ていたのも時代を感じますなぁ
    (当時まだ殆ど有名じゃなかったてのは、布袋と山下久美子が結婚した時、ベストテンで吉川晃司が「山下さんの相手はボウイってグループの布袋さんって人で」と説明をしていた程度)
    で、この時の放送の日付を確認しようと思って、Google検索した所、これをDVD化して販売している人もいるんですな。悪質だなぁ。

    そっち方面でちょっと調べてみると、スカパーなんかで放送された物らしい「夜ヒット」などをDVDに落としてヤフーなどで販売している人が結構いるんですな。こーゆー事やるヤツがいるから、新しい放送形態がデジタルコピー出来ないような仕様になってしまうんだよなぁ。
    こっちなんか、DVDに落とした後の不要になったビデオはどう処分しようかって考えているのに(商売しようとは思わない)。見たい人もいるだろうから、やはり見たい人に渡したいとも思うけど、それでそんな商売されたらたまらないし、躊躇しちゃいますな。
    本来は、自分で録画したビデオでも、金銭的な受け渡しが無くても「他人に譲渡」した段階で違法っすけどね。
  2005年05月18日(水)ビデオの著作権
    [古いビデオ鑑賞日記:4]
    以前も何気なく「昔BSでやっていたJニーズがメインのアイドル番組のビデオが大量にあって、そこでCDデビュー前のKンキとかTキオとかV6(←そのままか)とかが歌い踊っている」みたいな事を書いた時に「ビデオ貸してください」「売ってください」「ダビングしてください」みたいなメールが何通も来たことある。
    でも、なかなか面倒な事も多いので、勘弁!となった。(ダビングも貸す事も出来ませんとメールしたら「あなたは自分さえ良ければそれでいいんですか?」みたいな返信もあったけど…)
    それ以外では、アイドルマニアの方から、ずらずら〜〜と100行以上に渡って「アイドルの名前:曲名」を書きつづったメールを貰った事がある。「この曲を歌っているビデオがあったら貸してください」みたいな内容だったのだが、う〜むなのだ。
    確かにアイドル物も好きだけど、そんなにディープ専門じゃないしなぁ(一般的な尺度で言えばディープかもしれないけどマニアからしたら可愛い物で、どっちかというと私はロック系の方が多い)、大量にあるビデオをチェックし直す作業もとんでもなく掛かりそうなので、ご遠慮願いました。
    今は、とりあえずDVDに落としつつインデックスも作っているので、どれに何が入っているのか明確になっていますが、以前はビデオって事もあって内容チェックが面倒で内容不明のビデオも多かったのでやんす。そのお陰で今は、予期せぬ内容にビックリしたりしています。
    (インデックス作っているからって、それらの要望には応えられないっす)
  2005年05月19日(木)老けていく美意識
    [100歳の地図] 自分が通っていた中学校を出てすぐのバス停前にあったタバコ屋のおばあさんが亡くなった。自分が現役中学生だった時代にすでにおばあさんだったので「いったい何歳だったのだ?」と思っていたんだけど、ちょうど100歳での大往生だったそうです。
    数年前にそこを通り掛かった時にゆっくり歩いているのを見かけた事があり、その時も「何歳?」と思ったんだけど、あの時はもう97歳ぐらいだったのだなぁと、しみじみしてしまうのだ。

    [老けない人、老ける人] ここの所、古いビデオをチェックしているというのを嫌と言うほど書いているけれど、そこで「あ、20年前はこの人、こんなに若かったんだ」と驚く事も少なくない。そりゃ20年も経過してりゃ誰だって老けるさ、とは思うんだけど、極端に変化する人と、全然変化しない人がいる。
    たとえば変化しない人の代表では、石坂浩二なんて人もいる。
    この人の場合、20年前(1980年代)の段階で「いつまでも老けないよね」と言われていたような気がする。その時、40代中盤。今は還暦を超えてから5年ぐらい経過しているハズ。この人は時間の経過ぐあいが特殊なのかも知れない。

    それとは逆に、今の姿を見慣れてしまっていて「ずっと昔から」だと思いこんでいるようなパターンでは、藤村俊二おひょいさんとかがいる。
    20年前のビデオの中では黒々とした髪の毛で、元振り付け師というのも納得できるような感じのスタイルでいる。どこで、今のようなまっ白なお爺さんキャラになったんだろうか(一度入院して人前にあまり出なくなった頃?)。
    他にも、20年前ってそうだったかぁという感じの人が多数。
    小堺一機とかそのまんま東は普通の髪型をしている。

    [年とるべし] 誰でも老けていくってのは大なり小なりあって、致し方ない事なのかも知れないけれど、こうやって見ていて、かつてはそこそこイケていたのに「今現在」の姿があんまりパッとしない人はこの20年間そっち方面の気を抜いて来た人なんだろうなぁと思ったりする。
    老ける=格好悪くなるって事じゃなく、老けても格好いい老け方をする人もいる。その辺になると、生まれ持った容姿ではなく、長年の蓄積がムードとして表面化してくるので、今それなりの年令になっても格好いい人は長年の努力(&キープ)の上に成り立っているのだろうなぁと痛切に感じるのだ。
    若い時が美の頂点だと思っている人は、間違いなのだ。

    と言いつつ、明らかに無理に若作りしたり、綺麗じゃなくなっているのに、テレビで「私もまだまだイケるでしょ?」的にコビた自意識過剰視線を送るようなおばさんタレントも勘弁して欲しいけど。(それ辺りは若い時と同じスタンスの美意識しか持っていないんだろうなぁ)
  2005年05月20日(金)トな人たちの本
    以前、仕事で「火星には超古代文明が存在していた!」的な物をちょっとやった。
    いわゆるNASAが撮影した火星の写真の中には複数の人工物と思える物が映っている。それをNASAは隠蔽する為に、一度発表したがヤバいと感じたのか削除している。
    という、もう何十年も同じネタを繰り返している物の新しい本。

    もうね、超古代文明があった!という発想からの安易な展開で「古代文明っつたらエジプトだろ」という事で、ピラミッドは当然出てくるし、ファラオの顔のレリーフは出てくるし、ほとんど聞いたことないようなエジプト期の王様や王妃の名前が出てきて「○○○の像とそっくりな横顔が!」と書いてある。素人の私にはどうやったらそう見えるのか判断に苦しみます。
    いわゆる人間の眼は3つの点が並んでいるのを見ると顔と錯覚してしまうシュミクラク現象ってのがあるんですが、それが満載っす。

    もしかしたら、この手の本を作っている人も「超古代文明」という芸能仕事の一つとして「ちょっと最近、火星やってなかったからそろそろやってみる?」てな具合で作っているんでしょうかね?
    傍若無人にテレビの中ではしゃぎ回って、ダウンタウン浜田にデコを何度も殴られ「うきーっ!」とか叫んでいたのに、番組収録が終わりカメラが止まった瞬間に、「すいません、ありがとうございます!」と最大限のお辞儀をして恐縮していた実は常識人の篠原ともえみたいな状態で、本当が極まっとうな常識的な人たちがワザとハズして作っているのではないかと勘ぐっている。
    「こういう本ってそれなりに需要あるんだよねぇ、なんか新しいネタ無い?もうムリヤリのこじつけでもいいからさ」的に作っているんじゃないかと思うぐらいのムチャクチャぶりなのだ。

    不可思議な形の像が並んでいる事が見て取れる。自然界ではこのような特殊な形状の物が並んでいると言うことはあり得ないので… って、グランドキャニオン辺りには大量にありますがな。
    このような規則正しい模様を描くのには高度な技術が必要で… って、鳥取砂丘にでも行けば風紋って名前でいくらでも見かける事できますがな。
    みたいなツッコミどころ満載なんだけど、もしかしたらすでにそっちの出版物は「ツッコミ」というのが基本前提になっているのかも知れない。

    それらに「UFO研究の第一人者○○○博士が」などと書かれている物もよくあるけれど、噂ではそんな人物はもともと存在せず、出版する時に「学術っぽい事を書いたり、聞いたこと無い博士の名前でも書けば、権威付け出来るじゃん」みたいなパターンも多いらしい。
    以前やった仕事でも、初校・再校(編集の第一段階とそれの赤字訂正)では「先日NASAで発表された写真を分析していた所、私は不思議な物体が映っているのを発見した」と言う文章だった箇所に、責了直前(印刷するための完了)の赤字でいきなり「火星研究の第一人者○○○博士によるとNASA発表のこの写真に…」と修正が入ったりする。
    つまり、筆者が写真を見て妄想を膨らませ「これって顔に見えるよね」と書くのより、火星研究第一人者と称される人物が「顔である」と言った方が信憑性が増すという段取りなのだと思う。(筆者が独自に発見したと言うスクープ性を取るか、学術的裏付けっぽい部分を取るかの選択なのだ)

    そして「ト学会」に取り上げられて「トンデモ本の世界」に掲載される事が何よりの誇りで、同時に部数が増えるという図式なのだな。
    つまりトンデモ本を指摘するトンデモ学会も、このトンデモ食物連鎖の一因としてトンデモ本普及に貢献しているのだ。



     


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