ひねもす雑記
2005年06月01日〜10日


▲2005年06月01日:水:6月になれば
▲2005年06月02日:木:セブンイレブン→健康食品→焼肉
▲2005年06月03日:金:トリビアの沼の穴(1)
▲2005年06月04日:土:トリビアの沼の穴(2)
▲2005年06月05日:日:法事
▲2005年06月06日:月:梅雨来る
▲2005年06月07日:火:腰痛
▲2005年06月08日:水:漣健児
▲2005年06月09日:木:常識と宗教
▲2005年06月10日:金:アトムのユニフォーム
  2005年06月01日(水)6月になれば
    なんだか、玄関を出るとこの1年間のクセで「ウサギがいるんじゃないか」と思ってしまう私がいる。
    自分は直接ウサギの死を見たわけではないので、大きな衝撃は無かったのかもしれないけど、ジワジワと胸の中に痛みが拡がっている。なんか胸のほんの小さな処だけど、ポッカリ穴が空いた感じがする。
    なんだか切ない6月の始まりなのだ。

    結局の処、フィリピンの山奥に60年間潜んでいた元日本兵って話は、仲介人と称する人の嘘だったんでしょうか?「○○○円出せばなんとかなる」という金額をつり上げたり、言っている事が二転三転したり、でっかい詐欺事件って事なんですかね。
    なんか、中国の動きといい、この話といい「戦後はまだ終わっていない」って事なんすか?
    もう30年ほど前。自分が子供の段階で「すでに戦後ではない」とか言われていたような気もしますが。

    嘘といえば、5月末に関東地方だかでどでかい地震が発生するって話はどうなったんですか?
    すっかり6月突入していますが。
    とりあえず熊本だかで地震が起こったみたいだけど、それで予測していた物とは全然関連性がない(こじつけで関連性を持たせる可能性もあるけど)
    結局この手の「地震予知」ってのは現実に予測できなかったら、他の予知もダメって感じがする。科学的根拠でもって「○○○が○○○なので○日から○日の間に」とかってのは、地震が起こりうる確実な要素が提示された状態なわけで、それで地震が起こらないって事は、その要素がジャストで揃っても地震は発生しないと証明しちゃったような物でしょ?

    もっとも、今回の予知を聞いてあわててその場から逃げ出していたと言う人の話は聞かないので、世間の関心度もそんな物なんでしょうね。
  2005年06月02日(木)セブンイレブン→健康食品→焼肉
    おととしの暮れ、帰り道にあったセブンイレブンが潰れた。
    確かにそのセブンイレブンは立地条件は悪かった。
    結局このセブンイレブンは住宅街にあったけれど、立地条件が悪すぎた。
    いわゆる郊外型のセブンイレブンはそこそこの広さの駐車場があってなりたっているんだけど、ここの場合は道を挟んだ所に駐車場があった為にちょっと面倒な印象があった。そのまんま駐車スペースとは思えない店前に車をドンッと付けてしまう豪快さんもいたけれど。
    しかも、かなり急な坂道の途中にあったので歩いていくのも面倒くさい。
    それでも近所に他にコンビニがなかったので、それなりに流行っていた感はあった。

    が、あるとき、その坂を下りきった所に別のコンビニが出来てしまったのだ。
    途端にそのセブンイレブンの中には客がぱったりとなってしまった。客とはシビアなのだ。
    その末期のセブンイレブンで立ち読みしていると、長年勤めているおばちゃん店員に向かって常連と思える客が「ここの方が家に近いから絶対ここを応援するからね!頑張ってね」などとカウンターで言っているのが聞こえてきた。この手の声が普通に聞こえるようになってくるってのは逆に「あぁもうダメなんだなぁ」という印象でしかないのだ。
    そのうち、ジュースなどのコーナーの品揃えが薄くなり、単行本・文庫本のコーナーも品薄になり、カウンター脇には大量に「半額処分お菓子コーナー」が出来て、しばらく後に店は修了していた。
    その後、しばらく「テナント募集中」という張り紙が出ていたんだけど、立地条件が悪いのは誰が見ても明らかなので約半年ほど空き家のままになっていた。
    そして、秋頃突然、派手な紅白幕が取り付けられなんやら怪しげな健康食品を売るとか何とかって名目の店になった。
    といっても、午前中1回、午後1回近隣のお年寄りなどを招待して、そこで健康商品がどーしたこーしたという話をして、安くパンやら牛乳やらを売って… といういわゆる「講話売」と呼ばれる怪しげな店が始まった。
    朝夕その前を通るだけの自分はほとんどそこが開いているのを見たことがなかったので、完全に関係ない場所になっていた。我が家の親も、近所の人が一緒に行こうと誘いに来てもそういうのは面倒くさそうだと近寄らない。
    この手の商売は、その場でそれなりの成果を出すとさっさと別の場所に移動していくパターンで、今年の1月頃にはまたしてもテナント募集中の空き家になった。

    そして先日から大工さんが入ってなにやらやってるなぁと思ったら、この6月から「焼き肉屋」としてオープンしたのだ。
    しかし立地条件は相変わらず、住宅街の中心にあるがあんまり焼き肉屋に行くような感じではないだろうなぁ。
    とりあえずオープンから数日は結構車も止まっていたし(道を挟んだ駐車場)盛況だったみたいです。

    p.s.
    が、この文章を書いている8月、客足はパッタリですな。週末も車1台とかで、なんとなく曇りガラス越しにも人の気配があんまり…
    健康食品も全然縁が無かったが、基本的にそんなに積極的に肉を食べたいとも思わない私にはさらに縁がない場所になってしまいました。さて、どうなるんでしょうかね。
  2005年06月03日(金)トリビアの沼の穴(1)
    今週はトリビアをみれなかったので、たぶん先週の放送のガセビアの沼で「舌の味覚分布はガセ」みたいな事を言っていたと思う。いや、ハッキリみていなかったので曖昧なんですが。
    でもあのコーナーの趣旨は「沢山送られてくる葉書の中で調べてみたらガセだった」を紹介するハズだったんですが、これあたりは明らかに最初から「って言われているけどガセだよ」と送られてきた物ですな。
    この舌の部位によって感じる事ができる味は違うって言うのは、たぶん30代以上の人にとっては「ンなの常識ジャン」ということだと思う、なんせ保健体育の授業でその事をシッカリと教えていた。自分なんかも子供の頃それを信じて、慎重に舌の部分へ酸っぱい物などを触れさせて「う〜〜〜ん、ここでも酸っぱさを感じるような気がするけど…」などと考え込んでいた「きっと、舌の上で味が流れてしまったんだよな」と無理に納得をさせたりしながら。
    で、数年前に読んだ本で「現在それは学会的には完全否定されていて、間違った学説となっている」ということを知り「マジっすか?」とメルマガに早速雑学として掲載した。

  2005年06月04日(土)トリビアの沼の穴(2)
    で、このガセビアですが、まずおかしいのがそもそも「舌には部分によって感じる味が違う」とう内容のハガキが寄せられたということになっていますが、学校の授業で普通に教えていた事を投稿するってのが変な話。逆に今の子供は授業で「と言う学説は間違っていた」と教わっているので、間違った説をワザワザ投稿する事もない。
    つまりこのハガキは投稿者(あるいはスタッフが)自分と同じように「これって今は否定されてんだ」と驚いた所から始まった物なんだろうなぁ

    こういう細かい部分のアナがいくつもあるから「トリビアの投稿って全部スタッフなんだろ?そうすれば賞金出さなくて済むしさ」なんて言われちゃうのだ。
    って、もっとも賞金って言っても数千円〜数万円レベルの話、テレビ番組がいったいくらの巨費を投じて制作されているかって事考えたら… そんな金額ケチったってしょうがない。
    スタッフがネタを考えるのが事実だとして、その理由は「大量に来ている投稿を仕分けするの面倒じゃん」って事ぐらいだろうね。投稿整理スタッフの賃金は賞金なんかの何倍もかかるハズなので。
  2005年06月05日(日)法事
    去年亡くなった親戚の伯母さんの法事に出てきた。
    本当は7月に亡くなっているんですが、色々季節的に梅雨時&暑い時期を避けてこの日ということになった。
    さいわい天気も良く、気温も暑からず寒からずという状態。
    しかし、なんやかんや色々あって1年も過ぎてしまいましたかという感じ。この伯母さんは自分の父親の姉で、父親を早くに無くした自分を色々な形で面倒見てくれた人で、亡くなる前の1年間は入退院を繰り返していた。

    その中で、最初の単行本を出した事を報告でき、その事を凄く喜んでくれていたので、なんかこんな形だけれど喜ばせる事が出来て良かったなと思う。
    その病院では本を入院している同朋達に「私の甥がこんな本出したんだよ」と宣伝しまくっていたと言うことを亡くなった後に聞かされて、なんか最後の最後までありがとうという感じだったのだ。
    早1年。
    去年のその日は、自分の方が体調不良で定期検診の日で午前中は病院に行っていた。そして午後、ぼけーっとしている所に訃報が届けられた。

    とりあえずその叔母が出たのが我が家ということで、法事の挨拶をする事になったのだが、何がなんやら上手に行かず、ボロボロになってしまった。
    まだまだ人生修行が足りないなぁと思う次第でありました。
  2005年06月06日(月)梅雨来る
    この時期になると毎年のように書いていますが、湿気で髪の毛がグシャグシャになっている。特にタイミング悪く、床屋にいくギリギリの頃だと最悪。まさに今がその状態です。
    朝、シャワーを浴びてそれなりに必死にドライヤーで髪の毛を整えて、気分的にはストレートのサラサラで、あたかも藤原竜也とかW-inds.とかタッキーとかみたいな気分でいたりするワケですが、それから数時間後、会社のトイレの鏡の中にはなぜか小沢征爾がいる。

  2005年06月07日(火)腰痛
    なんだか、ここ数日、ギックリ腰っぽい状態なのだ。
    明確にギックリ腰と言えないのは、いつこんな状態になったのか思い出せないぐらいにジワジワと痛みが増してきたという事なのだ。
    本来、ギックリ腰ってのはもっと明朗闊達に「あ、今来ました、確かに来ました、動けません」てな感じに「たった今からギックリ腰」というのが解る物なのだ。いわゆる世間ではギックリ腰は「やっちゃった」と表現されるような物なのだ。
    私もかつてなったことがある。若い頃から不健康と運動不足をこじらせているのだけど、ある日「これじゃいかん!」と奮起して「とりあえず腹筋でも」と、床に寝た状態から体を起こして… と言う所でギクッと腰が鈍い痛みと共に動けなくなってしまった事がある。
    健康になろう!と思った瞬間にさらに悪い方向に向かっていくとは、私にはよほど健康と言う物が似合っていないのだなぁ

    ということで、今かなり状態が悪い。
    寝ても起きてもズキズキしている。
    なんだか、本職の仕事がちょっと立て込んでいるってのが原因のような気もするが、それもよく解らない。
    なんかヘビーな状態なのだ。

  2005年06月08日(水)漣健児
    シンコーミュージック:代表取締役の草野昌一氏が亡くなった。
    ずいぶん昔の「ミュージックライフ」の編集長でもあったと思う。

    で、今さらながら知ってビックリしたのが、この人の別名が「漣健児(さざなみけんじ)」だったんですな。全然自分の中でこの二つの名前が繋がっていなかった。
    草野昌一と言う名前は、自分が有る程度年令を重ねた頃に知ったんだけど、漣健児に関しては幼少の頃から、たとえば「しゃぼん玉ホリデー」とか見ているとアメリカンポップスなんかの訳詩者として大量にクレジットされて目にしていた。子供の頃は「漣健児」が「さざなみけんじ」と読むとは解らずに「れんけんじ」と読んでいたけれど。

    たとえば今思い出せる漣健児訳の洋楽ポップスといえば「ルイジアナ・ママ(飯田久彦)」「可愛いベイビー(中尾ミエ)」「パイナップル・プリンセス(田代みどり)」「ヴァケーション(弘田三枝子)」「悲しき天使(森山良子)」等々、あと東京ビートルズの「プリーズプリーズミー」とか「抱きしめたい」なんかもそうです。
    たぶんネットで調べればとんでもないほど大量に出てくると思うんですが、とにかく子供心に洋楽の訳詩とえば「漣健児」か「湯川れい子」って感じでした。

    自分の音楽好きのルーツ、それとジャンル無用の音楽マニアのルーツってのは、この辺の翻訳洋楽ポップスに始まっていたんじゃないかと思ったりする。本格的に音楽にのめり込んだのは中学の時のビートルズリバイバルだったんだろうけど、その10年前にちゃんと下地が出来ていたのだなぁ。
    よく映画でも「やっぱ吹き替えじゃ本当は理解できないよ」とか言う人もいるけれど、その間に入る翻訳者が「いかに日本人に理解出来るか?」という部分で手を加えることで、より理解度が深まっていくんではないかと思う。それが偶然にも、洋楽の黎明期に天才訳詩家が存在していたというのが日本人にとって幸せだったんだと思うのだ。同じようにメロディの部分を日本人好みに翻訳する筒美京平という天才も私は大好きです。

    漣健児・草野昌一(1931/02/04〜2005/06/06)享年74
  2005年06月09日(木)常識と宗教
    常識は時代に流されていく。
    宗教的な問題でカルトと呼ばれる物がある。日本ではすでに10年ほど前の話になってしまう「オウム真理教」の事件など。他にも数多の新興宗教と呼ばれる物が出現し、消えていく、あるいは消えずに続いていく。
    確かにそれらの教義がテレビなどで報道されるたびに、ばかげた内容にみんな驚いたり、笑ったりする。それは、現代における常識や倫理的な物から逸脱しているから、そう感じてしまうのだろうなぁ

    たとえば、現在も宗教は戦争の火種になり続けているけれど、キリスト教だけしか情報が無くそこで生まれ育った人が、なんかの拍子に予備知識もなく日本や中国辺りに来て、いわゆる仏教的な物に遭遇した時にどう思うか?
    髪の毛を全部剃り上げた人間が、ワケの解らない服を着て、丸い石を紐で結んだ物をジャラジャラいわせながら、ポコポコ木で出来た物体を叩きながら、それに合わせて低い声でなんか一斉にブツブツ言い出す。かなり異様な光景。その建物の裏に行くと四角く切り取られた黒い石が所狭しと並べられ、何か煙が出る物をそこに置いて帰ってくる。かなりカルトなのだ。
    さらに死体を焼却するってのも、宗教的には理解出来ないと思う人も多いと思う。

    もっともキリスト教だって誕生した時は、もっと古くからの宗教を信仰している人にとっては「なんかまた変な事始めた奴らがいる」的な感じだったかも知れない。
    ザビエルが日本に来たときに、日本人だってその変な髪型や服装に「なに?こいつ」と思ったに違いない。

  2005年06月10日(金)アトムのユニフォーム
    別に韓国とか中国のアレコレにはさほど「!」とか思いません、なんせ自分自身そんなに日本に思い入れがない、というか。いわゆるスポーツの試合なんかで熱狂的に騒ぐ予定の無い人なので。

    で、スポーツがらみ雑学で「これまで手塚治虫のキャラクターの使用されたスポーツチームは2つ。かつてのヤクルトアトムズ(鉄腕アトム)と西武ライオンズ(あれはレオじゃなく父親のパンジャ)と思われがちだが、もう一つ、韓国の実業団プロサッカーチーム浦項製鉄が鉄腕アトムを使っている。しかも未承諾で…」
    35〜45才ぐらいの韓国人はアニメの「鉄腕アトム」を見て育っており、さらに「ジャングル大帝」や「火の鳥」の漫画も熱狂的に読んで育っている。が、韓国では80年代末まで日本の音楽・小説・映画もちろん漫画も禁止されていたので、「韓国で制作している」という事で発表され続けていたらしい。

    朝鮮日報で「自分に多大な影響を与えてきたのが日本人だと知り衝撃を受けた記者の手記
    で、そのチームのマークに使っているアトムは日本人の作で著作権の扱いに問題ありますよ、サッカーチームに聞いた所「アトムというのは原子の意味なのだから、著作権とは関係ない」と返されたそうで、いやはや。
    ついでにその企業、浦項製鉄は東洋一を誇っているんだけど、実は日本の新日鐵がプラント輸出して作った会社。
    で、そこを訪れた日本人関係者(当然新日鐵の関係者含む)に、浦項製鉄の人が自慢げに見せた東洋一に至るまでの記録を収めたドキュメンタリー映画の中には、見事なくらいに日本に関する部分は一切出てこないで、最後に「この会社は我々民族の英知の結晶である!」となっていて、一同ひっくり返ったらしい。

    この手のネタを書くと、あっちからもこっちからも生き急いだ人が叫び始めそうですが、きっと日本人も知らない所で同じような事をやっているでしょう。笑えるネタとしてメモって事で。

    今までサッカーのユニフォームなんて興味なかったけど、浦項製鉄のユニフォーム欲しい。アトムがワインポイントで描かれていて可愛い!


     


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