ひねもす雑記
2005年11月01日〜10日


▲2005年11月01日:火:ガシガシ
▲2005年11月02日:水:コンピュータウィルス
▲2005年11月03日:木:ITMS限定
▲2005年11月04日:金:仕事は終わらない
▲2005年11月05日:土:徹夜明け
▲2005年11月06日:日:西遊記
▲2005年11月07日:月:なんば〜1
▲2005年11月08日:火:なんば〜2
▲2005年11月09日:水:新i-Pod
▲2005年11月00日:木:聖戦
  2005年11月01日(火)ガシガシ
    11月突入でやんすが、仕事がガシガシ状態でハッキシいって今何月とか何曜日とか全然関係ねえぜ状態。
    なんとかせにゃと思うが、仕事をやらない事にはどうしようもない。
    サラリーマンは辛いぜ。
  2005年11月02日(水)コンピュータウィルス
    コンピュータウィルス対策?
    大丈夫だよそんな物、だってボク、パソコン触る前に手を洗って、うがいもするから。
    と言うわけで、体力が落ちている時にセットでやってくる「なんだかノドが痛い」が訪れました。マジに風邪かもしれない。

    >あなたの送信したメールは許可されていない形式の
    >ファイルが添付されていましたが、アンチウイルス
    >システムによりメールはフィルタされ、隔離されています。
    >当該メールが配送される事はありません。
    >当該メールに関する詳細は、
    >このメールの添付テキストファイルに記載されています。

    というのが意図的なウィルスメールだたったとしたら?
    とりあえず「.txt」だったら問題はないと思うけれど、ウィルスの可能性も否定できないので、怖い世の中でやんす。
  2005年11月03日(木)ITMS限定
    カラダがマジに動かず朝、起きたのがすでに11時過ぎだった。
    油が切れたかのように、全身がギシギシ言っている感じで、もうボロボロっす。
    文化の日で基本的に休日だけれど、今日も会社に行こうかと思っていた。が、どうにもこうにも。でも結局、明日はその分がのしかかってきて真夜中まで仕事になってしまうかもしれない状態。
    てな事で、前から見たいなと思っていた「火垂るの墓」実写版を見逃していた事に今気づく。
    あぁもう実生活無いに近い状態。早く帰ってきても体調が元に戻らずただ寝ているだけの毎日。いかんなあ。
    自分は何のために生きているのか?なんて事を考えてしまう哲学的な今日この頃。

    i-Tures Music Shop(略称:ITMS)で、その火垂るの墓主題歌だった「Bank Band:生まれ来る子供たちのために」を発見。どうやらCD発売はせず、ITMSのみでの、しかも11月30日までの限定発売らしい。
    200円だったが購入(ITMSでは150円と200円の2種類の設定があって、200円は世界的にもっとも高い値段設定という事で、一部では200円は買わない運動がある)
    とりあえずこの曲の購入代金の一部は可能性のある新しい未来をつくろうとする「ap bank」というプロジェクトに入金され、環境プロジェクトに使用されるって事なので、寄付金って事で。
    ちなみにBank BandはMr.Childrenの桜井和寿と小林武史などのユニット。「生まれ来る子供たちのために」はオフコースの曲のカバー。

    この手の「ITMS限定発売」ってのはある意味有用だし、特に今回のように「番組放送され、その直後に発売」ってのが出来るのは作る側にも買う側にも意味ある物だと思う。
    もちろんこの番組に曲を使うってのはずっと前から決まっていたんだろうから、その直前にリリースする事も可能だと思うけれど、たとえば大瀧詠一みたいな人の場合はマジに直前まで曲が出来なかったりする可能性もあるので。(かつてドラマの主題歌を書いた時も本放送の前日に曲が上がってきた事があるらしい。そのために、直前までの新番組紹介では「恋するカレン」などを使っていた)
  2005年11月04日(金)仕事は終わらない
    てな事で、金曜から徹夜でやんす
    雑記はお休み。
  2005年11月05日(土)徹夜明け
    てな事で朝を迎えましたが仕事は全然終わらないっす。
    で、今日は休日出勤扱いで、しかも夜9時過ぎまで帰れませんでした。
    もう寝ます。お休みなさい。
  2005年11月06日(日)西遊記
    なんだか眠いんだか眠くないんだか体が判断出来ていない状態

    藤原カムイの「西遊記」の4巻が出ていた。ずっと出てないので、どうなったか?と思いつつ、日々に追われチェックもせずに今にいたる。
    静岡の田舎に住んでいるので、本によっては発売されたのに地元の本屋に並んでいないというケースがあるので、そのパターンかと思ったりもしていた。なんせ自分の単行本も地元の本屋ではほとんど見かけなかったし。
    で、過去の3冊の奥付を見てみると
    1巻が1998年12月20日
    2巻が1999年2月20日
    3巻が2000年9月10日
    つまり、それなりにコンスタントに出ていたのが、5年経過での新刊なのだ。全部書き下ろしなので、それもしょうがないかとも思う。

    いわゆる物語の出だしになる孫悟空が観音様の怒りに触れ岩山に封印されるのが2巻の終わり 3巻では三蔵法師が旅に出、孫悟空と出会い共に歩み始める。
    で、やっと4巻で猪八戒、沙悟浄とメンツが揃い(3巻でもこの2名はちょっと出てくる)やっと本格的に旅が始まる。
    さあてこれから物語が大きく転がっていくぞ!と思った4巻で完結だそうで・・・、ラストシーンは旅だった後ろ姿で《完》だそうです。
    ま、売れなかったんだろうなあと思う。オールカラー各170ページ前後、1000円て値段設定も「ちょい高い」って感じだし、西遊記ってのもある意味使い古された物だし…

    でも、実際の事いうと西遊記のラストってほとんどの人が知らないと思う。実際自分も何となく聞いたことあるけれどハッキリ知らない。
    いわゆるちゃんと物語の全体像を考え、最後にラストボスとなる強敵をなんとか倒しゴールである天竺に到着して… などという盛り上がりはほとんどなく、淡々といつも通りに立ちはだかる相手を説き伏せ(西遊記では敵を殺したりはせず、すべて説き伏せ観音様などに帰依させる)、天竺に到着して「はい終わり」という、凄く地味な感じらしい。
    1巻には「西遊記を最後まで書ききる」みたいな感じで書いてあったのに、結局こうかぁ。

    来年1月からはフジテレビの月9枠で「西遊記」が始まるけれど、当然そこでも天竺までいかないだろうけど。
  2005年11月07日(月)なんば〜1
    ここの処、かなり仕事がきつく、その関係もあって腰痛がかなり状態がよくない。
    腰痛に関してはずっと微妙な状態はあって、ちょっと疲れると痛みだす感はあったんだけど、ここ半年がかなり良くない。そしてこの1・2カ月が特に良くない。

    確かに毎日、片道1時間ほど車を運転し、会社の席に座った以降は1日に2・3回トイレに立つ&ちょっと他の部署に出かける以外はほぼ椅子に座りッ放しという状態。これで腰が悪くならないワケがない。
    よく「1時間に1回立ち上がってスクラッチをすれば」などと職場の健康関係で指導があったりするが、その程度で健康になれるワケがない。それ以上に密度が濃い仕事をして、さらに時間も長い。

    仕事が立て込んでいると「家にいる時間≒睡眠時間」みたいな時もある。さらに徹夜なんてのも多々ある。その徹夜出すら、休憩時間なんか取る余裕がなく、ほぼ100%机にしがみついて作業。もう若くないんだから無理は出来ないっす。
    で、当然のように腰が痛くなる。

    座っている時もズキズキしているけれど、立ち上がって歩こうとした時にグギグギと腰が痛み出す。
    現状では「しょうがない」って部分で、土曜に病院にいける時は通い、あとは湿布を貼って誤魔化している。
    で、歩くときの腰痛を少し和らげる方法として以前から興味があって調べていた事を実践している。
    かの「なんば歩き」。

    いわゆる現在の当然だと思われている歩き方の右足を出した時に左手を前に振り、左足を出した時に右手を前に振るという歩き方は、明治時代以降にフランス陸軍の軍隊行進を取り入れたもので、それが学校教育を経由して当然のものとなった。
    以前某TVでその雑学が某者によって紹介された時「それマジっすか?その歩き方なんて」とみんな一斉に驚いていたけれど、赤ちゃんが歩きはじめの頃などは、右手と右足、左手と左足が連動して歩く。これは幼稚園時代まで続く事が多いのだが、幼稚園や小学校などで行進をするときなどに軍隊式の歩き方を覚えていく(という事らしい)。
  2005年11月08日(火)なんば〜2
    日本古来の歩き方という事で、歌舞伎などを見ると基本的になんば歩きが行われており、相撲などでも儀式的な部分ではなんば歩きが行われている。昔に書かれた絵なども基本的になんば。
    このなんばがなぜ日本で一般的だったかというと、体の上下が違う動きをしないために腰部分でひねりが入らないため、着物がはだける事が無かったというのがかなりの利点だったらしい。

    いわゆる、現在の歩き方で浴衣などを着ると合わせがいつの間にかだらしなくなってしまう為に、必要以上に帯をきつくしなければいけないけれど、なんば歩きを実践すると帯をそれほどキツクしなくても大丈夫との事。
    で、腰痛に関しても腰のひねりが入らないので痛みを軽減できるという事を以前読んだ本に書かれてあったので、実行してみたのだ。
    とは言っても、物心が付いた時から腰をひねる歩き方をしていた為に、かなり意識的に歩かないとなんばにはならない。というか、最初は意識的に歩こうとしても不格好な状態になり、とてもじゃないけれど人前でお見せできる物ではない状態。これで外を歩いていたら、次の瞬間「不審人物がいます」と通報されかねない状態なのだ。

    もっとも「手と足、同じ側を出す」程度の意識だと、ただの緊張して上手に歩けない人ってだけで腰の痛みが軽減されることはほとんどない。実際には手の振りはさほど関係なく、右足を出した時に右側の腰を前に出すような形でそれど連動して右肩も前に出すというのが正しい理解の仕方。その時、手はどっちが前に出ていても構わない。
    江戸時代の人は手は振らずにブランと下げた状態だったらしいし、走るときは手が邪魔なので上にバンザイした状態で走っていたとの事。走りのプロの飛脚は脇に手を置くか、胸の前で糸巻き状態でグルグル回していたと言う。

    とりあえず現在は「少しは痛みが無いかな?」程度何でありますが、結局の処を言えば「もっと健康的な生活をしないとイカン、仕事をセーブできるような環境にならなくてはイカン」って事でしょうなぁ。
  2005年11月09日(水)新i-Pod
    去年の6月、入院なんて事を経験して、その際「リハビリは歩く事」などと言われ、日々せっせと歩いていた。今は、すっかり仕事に追われ、昼休みすら無い状態で仕事をしていますが。
    で、そのウォーキングの友として、それまでは「ウォークマンを初めとする音楽プレイヤーなんて俺には関係ないぜ」と思っていたのだけれど、いきなり必要になり購入に踏み切ってしまった。

    基本的にMacな人なので、どのメーカーのHDプレイヤーがいいとか悪いとか調査は一切無しに「当然Appleが出しているi-Podでしょ」となった。
    それ以降、手持ちCD(約1500枚)をガシガシデータ変換するブームを経て、現在では毎日片道役時間の通勤時にもトランスミッターでカーステレオとして聞くなど、生活の中で欠かせない存在になってしまったのだ。

    それが、夏頃からいきなりフリーズするとか、再生中にいきなり次の曲へ行ってしまうとか、色々問題あり状態となった。
    で、ここ10日ぐらい、完全に固まったままになってしまった。こりゃ参った状態。
    そんな時に運良くなのか悪くなのか、近所にMacも扱っている家電ショップが開店してしまったのだ。(してしまったという言い方もどうかと思うけど)

    で、今日はなんとか残業1時間程度で帰れることになったので、帰りに立ち寄りいきなり購入。タイミングも見事に「新i-Pod発売!」という状態で、今回のはビデオも見ることが出来るってヤツ。約2時間のビデオを…
    でも、わざわざ外に出かけてまで見たいとも思わないので(誰かにビデオ画像を見せる必要があるのなら、画面小さすぎるので、ノートブック持って行ったほうがいい。)
    あと写真も…。

    やっぱり自分の場合は音楽を聴くための機械でしかないのだ。
    で、音の方なんですが以前のi-Podより音がシャープに聞こえる気がする(旧i-Posはフリーズしたままなので比べる事出来ないですが)。逆に言うと音のエッジが強調され過ぎているような感じでもある。その辺は内蔵イコライザーで微調節する事が出来るワケですが。
    あと、音の定位がシッカリした気がする。
    とりあえず容量が40Gから60Gになったので、約15000曲収納可能って事なのだ。
  2005年11月10日(木)聖戦
    未だに、世界各地で「聖戦:ジハード」という名目でイスラム過激組織を中心に自爆テロが起こっている。
    忌野清志郎が最近のライブで「21世紀になったら戦争が無くなると思っていた。しかし現実はそれ以前以上に戦争が起こっている」とメッセージしたように、アメリカの119テロ、それの報復的戦争、そして連鎖的に続くテロ、とこの2年ぐらいは第三次世界大戦とも思えるように世界を舞台に各地に戦火が飛び火しているかのような現状。

    確かに過激行動を続けているイスラム原理主義組織には言葉では何も伝わらないとは思うので、どうしたらいい?という部分は難しい。
    宗教的教義が全てで、それに反する者は全て悪と見なしている彼らなので、世界中がイスラム原理主義で埋め尽くされるまで聖戦を辞めないつもりかも知れない。かのバーミアンの遺跡を破壊したように世界中を破壊しつくさない限り。

    もっとも、報道ステーションで「自爆テロという考えは理解できません」と語っていたけれど、日本だってたった60年前まで、ある意味「聖戦」という考えで、飛行機のまま敵地・敵戦艦などに自爆目的で突っ込む戦闘方法が存在していた事を忘れてしまったんでしょうかね。
    教育と目的意識をほんのちょっとボタンを掛け違える事を意図的に行えば、いともたやすく人間は聖戦に突入してしまうかもしれないという、もろさを兼ね備えている。
    ただ自分たちは、生まれた時から「平和が一番」「戦争は悪」と教え込まれてきたから偉そうな事が言えるだけで、実際の処「正しいのは何か」なんて理解出来ていないのかも知れない。

    人間の価値観なんてその個人が考え導いた物のようなつもりになっているけれど、実際は教育でしかない。
    今、北朝鮮の貧村部に住んでいる子供達はほとんど浮浪者状態で、冬の寒さの中、足指先を凍傷で失ったりしていますが、彼ら辺りになると国外に出ようとか、なんとかして上を目指そうなんて事は考えないらしい。
    そもそも、彼らは今居る世界の外にまったく違う世界が広がっているなんて事は全然知らないので「今の生活が通常」と思っていて、今の生活をどうこうしようなんてことすら考えていないという。
    日本は「金持っている人が一番偉い」という価値観の中で生活が営まれているので、金が無い事が不幸という事になってしまっているのだ。それも偏った価値観であるなんて事をあまり深く考えない状態で。


     


ひねもす雑記