【語源&由来】
南蛮菓子として1569年(永禄12年)にポルトガルの宣教師ルイス・フロイスによって日本にもたらされ、織田信長に献上されたものが最初とされる。
ポルトガル語で「砂糖菓子」を意味する「コンフェイト (confeito)」が日本語化してコンペイトウとなった。
漢字表記として「金平糖」と当てられたが、「金平」は「金平牛蒡(きんぴらごぼう)」などにも使われる「硬い物・強い物」という意味の語で、金太郎の息子・坂田金平から来たと言われるもの。
「糖」は砂糖の意。ただしこの漢字表記に意味があるのか、たまたま似た発音だったので付けられたのかは不明。
他に「金米糖」「金餅糖」という表記も存在し、見た目から「糖花」という名前もあった。
渡来から100年後、江戸時代・元禄期(1688〜1704年)には大阪で作られるようになり、江戸時代後半・文政期(1818〜1830年)に江戸でも製造されるようになった。
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