八百長 のバックアップ(No.2)
や?:八百長(やおちょう)
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語源 †
- 長兵衛さんは相撲協会の前身である相撲会所に出入りしていた商人で、そのころ相撲年寄だった先々代の伊勢海のヒイキをしていた。
伊勢海が囲碁が好きな為によく相手をしていたが、本当は長兵衛の方が強いのだが御機嫌をとるためにワザと負けていた。
それを周囲はよく知っていてワザと負けることを八百長と言うようになった。
- 微妙に違う説では、長兵衛さんは八百屋以外に力士が立ち寄る「相撲茶屋」なども経営していて元々相撲界とのつきあいが深かった。その中で、当時相撲年寄りだった伊勢海五太夫とも囲碁をよくしていた。
この先の話は前述の物と同じで、それがキッカケでわざと負ける事を八百長と言うようになった。
- 別の説では同じく八百屋の長兵衛が、町内の相撲大会で優勝候補だったのに商売上のお得意さま相手の時、わざと負けた事から言われるようになったと言う話もある。
新聞で †
- 1910(明治43)年.1月28日の「報知新聞」には 「一月場所に於いて看過すべからざるは八百長少からざりし事を筆頭とす。此事に就いては好角者間に角力道の前途に悲観の声を聞く事多かりしが...」と書かれてる。 この時は、八百長相撲が増えている事が問題視され、板垣退助?が八百長相撲禁止の勤めを出し、それに力士たちが誓約書に署名した事が報じられています。
- 当時は一部の人の間で知られた言葉だったのですが、この報道により一般的に知られる言葉になったのです。
更新履歴 †
- 1999.10.15:知泉No.036